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偽典演舞

ナン・ルーナック

21,280 字

メタフィクション・二次創作

"自らの存在すらも伏線となる、極上のメタフィクション。"

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第五章 千秋楽

一

「私からも少しだけよろしいでしょうか」

 コー・オウジが言った。食べかけのドーナツを、箱の上に置いて。

「命乞いなら聞かないよ」

「命乞いなどしませんよ。それに私、普通に寿命で死にますので」

「そーかい。使う言葉を間違っちゃったな」

「まあまあ。お話、というか確認のようなものなんですが、もうちょっとお付き合いいただけませんかね。私一人とは言っても、一応探偵社なので。それらしいことはしないといけませんから」

 カイは、五冊の背から手を離さないまま、考える。急ぐ理由はない。この男がどこへも逃げないことは分かっている。

「付き合ってやるよ」

「ありがとうございます。ちょっとあなたの原点について聞きたいのですよ。どうしてそこまでして私にこだわるのですか。……ああ、いけませんね。そっちはあまり関係がないのですが、つい」

「つまりは、僕がどうして僕になったかってことかい」

「大雑把に言えば、そうですね」

「じゃあこっちも大雑把に言うよ」

 カイは、ソファーに座り直した。

「村が焼かれた。妹のミーナは、カイおにいちゃんどこ、って僕を探して死んだ。僕は床下に隠れてた。本来なら死ぬのは僕の役のはずだった。ミーナは僕が逃げたせいで配役を変えられて死んだのさ。兄貴分のハルトは勇者になって、ミーナの死は英雄譚の名場面になった。その後、僕は名前だけ持って観る側に逃げた。仇も討たず、誰の人生の登場人物にもならないように、静かに暮らしたよ。死んでからは、ずいぶん長いこと、何も始まらない場所にいてね。戻ってきてから、観測者って役を自分に与えた。そしたら、頭の中に本棚があった。それだけさ」

 コー・オウジは、黙って聞いていた。

「関係ないと言っていたが、サービスしてやるよ。なぜ僕が君にこだわるのか、だ。君の周りじゃ、どんな悲劇もハッピーエンドの伏線になる。誰かが焼け死んだ上に、幸福な結末が建つ。だから負かしたいんだ。その筋書きを」

「どうもご丁寧に、ありがとうございます。少しお待ちくださいね」

 コー・オウジは、机の上の電子端末を引き寄せた。太い指で画面をつつく。何度か、違うところを押しては首を傾げた。

「これ、まだ使い方がよく分からないんですよ。ええと、ここを押して……。前の件の後で、色々な検証士さんに、あなたのことを調べてもらったんです。それから、エルリアックさんにお願いして、今まで書いた脚本のデータを提供していただきました。なにしろ膨大な量なので、すぐには見つからないと思いますが……」

 バチッ、と端末が鳴った。

 画面が消え、細い煙が一筋立ち昇った。

「おや」

 その瞬間を、カイは見た。

 あの男の巨体が、わずかに萎んだ。特注のスーツに、うっすらと皺が寄る。頬の肉が、目に見えて削げた。

 偶然が、動いた。

 消えたはずの画面が、ひとりでに点いた。白い光の中に、文字の列が並んでいる。一つの脚本だった。辺境の小さな村。祭りの前夜。祭りの夜の、魔族の襲撃。

「ああ、ありました、ありました」

 コー・オウジは、少しこけた頬で、にこにこと笑った。

二

「これがそのデータなんですが、一応検証士たちにも裏取りをしてもらっています。いやー、膨大な量だったので、とんでもない数の検証士に協力してもらいましたよ。おかげで今はもう、ほぼ無一文です」

「このビルは買ったんじゃないのかい」

「よく分かりませんが、なんとかなりました」

 またそれか。まあ、好きにすればいいさ、とカイは心の中で舌打ちをする。

「それで、どうですかね、カイさん。あなたがさっき話してくれたことと、内容は合ってますかね」

 コー・オウジが、端末をこちらへ向けた。

 カイは、画面の文字を目で追った。

 辺境の小さな村。兄のように慕われる年上の少年、ハルト。夜に空から声を聞き、急に剣の稽古を始める。客のいない店先で、今年の祭りは忘れられないものになると呟く雑貨屋の主人。祭りの前日、誰かの肩を掴む裏の家の老婆。祭りの夜の、魔族の襲撃。広場へ駆け出す幼い娘、ミーナ。ハルトの腕の中の最期。焼け跡での誓い。

