← 作品ページへ戻る

神の帰還

いらいじゃ

98,495 字

壮大なファンタジー、成長と愛の物語

"神と悪魔が交錯する世界で、少年は愛の力で運命を切り拓く。"

← 右から左へスクロール

第五章

1

 乱暴にドアが開けられ、アルミスは飛び起きる。戸口をふさぐほどの大きな影。バーノルだ。
「ふたりとも起きろ、急げよ」
 言葉に緊張がある。アルミスとクレイは急いで上着を着て、靴をはく。
 バーノルは窓を薄く開ける。
「まずいな」
 クレイは背嚢を手に持って同じように窓を覗き込む。
 松明が6本。炎に民兵の鎧が反射している。10人ほどいるだろうか。真夜中、こちらが寝ていることを見越してとらえるつもりなのだ。
「主人の話と違いますね」
 クレイの言葉にはかすかに怒りがある。バーノルはクレイの肩に手を置いて、
「まあ本当のところはわからんが、ちゃんと役人にも顔が立つようになったな。こうでなきゃ宿屋の主人は勤まらないだろ。教えてくれた分だけ、助かっている。弁当だってあるしな」
 クレイは頷く。バーノルの言葉を聞いていれば何とかなるような気がしてくるから不思議だ。この戦士は、軽口をたたくことでパニックを押さえ、冷静に難局を切り抜けてきたのだ。
「とはいえ…」
 ほんの一瞬、バーノルの顔に暗い影がよぎるが、それをうち払い、クレイの肩をつかむ。
「クレイ、お前、俺とアルミスを抱えて、飛べるか?」
 声をあげたのは、アルミスだった。
「バーノルさん、それはクレイにあの力を使えということですか?」
「あいつらと戦うのはさけたい。クレイが変身したあの姿は、奴らの足をすくませるのに十分な派手さがある。おまけに飛んで逃げられれば、追う気にもならないだろう」
「でも……精霊で驚かすというのはどうですか? 空を飛ぶことはできないけど……」
「あの神官が何かを仕掛けてくる可能性がある。一発派手なのをかましておいた方がいい」
 なおも言い募ろうとするアルミスをクレイが止める。クレイは、バーノルを見る。クレイの視線を受けてバーノルが頷く。
「いいんだアル。それに、あいつの力を知っておくのは必要だと思う。やってみるよ」
 アルミスは言葉に詰まる。バーノルがクレイとアルミスの肩を抱き、一瞬力を込める。
「いくぞ、屋根の上に出る。そこから飛ぶんだ」
 窓を大きく開けて、バーノルは身を乗り出す。隠しからナイフを取り出す。民兵たちの松明の照り返しを受けて、刃がきらりと光る。
 ドンッ。
 部屋に大きく響く音を立てて、バーノルは木の壁にナイフを深く突き刺す。そのまま窓の外に一気に身を躍らせた。再び大きな音が響く。ナイフを足がかりにして、今度は頭の上、屋根にもう一本を突き立てたのだ。
「よし、こい!」
 屋根から逆さまにバーノルの顔が出て、たくましい腕がアルミス達に向けられる。
「え?」
 アルミスは思わずためらう。
「何も考えず、俺の手につかまればいいんだよ! お前らみたいなやせ鳥の体なんざ、藁束と同じだ」
 アルミスは思わず下を見る。宿屋の2階は意外に高い。地上は遠くにあって、不安が足をすくませる。それでも再びバーノルに促され、窓枠に足をかけ、バーノルの腕に両手で取りすがる。
 アルミスの目の前でバーノルの腕がふくれあがり、血管が浮き出る。アルミスの体が、腕一本でつり上げられていく。
「屋根にしがみつけ」
