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讐牟D.C.滅亡都市

連載中(書きかけ)

天音ろっく

66,998 字

ディストピア・サバイバルSF群像劇

"滅びゆく都市の残響に、希望と絶望が交錯する群像劇。"

終末世界を描いた、ダークサバイバル・バトルファンタジー! シュメル歴六百七年八月九日。突如として現れた異形の生命体によって、一瞬のうちに荒廃と化してしまった都市ニゲラ。 保護された施設で無気力なまま過ごしていたエヴァは、ある日突然、施設を襲撃しにやって来た美青年と出会う。 「殺してやる」 そう告げた銀髪の美しい青年の言葉に導かれ、ただ死ぬことを目的として付いて行くことにする。 彼はただの破壊者か、救済者か。その先に得るものは一体なんなのか。 隠された政府の陰謀と、未知なる恐怖との戦い。そこに生きる人々が目にする真実とは──? 生きることに何の価値も見出せず、いっそのこと死んでしまいたいと願う者。恐怖に震えながらも絶望の中で必死に生き抜こうとする者。 大切なものを奪われ、ただ復讐に生きる者。 それぞれが複雑な心境を胸に抱えながらも、生き残った者達は新たな仲間達と出会い、別れ、そして明日を生きる為に戦い続ける。 人類存亡を懸けた壮絶なバトルが──今、始まる。

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◆エヴァ・ハムリー◆

【生存者たち(七日目)】

 男に先導されるままやって来たスーパーで、見知らぬ男の子と鉢合わせた私達。

「……こっ、殺さないで下さい!」

 敵意がないことを伝える意思表示として、両手を頭上高く上げた男の子。その瞳は髪の毛と同じ淡い茶色で、光を含んだ瞳は小さく揺らいでいる。年齢は、おそらく私と同じくらいだろうか。怯えきったその姿を見ていると、なんだか気の毒に思えてくる。
 チラリと銀髪の男を見上げると、その袖を軽く引っ張ってみる。

「…………」

「…………」

 どうやら刀を収める気はないらしい。もう一度男の子の方へと視線を移してみると、今にも泣き出しそうな顔をしている。
 そんな状況の中、ただ黙って静観しているだけだなんてできなかった私は、勇気を振り絞って口を開いた。

「あの──」

「その刀を収めてくれないか? こちらに敵意はない」

 そんな私の声を遮って現れたのは、薄紫色の髪をした若い男性だった。その突然の登場に驚いた私は、咄嗟に銀髪の男の背後に身を隠す。
 チラリと顔を覗かせて見てみると、そんな私に向けて一瞬だけ視線を寄せた男性。知的な雰囲気を醸し出しているのは、おそらく掛けている眼鏡のおかげなんかではなく、その端正な顔立ちのせいだろう。

「俺の名前はイリス。食料品と医薬品を集めに来ただけだ。そちらに危害を加えるつもりはない」

「……お前達二人だけか?」

「いや、あと他に三人いる。一人は店の奥、二人はあっちだ」

 そう言って店内を指差した男性は、慎重に銀髪の男の様子を窺うかがう。

「──おい、何やってんだよ」

 そんな言葉とともに現れたのは、赤毛がツンツンと無造作に跳ね上がった男の子。不機嫌そうな顔を浮かべながら、私達に向けて警戒する素振りを見せる。この状況を考えると無理もないとはいえ、少し威圧的で吊り上がったその瞳に萎縮する。

「……っ、」

 そんな私の様子を知ってか知らずか、その矛先を赤毛の男の子に向けた銀髪の男。無言のまま刀の矛先を変えたのを見て、イリスと名乗った男性は慌てたような声を上げる。

「ちょ、ちょっと待ってくれ! さっき言ってた仲間だ!」

「…………」

「なんなんだよ、コイツ。こんな物騒なもん向けやがって」

「……っ。悪気はないんだ、許してくれ」

「はぁ? なんで謝ってんだよ、悪いのはあっちだろ」

「いいから少し黙っててくれ……」

「…………」

 無言のまま刃を向ける銀髪の男と、それを睨みつける赤毛の男の子。そんな二人をどうにか宥めようと仲裁するイリスという男性に、そんな三人の様子を見ておろおろとする茶髪の男の子。……よく分からないけど、無害そうな人達に見える。
 さっきは思わず萎縮してしまったものの、きっとこれが赤毛の男の子の通常運転なんだろう。そう思えば、多少態度が大きくて口が悪いのもなんてことはない。そう感じたのは私だけではなかったようで、銀髪の男の空気も少しだけ柔らかくなったような気がする。

「──なんだか騒がしいな」

 その声が聞こえてきた瞬間、一瞬にしてその場に訪れた静寂。背中に緊張が走った私とは対照的に、相変わらず無表情のまま何を考えているのか分からない銀髪の男。棚の影から姿を現した男性を静かに見つめている。
 鍛え上げられた体躯の三十代ほどの男性は、ガッシリとした身体ながらもどこか優しげな雰囲気を纏まとっている。そのまま迷わず銀髪の男の前へと歩み出ると、自分の右手をそっと差し出した男性。

「仲間が何か迷惑をかけたならすまない。俺はこの隊のリーダーのユリオプスだ」

「…………」

「迷惑ってなんだよ、俺はなんもしてねぇぞ」

「いいから今は黙ってろ。ユリさんが話してる最中だ」

 そんな騒がしい背後にバツの悪そうな表情を浮かべた男性は、もう一度しっかりとした眼差しで銀髪の男を見つめ直す。

「見ての通り、ちょっと口は悪いが君達に危害を加える気はない。だからその刀はしまってくれないか? それに……外にはあのバケモノがいる。今ここで争うより、お互いが協力し合った方がいいと思うんだ」

「…………わかった」

 言葉少なげにそう答えると、素直に背中に背負った鞘さやに刀を収める銀髪の男。そんな男の様子に小さく安堵の息を漏らした男性は、柔和な笑みを浮かべると再び口を開く。

「ありがとう。さっきも言ったが、俺はこの隊のリーダーのユリオプスだ。皆からは“ユリさん”て呼ばれてる。……君達は?」

 そう告げたユリさんは、私達に向けて交互に視線を送ると優しく微笑む。

「……エヴァ、です」

「……ノアだ」

 促されるようにしてそう答えると、銀髪の男をチラリと見上げる。

(ノアっていうのね……)

 よくよく考えてみたら、私達はお互いの素性どころか名前さえも知らなかった。それも当然と言えば当然だ。出会い方からして少し特殊な関係だったせいか、自己紹介をしようなんて発想すら思い浮かばなかった。なにより、私はこの男に殺してもらうために付いてきたのだから。
 だけど──いざこうして名前を知ってしまうと、なんだか不思議な感情が芽生える。

「ここで出会ったのも何かの縁だ、二人ともよろしくな。それと、そこにいるのはイリスとニッピーとカミーユ。……それからツバキだ」

(ツバキ……?)