 全部、覚えている。全部、あの夜のとおりだ。

 ただ、すべてが合っているわけではなかった。

「大筋はすべて合っている。というか、"僕に関する設定だけ"が間違っているね」

「おや、そうですか」

「エルリアックの通り名は、本当は『三流脚本師』だったりするかい。一度、彼女の脚本をぶち壊しに行ったことがあるんだけど、その時だって僕のことを誰だか分かりゃしなかったのさ。脚本家なら、自分の作品の登場人物くらい覚えててもいいもんだけどね」

「『三流脚本師』ですか。うまいことを言いますね。ただ、ああ見えて凄い方なんですよ。彼女が作る物語は、いつも正確でエンターテイメント性も高い。脚本を脚本どおりに完璧に上演します。四千世界では結構人気なんです。それに私とは違い、最初から最後までみんなが幸福なハッピーエンドだって描けるんですから」

「どーせそれだって、脚本の外で相当な災害が起こっているんだろ。だいたい結局のところ、ただ操られているだけだ」

「やっぱりアブクドエみたいなこと言いますね」

 コー・オウジは、残りのドーナツを口に放り込んだ。

「まあそれはいいとして。つまり彼女の脚本では、"彼女による"ミスは起こりえません。『蜘蛛男』フロウがたまたまぶち壊したような脚本もありますけど、それだって実は最初から彼女の計画だったなんて説もありますし」

「あーあいつね。確かにこの世界でどーにもならなそうなのは、あいつと君くらいかもね」

「いえいえ、四千世界は広いですからね。とんでもないカイストは、もっといっぱいいますよ」

「ところで、ずいぶんと長い"少し"だね。それともまだ確認作業とやらを続けるかい」

「いや、大変申し訳ない。なにしろ本格的な推理をするのは今回が初めてなもので。少しワクワクしてしまいました。サービスして、もう少しお付き合いください。ええと……また別のデータを読み込まないとですな……」

 砂糖のついた指で、コー・オウジは再び端末の操作をし始める。

 キーが太い指に押しつぶされている間、カイは思考する。

 『蜘蛛男』フロウ。崩れる世界から逃げ出す小舟の外側に、自力でへばりついて渡ってきた化け物。その世界がどんなものだったかは、どこにも書かれていなかった。

 フロウと初めて会ったあの茶屋。正典の余白で読んだことを頼りにカマをかけてみた。「"違う世界"を知ってる側だろ」と。フロウの顔からにやつきは消えたが、何を言われたのかは、分かっていないようだった。

 とんでもないカイスト、という言葉で、もう一人を思い出す。

 『裏の目』ガリデュエ。Aクラスの検証士であり、他人の記憶に干渉できる恐ろしい能力を持つカイスト。

 どうやらフロウはガリデュエに、何らかの記憶をいじってもらったらしい。

 その記憶の中には、崩れた世界に関するものもあったのではないか。

 偽典を増やすために囁きかけた"違う世界"。フロウのいた世界がそれと同じではない、という保証はない。仮に別の世界だったとしても、互いに何も及ぼし合わない、という保証もない。

 フロウに手を出さなかったことは正解だったかもしれない。カイは今になってそう思った。

三

「えー……あー……少々お待ちを。……ああ、ありました、ありました」

「お目当てのデータは見つかったかい」

「ええ。おかげさまで見つかりましたよ」

 コー・オウジは笑顔で答える。

「それで先ほどの続きなんですが、脚本データとは別に、あなた自身のことも調べてもらったんです」

「そうかい。いよいよ探偵らしくなってきたじゃないか」

「うれしいこと言ってくれますねえ。ところがその報告を見て私、少し妙だなと思ったんですよ」

「へえ。どのあたりが」

 コー・オウジが端末の画面をこちらに向ける。

「能力発現の前と後で、あまりにも人格や行動が違いませんか。最初の原点と今の動機が、ずいぶんとかけ離れたものになっているように思えまして」

 カイは何も答えなかった。

 そして、カイ自身もふと違和感をおぼえた。この男は、こんなふうに人を問い詰める男ではないはずだった。正典の地の文には、その感覚や思考力が一般人の平均並みだと書かれていたはずだ。

