第9話 父の真実
幸弘は、しばらく瞬きも忘れたまま画面を見つめていた。
やがて、喉の奥が小さく唸る。
「舞台のスクリーンが、解説も兼ねた演出でスムーズに効果的じゃ」
幸弘の眉が、今度はゆっくりと上がった。
「生演奏が緊迫感を出して、舞台に視線を集中させちょる」
グラスをようやく口元へ運ぶ。
しかし、味はほとんど感じないほど舞台へ引き込まれていた。
「この衣装のデザイン、断片を繋ぎ合わせて威厳と風格を再現しちょる」
「こういうのは、継ぎはぎ感が出るのに、上手に作っとるのう」
幸弘は背もたれに体を預けて、画面の中から聞こえる杏奈の声に、耳を傾ける。
第二幕では、洞窟のような場所に変わる。
データファイルを探す過程、明滅する石、その中から現れるデータディスクのデザインに舌を巻いた。
「セットと小道具の造作も、細かい所まで作り込まれとる、石から出てくるんも、なかなかアイデアやなあ」
そして、第三幕。
舞台の中央で、対峙する聡志と峯岸。
「……この二人の芝居」
峯岸が一歩踏み込むと、聡志が、わずかに視線を逸らし、次の瞬間、鋭く戻す。
「殺気を漲らせながらも、お互いの息継ぎのタイミングを、計算しながら、最適な間を意識しちょるじゃないか」
すべてが計算され、そして自然に見える。
ぶつかり合いながら、互いを立てていた。
画面の中では、世界観がさらに深まっていく。
管理社会の思想と、人の意志の衝突。
その構造の美しさに、言葉を失っていった。
「この世界観、これを、杏奈が?」
杏奈の最後の言葉が落ちて、出演者が並んで一礼すると、幸弘は無言で立ち上がった。
しばらく後に、一冊のノートをテーブルに置き、腰を下ろす。
再び、動画を再生する。
今度は、画面を停止したり、戻したりしながら、ノートにメモを繰り返し始めた。
衣装や小道具の特徴や、完成度。
セリフそのものや、演者の視線。
画面から漂う空気感など、有りとあらゆる事を、気の付く度に文字におこしていた。
やがて、ノートがびっしりと文字に埋まると、小さく息を吐き筆を置いた。
背もたれに体を預け、天井を見上げる。
しばらくして、ゆっくりと口が開いた。
「杏奈、お前は凄いのお、それしか言えんわい」
「よい仲間に、巡り逢うたんじゃのお」
目に、光るものが見えると、袖で拭って立ち上がり、カウンターのスマホに手を伸ばした。
「わしも、負けてられんの!」
画面を操作して、耳にあてがうと、目を閉じた。
相手が電話に出たのだろう。
力の宿る瞳が開かれた。
「夜分に申し訳ありません、いえいえとんでもない、おそれいります」
「久保崎さん、先日のお話、お受けいたします。宜しくお願いします」
「はい。覚悟は、できました」
通話を終えると、ノートに、そっと手を置き、リモコンを操作して、動画の概要欄を開いた。
脚本、語り:田澤杏奈。
その一行で、胸の奥がじわっと熱くなり、喉が詰まって、目頭が痒くなる。
「……杏奈……」
唇の内側を噛んで、息を整えるが、次の行を見た瞬間、体が、固まった。
出演――多辺聡志。
「……多辺?」
幸弘は、画面に顔を近づけた。
スクロールを続けると、また、最後の記載に引っかかる。
提供――コメーテスデザインオフィス。
「コメーテス……確かギリシャ語じゃったかな?」
「彗星……」
騒ぐ胸を抑えながら、スマートフォンを取り、コメーテスデザインオフィスを検索欄に打ち込んだ。
検索結果に公式ページ。
会社概要のページを開くと、会社代表の挨拶文の上に小さく代表の顔写真が掲載されていた。
そこにある紹介文には、代表取締役 多辺志織
その名を確認した幸弘の胸が詰まった。
「……多辺……聡志……」
画面の中で、舞台で演じている青年の姿。
そこに、かつての懐かしい面影が重なりはじめた。
「まさか……そんな……」
幸弘は、ゆっくりとスマートフォンをカウンターに置き、記憶の中へ誘われた。
2000年。東京、夜。
街の明かりが賑やかに照らす、駅からほど近いレストラン。
席に一人座っている女性の元に、幸弘が声をかける。
「ごめんね、多辺さん。遅くなって」
女性、多辺志織は穏やかに微笑み返した。
「大丈夫だよ。お仕事大変そうだね」
幸弘は、肩にかけた鞄を下ろし、席に着く。
「うん、まあね」
「久しぶりだね、どれくらいだっけ?」
「3ヶ月くらいかな?」
「で、話って何?」
志織は、いったん視線を落とした。
言い辛いことであるのは、一目瞭然だった。
「……実はあなたに、背中を押してもらって転職した会社で、交際を申し込まれて……その人とお付き合いをすることにしたの」
「それは、よかった」
「おめでとう」
志織は笑顔のまま告げる。
