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新皇帝陛下の蛮族平定の御親征において第八軍団アウグスタ及び第二十軍団ティベリウスが合流予定時刻を過ぎ未着の議

お話を聞かせて

177,721 字

古代ローマ風政治軍記、権謀術数渦巻く帝国年代記

"小人はただ、生き延びたい。帝国の巨大な歯車の中で、己が魂を賭けて。"

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 第六話 生者を得ず

 周囲には傷を負った兵士たちが倒れていた。周囲の枝は折れ、土塊がえぐられている。駆け寄ろうとして何かに足を取られる、足元の草叢に隠れて剣を握ったままの腕が転がっていた。倒れ伏した兵士たちの姿は広範囲にまたがり、抗戦とも撤退とも言えない混乱した現場の状況が窺えた。
アルビウスは中隊の兵士を押しのけて倒れた者たち一人ひとり肩を揺さぶり、声をかける。
「お前たちの主アルビウスだ、何があった、目を開けろ!」
 しかし誰一人答える者はいない。
 惨状を目の前にしたことで俺は作戦参謀少佐としての職能を急速に取り戻しつつあった。
 彼らの鎧には幾筋もの刃物の跡が残り、体は戦傷で血に染まっていた。顔からはすでに血の気が失せている。血の匂いは森林の呼気に取り込まれて鼻につかない。
 中隊を指揮する少佐は半数で円陣を形成し、残りを警戒のために周囲に散らばらせた。これは当然の処置だ、敵がこの周辺に残っている恐れがある、兵士たちは自分たちが戦場に突入したことを理解し、剣を抜いて森の奥に目を凝らす。コルシュも流石に状況を理解していると見えて、剣を構えているが、練度不足で周囲の兵士たちから甚だ浮いている。
 中隊の兵士が数人、コルシュを庇うように前に立った。義侠心によるものか、コルシュのあどけない顔立ちに劣情を催して頼り甲斐があるところを見せようとしているのか、なんにせよコルシュが守られるのは有り難い。
 アルビウスは立ち上がり天を仰いだ。
「敵は同胞の死体だけ回収し撤退したのだろう。もうここに敵は残っていない……」
 少佐は同意を示して頷いた。
「我々も戦死した兵士達を収容して帰還しましょう、情報を伝えなければ」
「ああ、お前たちは主に事の次第を伝えなければならないからね」
「……今ここでは中将が我らの主です」
「よく分かっているようだね」
 アルビウスは少し放心した様子だった。まさか、麾下の兵士達の死に心痛を受けたというわけではなかろうが。
 俺は本来の職責を果たせることに不謹慎ながら少し安堵していた。状況の把握のための行動を開始する。
 確かに彼らの傷は激しい戦いがあったことを示している、敵にも少なくない死傷者があったはずだ。敵、おそらく未平定の蛮族は斥候部隊の死体には目もくれず、仲間を回収しこの場を去ったと考えられた。兵士の遺物に手を出していないのなら、目当ては物品ではなく命そのものだ。
 俺は兵士たちの傷口を確かめた。筋肉を切断し臓器まで届く分厚く抉られた傷が随所に見受けられた、この手の傷は剣よりも重量のある斧によって出来やすい。侵攻先のルギイー族は神話的由来のために剣より斧を好むと聞くが、これだけで襲撃者を特定するのは早計だろう。帝国の兵士達だって森林斥候の際は手斧を頼りにするものだ、実際、帝国の紋章が刻印された血濡れの手斧が周囲には散乱していた。先頭の兵士は剣を抜かず手斧を持ったまま交戦したのだろう。
