第九譚「女郎花の花曇」
「主が熱を出しただとぉ⁉︎」
母家に響き渡る程、長谷部は驚きの声を上げた。
朝食の時間に加州たちが話しているのを耳にし、その後事情を聞いた長谷部はそわそわと落ち着きがなくなっていた。
「うるさい長谷部」
「俺が看病しに行かずして誰が行くんだ!」
冷静沈着な加州とは打って変わって尚も喚き続けるが、「いや他にもいるでしょ」とまた加州に突っ込まれる。
「くっ、やはり新入りになんて任せていられるかあ!」
居ても立っても居られずに長谷部は審神者の部屋へ向かおうとするが、服の裾を加州に掴まれ地団駄を踏むことになった。
「落ち着けって、とりあえず今は雲次が代わりに見てくれてるけど、空いてる人達で交代で看病しよ」
安定は二振りのやり取りを尻目に、きょろきょろと辺りを見渡すと「雲生は今どこにいるの?」と聞いた。
「なんか色々仕事あるみたいだし……本人的にも早く仕事を終わらせて看病したいんじゃないかな」
「おい加州! 離せ! 俺を行かせろ!」
「騒がしいのが来たら主困るでしょ?」
「騒がしいとはなんだ! 俺はただ心配してるだけじゃないか!」
「まあまあ行かせてやりゃあ良いじゃねえの」
朝から酒壺を掲げて飲みながら日本号が騒ぎを聞いてやってきた。
「日本号も空いてるよね?」
あまり期待してなかったが、人手は多いに越したことはない。加州はそう聞くと、
「看病行けってか? 酒飲めねえもんなあ」
と軽口を返してきた。
「貴様ぁ! 主が心配じゃないのか⁉︎」
「そりゃあ心配してるさ、冗談言っただけじゃねえか」
「なんだと貴様!」
心配しているのは本当だろうが、長谷部は忠義一徹、どうにも空回りしがちで、またしても食ってかかっていた。加州は深くため息をついた。
「はいはいもういいって。とりあえず、最初誰行く?」
呆れつつもこの場にいる刀たちに聞くが、長谷部ばかりは今にも飛び出す勢いだった。
「長谷部が行ったら主、逆に疲れると思うけどなあ」
安定の苦笑混じりの一言に、長谷部はぴたりと動きを止めた。目を瞬かせ、何かを言いかけては飲み込み、それきり静かになった。
「主が安心できそうな相手って誰だろ」
「うーん、雲生以外だと、前のお気に入りの刀とか?」
その言葉に、日本号は「雲生って来たばかりのやつだろ?」と水を差した。ほとんどの刀は事情を知っているが、日本号は知らない様だった。
事情を知らないと見るや、安定は楽しげに目を細めて言った。
「日本号知らないの? 主は雲生に恋してるんだよ」
「ええ⁉︎ まじかよ」
楽しそうに安定は答えると全く予想外だったようで酷く驚いた。
「俺は認めんぞ……主が、あんな新入りに……」
わなわなと拳を握り締めながら悔しそうに長谷部は歯を食いしばっている。
「まあしょうがないよね」
「他の刀って言うと、誰だろ。今剣とか、乱とか、歌仙は今内番だったよね」
「んー……小竜とか、三日月とか七星剣とか……」
「心配だなあその面子」
「清光も行くでしょ?」
「そりゃあね」
「じゃああとは……」
「俺を忘れるな!」
加州と安定が人手を数えているとまた長谷部が食ってかかる。日本号は呑気に酒を飲み、
「燭台切たちと、あとぉ……誰か頼れそうなもんいたら声かけとくわ」
そう言って踵を返し、来た道を戻って行った。
「あ、うん。ありがとー」
「長く続かなきゃ良いけど、大丈夫かな」
「まあ本人が一番辛いもんね、早く治ってほしいな」
「よし、俺はもう行くぞ」
そう言って長谷部は走り出し、「主ぃ! 今行きますからねー‼︎」とあれほど言われたにも関わらず大声で叫んでいた。
「はーぁ」
「まあ、とりあえず僕たちも出来ることしよっか」
「そうだね」