「あなたみたいに、優しい人だよ」
「それは、良かったね〜」
言ってすぐに、水を口に含ませる幸弘。
志織の表情が、曇って行くのがわかった。
「あなたは、どうなの?」
「何が?」
「気づいてないと思ってたの?あなたの気持ち」
「……それは」
水の入ったグラスを置くと、目を泳がせる。
志織の真剣な眼差しに、合わせることができない。
「知り合って半年、毎月2回も3回も会って、映画見たり、ドライブ行ったり、飲みにもいったり、そりゃあ気づくよ」
「あなたは、もう一歩を踏み込んでこようと、しなかったよね」
幸弘は、ため息をつくことしかできない。
「意気地がなかっただけだよ」
「嘘!」
「私だって、それなりにあなたを見てたから、わかるよ」
その言葉に、観念したように口を開く。
「……俺、今、会社辞めて、調理師の学校行ってるんだ」
「じゃあ、この2ヶ月って……」
ゆっくり頷く。
「俺は、いつか、帰らなきゃいけない」
「君と知り会ってからすぐ、親父に持病が見つかってさ」
「ここのところ、あんまり良く無いんだよ」
「あの店は、親父とおふくろが作って守って来た店だ」
「あそこのおかげで、俺は大きくなれたし、大学にだって行かせてもらえた」
「……そうなんだ」
「近い将来、会えなくなるんだ」
「もし踏み込んで、深い仲になれば、離れる時にもっと辛くなるだろう?」
志織は、視線を離さずに次の疑問を問うた。
「あなたの書いた、彗星群、すごく良かった」
「でも、ひとつ気になったの」
「最後のあのセリフ、私に言いたかった言葉なんじゃないの?」
幸弘は、わざとらしく両手で顔を覆う。
「わかっちゃったか……恥ずかしいな」
「本当は『どこで、何をしていても、笑って生きてくれ』で止めるつもりだったけど、勢い余っちゃって」
「あなたの声で聞こえたから」
「嬉しかった」
「目の前にいる、あなたに本当に言って欲しかった」
「そう……」
「でもさ、人生の全てって……それはお互いが差し出しあってこそだよ」
「俺について来い、て気持ちはなかったの?」
今度は幸弘が、真剣な目で視線を合わせる。
「現実的に考えるんだ」
「俺は両方で暮らしたからわかるけど、東京で生まれ育った君に、あそこの暮らしは無理だよ」
「なんで決めつけるの?」
「不便だよ、どこに行くにも車はいるし、隣近所のコミュニティは濃いし」
「それに何より、君はずっと、やりたかった仕事を始めたばかりじゃないか」
「だからなんで、あなたが決めるの?」
「それは私が決めることだよね?」
だんだん力が籠る口元が、声を震わせた。
「君が……無理をして……苦労する姿は見たく無いんだよ」
長い沈黙の中、落ち着いたジャズの旋律がゆったりと流れていた。
志織の瞳が、静かに光る。
「変だね……なんで、私がふられるみたいになってんの?」
幸弘も、苦い顔で笑った。
「ほんと、逆なのにね」
「脚本の夢はどうするの?」
「もう、書かない、というか書けないよ」
「なんでよ?」
幸弘は、食事の手を止めて、運ばれてきたジョッキの中の泡が弾ける様子を、じっと眺める。
「言葉を伝えたい相手がいなくなるから.....この先何を書いても、薄っぺらい嘘の物になる」
志織は、しばらく幸弘を見つめたまま、ゆっくりとグラスを持ち上げた。
「……本当に変な人」
「自分に嘘ばっかりついて、人の事ばっかりで」
「本当に、いいひとだ」
幸弘は、恥ずかしそうに頭をかいた。
「ありがとう。」
「悪い意味でだよ」
その一言で、空気が変わる。
「どう言うこと?」
志織は堪えきれず、捲し立てる。
「今のままだと、あなたはこの先、何人と出会っても、何回恋をしても、全部いい人で終わっちゃうよ」
「男の人が"ただのいい人"になったら、おしまいなんだからね」
「……自分に対しても、優しくなってね」
「他人ばっかりじゃなくて」
「肝に銘じておくよ」
店を出た二人が向かい合い、最後の時間となった。
「いつまで、こっちに?」
「とりあえず、免許取ったら、しばらくこっちの親父の知り合いの店で、修行だね」
「最大で五年の予定だけど」
「親父の体調次第かな?」
「まだ結構いるんじゃない」
「でも、五年後には確実にいなくなるよ」
志織はまた視線を落とす。
「お店はどこ?」
「……ごめん」
志織は、もうそれ以上聞かなかった。
「わかった、じゃあね」
「ちょ、まてよ」
思わず、声が震えてしまう。
「……そんなことも……あったね」
「最後なんだ。駅まで送るよ」
「いいよ」
「……送らせて、ください」
「……はい」
改札前、人波の中で、志織が振り返った。
「じゃあ、元気でね」
「うん。多辺さんもね」
