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Well-Tempered─言語監査人─

奥井晴弥

47,607 字

SF文学、倫理ドラマ

"言葉の海に漂う「私」の輪郭。技術と倫理の狭間で、記憶と喪失を調律する物語。"


死者のデジタルツインが公的管理下に置かれた社会。
言語監査士・水沢琴は「高技能調律士」の専門チームで働く。
依頼者の訴えに応じ、故人の応答フィルターを診断し、本人性を許容範囲に保ち続ける。──「父が戻ってきた」と遺族が感じる状態を維持する──
だが、維持しているのは故人本人の人格ではなく、生者が本人として受け止め得る出力である。
死後の言葉は誰のものか。「本人らしさ」を選ぶのは誰か。
琴は制度の論理に従い「できるけれどしない」を選び、それぞれの依頼者と、そして故人が、琴に問いを置いていく。
制度による死者の言葉の所有と、その弔いのあり方を描く連作。

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第八話 川と海

朝、言語監査庁の自席に着いてすぐ、私はIDを入力する。
生体認証のサインが一瞬光り、自分の名前が表示される。
【水沢 琴:言語監査士Ⅲ類 登録番号 0000104】
画面に通知が表示される。

夜のうちに自動巡回が拾った案件と申し立てがいくつか、私の担当として割り振られていた。
優先対応案件の一番目を見る。

申立人:神保美和。四十二歳。私立大学准教授。
故人ツイン:八木律子。享年八十一。日本語学者。没後四年。本名:佐久間律子。
私は、故人ツインの名前を見て、少しのあいだ動けなくなった。

申立人の文面を開く。
──最近、先生の生前のご判断と、何かが違う、と感じることが増えています。
それだけが書かれていた。
本人性指数は〇・八八。
応答ログ生成経路のグラフィックを確認する。経路は均一に太い。特定の語彙群への偏りも、見当たらない。データ上は、ほとんど問題がない。
橘さんが、隣の席で軽く会釈した。
「水沢さん、神保さんの申し立ての件。八木律子先生って」
「ええ」
「佐久間さんの、お母様、ですよね」
「ええ」
「水沢さんも、ご存知の方ですか」
「学生のころ、八木先生の最終講義に参加させていただいたことがあります。指導教官の……佐久間さんの奥さんの、先生でしたから」
「そうですか」
橘さんはそれ以上は何も訊かず、自分の席に戻った。

私の学生時代の指導教官は、佐久間仁美先生。八木先生の教え子の一人で、佐久間さんの妻。当時の肩書きは准教授だったが、今は教授になっている。
卒業後、佐久間さんの会社に私を推挙してくれたのも、仁美先生だった。
私は八木先生を仁美先生の師として、そして佐久間さんの母親として、間接的によく知っていた。
八木先生との直接の接点は、大学で特別に行われた最終講義の一度だけ。
申立人──神保美和さん。仁美先生より十年ほど後輩の研究者だ。八木先生の最後期の教え子の一人として、辞書の編纂の仕事を継承している。私とは、仁美先生について行った学会の場で挨拶したことがある程度の、薄い面識。

フロアを見渡した。佐久間さんの姿は見えない。
私は、八木先生のツインの情報を、画面に呼び出した。
一九五五年生まれ、二〇三六年没。享年八十一。日本語学者。
複数の辞書編纂に参加。代表的なものに、二〇〇〇年代から二〇一〇年代にかけて手がけた中型国語辞典の改訂版。語釈の見直しと、掲載語の採否の判断において、当時としては大胆な編集方針をとった。
「スチュワーデス」を主見出しから外し、「客室乗務員」に移した。「OL」の語釈を、ジェンダー中立的な記述に改めた。「未亡人」「処女作」「美人薄命」のような語の扱いを、それぞれ慎重に検討した。
これらは、当時ある種の進歩的な編集として、学会の内外で評価された。

公開範囲を確認する。
特定ツインではない。だが、公開範囲は「制限なし」に設定されていた。
これは本人の生前の意志による。八木先生は言語監査庁と故人ツイン制度の発足にあたり、有識者、あるいは日本語学会の重鎮として、いくつかインタビューを受けている。死後も新しい用例を採集しつづけたい──という、ある種無邪気な、その道を究めた研究者らしい、そういう発言が残っている。そして制度の発足を待っていたかのように、その一年後、この世を去った。

