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Win〜彗星は南から

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117,786 字

地方競馬ファンタジー家族ドラマ

"南国の風が運ぶ、魂の継承と家族の絆。彗星は、希望を乗せて南から来る。"

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第8話 人馬一体

「ボップ!気にせんで良い!」
 仁美の声が、落鉄で動揺しているヘールボップの心に響き、それは状況を見守る万次郎にも届く。

「仁美……お前、落鉄に気づいたがか?」
「騎手が、鞍の上ではなかなか気づけんぞ」

 コメットハンターは、息子の意識に耳を傾ける。
 すると、ヘールボップの内なる声が、二人のいる深層心理領域にポツポツと響き始めた。

(……でも、仁美さん、なんか変だよ)
(脚の、裏が、いつもより、ざらざらして) 

 不安そうな、怯えた声。
 しかし、次に仁美からその不安を一喝する様に叱責する声が上がる!

「たっすいことをいいな!!」

 "たっすい"弱々しい、頼りないを表す方言。
 そのやり取りに、また万次郎は目を見開いた。

「……仁美、お前」
「ボップの、言葉がわかるがか?」

 傍で、コメットハンターが鼻を鳴らす。

「何を今更……」

 今度は、コメットハンターに視線を移す万次郎。

「私とあなたも……そうだったじゃないですか?」

「お前は、ひとつも言うことを聞かんかったろうが」
「……ダービーの時も」

 すると、目を細めて答えるコメットハンター。

「あなたが、私の言う事を聞いてくれたでしょう?」

 そう返されると、悔しそうにしながらも、鼻で笑ってまた、景色を見上げた。

「ボップ、あんたらあ馬は、元々自然の中で生きよったがで」

 ヘールボップの手綱を操作し、冷静に位置取りを確認する仁美。
 ヘールボップはコースの外目に位置を取り、二番手、三番手に。

「今でも、九州におる野馬は蹄鉄らあつけてない」

(けど、変だよ、気になるよ)

 ヘールボップの返事は、まだ弱々しい。

「レース中に蹄鉄が外れるなんて、いつものこと、このコースにやって」

 仁美は、他馬との位置関係を確認する為振り返り、一瞬視線をコースの砂に向けてまた前を向いた。

「外れて飛んだ蹄鉄は、すぐ砂に埋まって回収できんなることもある」
「今のこのコースにも、どっさり埋まっちゅう!」

 ヘールボップのストライドが、徐々に安定し始めた。
 巻き上がる砂塵が、勢いを増してくる。

(けど、また負けたら、また責められるよ)

 仁美の、手綱を持つ手に力が籠る。

「それは!私も一緒!」
「あの時の……」
「竹さんも、そうやったろうがえ!?」

 その時、ヘールボップの脳裏に、あの忌まわしい記憶が蘇る。
 自分に向けられる、罵声の嵐。
 敗戦の度に発せられる、悪意の言葉の数々。
 その中で、自分に対してのものではない言葉が含まれていたのを、思い出して行く。

「竹ー!この下手くそー!」
「何が天才竹裕だよ!ちゃんと前を見てんのか!?」
「もう歳だろう?辞めちまえ馬鹿野郎!」

(……僕の、せいで)
(裕さんが……)

 そっと首元を撫でられて、微笑む竹騎手の声が思い出される。

「お疲れ様、次、また頑張ろう」

(裕さん……)

「……裕」

 深層心理の景色に灯る、中央時代のヘールボップの相棒だった竹裕騎手の姿。
 それは、万次郎にとっては、同期のライバルであり、無二の親友の姿だ。 

「息子よ……」

 コメットハンターの言葉が落ちる。

「誇らしい、美しい記憶だけではない」
「挫折と、後悔、苦悩……」
「絶望」
「それらは、閉じて蓋をする物ではない」

 客席の洋平の口元が、また自然に緩む。

「息がピッタリや」

 広美は黙って、真剣な目で、コースから視線を外せない。

 洋平が続ける。

「まさに、人馬一体やねゃ」

 コースでは3コーナーを回り、後続が徐々に差を詰めてきた。
 先頭の馬には、瀧越が騎乗していた。

「B3クラスやと、今のボップは止めれんわ」
「仁美ちゃん、ガンガン腕を上げてくるねゃ」

(僕だけじゃない……仁美さんも、責められる)

 深層心理領域に、数々の記憶が続けて映し出されて行く。
 落鉄の記憶。
 初めて他馬の後塵を拝した日。
 その後、中央のレースでの敗戦の数々。
 歯噛みをするほどの悔しさ。
 走ることへの恐怖。
 失った自信。
 それら全ての負の記憶が、帯の様に、広がり始めた。
 4コーナーを回り、直線を向いた仁美が高々と鞭を振り上げた。