改札を抜けて、振り返らずに階段へ向かう。
階段を下りていく背中を見えなくなるまで立ち尽くしていた。
――さようなら。
2005年。
部屋に、赤ん坊の泣き声が響いている。
「もう〜、どうしたの?そんなに泣かないで、聡志」
胸に抱き、背中をゆらゆらと揺らしても、泣き止まない。
「お願いだから……もう、泣かないでよ」
その時、電話が鳴る。
「誰よ、こんな時に」
『もしもし、多辺さん?』
その声を聞いた瞬間、ぴたり、と泣き声が止み、赤ん坊が不思議そうに目を開ける。
「……田澤くん?」
『どうしたの?声、元気ないよ』
「ちょっと、育児疲れでね」
『へえ、お子さん産まれたんだ』
『てことは、もう多辺さんじゃないんだね……って、今はそんなこと言っちゃいけなかったか、ごめんね』
『遅くなったけど、おめでとう』
「うん、ありがと」
『ちゃんと、寝れてる?食べれてる?』
その問いに、多辺は一瞬、言葉を失う。
「うん、大丈夫だよ」
『明後日、久羽乃に帰るんだ。最後にもう一度会いたかったけど、無理だね』
『ごめんなさい』
「ごめんね。そっか、帰っちゃうのか」
『十三年こっちにいたけど、君との思い出が一番楽しかったよ』
「ほんと、楽しかったね」
『もし、家族旅行なんかで、久羽乃にくることがあったら、ひらがなで"いずみ亭"って言うんだ』
『おもてなしするよ』
「いずみ亭.....ありがとう」
最後はお互い、涙まじりのこえになっていた。
『君がずっと、幸せでありますように』
『元気でね』
「田澤くんも、頑張ってね」
通話が切れると、部屋は静かになる。
電話の前の大泣きが、嘘のように静まった聡志は、すやすやと穏やかな寝息をたてている。
「聡志、あの人をお父さんにして、一緒に遠くについて行きたいね」
「ちゃんと寝れてる?食べれてる?か……」
「それを言わなきゃいけない人は、単身赴任先で、電話もよこさず何やってんだか」
赤ん坊の額に、そっと口づけた。
2026年
新幹線の座席で、うたた寝から目覚める。
「いけない、ついうっかりしてた、今、どのあたりだろ?」
偶然にも、車内アナウンスが流れ始めた。
『次は、新神戸、新神戸に止まります』
「危ない危ない、あの子達迎えに来てくれてるのに」
髪と襟元を整えて、鏡を覗くと、志織は立ち上がり、荷物を引いてデッキへと向かう。
デッキの扉の窓に見える、流れ行く景色をじっと見つめていると、どこか心が弾むのがわかった。
「さあ、楽しみ」
改札前のコンコースの一角に、プラネットランドのメンバーが固まっている。
「なんで僕、今日運転手なの?」
腕を組んで不満顔の宮坂が、ため息をつく。
「飲めないじゃないか」
「黙れブラックホール」
即座にミナが切り捨てる。
「理不尽だ……」
宮坂がぼそりと呟く横で、杏奈が柔らかく笑う。
「私も未成年で、飲めないんだから、一緒にソフトドリンクで楽しみましょうよ」
その言葉に、ユズが両手をぱちんと叩いた。
「さすがホワイトホール」
峯岸は、そんなやりとりを横目に、少し離れた場所に立つ聡志を見る。
「聡志なんやソワソワして」
「あ〜、今回はどんなお説教くらうんだろ」
「ガクブルだよ」
落ち着かず、そわそわしていると、人の流れが、増えはじめる。
ユズが、ぴたりと動きを止めた。
「あ!」
「きた!」
視線の先には、改札を抜けてくる一人の女性が目に入った。
その瞬間、ユズが声を張り上げる。
「オカーサン!」
改札を抜けた志織は、歩みを緩めないまま手を振った。
「ユズちゃ〜ん、きょうも元気ね」
ユズは駆け寄り、そのまま軽く抱きつく。
「代表、お疲れ様です」
「ミナちゃんは、今日も秘書感完璧ね」
「代表、お荷物運びます」
「内定は自力で勝ち取るのよ、海斗くん」
「ご無沙汰してます。お元気そうでよかったです」
「ゆうまくんは、今日運転手なんだって?」
「ええ、はい」
宮坂は背筋を伸ばす。
その瞬間、志織が親指を立てると、誇らしげに小さく胸を張って返すミナ。
「で、あんたは突っ立ってるだけなの?」
「おつかれっした」
すかさず志織は、掌の指を揃え、それを聡志の脇腹に突き立てた。
「ぐはっ」
聡志がわずかに身をよじるが、志織がすぐに視線を動かし、杏奈と、目が合う。
すると、瞬時に表情が変わった。
本当に優しい笑顔。
杏奈は、少し緊張したまま一歩前に出る。
「あ、あの、私は」
「聡志から聞いたよ。今日はあなたに会いたかったの。田澤杏奈ちゃん」
「え、あ、名前……」
「初めまして」
「多辺志織です」
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。