第8話 ブラックホールゆうま
夜、六星大学の目抜き通りは、学祭の興奮を残したままだった。
時計台の下に組まれた仮設ステージは解体されず残され、照明が煌々と周辺を照らしている。
屋台はまだ活気に溢れている。
一般客の代わりに、学祭に参加した各団体の打ち上げ会場と変貌し、焼き鳥、たこ焼き、綿菓子、かき氷。
次々と、飲食スペースへと運ばれて、賑やかな声が湧き起こる。
その中心に、プロジェクトメンバーが集まっていた。
興奮がまだ身体から抜けきっていないのだろう、誰もが大きな声だ。
聡志が、紙コップを高く掲げた。
「乾杯!!」
その声は、夜空にまっすぐ放たれた。
「乾杯!!」
缶や瓶が軽くぶつかる音。
肩を叩き合う音や笑い声。
成功というものは、こんなにも身体を軽くするのかと、杏奈は少し不思議な気持ちでコーラを掲げていた。
そのとき、横からすっと差し出される黄色い液体。
「はい、黄色いコーラ!」
峯岸が満面の笑みで差し出している。
「……それ、ビールですよね」
「違う違う、黄色いコーラや」
「杏奈ちゃん未成年だよ」
ミナがたしなめると、峯岸の動きがぴたりと止まる。
「……ええやん、今日くらい」
ミナは無言でビールを回収し、代わりに本物のコーラを渡す。
そんな中、奥の照明器具の脇に、不穏な存在があった。
最初に目に入るのは、空き缶の山。
さらによく見ると、それは単なる山ではなく、きれいに積み上げられた“ピラミッド”になっていた。
微妙な角度で重ねられ、崩れそうで崩れない絶妙な均衡を保っている。
そして、その正面には、背筋はまっすぐだが、完全に座っている目で、宮坂が腰を下ろして缶ピラミッドを、じっと見つめている。
杏奈が、無意識に一歩近づこうとすると、聡志がそっと彼女の腕を掴み、低く真剣な声で告げた。
「あれは……絶対に近づいてはいけない領域だ」
「え?」
杏奈が振り返ると、ミナも隣に並んでいた。
「杏奈ちゃんは、触れないほうがいいよ」
「なんでですか?」
聡志が、真顔で説明する。
「アルコールという燃料を投入された結果、あらゆる感情を増幅し、周囲へ無差別に絡み続ける存在になる」
「奴の酒癖の悪さは.....宇宙一だ」
ミナが淡々と補足する。
「怒りも、笑いも、悲しみも、全部を“迷惑”に変換する装置にして」
「酒はもちろん、周囲の空気、相手の体温、思考回路までをも、貪欲に、そして無限に飲み込み続ける存在」
「そう、まさにブラックホール」
二人の声が、ほぼ同時に重なる。
「それが、宮坂悠真――泥酔形態」
すると、空き缶のピラミッドの前で、宮坂がゆっくり顔を上げた。
焦点の合っていない目が、まっすぐ杏奈を捉えると、獲物を見つけたみたいにじっと視線を外さない。
「……たざわ……さん……」
掠れた声で手招きをすると、半開きの目で、口元がゆっくりと吊り上がる。
真顔で、杏奈を見て呟く聡志。
「やばい、ロックオンされてる」
ミナも一歩出て、杏奈の前に立つ。
「杏奈ちゃんは、絶対にあれと関わっちゃダメ」
宮坂は立ち上がろうとしてよろけ、座り直し、また立ち上がる。
その間にも視線だけは杏奈から外れない。
聡志とミナが、顔を見合わせてため息をついた。
「となると」
「しかたないわね」
「ジャンケンポン!」
聡志が拳を高らかに突き上げ、ミナは心底嫌そうな顔をして、ガックリと肩を落とす。
「しゃーーー!!」
「うぞでじょ〜!」
柱の陰から見ていた峯岸が、口元だけで「南無」と言い、ユズが肩をすくめて頷く。
ミナがため息を吐き、杏奈を背中に隠すと、宮坂はまた、ねっとりとした視線をミナに向けた。
そして、不規則な動きで手招きをはじめた。
「……ミナたん……」
「……たく、なんでいつもいつもこうなるのよ」
歯ぎしりをしながら立ち上がり、一度振り向くと、長いため息を吐いて宮坂に向かった。
杏奈が不思議そうな顔で、聡志に問う。
「いつもなんですか?」
「うん、二人は幼稚園からの幼馴染なんだって」
「幼稚園から、ずっと絡まれっぱなしらしいよ、ミナ」
「……それって」
杏奈が意外そうな顔をすると、聡志がにやけた。
「まあ、普通はそう考えるよな」
心底嫌そうな顔をしたミナが、宮坂の横に立ち、冷たい視線で見下ろした。