 その言葉とともに、屋根に押しつけられる。アルミスはあわててつかまるものを探し、上に上る。アルミスがいた場所に、クレイが来る。
 落ちないように気をつけて、アルミスは屋根の上に立ち上がる。大きな月が出ていた。月明かりに照らされて、山の峰が浮かび上がっている。
「やります」
 クレイの声に、アルミスは振り返る。
 ゴウッ。
 突風が吹き、アルミスは思わず屋根の上に手をつく。黒い色の付いた風がクレイの体に巻き付くのが見える。クレイの体は浮き上がり、黒い物質に覆われていく。
 ギシッ。
 屋根がきしむ。今では見慣れつつある黒い水晶人形がアルミスとバーノルの前にあらわれていた。
 外が騒がしい。クレイの姿を見て、民兵達が騒いでいるのだ。
 アルミスはその怪物の姿にかすかな違和感を感じる。こんなに皮膚がなめらかだったろうか? 筋肉や骨格がこれほどしっかりと、形作られていただろうか? そして…こんなに力強かっただろうか? アルミスの背に悪寒が走る。水晶人形でしかなかった怪物の不器用な姿が、変わっている。その姿はさらなる強力さと、恐ろしさを表面に出しつつあるように感じられる。
「どうだ、クレイ?」
 バーノルの声に、怪物の頭が向けられる。顔に刻まれた三つの裂け目が広がり、赤い光がこぼれる。
『ええ、やってみます』
 怪物の中からの声。クレイがちゃんと意識を保ち、怪物の力を使っている証拠だ。それなのに…アルミスは自問する。それなのに何故、自分の不安感は大きくなっていくのだろう、悲しさが増してくるのだろう?
「いくぞアルミス」
 その声とともに、アルミスはバーノルの腕に抱え上げられる。彼女の体重など感じないかのように、力強く。アルミスはバーノルを見上げる。すぐ近くにある厳つい顔が、小さく頷いた。
「クレイはこの力とやっていこうとがんばっているんだ。お前が応援してやらなくてどうする?」
 その言葉とともに、アルミスの体を抱く腕に軽く力が入った。アルミスはバーノルの腕の中から、クレイに声をかける。
「お願い、クレイ」
 アルミスの言葉に怪物は頷き、両手を大きく天に向かって差し上げる。
 ベリッ。左右の手が同時に大きく裂け、一瞬4本の腕になる。四本の内のふたつはそのまま高く差し上げられたまま、さらに天空にのびていく。さらにその腕がさけ、そこに黒い風が集まっていく。次の瞬間、月を覆うような、大きな黒い翼になった。
 コウモリの翼だ。アルミスは確信する。あの凶猟鶏の特徴を、この怪物は兼ね備えているのだ。
 建物の下から、驚きの声があがる。月光と松明に照らし出された異形の姿。それは人にとって、足をすくませるのに充分な異様な光景だった。
『行きます』
 クレイの、声。バーノルはアルミスを抱き上げたまま、クレイに近づく。大きく、黒い腕がバーノルとアルミスを包み込む。怪物の腕は、アルミスの布で吊っている左腕に触れないように注意深く回されている。その優しさにアルミスは、クレイを確かに感じる。アルミスは自分を押さえている怪物の腕に触れる。つるりとしたなめらかな感触と、不思議な柔らかさがある。予想していた冷たさや、硬質な感触はない。
 アルミスは顔を上げる。怪物の目が、アルミスを見ていた。
『行くよ』
 赤い、異質な目の光にも、クレイを感じる。アルミスはその目に向かって頷く。
 ゴウッ。
 翼が大きく振られ、すさまじい風が巻き起こる。天空に輝く月に向かって、クレイは上昇を開始する。