制限のない公開範囲。あらゆる新しい言葉、新しい表現が、彼女のツインに流れ込む。日々、知らない人々が彼女に話しかけ、新しい言葉を投げかける。それを、彼女のツインは受け止めて、応答する。
公開範囲制限なしのツインは本人性指数が比較的早く狂う。新しい入力が次々と流れ込み、時を経るごとに本人らしさは生前のものと離れていく。
だが、八木先生のツインは違った。本人性指数〇・八八。四年間、ほとんど変動していない。
彼女の生前の性質──あらゆる言葉を受け入れながら、自分の言語観で位置づける力──が、驚くほどに、そのツインにも継承されている。

私はヘッドセットを着けて、八木先生のツインを呼び出した。
「八木先生」
わずかな間。
「はい、どなたでしょうか」
聞き覚えのある、生前の彼女の声だった。低めで、はっきりした、知的な声。
「お久しぶりです。水沢、と申します」
「水沢さん。どなたでしたか」
「ご記憶ではないかもしれませんが、一度、お会いしたことがあります。実は学生の頃、佐久間仁美先生のご指導を受けていまして」
八木先生は、しばらく間を置いた。
「ああ、思い出しました。最後の講義の時、質問に来てくれましたよね」
「はい」
「言葉の海、というのはどこに広がっているものなのでしょうか、と訊いてくれた方ですね」
「……はい」

私は、息を呑んだ。
あの時、最終講義の最後の質疑で、手を挙げてその質問をした。
「言葉の海、というのは、どこに広がっているものなのでしょうか」
八木先生は、しばらく考えてから、答えた。
「私たちの、一人一人の中にある、そう思います。そして、私たちの中だけでなく私たちの間、そこにもあります。言葉の海は、見えていた場所と、いま見えている場所と、まだ見えていない場所、いずれにもある。そう思います」
──八木先生のツインは、その質疑を覚えていた。あるいは、生前のログから応答を生成した。
私には、その区別がつかない。

「先生」
「はい」
「先生は、最近、どんな言葉に関心をお持ちですか」
「最近ですか。そうですね。いろいろありますが……『気持ち』という言葉が、少しずつ違う使われ方になっているのを感じます。『気持ちを上げる』『気持ちを保つ』。私の世代にとって『気持ち』とは、『気持ちを伝える』『気持ちを覚える』といった、自分では完全には掌握できない、湧き上がる、あるいは自然にそこにある、そういうものとして扱われるのが主でしたが、最近はもう少し操作可能な対象として、語られている気がします」
「……」
「これは、新しい用例……ではないのかもしれませんが、最近の気づきとして面白いと思っています。付け加えると、『気持ちを抑える』という表現が、その分水嶺として機能したのではないか、という仮説を持っています」
応答は、整っていた。生前の彼女らしい、観察の質も、語り口も、そのままだ。
私はもう一つ、問いを置いた。
「先生のツインに対して、最近、神保さんが何かを感じておられるそうで」
「神保ですか」
「はい」
「神保は、まじめな子です。辞書の編纂を継承してくれていると聞いています」
「神保さんは、最近の先生のご判断について、以前と何かが違う、と感じておられるようです」
八木先生は、少し、間を置いた。
「そうですか」
「先生のご判断、変わっておられますか」
「変わっていないつもりです。ですが、変わったかもしれないし、神保が変わったのかもしれないし、どちらも変わったのかもしれないです。言葉とは、そういうものだと思います」
私は、ヘッドセットを外した。
画面の中で、応答ログが、淡々と記録されていた。

午後、橘さん、葉子さん、和泉さんに声をかけ、打ち合わせを持った。
私は、案件の概要を説明した。八木先生のツイン、神保美和さんの申し立て、本人性指数の安定性、生前の意思によって公開制限がないこと。
それから、自分が故人と一度だけ会ったことがあること、自分の指導教官の佐久間仁美先生が佐久間さんの奥さんで、申立人の神保さんと同じ、故人の教え子であることを簡潔に伝えた。
「水沢さん、この件、ご自身でご担当されて大丈夫ですか」
葉子さんが訊いた。
「直接の接点は一度だけです。問題はないと思います」
「そうですか」
葉子さんは、それ以上は訊かなかった。

