「リンってば、絶対私のこと好きでしょう」
「アンタ、バカなの?」
冷たく睨み付けると、アキラはケラケラと笑った。アタシの不機嫌な顔も、何一つ気に留めていない。
コイツは雲なのだ。
ふわふわと掴み所がない、私の癪の種。
こちらからは掴めないくせに、向こうからはとぐろのように巻き付いてきて。
雲というよりは、蛇だろうか?にょろにょろと逃げ回ったかと思えば、アタシの首を絞めるのだ。
アタシの肩に乗せられた頭を雑に振り払う。
やはりというべきか、アキラは不快な顔をしなかった。
「ひどぉい」
なんて笑って、アタシの傍から離れないのだ。
「アタシがアンタのことを好き?寝言は寝てから言うものよ。好きどころか、アンタと付き合うやつのこと、気の毒に思っているんだから」
「なんで?私、可愛いのに?」
素でこれを言うのだから質が悪い。
ナルシストの典型例のようなこの女は、心底不思議そうに首を傾げていた。
「それはそうよ、わがままで遅刻常習犯。成績も悪いし走っている時の顔なんて不細工そのもの。アンタの長所って何?存在してるの?微生物からやり直したら?」
罵詈雑言を受けたアキラはというと。
「へぇ、そう思ってるのに好きなんだ」
頬杖をついて、余裕綽々といった様子だ。
思わず手が出そうだったが、やめた。この程度の人間に手を出して、社会的地位を損ねるのは腹が立つ。
「しつこい」
膝が揺れる。苛立っているのだ、アタシは。
目に見えてそれが分かっているはずなのに、どうしてこの女はこうも喰い下がるのか。
アタシは窓越しに校庭を見下ろす。ちょうど、サッカー部が部活の練習をしているところだった。
気持ちが悪い。眉にシワを寄せて、アタシは本に目を落とした。
読みかけだったSF物の小説は、アキラが話しかけて来たせいで、どこまで読んだのか分からなくなってしまった。
「チッ」
パタンと本を閉じる。
「そんなに好かれたいのなら、カドクラのところにでも行きなさいよ。アイツ、アンタのこと好きなんでしょ」
カドクラはいけ好かないやつだった。ボールを蹴ることしか能がない癖に、教室の一角を占領して、ぎゃあぎゃあと猿のように騒ぐのだ。
「動物同士、お似合いでしょ」
「えぇ~?それでいいの?リンは。だーい好きな私が、カドクラみたいなアホと付き合っても」
「くどいわよ」
アタシは席から立ち上がった。これ以上付き合うつもりはない。時間の浪費というものだ。
この行為は、アキラの機嫌を損ねたらしかった。にやにやと笑っていたアキラが、むっと唇を尖らせて抗議した。
「なんでぇ?ね、ねっ、認めちゃいなよ!私も、リンなら付き合ってあげてもいいよ?」
「上から目線で腹が立つ。出直して」
アタシはもう返事をする気はなかった。
教室の戸に向かう足には迷いがない。その戸口に手をかけた瞬間だった。
アキラが放った言葉に、電流で貫かれたような衝撃を受けたのだ。
「でも、この間、私のカーディガンの匂い嗅いでたよね?」
ぱたりと、動きが止まった。足が杭で縫い付けられているように。
首すらも、コルセットでギチギチに巻かれて、動けなかった。
否、巻かれているのはコルセットなどではない。アキラだ。蛇がアタシを絞め殺そうとしているのだ。
返事をする気がなかったアタシは、返す言葉を探していた。しかし、口内はカラカラに乾いている。
アタシがアキラのカーディガンの匂いを嗅いでいた?そんな荒唐無稽なこと。
そう一蹴してしまいたかった。出来ないのは、それが事実だったからだ。
先週の、放課後だった。教室には誰もいない、夕焼けが窓から射し込む時。
ベージュのカーディガンだ。アキラのイメージに近い。ふわふわとした。アキラらしい、アキラの。
てっきりアキラは帰っていたと思っていた。
ああ、そうだ。アキラは、カドクラとその取り巻きに絡まれていただけだったんだっけ。
「……臭かったからよ」
振り返らず、絞り出した言葉は、頼りなかった。
いつもは見たってイライラするだけのアキラの顔を、今は見るのが怖かったのだ。
「ふーん?素直じゃないなぁ」
アキラの声は、普段よりも、低く感じられた。
このまま教室から逃げてしまえばいいのだ。「やっぱり、アンタはバカ」なんていつも通り貶して。
それが出来なかったのは、アタシの頭がおかしくなってしまったのだろうか?
硬い動作で、ゆっくりと、付きまとう躊躇いを引き剥がすように、アタシは振り返った。
アキラは、目をすっと細めて、普段の軽薄さをどうして捨てられるのか。
頬杖をついたまま、薄く微笑むその姿に、アキラとは思えない色気がある。
「ね、私のこと……好き?」
最後の審判のような厳かさで、アキラは。
私は。
「嫌いよ」
耳鳴りがした。飲み込む唾すらも、消え去ってしまったようだ。
「……そ」
ふっと、アキラがアタシから目を逸らした。それが、まるで興味を失った瞬間のようで。突き放されている訳ではないのに、形容しがたい冷たさを感じた。
思わず手を伸ばしかけて、やめた。
否、やめたなんて高尚なものじゃない。出来なかっただけなのだ。
アキラはすっと立ち上がると、さっさと反対側の戸を開いた。
「あ、そう言えば、カドクラから告白されて、付き合うことにしたから。じゃ、よろしくね」
アタシのことは引き留めたくせに、そう言い捨てると、アキラはさっさと教室から出ていってしまった。
アタシに反応の「は」の字も言わせる隙も、与えてはくれなかった。
残された私は、しばらく戸の前でぼうっとして。
やがて、自席に座ると、本を開いてみて、しばらく字を辿って。生憎、単語の意味を認識出来なかった。何を読んでも、きっと理解出来ない。
校庭では、まだサッカー部が練習を続けていた。バカみたいだ。
先程よりも何故だか、玉蹴りをする彼らが一層、知能のない猿のように感じられた。
隣を見る。何もいない。当然だ、アキラが出ていってしまって、教室には私しかいない。いるはずがない。アキラはいつもそうだった。
アキラのどこを好きになれると言うのだろうか?カドクラは頭に虫が沸いているに違いない。あんなわがままで、自己中心的な女。
恋人にしたいと思う人間がいることに、驚愕するべきなのだ。
なのに、アキラがアタシを見てケラケラと楽しそうに笑う姿が浮かぶのは、何故だろうか。
「嫌いに決まってるでしょ……」
ぽつり、と漏れた音は、宙に放たれ消えていくのだ。
茨と蛇
青春群像劇、心理ドラマ
"素直になれない棘と、絡みつく蛇。愛憎が織りなす、ほろ苦い青春の肖像。"
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