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ベレー帽の探偵

阪奈康太

85,483 字

心理ミステリ、探偵小説、人間ドラマ

"「真実」とは何か。「正義」とは誰のものか。ベレー帽の探偵が、その問いの奥底を覗き込む。"

 真実とはこうも無価値とは思わなかった。  ……ああ、こんにちはどうも。何があったかって?  実は統合失調症の患者にお前は統合失調症だといいましてね?  するとこれが酷く暴れるもので……。ええ、その通りだね?  私の行動は医療プロトコルにも反する愚かな行動だ。正解改善とは程遠い。  失礼失礼。つい王様の耳はロバの耳と叫びたくなってね。まあ少し前提から考えてみよう。  まずもって私たちは完璧な真実とやらにたどり着くことはない。  言葉は取りこぼすし、認識には限界がある。  けれども決して私は近づくことをやめない。時にイカロスのように、時にパンドラのように。  自身に不利益があろうとも、どうしたって好奇心は抑えられない。  ……さて、得て知って、それで満足したいところだが私は探偵という職業についている。  残念ながら私だけが知っていてもどうしようもないのでどうにかコレを商品として機能させなければならないのだ。  であれば、私がかぶる帽子はシャーロックホームズのような鹿討帽だろうか?  ……いいや、ソレを物語のように加工する私にとってはベレー帽こそふさわしいだろう。

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第5話

最初に入った教室は、あまりに普通だった。

 机。椅子。黒板。掲示物。
 どこの学校にもある、誰の記憶にも少しずつ残っている光景だった。

 だからこそ、そこに死の痕跡を探している自分が、少し場違いに思えた。

『天知さん。座席表です』

 助手の声に意識を戻す。

 画面の中には、四十名弱の苗字が記載されていた。
 成績表に載っていたクラスだ。だが、彼の名前はない。

 今は六月。
 もし鳴川が「いじり」とやらをしていたなら、それは去年の話になる。学年が変わっていれば、クラス替えされていてもおかしくない。
 つまり、ここに載っている人物の中にいるとは限らない。

「了解。とりあえず一通り写真を撮ってくれ。教室から何か情報が出るかもしれない。容量は惜しまなくていい」

 高校のクラスというものは、学力やコースに応じて分けられている場合がある。
 少なくともこの学校は三つのコースに分けられていて、それに対応するように三つのクラスがある。

 その子の成績が、「いじり」によって変動しなかったとも限らない。
 必要なのは、全クラスの座席表か。

 あと必要なのは何だろうか。

 助手は教卓の上の座席表を撮影したのち、教室の中央に立った。
 大黒板。後方の小黒板。窓。入ってきた扉。
 順番に、淡々と撮っていく。

 画面を注視しながら、私はいくつかの可能性を組み立てては捨てた。

 何もつながらない。

 結局、それを全クラス分終えてしまった。

「……次は職員室だ」

 後から気づくこともあるだろう。
 今は目の前の情報に注力する。

 重要なのは、生徒の出欠だ。

 大きな精神的負担を、どのような形であれ負ったのなら、多少なりともそこに影響は出る。
 他にも、教師の日報や保健室の利用状況がわかれば、ある程度は絞ることができる。