2

 空気を、つかむ。自分の体を軽々と持ち上げる感覚。地上の松明が遠ざかる。視界が広がる。
 素晴らしい。クレイの体に感動が満ちる。何という開放感、何という力。空を飛ぶ鳥は、この気持ちをわからないだろう。自らの足でそう速く走ることもできない人間ならではの快感だ。体の奥から、喜びの叫びがわき上がってくる。この声をあげれば、自分の中での快感が爆発する予感がある。それは自分の体が裂けてしまいそうな、魂が“叫び”と共に天へ上ってしまいそうな、しびれるような恐怖を含んだ予感だった。
 その欲求のまま、クレイは怪物の頭を天に上げさせようとする。
「クレイ、この高さは何かあったらやばい。道に従って、地上すれすれを飛ぶんだ」
 バーノルの声。クレイは自分が置かれている状況を改めて自覚する。そして、この強烈な力の欲求が自分のものであったかを自問し、恐れを感じる。一瞬自分は黒い宝石の中の者に支配されていたのではないだろうか? バーノルの声に従って、地上近くを滑空する。そのスピードが、再びクレイの心を麻痺させていく。
「む?」
 バーノルは眉をひそめる。道の先にひとつだけ灯りがある。松明にしては大きな炎。それに照らされているのは…。
「あの神官だ!」
 バーノルの声に答えるかのように、目の前にせり上がる影。
 それは、巨大な、土でできた手のひらだった。
 ガツン。
 巨大な手が、クレイの怪物の足をつかむ。その衝撃にバーノルとアルミスは、クレイの怪物の手の中から空中に放り出される。
「きゃぁぁっ」
 アルミスの口から、押さえられない悲鳴が上がる。すごいスピードで迫る地面から目をそらすことができない。地面にぶつかる寸前、バーノルの腕が伸び、地面を叩いた。回る視界。体がきつく圧迫され、激しい振動が襲う。その回転が収まったとき、アルミスは自分が地上すれすれでたくましい腕に抱え上げられているのを知る。
「怪我はないか?」
 ゆっくりと地面におろされる。見上げるアルミスの顔に滴。バーノルの血だ。顔を朱に染めたバーノルがアルミスをのぞき込んでいる。
「バーノルさん、血が!」
「大丈夫だ」
 血を滴らせた凄惨な顔でバーノルは笑う。ごしごしと顔をこすり、首に巻いていた布をほどいて額に巻き、立ち上がる。右手にはいつの間に抜かれたのか、もう刀がある。
「すぐに立て、気をつけろよ」
 その声に、アルミスは答えず、
「クレイ!」
 大きく叫び、周りを見回した。
 アルミスは、見る。巨大な、大木ほどもある土塊の巨人が、クレイの怪物をつり上げている。
「土巨人…」
 それは、魔法使いであるアルミスですら目にしたことのない、強力な精霊だった。
 土の巨人は、クレイの怪物の足をつかんだまま、大きく振り回し、一気に放り投げる。
「クレイっ!」
 アルミスは悲鳴を上げる。クレイの怪物は大きく翼を広げ、投げられたエネルギーを殺し、空中に静止する。その体に土の巨人は手を伸ばす。腕が長く、鋭く変形し、怪物の体に迫る。
 クレイの怪物は土の巨人に応えるように、迫ってくる土の槍に向かって右手を突き出す。その手は無数の触手に分裂し、土の槍にからみつく。
 土の巨人が身じろぎする。怪物の触手に触れられた土巨人の腕が黒く変色していく。変色は面積を広げ、腕を上っていく。
『手を切り離せ!』
 土の巨人の背後から、声があがる。あの神官だ。彼が差し上げた両手の先には、虹色の輝きを放つ大きな玉が抱えられていた。
 神官の精霊語の命令に応えるように、玉の七色の光が増す。それと同時に、土の巨人が自分の腕に左手をたたきつけ、切断する。
 クレイの怪物の右手は、大きくふくらんでいる。地の巨人の切り落とされた腕を吸収しているのだ。怪物の体が一回り大きくなる。
『立ち上がれ! 奴に触られないようにするんだ』
 神官が再び光の玉を振る。土の巨人は左手を地面に突き刺す。土巨人の体が大きく震えるとともに、失われた腕が復活する。
 クレイの怪物は地上に降り立つ。手も地面につき、4つ足で土巨人の方へ走る。
