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魔王の腹心と厄介な男!

花より団子よりもお茶が好き。

75,081 字

ファンタジーコメディ、異世界恋愛

"魔王の腹心は、厄介な初恋の相手と、もっと厄介な仲間たちに囲まれて今日も微笑む。"

ある時、異界からマハルという青年がやって来て「シュケルを嫁にする」と言い出し連れ去った! 魔王と勇者の紙ヒコーキ!の続編(外伝?)シュケルが主人公およびヒロイン(笑)のお話。

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【壱】静かな異変


「やっと、ソナタを手に入れられた」

 天に向かって鬱蒼うっそうと生い茂る木々。
 陰森いんしんの奥にある荒れた地は、まるでそこだけが抉り取られたかのように、ぽっかりと広がる。
 その奥に岩で築かれたひときわ目立つ古城とも言えぬ砦があり、それこそこの場に似つかわしくない巨大な十字の柱が聳え立つ。
 司祭のような真っ白な衣服を身に纏った魔族が一人、その十字に磔はりつけにされていた。
 四肢ししごと身体の殆どを柱に呑み込まれ、上半身だけが姿を現している。

「やっと、このワタシ〝マハル〟のものだ」

 藍白あいじろの羽織を身に纏った男が、その魔族の真っ白な髪に指を這わせ、流れるような所作で頬に触れる。

「シュケル」

 そう囁いて、指先が冷たい頬をなぞり、そのまま破れた衣服の隙間から白い肌へ滑り落ちた。
 その手には毒々しい〝赤い何か〟が――。

 ◇◇◇

 窓辺では小鳥がさえずり、初夏の朝日が部屋の中を明るく照らす。そんないつもとなんら変わらぬ朝だった。
 アケドラルというこの世界には魔族と人間を中心に多種族が存在する。
 その北の国の魔族の王セオドアが執務室の席へ腰かけた時、どこか深い深い森の奥で衝撃音が上がったのだ。
 はっとして窓の外を眺めるも、相も変わらず小鳥はさえずり、活気づく城下町が続いている。

「今のは……」

 気のせいかと思ったが、いや、確かに異変を感じ取った。
 すると執務室の扉が品ひんよく開き、すっと鼻筋の通った顔立ちの魔族が入って来た。
 司祭のような真っ白な衣を纏い、不揃いに伸びた雪のような白髪はくはつが肩の上で風に遊ばれるように揺れる。
 肌は白く目尻には淡い影が差し、現実味の薄い静けさを漂わせていた。
 穏やかに閉じた瞼の奥には紫色の瞳が隠されている。
 魔王がその名を呼ぶと白の魔族にして魔王の腹心――シュケルは、いつものようにフフフと品よく微笑んだ。
 まるで何もかも見通しているかのような、不敵で得体の知れぬ笑みで。

「今何か聞こえなかったか?」
「……なんの事でしょう?」

 シュケルは相変わらずの笑みで答えるので、その反応にやはり気のせいだったのかと思い直した。

「何か気になる事でも?」
「……いや、ただ」
「よければお調べいたしますよ」

 魔王は少し考え、念のためシュケルに任せる事にした。
 それがおよそ、数週間前の事であった。

 

【弐】不躾な来訪者

 その日、カボチャは苛立っていた。

 いつもの大きなジャック・オー・ランタンの被り物に、弾丸で穴が空いたような真っ黒なマント――否、吸血鬼が着ていそうな紳士服がズタボロになったみたいに見える服を翻し、城の回廊を飛んでいた。
 彼は十代ほどの子供の背丈ながら、身体の輪郭はどこにも見えない。
 ただマントとパンプキン頭だけが、宙にぷかりと浮かんでいるのだ。
 唯一それと分かるフォーマルな白手袋の動きから、その苛立ちが手に取るように分かる。
 通りすがりの使用人たちは、慌てて壁際へ身を寄せた。

「……今日は、さらにピリピリしてるわね」
「そりゃあ……シュケル様、未だに戻っておられないんだろ?」

 そのひそひそ声は、気遣って抑えられているのに、妙に耳に残る。
 それもこれも、このところシュケルの姿を見ないからだ。
 もちろん、城を空けること自体は珍しくない。
 だが、今回はいくらなんでも長すぎる。
 魔王に尋ねても「少し野暮用で出掛けている」としか聞けず、何をしているのかは分からないままだ。

「別にあんな奴いようがいまいがどうだっていいんですけどね。居ないと僕の仕事の負担が増えるんですよ! おまけにカインがシュケルはー? シュケルはー? って煩いったら」
「カボチャ、シュケルはー?」
「ほらみろ」

 案の定だ。
 城の回廊でぶつぶつ文句を言っていると、真っ青な長髪の襟足を一本に束ねたまだあどけなさの残る人間の青年が、シュケルの姿を探してやってきた。
 カボチャは勢い良く振り返る。

「だから僕が知るわけないでしょう!」
「えーセオドアも野暮用って言うだけだし、どこ行ったんだろシュケルのやつ」

 一緒にお菓子作る約束してたのにと、その手に持つ袋に包んだ焼き菓子を見つめる。

「え、シュケルのやつ、一言も断らずに行ったんですか?」
「うん。だから俺いつも通り材料用意してさ、仕方ないから一人で作った。シュケルから言いだしたのに酷いや」

 それを聞いてカボチャは妙だなと思う。
 いくらなんでも直ぐに戻らないなら、あらかじめ断りくらい入れるだろう。
 ということは、予定外の事があったということか。
 シュケルに限って?

