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PLANET LAND - 彗星から惑星へ -

305,817 字

青春群像劇、家族の物語、成長譚

"彗星のように駆け抜けた日々から、自らの重力で輝く惑星へ。これは、出会いと別れを繰り返し、居場所を見つける若者たちの物語。"

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第10話 志織おかあさん

 宮坂の運転するワンボックスは、夜の道路を南下していた。
 やがて、街の灯りの正面に夜の海が現れて、ハーバーランドの明かりが水面を照らす。

「それにしても、あなたたちすごいね。再生回数が20万回超えなんて」

 志織が後部座席でしみじみ笑うと、すかさずミラー越しに返答する助手席のミナ。

「本当ですよ」
「ただ、権利は全部映像研なんで、そこは複雑ですけど」

「でも、名前を出してもらえたでしょう?」
「うちの会社には、いい宣伝になったよ」

 ユズが声を弾ませる。

「やっぱり、今回の立役者は杏奈ちゃんやな」

 聡志も頷いて同意した。

「ほんと、杏奈の台本のおかげだよ」

 志織の声はやわらかい。

「杏奈ちゃん、すごいんだね。台本の書き方は、どこで?」

「えぇと……うちの父が、若い時に書いていたらしいんです」
「その原稿を入学した時に貰って……それを見様見真似で」

「……そう」
(あれのこと、だよね)

 その一言は、わずかに沈んでいるようだった。

 2000年 冬。

 新聞を広げた指先が止まる。
 第七回全日本映画協会脚本賞の発表記事。
 受賞作、佳作、奨励賞。
 そのどこにも——「彗星群」の名前はなかった。

「厳しい、世界なのね」

 意識が現在に戻ると、志織がふと思い出したように言う。

「でも、ゆうまくん。今日は運転だから、お酒が飲めなくて残念ね」

「本当ですよ」
「田澤さん、帰り代わってくれない?」

「私、免許持ってないです」

「じゃあ、諦めなさい」

 志織はそう言って、どこか楽しそうに微笑むと、峯岸が堪えきれずに噴き出した。

「そらそやで」
「去年、何やらかしたか覚えてないんか?」

「覚えてない」

 ユズは声色まで再現しながら、にやついた。

「去年は座敷やったから」
「代表の隣に、じわじわ擦り寄っていって」
「だいひょ〜、膝枕して〜、耳かきして〜、てな」

「絶対嘘だろ」
「こっちが覚えてないからって、盛らないでよ」

 聡志もつられたように、笑っている。

「あれは鳥肌モンだった」

「ほんまや」

 峯岸が頷くと、志織は肩を揺らして笑った。

「ほんとにね」
「じゃあ、ミナちゃんに告ってたのも覚えてないの?」
「チューしてよ〜って迫ってたよ」

 杏奈が思わず身を乗り出す。

「……ほんとですか」

 宮坂は、恐る恐る隣を見ると、ミナは表情を変えないまま、前を見据えて言った。

「代表、ゆうま運転中だから」
「動揺させると危険ですよ」

 運転席の背中が、わずかに固まる。

「……え?」

 宮坂の声が低く落ちた。
 喉を鳴らす音が聞こえると、後ろの面々は必死に笑いを堪えていた。
 さらりと言う志織。

「まあ、それは嘘だけど」

 車内に笑いが弾けたが、ミナだけは前を向いていた。

「やめてください、本当に」

 ワンボックスは夜景の中を抜け、海を渡った先の人工島へと入っていく。
 高層ホテルの明かりが近づき、エントランスへと静かに滑り込んだ。

 ホテルのロビーは、高い吹き抜けの天井と、足元を包み込む絨毯が敷かれていた。
 照明が随所にともっているが、眩しさは感じられず、豪華な調度品の数々もさりげなく空間に溶け込んでいる。