 土巨人は復活した右手を地面に差し込む。地面に触れた部分から、土巨人の皮膚が変化していく。土塊の皮膚が、白く、硬質な結晶に覆われていく。
 クレイの怪物は脚をたわめ、一気に跳躍する。土巨人は白く変わった腕を再び槍のように変形させ、怪物に突き出す。クレイの怪物は再び手を触手状に変化させ、もう一度土の巨人の腕を取り込もうとする。
 巻き付こうとするクレイの怪物の腕が、白い結晶にはじかれた。土巨人の槍のような腕は、怪物の腕を引き裂き、そのままクレイの怪物の身体をえぐり、左腕ごともぎ取った。怪物は苦痛の絶叫を上げながら地に落ちる。
 よろよろと起きあがったクレイの怪物に、土巨人は再び白い腕を伸ばす。怪物は残った右腕を平たく、盾のように変化させる。
 ドォン。
 大きな音とともに怪物の体が吹っ飛ぶ。何本もの若木をへし折り、巨木の幹にたたきつけられる。
 ガハッ。
 クレイの怪物の大きく裂けた口から、鮮血がこぼれる。
「クレイっ!」
「馬鹿、危ない!」
 怪物に、クレイに駆け寄ろうとして、アルミスはバーノルに押さえられる。バーノルを突き飛ばそうと、アルミスはもがく。
 口から血を滴らせながら、怪物が立ち上がる。クレイの怪物の脚がガクガクとふるえている。もう一度血を吐き、かたわらの大木にもたれかかる。
 土の巨人は、ゆっくりと怪物に近づこうとして、止まる。
 クレイの怪物が寄りかかっている大木が黒く変色していく。怪物がふれている部分から、大木が溶け崩れるように変化している。怪物の身体からにじみ出す黒い色は、幹を染め、枝をかけあがり、瞬く間に木の先端に達した。次の瞬間大木は、黒い霧として完全に分解した。その霧は渦を巻き、一気にクレイの怪物の体に流れ込んでいく。
「なんだ、あれは…」
 アルミスはバーノルのつぶやきを聞いた。魔法使いである彼女にさえ信じられない光景が目の前で展開されていた。クレイの怪物は大木を“食った”のだ。
 クレイの怪物の体がふくれあがっていく。今や、土の巨人と肩を並べるほどに大きい。千切られたはずの左半身は完全に再生していた。
 クレイの怪物の邪悪な赤い三つの目が、土巨人を見る。そして、大きく顎が開いた。
「ガァァァッ!」
 地の底から響いてくるような、クレイの怪物の声。その叫びとともに、怪物の体のあちこちから触手が現れ、土巨人に向けて伸びていく。
 まっすぐ伸びた怪物のいくつもの腕は土巨人の皮膚にはじかれるが、再び力を取り戻すと、土巨人の身体に巻き付いていく。
 土巨人が腰を落とす。怪物は地面に足を突き刺す。怪物の体が大きくふくれあがり、触手がぴんと伸ばされる。怪物と土巨人の間で、地面全体が揺れるようなすさまじい力比べがはじまる。
 やがて……。
 ビキッ。
 土巨人の皮膚が割れる。
「何だと?」
 神官の叫びが合図だったように、亀裂が一気に拡がる。怪物の触手の締め付けによって土巨人の身体は粉々にされ、地面にばらまかれる。
「やった!」
 バーノルは歓声を上げる。
 しかし、次の瞬間、
「気をつけろ、クレイ! まだだ!」
 バーノルの鍛え上げた目は、地面に吸い込まれていく土巨人の破片を見ていた。土巨人は力を失っていない!
 クレイの怪物の足下に、大きな裂け目ができる。その裂け目の縁に巨大な“歯”が並んでいるのをバーノルは見た。怪物を飲み込んだものは、巨大な口であった。
 鋭く巨大な歯が、クレイの怪物の体に突き刺さる。怪物は口を大きく開け、苦痛の叫びをあげる。さらに口の奥からのびた舌がクレイの怪物の体に巻き付き、そのまま地の下に怪物の体を引きずり込んだ。怪物の体は完全に地面の下に没する。
「クレイっっ!」
 アルミスが悲鳴を上げる。
 その声に応えるかのように、地面を突き破って、ふたつの触手があらわれる。それが見る見るうちに翼に変化し、大きく振られる。怪物の体が、再びあらわれる。その体に、土の巨人が取りすがっている。
 ふたつの巨大な力は、激しくぶつかり合い、大木をへし折りながら森の奥へ移動していく。