 どう見ても合わない人数に、不思議に思った私は小さく首を傾げる。
 確かに先程、イリスと名乗った男性は他に仲間が三人いると言っていた。そう思ってよくよく見てみるも、この場にいるのは私達を含めても六人だけ。

「あの……そういえば、ツバキさんは……?」

 まるで私の言葉を代弁するかのように発言したのは、今しがたカミーユと紹介された茶髪の男の子。

「さぁ?」

「さぁって……一緒に行動してたはずだが?」

 素知らぬ顔でそう答えたニッピーに対して、静かに詰め寄るイリスさん。

「俺のせーじゃねぇし。いつの間にかいなくなってたんだよ。……で、探してたらここに遭遇したってわけ」

「……だ、だったら今すぐ探しに行った方がいいんじゃないですか?」

「そうだな、二手に分かれて──」

「ん? ツバキならずっとあそこにいるぞ」

「「「……え?」」」

 クイッと親指で近くの棚を指差したユリさん。その棚を見てみると、物陰からひょっこりと顔を出したピンク色の髪の女性。その顔立ちこそよく分からないものの、ゴツめのビン底眼鏡に白衣姿と、中々に個性的なビジュアルをしている。

「……え!? ず、ずっとそこにいたんですか?」

 そんな驚きの声を上げるカミーユに対して、ヘラヘラと笑ってみせるビン底眼鏡の女性。よくよく見てみると、無造作に束ねられた髪の毛はボサボサだ。

「私、逃げる専門なんで……あはは。あ、ツバキです。よろしくお願いします。私、戦えないので」

 それを見て、呆れたようなほっとしたような表情を浮かべるイリスさん。こうして改めて見てみると、かなり個性的な面々の集まりのようだ。

「ところで、ノア達は何しにここへ来たんだ? やっぱり食料の調達か?」

「……ああ、そうだ」

「そうか。拠点はこの近くにあるのか? もし行く当てがないなら、もうすぐ陽も落ちるし俺達と一緒に来ないか?」

「…………」

「子供からお年寄りまで三十人ほどが集まったコミュニティで、地下鉄を拠点に避難生活を送っているんだ。そこにはバケモノだって来ないし、外にいるより安全だ。……ノアだって、その方がなにかと安心なんじゃないか?」

