第7話 クールな人
郊外にある、株式会社五十鈴建設。
深夜にも関わらず、その会議室には明かりがともっていた。
五十鈴幸三社長以下、取締役経営陣が重苦しい表情で机を囲んでいる。
腕組みをして、俯く者。
頭を抱える者。
机の上で両手を合わせて、膝を揺する者。
その雰囲気は、もはや極限の緊張状態と見てとれる。
そんな上層部の反応とは対照的に、机の端に腰を下ろす一人の若い女性。
紺のスーツにメガネをかけて、黒髪を束ねたその女性だけは、冷静かつ涼しい顔で、茶を啜っていた。
その時。
会議室の電話が鳴り響いた。
全員が同時に姿勢を正す。
五十鈴社長がひとつ、咳払いをして周りを見渡すと、全員が頷いた。
そして、社長自らが受話器を取る。
「も……もし、もし?」
「これはこれは、沢渡部長、お世話になっております」
「はい……はい……わかりました」
重い口調に、周囲は固唾を飲んで視線を外さない。
隅の女性だけは、離れたところから無表情で見守っていた。
「……はい、はい、ほんとうにこの度は……」
「ありがとうございます」
緊張の面持ちで、顔を見合わせた上層部の面々が笑顔になる。
そして、静かに受話器を下ろして、深いため息をついた。
「社長……お話は……」
五十鈴社長は、口元を上げた。
「こちらの条件、ほとんど通ったぞ」
「私の社長退任から顧問就任、君たちを含めて56人の社員はみな残留」
「これで、株式を譲渡して、我が社は……」
「銘治鉄工の傘下に入る」
「会社は、社名は変わるが」
「存続だ!」
会議室では、歓喜の声が湧き上がった。
肩を抱き合い、喜びを分かち合う。
涙をこぼすものもいた。
五十鈴社長は、只々安堵の表情を浮かべて、椅子に深く腰をかけていた。
やがて、会議室には五十鈴社長と女性の二人だけになる。
力の抜けた社長に女性が近づくと、目を伏せたまま呟いた。
「ごめんな、一代で築いた会社だったが、不景気には勝てなかった」
「国立工学部を主席で卒業したお前に、そのままの形で譲りたかったが」
「すまなかった、都」
頭を下げる社長に、都は眼鏡を上げて無表情のまま告げる。
「お父さん、よかったんじゃない?」
「銘治鉄工さん、今勢いがあるし」
「建築部門があれば、自社製品を仲介なしで組み込める」
「それに……」
社長が顔を上げて都と目を合わすと、まださらに無表情のまま、淡々と言葉を落とした。
「私、図面を引くこと以外は興味がないの」
「経営なんて、まっぴらよ」
都は冷静に眼鏡を上げて振り返った。
残された社長は、会議室の壁に掛かる、創業当時の集合写真をただ、じっと眺めたまま、席を立つことができなかった。
翌朝、都内の大きな川沿いに、赤い煉瓦調の壁面のビルがある。
壁には「安政座」と掲げられ、一階は伝統のある劇場が入ったビルだった。
朝の人混みに押されて、雄介はビルの通用口に入ると、そのままエレベーターへ。
このビルの5、6、7階が、銘治鉄工株式会社のオフィスビルだった。
雄介は、ぼうっとしながらも、昨夜の萌華との再会が頭から離れない。
さらに、中高の記憶も蘇る。
毎日差し出される、豪華な弁当。
クリスマスに渡される、精巧な手製の品々。
バレンタインには、カカオ豆から手作りしたというチョコレート。
週に二回は、下駄箱に忍ばされた手紙。
周囲の女子生徒を威嚇する姿。
どれもこれもが、彼を戦慄させる。
「……ナーガ、あいつが、台蔵さんに?嘘だろ?」
ポツリと呟く。
ナーガ、萌華の姓、永本から名付けられたあだ名。
そして、顔は美女、体は蛇のヒンドゥー教の神の名だが、単純にRPGゲームでは敵として現れるので、雄介が名付けたのだった。
「やべえよ、行きたくねえ」
「なんか守原さんにも悪印象だったし」
一人ぶつぶつと呟いていると、フロアに到着した。
「おはようございます!」
オフィスに入ると、どこか雰囲気がいつもと違う。