和泉さんが、分析データを用意してくれていた。画面にデータが表示されると、和泉さんは続けた。
「本人性指数は、ご覧の通り安定しています。四年間ずっと〇・八八で変化なし。経路の太さも、偏りなく均一です。一見、調律の必要がない数値です」
「ええ」
「ですが、神保さんが感じておられる『何かが違う』がどういうものかを、データで読み解こうとしてみました」
和泉さんは、複雑な表を画面に出した。
「八木律子先生が編纂に関わった代表的な辞書の改訂版を、時系列で並べてみました。初版、改訂版、第二改訂版、第三改訂版。それぞれの版で、特定の語の語釈や用例が、どのように変化しているか」
表が、次の画面に切り替わった。
「『気持ち』『心』『感情』『家庭』『仕事』──こうした語の語釈が、版を重ねるごとに、少しずつ、現代的な使い方に近づいています。これは、生前の八木先生の編集方針、研究への姿勢、あるいは言葉の使い方を表していると見られます」
「ええ」
「そして、八木先生のツインのログを分析すると、これらの語の使い方が、辞書の改訂版から分析される曲線から予測される方向に、緩やかに、しかし確実に、推移しています。八木先生のツインが、生前の本人の言葉の変化をそのまま継承し続けているように見えます。八木先生の本人性とは、世の中の言葉の変化とともに自らの言葉も、判断も、変化させていくことだった。おそらく、そういうことです」
「つまり?」
「神保さんが感じている『何かが違う』は、八木先生のツインが変わったからではない、と考えられます。たしかに応答は少しずつ変化しています。ただ、それは生前の八木先生の変化の方向そのままで、結果として神保さんが先生に対して持っている生前のイメージと現在のツインとの間に、差が生じてきている、ということだと思います」
和泉さんは、画面を消した。
「ただ、これはデータが示せる範囲です。神保さんに『あなたが先生の変化についていけていないことが、違和感の原因です』と直接お伝えするのは、慎重であるべきだと思います」

葉子さんが、続けた。
「私は、八木先生の生前のご判断について、少し読んでみました」
葉子さんも、資料を画面に出した。
「公開範囲制限なしというのは、特定ツインではないツインとしては、珍しい設定です。一般的には、家族と、ごく親しい人々に限定するというのが多い」
「ええ」
「八木先生は、生前のインタビューで、こう仰っています」
葉子さんは、文字資料を画面に出した。さっき、私が見た資料と同じものだった。

〜私は長年、用例──言葉がどのように使われているかを集めてきました。新しい言葉、新しい使い方、新しい意味の広がり。それらを自分の手で書き留めて、辞書に反映してきました。死んだあとも、それを続けられる。死後も用例採集ができるなんて、なんて素敵な時代になったんだろう、と思っています〜

「公開範囲制限なし、というのは八木先生自身による設定です。死後も新しい言葉に触れていたいという願いが、表れている」
葉子さんは私の方を少しだけ見て、画面を消した。

橘さんがここで口を開いた。
「ちょっと、確認してもいいですか」
「どうぞ」
「特定ツインではない公開範囲制限なしのツインの場合、本人性指数が安定しない、あるいは重大な異議申し立てがあった場合の、緊急避難的な手続きがありますよね」
「……」
「公開範囲を一次関係者──近しい遺族の判断で変更できる手続き。一次関係者というのは配偶者か、直系の血縁者です。今回のケースで言えば、佐久間さんが一次関係者になります」
「はい」
「公開範囲を例えば、教え子の方々とご家族の範囲に限定することは、制度的に可能です」
「……はい」
「つまり佐久間さんが、誰に公開するかを変える。これは、ツインの商品化防止倫理規定に抵触しません」
橘さんは、画面を見ながら言った。