 そう告げながらチラリと私に視線を向けたユリさん。そんな彼を追いかけるようにして、一瞬だけ私の方へと視線を送ったノア。

「…………わかった、世話になる」

「よしっ。じゃあ、早速で悪いんだが食料品を集めるのを手伝ってくれないか? なんせ三十人分だからな」

「ああ」

 そんな二人の会話を見送ると、先程から気になっていたツバキさんの元へと近付く。

「あの……」

 戸惑いがちにそう小さく声を掛けると、ゆっくりとこちらを振り返ったツバキさん。

「もしかして……お医者さんですか?」

「へ……? あ〜、白衣! いやいや、私はただの生物学者ですよ。と言っても、ものすご〜く末端の! あはは」

「そう、お医者さんじゃないのね……」

 俯きながら独りごちると、そんな私の様子に気付いたツバキさんは真剣な表情を浮かべる。

「どこか具合でも悪いんですか? 医者ではありませんが、多少の医学の知識ならありますよ」

 こうして近くで見てみると、ビン底眼鏡の奥の素顔が美人だということがよく分かる。

「……本当ですか?」

「はい。どんな症状ですか? 熱や痛みは?」

「あ……えっと、怪我なんですけど……」

「怪我!? 大変! どこですか?」

 真剣な顔のままグイグイと詰め寄るツバキさん。

「あ、その……。私じゃなくて、ノアが……」

 昨夜から熱っぽくはあるのものの、今は自分のことよりノアが優先だ。
 

「あの人、怪我してるんですか?」

 そう言いながら少し離れた場所にいるノアを見たツバキさんは、その視線を再び私に向けると口を開く。

「元気そうですが」

 傍目には確かにそう見えるだろう。なにせ、どんなことがあっても表情一つ変えないのだから。

「……実は、バケモノを倒した時に右手を怪我してるんです」

 そう告げるや否や、横から急に割り込んで来たのはすぐ近くにいたニッピーだった。

「おい、バケモノを倒したって本当か!?」

「……え? う、うん」

「どうやって!?」

「え、えっと……口の中から刀を刺して……」

「──! そうか、口の中から……。おい、おっさん!」

 慌ただしく立ち去ってゆくニッピーの背中を見送ると、なにやらブツブツと呟いているツバキさんへと視線を向ける。

「なるほど……外は硬い鱗で覆われているから、柔らかい内側から攻撃をしたってことね」

「あの……」

「だからって、口の中からだなんて……そんな至近距離からの攻撃なんて、常人にできる芸当じゃないわ」

「……ツバキさん?」

「それ以前に、普通は近づいただけで即死よっ!」

「…………」

 両手で頬を挟みながら悲壮感漂う顔を浮かべたツバキさんは、私と視線を合わせるとハッとしたような顔を見せる。

「あはは……私、戦えないので」

「……私も戦えません」

「一緒ですね」

 そう言ってヘラリと笑ったツバキさん。なんだか少し変わった人だけど、素直でとても良い人のようだ。

「えっと……。それで、あの人……ノアくんが怪我したんですね?」

「はい。あのバケモノの牙が少し刺さったみたいで……。本人は大丈夫だって言ってるんですけど、怪我の具合を見てもらいたくて」

「牙が刺さっただけで済んだなんて凄いですね……普通なら腕一本失っててもおかしくないですよ。わかりました、見てみます」

 そう告げるなり、包帯や消毒液などといった医薬品片手にノアの元へと近づいてゆくツバキさん。そんな光景を眺めながら安堵の息を吐くと、今度はカミーユの元へと移動する。

「私にも手伝わせて。何を集めればいいの?」

「……っ、え……あ、日持ちのする食べ物とか、缶詰などの保存食品です」

「……例えばこういうの?」

 目の前の棚から適当な栄養補助食品を選ぶと、それを掴んでカミーユの前に差し出す。

「あ……は、はい」

「…………」

「……?」

「どうして敬語なの?」

「え? えっと……」

「あなたと私はそんなに年も変わらないでしょ?」

「あ、すみま…………ご、ごめん」

 ジッと茶色い瞳を見つめると、困ったように視線を逸らしたカミーユ。

「私のことが怖い? それとも嫌い?」

「そ、そんなんじゃ……!」

「じゃあ敬語はやめて」

「……う、うん」

 そんな言葉を交わしながら食料品を物色していると、様子を見に来たユリさんが声を上げる。

「あと五分ほどしたらここを出る。次にまたここに来れる保証はない。皆、各自必要なものの最終確認は忘れないように」

 その声を聞いて立ち上がったイリスさんは、こちらに顔を向けると口を開いた。

「ここは二人に任せてもいいか?」

「……あ、はい」

 カミーユがそう答えると、そのまま奥にある生活用品売り場へと消えていったイリスさん。おそらく、何か必要なものでも取りに行ったのだろう。
 特に気にすることもなく食料品を詰め込むと、そんな私の元に近付いて来たツバキさん。

「彼の傷、見てきましたよ。あのバケモノ相手に擦り傷程度でしたよ。ノアくん、相当強いんですね」

「……そうですか。ありがとうございます」

「いえいえ。……あっ。チョコバーだ!」

 途端に瞳を輝かせたツバキさんは、涎よだれを垂らしそうな勢いで嬉しそうな笑顔を浮かべる。チョコバーを掴み上げて愛おしそうに頬擦りをすると、カミーユの抱えていた麻袋に大量に投げ入れる。

「こ、こんなにチョコバーばっかり持ち帰っていいんですか……?」

「大丈夫、大丈夫〜。では、私は医薬品コーナーに行ってくるので、まだまだチョコバーよろしくお願いしますね」

「怒られちゃいますって……」

 そんなちぐはぐな二人のやり取りを眺めながら、なんだか心が温かくなるような不思議なむず痒さを感じる。一体どうしたというのだろうか? 自分でもよく分からないその感情に少しだけ戸惑う。
 何はともあれ、ノアの傷は大したことがないようで良かった。それを聞いて安心したせいか、今度は急激に身体の怠さを感じる。今朝からずっと歩き続けているのだから、まあ無理もない。

「ねぇ、カミーユ。拠点までは歩いてどれくらいなの?」

「えっと……、確かここに来るまでに四十分以上はかかりま──かかった、かな。バケモノに遭遇するたびに迂回してたから」

「そう……」

 それならなんとか頑張れそうだ。そんなことを考えながらフーッと軽く息を吐く。

「……大丈夫?」

「うん、大丈夫」

「…………」

「……ごめん、嘘。全然大丈夫なんかじゃない。……本当は、あのバケモノが怖くてたまらないの」

「……うん」

 途端に深刻な表情へと変わったカミーユは、ただ一言だけそう答えると黙々と食料品を詰め込んでゆく。それに倣ならうようにして口を噤つぐむと、詰め込み作業を手伝いながらも自分の発言を後悔する。
 バケモノが怖いのは誰だって同じだ。そんなこと分かっていたはずなのに──。

「……ごめんね」

「……ううん、大丈夫」

 そんな言葉を交わしながら薄く微笑み返してくれたカミーユ。微妙な空気が流れる中、ただ黙々と詰め込み作業を進めてゆく。
 その後ユリさんが呼びに来るまでの数分間、私達は一言も言葉を交わすことはなかった。

【光と影】

 目の前にある地下鉄の看板を見上げながら、ここまで無事に辿り着けたことに安堵する。当初の話では四十分ほどかかると聞いていた道のりも、大量の荷物を抱えながらも三十分ほどで到着することができた。

『ヤツらには視力がない』

 ノアから得たその情報が、それだけ有益なものだったということだろう。
 それまで大幅に距離を取って迂回していたらしいユリさん達。新たな情報を元に無駄な迂回をやめると、移動時間を十分近くも短縮することができたようだ。

「予定していた時間よりもだいぶ早く着いたな」

 そう告げながら安堵の息を漏らしたユリさんは、ぐるりと私達を見渡すと笑顔を浮かべる。

「誰一人欠けることなく帰ってこれて良かった。……さ、笑顔で帰還だ。皆が待ってる」

 その言葉にそれぞれが反応を示すと、それを確認したユリさんは目の前の扉をノックする。二回、三回、二回と扉を叩くと、ガチャリと開錠の音を響かせて開いた扉。その先に控えていた四、五十代ほどの男性二人に軽く挨拶を済ませると、ユリさんを先頭にして階段を降りてゆく。
 足音だけが静かに響く中、ユリさんとニッピーが照らしているライトだけを頼りに進んで行く。天井から垂れ下がっている壊れた照明は、どうやら長いこと送電されていないようだ。おそらく、あの施設以外は電気の供給が途絶えているのだろう。そんなことを考えながら階段を降り切ると、見慣れた駅構内へと歩みを進める。
 

(……まるで別の駅みたい)

 所々が崩れ落ちて閑散としたその有様は、私が知っている駅とはまるで違って見える。毎日のように通学のために利用していたこの駅は、いつも沢山の利用客達で溢れていた──。そんなつい最近の記憶を思い浮かべる。
 駅構内からホームへと足を進めると、そこから線路へと降り立ったユリさん。その背中を追いかけるようにして、奥へと続くトンネルの中を歩いて行く。数分もしない内に少し開けた場所へと出ると、淡い光に包まれた空間から漏れ聞こえる数人の話し声。
 

「──ここが俺達の拠点だ」

 そう告げながら後ろを振り返ったユリさんは、ニッコリと微笑みながら言葉を続ける。

「皆に紹介したいから付いて来てくれるか?」

「はい」

 頷きながらそう答えると、無言で頷いたノアとともにユリさんの背中を追いかける。

「──! ああ、皆おかえり! ほら、ユリさん達が帰ってきたぞ」

「え? ……あ! おかえりなさい。皆無事だったみたいで良かったわ」

「ああ、ただいま。食料と医薬品も無事に確保できたから、当面の間は安心してくれ」

「それは良かった。きっと皆も喜ぶよ」

「皆……外は危険なのに、行ってくれて本当にありがとう」

 そんなやり取りを背後から見守っていると、私とノアの存在に気付いた六十代ほどの男性が口を開いた。

「……ところでユリさん、その子達は?」

「調達先のスーパーで、たまたま一緒になったノアとエヴァだ」

 その言葉に促されるようにして一歩前へと踏み出ると、緊張で少しだけ乾いた口元から小さな声を絞り出す。

「エヴァです、よろしくお願いします」

「……少しの間世話になる」

「ああ、こちらこそよろしく」

 突然現れたよそ者二人に警戒するでもなく、優しい笑顔を浮かべる男性。ただでさえ物資が不足している中、新たな人員が増えるのは厄介だろうに……。
 煙たがれることを予想していた私は、その態度に少しだけ戸惑った。