「何?」
宮坂は、缶に口を付けたまま、ピラミッドのバランスを微調整していた。
そして、目線だけがミナを向き、その目が細くにやけた。
「ミナたん……来て、くれたんだね?」
「あー、はいはい、来た来た、来ましたよー」
ミナが心底面倒くさそうに、目を合わさずに答えると宮坂は止まらない。
「……ギザの三大ピラミッド、クフ王のピラミッドだよ」
(どうでもいいよ)
「……こだわりはね、ここ、ここの角度が……」
(だから、どうでもいいって)
宮坂は、テーブルに缶を置き、ゆっくりと虚ろな顔をミナに向ける。
「……ミナたん……凄いでしょ、僕」
ミナのこめかみが、ぴく、と動く。
(めんどくさい、心底めんどくさい)
「……今日の、舞台もさ、僕、頑張ったよね?」
「段取りも、芝居も、完璧だったよね……?」
焦点の合わない、とろんとした目。
ミナはため息をつくことしかできない。
「うん、良かったよ」
短く返すが、宮坂は止まらない。
「うん、じゃなくてさ……」
「“ほんとに”……すごかったよね……?」
ねっとり、じっとりと語尾が、溶けていく。
「ミナたん……」
「僕さ……必要だったよね……?」
ぴく、ぴく。
(あーっ、まじでめんどくさい……)
「うん、必要だったよ」
宮坂は、頭を下げて中腰になり、脳天をミナに近づけた。
「ミナたん……」
「よしよし……して?」
どこか湿り気を帯びた、甘えたこえだった。
柱の陰では、峯岸とユズがまるで観察するかのように、注視している。
「……よかった、本当によかった」
「あっちに居らんで」
峯岸が、心から安堵した顔で呟く。
視線の先では、宮坂がミナに向かって脳天を差し出して、体をくねらせていた。
ユズは腕を組み、冷静に分析する。
「ゆうまもな、あれが無かったら、クールなメガネ男子で普通にモテたんやけどな」
「ほんまそれ」
「背もそこそこあるし、理屈も通るし……」
「なのに」
二人同時に、遠くの宮坂を見る。
「酒」
峯岸が頷く。
「合コン参加権、永久剥奪やもんな」
「うちなんか、こっちまで巻き添えで出禁やで」
「なんでやねん」
「“お連れ様も同類と判断します”言われた」
「理不尽すぎるやろ」
その向こうで、宮坂の声がまた響く。
「ミナたぁん……」
二人は同時に顔をしかめた。
「……あれや」
「うん、あれや」
「まさに、ブラックホールや」
「重力、迷惑方向にしか働かへん」
しばらく沈黙のあと、峯岸が、ぽつり呟く。
「でもまあ……」
「今日の舞台の段取りは、完璧やったな」
ユズは一瞬だけ真面目な顔になり、すぐに戻す。
「せやな」
「……酒さえなければな」
ユズが、首を縦に振った。
ミナのこめかみが、三度目に動く。
(……誰か、止めて)
もはや限界に近づきつつあったのだろう。
歪んだ空気の中、宮坂の体のくねりが、回転せんばかりに、大きな動きになってきた。
「ミナたん……ね……?」
ミナは笑顔を引きつらせたまま、冷や汗をかいていた。
粘度の高い宮坂の声は止まらない。
「僕さ……」
「今日……誰よりも……」
「……がんばったよね……?」
ぴく。
(……いつ終わんの?これ)
「ミナたんがさ……」
「ちゃんと見ててくれたなら……」
「それで、いいんだよね……」
「ミナたん……が」
「よしよし……してくれたらさ……」
「僕、安心するんだよね……?」
また、ねっとりとじっとりと空気が重く、ミナのこめかみが、また動く。
その瞬間、杏奈が、静かに一歩前へ出ると、宮坂の視線が、ゆっくりとミナから杏奈へ移った。
「……たざわ、さん……」
杏奈は、真顔で告げる。
「今日で、宮坂さんのイメージ崩壊です」
「クールで、頼りになる人だと思ってました」
「舞台のときは、ほんとにかっこよかったのに」
宮坂の手が、ゆっくり下がった。
「……え?」
「今は、ただの面倒くさい酔っ払いです」
ミナが、腕を組んだまま小さく頷いた。
「これは効く」
宮坂は、ぽかんとしたまま固まる。
「僕……面倒くさい……?」
「はい」
「宇宙一だそうです」
聡志が噴き出し、峯岸が「うわあ」と顔を覆い、ユズが「ナイスや」と笑う。
宮坂は、ゆっくりと空き缶のピラミッドを見た。
「……崩壊……」