 中隊の兵士たちの脇を通って踏みしめられた大地と折れた草木を確かめる。斥候部隊は、前方と右手方向から襲撃を受けたと推定できた。定石なら正面の部隊が注意を引いて、右手から第二波が奇襲だ。もし逃げのびることができた兵士がいるなら斜め左後方か。
 襲撃現場から少し外れてあらゆる感覚の目を光らせながら周囲を確かめる。何の変哲もなく見えるが地面に手を突き注意深く辺りを窺う、すると、
「これは……」
茂った枝葉に乾きつつある血の汚れがある、その先は分かりづらいが人が通った形跡があった、俺は木々の枝を払ってその跡を追おうとした、
「少佐、どうかされましたか」
 親衛隊の兵士が声をかけてきたので、十名、俺の後ろをついてくるよう指示する。百歩も歩かないうちに、人影を認めた。慌てずに一歩一歩近づく。帝国式甲冑を身に纏った中年の骨格の逞しい女が樹に寄りかかっていた。女はこちらを見ずに、星のない夜空を見上げている。だが、目には生の光、とても弱いものだが、があった。彼女の足元には血に染まった剣が転がっていた。
「生存者発見!」
 親衛隊が本隊に向けて叫ぶ。
 俺は跪いて声をかけた。
「帝国軍ハヤシ少佐だ、まだ息はあるな」
 女はせき込んだ、口の端から血の筋が流れる。手で腹部を抑えているが負傷がとても深いものであることは傷口を見ずとも分かる。
「お前はもう助からん、何があったか報告しろ。帝国軍人の義務だ」
 彼女は目をかっと見開くと、片手で俺の胸倉をつかんだ。
「参謀本部の中佐が……蛮族と接触していた……私たちは口封じ……」
 女の手から力が抜ける。その目は永遠に光を失った。
俺も、足腰から力が抜けそうだった。
 合流地点の宿営地に参謀本部から派遣されたのは俺とエンヴィル、彼女は中佐だ。
 俺の脳内には二つの考えが分離し並行して駆け巡った。一つはまさか、ありえないという感情的な奔流、だがもう一方で兵士の証言とエンヴィルの行動を突き合わせる。エンヴィルのこれまでの振舞を考える。
彼女は中将のどちらかが主導権を握るのを妨げた、これは視点を考えれば蛮族に利する行為だ、会議の時間以外は姿を消す、その時間に蛮族と接触をし情報を流していた?
 俺は頭を掻きむしった、エンヴィルは遅延している二つの軍団の進行ルートも知っている、だが、だが、参謀本部に配置される将校は特別厳重に身辺を調査される。蛮族との関係が疑われれば、確証がなくても参謀本部に配属されることはない。つまり、エンヴィルが内通者なら、金や貢ぎ物につられて、蛮族に情報を流したなどという単純な動機ではないのではないか……。
「おい、生存者はどこだ!」
 アルビウスが枝葉をかき分けて姿を現した。俺は何も言わず、代わりに親衛隊が答える。
「たったいま、亡くなり……いえ、戦死しました」
 それから、兵士の最後の言葉を伝える。
 アルビウスは叫んだ。
「内通者か、笑わせろ!」
 彼女は土や血で汚れるのも構わず跪き、死んだ兵士の手を握りしめた。
「お前の献身を私はけして無駄にしない」数秒の瞑目の後に立ち上がる「コホルスは遺体を回収しろ、親衛隊は私についてこい、裏切り者をつるし上げてやる」
 強行軍で宿営地に戻るつもりだ。アルビウスは疲労を忘れて森を駆け抜けるだろう。俺は中隊の少佐に小声で話しかける。
「申し訳ないが私の従卒を頼めないか?」
「分かった、頼まれよう」
 少佐は嫌な顔をせず頷いた、微かに好感を持つ。コルシュに目配せすると彼は俺に敬礼した。

