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四感の檻

Makoto Yaoi

6,618 字

心理サスペンス・官能小説

"日常に潜む狂気、五感で綴る偏愛の心理サスペンス"

電車の中で、ある青年を見かけたことで男の妄想が始まります。車内という四角い空間の中で、男が自身の狂気じみた妄想に少しずつ囚われていくという物語です。

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第五章 腰

いつもの時間、いつもの駅、いつもの車両、いつもの場所に男は立っていた。

2つ目の駅に電車が止まると、男の右隣に彼が来る。

雨に濡れた髪先から、雫がひと粒、またひと粒と滴り落ちる。

彼は黒いリュックを網棚に置きながら、両腕を頭上に伸ばす。

シャツの裾がわずかに浮き、白い締まったわき腹が一瞬、覗いた。

雨のにおいと、彼のシャンプーのにおいが車内の湿度と混ざり合い、男の全身をぬるく包み込む。

男は湿った甘い匂いに、静かに溺れた。

口元がわずかに開き、瞳はぼんやりと宙を彷徨っている。
ただ、親指だけが、つり革をそっと撫で続けていた。
男はゆっくり右を向いた。

男の動作に反応してか、彼が、首をすこし傾げて男を見ている。

……どちらかうつつか幻か、わからぬままに男が少し口角を上げ微笑むと、
彼は男に軽く会釈した。

つり革を撫でる親指の動きが止まった。
その刹那、静けさを裂くように、光が男の脳裏を横切った。
「そうか……彼も私を……。」
男から笑みが漏れる。

窓に映る彼を男はまるで恋人かのように、愛おしそうに見つめていた。
男は再び、親指でつり革を撫で始め、
彼は前を向き、スマホをいじり始めた。

少しうつむき加減の彼の髪から大粒の水滴が落ちた。
水滴は彼の鎖骨から胸元へと流れ落ちていく。
男は前を向きながら視線の端で、胸元へ滑る雫を捉えた。
男の視線は、胸元を越え、静かに腰へと落ちていき、彼の下腹部でぴたりと止まった。

……男はゆっくりと息を吐く。

男の背中に、甘やかな恐怖にも似た緊張が走った。
捕らわれるのを、無意識に願っているように……。
男はぎゅっとつり革を握りしめ、はっと短く息を吐いた。
わずかに体を震わせ、また浅い吐息を漏らす。
背中に彼の気配が触れるたび、呼吸は細くなり、熱を帯びた。
吸うたびに甘い痛みが胸に滲み、吐くたびに身体が蕩けていく。
幾度かの呼吸の果て、男は満ち足りたように、静かにため息を落とした。

男はゆっくりと右横に立つ彼に顔を向け、彼の耳元で「あとでね。」と伝えた。

彼の肩がビクリと動いた。

彼は瞳に驚きと恐怖の色を滲ませ、
「は?何ですか。」
と、訝しげに男を見上げた。

「……あっ……」
男は、彼の中に芽生えた怯えの気配を、ありありと感じた。

――その瞬間、男の背中に冷たいものが走った。
つり革を握る手は、感覚を失った。

目に映る風景には、色もなければ、音もなかったのだ。
男は息をすることさえ忘れ、歯を食いしばり、深い皴を刻んで、目を閉ざした。

重たい自責の念が、男の全身を押し潰していった。

彼は何事もなかったかのように、前を向いた。

男も窓の外を見る。
しかし、先ほどよりも離れた2人の距離が、確実に何かがあったことを物語っていた。

車内を漂う風に乗って、脳裏に刻まれた彼の匂いが甘く空ろな記憶を呼び起こす。

深い呼吸とともに、男は再びつり革を撫で始めた。

── 第6章 了 ──

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