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彗星群

NOB

79,617 字

恋愛小説、成長物語、人間ドラマ

"不器用な二つの星が、互いを照らし、一つの群れとなる物語。"

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第7話 灰色の世界。でも!

 鍵を回して部屋に入った田澤は、ふらつく足取りで畳に座り込み、携帯を取りだした。
 通話ボタンを押し、受話器を耳に当てる。
 呼び出し音が、三度目で繋がった。

「もしもし、父さんか?」

『もしもし、おう、父さんじゃ』
『どがんした? 珍しいやないか』

 その声を聞いた瞬間、田澤の胸の奥で張っていた糸が少しだけ緩む。
 ひと息を吐いてから、わざとらしく、軽い口調で続けた。

「いや……ちょっとな」
「店の方は、どがん?」

『まあ、食うていくぐらいは、なんとか回っとるわ』
『じゃけんどな』
『お前が帰って来ても、出せる給料ぁ、ないぞ』

 先回りだ。
 田澤は言葉を探したが、喉の奥で詰まって声が出ない。

『……』

 沈黙の向こうで、父がひとつ息を吸う気配がした。

『何ぞ、嫌ぁことでもあったんやろ。声が弱々しいぞ』

「俺、もう無理や。もうこっちにはおれん……もう、いやや!」
「こっちにおったら、俺、頭がどにかなりそうや!」

 心の中で、堰き止めていたものが決壊したかのように、溢れ出す感情がまるで子供のように泣き叫ぶだけにさせる。
 受話器の向こうで、父は何も言わない。
 泣き声が嗚咽に変わり、肩の上下が少しずつ収まってきたころ――低い声が落ちてきた。

『何があったかは、聞かん』
『……じゃがな。思いつきで自暴自棄になっても、一生後悔するだけじゃけぇの』

 田澤は声を出せず、ただ頷いた。
 すると父が、急に話題を変えるみたいに言う。

『で』
『どんな娘や』
『志織ちゃん、ちゅうのは』
『こないだ名前を言うとったろうが?』

 田澤は目を見開いた。

「……なんで、わかるん?」

『お前の父親やぞ』
『分かるに決まっとろう?』
『フラれたか?フラれたんか?』
『ほらほら、どがん子や?何があった?』

「聞かんて言うたやないか!」

『やかましい! はよう話さんかい!』

 観念した田澤は、志織のことを語り始めた。出会いから、自分の情けなさ。
 救われた瞬間。そして、一字一句忘れられない――最後の食事の時間まで。

 言葉が尽きたころ。
 受話器の向こうから、鼻をすする音がした。

『……素晴らしいの』
『なんちゅう、ええ娘なんや』

 田澤は、泣きながら笑った。

「……じゃろ?」

『何がじゃろ?や』
『この、ど阿呆!』

 父の怒号に、田澤は息を呑む。
 受話器の向こうで、父は一気にまくし立ててきた。

『お前ぁ、愛情を勘違いしとる』
『志織ちゃんがお前を突き放したんはな、全部、お前のためじゃろうが!』
『お前が書いた映画を観たい言うた』
『つまり「それをやり切れ」ちゅうて背中押したんぞ』
『それが出来たら、離れとっても、お前の存在を見守れる』
『そういう愛情もあるんぞ!』
『……それが、ほんまもんの愛じゃろうが!』

 田澤は顔をしかめながらも、空っぽの心にそれが流れ込んでいくのを止められない。
 父はさらに続ける。

『それに引き換え、お前はなんじゃ!?』
『志織ちゃんは物やない。心のある人間や!』
『お前の悪い癖じゃ』
『褒めて持ち上げて、否定せん』
『そら優しさかもしれんがな』
『お前が志織ちゃんを、お姫さんか、女神様みたいに扱うばっかりに』
『そんな自分でおらにゃいけん』
『これは、しんどかろう?わからんか?』
『自分の物扱いするんと、自分が見たい相手しか見ん』
『同じことじゃろうが!』
『根っこは、その三島っちゅうのと、変わらんのやぞ!』

 声が、喉の奥で潰れた。
 反論できる言葉がどこにもない。
 父が畳みかける。

『ええか!』
『お前も三島も愛情やない』
『ただの欲望や!』
『「私じゃない誰かと幸せになって」なんちゅう言葉を、どげな顔で言わせとる』
『志織ちゃんに、一生消えん傷を残したんはお前なんやぞ!』
『自覚せんかい!』
『親として、恥ずかしいわ』