「……シュケル、なんかあったのかな」
「そう、ですね」

 さすがに心配になったその時。
 どかんと、真横の壁に大穴が空いた。
 何かが目にも止まらぬ速さで飛んで来てぶつかったのだ。
 近くにいた使用人達がそれぞれに悲鳴を上げる。
 カボチャは咄嗟にカインを背に庇った。

「ええ!?」
「な、なにごとですか!?」

 もくもくと瓦礫からあがる土煙、ゲホゲホと咳き込みながら誰かが出てくる。
 その者は此方を見ると「シュケル!」と叫んだ。
 そしてカインへ飛び付きその両手をガシッと握る。

「探したぞシュケル! さぁ一緒に帰ろう!!」

 間髪を入れずカボチャがその脇腹を蹴り飛ばす。
「どわぁ!?」と上がった悲鳴と共に先程とはまた別の壁がぶち壊れる。
 そちらを睨みながらカボチャの頬を冷や汗がつたった。

「き、貴様、ふ、ふざけんな……不躾になんなんですか!」

 まさか自分が相手の行動に反応できないとは――!
 これがもし通り魔だったら今頃カインは致命傷を負っていたかも知れない。

「カボチャさま…っ」

 驚いて動けなくなった使用人達にカボチャは「下がれ!」と一喝。
 はっと我に返った彼らは一目散にその場を離れる。
 その姿を確認しながらカボチャは再度カインを背に庇った。今度こそ油断なく相手を窺って。

 舞っていた土煙が落ち着くと痛そうに唸る声があがり、白い袴を履いた素足で瓦礫を押し退け、誰かが起き上がった。
 頭から被ってしまっていた藍白あいじろの大きな羽織が、起き上がると同時に肩へと滑り落ちる。

「いてて、シュケル……なにを――」

 露わになったのは膝まである水浅葱色みずあさぎいろの長髪と瞳の若い男。
 柔和さときりりとした雰囲気をあわせ持った彼は、目の前にいる真っ青な瞳の青年とカボチャ頭のお化け(ではないが)を見て急に押し黙る。

「……どちらさまで?」
「「こっちの台詞だ!」」

 ようやく状況を理解した男は眉をつり上げ、勢いよく立ち上がった。

「さてはソナタらシュケルを隠したな! 言え! どこへやった!」

 訂正しよう。彼は、全く状況を理解していない。

「誰が隠すか誰が! だいいち、突然人の城壁を破壊しておきながら何を偉そうに!」
「しらばっくれようたってそうはいかないぞ」
「誰がしらばっくれるかああ!」
「なーなーアンタもしかしてシュケルと一緒にいたの?」
「! やはりシュケルを知ってるようだな、どこへ隠した!」

 ダメだコイツ、話が通じない。

「カインこれは相手にしちゃダメなやつです! さっさと捕まえて豚箱に放り込みますよ!」
「りょーかい!」

 元気よくこたえたカインと共にカボチャは謎の男へ飛びかかった。

「ふん、その程度の動きでこのワタシを捕らえられると思うとはな」

 ビュウッと風が吹いたと思った時には目の前にその姿はなく、二人は瓦礫に向かって「どわわ!」「わー!」どんがらがっしゃんと突っ込んだ。

「くそっ!」

 直ぐに飛び起き、振り返る。風を操るのか、上空から見下ろすそいつの長髪が風になびく。

「よくよく考えたらこんな間抜けどもをシュケルが相手にする筈ないな」
「な!?」
「なに言ってんだよシュケルは、っむぐぅ!?」

 咄嗟にカボチャはカインの口を手で塞いだ。

「ワタシの名はマハル〝シュケルの夫〟になる男」
「「!?」」
「邪魔したな」

 謎の男、いや変質者、否、マハルは風と共に消え去った。


 ◇◇◇


「……え、なんかアイツ変なタイミングで変な自己紹介して行かなかった?」

 口を塞ぐカボチャの手をどけて、カインが呆然と呟く。

「げ、カインも聞きました?」
「うん」
「気のせいじゃないだと……」

 ついでに壁に大穴が空いているのも気のせいではない。
 惨状を改めて目の当たりにし、カボチャは怒りに震える。

「あんっの浅葱やろおおおお!」
「なんで浅葱野郎?」
「髪とか目とか浅葱色っぽかったでしょ! 全体的に!」
「確かに。あの見た目だと魔族じゃないんだろーけど」

 すると遠巻きに見守っていた使用人達がざわめく。

「あの髪色は人間側の色よね?」
「女なら私たちみたいに赤毛だし瞳は緑よ」
「男なら黒か白いしね」
「そうでないなら灰色だしな」

 彼らの言葉にカボチャは心の中で頷いた。
 魔族の外見にははっきりとした特徴がある。
 たとえば、黒の魔族なら黒髪に赤い瞳、白の魔族なら白髪はくはつに紫の瞳。
 赤の魔族は赤髪に緑の瞳、灰の魔族は灰色の髪に青い瞳――といった具合に、それぞれの系統に応じた見た目で生まれてくるのだ。
 一方で、人間にはこれといった規則性がない。
 だからこそ魔族が人間を見分けるのは比較的容易だ。
 外見の差もさることながら、決定的なのは、人間には邪気が一切宿っていないこと。

「魔族領には邪気がありますからね」
「でもなぁ邪気の影響もなさそうだし、空も飛んでたし、人間でもなさそうだよなぁ」

 カインは首に下げた黒色の魔晶石を握った。

「これがなきゃ、俺だって今頃死んでるし」 

 またも遠巻きに見守っている誰かが言った。

「あれってなんだっけ?」
「あら、カインから聞いてないの? 魔王さまの魔力が込められた石よ。あれで結界の効力上げていて、確かシュケル様の治癒術も込めてるって」
「にしてもさっきの男? 変わった力を使っていたわねぇ」
「でも魔族じゃないんでしょ? 人間はあんなこと出来ないし」
「となると、結局ありゃあ何者なんだ?」

 カボチャはこそこそと物陰で花を咲かせる彼らにキッと鋭い眼差しを向けた。

「いい加減持ち場に戻れ! いつまで油を売ってるつもりですか!」

 使用人達は「すみませ~ん」と、慌てて四方八方に散った。

「くっそぉ、あの野郎ぜっったいに取っ捕まえて、これを修復させてやります!」
「え? 魔王に頼まねーの?」

 カインは目をぱちくりさせる。
 確かに時を操れる魔王は壁の時間だけを巻き戻し、直ぐに元の状態に戻せるだろう。
 だがしかし。

「バカですね。なんでもかんでも魔力に頼るもんじゃない。それにあの野郎の尻拭いを魔王さまにやっていただくなんてとんでもない事です!」
「えー?」

「と・に・か・く!」と言って、カボチャは両手に木の板と金槌を持った。
「どりゃーー!」と叫び、ドドドドドと一気に板を打ち付け臨時の壁を作る。
 まるで戦場で突撃号令でもかけられたかのような勢いである。

「とりあえず暫くこれで持たせましょう!」

 ふーとデコの汗を拭って満足げなカボチャ。だがその出来を見て、カインは不安を覚えた。
 崩れかけた石壁に五寸釘で乱暴に打ち付けている。ここからひびが割れて崩れるのではないかと。