ミナがペットボトルを差し出す。
「水、飲みな」
「はい……」
宮坂は、しょんぼりと水を飲みはじめた。
空き缶のピラミッドの前で、さっきまでのカラミはどこへやら、背中が小さく見える。
聡志が、ゆっくりと杏奈を見た。
「ホワイトホールだ」
「ブラックホールが、完全に無力化した」
杏奈が目を丸くする。
「え?」
ミナが、冷静に分析。
「ゆうま制御装置の誕生だね」
「制御装置……?」
「これまで何人も挑んで失敗してきた」
聡志とミナが頷く。
「俺は、逃げ続けた」
「私は物理的に、水を飲ませるしかなかった」
二人同時に宮坂を見ると、まだ落ち込んでいた。
そのときだった。
「……おほん」
わざとらしい咳払いとともに、峯岸とユズが合流する。
「いやあ、さすが杏奈ちゃんやなあ」
「ほんま、救世主や」
ミナが、腕を組んだまま二人を見た。
「二人とも、隠れてたね」
峯岸が即座に目を逸らす。
「人聞き悪いな、安全圏確保や」
ユズは肩をすくめた。
「巻き込まれ防止策やで」
ミナの声は静かだ。
「次からは、前線参加ね」
「え」
「え?」
二人が同時に固まると、その横で宮坂が小さく呟く。
「……僕、面倒くさい……?」
杏奈は、少しだけ困った顔で笑った。
「はい」
「でも、舞台のときは、ほんとにかっこよかったです」
宮坂の背中が、ぴくりと動く。
「……ほんと?」
「ほんとです」
宮坂は少し気を取り直して、水を飲み干す。
さっきまであれほど騒がしかった空気が、嘘みたいに整っていた。
夜風が、時計台の下をすっと抜けた。
杏奈は、少し照れたように皆を見る。
「でも……本当にありがとうございます」
「PLANET LANDが、みんなそれぞれの解釈で重なり合って、あんなに大きな物語になりました」
「私一人では、絶対にできませんでした」
聡志が、軽く首を振った。
「礼を言うのは俺らだよ」
ユズも頷く。
「杏奈ちゃんの台本があったからや」
ミナが続ける。
「皆んなで作りあげられたから」
峯岸は、大袈裟に両手を広げた。
「システム演じるなんて、思いもつかへんよ」
宮坂も、小さく頷く。
「僕らは……あの世界を形にしようとしただけだよ」
最後に聡志が静かに言う。
「全部、杏奈から始まったんだ」
ユズが、ふっと笑うと、峯岸、ミナ、聡志も乗っかった。
「あんな、うちらのサークル名、ずっと仮のままで保留やったやろ?」
「なかなか、しっくりくるもんが無かったもんなあ、やっと決まったで」
「私も、多分みんなと一緒だよ」
「それしかないだろ」
宮坂は黙って頷く。
杏奈も、強く頷いた。
「私もです」
ユズが夜空に手を伸ばす。
「せやったら、せーので言おか?」
ミナの目が、杏奈に向けられた。
「杏奈ちゃんは、恥ずかしいだろうから無理しなくていいよ」
「大丈夫です。私も言います」
全員が、夜空へ向かって腕を伸ばす。
「せーの!!」
「プラネットランド!!」
声が目抜き通りに響き、通りの向こうで片付けをしていた実行委員が振り返った。
久羽乃町
夜の商店街は、ほとんどシャッターが下ろされ、明かりも消えていた。
洋食店「いずみ亭」も、本日閉店の札が下げられ、カーテンが閉められた。
幸弘が客席のテーブルに焼酎のボトルと氷を置き、残りものをつまみに、腰を下ろす。
「仕事にならんから、店じまいしてからやって....」
「わしは、映画や演劇は、目が肥えとるわいな」
「言うても、学生の芝居やろがい」
テレビをつけ、動画サイトの画面を開き、検索欄に、ゆっくり打ち込む。
PLANET LAND。
「杏奈……どんな話を書いたんかのう」
水割りを作り、カラカラとマドラーで氷を回す。
画面には、整然と並ぶ街区。
均質な笑顔。
数値化された感情。
『この世界は、静かに完成しています』
ナレーションは、杏奈の声。
感情の波形が画面に走る。
管理。
適正。
誤差。
幸弘の手が止まり、グラスを口元に運びかけたまま、動かない。
「……なんじゃ」
喉の奥から、声が漏れ、目がゆっくり見開かれる。
「なんじゃ……これは」
再生は、まだ始まったばかりだった。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。