・6/Fügung≠qadar:因果は量れない
「ねえ」
と、声にしたものの、聞きたいことがありすぎて、言語として整わない。
矢継ぎ早に聞きたいことだけ聞くのも、いくらヴィザーゴさんでも迷惑だろうし。
くすっと、いつもの声がして、愉しそうなヴィザーゴさんと目が合う。
「ならば、行こう」
どこにですか?!
加速装置!って、聞こえた気がする。
空耳だけど。
奥歯ぎゅっとして、光ってないよね?
頭に直接響く、ヴィザーゴさんのくすくすとした笑い声。
このヒト、ずっと笑ってるよね。
ぎゅんぎゅんと空を駆ける体。
流れる景色は、殆どは暗闇に覆われているけれど、星が勢いよく去っていく。
や、あたし……を抱えたヴィザーゴさんが、進んでるんだけど。
そうして着いたのは、見知ったマンションのベランダだった。
あたしの、明楽と暮らしていた部屋。
ヴィザーゴさんは、ベランダに静かに下ろしてくれた。
――? 見知ったマンションではあるけど、何かが違う。
違和感。
知ってるのに、違う。
何が違うんだろう?
――ああ、目に入ったカーテンが違うんだ。
あたしが、悩んで選ばなかった方。
それだけでもないけど。
夜だし、よくわかんない。
ヴィザーゴさんが、指を回す。
指先から出る光の帯は、サッシを通り抜けて鍵を外す。
体ごとすり抜けるとかではないのですね。
「それをすると、分子構造を分解して……」
あ、いいです。
ごめんなさい。
「くすっ。ちゃんと知りたいとか思わないの?」
「理科の授業は今さら聞きたくないし、知ったところであたしにどうこうできることではないのでしょう?」
「ま、そうだけどね」
鍵を開けてくれたサッシを、手で開ける。
あれ?いいのかな?
ベランダから来訪って……ま、自分の部屋か。
ベランダで靴を脱いで、部屋に入る。
「ヴィザーゴさん、靴脱いでよ」
と、念のため。
ほら、なんで?って顔してる。
そういうもんですって。
「郷に入っては郷に従う、のです」
「Si fueris Romae, Romano vivito more.ってことだね」
「多分そうです」
ヴィザーゴさんは靴を脱いで部屋に足を踏み入れた。
……?
自分の部屋と言い切れるのに、自分の部屋じゃない。
違うあたしに渡したからか?
んー。でも何日も経ってないよね?
ヴィザーゴさんはにこにこしてるだけ。
あ、違和感の正体その二が出てきた。
お気に入りのソファー。
高くて迷っていた時に見つけていた、安価な方が据わって……うわっ!
そのソファーには、疲れきった顔をした旦……明楽が腰を掛けていた。
わりかし、ベランダから堂々と入って来たあたしたちを、気に留める様子もない。
どこも見ていない目からは涙が流れ、拭おうともしていない。
「ごめんよぉ……ごめんよぉ……ここから飛び降りるなんて……」
時折、紡がれる謝罪。
ああ、この明楽は、もう一人のあたしの明楽なのか。
今更だけど、泣いてるじゃん。
今更だけど、後悔してる。
今更なんだけど。
「何でこっち?」
「同じ層にいたから」
まあ、これはこれで。
層とやらには、各々にあたしがいて、明楽もいて、似て非なる生活をしてるのかなと悟った。
ふわっと身体が浮かんで、ヴィザーゴさんの腕の中に収まる。
「アキラは聡いねえ」
「頭良かったら、こんなことにはなってないと思うけど」
くくっと、結構大きな声を出すヴィザーゴさんだけど、明楽にはまるで聞こえていないようだ。
ヴィザーゴさんに抱っこされて、目線が上がって、壁に飾っていた写真を見付けた。
あたしも同じ様にしてたっけ。
ヴィザーゴさんは、明楽の前を堂々と横切り写真の壁まで連れてきてくれた。
見えないもんなんだな。
見たいものしか見えてないって、漫画の中だけと思ってたよ。
「そうだねぇ」
ヴィザーゴさんは、短くそう言った。
壁の写真は、あたしが飾ったものと同じだった。
結婚式と、お互いの両親の写真。
お父さんとお母さんを見るとさすがにぐっとくる。
ただ、こちらのお父さんの火傷は顔や首にもあって、あたしのお父さんより広範囲だと感じた。
そして、ウェディングドレスのあたし。
あたしの着たかった、デコルテの見えるドレス。
火傷を隠す様子もない。
彼女の火傷も、あたしより大きかった。
こりゃ敵わないな、と笑いが出た。
「ちょっといたずらしてもいいかな?」
と、ヴィザーゴさんが指を回す。
光の帯があたしを包む。
……こういうことは、あたしを床に下ろしてからやるべきではないのかしら?
ヴィザーゴさんの腕の中で、あたしは大人になっていた。
しかも、モンロードレスで。
伸縮自在なんですかね?
「幻だからね」
その言葉に手を見ると、闇を透かしていた。
体の感覚はあるのに、透けている。
変な感じ。
床に降り立った足には、ちゃんと床の感覚があるのに、視覚の中に足がない。
あれ?これって幽霊じゃん?