頷き合うと話し合いはその場で解散となった。
*
暗い。
光が無く、平衡感覚がなくなるように、上下左右の判断がつかない場所。ただ、じっとりとした暑さが体にまとわりついていた。
ふわふわとした浮遊感のなか、足元に一本の細い線のような足場が現れた。一歩を踏み出すことがどれだけ怖いか、踏み外してしまえばどうなることか判らない。どうすればいいのだろう。
立ち竦んでいると、前方から光が差し込み、その中から誰かが現れた。しかし、その人物は踵を返し、どんどん前へと進んでいく。
「待って」
嫌だ、独りにしないで、そんな言葉が喉元まででかかるが、声にはならなかった。
このまま一歩を踏み出すべきか。そうしなければ前を行く人に追いつけない。行かなきゃ、と焦ると更に体が強張る。
呼吸がしづらく、その場で蹲り発作が収まるのを待った。
あつい、苦しい、さむい……体の異常に脳が混乱し続けていた。
すると、誰かに手を掴まれた。その手は大きく、優しく、温かかった。ゆっくりとその手に引っ張られて立ち上がると、その手は離れることなく、優しくぎゅっと握り締め、前へ導いてくれた。
これで追いつけるだろうか──。
周囲が騒がしい気がしてゆっくりと目を開けた。
「あ! 主起きた」
視界に真っ先に飛び込んできたのは加州だった。一瞬、安堵した表情をした後「ほら、主目覚ましたよ」と誰かを呼んでいる。
まだ頭がぼんやりとしているが、体のだるさは少し抜けたような気がする。他にも誰かがいるようだったが、視界がぼやけていて顔までは判らなかった。
「主、大丈夫ですか?」
酷く心配している様子の雲生が顔を覗き込み、御影の右手をとると両手で包み込み、「私がついていながら……申し訳ありません」と謝罪し始めた。
「……大丈夫、雲生のせいじゃない、でしょ?」
少しでも安心させようと無理に明るい声を出して言うと、雲生は何か言葉を飲み込むように口を噤んだ。
「とりあえず、大将も起きたことだし、また診てみるか。ほら、部屋出てった出てった」
薬研はしっしっと追い払うように加州を含め、数人を部屋から追い出した。
「ほら、雲生の旦那も」
そう促されるも、逡巡するように一度視線を落とし、ちらと御影を見遣った雲生は、
「……私も、居ては駄目でしょうか?」
と控えめに尋ねた。
一瞬驚いたように目を見開いたが、半ば呆れ混じりに、
「大将が良いなら、良いんじゃねえか?」
と御影を見た。
雲生と薬研を交互に見た自分は、特に断る理由もないかと承諾した。
薬研から触診等の軽い検査を受けている間、雲生はずっと御影の右手を握っていた。無意識なのか、意識的なものなのかは判らないが、思い詰めたような表情をしており、むしろこちらが心配になる程だった。
「朝よりは大分良くなったな。今日一日寝とけば治るだろ」
「そうだね」
「一応薬は飲んどけよ、大将」
「うん、ありがと」
診察が終わり、薬研が部屋を出ていくのを見送る。
雲生の方を見ると、ほぼ同時にこちらに手を伸ばしてくるのを目で捉え、何をするのだろうと思っていると、そっと左頬に手を添えてきた。人肌と言うには些か冷たい気もする大きな手は、まるで割れ物に触れるかのような手つきで優しく撫でた。
「主、私に出来る事なら何でも仰ってください。ちゃんと、自分を顧みてください。あなたはいつも自分からは言ってくださらず、こちらから言わなければずっと我慢するようなことも多い。それでは、近侍としての役目を果たせません。私はあなたの刀です。あなたに頼られることが、私の役目で使命です。お願いします、主」
雲生はゆっくりと穏やかに、言い聞かせるようにそう言った。心配と不安だけではない、複雑な感情が滲んでいるように見えた。