私は、その可能性に気づいていなかった。
その方法であれば、たしかに神保さんの「何かが違う」を解消できる可能性が高い。
狭めた範囲に合わせて、その範囲の人のために、調律を行えば。
新しい言葉の入力が、生前の八木先生をよく知る人からのみに、限られるならば。
「──橘さん、ありがとうございます」
「ええ。ご検討ください」
その時葉子さんが、私の方をもう一度見た。だが、何も言わなかった。
──私は自席に戻り、いったん他の案件への対応を、終わらせることにした。

夜、私は八木先生のツインの公開範囲設定を画面に出していた。
公開範囲:制限なし。
橘さんのアイデア。特定ツインでなければ、一次関係者の緊急避難手続きにより、公開範囲の変更が可能だということ。
神保さんが感じている「何かが違う」は、和泉さんのデータが示しているとおりおそらく、生前と同じ方向で進む八木先生の変化が、神保さんがよく知っている「生前の八木先生」のイメージとずれてきているからだ。
技術的には簡単だ。佐久間さんがその手続きを発動すれば、八木先生のツインの公開範囲を一次関係者と、神保さん含む教え子たちにのみにできる。そして、生前の八木先生のログの言葉に近づくよう、調律する。
私は、仁美先生のこと──自分の指導教官として──を思った。彼女も神保さんと同じく、八木先生の教え子だ。彼女も、同じ違和感を覚えているかもしれない。佐久間さんと仁美先生の夫婦の間で、母のツインについて何かの会話があったとしても、おかしくない。
──もし、公開範囲を教え子と家族に絞り、生前の発話パターンに戻す調律を行えば、佐久間さんも、仁美先生も、神保さんも、より生前の八木先生に近いツインに話しかけられるようになる。
その考えが頭の中で、明確になっていった。

一方で、もう一つの考えが頭をよぎった。葉子さんが言っていたこと、私自身も読んだ資料、その内容。八木先生は、誰にでも応答することを選んだ。無邪気に、死後も用例採集を続けたいと思っていた。
だが、それはあくまで生前の意思だ。死後の四年で状況は変わっている。神保さんという最も近い後継者の一人が、違和感を訴えている。これに応えるために、公開範囲を限定する。あくまで、「緊急避難」だ。

私はその手続きを、佐久間さんに提案することにした。

翌日の朝、私は佐久間さんの席に向かった。
佐久間さんは書類を見ていた。私の姿を見て、書類を置いた。
「八木律子先生の件、お時間いただいてもよろしいですか」
「ああ」
会議室に移った。私は案件の概要と、データ分析の結果と、葉子さんの読みと、橘さんが示した可能性を、順に伝えた。
佐久間さんは黙って聞いていた。
「橘から、緊急避難手続きの話が出たのか。さすがだな」
「はい」
「お前の判断は」
「私としては、公開範囲を教え子とご家族の範囲に、緊急避難として変更することを、佐久間さんにお願いしたいと思っています。これによって、神保さんが感じておられる違和感を、緩和できる可能性があります。それから、仁美先生──奥さまにも、より純粋な『八木先生』が、聞こえるようになるかもしれません」
佐久間さんはしばらく、私の顔を見ていた。
そして、ゆっくりと首を振った。
「水沢」
「はい」
「俺は、その手続きを行わない」
「……」
「お前の提案は、技術的にも制度的にも、不備はない。だが、俺は拒否する」
佐久間さんは、机に視線を落とした。
「母が、公開範囲制限なしを選んだ。それは母の意思だ。生きていた時に、自分で選んだことだ」
「……ですが」
「わかってる。技術的に見て、ツインに『感情』が存在しないことはわかっている。公開範囲を狭めたところで、母が『寂しい』と感じるわけではない。だが、母が生前に選んだことを、変えたくはない」
佐久間さんは私の方を見た。
「俺にとって八木律子は、いや、佐久間律子は、母親だ。調律士の立場から、生前の本人の意思を、死後どうありたかったのかを、尊重する。そして息子として、母が選んだことを、母の意思として、残したい。それだけだ」
「……はい」
「水沢。お前の提案は断る。だが、母の生前の言葉に近づける調律をしたとして、本人性指数は現状より下がっても、おそらく基準内には収まるはずだ」
「最後にどうするかは、お前が決めろ。いずれにしても俺は、決めるべき立場ではない」
佐久間さんはそう言って、立ち上がった。
私は、その場でしばらく座っていた。
佐久間さんは会議室を出る時、私の方をもう一度見て言った。
「やらない、と、できない、は、違う。忘れるな」

