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新皇帝陛下の蛮族平定の御親征において第八軍団アウグスタ及び第二十軍団ティベリウスが合流予定時刻を過ぎ未着の議

お話を聞かせて

177,721 字

古代ローマ風政治軍記、権謀術数渦巻く帝国年代記

"小人はただ、生き延びたい。帝国の巨大な歯車の中で、己が魂を賭けて。"

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 第八話 機知を得る

 カトの態度は堂々としたものだった。そこには自分の生命を失う恐怖も同僚に対する虚勢も見出せない。
 なるほど……。
俺はこの老将の評価を改めた。この男は帝国軍人の亀鑑だ、政治的な立ち回りや人心懐柔策などはあくまでこの男の本質から生じた外周部、その中心にあるのは帝国に尽くさんとする忠誠心なのだ。
アルビウスは眉根を寄せた。
「殿軍……貴方はここで敵を待ち受けて皇帝陛下の撤退の時間を稼ぐつもりだと?」
「その通りだ」カトは当たり前のように頷く「暗夜の森林を撤退中に蛮族から奇襲を受ければ、我々は抵抗らしい抵抗も出来ず全滅し、アウグスタとティベリウスと同じ運命をたどる、そのあとに蛮族どもは撤退中の皇帝陛下の軍も襲うだろう、陛下の身に危険が迫る。それだけは何としても避けねばならぬ。ここで我々が時間を稼ぐのが道理」
 アルビウスは顎に手を当てしばらく思案する。そして呟く。
「追い詰められた者の英雄願望だ」彼女はカトの提案を一言に切り捨てた「よく考えて欲しいのだが、カト中将の案を採用すると、結局、皇帝陛下は御親征で四個軍団失ったことになる。それはエンヴィルの企図するところが叶ったのと変わりない」馬鹿馬鹿しいとでも言いたげな口調「我々は即座に陣を引き払い、皇帝陛下の禁軍と合流する。夜間に撤退すれば蛮族の追撃を逃れられる公算は十分にある……二軍団の喪失だけであれば、両軍団長に責任を負わせ、陛下の威光に傷をつけることなく、事を済ませることが可能かもしれない」
 カトも露骨に嘲笑した。
「馬脚を現したな小娘、貴様は霧に包まれた戦場での振舞い方を知らん。我々は最悪の事態を防ぐために行動するべきだ」
「老人の頭は凝り固まっているようだ、危険を過剰に見積もり過ぎて現実を見失ったのかな」
 二人は表面上隠していたお互いへの敵意を露にしている。ここは味方同士の軍議の場ではなく、政敵と向かい合う戦場と変質した、いや、最初からそうだったのか。俺の認識が周回遅れだっただけのこと、彼らには最初から敵意しかない。
 この対立は解消される見込みがない、なぜならば、両者の主張がともに正しいからだ。お互いの視点が異なるだけでどちらも理屈が通っている。皇帝の身を守る、無論、至上の命題だ。しかし後のことを考えるなら軍団を保存しなければならない、皇帝の稜に傷がつけば、最悪の場合、帝国内戦に突入する、多くの人命が無意味に失われる。
 だが、それは俺にとって本題ではない。
 アルビウスは無感動に言葉を漏らした。
「かつて裏切り者は言った。軍団長は独立した権限を持つと」
 その言葉にカトは頷く。
「そのとおりだ、裏切り者の言葉なれど、その理論のみは正しい。我々が合意に至る必要はない」
 二人は静かに睨み合う。
 つまり、彼らはそれぞれ独立して動くつもりだ。カトの軍団は殿としてこの場に残留し、アルビウスの軍団は撤退を強行する。
 俺は自分に語りかけた。考えろ……考えろ! ここが本当の分水嶺だ!
 このまま両者が決裂すれば、カトはこの合流地点で決死戦を敢行する。問題は、俺は参謀本部からこの陣に派遣されているという動かしようのない事実。俺はアルビウスと共に撤退することができない、この陣で、カトと運命を共にすることになる、つまり死ぬ。
 ふざけろ、そんなことは断じて受け入れがたい。
 俺がここに残れば、ヤマト属州の未来も、コルシュの命も失われる、補いようのない損失。だが、それ以上に耐えられないのは、俺が死ぬという一点だ。
 ヤマトの有力者に求められるまま、属州の地位向上のために一心に駆けた、自己の満足など度外視して、ただ他人に尽くすだけに生きてきた。俺はまだ俺の人生を生きていない。
 軍部で出世して帝国内に地歩を作り、逆にヤマトの有力者たちが俺に媚びてくる。そうなって初めて俺の人生が始まるんだ。俺はまだ死ねない、死んでたまるか。
 俺は自分を取り巻く状況を改めて整理し打開策を探る……どうせ死ぬにしても考え尽くしてから死にたい。
 軍議、帝国、皇帝、軍団長、蛮族、エンヴィル、撤退、決死戦、ヘリオガバルス……様々な要素をあらゆる角度から必死に洗う。
 ふと、何か頭の隅に引っかかった。
第四軍団、第十二軍団、禁軍、三万の蛮族連合。そこから導き出されるもの、ごく単純な計算式。
「あっ」
 誰も聞こえないぐらいに微かに声を漏らす。
 答えを得たと思った。だがすぐに疑いがきざす。俺がたどり着いたのが奇策、謀略の類だったからではない、むしろ逆で、それがあまりにも軍事の正道だったからだ。
これを両軍団長が口にしないのは何故か。
自分の考えに何か重大な瑕疵があるのではないかと疑うが、答えはすぐに出た、なるほど、これは帝国人には慮外の発想なのだ。属州出身の俺だからこそ考えつく。
「結論は出たようだな」
 カトが蔑みの感情を隠さず、アルビウスに告げる。
「我々は……」
「お待ちください、両中将」
 俺は立ち上がった。天幕中の将校が驚く。存在を忘れていたものが、急に発言したのだ、無理もない。
「……なんだ」
 カトは明らかに鬱陶しそうに応える。
「少佐、お前の出番は終わったよ」
 アルビウスも同じような態度だ。
「小官は作戦参謀少佐として、参謀本部を代表し、両中将にこの状況を打開するための最善の案を献策します」
 第四軍団の大佐がいきり立つ。
「何が参謀本部だ。それが遣わした将校が裏切り者だったのだぞ」
 同調する声がそこかしこで上がる。もっともな言だが俺は怯むわけにはいかない。
 俺は全ての将校に厳粛に対峙した、俺に非難を浴びせる将校一人一人に冷たい視線を送る、まるで法官のように。将校たちは予期せぬ反応にたじろいだ。
 俺の態度はまるで、死んだ彼女のようだった。
「諸君、落ち着け」
 カトがつまらなそうに手を振る。
「何か、言いたいことがあるなら言わせてやろうではないか」ぞっとするような笑みを浮かべる「聞く価値がある発言ができるかは甚だ疑問だが」
「はっ。許可を頂きありがとうございます」
 俺は敬礼した。俺の態度に不可解なものを感じたのか、二人の軍団長は怪訝な表情をする。
 機会は得た、さあ、ハヤシヒデノリ、達者にお前の考えを語って見せろ、陣幕の奴らを頭脳と弁舌で説き伏せるのだ。
「小官は主張します。――――――――――――――――」
 俺が語り終えると、一瞬の静寂を経て、怒号が天幕を満たした。