 助手が職員室へ移動している間も、私は何度も教室の映像を見返した。

 ボディカメラからの映像に注視すべきだとはわかっている。
 だが、モヤモヤに勝てなかった。

 座席表。掲示物。机の配置。黒板の端に残ったチョークの跡。
 不審な箇所がないか、何度も見返す。

 何もおかしくない。
 だが、何もおかしくないように整えられているようにも見えた。

 ……いや、悪い癖だ。
 情報が足りない時、人は秩序にまで意図を見始める。

 小さな金属音がして、私は視線をボディカメラへ戻した。
 助手が職員室の鍵を開けたのだ。

 職員室も、やはり至って普通だった。

 乱雑に立てられたファイル。積まれたプリント。
 職員室は、十数年前のオフィスのように少し古臭かった。
 テクノロジーに完全には適応しきれていない印象を受ける。

 存外、紙のプリントの需要はいまだ高いようで、ところどころに未記入のプリントの束が見える。
 こうも紙媒体が多く見受けられれば、つい期待を寄せてしまう。

 だが、その実、生徒情報に関してはしっかりと電子管理されていた。

「教師の机をすべて……いや、変に証拠を残すわけにもいかないな。二年の担任の机を調べてくれ」

『ダメですね。授業のプリント程度しかありません』

「予備を仕掛けて、一応全体の写真も頼むよ。終わればすぐ引き上げておいで」

『了解』

 取りあえず回収だ。
 情報の分析は、帰ってからの仕事にしよう。

 しかし、気になるのは今朝つけてきた連中だ。

 鳴川の母親には随分と尾行がついていたようだった。
 だが、私たちについていたのは、そのうちの一人だけ。

 なぜだ。

 見落としがある可能性も考慮しなければならない。

 ドローンを再起動させ、周囲を捜索しようとした。
 その時、運悪く雨が弱まっていく。

 スマホで雨雲レーダーを確認すると、雲はだいぶ薄くなっていた。
 もうじき止んでしまうだろう。

「ごめん。なるべく急いでくれ。ドローンを飛ばしていられなくなる」

 ドローンの映像を確認する。

 ……一人、誰かいる。

 例の人物ではない。
 だが、彼らの仲間なら?

 だとしたら、助手や私たちを探しているはずだ。
 助手は学校周辺で消えた。ならば、そいつが助手を探していてもおかしくない。

「……正門付近にアンノウン。多分、あの歩く速さなら、あと十六秒で君の退避ルートを目視できる位置に入る」

 そう言うと、助手は駆け出した。

 おいおいおい。
 どうするつもりだ。
 その荷物を持って。

 画面が跳ねる。
 地面が流れ、塀が近づき、次の瞬間には視界が高くなっていた。

 ……登ったのか。
 いや、あれは登ったというより、越えたと言うべきだろう。

 化け物め。

「……よく頑張った。うん、正直少し引いているけど。取りあえず付近まで車を移動させるよ」

『いえ、せっかく無事なんですから。廃車にして報酬より高くつくなんてごめんですよ。そこで待機してください』

「……」

 何か言い返す言葉も思い浮かばないのでドローンを雑に助手へ向かわせる。というよりは体当たりさせる。

 ……普通に受け取ったなアイツ。

 

 しばらくして助手が戻ってきた。雨具や機材を助手席に詰め込み、何事もなかったように運転席へ座る。

「戻りました。さあ、帰りましょう」

 後部座席にいる私を覗き込むようにして、助手はそう言うとエンジンをかけた。

「はーい。領収書はいらないからね。さすがにつけられない」

 車がゆっくりと動き出す。

 後部座席で揺られながら、私はノートパソコンと睨めっこを続けた。
 ボディカメラの映像を、何度も見返す。

 鳴川が死ぬ前後の生徒の出欠状況。
 これといって目立った不登校や、登校日数の少ない生徒はいない。

 死後は一部休んでいるようだが、それも数が多い。
 この中に怪しい人物がいるかといえば、まるでわからなかった。

 翌日、仕掛けは一応作動していた。
 期待していたほどではなかったが、生徒情報の一部は手に入った。

 そして、結論から言えば無駄足だった。

 情報はあった。
 ただ、意味のある情報がなかった。

 何もわからなかった。
 何もおかしくなかった。

 それが、一番おかしかった。

 当初から、私は他殺だとは思っていない。
 しかし、これほど情報が出てこないとは思わなかった。

 実は陰でいじめられていた。
 学校がものすごくスパルタだった。
 教師との間に重大なトラブルがあった。

 そういった要因は、まるで見当たらない。

 つまり、自殺なら内的要因。
 他殺なら、少なくとも学校とは関係のない場所に原因がある。

「すみません。私が焦ったばかりに、無駄にリスクを負わせてしまいました。……天知さんは、ここに今朝の聞き込み以上の情報はないと、そう思っていましたよね。そもそも、他殺ですらないと考えていて……」

「いや? 何もおかしくないことが分かった」

 助手が顔を上げる。

「『不可能を排除していき、最後に残ったものがどんなに信じられなくても、それが真実である』。シャーロック・ホームズの名言だよ。これも必要なことだ」

 詭弁だ。

 けれど、助手にこれ以上責任を背負わせる理由はない。
 彼が自分で動けなくなる方が、よほど困る。

 実際、リスク比とコストパフォーマンスで考えれば赤字だ。
 だが、だからといって、これ以上赤字を進行させるわけにはいかない。

 そもそも、強攻策を提示したのは私だ。

 ただ事件の真相を探るだけでは勤まらない。
 この仕事、この立ち位置の辛いところだ。

 私も私で、考えよう。

 行き詰まった時は、大抵どちらかだ。
 情報が足りない。
 あるいは、前提が間違っている。

 意味づけを剥がせ。
 推理を白紙に戻せ。

 ……そうだ。

 私は、まだ一つ確認していない。

「助手。依頼者に連絡をとってくれ」

「はい? ……はい。しかし、時間が時間ですので明日でも構いませんか?」

 私は微笑んで頷いた。

 彼の死について、最初から一つだけ引っかかっていたことがある。

── 第6章 了 ──

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