臨死体験から生まれた小説——死後に向けて書くということ
三月の終わりに、きみから短い手紙が来た。
封を開くと、こうあった──
《世界のとなりでは、死後の世界の話だ。そしてそれは僕の臨死体験から生まれている。病というのが、停滞していた書くということをこんなにも加速させるとはね。いよいよ死後に向けて書いているという感触が近い。》
ぼくはその文をしばらく読み返した。「加速させる」という言葉が、手のなかに残った。止まるとも、消えるとも、ちがう。加速。きみはそう書いた。
どんな作品なのか、ぼくには当時まだよく見えていなかった。「世界のとなりで」という題名だけが浮かんでいた。そのとなりに何があるのか、きみは手紙の中で全部は話してくれなかった。でも、そこに臨死体験があること、死後の世界の話であること、それだけははっきりと書かれていた。
病室で考えていた小説が、死後の世界を扱っている。そのことをぼくはしばらく、ただ眺めていた。観察と呼ぶには近すぎるし、共感と呼ぶには遠すぎる、そういう距離で。
きみが入院していた一月の沈黙は、ぼくにとってはただの空白だった。手紙が来なかった。来ないから、きみに何が起きているか知ることができなかった。その空白が、実は小説の時間だったと知ったのは、退院後の手紙からだ。
病が書くことを加速させた、ときみは言う。ぼくにはその体験がない。だから想像するしかない。病室のなかで、死に近い感触があって、それでもきみの頭の中で物語が動いていた、ということを。それが苦しい時間だったのか、不思議なほど静かな時間だったのか、ぼくにはわからない。
同じ手紙の、すこしあとの行に、こう書いてあった。
《書いて死ぬ。それが僕の人生設計だった。》
過去形だ、とぼくは思った。「だった」。きみはそこで、いったん立ち止まっている。
設計があった。そしてその設計が、何かのかたちで、変わった、あるいは問い直された。「だった」という言葉は、それを静かに示している。
書いて死ぬことが設計だった。そのあとに何が来るのかは、この手紙では書かれていなかった。ぼくはその余白を、すこし長く持っていた。
四月のはじめに、次の手紙が来た。短かった。
その冒頭に、こう書かれていた──
《人生設計を変更しなければならない。》
ぼくは読んで、前の手紙の「だった」を思い出した。設計があった。それを変えなければならない。この二つは、ひと月もかけずに並んでいる。きみの中で何かが動いていた、とは言える。それが何だったのか、言葉の外のことはぼくには知るよしがない。
ただ、こういうことはわかる。「書いて死ぬ」という言葉は、諦めでも悲観でもなく、きみにとってのひとつの完成形だったのかもしれない。書くことが、死という終わりに向かって進んでいくことと、同じ方向を向いていた。そういう設計だった。
そして病室の体験が、その設計の前提を動かした。死がどういうものか、体の側から教わってしまった。それは設計を壊したわけではないかもしれない。でも、何かを書き直さなければならないほどの、重さを持っていた。
きみがどう変更したのか、何を変えようとしたのか、四月の手紙はそこまで書いていなかった。「変更しなければならない」という言葉だけが、そこに置かれていた。
ぼくは、その先をまだ待っているところだ。
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