 軍議が決着を見て、俺は自分の天幕に戻った。
 コルシュの姿を見つけるなり、俺は興奮の余韻のまま叫んだ。
「俺の弓矢を用意しろ。皇帝禁軍の陣幕に向かう」
 コルシュは立ち上がると、急いで準備を始めた。手を休めることなく俺に問う。
「急にどうしたの?」
「詳細は教えられないが」興奮を鎮めるため深呼吸する「俺は帝国を救うかもしれん」
「凄いじゃない」コルシュは笑った、何の悪意も含まず、何の疑いも含まず「ヒデノリ、英雄になるの?」
「……あるいは大逆人か。コルシュお前はこの陣で待っていろ……最悪、俺は死ぬかもしれない」
「もしヒデノリが死んだら僕も死ぬ」
 コルシュは当たり前のことのように言った。
「それは駄目だ」
 俺はコルシュを後ろから抱きしめた。
「俺が死んでも、コルシュは生きていてくれ、それが難しい状況でも生きるための努力を尽くしてくれ。これは俺の願いだ」
 初めてコルシュを見つけた時の情景を思い出す。十年前、首都ルームの奴隷市場で俺は彼を見出した。朝早く市場に出されたヒスパニア産の奴隷たちは皆、前途を憂い暗いどんよりした目で路面を見つめていた。その中で、まだ幼いコルシュだけが眩しそうに朝日を見つめ微かな笑顔を浮かべていた。
 俺はその笑顔に心臓を撃ち抜かれた。その様子に一種の人間の理想を見たのだ。いかなる状況にあっても希望を失わず、朝日の美しさを愛でる心、俺がこうありたい、こうなりたいという人間の有様をコルシュは体現していた。
 俺は従卒を用意するというヤマトの言葉を拒否し、コルシュを従卒にした。俺がヤマトに対して主張したただ一つの我儘だった。理想の人間を側に置いておきたいという思いが俺にそうさせた。
 俺が死んだら、俺のことなどさっさと忘れ、また明日に希望を見出して生きて行って欲しい。
「約束だ、コルシュは百とせまで生きろ」
「えー、百歳は無理じゃないかな」
 彼はくすくすと笑った。
 俺は死ぬかもしれない、だが死ぬ気などない、俺はこの先ずっとこの笑顔を見守る。
「準備できたよ」
 コルシュから烏漆塗りのヤマト弓と矢筒を受け取り肩に掛ける、俺は刀術より弓術の方が得意だ、もし道途に障害があればこれで排除してくれる。俺はコルシュにさっと口づけすると幔幕を出た。
 野外に出た瞬間、俺はたじろいだ。カトが入り口の横に立っている。まったく気づかなかった、よく気配を消す御仁だ。
「少佐」カトは無表情だった「俺はお前がすでに役目を果たしたと思っている。意味は分かるな?」
「……はい」
 俺は慎重に頷く。
「その上で、お前がお前の企図するところを果たさんとするなら……それが俺の狙うところと反するものでも、俺は止めん。精々頑張ってみろ」
 カトは俺の肩を叩いて去って行った。脅しでもなく懐柔でもない、何の目論見もない会話だった。一人の人間として彼に初めて認められた気がした。
 俺は馬に乗り、軍団がここまで来た道を戻って、暗夜の森林のなか皇帝の陣にひたすらに駆けた。
 日が昇る頃、俺は皇帝の陣に到着した。

── 第9章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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