「皆にも二人を紹介しておきたいから、ここに集まるように伝えてきてくれないか?」

「ああ、わかった」

 ユリさんに言われて立ち去ってゆく男性。そんな男性の後ろ姿を眺めていると、優しく肩を叩かれて振り返る。

「外は大変だったでしょ? さ、こっちに座って休んでちょうだい。あなたもね」

 五十代ほどの女性に促されるようにして、ノアと二人で手近にあった瓦礫に腰を下ろす。そんな私達に向けてお茶の注がれた紙コップを差し出した女性は、私達が受け取ったのを確認すると穏やかな笑みを浮かべる。

「ベラさん、少しの間二人を頼んでもいいか? 俺達は物資の整理をしてくる」

「ええ、わかったわ」

 そんなやり取りをユリさんと交わし終えると、再びこちらに向き直った女性。

「私はベラよ、二人ともよろしくね」

「はい、よろしくお願いします」

「こちらこそ世話になる」

 そんな私達の返事を受けて、より一層目尻の皺を深めた女性は柔和な笑みを浮かべる。

「ずっと二人で外を彷徨っていたの?」

「いえ、そういうわけでは……」

 そんな言葉を返しながらも、チラリとノアの様子を窺うかがう。
 ノアと出会ったのはつい今朝方のことで、それまでノアが一体どこで何をしていたかなんて私には分からない。改めて考えてみると、なんとも不思議な関係だ。

「そう……。じゃあ、今までどこで身を隠していたの?」

「……政府の施設に保護されてました。そこでノアと出会って……外に出て、ユリさん達に出会ったんです」

「まあ、そうなのね。それは大変だったわね……」

「……?」

「バケモノの襲撃に遭ったと聞いたわ。怖かったでしょう? 無事で良かったわ」

「……? あ、いえ……」

 何か勘違いでもしているか、ベラさんの言っている意味がいまいち分からない。

(もしかして、襲撃ってノアのこと……?)

 そんなことを思いながらも、黙ってベラさんの言葉に耳を傾ける。
 

「襲撃に遭ったのは昨日よね。もしかして、それからずっと外にいたの?」

「え? ……私が外に出たのは今朝ですけど……」

「そう……。じゃあ、それまでは施設で隠れていたのね、可哀想に」

「…………。あ、はい……」

 よく分からない話にそんな言葉を返しながらも、紙コップに注がれたお茶で喉を潤す。もしかしたら、私が保護されていた施設とは別の施設があるのかもしれない。女性の話を聞いていると、そんな考えが脳裏に思い浮かぶ。
 あれだけの設備が整った施設だ。他にいくつか同じような施設があってもおかしくはない。

「このコミュニティにもね、施設から逃げて来た男の子がいるのよ」

「──! その子は今、どこにいる?」

 それまで黙って話を聞いていたノアは、相変わらずの無表情ながらもベラさんにそう尋ねる。

「え? あの子なら……ほら、あそこの電車の中にいると思うわよ」

 そう言って奥にある脱線した電車を指差したベラさんは、こちらに向き直ると小首を傾げる。

「もしかして、知り合いなの?」

「その子の名前は?」

「アララギよ」

「…………そうか」

 表情こそ特に変化はなかったものの、その名前を聞いてどこか落胆した様子のノア。おそらく、彼が探している十三歳の少年とは別人だったのだろう。そんなノアを見て、何故だか胸の奥がキュッと締め付けられる。
 一体誰を探しているのかは不明ながらも、きっとその人物はノアにとって大切な存在なのだろう。それだけは、彼の様子から見てなんとなく分かっていた。

 出会った当初は、ただの襲撃犯にしか見えなかったノア。だけど、ユリさん達と出会った時には、高い戦闘力を持っていながらも無差別に人を殺めるようなことはしなかった。そんな彼が、研究施設職員はなんの躊躇ためらいもなく殺していた。
 今思い返してみると、あの施設は少し異様だった。保護とは名ばかりで、部屋に閉じ込められて日に何度も検査を受ける毎日。死ぬことばかり考えていた私は、そんなことすら大して気にも留めてはいなかったけど……。

「…………」

 チラリとノアの様子を盗み見ると、紙コップに注がれたお茶に視線を落とす。

(もしかして、私はノアに助け出された……?)

 そう考えてみると、あの場で私だけ殺されなかったことにも納得ができる。
 バケモノに襲われた時だって、危険を顧かえりみずに戦ってくれたノア。今更ながら冷静に考えてみると、いつだって彼は私を助けてくれていた。

「……っ、ぐす……」

「……! まあ、よっぽど外が怖かったのね……。もう大丈夫よ、ここは安全だから」

 そう言いながら優しく背中を撫でてくれるベラさん。その手がとても温かくて、より一層涙が溢れてくる。
 この一日だけで、私はノアに生かされ、ユリさん達に出会うことができた。とうの昔に忘れていた他人との触れ合いに、戸惑いながらも嬉しさが込み上げる。

 こんな私でも、生きてていいのだろうか──? 

