第五章 崩れゆく光
1641年、冬。このブレー通りの楼閣は、二つの熱病に冒されていた。
一つは、アトリエの中央に鎮座するあの巨大なキャンバスだ。
レンブラントは取り憑かれたように、百本近い筆と山のような絵具を動かし、注文主たちが望んだ「栄光」を、彼一人のための幻想劇へと塗り替えていた。
そしてもう一つは、アトリエの奥、閉ざされた寝室から漏れ聞こえる、あの乾いた音だ。
壁を隔てて響くのは、サスキアの咳だった。かつてレンブラントのキャンバスの中で、花の女神として光を放っていた彼女の命は今、恐ろしい胸の病に内側から食い荒らされていた。
私は石板の上で、より厚く、より粘り気のある「白」を練った。
アトリエの空気は、鼻を突く乾性油の匂いと、サスキアが吐き出す微かな血の匂いが混ざり合い、奇妙な重苦しさを帯びている。
「ヤン、もっとだ。あの少女のドレスに、誰の目も眩むような輝きを載せるのだ」
レンブラントの声は、もはやコック隊長たちと商談をしていた時のそれではない。
彼は寝室から咳が聞こえるたび、まるでその音を掻き消そうとするかのように、乱暴な筆致でキャンバスを叩いた。中央で光を浴びるあの少女。サスキアの面影を宿しながら人間離れした輝きを放つ姿は、消えゆく妻の命をこの世に繋ぎ止めるための祈祷のようだった。
だが、どれほど絵具を厚く盛り、光を捏造したところで、肉体の崩壊を止めることはできない。
「……親方、少し休まれては。奥方の様子が……」
「黙れ! 描いている。今、俺はサスキアを、この闇の中に、永遠に、封じ込めるのだ!」
レンブラントは振り向きもせず、叫んだ。その瞳は血走り、絵具の汚れた手は小刻みに震えている。
彼は、コック隊長たちの虚栄心などもう覚えていなかった。ただ妻に迫る「死」という名の影から光を奪い返そうと、誰も見たことがない物語を描こうと、足掻いていた。
私は再び練り棒を握り、体重をかけた。彼が光を描けば描くほど、より深い闇が必要になる。
サスキアの命が削られていくたびに、コック隊長たちが望んだ「物語」は、重く、暗い影に侵食されていく。
私は、さらに重厚な鉛を、さらに純度の高い「黒」を練った。石板の上で、練り棒が鈍く鳴る。掌の骨にまで響く音だった。
黒は、粘りを増していく。光を吸うというより、光の方から逃げていく。そういう黒だ。レンブラントが筆を叩きつけるたび、キャンバスの表は荒れる。そのたびに私は、裏に回って指を当てた。布の張りがわずかに変わっている。
私は迷わず、鉛の小壷を開けた。蓋をひねると、鼻の奥が冷える匂いが立った。
(ここまでやれば、戻れない)
そう思ったのに、手は止まらなかった。私は刷毛を取り、鉛の重い層を叩き込んだ。擦り込む。押し込む。布の繊維が鳴る。鉛はすぐに黒に濁り、黒はさらに深くなる。境目が消えていく。
「ヤン。もっとだ。もっと闇を深くしろ!」
あの声が、上から落ちてくる。
私は返事をしない。乾ききらないうちに、層を重ねる。アントウェルペンの理の作法では避ける手順だ。避ける理由も、私はよく知っている。それでも、私は重ねた。もう、あの連中の顔のことなど、頭のどこにもない。私はあの連中の虚栄を嫌った。
だが、見てみたい、残したい、という欲はあの連中と、変わらないようだ。
練り棒を握り直す。
石板の上の黒がまた一段沈む。アトリエに響くのは、筆がキャンバスを打つ音と絶え間ない咳の音。そして、私が石板の上で練り棒を回す、鈍い音だけだった。
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