「全部!乗り越えるがで!」
「本当のあんたを、みんなに見せちゃり!」

 その鞭が、思い切り振り下ろされた。

「"たっすい"がはいかん!」
「あんたは!」

 ヘールボップの瞳が、闘志を込めて爛々と輝き始めた。

「ヘールボップながやきね!」

 その四肢に力が漲る、落鉄の違和感に怯える姿はもうない。
 真っ直ぐ前だけを見据え、大量の砂塵を巻き上げながら、まるで宙を飛ぶように駆け出した。

「あ〜あ、もう点になるかや?」

 その視界に映る、小さな後ろ姿に溜息の瀧越。
 そこに迫る後続馬に気付き慌てる。

「いかんいかん、まだレース中や、着差大差でも、二着は二着や」

 手綱を引き、馬を追う手を早めた。
 その間に、ヘールボップと仁美は既にゴール板前を通過していたのだった。

「万次郎さん、気付いてましたか?」

「……ああ、わしら、出る幕なかったねゃ」

 目の前の、コースの景色に目を細める万次郎とコメットハンター。
 また浮かび上がる新たな勝利の瞬間。
 そして、罵声の記憶を打ち消すように、仁美の叫びがこだまする。

「"たっすい"がは、いかん!」

「この言葉、私も、さんざん言われましたね」

「……存外、根に持つんやねゃ」

 万次郎は腕組みをして、コメットハンターと視線を合わせた。
 着順とタイムが表示される。
 すると、客席からざわめきが溢れ始めた。
 それを見た洋平が、目を見開いて席を立つ。

「何な?あの時計...…」

 掲示板に表示されたタイム。

 一分二十六秒七

 不思議そうに、洋平に視線を移す広美。

「どうしたんですか?レコードじゃないですよね」

「ここの千四百のレコードは、十年前に中央の馬が、交流重賞で出した、一分二十六秒」
「けんどあの時よりも、砂が深うなっちゅうき、時計が伸びんなったがよ」

 震える声で説明する洋平に、広美は反射的にコースに目を向けた。

「二十八秒切ったらかなり早い時計やに、二十六秒台出すらあて……」
「調教師の最初に、なんちゅうもんを引き継いでしもうたがな、俺は……」

 ただ額に手を置いて、茫然と虚空を仰ぐ洋平。

 広美は、ゆっくりと減速して行く人馬を見つめる表情が、不安に強張って行くのがわかる。

(仁美、それで良いが?)
(……もう、戻れんなるで)

 言葉には出さない、出してしまうと、自分の狭量な心を認めてしまうから。
 さらに、言いようのない不安が、彼女の心を揺らす。

(お姉ちゃんを……置いて行くが?)

 なぜ、その言葉が胸に落ちたのかがわからない。
 ただ、自分を頼り、自分に甘えていた幼い妹が、ずっと遠くに向かっていっている気がして、謂れのない孤独を隠しきれなかったのだ。

 レースの興奮が冷めた後、武政厩舎の調教師室では、洋平が机に座り、応接のソファには瀧越が腰を下ろして足を組んでいた。

「マサ、俺、決めたぞ」

「何を?」

 洋平が興奮気味に語り始め、瀧越が相槌を打つ。

「ボップの次のレース、潮嵐賞にする!」

「いきなり重賞かえ?まあ、妥当やろうけど」
「仁美ちゃんも、新人で取ったら快挙やね、俺以来か……」

 あくまでも、飄々と答える瀧越は、腕時計に息を吐きかけて、磨き始めた。
 そこに洋平がまた、言葉をかける。

「お前はどうせ、宗森先生のところのあいつに乗るがやろう?」

 瀧越は視線をあげて、正面を見据えたまま、洋平と目を合わさずこぼした。

「自分の所属厩舎の馬やのうて、申し訳ないけど」
「一応去年の交流重賞で、中央の馬にも勝ったし」

 コーヒーを口に運び、一口啜る。

「兵庫でも、九州でも重賞を勝ってきた」
「事実上、いまの地方の西日本には敵はおらん」

 カップをテーブルに置いて、洋平に顔を向けてニヤリとほくそ笑む、カップのコーヒーに広がる波紋。

「そろそろ、仁美ちゃんとボップにも"壁"が必要やろう?」

「その役、やっちゃるき」

 瀧越が、ゆっくりと立ち上がり、洋平に向き直ると、自信に満ちた表情で腰掛ける洋平を見下ろす。

「俺と"クトゥルフ"が」

 厩舎では、ヘールボップの馬房で、仁美が角砂糖を差し出した。

(甘いもんか、しばらくぶりやねゃ)
(酒ばっかりやったもんねゃ)

 仁美が、鼻面を撫でながら目を細める。

「ボップ、今日蹄鉄外れちょったがやと」
「頑張ったねえ、偉い偉い」

 ふっと顔を上げるヘールボップ。

(……お前、何言うて)

 レース中、ヘールボップと意思を交わしていた娘が、そのことをすっかり忘れているようだった。
 しかし、また、万次郎が何かに気づく。

(けど、それやったら、今のボップはわしながやき、わしと会話できるはずやねゃ)
(当のボップは、またダンマリで、わしには話しかけてくれんし……)
(通じるがは、レース中だけか?よう分からんわ)
(馬の心は……)