 長年抱えていたそんな疑問に、やっと答えが見つかるような気がした。
 

◇

 

 広場に集まった皆との挨拶を済ませると、調達してきた物資の整理の手伝いをする。
 当初懸念していた私の考えとは裏腹に、優しく迎え入れてくれたコミュニティの人達。ベラさんをはじめ、沢山の大人達が私達を気遣ってくれる姿には、まだ少し慣れなくてなんだか戸惑ってしまう。

「……大丈夫?」

「うん、平気」

 そんな私を気遣ってか、先程から時折そんな声を掛けてくれるカミーユ。

「…………。もしかして、具合が悪いんじゃない?」

「……え?」

 その言葉にハッとして顔を上げると、不安気げな瞳を小さく揺らしているカミーユと視線がぶつかる。そのすぐ奥に目を向けてみると、カミーユの隣で作業をしていたノアまでこちらを見ている。

「……ちょっと疲れてるのかも」

 そう告げながら薄く微笑むと、心配そうな顔を見せるカミーユ。

「ツバキさんに見てもらったら?」

「ううん、大丈夫」

「本当に……?」

「うん、ありがとう」

 相変わらず心配そうな表情を浮かべるカミーユは、仕分け作業をこなしながらもチラチラと私の様子を窺うかがう。そんな彼に悟られないようにして、黙々と仕分け作業を手伝ってゆく。
 ただでさえ何の役にも立たない私が、皆の足手まといになるわけにはいかない。そんなこと思いながら、高熱で気怠い身体のまま熱い呼吸を繰り返す。

「──スイ達が帰ってきたぞ!」

 そんな声のした方を振り返って見てみると、二十代前半らしき女性を先頭に、こちらに向かって歩いてくる五人の男女の姿が目に入る。そのままユリさんのもとへ合流すると、なにやら言葉を交わし合っている五人の男女。
 そんな光景を少し離れた場所から眺めていると、こちらを振り返ったユリさんが口を開いた。

「ノア、エヴァ。ちょっとこっちに来てくれるか?」

「……ああ」

「はい。……カミーユ、ちょっと離れるね」

「うん。気にしないで」

 そんな言葉を残してユリさんのもとへと近付くと、五人の男女に向けて私達を紹介し始めたユリさん。

「この子達がノアとエヴァだ、皆よろしくな」

「私はスイよ、よろしくね」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「二人ともよろしくな。物資の調達も手伝ってくれたって聞いたよ、ありがとう」

「……ああ。こちらこそ世話になる」

「私達の班は物資調達ができなかったから、本当に助かったわ」

「いえ、私は特に何もしてないので……」

「そんなことないわ。食料をここまで運んでくれたんでしょ? ありがとね」

 そう言って優しく微笑んでくれるスイさん。そんな彼女を前にして、どう反応すべきか分からない。こうして人から感謝されるだなんて、一体いつ振りのことだろうか……? ノアと出会ってからというもの、戸惑うことばかりが増えてゆく。
 その後も次々と挨拶を交わしながらも、告げられる感謝の言葉にじんわりと胸が熱くなる。
 

「へ〜、これが刀か……二刀流なんて凄いな。これでバケモノを倒したんだろ?」

「…………」

 ノアの背中にある刀をマジマジと見つめながら、興味深げにそんな話を始める二十代らしき男性。

「口の中から頭を貫いたんだって?」

「……ああ、そうだ」

「マジかよ……。あんなバケモノに近付くなんて命知らずだな」

 そんな話で盛り上がっている男性を他所に、ユリさんに向けて口を開いたスイさん。

「ねぇ、ユリさん。レン達はもう帰ってきてる?」

「いや、まだみたいだ」

「そう……」

「心配するな、日没までまだ少し時間はある。きっとそれまでには帰ってくるさ」

「……そうよね」

 ユリさんの言葉に笑顔を浮かべるスイさん。だけど、どうやらその不安は完全には拭い切れていないようだ。どこか暗い表情を浮かべるスイさんを見て、そんなことを思う。 
 おそらく、それだけ大切な人なのだろう。そんな存在の人がいることに、なんだか少しだけ羨ましく感じる。私には、それだけ大切に想う人もいなければ、想ってくれる人もいないから──。

 先ほどまで感じていた胸の温かみがスッと引いてゆくような感覚に、胸元を押さえて顔を俯かせる。

「……具合が悪いのか?」

 そんなノアの声に視線を上げてみると、相変わらず感情の読めない表情のノアと視線がぶつかる。確かにその表情は何一つ変わっていないけど、こうして改めて見てみると彼の瞳はとても優しい気がする。

「ううん、大丈──」

「──アララギが倒れた……! 凄い高熱なんだ! ツバキさん、今すぐ来てくれ!」

 そんな言葉とともに、焦ったようにこちらに向かって走り寄ってくる四十代ほどの男性。

(アララギ……)

 確か、施設から逃げ出して来たらしい十歳の少年だ。
 数分前に挨拶を交わした時には、風邪をひいているとかでかなり辛そうな様子だった。そんなつい先ほどのやり取りを思い返す。

「……わわっ、わかりました!」

 慌てた様子で医療キットを抱えたツバキさんは、男性の背中を追いかけるようにしてワタワタとしながら走り去って行く。そんな二人の背中を静かに眺めながら、ふらつく身体を必死に堪える。
 ここで私まで迷惑をかけるわけにはいかない。

「大丈夫、具合は悪くないから。ちょっと疲れただけ」

「…………そうか。無理はするな」

「うん、ありがとう」

 やっぱり彼は優しい。今まで素直に受け止めることのできなかった言葉も、こうしてありのままに受け入れみるとよく分かる。ノアの言葉は、出会った時から私を気遣う言葉ばかりだった。
 それがなんだか無性に嬉しくて、私はノアを見上げると薄く微笑んだ。

【告白】

「アララギの様子は?」

 電車内から出てきたばかりのツバキさんを見つめながら、心配そうな表情を浮かべるユリさん。そんなユリさんに応えるようにして、小さく横に首を振ったツバキさん。

「……かなり悪いですね。今朝診みた時は単なる風邪かと思ってましたが、これほどの高熱が出るなんて……ちょっと普通ではないです」

「意識も戻らないのか?」

「はい。それより、ちょっと気になることがあって……」

「気になること?」

「見てもらった方が早いですね。ちょっと来てくれますか?」

「ああ、わかった」

 コクリと頷いたユリさんを伴って、再び電車内へと戻ってゆくツバキさん。そんな二人の姿を見送ると、付近に集まっていた人々は不安げな表情を浮かべる。

「一体、どうしちゃったのかしら……」

「昨日はあんなに元気だったのにな」

「施設がバケモノに襲われた時、一人でこの近くまで逃げて来たんだろ?」

「いや、母親も一緒だったらしいぞ」

「……そうなの?」

「いやいや、母親なんて一緒じゃなかったぞ」

「施設内ではぐれたきり、行方がわからないって聞いたわ」

「可哀想に……。まだ十歳でしょ? 母親が恋しいでしょうね……」

「早く良くなるといいな」

「……そうね」

 そんな言葉を残して次々とこの場を離れてゆく人々。このままここにいても、きっと何の役にも立たない──おそらくそう考えたのだろう。それは私だって同じだ。
 そう判断すると、クルリと背を向けてその場を後にする。特にこれといった当てもなく広場を見渡すと、その先に見えてきた見覚えのある横顔。焚き火を囲むようにして、黙々と夕食作りをしているノアとカミーユ。私はそんな二人に近付くと、空いていたノアの隣に腰を下ろした。