3

「クレイ、アースジャイアントは地面に足をつけている限り、何度でもよみがえるわ! 土巨人の体を地面から引き剥がして!」
 アルミスが叫ぶ。
「黙れ!」
 神官が玉を振り上げ、アルミスに向ける。土の巨人が、アルミスに向けて腕を伸ばす。迎え撃ったのは、バーノルの刀だった。彼の刃がふれると、精霊の腕はその力を失い、ただの土塊と化す。
 さらに怪物が土巨人を押し倒し、立ちはだかる。
 バーノルの背後からアルミスは声をかける。
「土の巨人はあんなに狡猾な戦い方をできるとは思えません。神官が知恵を貸しているんです。きっと、あの玉で!」
「よし!」
 バーノルは返事と同時に神官に向かってナイフを投げる。
 すさまじい速度で一直線に迫る投げナイフ。しかし、それは神官に届く前に透明な壁にぶつかったかのようにはじかれる。
「魔法の障壁か」
 バーノルは舌打ちをする。
 神官はバーノル達に向かって嘲笑を浮かべ、土の巨人に向き直る。
 バーノルは刀を、へし折られ地面に落ちた大木に振り下ろす。枝を切り落とし、あっという間に“丸太”を作ると、肩に担ぎ上げ、神官に向かって突進する。
「うぉぉぉぉっっ!」
 バーノルの叫びに振り向いた神官の顔が引きつる。大きな丸太を担いだ大男がこちらに突進してくる!
 ガツン
 魔法の障壁に叩きつけられた丸太の先端部分が砕ける。丸太は神官に触れることはなかったが、衝撃で神官は引き倒される。抱えていた玉が地面に落ち、転がる。
 同時に、土の巨人の動きが止まる。
 クレイの怪物は、掴まれていた土巨人の腕をふりほどくと、翼を広げ、土巨人に背を向けた。翼を打ち振るい、一気に上昇し、あらぬ方向に向かって猛スピードで進む。
 神官は地面をはいずり玉を握る。
『あいつを追うんだ!』
 アルミスもクレイを追って、走る。
「どこに行くの? 何をするつもりなの?」
 悲鳴のような甲高い声で、アルミスは叫ぶ。嫌な予感が、彼女の胸にこみ上げる。
 刀を構えたまま神官の出方をうかがっていたバーノルも、じりじりと後ろに下がってから、二人の後を追う。
 もっと、もっと力を!
 土巨人と戦いながら、クレイは焦っていた。土巨人の力は底なしのように思えた。反対にクレイの方は疲労が濃くなっていく。大木を吸収したときに得た力が、どんどん失われていく。
 不意に、力を得る方法をひらめいた。土巨人が動きを止めた瞬間を見計らい、空に逃げる。背後に、ほのかな明かりが見える。宿場町の灯だ。クレイはその明かりを目指して翼を振る。
 町は騒然としていた。宿屋に現れた“怪物”のために非番を含めたすべての民兵が集められた。街の外から響いてくる破砕音も彼らの心を焦らせた。とにかく、音の調査に誰か、と話し合っているときに、それは再び現れた。
 巨大な翼を振る、真っ黒な怪物。
 クレイは、上空から自分を見上げる民兵達を見る。まだ光が少ない、もっと集めるためには……。
 民兵達は怪物の胸が大きくふくらむのを見た。
 ゴウッ。
 怪物の口から放たれた緑の炎が宿場町のシンボルであるトチノキに浴びせかけられる。
「か、火事だぁっ!」
 民兵の中の誰かが叫ぶ。広場に面した建物の窓が一斉に開き、多くの人々が家から飛び出してくる。そして彼らすべてが目撃する。炎に照らされた黒い怪物の姿を。
 人々が集まってくる。クレイには彼らに重なって見えるオレンジ色の光が見える。なんと心地よい光だ。クレイは村人達を、彼らの放つ光を見つめる。この光をもっと強くしたい。クレイは顔を上げ、天に向かって大きく叫ぶ。
「ガアァァァァッッ!」
 力に流される恐怖、自分が何か別なものに変わってしまうかもしれない不安、人々を利用している罪悪感、クレイの心のどこかに残るそんなためらいは、その叫びと共に消え去る。
 邪悪で、力に満ち、人々の魂に恐怖を食い込ませる咆哮。