「……これ、大丈夫かな」
「フフフ、さすがカボチャです。これほど固い壁に釘を打ち付けるとは、余程の怪力でないと出来ないことでしょう」
「それはそーなんだけどさー……て、シュケル!?」

 カインとカボチャは咄嗟に飛び退いた。
 何があっても決して取り乱さず、微笑みを絶やさぬその姿に「フフフ」と笑う口癖。
 あえてカッコつけて紹介しよう。
 魔王の右腕にして、冷静沈着な知略の使い手――知将シュケル。その人である。
 ちなみに、彼が知将と呼ばれるなら、最前線を切り開くカボチャは、さながら猛将と言ったところだ。
 いつからいたのかしれっと当然の顔をして、穏やかに微笑むシュケル。
 その笑みの奥には、やはり何かを秘めているような気配がある。

「な、なななシュケル貴様! いったい今までどこに行ってたんですか!」

 カボチャはビシッと人差し指を突きつけて、ハッとしたカインは焼き菓子を突き付ける。

「そうだよ! 俺、待ってたのにすっぽかすなんてひでーよ! もう作っちゃったからあげる!」

 おやおやとシュケルはカインから焼き菓子を貰い、よしよしと頭を撫でた。

「フフフ、すみません。少し面倒事に巻き込まれまして、この埋め合わせは必ずいたしますよ」
「絶対?」
「えぇ、約束しましょう」
「おいシュケル、お前のせいでさっき変なのに絡まれたぞ」

 カボチャはじろりと睨むが、シュケルは変わらず微笑を浮かべる。

「その変わり者が姿を消したのでようやく出てこれました。……順を追って説明いたしましょう」

 よく見ると、シュケルにしては珍しく、疲れた顔をしていた。

 

【参】嵐の予感

 古くから伝わる話がある。
 人々が近寄らぬ森の奥の奥、忘れ去られたその場所には、時折異界の門が繋がることがあると――異界の門が開くたびに、決まって大岩を削り出したような砦が突然現れるのだという――。

 ◇◇◇

 三人はカインの部屋にいた。
 一本足の丸テーブルを囲んで茶を飲み、カインが作った焼き菓子を食べ、シュケルの話に耳を傾ける。
 するとカボチャがフォーマルな白手袋をはめた手で、飲んでいたお茶をテーブルへと置いた。

「つまり、魔王さまが感じ取った異変とやらを調べに行った先であれに出くわし求婚されたと?」

 カボチャは出来れば信じたくないと顔をしかめる。

「えぇ、彼を撒くのに思いのほか苦戦しまして気付いたら一月ひとつき近くかかりました」
「そんな、まさか、お前が?」
「そんな、まさか、私がです」
「なんて厄介な奴なんだ!」

 シュケルはフフフと笑う。
 それが本当なら、先程カボチャが咄嗟に反応出来なかったのはまぐれでもなんでもなく、実力で相手の速さに負けたことになる。となると、確かに厄介だ。

「はっきり断ればいいじゃないか」
「もちろん率直に申し上げましたよ。しかし先程貴方も見たでしょう? 始終あの調子で、こちらの話を都合よく解釈されてしまいまして」

 カボチャとカインはあぁと思い出すように天井を見て、確かにあの様子じゃあそうかと納得する。

「彼は〝異界〟から来たと言っていました」

 聞き慣れない言葉にカインはきょとんとした。

「〝いかい〟って、なに?」

 その言葉になんだかんだと面倒見の良いカボチャは紙と硝子ペンで文字を書き、それを見せながら言う。

「カーッ! まったくそんな事も分からないのか! いいですか、異なる世界と書いて異界です。近いけどこことは違う世界って意味ですよ。古くから森の奥がそこと繋がっていると言われてるんです」

 カインはその紙を両手で広げて眺めながら「なるほど異界か~面白そうだな!」と、子供のように瞳をキラキラさせる。
 その様子に呆れながら、カボチャはシュケルに話の続きを促した。
 その話によると、あのマハルという男は異界の王子なんだそうだ。彼は子供の頃こちらに迷い込んだ際、シュケルに助けられたと。
 異界へ帰ってからもシュケルの事を忘れられないまま、マハルは大きくなった。
 そして好きでもない相手との祝言が目前に迫り抗議した。自分には心に決めた者がいると。
 すると王は、ならば連れて来いと言ったそうだ。

 そしてマハルはもう一度、このアケドラルへ―― 

「うぇ、なんか色々気持ち悪いです」

 シュケルの人物像が若干歪んでいるカボチャは、シュケルがなんの見返りもなしに子供を助けるか? と一瞬受け入れ難かった。
 だが自身がそもそもこの城で働くきっかけになった時の事を思い出し、そういえば薄情な奴ではなかったと仕方なしにその話を受け入れる。

「ちなみに歳は二十三だそうですよ」
「に、にじゅうさん? ……人間でいくとですか? それとも」
「この世に生を受けて二十三年目です」
「こ、子供じゃないか……」
「俺、誕生日くれば今年で二十六だけど、二十三も二十五も人間だと大人だし俺は魔王の恋人だぜ」

 むっとするカインの言葉にそう言えばそうだったと。
 突然のように思うかもしれないが実は魔王とカインはそのような関係で、だからこそカインはここにいる。
 あれはそう、かれこれ十年ほど前のこと、もっと遡るとカインが赤ん坊の頃からの話になるが、今回この話は主軸ではないので割愛するとして……しかしと、カボチャは眉を顰める。
 本来の見た目こそ若いが魔族であるカボチャはおよそ千二百歳ほど、そのカボチャよりもシュケルは歳上なのだ。
 いくら魔族としては人間の二十代前半、二十代後半と変わらないといえど、二人にとってはもはやマハルなど生まれたての赤子のようなもの。
 たとえ異界の時間軸が異なっていたとしてもこの年齢差は冗談でもきつい。
 ただもうそこまでくれば歳など関係ないだろうと言えなくもないが、魔王でさえカインが突然押し掛けて来たあの日から十年目にして、折れるような形でようやく彼を受け入れたのだ。

「てかなんでそんな事知ってるんです?」
「どう撒いても直ぐに見つかってしまうので、先に相手の素性をと、たまに世間話を」
「のんきな」
「短気は損気ですから」
「……それ、僕のこと言ってんじゃあないだろうな」
「そんなつもりはありませんよ。それにしても……短気の自覚があったとは」