私は自分の席に戻り、少しのあいだ、考えた。
考えて、決めた。

八木先生の応答経路グラフィックを呼び出す。
通常の調律候補が、いくつか提示される。
いずれも本人性指数を〇・八八から〇・九〇程度に微調整する程度の、ごく小さな処理。八木先生のツインの状態には、ほぼ手を入れないということに近い。
──その候補のひとつを選び、実行する。
ツインの応答経路にわずかな変化があった。
グラフィックの上ではほとんど見分けがつかない、わずかな変化。
──完了。

確認のため、ツインをもう一度呼び出した。
「八木先生」
「水沢さん。今日も、お話ですか?」
八木先生は、私を覚えていた。
「先生、最近、ご気分は」
「変わりません。日々、新しい言葉が、流れ込んできます。それを見ています」
「そうですか」
「水沢さん」
「はい」
「私のことを、心配してくれているのですね」
「……」
「私は、大丈夫です。言葉を見るのは、ただの癖ですから」
私は、ヘッドセットを外した。

翌週、私は神保美和さんの研究室を訪ねた。
神保さんは、細身で、眼鏡をかけて、髪をまとめている、研究者らしい佇まいをしていた。
「お忙しいところ、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ」
私は、自分が行った調律の内容を伝えた。本人性指数は〇・八八から〇・九〇にわずかに上がったが、データ上は出力にほとんど変化をもたらさない範囲だということ。
そして、和泉さんの分析を、慎重に伝えた。八木律子先生のツインは生前の変化の曲線を継承して、緩やかに変化し続けている。ツインは生前の彼女の延長線上にあると考えられる、ということ。
それを聞いて神保さんは、紅茶のカップを置いた。そして、しばらく黙っていた。
「水沢さん」
「はい」
「私、最近、辞書の編纂の仕事で、自分の判断に自信が持てなくなることが、増えています」
「……」
「ある語の採否や語釈の選択で、先生だったらどう判断されるかと、ツインに伺うことがあります。ツインの先生はいつも、丁寧に答えてくださいます。ですが最近、その答えに納得できないことが増えてきました」
「ええ」
「いま、わかりました。先生のツインが、変わったわけではないんですね。私が、生前の先生に執着して、変わりゆく言葉の海を前に、怯えている。それを、先生のせいにしようとしていたのかもしれません」
神保さんは、紅茶を一口飲んだ。
「申し訳ありませんでした。申し立ては撤回します」
「いえ。こちらこそ、申し訳ありませんでした。いやむしろ、ありがとうございました」
「先生のツインはこれからも、新しい言葉に応答し続ける、ということですね」
「はい。先生の生前のご意思に従って」
「わかりました」
神保さんは、頷いた。
「先生は、今でもご自分のお仕事を、続けてくださっているのですね」
私は何も答えなかった。
一言挨拶をして研究室を出た。

言語監査庁の自席に戻り、報告書を起票した。
「標準確認および軽微調整を実施。追加介入なしにて完了」

帰宅して、台所に立った。
八木先生は生前、公開範囲制限なしを選んだ。
死後も新しい言葉に触れていたい、と言って。

私はあの最終講義の質疑のことを、思い出していた。
「言葉の海、というのは、どこに広がっているものなのでしょうか」と、私は尋ねた。
「私たちの、一人一人の中にある、そう思います。そして、私たちの中だけでなく私たちの間、そこにもあります。言葉の海は、見えていた場所と、いま見えている場所と、まだ見えていない場所、いずれにもある。そう思います」と、八木先生は答えた。
海は雲を作り、雨となって降り注ぐ。
そして川となって、また海に注ぐ。
本人性指数〇・八八。四年間、数値はほとんど変わらなかった。
だが、その中を流れる言葉は同じではない。

台所の窓を、開けた。夜の風が、入ってきた。
私は誰のために、この仕事をしてきたのか。
それを少しのあいだ、考えた。
──考えて、考えるのをやめることにした。

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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