「そもそも能力の発現自体、都合が良すぎませんか。……いや、私自身のことがありますし、アブクドエの前例もあるので、一概にはそうと言えませんが」

「君の言うとおりだね」

 浮かんだ違和感をぬぐい取り、カイは肩をすくめた。

「結果的に、こうなっているんだ。どうして、なぜ。結果の方から手繰ったら原因が分からないことなんて、世の中には溢れているだろう。君なら、よく知ってるはずだ」

「まあ、そう言われるとそうなのですが」

 コー・オウジは、困ったように頬を掻いた。少しこけた頬だった。そして続ける。

「で、先ほどあなたは、"僕に関する設定だけ"が違う、とおっしゃいましたよね」

「ああ。そうさ」

「ほんとにそうなんですよね」

 太い指が端末を操作し、エルリアックの脚本データをもう一度読み込む。そして表示された脚本の一行を指した。カイが、合っていないと思った行の一つだった。

「"ミーナさんのお兄さん"は、確かにいるんですよ。名前も違いますし、床下で絶望のまま焼け死んだ、となっていますが」

 床下で。

 焼け死んだ。

「……つまり、何が言いたいんだい」

「うーん。私にもよく分かりませんが」

 コー・オウジは、端末を自分の方へ引き戻した。

「エルリアックさんが間違えないのなら、間違えたのは別の誰か、または何か、ということになりますよね」

 カイの指先が、膝の上でわずかに強張った。別の誰か。何か。その言葉が、うまく飲み込めなかった。

「それから、ちょっとご都合主義な推理、とはなってしまうんですが」

 なんだ、この寒気は。まるで魂を、知らない何かに撫でられるような……。

「例えるなら……そうですねえ……。『天上脚本師』エルリアックに、ざまぁしたい。~復讐者の誕生を狙って勇者誕生シーンの脚本を書き換えたら、現実改変能力を持った観測者が生まれちゃいました~、というような」

 寒気が、皮膚の内側へ沁みてくる。自らの芯が、何かに侵食されている。

「……ちょっと例えを今の流行に寄せ過ぎた気もしますな。ともかく。あなたの原点は、こんな感じの物語の第一幕だった、とかですかね」

 コー・オウジは、そこで一度言葉を切り、手元の端末に目を落とした。太い指が、画面の縁を、とん、とん、と二度叩いた。

「もちろん、あなたの記憶がでたらめ、という可能性もありますが、まあ、それを言い出したらきりがないので止めておきましょう」

四

「僕が操り人形だって言いたいのかい」

 カイの声が、低くなった。

「操る側の君が、そう言うのかい。ずいぶんとバカにしてくれるね。あの敗北の後、僕は自分の意思で、自分の力で、ここまでやってきたんだ」

「またホンモノより劣化したことを言っていますよ。アブクドエは、その自由意志さえ疑っていましたからねえ」

「ふざけるな……またそれを……」

 二番煎じ。あの夜、この男に言われた言葉が、まだ耳の奥に残っている。それを、また。

「まあつまりは、あなたも何らかの大きな意思、いうなれば世界の意思として、物語に組み込まれているのではないですか。ああ、正確に言えば"違う世界"の、ですか」

 コー・オウジは、空になったドーナツの箱の蓋を、丁寧に閉じた。

「あの村のことを……あなたは、正典に書かれていない隙間で起きたことだと思っていたのではないでしょうか。どうにも、違う気がするんですよね。あなたの言う正典には、あなた自身が一度も出てこない。そのことについて、深く考えたことはありましたか。まあ、本当のところどうなのかは、私には分かりませんが」

 カイは、答えなかった。

 正典の棚を、何度も読み返した。この世界で起きたことは、全部そこに書いてあった。あの男のことも、あの戦争のことも、アブクドエのことも。

 自分の名前は、どこにもなかった。

 そんなことは、知っていた。正典が書かなかった隙間であっても時間は流れている。むしろこの世界のほとんどは、あの正典では語られていない隙間なんだ。それだけのことだと思っていた。