明楽がじっとあたしを見ている。
「……あ、ああ!メ……」
明楽が手を伸ばした瞬間、目映い光に囲まれた。
「サービスタイム、終了」
光から抜けると、フォルティオさんの館。
部屋の隅では、ルーモさんとヴェーロさんが獣の姿で、踞っている。
ひょこひょこと動く、ルーモさんの尻尾。
いつか絶対、触ってやる。
「あれだけ?ホントに意地悪だなあ」
「悪魔だからね」
ヴィザーゴさんは子供の姿のあたしを、ベッドの上に下ろす。
「別段眠る必要もないけど、寝ようか」
「んと、必要最低限、この体の取説はないのですか?」
「好きにしたらいいよ?何とかなるし」
何とかって……その度にルーモさんやヴェーロさんに迷惑かけそうで悪いんですけど。
「全身に体重かけて何か殴るとかしなきゃいいんじゃない?」
……ダメならダメって、言ってくれたらいいじゃない。
「したかったんでしょう?なら、すればいい」
「ヴィザーゴさんて、優しいね」
「んー?優しくはないよ。悪魔だからね」
その言い回し、気に入っておられます?
「アキラにはばれるね」
ヴィザーゴさんは、子供みたいにペロッと舌を出した。
んー……どこまでも美人だな。
そうだ。
「ねえ?層ってこんな感じなの?」
拳骨を作って、手の平を被せる。
手の平をちょっとずつ持ち上げて……これでわかるか?
「それなら外側が、月に着いちゃうねー」
断層ではないのか。
「アキラ、言ってたじゃない。見えないものは見てないって。それだよ」
よくわかんないな。
同じ地表に、いくつかの世界があるってこと?
「そんな感じ」
……ふうん。ソウナンダー。
「ふっ。そうですよぉ」
にこにこと微笑むヴィザーゴさん。
眠る必要はない、ってさっき言われたけど、なんだか、うつらうつらしてきた。
「Bene dormi.アキラ」
おやすみ、って聞こえた。
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エントランスを出て、誰に泊まらせてもらおうかとスマホを出したその時だった。
どさっと、何かが落ちてきた。
なんだ?
スマホを取る為に止まってなかったら、俺にぶつかってたぞ。
ったく、何だよ。
メルに浮気がばれた。
ほんの出来心。
高校からメルと付き合って、そのまま結婚しちまったから、つい……新卒の、若い子が俺の一打席を見てたって言うから、つい。
言い訳にもならないし、自分が悪いから、真っ直ぐなメルの視線に堪えきれなくなって、売り言葉に買い言葉で怒鳴り付けて出てきてしまった。
落ちていたのは、メルだった。
目が会った。
涙みたいな血を出して。
鼻水みたいな血を出して。
メルがいた。
駆け寄って、抱き上げて。
名前を呼ぶけれど、まるで反応が無くて。
抱き締めて、
どんどん冷たくなっていくメル。
どんどん白くなっていくメル。
何故、俺は部屋を出たのだろう。
部屋にいたら、こんなことにはならなかったんじゃないか。
俺は、ぴくりとも動かないメルを、抱き締めることしか出来なかった。
それから、何があったろう。
靄の中で周りだけが慌ただしく動いてた。
耳に入る言葉と、自分を動かす機能と、自分が別々に働いていた。
自分が何をしていたか。
何を答えたか。
そんなことより、メルを返してくれと思った。
真っ暗いマンションに、月明かりだけが照らす。
メルのお気に入りだったソファーに沈んで。
こんなことなら、高い方を買えばよかったな、とかどうでもいいことが頭を回る。
「高い方も後ろ髪は引かれるけど、ゼロの数が違いすぎる……!」
何て言ってたけど、頑張ればどうにかなった。
「その分で、ちょっと良いお肉でも食べようよ」
とか言ってたけど、未練は感じてた。
安い方で良いなら、それで良い。
とだけ思うことにしてた。
ベランダが開いて誰かが入ってきた。
火事場泥棒か?
五階だぞ。
そんなわけないか。
やけに背の高い、現実離れした男。
男だよな。
白い顔に、赤い唇が闇に浮かんで。
ゲームに出てくる悪魔か死神みたいだな。
メルを迎えに来たのか?
「そんななまっちょろいやつが好きなのか?」
「なまっちょろくないよー強いんだよ」
「……俺も漂白するか?マイケルみたいに」
「嫌だ、気持ち悪い」
なんて、笑ったっけ。
笑ったのに。
笑ってたのに。
「分かった。異世界に行く」
なんて、突飛なセリフ。
メルらしいけど、修羅場だぞ。
「流行りでしょ?異世界」
「おまえ、頭大丈夫か?」
「死んだら行く天国とか地獄とか。実は異世界なんじゃないかって思うのよね」
「あたしね、あなたのこと好きなのよ。だから、あたしを好きじゃないあなたはもういいかなって。一緒にいなくてもいいのかな、って思うのね」
「あなたの居ない所……ここじゃない、どこかに行きたいのよ」
ここで、俺は投げた。
メルが何を言いたいのかさっぱりわからなくなって、「好きにしろ!」って部屋を飛び出した。
白い男の腕に、柔らかい光を纏ったメルが現れる。
戻ってきたのか!
手を伸ばした瞬間、消えた。
罪悪感が拵えた幻か?
それとも、死神がメルを連れていったのか?
メルの体はまだ病院なのに、ここから連れていくのか?
ベランダのサッシから、冷たい夜気が流れ込んでいる。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。