 陣に戻った我々は哨隊に騒がないよう口止めをした後、エンヴィルの幄舎の様子を探った。
 ドルススが報告する。
「エンヴィルの幄舎には従卒しかいません」
「ハヤシ少佐」アルビウスは落ち着きを取り戻して俺に問いかけた「お前はどう考える」
 アルビウスが参謀本部の人選の誤りを言い募って、俺を責めないのはせめてもの慰みだ。
「もし中佐が彼女の幄舎にいないのであれば、食料や備品を保存している天幕に姿を隠しているのではないでしょうか」
「聞いたな。エンヴィルの幄舎の見張りに数人残し、残りは備蓄品の天幕を探れ、気取られるなよ」
 親衛隊は散って行った。
「エンヴィルを捕まえたとして、彼女は素直に情報を吐くかな」
「それは困難を極めると考えます。参謀本部将校は対尋問訓練を施されていますから……」
「やはり」アルビウスは腕を組む「奥の手を使うしかないな、私の軍人生命を賭けることになるが」
 俺はアルビウスの正気を疑った。彼女の言う奥の手に心当たりがあったからだ。それを追認するとこちらの身が危うい、話を逸らす。
「中佐の従卒に事情聴取をしてはいかがでしょう、中佐本人を尋問するよりも遙かに容易かと」
 アルビウスは頷いた。
「そうだな、ハヤシ少佐とドルスス、後二名ついてこい」
 アルビウスは俺達を引きつれ、幄舎に入り込んだ。
 エンヴィルの従卒は椅子から立ち上がって敬礼する。
「アルビウス中将、度々の御来訪のところ申し訳ありません。エンヴィル中佐は席を外しております」
「中佐が裏切った」アルビウスは気だるげな雰囲気を取り戻して言った「このままだとお前も連座して処分される、しかし、今この場で何か情報提供をしてくれるなら、私の権限で不問にしてあげる。中佐と一緒に縛り首に合いたいなら黙っているといい」
 アルビウスは従卒に心構えを作る余裕を与えず先制攻撃を加えた、彼は絶句していた。
「これはお前に対する慈悲だよ。そこのところをよく考えて」
「しょ、小官は何も……」
「分かった、さようなら」
 アルビウスはそれ以上何も問い詰めることなく、天幕を出て行こうとした。それを目にした従卒は白い顔から更に血の気を引かせた。この先に待つ自分の未来を想起したのか。
「お、お待ちください」
「何かな」
「小官はエンヴィル中佐に仕えて三年です。中佐は小官に心を開かれているわけではありませんし、裏切りとやらのこともまったく聞いていません」
「今のところ」アルビウスは冷静だ「お前を助命する価値のある情報はない。これも因果と諦めて絞首台に上れ」
「しかし……一つ心当たりがあります。中佐はアナトリア属州の帝国統治について意見のある若手将校の私的懇親会という集団に参加しておりました」
 俺は嫌な予感がした。私的懇親会の名前だけであれば穏当な集団のように思われるが、何かを企む組織も疑いを避けるために当たり障りのない名称を語るものだ。
「その集団は、寄り集まって愚痴言いながら酒を飲むだけなのかな」
「いえ、中佐から詳しいことは聞いていませんが、帝国のアナトリア属州の統治について議論するという事でした」従卒は唾を飲み込んで続けた「小官は隣室で議論について微かに耳にしたことがあります、その時は帝国からのアナトリア独立について論じておりました……」
 アナトリアは古くからの帝国の属州でありながら、独自の文化を維持する、言ってしまえば帝国への同化を拒否している地域だ。独立のための地下組織が何度も摘発されている、かの地に反帝国の感情を持つ人間は少なくない。エンヴィルが独立主義者であるのならば嫌疑は深まる。
 俺はアルビウスの横顔を窺った。その顔には斥候隊の全滅を目撃した時にも見つけられなかった動揺の色がある。
「……分かった、お前の生命は保証する」
「よろしくお願いいたします」
 従卒は地に倒れ伏す勢いで頭を下げた。
「何名か残って幄舎を探れ、エンヴィルが何か証拠を残しているかもしれない……その可能性は低いが」
 幄舎を去る間際、アルビウスは振り返り従卒に問うた。
「前のエンヴィルの従卒は?」
「はっ、中佐がアフリカに在任中に伝染病で亡くなったと聞いております」
「……エンヴィルはアフリカにいたの?」
「中佐はアフリカ勤めが長く、以前は第三軍団の参謀を務めていたと聞いております」
 俺とアルビウスは顔を見合わせた、気まずい沈黙が俺たちの間に漂う。俺も彼女も最悪の可能性が脳裏によぎったのだ。
 天幕を出たアルビウスは重々しく口を開いた。
「まさかの事態が立ち上がってきた。どう思う少佐?」
「確かだと証明されたことのみを真実としろ、情実によって判断を誤ること勿れ。参謀本部将校の戒であります。小官はこれを守りたいと」
 俺は原理原則を愚直に答えることで回答を避けた。しかし、俺の精神は悲鳴を上げている、心理的な限界が近いのを自覚せざるを得ない。
「私もその戒に習おうか……アフリカ在勤、第三軍団勤めがただちにエンヴィルとあのお方を結びつけるものではない」
「御意」
 俺は心で深く頷く。まったく、ただの偶然であって欲しいものだ!
 親衛隊の兵士が駆け寄って小声で告げた。
「発見しました、遠巻きに監視しております」
「ああ、すぐ行く」彼女は凄絶な笑みを浮かべた「さあ、ハヤシ少佐、奴に裏切りの代償を支払わせようではないか」
 俺はこの先に待つものを想起して、暗鬱な気分になった。

── 第7章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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