 パニックが起きた。
 広場に出てきた人々が蜘蛛の子を散らすように逃げる。
 その混乱は瞬く間に宿場町全体に広がり、悲鳴と喧噪が町を覆い尽くしていく。
 町の人々から放たれるオレンジ色の光がクレイの視界全体に広がる。その光は今や炎のように町全体に広がっている。胸の宝石が大きく強く脈打つ。人々が放つオレンジの光、“恐怖”のエネルギーが宝石を通じてなだれ込んでくる。あまりのエネルギーの強さに身体が爆発しそうだ。その恐怖すら、快感に変わる。
 クレイを追い、町に駆け込んできたアルミスは見た。
 燃えさかる炎を背に、咆哮するクレイの姿を。
 違う。
 違う!
 アルミスは必死に否定の言葉を叫ぶ。何を? あの叫び声を上げているのはクレイだ。怪物に操られているのではない。それがわかる。私はこんな事を望んでいない。何よりも、クレイに変わって欲しくない。
 ドォン!
 すさまじい破砕音と共に、アルミスのすぐそばにあった町の門を粉々にして、アースジャイアントがクレイに向かっていく。
 その勢いに吹き飛ばされたアルミスは、バーノルに抱き留められる。
「大丈夫か?」
 バーノルの問いにも答えず、アルミスはクレイの姿を探す。
 土巨人は建物を破壊しながら怪物に迫る。町の人々の悲鳴が大きくなる。大木の炎が燃え移ったのか、町のそこかしこで火の手が上がっている。
 その怒号と混乱のど真ん中で土巨人とクレイの怪物が再びぶつかる。
「グァアアッッ!」
 大きな怪物の咆哮に、一瞬人々は動きを止め、そして見る。
 今や土巨人を上回る巨大な身体を獲得した怪物が、二本の手で土巨人を持ち上げている! 土巨人は手足を振り回し、怪物の手から逃れようとする。
 グァン。
 土巨人の腕や足がすさまじい勢いで怪物の身体にぶつかるが、怪物は微動だにしない。巨大な異形のぶつかり合いはすべての人を呪縛し、魅了していた。
「つ、土の色が!」
 人混みの中から、誰かが叫んだ。掘り返されたばかりの、黒々とした土の色をしていた土巨人の肌が、乾き、ひび割れ、砂に変わって崩れていく。アースジャイアントは、力の源である大地から引きはがされると、瞬く間に力を失う。やがて土巨人の手足の動きは緩慢になり、力を失った。その瞬間、完全に砂に変わり、身体全体が崩壊した。
「ギャアアーッ」
 人がこんな声を出せるのかという、恐ろしい悲鳴に人々は振り返る。
 神官が立っていた。頭を抱え、空を見上げている神官の顔は、完全に正気を失っており、醜く歪んでいる。光を失った玉が足下に転がっていた。
「アースジャイアントとの“繋がり”を強制的に切られたんだわ……あの人の心もまた、失われてしまった」
 震える声で、アルミスはささやく。
 怪物が歩き出し、人々は再び後ずさる。
 神官に近付こうとする怪物の前にアルミスは飛び出す。
「クレイ、もう充分よ、行きましょう」
 言いたいこと、叫びたいことはたくさんあった。しかし、何も出てこなかった。
 アルミスの傍らにバーノルが立つ。
 怪物の頭が頷く。二人に手を伸ばし、抱きとめると、翼を広げ、飛び立つ。
 天空で、クレイはもう一度大きく咆哮した。
 勝利と、歓喜の雄叫び。
 アルミスはその声に身体を震わせる。哀しみだけが胸を覆っていた。暖かい、強い手が一度だけ、強くアルミスを抱きしめた。振り返ったアルミスの眼をバーノルが見つめ返す。アルミスは怪物とバーノル二人の手の中で、声を上げずに泣いた。

── 第6章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

作品ページへ戻る

コメント

まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。

しおりを挟みました