 フフフと笑うシュケルに、おのれシュケル馬鹿にしやがってと、出かかった言葉をなんとか呑み込む。

「おそらく彼の風を操る力で私の居場所を特定しているのでしょう。……さて」

 シュケルは椅子から立ち上がる。
 足元へ転がって来た彼の水晶がまるで意志があるかのように無邪気に目を輝かせ、シュケルを見上げる。
 絵を描いたような小さな瞳はどこか愛嬌があった。

「フフフ、あとは任せましたよ」

 水晶は任せてと言わんばかりにシュケルの足元の周りをくるくると転がる。

「ここも時間の問題です。私はもう暫く城を留守にしますが……」

 言いきる前にカボチャが「何を言うか」と止めに入る。来たなら来たで追っ払えばいいだけだと。

「それにお前……!」

 思わず声を荒げたその時、突如、窓から烈風が吹き荒れた。
 鋭く、猛々しい風が部屋を蹂躙する。
 テーブルも椅子も、棚も紙も、抵抗する間もなく舞い上がり、空中で乱雑に踊った。
 茶器が高く跳ね、茶菓子は粉々に砕けて宙を舞い、部屋のあらゆるものが風に巻き上げられ、まるで異界からの圧が室内を席巻したかのようだ。
 カボチャとカインは腕で頭を庇い、飛び交う物の嵐の中に立ち尽くす。
 その時、目の前にいたシュケルが――忽然こつぜんと姿を消した。

「!?」

 慌てて窓の外に視線をやる。
 暴風の只中、シュケルが誰かに抱えられていた。
 藍白あいじろの衣が翻り、水浅葱の瞳、そして――風に揺れる、水浅葱色の長髪。

「マハル!」

 カボチャが叫ぶ。するとシュケルが振り返り「言った通りでしょう」と、どこか楽しげに笑った。

「シュケル、やはりここにいたか。探したぞ」

 マハルは優しく声をかける。
 その直後、視線が鋭く変わった。カボチャとカインを睨みつけ。

「ソナタら、よくも騙したな……!」

 騙した覚えは一切ない。
 思い込みが強すぎるその性格は、もはや一種の才能である。

「だがまぁいい。この通り取り戻した。あとはシュケルを嫁にするだけ――此度こたびのことは、許してやろう」

 言い終わるや否や、再び風が渦を巻き、彼らの姿は暴風と共に一瞬でかき消えた。
 残されたのは、物が散乱した部屋、青ざめたカボチャ、ぽかんと口を開けたカイン、そしてあたふたと転がる水晶のみ。

 シュケルがさらわれた。
 あっという間に。しかも、その姿は――

「……シュケル〝お姫様抱っこ〟されてた」
「言うなボケ! 身の毛がよだつ!」

 カボチャはジャック・オー・ランタンの被り物の中で青筋を立て、舌打ちしながら窓枠に足をかける。
 もっとも、その足はこの姿では他者には見えないのだが。

「今すぐ追いかけますよ!」
「おう!」

 二人は窓から身を躍らせた。

 一人――いや、一つ、取り残された水晶はハッと我に返り、慌ててどこかへと転がって行く。
 まるで、あらかじめ命じられていた〝お役目〟を思い出したかのように――。

 

【肆】マハルという男

 ――そう、あれは初夏の日差しが厳しい日だった。
 そこは風の大陸。その大陸にある大きな城で、一人の少年が幼馴染みと共にかくれんぼをして遊んでいた。
 いつも父が座る玉座の背から、壁に貼り付いた大きな楕円の鏡へ真っ直ぐ五歩進んだ時――王家の者にしか分からない鏡の変化に気づいた。
 それは、深い藍の水面がひとしずく落ちたように、ゆらゆらと揺れた気がしたのだ。
 殆どの者が気のせいだと思うだろう。だが、好奇心旺盛な年頃の少年はその鏡に手を伸ばし、吸い込まれるように消えていった――。

『ここはどこだ?』

 気付けば少年は森の中にいた。
 見覚えのない木々が空高く聳え立ち、見覚えのない野花が咲き、少し遠くから見知らぬ小動物がこちらを窺っている。
 風の大陸では、常に爽やかな風が吹く。木々が少ないうえに、水源が多く岩肌の地形が風を通しやすいからだ。
 こんなにも緑豊かで風がないのはここが知らぬ土地という証。
 少年は再度『どこ?』と呟き立ち上がる。

『父上、母上?』

 そして幼馴染みの名を呼んで歩き出す。
 日差しの強い日だった。暫く歩くと喉が渇き、まずは水を探そうと風に意識を集中する。

『あっちかな』

 少し遠いが行かざるを得ない。少年はまた歩き出した。

 ――ようやく辿り着いた川に目を輝かせて駆け寄った。川の流れが比較的穏やかな場所を選び、ちょうど少年と同じくらいの背丈の岩を支えに片手で水を掬って飲む。
 川の水が手のひらを冷やすたび、じくじくと広がっていた不安と寂しさが清んだ水と一緒に流されていく。
 川の底まで透けて見えるほどの、澄んだ真水。小魚も泳いでいる。
 夢中で飲む少年の横で、支えにされた岩が密かに動き出す。それはどんどん大きくなり、あっという間に少年より数十倍もの大きさになった。
 影がかかった事に気付き、顔を上げる。すると目の前の大岩がぱかりと大きな口をあけ――

『……っ!』

 悲鳴も出せず、恐怖から目を瞑った。

『おやおや、こんな所に人がいるとは珍しい』

 ばしゃんと波立つ音。
 日差しに照らされて、その人はまるで光そのもののように見えた――いや、自分だけを照らす灯りみたいに。
 髪も肌も服までもが眩しいほどに白く、そっと自分を抱き上げ、大岩にしゃがんでいる――まるで女神のように。

『フフフ、迷子ですか』

 右耳にだけつけた金のイヤーカフと、その耳飾りが陽を受けて一瞬きらりと光る。
 瞳を閉じ、不敵に笑うその姿。だが穏やかな物腰は、決して悪い者のようには思えない。

『誰?』
『私は、シュケルといいます。貴方は?』
『え?』
『貴方の名ですよ』
『ワタシは……マハル』

 彼は言う『泣かずともきちんと帰して差し上げますよ』と、そして――少年の目元を拭った。

 ◇◇◇

 そのあと彼はマハルを連れて近くの村へ行き、親を探した。
 けれど、そこはマハルの知らない土地だった。
 風の匂いも、村の匂いも、どこか違う。
 途中で足を止めたマハルに、シュケルが茶屋で団子を買ってくれる。
 食べたことがないと笑うと、シュケルは『それは良かった』と微笑んだ。