 深層心理領域は、さまざまな景色が戻り、暗黒の世界から変わっていた。
 コメットハンターが、薄明かりに照らされて眺めていると、その空間に、言葉が響く。

(まんじさん……困っちゅう、困っちゅう)

 その声は、どこか意地の悪いはずんだ声だった。

「……いたずらもほどほどに、明美さん」
「息子の声を、仁美ちゃんに届けるなんて」
「万次郎さんを誤魔化すの、苦労したんですから」

 明美の声が、コメットハンターの声に、軽く反応する。

(ごめんって、けど、ボップちゃんには一番の薬やない?)

 ヘールボップの視界に移る笑顔の仁美に、今度はどこか感慨に声を詰まらせたように、言葉が漏れる。

(この子と離れたがは、六年生……)
(強い子に……育ってくれた……けど、心配ながは……)

 視線が動くと、厩舎の入り口に立って、仁美とヘールボップを見つめる広美が遠く映る。

(……広美)

 複雑な表情で、仁美を見つめる広美の背中に声が飛ぶ。

「こんな夜遅いに、お仕事大変ですね」

 信吾だった、手には掃除用具が握られている。

「そろそろ厩舎閉めますから」

 目を合わせずぶっきらぼうな信吾に、広美の眉間に皺が寄る。

「あんた、二十三て言うたっけ?」

「そうですけど?それが何か?」

 ロッカーを開いて掃除用具を収める。
 口調は、無愛想なままだ。

「私の二つ下か……の割には、なんか、幼いね」

「俺は、田舎もんですき、都会におるあんたみたいに、世間を知りませんから」

 洗い立てのタオルを振り、水気を飛ばして、張ってあるロープに掛けて行く信吾の背中に、広美は続ける。

「なんで厩務員になろうと思うたが?」

「中学の時から好きやったがですよ、競馬」

 信吾は手を止めない、しかし、作業中ではあるが、聞き流さずに返答する姿に、広美は言葉を続けた。

「中学?なんで?親が好きやったとか?」

「WSです」

 広美が一旦固まった。

「何?それ」

「ウィニングスタリオン、ゲームです」
「自分で交配させてレースに出すやつ」

 広美は思わず吹き出してしまった。

「オタクやん?」

「そんなことないです!全国的にブームになったがやに、知っちゅうでしょう?」

 広美は、信吾の言葉を受けて、すっと真顔になった。

「ゲームらあ、やったこと……ない」

 信吾の手が止まった。

「あの人が……歩けんなってから、母は、あの人の世話ばっかりで」

 静かに仁美に目を向ける。

「あの子の世話、全部私がやりよったき」
「東京でも、学費を稼ぐためにバイト掛け持ちで、自分の時間らあ、なかったし」

 きっと信吾に目を向ける。
 感情が乗って、険しくなる口調。

「あんたみたいに"普通"の家庭で、育ってないが、こっちは!」

 信吾はじっと視線を落とした、広美の重たい返答に、返す言葉を探したが、思いつかない。
 口をついた言葉を、なんとか搾り出す。

「……無神経でした、すみません」

 素直な返答に、広美は意表をついて吹き出す。

「案外……素直やいか」
「モテんろうけど」

 信吾は、可笑しくなり、ニヤけながら返した。

「大きなお世話や!」

 二人は、月明かりの下で、笑い合っていた。
 満月が、二人の影を伸ばしている中で。

 数日後
 休日を一人で過ごしている広美。
 アパートのインターホンが鳴る。

「沖浜さん、内容証明郵便が届いてます」

「はーい」

(内容証明郵便?なんやろ、それ?)

 箪笥から印鑑を取り出して、玄関に向かった。
 ドアを開けたら、郵便配達員が、硬い表情で封筒を差し出す。
 広美は押印をして受け取った。

 部屋に戻って、封筒を見ると、そこに印刷されている文字を読んだ。

 剣持法律事務所

「これ、弁護士事務所?」

 広美は慌てて開封して、中身を確認して、目を疑った。

「……なに?これ?」

 内容を読み進めると、広美には理解できない文面がならんでいた。

「…どう言うこと?」

 書類の中にはこう書かれていた。

 この度、上崎恵美氏(以下甲)は、甲の夫、上崎徳和氏との不貞行為を理由として
 沖浜広美氏(以下乙)に対して、慰謝料請求の旨、通知する。

「奥さん、別れたがやなかったが?」

 事前に、甲、乙、担当弁護士による三者協議を以下の日時に実施する。
 欠席の場合は、記載内容に基づいた対応を執行する旨通達する。

 広美は、もう言葉を発せず膝をついた。
 胸の鼓動は止まらない。
 呼吸が、心許なく、広美の胸を震わせるだけだった。

── 第9章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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