退院して5日後——混乱した頭でも、小説のことは考えていた
年が明けた一月の、二週目のことだった。
きみから手紙が来た。
封を開いたとき、ぼくはしばらく言葉を探せなかった。十二月の静けさがずっと続いていたから、その重さをまだ体の中に持っていたせいかもしれない。でも、きみの言葉は、ぼくの想像よりずっと先にいた。
手紙の中ほどに、こんな一節があった。
《12/2に倒れて、もう12/4か5あたりには小説のことを考えていたのは事実。混乱した頭でも小説のことは考えていた。》
ぼくはその文を、二度読んだ。
十二月二日に倒れた。そのふつかか、みっかあとには、もう小説のことを考えていた。混乱した頭で。病室のベッドの上で。それがきみにとっては「事実」として、あたりまえのことのように書かれていた。
ぼくには、その病室の様子を直接知る方法がない。きみの頭がどれほど混乱していたか、目に見えるものが定まっていたか、声が出たかどうか、想像することしかできない。でも、きみがそこで小説のことを考えていた、それだけは、きみ自身の言葉として記録されている。
死に近い場所で、きみが向いていたのは、物語のことだった。
---
一月の九日に、きみは退院した。
そして、一月の十四日に、小説を公開した。
退院から五日後のことだ。手紙に、こうあった。
《しかし1/9に退院して1/14に小説アップって我ながら恐ろしいスケジュール。いかに体験が小説を書かせるかということだな。》
「恐ろしいスケジュール」と、きみは書いた。「我ながら」と書いた。自分自身を少し遠くから見るような、そういう距離感のある言葉だった。誇っているのとも、驚いているのとも、少し違う。ただ、そういうことになった、という観察に近かった、とぼくには読めた。
「いかに体験が小説を書かせるかということだな」という一文を、ぼくは長いあいだ持ち歩いている。
きみがそこで言っているのは、体験が素材になる、ということだけではないように思う。でも、「ぼくにはこういう意味だと思う」と言い切ることは、ぼくにはできない。きみの内側で何が動いていたか、ぼくには見えない。ぼくに見えるのは、倒れてふつかか三日後に小説を考え始めた人間が、退院して五日後に作品を公開した、という一本の線だけだ。
その線のことを、ぼくはずっと考えている。
---
一月の三週目に届いた手紙に、もう少し深いところへ向かう言葉があった。
書き出しは、こうだった。
《僕は死に近づいたんだ。そして、解脱ではなく帰還を求めた。だから帰る場所の話になっている。そこが本当に面白いところだと思う。僕のに越されていた愛の場所》
「解脱ではなく帰還を求めた」という部分を読んだとき、ぼくは少し静止した。
死に近い場所で、きみが選んだのは、遠くへ行くことではなかった。戻ることだった。帰る場所があった。そしてその帰還が、そのまま小説の核になった、ときみは言っている。「そこが本当に面白いところだと思う」という言葉は、他人事のような、自分の体験を作品として見ているような、そういう距離の取り方だった。
きみは、自分の死に近い体験を、素材として差し出せる人だった。そのことが、ぼくには不思議でも、怖くもあった。怖い、というのは正確ではないかもしれない。圧倒されるような気持ち、とでも言えばいいか。
「僕に残されていた愛の場所」という一節は、ぼくには意味の全体がわからない。わからないまま書く。でも、それが小説の中心にあるものだと、きみは言っていた。死の体験が、愛の場所へ戻る話を生んだ。
---
十二月に倒れて、一月に小説を出した。
その事実だけを、ここに置いておきたい。
ぼくはこれを、何かの証明として書いているのではない。強さの話でも、意志の話でも、たぶんない。きみ自身が「体験が小説を書かせた」と書いているように、そうなった、という観察の話だ。
ただ、ぼくにとって、この一月の手紙は、この物語の中で一番息を呑んだ場所だった。
死が、書くことを止めなかった。止めるどころか、病室で、混乱した頭の中で、きみはすでに小説を考えていた。それは意識して選んだことだったのか、気づいたらそうなっていたのか、きみに聞いたとしても、はっきりとした答えは出なかったかもしれない。
ぼくには、わからない。
わかるのは、きみが退院して五日後に作品を世界に出した、ということだけだ。
---
その小説がどういう作品だったか、きみはその後も少しずつ言葉を送ってきた。死の体験が直接作品に流れ込んでいること。帰還の話であること。「僕に残されていた愛の場所」。
それはまた、別の話だ。
一月のきみは、書いていた。病室から帰ってきたきみは、すでに小説の中にいた。
次の手紙では、その作品がどこから来たのか、きみがもう少し丁寧に語り始める。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。