 入口で足を止め、きょろきょろと視線を巡らせていた杏奈に、ミナが小さく笑って言った。

「どうしたの? 杏奈ちゃん」

「おしゃれで、豪華で……すごいです」

 峯岸が天井を見上げ、わざとらしく感心してみせる。

「せやな。時代の最先端やわ」

 宮坂は、周囲の様子をつぶさに観察しているような、真剣な目つきだった。

「オブジェの配列、フラワーアレンジメントの技術」
「どれも一級品だね、繊細だけど、ちゃんと主張してる」

「こういう所でもしっかり見とるんやなあ」

 ユズが感心したふりをしてから、にやりと杏奈へ顔を向ける。

「杏奈ちゃんも、そのうち彼氏と来たりするんちゃう?」

「それは……夢みたいな話ですね。素敵です」

 杏奈が少し照れて、目を伏せると、ミナとユズが優しく微笑んだ。

 そのとき、志織がエレベーターから現れた。

「お待たせ。じゃあ、行きましょうか」

 一行は、ホテルの地下のレストランが並ぶフロアに降り立つ。
 志織がある店の、チーク材の扉の前に立つと、一同は真顔で息を飲んだ。

 そこは、ステーキハウス。

「え?」

 杏奈が小さく声を漏らす。

「やっぱり、神戸と言えば、でしょ?」

「いや、母さん、そこまではどうかな?」

 困惑する聡志に、動揺する峯岸。

「うん、さすがにこれは……恐縮してまうわ」

 志織は、さも当然であるかのように、迷いなく微笑んだ。

「何言ってんの、20万回だよ」
「そこに、うちの社名も載ってるんだもの」
「これは、広告宣伝費よ」

 ユズが小声でつぶやく。

「オカーサン、やり手やわ……」  

 席に着き、メニューが配られると、志織は、水のグラスに口をつける宮坂を、じっと見つめていた。

「ゆうまくん、お酒は飲まないんだから」
「食べるものくらいは、ちゃんと選びなさい」
「今日は運転なんだから」
「お酒、飲んだらダメだからね」

「……はい」

 峯岸がぼそっと言う。

「去年みたいなん、もう見たないしなあ」

 ユズが笑い、ミナが淡々と締める。

「覚えてないのが問題やねん」

「安全第一でお願いします」

 宮坂は水のグラスを持ち直し、静かに頷いた。
 乾杯の声があがり、グラスが重なる。
 志織はワインを一口含んでから、杏奈のほうを見た。

「今日は、ゆっくりお話ししたいから」
「杏奈ちゃん、隣に来て」
 
 杏奈は少し驚いた顔をして、それから小さく頷き、席を移る。
 並んで座ると、志織は穏やかに切り出した。

「杏奈ちゃん、久羽乃町出身なんだって? 舞台になった小説を読んで、興味があってね」

「はい。小さなお城があって、情緒があって……私は好きなんですけど」

「……けど?」

「こっちと比べると、車がないと買い物にも行けないし……近所の人の目、みたいなのもあって」

「人の目って?」

「私がお店の手伝いをしてたら、お客さんのおばさんたちが、窓の外のカップルを見て」
「“誰々さんとこの息子さん、また彼女変わっとる”よ」
「それは、ええことだがない」
「……みたいな会話が、普通にあるんです」

