第4話 無敵の人
台蔵組、建築積算課では、課長の安川をはじめとする社員達が、萌華と省伍が運んできた526枚の設計図を囲んで呆然と佇んでいた。
「……526枚……ですか」
ポツリと呟く安川の横から、他の社員がパラパラとめくり始める。
「各フロアもかなり精密だし……デザインも規格外」
「さすが……なんですけど」
「あれ? 順番バラバラだ」
省伍がきょとんとした顔になった。
「エレベーター前で、台車を引っ掛けてぶち撒いちゃいました」
「まあ、全部揃ってるんで直しておいてください」
安川が唖然となり、表情を曇らせて小声で呟いた。
「そこからなの?」
「……同伴の予約が」
周囲にキッと睨まれて、慌てて薄笑いを浮かべる。
安嶋は眼鏡を外すと、目頭をハンカチで押さえて慟哭し始めた。
「うぐ……ふぐ……こんなの、いつ終わるの? いつ家に帰れるのよ? 小さな子供達がいるのに!」
安嶋の泣き声を皮切りに、オフィス内はため息や愚痴が渦巻き、暗い空気に包まれた。
省伍は隣に立つ萌華に視線を移すと、その表情はただただ心配そうに、社員達を暗い顔で眺めている。
「あの……あなたも残業になりますか?」
省伍の言葉に、萌華が顔の向きを変えず返答する。
「私は、派遣元に雇われてるから、残業は御社との協定外になるんです……でも」
ひたすら泣き続ける安嶋を見て、眉を下げて言った。
「この様子を見ると、私だけ帰っていいのか」
省伍が、ため息をひとつこぼし、口を開こうとしたその時。
「やあ〜安川さ〜ん、お邪魔するよ〜!」
全員が弾んだ声に向き直ると、そこに、甘城が営業社員を二人引き連れて現れた。
安川の表情が、みるみる青ざめていく。
「あ、甘城さん? はは、何かご用ですか?」
冷や汗をかきながら、机の上の図面を隠すように立つが、甘城はにたりと日焼けした顔で、くっきりと目立つ白い歯を覗かせて図面を指差した。
「用事も用事、大用事だよ」
「学術棟の図面、できたんでしょ?」
「パースももう直ぐできるって言うし」
「さっきできましたよ」
横からポツリと言葉を発した省伍に、顔を向けた甘城は、ギョッと目を見開いた。
「あ、あれ〜守原くんじゃないの」
「いつもデスクに根を張ってる人が、どうしたの?」
「完成図面を届けに来たんですよ」
「内容の説明もしたいから」
甘城は、目を細めて安川に視線を戻した。
「ま、まあとにかく図面ができたんなら、商談でしょう?」
「パースもできたんなら畳みかけなきゃ」
「来週、行きたいんでよろしく」
あくまでも軽い調子で話す甘城に、安川の冷や汗は止まらない。
「……甘城さん、図面の数、見てくださいよ」
「500枚以上あるんですよ? 終わらせるだけでも大変なのに、来週だなんて」
すると、甘城の眼光が一層険しくなって行く。
「はあ? 契約はスピードが大事よ」
「特に他社と競合している今回の案件」
「一気にガンガン畳みかけなきゃ!」
「いや、でも……このままだと、みんな泊まり込みの残業になってしまいます、家族もいる社員だっているのに」
すると、甘城は黄色に黒の文字のラベルを貼ったドリンク剤を取り出すと、蓋を開けて一気に飲み干し、大きくゲップした。
「泊まり込み? 結構じゃない」
「よく言うでしょ?」
「24時間戦えますか?」
ドリンク剤の空き瓶を、そのままゴミ箱に放り込むと、安川に顔を近づけてほくそ笑む。
「俺たち営業は、夜討ち朝駆けで走り回ってるの」
「仕事を取って、取って、取ってくるから」
「あんたらの給料も出る」
「ドゥーユーアンダスタン?」
甘城の眼光が鋭さを増して行き、言葉が滑らかに続く。
「もう一度言うが、商談はスピードよ」
「我が社は5年連続の都市空間デザイン賞金賞」
「そのブランドかつ、緻密な見積もりをスピーディに提出できる」
「それこそが、業界をリードする台蔵ブランドなんだよ」
「……それ、俺です」
口を挟んだ省伍を、オフィスにいる全員が凝視した。
「都市空間デザイン賞の金賞は、俺が貰ったんですよ」
「会社じゃなくて」