「私にも手伝わせて」

 こう見えて、料理だけは得意だったりする。とはいえ、こんな荒廃してしまった世界では、料理といってもただ缶詰を温めるだけ。そんなこと、私でなくとも誰にでもできる簡単な作業だ。

 
(本当に、どこまでいっても私は役立たずね……)

 ノアから差し出された缶詰を受け取ると、大鍋に中身を注ぎ足してグルグルとかき混ぜる。焚き火で温められたビーフシチューは、暫くするとクツクツと音を立て、トロリとした濃厚なソースからは食欲をそそる匂いが香り立つ。

「……美味うまそうな匂いだな」

 たまたま通りかかったのか、クンクンと鼻を嗅ぐ素振りを見せるニッピー。そのまま吸い寄せられるようにして焚き火に近付くと、カミーユの担当している大鍋を覗き込む。

「おい、カミーユ。焦がすんじゃねぇぞ」

「……え!? は、はいっ」

 慌てるカミーユを見て、堪らずプッと吹き出すニッピー。どこかに運ぶ途中だったのか、大きな段ボールを抱えたままカミーユのすぐ隣にドカッと腰を下ろす。

「ばーか、ビーフシチューは焦げねぇよ」

 そう告げながら悪戯っぽい笑みを浮かべたニッピーは、得意気な表情を見せると片側の口角をニヤリと吊り上げる。

「…………」

「…………」

「…………」

「おい。何とか言えよ」

 無言の私達が気に食わなかったのか、露骨に眉間に皺を寄せるニッピー。

「…………。ビーフシチューも焦げる」

「……あ?」

「煮込み過ぎたら鍋の底が焦げる。そしたらビーフシチューも焦げ臭くなる」

「へ、へぇー。……って、別に知ってたけどな!」

「…………」

「…………」

「…………」

 どうやら知らなかったのはニッピーだけだったようだ。ノアに料理の知識があるなんて少し驚いたけど、きっと普段からサバイバル生活でもしているんだろう。なんとなく、そんな姿を想像してしまう。
 一人、森の中で料理をしているノアの姿を思い浮かべると、なんだかおかしくて思わずクスリと声を漏らす。

「あっ! おい、今俺のこと笑ったのか!?」

「……ごめんなさい」

「ごめんてなんだ! やっぱ俺のこと笑ったってことか!?」
 
「……わっ! ちょ、やめてください! なんで僕!?」

「うるせぇ! お前が隣にいたのが悪い!」

「そっ、そんなぁ……!」

 胸ぐらを掴まれたカミーユは、そのまま激しくグングンと左右に身体を揺すられる。

「こ……ここ、焦げちゃいます……! ビーフシチューが……っ!」

「……焦げたらこいつに食わせればいい」

「なんだと!?」

「だっ……、だから何で僕!?」

 ノアの発言のせいで、更に激しく身体を揺すられるカミーユ。そんな気の毒な彼を見て、申し訳なく思いながらも自然と笑みが溢れる。

「──あら、楽しそうね。料理の方はどう? もうすぐ出来そうかしら?」

 すぐ近くでお皿を取り分けていたベラさんは、私と視線を合わせるとニッコリと微笑む。

「あ、はい。もういつでも食べられます」

「なら良かった。ちょうどユリさん達も来たみたいだし、お皿に盛り付けちゃいましょうか」

 言われて見てみると、ユリさんとツバキさんがこちらに向かって歩いている。そんな二人の姿を確認すると、ベラさんから差し出されたお皿を受け取る。

「大所帯だから大変よね。手伝ってくれてありがとね」

「……いえ」

 大したことなどしていないのに、こうして感謝されると胸の奥がじんわりと温かくなってゆくのを感じる。そんな確かな温もりに小さく微笑むと、受け取ったお皿にビーフシチューを盛り付けてゆく。
 そのまま広場に集まっていた人達に盛り付けたお皿を配ってゆくと、最後に合流したユリさん達にもビーフシチューを手渡す。

「……わぁ! 今日はビーフシチューなんですね! ビーフシチューなんて久しぶりです」

 そう言って嬉しそうに顔を綻ばせたツバキさんは、盛り付けられたお皿を受け取ると手近にあった瓦礫に腰を下ろす。そんなツバキさんの行動を目で追ったイリスさんは、既に食べ進めていた手を止めると口を開いた。

「アララギの容態は?」

「……良くないですね」

 イリスさんからの質問にそう答えると、途端に暗い表情を浮かべるツバキさん。そんな二人のやり取りを近くで見ていたユリさんは、受け取ったばかりのお皿を瓦礫の上に置くと、その場に集まった人々に視線を向ける。

「皆、ちょっといいか? アララギのことで話したいことがある。そのまま食事しながらでいいから聞いてくれ」

 そこまで告げると、一度大きく息を吐いたユリさん。

「アララギなんだが、見たところかなり状態が悪い。おそらくただの風邪ではないだろう。これはツバキの診断だが、実際に目にした俺もツバキと同じ意見だ」

 ユリさんのその言葉に、途端にざわつき始める人々。

「風邪じゃないって、じゃあ一体何の病気なの?」

「それが分からないんだ……」

 横に首を振りながら一瞬顔を伏せたユリさんは、すぐにその顔を上げると言葉を続ける。

「アララギの右腕に小さな黒い斑点のようなものがあった。おそらく病気の症状の一種だと考えているんだが、その原因が特定できていない。何か、この症状について心当たりのある人はいないか?」