 田澤の両目から、また涙が溢れ出した。

「……確かにそうや」
「俺、俺、どうしたら……」

 その沈黙を、父がふっと息でほどく。

『やることは、一つやないか』

「……ええ?」

『約束したんやろ』
『書かんかい』
『書いて、書いて――ほんで、お前の映画を見せたれ』
『想像してみい』
『どっかの映画館で、お前の書いた映画を観て』
『泣いて、笑う志織ちゃんの姿を』
『お前の中に志織ちゃんがおる限り、出来るはずや』

 田澤の脳裏に、『彗星群』のセリフが浮かぶ。

――どこで何をしていても、笑って生きてくれ

 そして、志織の笑顔が、ふっと灯った。

「……そうやな」
「ありがとう、父さん」

『絶対に、志織ちゃんとの約束を守れよ』
『それが志織ちゃんの後悔を消す、唯一の道やけえの』
『もし実現出来んのなら、お前の愛情もそこまでや』
『……ちゃんとやり切ってから、帰ってこい』

 田澤の目に、光が宿った。
 父は最後に、穏やかな声で告げる。

『ほいで、いつか、志織ちゃんを連れて来い』
『父さんも……会いたい』

 電話は、静かに切られた。
 その後、田澤は、首から下げたチェーンに通された決して高価ではない指輪を眺める。

「高校の頃、俺らが付き合うて、最初のお前の誕生日に、俺が贈ったやつやったな?これ」

 断片的に、浮かぶ記憶。

 ーーーボンネットがへこみ、ライトカバーが砕けた車
 ーーーそこに倒れていた、開かない瞳
 ーーー温もりを失った唇
 ーーー傷つきながらも、固く握られた、小さな拳
 ーーー指をほどいた、掌の中にあった、同じ指輪

「こんな安物を、最後まで、あんなに大事そうに握って.....」

 田澤の瞳が、潤んで揺れながら、指輪を見つめていた。

「俺がもう一日、帰るのを、引き留めとったらの......」
「他の人を、好きになった俺を、お前はもう、好いとりゃせんじゃろうが.....」
「お前も、力を貸してくれな」
「.....由美加」

 田澤は指輪を固く握りしめて、そっと目を閉じる、脳裏に浮かぶ懐かしい声。

(ゆきくんは、何でも出来るけえ、頑張りんさいよ!)
(ゆきくんは、本当は凄い人なんよ、もっと自信を持ちんさい)

 次に、自分自身が作り出した言葉なのか、本当に聞こえたのか、田澤にしっかりと言葉が届く.....

(志織さんを、守ってやりんさい)
(大事にしたりんさい)

田澤の胸の奥で、何度も響いた。

(信じて、愛してやりんさいね)
(ううん)
(愛してもらいんさい)

 その言葉は、祈りのように残る。

(あの人は、ゆきくんの事、いっぱい好いとるよ)
(だから、幸せにしてあげんさい!)
(ゆきくんの幸弘は、幸せをいっぱいひろげるんよ)
(いっぱい与えられるんよ!)
(うちに、くれたみたいに、ね)

 田澤は目を閉じた、心にぽっと灯りがともる。
 温もりが、広がって行くのがわかる。

「ありがとう.....由美加.....」
「そうやって、いつも、励ましてくれよったな.....」

 見開かれたその瞳は、爛々と力強い光が輝く。
 もう一度、指輪をつよく握りしめた。

「やったるけぇの、そっちから、よう見ちょれ!」
「.....ゆみかん!」

 ワープロを立ち上げ、その白い光に顔を照らされながら、無心にキーを打ち込む。
 カタカタという無機質だが、規則的なその音だけが、田澤の部屋に響き渡っていった。

 一方志織は、部屋のベッドにもたれて、ぼうっとする時間が増えた。
 テレビはつけているものの、映像も音も心に響いてくるものはない。

 それでも、仕事場にいる間はまだ自分を保つことが出来ていた。
 自分が望んだ仕事。
 そして、田澤が背中を押してくれたからこそ、身を置いている場所だった。
 そのまま、床に横になって眠る。
 ベッドで眠る気にはならない。
 あの三島と、枕を並べていた場所であったからだ。
 時に、共に過ごしていた時の、自分を罵る声や、屈辱をうけた記憶が脳裏に蘇り、身体が震えて耳を塞ぐ時もあった。 

