第9章
いよいよ移住先での新しい生活が始まった。
朝起きると台所でコンロにやかんをかけ、インスタントコーヒーを淹れる。11月の山間部はうっすら霧が出ることもあり、もう少し肌寒い。
マグカップ片手に庭へ出る。由奈はいつもと同じようにカブトムシの木の下に寝そべっていたが、私が引き戸を開けて出てくるのを聞きつけると、ゆっくりこちらへ歩いてくる。
敷地はぐるりと囲む形で木製の柵が設置され、道路に面した出入り口には簡単な鍵がかけられる扉もある。由奈が迷い出てしまう恐れもなくなった。
「おはよう」と声を掛け、ビニールハウスの跡地に積まれてブルーシートをかけた干し草の山から猫車で今日の朝ごはんを用意する。
自分の生活にはテレビの置かれた居間と台所を主に使い、土間を挟んで風呂・トイレに近い側にある部屋の一つを仕事部屋、もう一つを寝室とした。居間にしかなかったエアコンを仕事部屋と寝室にも設置した。Wi-Fiのエクステンダーを置いて、母屋全域と庭先くらいまでWi-Fiでカバーできるようにした。
由奈のものは「めぇない」に持ち込んで、前の自宅の時とほぼ同じレイアウトで飾った。ただアリエルのぬいぐるみだけは、トライアルのときと同じようにシャル専用オクスとともに居間に飾った。
愛莉ちゃんにもらったうさぎの女の子は仕事用のデスクの隅に置いた。手紙はめぇないの由奈の机の引き出しに入っている。
由奈の「部屋」となる牛小屋も理想のイメージはあるのだが、それらを全部実現するとなると工費が300万円程度かかることになる。ここまでに既にかなりの費用を使っているし、今後雇用が無事に継続されるかも分からない。
将来的な拡張を前提として、雨風を防ぐための基本的な建物と給水設備のみを造ってもらうことにした。電気は引き込んでおくが本格的な改装は、自宅が売れるのを待つしかないだろう。
トーストとサラダ、目玉焼きの簡単な朝食を縁側で食べる。由奈と一緒にいられる縁側で過ごす時間が長くなった。
引っ越した翌日、隣近所(といってもだいぶ離れているが)に挨拶へ行った。皆、愛想良く「よろしく」「分からないことがあったら聞いてね」と受け入れてくれたが、私が娘を連れて移住してきた事情は当たり前のように知っていて田舎の口コミのすごさ、プライバシーに対する意識の違いに驚かされもした。
その次の日には、歩いて山守神社へ参拝に行った。宮司さんがいたら挨拶しようと思っていたが、不在のようだった。小さい神社なので他の神社と掛け持ちなのかもしれない。片道徒歩20分。運動不足を避けるため、参拝を日課にするのも良さそうだ。本当なら由奈も連れて散歩できればいいのだが、車も通る道なのでそこまでは難しいだろう。
帰ってくると、門の近くで老人が柵越しに中を眺めていた。近所の人だろうか。
「おはようございます」と私から声を掛けた。老人は振り返って「おはようございます」と会釈した。
「急に申し訳ない。私は鴇田と申します」と老人が名乗る。聞いたことがある名前だと思ったら、この古民家のオーナーだ。80近いと聞いていたがずっと若く見える。足腰もしっかりしてそうだ。
しかし、何か問題があったのだろうか。「お世話になっています」と改めて姿勢を正し、ちらりと脇目で柵の向こうの由奈を確認する。日向で大人しく座っている。
こちらの緊張を察してか「いえ、別に苦情などを言いにきたわけじゃございません。ただ懐かしくなってちょっと見に来てしまっただけなんです」と鴇田さんは微笑む。
何にしろ門を開け鴇田さんを中に通す。お茶の用意がないのでコーヒーを淹れて、2人縁側に座った。
「牛小屋まで直して頂きありがとうございます」と鴇田さんは頭を下げる。
「いえ、とんでもない。娘を連れてご迷惑じゃなかったでしょうか」
「それこそとんでもない。ぜひ娘さんにこそここに住んでほしいです」
鴇田さんはコーヒーを片手に牛小屋を見上げる。
「おそらく辰野の小倅は知らんでしょうが、なにせあそこの牛小屋には私の父、牛化した父が住んでいたんですから」
初耳だった。
「あそこにお父様が?」
「ええ。父は南方から復員してから、今で言うあれ、トラウマですか? そんなので生活が荒れて、酒ばかり飲んで最後は牛になっちゃいましてね」
昔語りをする鴇田さんの顔は厳しい。私は黙って続きを待った。
「ところが祖父は敗戦からこのかた神社を毛嫌いしておりまして。それで牛送りをしなかった。今はそんなことしない人もいくらでもいるでしょうが、当時は問題でね。ずいぶんと嫌がらせもされました」