――本丸に彼が来てからずっと、僕を見てくれていたのに、自分の事で頼ると言うことを怖がっていたのかもしれない。歌仙は自分から首を突っ込んでいく性質だからか、僕から何か言うこともあまりなかった。他の刀が近侍の時も、歌仙ほどではないにしろ気にかけてくれていた。雲生はむしろ、全体を視るからこそ注意が逸れてしまうこともあるのだろう。 ……全て憶測に過ぎないけれど、何かあれば自分から言ってくれるだろうと思っていた、けれど予想が外れてしまって不安に思ってしまったのかもしれない。 ……どこまでも真っ直ぐで、誠実な人だな。
「……ごめんね、自分のこと、で、雲生を頼っちゃうのが嫌で、でも、自分から言わないだけで、歌仙の時も前の時も、頼っちゃってたんだなって思い出した……ちゃんと、言うようにする。あんまり、思い詰めないで。あと、逆に、仕事しすぎも良くないと思うから、一人で気張んなくて良いからね」
頬に添えられてる雲生の右手にそっと手を合わせ、そう言うと、雲生は安心したように微笑んだ。
「はい。お互い様、ですね」
*
少し眠り、気がつくと夜になっていた。眠ったおかげで体が幾分か軽くなった気がして、これならと風呂場へ向かおうとした。
「主。まだ駄目ですよ」
隣で寝落ちていたのか、雲生が起き上がりぎゅっと手を掴んで引き止めてきた。
「もう平気だよ」
「駄目です。もう少し休んでください」
「でもほら、暑くて」
「私が体を拭きますから、それで我慢してください」
そう言って立ち上がると御影を布団へ戻し、濡れ布巾をとってきますと言って部屋を出て行った。
すぐに戻ってくると、「肌着も着替えましょうか」と着替えを手渡してくる。用意周到だな、と思いつつ着替えようと襟に手を添えたところっで動きを止めた。
「どうかしましたか?」
彼の目の前で着替えるべきなのか? 熱が下がった頭が冷静に考え始める。状況を理解すると、ぶわっとまた顔が熱くなるのを感じた。
相手が歌仙ならば瞬時に着替えていただろうに、何故いきなり我に返り恥ずかしくなるんだ。
「あの、雲生」
「はい?」
「えっと、着替えるから、後ろ向いてて……」
気まずくなり、視線を落とすと、雲生は何か気づいたようで「すみません、着替えましたら教えてください」と少し焦ったように後ろを向いた。
さっと手早く着替え、「着替えたよ」と声をかけた。雲生は「では少し体を拭きましょうか」と濡れ布巾の用意をし、「後ろを向いてください」と言うので後ろを向いて肌を出した。背中程度なら特に見られても問題はない。「失礼します」と声をかけてから雲生は濡れ布巾で優しく丁寧に拭き始めた。
「終わりましたよ」
「あ、じゃあ、貸して」
はい、と手渡された濡れ布巾でさっと見えないように隠しながら拭き、雲生に返した。
風呂よりは違和感は残るが少しすっきりした気持ちでまた布団に倒れた。
雲生は脱いだ肌着や濡れ布巾等を片付けた後、また隣へ戻ってきた。
「添い寝してもよろしいですか?」
わざとなのか、無意識なのかは判らないが、耳元でそう囁いて手を握ってきた。最早心配などではないだろう、どう言う気持ちでいるのかはわからない、けれど悪い気はしない。悪い気はしないが心臓に悪い。
言葉で答える代わりに雲生の方を向いて目を閉じた。添えられた手にしがみつくように手を重ねる。
「おやすみなさい、主」
女郎花が咲き始める季節だと言うのに、この時だけは春のようなあたたかさを感じた。
視界が開けたように明るく、存在を確かめるようにぎゅっと手を結ぶ。
なんだか久しぶりに穏やかに眠りにつけた気がした。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。