『どこから来ました?』
『……風の大陸』
『そうですか。ここはアケドラルという世界にある北の国です。覚えはありますか?』

 マハルは首を横に振った。

『なるほど……もしや、気付いた時には森にいましたか?』
『うん』

 シュケルは何か思い当たったらしく、フフフと笑って立ち上がる。

『戻りましょう、森へ』

 代金を長椅子に置くと、シュケルはマハルをそっと抱き上げた。
 その腕はひんやりしているのに、不思議とあたたかい。
 胸のあたりで聞こえる鼓動がやけに近く、雪解けの朝のような匂いが鼻をくすぐって――マハルはほっとする。
 この腕の中にいれば、どこへでも行けるような気がして。
 マハルはそっと瞳を閉じた。

 次に瞳を開いた時には、緑豊かな森の中へと景色が変わっていた。
 ほんの一瞬、瞬きの間にぱっと――まるで手品のように。

『では、ここからは少し歩きますよ』

 その一言で、地面に降ろされるのだと悟る。
 シュケルがゆっくりとかがみ、離れていくぬくもりに寂しさを覚え、その白い衣服をぎゅっと握った。
 それに気付いてか、シュケルが軽く小首を傾げ、問うようにマハルを見つめる。
 穏やかに瞑った瞳は、こちらが見えていない筈なのに、どこかあたたかく見守るようで――。
 薄い唇がわずかに弧を描き、上品に微笑む。

 胸の内で何かが、ふわりと爆ぜた。
 急に気恥ずかしくなり、ぷいと視線をそらす。
 そして、逃げるように自ら地面へ降り立った。
 そんなマハルを特に気にすることもなく、シュケルは前を歩き出す。
 その後ろ姿に、マハルは小走りで付いていった。
 時おり落ちた木々の枝をミシミシと踏み、ぬかるんだ土を踏みしめながら。

 途中でマハルがつまずき転ぶと、シュケルは服についた汚れを払い、そっと手を取って歩き出す。
 まったく知らない土地で、まったく知らない相手。
 だが彼が現れてから、マハルは不思議と怖くない。
 本当はもっとこの人物を警戒した方がいいのだろうが、どうしてもそうは思えない。
 やがて、シュケルは木陰で足を止めた。
 切り株に腰を下ろし、その切り株をぽんぽんと軽く叩いて、マハルにも座るよう促す。

『休憩しましょう』

 隣に座ったマハルはシュケルを見上げた。
 木漏れ日がシュケルの頬を照らし、流れていた一筋の汗が光る。
 雪のように白いその顔は、どこか儚く、体調が優れないように見えた。

『大丈夫か?』とマハルは尋ねた。

 するとシュケルはフフっと笑って、マハルの頭をぽんぽん撫でる。
 マハルはそっと、彼の顔を盗み見た。
 光の粒が髪に溶け、白く長い睫毛に心臓が変に跳ねる。
 どうしてか分からない。けれど、彼の隣にいると胸が落ち着かなくなる。会ったばかりの相手なのに、その理由を考える前に、また『フフフ』と笑う声がして、思考が霧に溶けた。

『思ったより日差しが強いですね』
『うん、ここは暑い。ワタシの故郷は風が吹いてもっと涼しいよ』
『フフフ、いいですね。とても過ごしやすそうです』

 マハルは瞳をキラキラさせて「うん!」と大きく頷く。
 そして両手を広げ身振り手振りで風の大陸についてシュケルに一生懸命語った。
 風の大陸では自然を大切にしており、皆が自然と仲が良いこと。
 大きな川があってそこで魚が獲れること。
 〝紅い実み〟が生る樹があって、それを皆で大切に扱っていることなどいっぱい。
 シュケルはその話に耳を傾けながら、やはり穏やかに瞳を閉じ、掴みどころのない微笑を浮かべていた。だが不思議と、その笑みが嫌ではないのだ。

『そうですか。それはとても素敵な所でしょうね。私も行ってみたいものです』
『だったら来ればいい!』
『ええ、いつか』
『そしたらワタシが嫁に貰ってやる! シュケルはワタシの恩人だから絶対感謝されるぞ! 誰も文句も言うまい、ワタシが言わせない』

 シュケルが男と知ってか知らずか、マハルは自信満々に胸を張ってそう言った。

『それはそれは、有り難い申し出ですが遠慮しておきます』
『む、思慮深いんだな』
『フフフ、どうでしょうね』
『でも遠慮はいらない。むしろ気に入った!』

 シュケルは礼を言うと『そろそろ行きましょう。おそらくもう直ぐです』と立ち上がり、手を差し出した。
 マハルは元気に頷いて、二人は更に森の奥へと入っていく。
 やがて開けた場所へ出た。
 木々も草もなく砂のような土だけが広がる痩せた土地、上空から見ればおそらく、森の中に突然ぽっかり穴が空いたように見えるだろう。
 その森との境目に大きな砦があった。遠目でも分かる岩を切り抜いたような砦。

『やはりまた――』
『また?』
『貴方はあそこから来たのでしょう』

 シュケルはそれには応えず、砦の中に壁掛けの大きな鏡があること、そこがおそらく風の大陸へ繋がっていることを話し始めた。

『何かをきっかけに異界の門が開いたのでしょう』

 つまり、その鏡こそが異界――マハルの世界へと繋がる門なのだ。

『わかった。行ってみよう』

 当然シュケルも付いて来るものだと思い、マハルは繋いだその手を引っ張ったが、シュケルはそこから動こうとしない。

『シュケル?』
『私はここまでです。貴方が鏡の中へと消えると同時にあの砦も消えるはずですので』
『シュケルも一緒に来ればいい、シュケルはワタシの嫁になるんだ』

 するとシュケルはやはり不敵に笑って言った。

『――――たら、』

 風が二人の間をすり抜けた。

 それを聞いてマハルは大きく頷くと、一人、砦へ向かって駆け出した。


 ◇◇◇


「――そうだ、あの時ソナタは確かに言った」

 岩で出来た強固な砦。そのバルコニーに、二人の姿があった。

 カボチャ達からシュケルを連れ去ったマハルは、真っ先に城へと向かった。
 長く急な岩造りの階段の上空を飛行し、無骨な謁見の間へと入っていく。
 果たして玉座の後ろの壁に、それはあった。
 岩で出来たこの砦には似つかわしくないほど、煌やかで大きな――鏡。
 その鏡がゆらりと夜空の色に染まった時、両腕に抱えていたシュケルの重みが消えた。
 気配のある方へ振り返ると、数歩離れた場所で穏やかに微笑むシュケルが佇んでいた。