しれっと言った省伍に甘城が反論を始める。
「君、何言っちゃってるの?」
「社員が受賞したなら、会社が受賞したってことだろ?」
「違いますよ」
「それだと、俺が引いてない図面も金賞のデザインになっちゃうじゃないですか?」
「電話されますよ」
「嘘、大袈裟、紛らわしいに」
安川の視線が甘城と省伍を往復する。
甘城の日焼けした顔が、紅潮し、歯軋りを始めた。
「馬鹿言うな! 企業人たるもの、個人の成果は会社のもんだ」
「社員で共有して還元するもんなんだよ」
「馬鹿言ってんのは甘城さんでしょ?」
「個人の成果を讃えてこその会社でしょうが」
甘城は力いっぱい机を叩いて捲し立てた。
「お前! 上司に向かってなんだその口の聞き方は!」
「あんた、直属の上司じゃないじゃん」
興奮する甘城にも、身じろぎ一つせずに淡々と返す省吾を、オフィスの全員がポカンとした表情で眺める。
省伍の目つきが鋭くなって行った。
「勘違いされちゃこまるけど」
「俺、いつ辞めてもいいんですよ?」
「独立して、自分の事務所立ち上げようか考えてるし」
「そうなったら甘城さん、あなたが営業でいる限りは、台蔵組に声をかけるの、考えちゃうなあ」
甘城の歯軋りはさらに激しくなるが、大きく鼻で呼吸し、やがて平静を取り戻して行った。
「わかったよ」
「見積もりできたら連絡ください、安川さん」
そう言い残し、振り返る甘城。
その背中に省伍が追い討ちをかけた。
「それだけですか?」
「……何?」
「見積もりを早く上げたかったら、営業からも人員を回すべきなんじゃないの?」
「毎日案件もないでしょ?」
「外回りで、漫喫行ったりパチンコ行ったりしてるんじゃないの?」
甘城がまた身を震わせて、激しい歯軋りを始めながら振り返った。
「わかったよ! 何人か回すから、なるべく早くあげてくれ!」
甘城と営業社員が、力強くドアを閉めて退室した。
その瞬間、省伍に対して拍手が巻き起こった。
「守原さん、ありがとう!」
「デザインもすごいけど、人間もでかい!」
「神だ……あんた神様だよ」
口々に声が飛ぶと、省伍はただ口を半開きにして周りを見渡した。
萌華一人が顔を強張らせて、図面の束を眺める。
「でも……これ、どうなりますか?」
すると、安川が笑顔を作って萌華に近づいて、言葉をかけながら肩に手を置こうとした。
「だいじょうぶだよ、もえかちゃ……」
「直接の接触はアウトです!」
手を引いて薄笑いを浮かべる安川。
「や、やだなあ」
「永本さんを安心させようとしただけだよ」
安嶋が眼鏡を上げた。
「不安も掻き立ててますよ」
安川は、薄笑いを浮かべたまま顔を上げた。
「ま、まあ、期限がないならこっちのもんだ」
そのままオフィスのデスクが2列並んでいる前に立ち、それぞれを指差す。
「まずは、総出で拾い出ししよう」
「こっちが、数量計算」
「こっちの列が単価割出し」
「全部終わったら全員でチェック」
「あとは、見積表を総出で作ろう!」
「じゃ、じゃあ帰宅は?」
不安そうな安嶋に、珍しく安川が、いやらしくない笑顔を向けた。
「バッチリ帰れるよ!定時でOK」
その瞬間、オフィスに歓声が湧き上がった。
安川の笑顔がまたいやらしくなる。
(……よかった)
(同伴キャンセルしなくて済んだ)
その時、内線を置いた省伍が、安川に声をかけた。
「安川課長、うちの課長に許可頂きました」
「俺も、しばらくこっちで手伝わせてください」
すると、安川の表情がさらに明るくなり、飛び上がらんばかりに喜び始めた。
「え? いいの? 設計者自ら? 助かるよ」
さらにオフィスに拍手が起こる。
省伍はさらに続けた。
「て、ことで今晩皆さんで、飲みに行きましょう」
オフィスのテンションは最高潮に達した。
歓声と拍手が鳴り止まない、ただひとり、安川だけが顔を曇らせた。
(……同伴の、予約)
気持ちは嬉しいけど迷惑です!
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