 志織は小さく頷いた。

「なるほど、色々過干渉なんだね」
「都会のほうじゃ、アパートの隣にどんな人が住んでるかも分からないもの」

「ですよね」

 次に志織は、どこか緊張した雰囲気を作った。

「ご両親は優しい?」

「はい、とても優しいです」
「私と妹、叱られたことはありますけど……でも、いつも最後は励ましてくれて」

「そう、いいご両親なんだね」

 志織は静かに微笑む。

「お母さんって……どんな人?」

「明るくて、よく笑って」
「父の料理の盛り付けを担当してて……父の料理が、どうすれば美味しくなるのかがよくわかっている人です」

「お父さんとの馴れ初めって、聞いたことある?」

「はい、酔った父が、何回も話すので……覚えちゃいました」

 杏奈は少し照れながら笑う。

「聞いていい?」

「はい」

「お母さんは、地元で小物や雑貨を扱うお店で働いていたんです」
「そこに、お父さんが、自分のお店に飾るものを探しに来て」

「確か、洋食レストランだったよね」

「はい。そこで……一目惚れだったみたいで」
「商品を、爆買いしていったらしいんです」

 杏奈は、くすっと笑う。

「祖父に、しこたま怒られたって」

 その瞬間、志織が吹き出した。

「ふっ……」

「代表?」

 杏奈が怪訝そうに顔を覗きこむと、志織はすぐに姿勢を正す。

「なんでもない、続けて」

 杏奈は少し申し訳なさそうに笑いながら続けた。

「父は、毎日空き時間があると必ず母のいる店に行ってたらしいです」
「わざわざ母を呼んで、買い物して」

「毎日通ってたの?」

 杏奈は黙って頷いた。

「毎回、“食べに来て、食べに来て”って、しつこかったらしくて」
「一時は、本気で相談することも考えたみたいです」

「相談?なんの?」

「ストーカーで」

 志織は一瞬間の抜けた声になった。

「へ、へえ」

「でも、その前に一度……どんなものだろうって、食べに来たんです」
「父は、一番高いディナープレートを“奢りだ”って用意して」
「……お母さん、びっくりしたみたいで」

 志織が小さく言う。

「何を?」

「お肉も、エビフライも、コロッケも、サラダも、果物も」
「全部を、ぎゅうぎゅうに一皿に詰め込んだ料理だったって」
「しかも、食べたらどれもすごく美味しかったみたいで」