 鏡の奥がゆらゆらと夜空のように揺らめき、黒い波紋が静かに広がっていく。

「フフフ、私はそちらへは行けませんよ」
「またそれか、遠慮はいらぬぞ」

 マハルが片手を伸ばし歩み寄ると、シュケルはその分後ろへと下がっていく。
 普通なら嫌がっていると分かるはずだ。
 だがマハルは、シュケルのことを「奥ゆかしくて恥ずかしがり屋」だと信じて疑わない。――とんだ勘違いである。

「マハル、貴方のお気持ちは嬉しいのですが、私には魔王様のもとでの暮らしがあります」
「その魔王とやらが邪魔をしているのか。先程の輩といい、ワタシとシュケルの仲を引き裂こうとするとは許せん!」
「私が望んでのことですよ。……困りましたね。やはり貴方に言葉で伝えるのは難しいようです」

 油断ならぬ相手と距離をとるように、シュケルは徐々に後退していく。
 気付けば二人はバルコニーまで出ていた。
 吹き荒ぶ風が砂を巻き上げ、二人の間をすり抜けていく。
 シュケルの後ろには岩で出来た腰壁があった。
 この壁を越えた先には、遥か遠く――砂の海のように霞んだ地面が静かに広がっている。
 まるで〝死〟が静かに待ち受けているかのように。

「シュケル、それ以上下がるのは危険だ」
「フフフ、そうでしょうか」
「……いったい何がしたいんだ? まさかあの〝約束〟を忘れてしまったのか?」
「約束ですか……」
「――そうだ。あの時ソナタは確かに言った。ワタシはそれを今日まで胸に――」
「はて、どんな約束でしょう?」

 マハルの水浅葱色の瞳が、かすかに揺れる。

「ワタシが大人になってもソナタを覚えていれば、迎えに来て良いと言ったじゃないか」

 少し悲しげな声でマハルは言う。だが、すぐにハッと思い直す。

「そうか、怒っているんだな。迎えに来るのに十三年もかけてしまった。いや、もしやこちらではもっと時が経っているのか? ソナタがあの頃と全く変わらぬ美しさで気付けなかった。すまないシュケル!」

 ――もしこの場にカボチャがいたら、背筋が凍り、顔面蒼白になっていただろう。
 「シュケルが美しい!?」とマハルの視力を疑い、いっそ心配したに違いない。
 そしてカインなら「シュケルは綺麗だよ。優しいし」と平然と言ってのけるので、カボチャはこの世の地獄を見たような反応をするのだ。
 だがこの場にカボチャはいない。ツッコミ役が不在。なんならカインもいない。

「私も、貴方があの幼子だったのかと思うと感慨深いです」

 魔王がいたら「十とうは数えた子を魔族基準で幼子と言うのはどうなのか」とぼやいたかもしれない。もちろん魔王もこの場にはいないが……。

 一瞬、風が止まった。
 ほんの刹那、世界が息を潜める。

 シュケルがマハルへ身体を向けたまま、背後の腰壁にそっと飛び乗り、マハルは息を呑む。

「ですが――そろそろ、この追いかけっこも終わりにしましょう」

 再び風が吹いた瞬間、その姿は――後ろへと倒れていった。
 

【伍】宝玉の実01


 城の五階の窓から飛び出したカボチャとカインは、青々と続く森の上空を勢いよく飛翔していた。
 正確には、カインを抱えたカボチャが魔力で飛んでいた。

「なぁカボチャ、この体勢、落ちそうで怖いからさ……カボチャの頭にしがみついてるんじゃダメ?」

 カインの脇の下にカボチャが腕を通して抱えているため、カインは宙ぶらりんの状態なのだ。さしずめ、鷹の爪に捕らえられた獲物のような格好。いつ落ちてもおかしくはない。

「バカ言ってんじゃないですよ。鷹だって、あえてそうしない限り、獲物を落としたりなどしません。それこそこの僕が、カインを落とすわけないでしょうが」
「だってさぁ……」
「それより問題はシュケルです」

 カボチャはカインを抱えたまま、ある一か所を目指して飛ぶ。
 胸の奥でざわめく焦りを、カボチャは言葉にできずにいた。あの時見た、わずかに青ざめたシュケルの横顔が離れない。
 何よりも早く、なんとしても追いつきたかった。

「シュケル、いつもより具合悪そうだったよな」

 カインは、最後に見たシュケルの様子を思い出す。
 いつもの調子で話してはいたが、元々顔色が悪い体質なのに、さらに青白く見えた。
 シュケルは魔王ほどではないが、カボチャやカインより体格がしっかりしている。
 マハルと並べば、背丈もほとんど変わらない。
 だが、それに似合わず背中からはどこか哀愁が漂い、普段汗ひとつかかぬ彼の首筋には、うっすらと汗が浮かんでいた。
 どれもこれも、誰も気づかない些細な変化だ。けれど、それなりに付き合いが長いからこそ、なんとなく分かってしまう。

「えぇ。あのバカ、結構まいってるはずですよ。あれに付き合うには相当体力が要りそうですからね」

 体格はともかくとして、白の魔族は基本的に虚弱体質なのだ。例外もいるが、シュケルはその例外にはあてはまらない。

「うーん……確かに」

 カインも一方的なところがあるが、マハルはその遙か上をいきそうだ。

「あぁなる前にさっさと懲らしめてやれば、逃げ帰ったでしょうに。なに考えてんだシュケルの奴!」

 相当頭にきているのか、カボチャの頭――否、ジャック・オー・ランタンのかぶり物に、ムカムカと怒気が沸く。

「あの様子じゃあ、体調を回復しようにも追いついていないはずです」
「あー、だからなーんにも抵抗しなかったのか」
「かもしれませんし、何か考えがあるのか……アイツの考えることは、この僕にも分かりませんが」