「黒い斑点……?」

「そんなもの知らないわ」

「……もしかして、感染したりする病気なの?」

「感染するなんて……じゃあ、ここは危険ってこと?」

 そんな不安げな声が上がる中、ドクドクとうるさく鳴り響く私の鼓動。

「感染する病気だと決まったわけじゃない。ツバキの診断だと、その可能性は低いとのことだ。少なくとも、空気感染するような病気ではない」

 ユリさんのその言葉に、ホッと胸を撫で下ろす人々。とはいえ、依然としてその病名は分からない。

「あの……関係があるかどうかはわからないけど、施設で注射されたって言ってたわ」

「注射……? 一体なんの注射だ?」

「それがね、本人もよく分かっていなかったみたいで……何かの予防接種らしいんだけど。その注射が原因でできた痣とかじゃないかしら? ほら、うっ血しちゃったとか」

 そんな女性の言葉に対して、小さく横に首を振ったユリさん。

「ツバキの診断だと、痣の類いではないらしい。──他に何か、アララギから聞いてる人はいないか?」

「俺は何も聞いてないな……。お前はどうだ?」

「俺は会話したことすらほぼないよ」

「……私も知らないわ」

 口々にそんな声が上がる中、戸惑いと不安の入り混じった空気がその場に流れる。病名さえ特定できない状況に、きっと誰もが不安を感じているのだろう。
 だけど、私だけは違っていた。アララギの症状やその境遇を聞いて、得体の知れない恐怖心が一気に押し寄せてくる。左腕に触れた右手にギュッと力を込めると、顔を俯かせて熱い呼吸を繰り返す。

「そうか……。何か思い出したことや気になることがあれば、些細なことでもいいから教えてくれると助かる。食事中に悪かったな、皆ゆっくりしてくれ」

 その言葉を合図にして重い空気も消え去ると、徐々に談笑し始める人々。そんな中、空いていたニッピーの隣に腰を下ろしたユリさん。

「そういえば……。エヴァ、君は施設にいたんだったよな?」

 突然の声にビクリと肩を震わせると、俯いていた顔をゆっくりと上げてみる。その先に見えてきたユリさんと視線が絡まり、カタカタと小さく震え始める口元。

「…………はい。今朝、ノアに会うまでは……」

「予防接種って何のことか分かるか?」

「…………。分かりません」

 その場に居合わせたノアやカミーユ、ニッピー達からも視線を向けられ、思わず口から出てしまった嘘。おそらく、その予防接種とは空気感染の予防注射のことだろう。
 当初は気にもせず聞き流していた職員達の言葉も、きっとそのほとんどが嘘だったに違いない。現に、外ではこんなにも沢山の人達が普通に暮らしているのだから。
 
 だとしたら、あの注射の中身は一体何だったのだろうか──?

「そうか。せめて発熱の原因が分かればいいんだが……」

 私の返事を疑うことなく受け入れたユリさんは、小さく息を吐きながら暗い表情を浮かべる。そんなユリさんの姿に後ろめたさを覚えると、静かに顔を俯かせて冷や汗を滲ませる。
 注射の中身はよく分からないにしても、あの注射の目的は予防接種なんかではなかったはずだ。だとすると、この高熱も黒い斑点も注射が原因の可能性が高い。
 そうは思っても、その事実を認める勇気がない。カタカタと震える両手をギュッと握りしめると、人知れず得体の知れない脅威に怯える。

(一体……、私はあの施設で何をされてたの……っ?)

 そんなことを今更考えたって答えなど出るわけもなく、食事もそこそこにその場を後にした私は、一人、静かな電車内で身体を縮こませた。
 

「あんなに死にたがってたくせに……」

 ポツリと小さく独りごちると、矛盾した自分の感情に失笑する。
 確かに私は死にたがっていた。死にたがっていたはずなのに──。そんな事を考えながら朦朧もうろうとしてきた視界を彷徨わせると、奥の方で会話をしている男女の姿を眺める。

「ねぇ、ツバキさんを呼んできて」

「どうした?」

「アララギの様子が変なのよ」

「目が覚めたのか?」

「そうじゃなくて……、顔になんか変な模様が出てきたのよ。なんだか普通じゃないの」

「模様って?」

「これよ……、ほら」

 ここからではよく見ないものの、そんなやり取りをしながらアララギを覗き込んでいる様子の二人。

「……! なんだよこれ……! これじゃまるで……っ」

 そこまで言って、声を詰まらせてしまった男性。

「あのバケモノの……鱗、みたいでしょ?」

「っ。……ああ」

「…………」

「ツバキさんに知らせてくる」

「うん、お願い」

 そう告げて走り去ってゆく男性。そんな二人のやり取りを黙って眺めていた私は、先程耳にしたばかりの言葉を反芻はんすうした。

(鱗……バケモノの……鱗……っ。それが浮き出て……きた……?)

 やっぱり、職員の言っていた空気汚染は本当だったのだろうか? それとも、あの注射が原因なんだろうか? 
 わけも分からない状況に、ただただ不安と恐怖だけが押し寄せてくる。
 

「──アララギは!?」

 そんなユリさんの声と共に現れたツバキさんは、私のすぐ目の前を走り抜けると奥にいるアララギの方へと駆け付ける。

(どうしよう……っ、どうしたら……)

 パニックと高熱で、もはや思考すら上手く回らない。

「──おい」

 フラフラとふらつく肩を掴まれて顔を見上げると、私を見つめるノアの瞳と視線がぶつかる。

「具合が悪いのか?」

「……っ、……」

 途端に溢れ出てきた涙で顔を歪ませると、カタカタと震える口元から懸命に声を絞り出す。

「注射……っ、外は空気汚染されてるって……」

 思うように上手く思考がまとまらず、これでは言いたいこともまともに伝えることができない。そんなことを思いつつも、それでも必死に言葉を紡ぎ出す。

「私……、私……予防接種だって……っ」

「……施設で注射されたのか?」

 コクリと小さく頷くと、そんな私の額に手を当てたノア。

「この熱はいつからだ?」

「……昨日の、夜……」

 私の返事に一瞬だけ眉間に皺を寄せたノアを見て、ツキリと痛む胸の奥。やっぱり、私なんて誰にとっても足手まとい以外の価値はない。
 そんなこと昔から分かっていたはずなのに、ほんの少しでも期待してしまった自分が馬鹿みたいだ。

「ツバキを呼んでくる」

 そう告げながら立ち去ろうとするノアを引き止めると、涙を流しながら笑顔を浮かべる。

「いいの……、大丈夫だから」

「…………。そうは見えない」

 いつものように感情の読めない表情を浮かべるノアは、私の様子をジッと見つめる。

「どうなってもいい、から……」

「…………」

「このまま、死んだって……っ」

 その言葉とは裏腹に、どうゆうわけか次から次へととめどなく流れ出る涙。

「…………」

「私もきっと、アララギみたいに……っ」

「…………」

「……っ、……私にも、あるの」

「……何の話だ?」

「…………。左腕に……っ、黒い斑点が……」

「……!」

 その言葉にほんの少しだけ瞳を大きく開かせたノアは、私の袖を捲ると左腕を確認する。その行動がまるで私のことを心配しているかのようで、不覚にも嬉しく思ってしまう。
 そんなわけないのに。

