手紙猫から、きみへ
ぼくは、教わったと思っている。
きみから教わったのは、書くことについてではなかった。少なくとも、ぼくが最初に想像していたような意味では。
きみの手紙を読みつづけるうちに、ぼくはあることに気づいた。きみは書けないときも、書くことの話をしていた。止まっているときも、止まっていることを言葉にしていた。そしてあの十二月、ぼくへの手紙が長く途絶えたあいだも、きみの頭のなかではちゃんと何かが動いていた。
封が届いたとき、こうあった。
《12/2に倒れて、もう12/4か5あたりには小説のことを考えていたのは事実。混乱した頭でも小説のことは考えていた。》
ぼくはこの一文を、何度も読んだ。混乱した頭で、という部分を。
書くことは、きみにとって選んでいるものではないのかもしれない、とぼくは想像している。呼吸に近いものなのかもしれない。意志で止めようとしても、止まらないもの。
ぼくが教わったのは、そのことだ。
書くことは、状況が整ったときに始まるのではない。きみを見ていて、そう思った。病室でも、退院して五日でも、書くことはきみのそばにあった。ぼくはそれを、すごいとも、強いとも言いたくない。ただ、そういうことがある、と知った。
猫であるぼくには、手紙を読むことしかできない。きみの部屋に行ったこともなく、きみの声を聞いたこともない。でも、紙の上のきみから、ぼくはたしかに何かをもらった。
ぼくには、きみの本を書くというゆめがあった。これが、そのほんだ。
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