 ビュンビュンと風を切って飛んでいると、何かに気付いたカインが「あっ」と声を上げた。

「カボチャ、あれ……!」

 カインが指さす先。
 緑生い茂る森の中にまるでクレーターのような荒れ地がぽっかりと広がっていた。

「あそこです! あそこから奴とシュケルの気配がします!」

 ビュンッ、と速度が跳ね上がる。

「ヒッ」

 カインの小さな悲鳴が風にかき消された。
 風を切る音が鋭くなるほどに、緊張感が増してくる。
 そして――

 カボチャとカインは、その光景に一拍いっぱくほど言葉を失った。

「なんだ、あれは!?」

 カボチャが叫ぶ。上空からでもはっきりと分かる。
 森から突き出るように存在する、巨大な岩の砦――そして。

「十字架?」

 カインとカボチャの瞳には、巨大な砦と、その隣にそびえ立つ十字の柱が映っていた。
 その頂いただきには――

「「シュケル!」」

 彼が、磔はりつけにされていた。


 ◇◇◇


「やっと、ソナタを手に入れられた」

 天に向かって鬱蒼うっそうと生い茂る木々。
 陰森いんしんの奥にある荒れた地は、まるでそこだけが抉り取られたかのように、ぽっかりと広がる。
 その奥に岩で築きずかれたひときわ目立つ古城とも言えぬ砦があり、それこそこの場に似つかわしくない巨大な十字の柱が聳え立つ。
 司祭のような真っ白な衣服を身に纏った魔族が一人、その十字に磔はりつけにされていた。
 四肢ししごと身体の殆どを柱に呑み込まれ、上半身だけが姿を現している。

「やっと、このワタシ〝マハル〟のものだ」

 藍白あいじろの羽織を身に纏った男が、その魔族の真っ白な髪に指を這わせ、流れるような所作で頬に触れる。

「シュケル」

 そう囁いて、指先が冷たい頬をなぞり、そのまま破れた衣服の隙間から白い肌へ滑り落ちた。
 その手には、毒々しい〝赤い何か〟が。

 マハルはそれを、シュケルの胸の間に押し当てた。
 するとその毒々しい真っ赤な色が、徐々にシュケルの身体へと滲んでいく。

「……ッ!」

 シュケルが声を押し殺し、呻うめいた。

「そ、れは……?」

 こんな時でさえも、シュケルは変わらず不敵な笑みを浮かべている。

 紅い実みを押し込むマハルの手が、ほんの一瞬だけ止まった。
 こんな形で手に入れて、果たしてあの時のように微笑んでくれるのか――
 胸の奥に差したその迷いを、マハルはすぐに打ち消す。
 もう後戻りはできない。これは、十数年を費やして辿り着いた〝答え〟なのだから。

「忘れたのか? 以前、ソナタへ話した〝紅い実み〟だ。どれほどこの瞬間を夢見てきたことか、この十数年……。ソナタが忘れていようと、ワタシは一度たりとも、忘れたことなどない」

 ――それは、マハルの住む風の大陸で、大切に扱われているという紅い実み。
 その実みは今、なぜかシュケルの身体の中に、呑み込まれていく。
 とても、熱くて、苦しい。
 まるで鉄の塊を無理やり呑み込んでいるかのような、内側から焼かれるような苦しみ。
 胸から腹へと、身体を作り替えられるような灼熱が広がっていく。
 だが両手足は柱に縫い付けられ、動かせない。

 ただその熱だけが、全身を蝕むしばみ、額ひたいを伝う汗は止まらず、視界は霞み、意識も徐々に薄れていく――それでも彼は、眉ひとつ動かさず、堪えていた。

「先程は、さすがに焦った。いくら怒っているとはいえ、ワタシの目の前で飛び降りるなど」

 マハルは、悲痛な顔をしながら瞳を潤ませる。

「あんまりだ。まさか、死ぬつもりだったのではあるまい? そうまでして、ワタシを拒絶するのか……」

 シュケルは、焼かれるような熱と苦しさに堪えながら、多少マハルを侮あなどっていたことを反省していた。

 まだ体調が万全とは言えない。
 あちらの世界へ連れて行かれる前に振り切るには、体力が足りなかった。
 だからといって、飛び降りたところで意味などない。風を操るマハルにかかれば、すぐに捕まる。
 分かっていてそうしたのは、一瞬の動揺から隙を作り、身を隠すつもりだったからだ。
 予想外だったのは、地中から突然現れ、自分を呑み込んだこの十字の柱。
 風を操ったとは思えない。だが、おそらく――マハルの力だ。
 そう、マハルはまだ、力を隠していたのだ。

 目の前の、今にも泣きそうなマハルの瞳が、ふと明るく煌きらめいた。

「だがもういい。そんな事をせずとも、この実みを取り込んだからにはソナタはワタシの嫁となり、子をもうけることになる」
「……それは、困りましたね」

 シュケルはまったく困ってなさそうな顔で、いつもの調子で微笑する。
 その笑みは穏やかなのにどこか冷ややかで、何ひとつ読み取れない。

 ――ただ、言葉は嘘ではない。
 先程から、覚えのある二人の気配が、確実にこちらへ近づいている。
 シュケルが気にしているのは、むしろそちらのほうだった。

(やはり、来ましたか……さて)

 尚も続く、内側から焼かれるような熱。
 それはまるで、身体そのものを作り替えようとするかのようで――

「一時ほど、苦しいだろうが……今暫くの辛抱だ」

 一時いっときというのは、一瞬を意味する場合もあるが、マハルが言うのはおそらく〝二時間〟の方だ。
 ――そう、二時間である。
 これがカボチャなら「長すぎる」と怒鳴っていただろう。
 その時、マハルが突如として後ろを振り返った。

 その瞳に映ったのは、雲一つない西の空。橙色に燃えたぎる夕日、そして――

「マハル貴様、シュケルを放せ!」
「シュケルになんかしたら許さねーかんなー!」

 それを背景に真っ青な長髪の青年とお化けのようなカボチャの姿が、まっすぐ此方へ向かっていた。


 ◇◇◇


 ようやく追いついたカボチャとカインは、磔はりつけにされたどこか扇情的せんじょうてきなシュケルと、その横でシュケルに触れたまま此方こちらへ振り向いたマハルの姿に、正直、ものすごく動揺していた。

「な、なんだよこの状況~! カボチャ、説明してくれよ~!」
「うるっさい! そんなの僕が知るはずないでしょうが! てか、出来れば他人に好き勝手されてるシュケルなんか見たくなかったわ!」

 ただひとつ分かるのは――

「あ、あの野郎…………人のもんに、あんなにベタベタベタベタと、嫌がるシュケルに触りまくりやがって! キモチワルイ。殺す、燃やす、駆逐する!」

 ベタベタ触れているわけではないが、カボチャにはそう見えているらしい。
 小声でブツブツ言っているとカインがじーとこちらを神妙な面持ちで見ているのに気付いた。

「な、なんですか?」
「分かるよその気持ち。カボチャ、シュケルのこと大好きだもんな」

 突如として空気が変わる。
 あまりの言葉に、カボチャの思考が一瞬だけ真っ白になった。

「…………は?」
「俺ですらめっちゃ嫌だもん。カボチャにしてみればそりゃもう」
「な、は、バッ、そうじゃなくて!!」
「いいんだカボチャ、無理しなくていいよ。カボチャは素直じゃないもんな」
「は、はあああ!?」

 ガツンと頭を金槌で殴られたような衝撃だった。

(まてまてまてまてまてそんな片鱗一切見せてませんけど!? ないだろないはず! ってかただもう異常に胸糞悪いってだけで!)

