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○○がない

奥井晴弥

30,923 字

企業成長物語、群像劇、ヒューマンドラマ

"言葉にできない「らしさ」を求めて、中小企業が辿り着いた答えとは。"

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第五話 意味がない

あかん。会議室の椅子は、どうも好かん。尻が落ち着かへん。
パーパスってなんやねん。パンパースなら知ってるけど。初めて聞いたわ。

二時間やで。二時間あったら、河田さんとこへ行って、ついでに二、三軒、顔出せるやろ。
社長に会議に呼ばれて出てきたら、香田さんとかいうコンサルの先生がおって、会社の存在意義を、みんなで言葉にしましょう、と。
なんやらようわからへん。「PL」って。わしらの代やったら、福留がスターやったな。

にしても香田さん、ええ声してはるなあ。よう通る声やわ。
資料も、わかりやすうて、きれいやな。佐藤が作ってくれる資料とええ勝負や。
佐藤はこん中やったら一番若いけど、うちの仕事をようわかっとる。

よその会社が掲げとるパーパスちゅうのを、何枚も映してはった。どれも立派なもんや。
けど、得意先さんはうちの米びつを、うちの存在意義で仕入れとるわけやないやろ。
便利なつくりやから、蓋がちゃんと閉まるから、仕入れてくれはるんや。
そう思うと、なんぼ立派な言葉を並べられても、どうもピンと来うへん。

正直に言うてええんなら──こんなん意味あるんかいな、ないやろ、と思うてしまう。

そうは言うても、社長が大事や言うてはるんやから、今のうちらにとって大事なんは、わからんこともない。
社長も会社引き継いで、不安なんや。
けど、わしらの仕事の存在意義なんて、わかっとることやんか。
得意先さんが「これはええわ」言うてくれる。それがよう売れたら、また電話くれる。
米びつが、前より使いやすうなったって、お客さんが喜ぶ。それが意味やろ。
それ以上の何を、言葉にせえっちゅうねん。ほんま、意味ないわ。

わしは高校を出てすぐ、この会社に入った。もう三十年も前のことや。
あの頃はまだ二十人もおらん小さい会社で、社長は大学に通っとった。
その頃の商品はほとんど自社工場で作っとったから、わしも最初は、工場の仕事をしとった。射出成形機の使い方を、会長にイチから教えてもらった。

営業やらへんか、と会長から声をかけられたのは二十五歳の時、嫁さんと一緒んなって、チビが生まれる、その少し前やった。
自社開発の仕切り板がヒットして、プラスチック部品の下請けを減らして、自社開発商品のメーカーに変えていきたいと、会長がよう言うてはった頃や。
「田所は絶対お客さんにかわいがってもらえるはずや。あと、これからもっと稼がなあかんやろ」と言われて、わしは、やってみたいです、と答えた。

会長は、営業のえの字も知らんわしを助手席乗せて、あちこち連れて回ってくれた。
営業先の商談だけやない。道々でホームセンターやら百均やらに連れてってくれて、棚の前で、ここがこう不便やろ、これがこうなったら奥さんらは助かるやろ、田所どう思う?と聞いてくれた。
難しい話は一個もせえへんかった。パーパスとか、存在意義とか、そういう言葉は、聞いたことない。
ただそういう、現場を見て考えた「ええもん」を作ってお客さんのとこへ持っていく。
会長がそうやって教えてくれたから、わしも安心してうちの商品の何がええのかを話せる。
それでお客さんが仕入れてくれたら、会長は「田所、お客さん、ええ顔してたやろ」とだけ言うた。

いっぺん、金物屋の奥さんが、米びつの蓋が固うて開けにくい、年寄りには難儀や、と何の気なしにこぼしたことがあった。
会長はそれを覚えとった。半年して、指一本で開く蓋をこしらえて、また、その店へ持っていった。
奥さんが、これええなあ、と声をあげて、ほんまに片手で開けてみせて、笑うた。
会長はそれを、にこにこ見とるだけや。一言も、ええ商品でしょう、とは言わへん。
わしは、これこそが仕事や、と思うた。

わしの中に、この仕事の意味はぎょうさんある。ありすぎて、こぼれるくらいや。
だけど、滅多にそれは言わへん。会長も言わへんかった。意味なんか、小難しく言わん方が、伝わるからや。

──携帯が鳴った。

得意先の河田さんとこや。あかん。こんな会議なんか聞いとる場合ちゃう。
「すんません」
廊下に出て電話を取ると、河田さんはこの前わしが提案した新商品のこと、やっぱり置くことにしたわ、棚替えに間に合わせたいから明日にでも持ってきてくれへんか、と言う。
ほな、すぐ持って行きますわ。明日やなんて。もう、今日でも行きますよ。なんぼでも。
──こういう電話のために、わしは生きとるようなもんや。
何べんも頭を下げる。電話の向こうは見えへんのに、勝手に下がる。会長も、こうやったなあ、と思う。

席に戻ったら、まだパーパスの話の途中やった。
社長がこっちを見て、田所はどう思う、という顔をしてはるように見えた。
わしは、考えても何も出てこんから、いちばん本当のことを言うた。

「なんや、難しいこと言うてはりますけど、『ええもん作って届ける』で、ええんちゃいますか。会長も、よう言うてはったし」

社長は、うん、と小さくうなずいてくれた。
けど、香田さんが、いいですね、でもそれをもうちょっと磨きましょう、と言うて、社長もそれに乗っかって、また別の話になっていった。
わしの言うたことは、たぶん、ちょっと素朴すぎたんやろ。
まあ、ええわ。学のある人の言うことは、聞いとくもんや。

社長のことは、嫌いやない。会長とはまた違う苦労をしてはると思う。
あの人なりに、必死で会社を守ろうとしてはるんや。
せやから、わしも力になりたい、とは思う。
ただ、その力の出し方が、会議室の中では、どうもわからん。

最後に、宿題が出た。次までに、「うちらしさを表す言葉」を、三つ、考えてくる。

三つ。

……三つも、いるか?「ええもん作って、届ける」。これで、もう全部入っとると思うんやけどなあ。
ええもんを、作る。それを、欲しい人に、届ける。これ以上、何を足したらええんや。
あと二つひねり出すために、わしは何を考えたらええんやろ。
机に向かって、うーんと唸っとる自分を想像したら、ちょっと笑えてきた。

会議が終わって、わしはすぐ立ち上がった。河田さんとこの分を、用意せなあかん。
倉庫で黒木さんに声かけて、箱を積む。
黒木さんは、何も言わんでも、いっつも、いちばんええ状態の箱を、奥から出してくれる。角のつぶれてへんやつを。
そうや。わしが自分で運ぶ箱がつぶれとったら、お客さんは軽く見られたと思う、そういうもんや。
黒木さんは、ようわかっとる。
河田さんとこへきれいなもんを持っていけるんは、黒木さんのおかげや。
あの人もたぶん、自分の仕事に意味があるかどうかなんて、考えたこともないやろ。
考えんでも、知っとるからや。

愛車の軽バン。もう十万キロを超えとる。燃費は悪い。
坂上さんにはいっつも、ちょっと困った顔をされる。送りにしたらどうですか、と。
せやけど、わしが持っていったら河田さん、顔見て喜んでくれる。ちょっと喋って、ほな、と帰る。
そのために、わしは走っとるようなもんや。

エンジンをかける。荷台で、箱がコトンと鳴った。

意味なら、ここにある。ハンドルの先に、河田さんの店に、この箱の中に。ぎょうさん、ある。
わざわざ言葉にせんでも。

さあ、行こか。河田さんが、待っとる。

── 第5章 了 ──

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