第一章
「正しいことと、悲しくないことは違うよ」 あの夕暮れの断崖絶壁で、システム(国家権力)に依存して憐仁郎を排除した直後、桃太郎が両親に告げた言葉。それは、家族の平穏と引き換えに選んだ「合法的な排除」という名の、あまりにも苦い敗北の味だった。 平穏が戻ったはずのお茶の間は、どこか冷えていた。おじいさんは自分の拳を見つめて黙り込み、おばあさんは夜、誰もいない台所で、憐仁郎との出来事を思い返すように静かに泣いていた。 「桃太郎……私たちは、本当に正しいことをしたのかねぇ」 システムに依存して誰かを切り捨てる。その欺瞞を一番深く受け止めた桃太郎は、ある朝、薄藍色の古い防寒着を羽織り、家を出た。 「内側から、あの治安維持隊を変える。そうしなきゃ、僕たちの本当の笑顔は戻らない」 それが、過酷な茨の道の始まりだった。
治安維持隊の入隊試験。精神汚染チェックの面接室で、のちに桃太郎の補佐官となる老治安官が、冷徹な目を向けた。 「不合格だ。お前の武力は一級品だが、『罪人の背景にある痛みに寄り添う』などという甘さは規律を曇らせる。我々に必要なのは、神の法を執行する精巧な歯車だ」 「甘さではありません」桃太郎は老治安官の冷たい目を真っ直ぐに見据えた。「それを無視した正義が、どれだけ人を傷つけるかを知っているからです。僕はそれを変えに来ました」 桃太郎の「誰も傷つけない包囲の陣」の実力を組織が利用するため、最下層の「犬(ポーン)」の階級として入隊は許可されたものの、待っていたのは地獄のような日々だった。それでも、辞めてしまえば、何も変えられない。その一心で働いた。
「犬」として過ごした日々は、桃太郎の精神を毎日すり減らしていった。 小さな未練で愚痴をこぼしただけの魂。現世の諍いを思い出して口論になった恋人たち。「不適格者」をあぶり出し、地獄へ強制送還する汚れた任務の連続。最初は「彼らはただ、少し心が疲れているだけです!」と上官に噛みつき、そのたびに冷たい独房送りにされた。 だが、恐怖だったのは、人間性の痛みへの感覚が徐々に麻痺していく自分自身だった。 (今日も、目の前の人間の涙をただの「エラーデータ」として処理してしまった……) 効率よく書類にハンコを押し、より多くの「罪人」を切り捨てるほど、上層部からの評価は上がり、次の階級への道が開ける。あそこの不適格者を厳罰に処せば、より中枢のデータにアクセスできる――そんな打算が頭をよぎった瞬間、桃太郎は自分がかつて憎んだ「冷徹な国家権力」そのものに成り果てていることに気づき、兵舎のベッドで一人、声を殺して自分の両手を激しく震わせた。 「誰かを救うために、僕はまた、別の誰かを踏みつけて階段を登っている……」 誰もいない真夜中、極限の過労とストレスで視界が歪み、かつて自分が切り捨ててきた無数の亡者たちのうめき声が耳鳴りのように脳裏を駆け巡る。犬・猿・雉の毛並みを抱きしめながら、狂いそうな矛盾の中で、彼は夜な夜な兵舎の片隅で世界の構造そのものを変えるための「新しいシステム改革案」の設計書を密かに書き溜め、数年間、泥をすすりながら「将(ナイト)」へと這い上がっていった。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。