 杏奈は、そこで少し笑った。

「母、なぜか腹が立ってきたらしくて」
「お店に貼ってあったスタッフ募集の貼り紙を見て」
「“明後日から来るから、雇ってください”って言ったそうです」

「すごい行動力……見習いたいよ」

「母が盛り付けを整理して、見せ方を変えたら、お客さんがたくさん来てくれるようになって」

 杏奈は少し誇らしそうに続ける。

「それで……二ヶ月で婚約して、そのまま入籍したって」

「二ヶ月で!?それは、早いね」

「はい、母いわく、“勢いがあるうちに捕まえとかないと逃げるから”って」

 志織の目が、急に遠くを見るような視線に変わっていった。

「そっか、そうだよね……それは、賢い選択かもしれないね」

「父って、お調子者の部分があって、突然、映画とかドラマの真似をして……温度を下げるんです」

 志織は目を細めて笑った。

「温度を下げるの?」

「お客さんに“マスター”って呼ばれたら、急に"フォースと共にあらんことを"って言ったり」
「あと、昔のドラマの決め台詞とか……」

 杏奈は小さく咳払いして、真似をする。
 志織が吹き出しそうになって、グラスを置いた。

「私の昔の知り合いにもいたよ、気分はすっかり人気俳優さん」
「今も大スターの人、娘さん達も活躍してる人」

 志織が少し表情を作る。

「おい、ちょ、待てーよ」
「とか、言ったり」

 杏奈が思わず笑う。

「父、よく言いますよ」
「母が“もう、いいよ!”って止めます」

「他にも……」

 杏奈は少し真面目な顔に戻る。

「二人の新婚旅行」
「お店があるから時間が取れなくて、二泊三日で……瀬戸内のアートの島に行ったそうで」

「私たちも、仕事柄行くよ。研修とかで」

「フェリーの甲板で、父が急に母の顔をじっと見ていたらしいんです」

「じっと見てどうしたの?」

 志織が首をかしげた。

「はい、じっと見て……突然」
「くろーじゅあらいず……」

 志織は、今度こそ笑いをこらえきれず、口元を押さえた。

「ごめん、ワイン噴きそうになっちゃった!」
「それでそれで?お母様はどうしたの?」

「付き合ってあげたそうです」
「I trust you、って」

 志織の目が細くなる。

「で、あのポーズを?」

「はい、あのポーズを」

「どうなったの?」

「意外と……やりたかった人のほうが多かったみたいで」
「周りの人も、両親に影響されてやってる人が多かったって」

 志織はゆっくり、ワインのグラスを揺らした。

「今でも仲がいいの?」

「はい、私たちが見てても……とても」

「うらやましいな」

 杏奈は、少しだけ背筋を伸ばした。

「そんな両親に、恩返しして……たくさん親孝行したいんです」

 志織は、息子に振り返る。

「……ちょっと聡志、聞いた?」

 少し離れた席で、聡志は肉を頬張っている。

「ん? 何?」

 次の瞬間。
 ミナの指先が正確に、聡志の脇腹を突いた。
 そのやりとりを横目で見て、小さく笑う志織は、ゆっくりグラスを置く。

「杏奈ちゃんの考える恩返しや、親孝行って?」

 杏奈は少し考えてから答えた。

「自分がしてもらって嬉しかったことを、返していきたいんです」

 志織は首を横に振る。

「それは、違うよ」

「え?」

「それじゃ、貸し借りになっちゃう」
「あなたのご両親は、返してほしくてあなたと妹さんに、愛情を注いでるわけじゃないのよ」

 黙って耳を傾ける杏奈。

「あなたが、ご両親にしてもらったことは、あなたが、次の世代にしてあげればいいの」

「でも……」

「親ってのはね、自分の子どもが自分の道を見つけて、自分の足で歩いていくこと」
「それが一番の親孝行なの」

 志織は、また視線を聡志に向けた。

「あそこに座ってる、あんなのでもね」

 小さく、胸の内で続ける。

(それに、あの人なら特に、思うはずよ)
「だからあなたは、"あなた"になりなさいね」

 杏奈はうつむき、目をこすった。
 涙が自然と湧き出てくる。

「……はい」

 その瞬間。

「オカーサン、杏奈ちゃんなーかした!」

 ユズの声が、向こうの席から飛んできた。
 志織は少しだけ身を乗り出して、杏奈の目を見た。

「杏奈ちゃん。私、あなたを気に入っちゃった」

「ありがとうございます」

 照れたように笑う。

「お願いがあるの」

「私にできることなら」

「あなたのお母さんには、悪いんだけど」

 志織はまっすぐ言った。

「私を、“志織おかあさん”って呼んでほしいな」

 杏奈は言葉を失って、瞬きする。
 そこへ、向こうの席からユズの声が飛ぶ。

「ウチが呼んでるやん」

 志織は涼しい顔で返した。

「あなたのはカタカナでしょ?」

「……意味わからん!」

 杏奈は思わず笑ってしまった。
 志織も少し肩をすくめて笑う。

「うちにはあの、むさいのしかいないでしょう?」

「女の子が欲しかったのよ」

 その言葉にユズがすぐ反応する。

「だからウチは〜?」

「じゃあ、あなたが長女で、杏奈ちゃんは次女ね」

 そしてミナを見る。

「ミナちゃんはどうする?」

「私は秘書でいいです」

 一瞬、静かな笑いが広がり、志織が杏奈に向き直った。

「これでどう?」

 杏奈は少し戸惑いながら、でもまっすぐ志織を見る。

「……わかりました」
「志織、おかあさん」

(志織、おかあさん)

「……」

 その呼び方が、志織の胸の奥を正面から叩いて、思わず息が止まる。
 いくつもの気持ちがいっぺんに押し寄せて、自然に杏奈の手を、握っていた。

——幸弘の娘。
 あの人の元に生まれて、
 あの人の背中を見て育って、
 あの人の家の温度の中で、大きくなった子だ。

 その子が今。
 自分に向かって「おかあさん」と言った。
 志織は笑おうとして、うまくいかない。
 目元が勝手にゆるむ。

「……ありがとう」

 ようやく、かすれた声になり、もう一度、同じ言葉を重ねる。

「ありがとう……」

 そして、震える息のまま、杏奈を見た。

「いい子だね、杏奈ちゃん」
「……ほんとうに、いい子」

 その目に光るものを溜めた志織を見て、杏奈は不思議そうな、しかし、どこか心を温めるような感情を覚えていた。

 帰り道の車中。

「いや〜美味かったなあ」

 聡志が、ステーキの味を反芻するように、しみじみ呟く。
 後部座席で、ユズが大きく伸びをする。

「うちら、今後の人生でもう一度食べれるかなあ?」

(お父さんと、お母さん……梨夏にも食べさせちゃりたいなあ)

 峯岸が感心した声を出す。

「ホンマ、ギザギザが無いナイフ、初めて見たわ」

 助手席のミナが振り向く。

「ゆうまはどうだった?」

「運転手で良かったよ」
「お酒飲んでたら、あの味も忘れちゃってたんだろうから」

 そのとき。
 ミナがスマホを覗くと、サークルのSNSにDMが届いていた。
 送信元には、これでもかと言わんばかりの肩書きが、並べられていた。

久羽乃町湧水祭実行委員会監査
同町観光協会理事
同町商工会会長
田澤幸弘

── 第9章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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