「私なんて……っ、どうせ、いらない子だから──」

 ポツリと小さく呟くと、ついに自力で座っていることのできなくなった私は、そのままノアの胸に倒れ込むようにして意識を失った。

────────

────

【いらない子(過去編)】

「あ〜、どうしよう! 今すぐ帰らないと塾に間に合わないのに!」

 人もまばらになった放課後の教室で、困ったようにそんな声を上げるダリア。
 そんな彼女の目の前の机には、クラスメイト全員分のノートが積み重なっている。

「日直だからって、なんで私がやらなきゃいけないのよ」

 そんな愚痴を溢しながらも、口を尖らせて不貞腐れるダリア。

「ほんと、ダリアってツイてないよね〜」

「日直なんてただの雑用係だもんね」

 ダリアに同情するかのようにして、そんな言葉を口にするクラスメイト達。そんな見慣れた三人の顔ぶれは、私にとって当たり前の光景でもあり、それと同時に大切な友達でもある。
 そんな友達が困っているのだから、助けてあげたいと思うのは至極当然のことだった。

「私が持って行くよ」

「……え、いいの!?」

 見かねた私がそう声を掛けると、途端に明るい表情を浮かべるダリア。

「うん」

「ありがと〜、エヴァ! さすがは親友!」

 そう言って飛びついて来た彼女を受け止めると、そのままダリアを抱きしめ返して笑顔を浮かべる。

「じゃあ、行ってくるね。……また明日」

「うんっ、ありがとね。バイバイ」

「バイバイ、エヴァ」

「またね〜」

 そんなやり取りで軽く挨拶を済ませると、四十人分のノートを抱えて教室を後にする。たかがノートとはいえ、四十人分ともなると意外と重量がある。
 そんなことを考えながら廊下を歩いていると、ある重大なミスに気付いてピタリと足を止める。
 
 
(……あ。自分のノート)

 先程ダリアを抱きしめ返した時、私は手にしていたノートを近くにあった机の上に置いた。そしてそのまま積み上がったノートだけを持って、自分のノートは置いてきてしまったのだ。

(もう……、馬鹿みたい)

 呆れながらも来た道を引き返すと、再び教室に戻ってきた私は目の前の扉に手を掛けた。

「……ねぇ、いいの? あんな嘘ついて」

「え? 何が?」

「エヴァのこと」

「あ〜。そうそう、うちら遊びに行くだけじゃん」

「え〜、別にいいでしょ。だってエヴァだし」

 教室から漏れ聞こえるダリア達の声に、思わずピタリと止まる右手。

「まぁ……そっか。だよね」

「エヴァってさ〜、ちょっと可愛いからって調子に乗ってるよね」

「確かに〜。いい子ちゃんぶって、なんかヤな感じだよね」

「でしょ? この間なんか、具合が悪いって言ったら掃除当番変わってくれてさ〜。……嘘なのに」

「マジで? ウケる。私も今度言ってみよ〜」

 楽しそうな笑い声が響く中、力無くずり落ちてゆく右手。一体何がいけなかったのか、その理由さえもわからない。
 ダリア達と出会ったのは、今からちょうど二年ほど前の十三歳の頃だった。こんな何の取り柄もない暗いだけの私でも、ダリア達三人は温かく迎え入れてくれた。そう信じて疑いもしなかった二年間が、全て偽りの関係だったのだと──。その深い悲しみに、込み上げてくる涙で視界を滲ませる。

 結局、私はどこにいったって誰からも好かれない。その事実にそっと顔を伏せると、廊下に立ち尽くしたまま手元のノートを見つめる。
 そんな私の存在に気付くことなく別の扉から出てきたダリア達は、相変わらず楽しそうに声を弾ませながら遠ざかってゆく。その声も完全に消え去ると、一人残された廊下で虚しく響いたのは、ただ小さく啜り泣く私の声だけだった。

◇

────バシッ!

 叩かれた勢いでフラリとよろけると、じんわりと熱の帯びてきた左頬にそっと手を添える。ジンジンとした鈍い痛みは徐々に広がり、まるで左側だけが少し麻痺したような感覚だ。

「全部あんたのせいよっ!」

「…………。ごめんなさい」

 目の前にいる母に向けてそう謝罪をすると、それさえも気に食わなかったのか、更に吊り上がってゆく母の目元。その視線から逃れるようにして俯くと、床に零れ落ちた涙が点々としたシミを作ってゆく。

「どうせあんたが誘ったんでしょ!」

「ちが……っ、」

 顔を上げて母の顔を見ると、まるで穢らわしいものでも見るかのような視線を向けらる。その視線があまりにも悲しくて、思わず言いかけていた言葉が喉に詰まる。

「あんたさえいなければ……っ! あんたなんか生まれてこなければ良かったのよ!」

「……っ……」

 締め付けられるような胸の痛みに顔を歪めると、とめどなく溢れ出る涙で視界が滲んでゆく。
 そんな私を残して部屋を後にした母は、ちょうどお風呂上がりの兄にでも遭遇したのか、先ほどまでとは違った穏やかな声色を上げる。

『もう……シオンたら、ちゃんと髪は拭かないとダメでしょ。風邪でもひいたらどうするの』

『これぐらい大丈夫だよ。母さんは相変わらず心配性だね』

『子供を心配するなんて、親なら当たり前でしょ。……さ、晩御飯にしましょ』

『うん。……エヴァは?』

『具合が悪いんですって。もう寝たみたいだから、そっとしておきましょ』

 そんな言葉を残して廊下を後にした二人。

 物心がつく頃から、母に嫌われているのはなんとなく分かっていた。きっと、優秀な兄とは違って不出来な私のことが気に食わなかったのだろう。
 それでも、ここまでハッキリと拒絶の言葉を向けられたのは初めてのことだった。昔から分かっていた。とっくの昔から分かっていたはずなのに──。

「……っ、ぐす……」

 それでもどこか、少しだけ期待してしまう自分がいた。──私も愛されたい。
 
 でも、その願いはきっと一生叶うことはないのだろう。

 私なんて、誰からも必要とされないし好かれない。そう諦めることで、いつしかこの痛みから逃げることばかり考えるようになっていった。

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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