ドキッとする話だった。由奈も牛送りはしていない。内心それを不快に思っている人がいてもおかしくないということか。
「あぁ、すみません。心配させてしまいましたね。今はこんな田舎でも牛送りのことでどうこうっていうのはないですよ。知り合いの婆さんも牛になって牛送りせずに施設行きましたし」
私は頷く。そうであってほしい。
「孫の学校の教科書とか見ると、『みんな、さわだくんのことをたいせつな友だちだと思っています』みたいな空々しいことやってますけど、あんなんでもやらないよりはいいんでしょうな。都会と比べたらまだまだでしょうが、偏見なぞは少なくなったと思いますよ」
私と鴇田さんは牛小屋まで歩く。できたばかりで木材の香りがする。鴇田さんは目を細めて昔を思い出しているようだ。
「お父様はいつまでここの牛小屋に?」
「いつでしたか。昭和30年ごろだったような気がします。牛になって5年くらいで急に死んでしまいました。前の日まで元気だったんですけどね。まぁもともと散々不養生していたのが災いしたんでしょうね」
鴇田さんは最後に由奈を少し撫でてから、タクシーを呼んで帰っていった。
X X X
納屋に置かれた農薬のボトル。私の小さな手がその1つを取る。大人に見つからないようにこっそりと物陰を選んで駆けていく。
そしてあの家が見えてくる。牛の鳴き声が聞こえる。
またあの夢を見た。時計を見ると午前2時過ぎ。全身に汗をかいている。ベッドの脇に置いてある水筒を手にとって水を飲む。
もう70年も前のことなのに悪夢はいつまでも色褪せない。それどころかこの数年、この夢を見る頻度が増えている。
私は水筒を置いて自分の手を見る。しわとしみだらけの手。夢の中の小さな手と同じ人間の手というのが信じられない。
あの頃、大人たちは皆、鴇田の家は汚れた牛を飼っていると言っていた。牛送りをせずに、人の魂が歪んで残った、災難を呼び寄せる牛を飼っていると。
私は許せなかった。そんな悪い人が私たちの村にいるなんてことが。学校では人を傷付けてはならないと言われるが、これは悪を退治するだけだと思った。
大人たちも鴇田の人たちをいろいろなところから締め出して、野良仕事でも手助けするのを止めていた。これはむしろ称賛される行為だとすら感じていた。
私はこっそりと牛の飲水に農薬を混ぜた。これで牛は災いの牛は腹を壊し、邪悪な力もなくなるかもしれない。私は自分が赤胴鈴之助にでもなったような気分がして高揚して家に帰り、農薬のボトルをそっと納屋に戻した。
翌朝、鴇田の牛が死んだという話を聞いた。心臓が全力で走った後のようにバクバクした。死ぬとは思っていなかった。「やりすぎてしまった」という思いを必死に「悪を成敗したのだ」という言い訳で誤魔化した。そして、私が毒を盛ったことがバレないように神仏に祈った。
おそらく大人たちは犯人探しをろくにしなかったのだろう。私の悪事は露見しなかった。
だが、私が成長し、牛化について正しい情報を見聞きする度に罪の意識は大きくなっていった。
牛送りをしようがしまいが、あれはただの牛だった。私は罪のない動物を殺した。
それと同時にあれはただの牛ではなかった。鴇田の家族にとっては特別な存在だった。私は鴇田の家族の心の一部を殺した。
この罪は妻にも親友にも話したことはない。
私の子どもが「カウダム」に夢中になって、無垢な笑顔でプラモデル作りを手伝ってくれと言ってきた時、私の心は破裂しそうだった。
私の孫が宿題で「牛になったさわだくん」の音読をするのが聞こえてきた時、私の頭はおかしくなりそうだった。
最近、私は思う。悪夢から逃れるために、いっそ牛になってしまおうかと。
X X X
12月に入り、霜が下りる日が増えた。鴇田さんの話には一抹の不安を覚えたが、今のところは生活は平穏そのものだ。
五度目の参拝でようやく会うことができた山守神社の宮司は私が由奈と暮らす場所を求めて移住してきた事情を知っているようで、牛送りではなく七五三を薦められた。
確かに由奈は7歳だ。牛化する前は衣装をどうするかとか、どこのスタジオで写真撮影してもらおうかとか考えていたことをすっかり忘れていた。
年が明けて、新しい生活がもう少し落ち着いたらやってみようと思った。
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