「……言いたいことは済んだかい」

「どうでしょう。今回は、なかなか探偵らしくできたと思っていますよ」

 カイは、立ち上がった。頭の中の図書館で、五冊の背を、今度こそ掴む。

「お前に、極上の悲劇を降ろしてやるよ」

「あー、あんまり成長していませんでしたか」

 コー・オウジは、残念そうに言った。それから、いくらか肉の落ちた顔のまま、いつもの福々しい笑顔に戻って続けた。

「究極の絶望は、ハッピーエンドを迎えるための最高のスパイス。……物語のお約束、ですよ」

五

 その瞬間、カイの手の中で、五冊が消えた。

 掴んだはずの背の感触が、指の間から抜け落ちる。図書館の書架から、選び抜いた悲劇の物語たちが、一冊、また一冊と消え去っていく。痩せ細る幸運王。万民の幸福。二人の依頼人。陳腐な結末。最後まで指の間に残っていたのは、『誰かが払う』だった。その背表紙も、霧のように薄れて、なくなった。

「……ばかな」

 降ろしてもいない。再現の途中で打ち破られたわけでもない。それなのに。

「何が起きてるっ」

 叫んだ時には、目の前の男の巨体が萎んでいた。五冊が消えたのと、同じ瞬間に。特注のスーツが肩からずり落ちかけ、頬の肉が一気に削げ、首に皺が寄る。さっき端末が点いた時とは、比べものにならない減り方だった。

 コー・オウジは、痩せた顔で、困ったように笑った。

「そのセリフは、一度使っていませんでしたか」

「お前が与した陣営は必ず勝つんだろっ。ここで俺が負けるのは、物語に反するじゃないかっ」

「どうしてこうも毎回、アブクドエと同じことを言うのですか。その物語に打ち勝つために、ここに来たのでしょう。ちなみに私は、まだあなたの依頼を正式に受けていませんよ。ほら、今までも、依頼を受けるための確認作業中ですしね」

 コー・オウジは、ずり落ちかけたスーツの襟を、両手で直した。

「こうなってしまっては、もうあなたに勝ち目はありませんね。さようなら、カイさん」

 頭の中の図書館が、軋んだ。

 偶然は、カイの図書館の中にまで入り込んでいた。違う世界とつながっている、その場所にまで。カイには、それが分からなかった。

 見渡す限りの書架の、どこでもない場所に、二冊の本があった。

 いつからそこにあったのか、カイには分からなかった。降ろした覚えも、読んだ覚えもない。ずっとそこにあったのに、ずっと見えていなかったのだ。その二冊が、今、ほどけるように消えていく。

 消えていく間だけ、背表紙の文字が読めた。

 『偽作演舞』。

 『偽典演舞』。

 ああ、とカイは思った。

 観測者という役。自分で選んだはずの、その役。床下の暗さ。焦げた匂い。カイおにいちゃん、と呼ぶ声。今日ここへ来るまでの一歩一歩。

 全部、あの二冊の偽典だったのだ。

 ミーナがあの脚本の中で、最初から死ぬと決まっていたことに、カイは最後まで思い至らなかった。自分が逃げたからではなかった、ということにも。

 自分は、観ていたのではなかった。最初から、物語の中にいた。誰かの筋書きの一行どころではない。自分そのものが、筋書きだった。

 僕の歩んできた道は、正典の隙間ではなくそもそも偽典だった。そりゃそうか。物語の中の登場人物が、本当の意味でそれを理解する。そんなことはありえないもんな。

 よかった。悲しんでいたミーナも苦悩していた僕も、どこにもそんな存在はいなかったんだ。

 今度の闇は少しだけ心地よかった。

 カイは消滅し、その物語はそこで終わった。

 事務所には、痩せた男が一人、残っていた。

 ぶかぶかになったスーツの袖をまくりながら、コー・オウジは、カイが座っていたソファーを眺めた。そこにはもう、誰もいなかった。座っていた跡さえ、残っていなかった。

「おや」

 コー・オウジは、首を傾げた。

「何か変わりましたね。どうも、普段言わないようなことも言ってしまった気がしていたんですよ」

 机の上の端末は、もう何も映していない。端にある依頼書は、白いままだった。コー・オウジは空のドーナツの箱を覗き込み、どこか寂しそうに蓋を閉じた。

「久々に、あんまりハッピーじゃない終わり方でしたね。まあ他の何かにとっては、これもハッピーエンドなんでしょうけど」

 その後、コー・オウジは受話器を取り、細くなった指で番号を押し始めた。

「もしもし。ピザの出前をお願いしたいのですが。ええ、三十人前ほど。それでは、よろしくお願いいたします」

 受話器を戻した男は、次に寿司屋へと電話をかけ始めた。

── 第7章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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