「……引越し、したいな」
「けど……何も、やる気が……起きない」

 そんな言葉を呟きながら、いつの間にか眠りにつく毎日だった。

 そんなある日、志織のいるデザイン事務所に、一本の依頼が舞い込んだ。
 ポスターと雑誌広告。
 「第9回全日本映画協会主催脚本賞作品応募」の告知一式――。

(これ、田澤君が応募したコンクール……)

 ふとカレンダーを眺める。

(あのバレンタインから、もう一年か...…)

 所長は原稿を指でトントンと叩きながら落ち着いた声で言った。

「多辺君、やってみるかい?例えば、万年筆と原稿用紙?いやありがち?」
「ワープロとコーヒーカップ?インパクトはやっぱり前者だけど」

「……やってみます」

 なぜかすんなりと、即答することができた。
 一年前のバレンタインの夜、田澤からファイルを受け取った記憶が思い出される。
 そして、この仕事が出来るのは、自分しかいない。
 根拠のない確信だ。
 それでも、迷うという選択肢が彼女にはなかった。

 資料と、先方からの趣意書を渡されて、机の上で開く。
 新しい才能を発掘する。
 誰かの思い描いている、夢を形にする。

 所長の話した、万年筆と原稿用紙。
 ワープロとコーヒーカップ。
 どちらも、デザインとしては間違いではないだろう。
 ただ、人の心を動かすことができるだろうか?

「脚本……私が知っているのは……」

 はっと気づき、引き出しを開けた。
 差し込まれているファイルの中から、一冊を取り出して、深呼吸をする。

 表紙を開くと、書かれている文字は

『彗星群 田澤幸弘』

 自宅に置いて、もし三島に見つかったら、確実に処分されると確信して、職場に移動させていた。 

 ページを開く前に、深く呼吸をする。
 胸を手で押さえると、額にじんわりと汗が滲んだ。

(怖い、また、あの時みたいに、みじめな気持ちになるのが)

「けど、あれからの毎日を思えば、大したことじゃなかった……」
「やっと、わかったよ、田澤くん」

 読み進める、やはり景色が浮かび、会話が聞こえて来た。
 しかし、今は、当時とは違う感覚が生まれ始める。
 ふっと現れるある一文。

「どんな仕事をしていても、笑って生きてくれ」

(……あ)
(そうか!そうだよね。)

「最高の資料が、ここにあったんだ」
「私が、これを読んで感じたことを、形にすれば良いんだ」

 早速画面のデザインソフトに向かい、作業を始める。
 キーを打つ指先。
 マウスを滑らせる手つき。
 いずれもが、止まることなくリズムを刻んで行った。

 志織の心に、新しい感情が芽生える。
 ゼロから新しいものを作るの、楽しい。
 自分の中にある引き出しを開くの、楽しい。

(田澤君も、閉じた心の中から、たくさん引き出しを開けていたんだね)

 志織の脳裏に、深夜に暗い部屋で、液晶画面に向かう田澤の背中が浮かぶ。
 それと同時に、彼の周りの景色が、さまざまな世界に次々と入れ替わっていった。

「そうか、田澤くんは映画の、映像の世界を文字にしてる」
「そこに生きる人たちの言葉を、紡いでる」

 画面の中で、開かれた本。
 そのページから立ち上がる、ビルや自然、晴天や嵐、喜怒哀楽の表情。
 見開かれたページが、幾つもの世界を描き出しているデザインだった。

「なかなかいいねえ」 
「この線で続けてよ、良い物になるよ」

 満足気な所長に笑顔を返す志織。
 心から、笑みがこぼれたのはいつ以来だっただろう?

 志織は、画面を見つめたまま、心の中で呟く。

(田澤君、元気に書いてますか?)
(私の見える景色はまだ暗闇から灰色になったばかりだけど)
(なんとか頑張れそうです。私も約束する)
(いつか出来るあなたの映画のポスターを、私が作るから、その時に...)
(きっと、また会いましょう)

 志織は、カーソルを、ENTERの位置に移動させる。

(私は、今ここから)

 同じ瞬間――田澤の部屋でも、ワープロの画面が白く灯っていた。

「これでよし...」

 彼もまた、息を整え、指を置く。
 そして、離れた場所の二人の指の動きが重なった。

「せーの!」

 田澤はワープロの実行キー、志織はマウスのボタンを同時に打ち込んだ。

── 第9章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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