第七章 抜擢
オットーに任された仕事は、形になり始めていた。
内陸の市場に十二の度量衡を段階的に導入する計画。商人への支援。農村部の流通路の整備。地味な実務だったが、効果は出た。港湾都市の商人たちは、やがてガリエンの商品よりも自国の商品を優遇するようになった。
十二で取引し、十二で帳簿をつけ、ガリエンの商品よりも良い棚に並べるようになった。
優遇というのは、正確ではないかもしれない。
商人たちは自国の商品が優れていることを、誇るようになっていった。
商人にも製造業者にも、この変革をもたらしたオットーの名は少しずつ知られていった。
一方で、オットーの意思と構想を実務に落としたのは、アウグストだった。
商人や製造業者たちとの複雑な調整を淡々と、正確にこなした。
報告書は常に簡潔で、数字に誤りがなかった。クレメンスはアウグストからの報告書に目を通すと、何も言わずに頷いた。
一方でオットーにはいつも何か一言あった。問いかけ、皮肉、あるいは沈黙。アウグストには頷きだけだった。
ある夜、議場での討議の後、オットーとアウグストは二人で酒を飲んだ。
「宰相は、なぜ俺には色々と言い、君ばかり褒めるんだと思う?」
オットーが問うと、アウグストは即答した。
「君は気を遣いすぎなんだ。内陸の市場に十二の導入をやれと言われた。それならただ、やればいいだけだろう」
アウグストの言葉に、オットーは目を丸くした。
「それはそうだ。だが、十四の『慣習』は壊すな、とも言われた」
「慣習など曖昧なものだ。制度を入れれば、それがいずれ慣習になる。そう思わないのか」
「……それはそうだが」
「オットー。ところで俺は宰相に褒められた覚えはないぞ。君にはそう見えるのか」
「それはそうだろう。君の報告に、宰相はただの一度も文句を言ったことがない」
「わかったわかった。そう思うことにするよ」
クレメンスへの敬意、ちょっとした愚痴。
自国をガリエンに負けない豊かな国にすること。
お互いが欠かせない存在であること。
二人は、夜通し語り合った。
ある日、クレメンスはオットーを外交の場に連れ出した。
ガリエンとの国境紛争の調停だった。小さな案件。川の中洲の帰属。どちらの国のものでもないような土地。
「見ていろ。口は出すな」
交渉は三日続いた。中洲の帰属は決まらなかった。決まらないまま、両国が共同で利用する取り決めだけが残った。
帰りの馬車でオットーが言った。
「決まらなかったではないですか」
「決まらなかったのではない。決めなかったのだ。あの中洲は、どちらのものでもないことに価値がある」
クレメンスの外交に同行するうち、オットーは苛立ちを覚えた。
結論が出ない。条件が決まらない。会議が終わるたびに、次の会議の日程だけが決まる。
内政においては、執務室で答えを選んでいる。なぜ外交ではそれができないのか。
「なぜ、決めないのですか」
何度目かにそう問うたとき、クレメンスは答えた。
「国内の制度は、間違えたら戻すことができる。条約は、後戻りができない。だから、書かないことが最善のときがある」
転機は、東方の国、ベームとの交渉だった。
ガリエンがベームに同盟を持ちかけていた。結ばれれば、自国は東西から挟まれる。
クレメンスはオットーに言った。
「行ってこい」
初めての独立した任務だった。
「一つだけ言っておく。十二で考えるな。十二で考えれば、同盟を阻止するか、対抗同盟を組むか、どちらかになる。割り切れる選択肢は、割り切ろうとする対立を生む」
オットーはベームへ交渉に赴いた。
同盟を阻止しなかった。対抗同盟も組まなかった。代わりに、通商と文化の協定を結んだ。同盟ではない、曖昧な友好協定。
その後、ガリエンはベームとの同盟を結んだ。
しかし、その同盟は自国とベームの協定に対し、微妙に矛盾する条項を含んでいた。
ベームはどちらの味方でもなく、どちらの敵でもない。そういう場所に置かれた。
オットーに、クレメンスは一言だけ言った。
「悪くない」
その言葉を受けて、オットーは珍しく饒舌になった。
ベームで見た風景を語った。山間の村は、十四の区割りだった。
境界の曖昧な畑。誰のものでもない草地。
「あの風景は、私の故郷に似ていました」
そう言ってから、少し黙った。言いすぎた、と思った。
十二の導入を推進する立場の人間が、十四の風景を懐かしむ。矛盾だ。
クレメンスは何も言わなかった。かすかに、微笑んだように見えた。
その年の冬、クレメンスはオットーに外交の全権を委ねた。
閣議で発表したとき、誰もが驚いた。若すぎる。経験が足りない。
クレメンスは一言だけ言った。
「この男は、決めずに保つことができる」
その言葉の意味を、閣議の誰も正確には理解しなかった。
アウグストも理解しなかった。オットーだけが、わずかに身を固くした。
その夜、オットーはアウグストと飲んだ。
「大抜擢だな。宰相は君をよほど買っている」
アウグストは素直に祝った。嫉妬はなかった。外交は自分の領分ではないと知っていた。自分の仕事は内政の実務であり、それはそれで十分に重い。
「外交は君がやれ。内政は俺がやる。そうすれば、この国はうまく回る」
合理的な分担だった。オットーも頷いた。
だが心のどこかで、クレメンスが「決めずに保つことができる」と言った言葉が引っかかっていた。アウグストにそのことは話さなかった。
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