みな、神妙な何かを探るような面持ちで、どうにも重苦しい。
雄介が怪訝な表情を浮かべると、そこに営業部主任の田崎雅人が声をかけてきた。
「おう、林丸、おはようさん」
「おはようございます」
「何か、あったんですか?」
「そのことやけどな、お前来たら呼ぶように部長に言われとってん」
その田崎の言葉に、営業部全員の視線が雄介に向けられる。
田崎はその場を一旦見渡して、意味ありげな笑顔を向けた。
「ま、はよ行ってきいや」
「そいでな」
「これからも、よろしゅうな」
「主任は、内容を知ってるんですか?」
田崎は軽く頷いて、ニヤリと笑った。
雄介は、冷や汗をながす。
「どんな話なんですか?」
「ええ話やで」
「人によっては、やけどな」
釈然としないまま、部長の沢渡英二の元に向かう。
「部長、おはようございます」
雄介を見た沢渡は、手を叩きながら立ち上がった。
「林丸くん、おはよう」
「ささ、かけたまえ」
促されるまま腰を下ろすと、沢渡はすっと雄介の手を取った。
「実はだね、私、社長になることになったんだよ」
何を言ってるんだ?
この人。
あっけにとられた雄介の表情は、そのままだったのだろう。
その後も、上機嫌な沢渡の舌は滑らかだ。
「実はね、水面下で動いていたんだが」
「五十鈴建設とのM&Aが成立したんだ」
「うちへ株式譲渡という形でね」
「つまり、部長がそちらの社長になると」
「おめでとうございます!」
すると沢渡は掌を広げて、立ちあがろうとした雄介を制した。
「でさ、君も来てくれない?」
嫌な予感しかしない雄介は、恐る恐る尋ねた。
「どこに、ですか?」
「新会社に」
あっさりと告げる沢渡。
雄介は目を見開いて、固まってしまう。
「実はね、先方社員全員残ったんだ」
「そりゃあ、そうだろう?」
「建材屋のうちには、施工実績なんてないんだから」
「ただ、営業に関しては違う、五十鈴建設の業績不振も、アピール不足が原因でもあるし」
「君はよく気がつくし、フットワークも軽くて、何よりそつがない」
「頼むよ」
雄介は、声を震わせている。
「あと、誰が行くんですか?」
「私と、片桐くんと、田崎、そして君だ」
「よろしくね」
係長の片桐里沙子が、後ろから、雄介の肩を揉むように掴んで笑顔を見せた。
遠くでは、田崎がこちらに向けて、親指を立てている。
「は、はは……なんだか、心の準備が」
「細かいことはあとあと」
「新天地で、頑張ろう!」
沢渡は力強く右腕を突き上げるのだった。
時を同じくして、台蔵組建築積算課の扉の前では、萌華が佇んでいた。
(気まずいなぁ、出社初日から色々ありすぎるよ)
(守原さん、いきなりだもん)
(今日からいるんだよね、変な目で見られたらやだなあ)
自らの暴走で、変な目で見られることは、考えていないらしい。
とにかくノックをして扉を開いた。
「……おは」
(何? あれ)
オフィスには、一際異彩を放つ人物が、周囲から完全に浮いた状態で、萌華のデスクの隣を陣取っている。
まあ、省伍なのだが、昨日のだらしない冴えない姿ではない。
無精髭はしっかり剃り落とし、頭髪はきっちり整えられたオールバックで、前髪の一部分が触覚のように垂れ下がっていた。
しかし、出立ちは明らかにおかしい。
ワインレッドのワイシャツに、袖元のカフスボタンのオパールが輝き、グリーンのペイズリー柄のネクタイ、右腕の高級時計が存在感を主張していた。
そして、なんといっても身を包んでいるのは。
イタリア製ハイブランドの、パープルのスーツ。
それがなんと、『ダブル』である。
「やあ!永本さん、おはようございます」
萌華を見つけた瞬間、手を振りながら立ち上がる省伍。
オフィスの全員の視線は、省伍を捉えて離さない。
安嶋が呟く。
「……あれは、まさに」
安川が締めた。
「……バブルだ」
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。