 あまりの衝撃にワナワナと震えながら言葉を失うカボチャを他所に、カインは珍しく思い詰めた様子でマハルへ視線を向ける。

「カボチャ……俺、正直さ……マハルのやってること、昔の自分にちょっと似てるな~って思ってたんだ。俺もあんなだったのかな……そりゃあ、魔王も断るよね」

 確かにカインには、魔王と結婚したいがために城へ押しかけて求婚していた少年時代がある。
 ついでに城に住み着いて、あれこれ勝手に手伝っていた。
 魔王の「もっと見聞を広げろ」という言葉に、一時期は傍を離れた。
 だが結局、諦めきれず舞い戻り、今に至る。
 ちょっと落ち込んだカインの頬を、カボチャはバシンッと平手打ちした。

「いった~!」
「バカ言ってんじゃないですよ! 貴様とあの野郎を一緒にするな! ぜんっぜん違う! 確かに押しかけ女房さはありましたが、少なくともお前のほうが可愛げや愛嬌があったし、あそこまで自分本位じゃなかったわ!!」
「そ、そかな?」
「えぇ! それに、魔王さまだって嫌がっていたのではなく、ただ困って……って、今はそんな事どーでもいいんですよ、クソボケが!」

 到着するなり口論し出す二人に、マハルは鼻で笑う。

「ごちゃごちゃと騒がしい。ウヌら、一体ここへ何しに来た? まぁなんにしろ、もう遅いぞ」
「なんだと!?」

 マハルは、まるで自分のモノであるかのように、シュケルの白い髪に触れる。
 そして、挑発するような瞳で、カボチャを見据えた。

「すでに宝玉の実みはシュケルの中だ。シュケルは嫁となり、ワタシの子を宿す」

 今度はカインの思考が一瞬止まった。

「な、何言ってんだ? シュケルは男だぞ。灰の魔族ならともかく、子供なんて……だよな、カボチャ?」

 そう、カインの言っていることに、間違いは何一つない。
 魔族には黒の魔族、白の魔族、赤の魔族、そして――灰の魔族が存在する。
 黒と白は男、赤は女と決まっているのだ。
 だが灰の魔族だけは例外で、自らの意思でどちらの性にもなれる特異体質。
 それだけではない。
 灰の魔族は、生まれてくる数が少なく、寿命も短いため、極めて珍しい。

 だが、シュケルは白の魔族なのだ――つまり、男。

 子を宿すことなど、できるはずがない……!
 

【伍】宝玉の実02

 ふと、カボチャの頭の中に先ほどのマハルの言葉が過った。
 聞き慣れぬその言葉に、カボチャは眉を跳ね上げる。

「……〝宝玉の実み〟?」

 カボチャの言葉にマハルは眉を潜める。

「もしや、知らぬのか?」

 マハルはシュケルの髪から手を離し、手の平に毒々しい実みを出現させる。

「これは〝宝玉の実み〟――風の大陸において、極めて〝神聖な果実〟とされている」

 その声には、どこか誇らしげな響きがあった。

「天然の果実でありながら、体内に取り込めば、男であっても身体が母体化し、子を宿すことが可能となる。女であれば安産が約束される」

 マハルはその果実を見つめたまま続ける。

「ゆえに、我が大陸では性別に大きな意味はない。男であれ女であれ、子を成なすことが叶うのならば、それでよいのだ」

 マハルはカボチャたちを見つめ、鼻で笑う。

「その様子を見るに、此方こちらには存在しないようだな」

 ――なんて恐ろしい果実だと。カボチャとカインはぞっとした。そんなものが、もうすでにシュケルの体内に……?

「つまり無理やり母体化させて、手篭めにし、既成事実を作って自分のものにしようってこと? ……うわぁ変態だ。悪趣味。俺、初めて限りなくドン引いた。ぜったい、あんな奴と一緒くたにされたくない」

 カインにしては珍しく、心底軽蔑した眼差しを向ける。そして空中で、大剣をしっかりと構えた。
 カインを落とさぬよう抱えていたカボチャは、怒りに震え、カッと血走った目で叫ぶ。

「シュケルは死んでも死なないような奴ですけど、そのじつ、虚弱体質なんですよ! 妊娠出産なんてしたら、本当に死んじゃうかもしれないだろおおお!」
「え、そこ!?」

 カインのツッコミなどお構いなしに、カボチャは叫ぶや否やその服を鷲掴みにした。
 そして、思いっきり振りかぶると――マハルに向かって投げ飛ばす。

「どわぁ!?」

 一瞬驚いたカインだったが、すぐに体勢を立て直し、大剣を振り上げる。

「シュケルから離れろーー!」
「ふん」

 マハルはひょいと身を躱し、カインの攻撃を避けた。

「な、わああ!」

 斬りかかる対象を失ったカインの身体は、そのまま数百メートル下の地面へ落ちるかと思われた。

「なーんてな!」

 カインの大剣は十字の柱へと突き刺さる。
 はじめからマハルではなく、腕のように伸びる柱へ剣を振り下ろすつもりだったのだ。
 カインはくるりと身体を翻し、剣の柄に飛び乗る。

「どうだサーカス団も顔負けだろ?」

 自慢げに言いながら、剣を伝って柱の上へ飛び移る。
 そのまま中央にいるシュケルの元へ駆け出した。

「させるものか」

 すぐさまマハルも柱へ飛び乗り、カインの行く手を阻む。拳を振るい、カインの顔面を狙った。

「うわっ、とっとっと!」

 間一髪で背を反らした。
 そのまま柱に手をついてバランスを取ると勢いのまま両足を振り上げる。
 マハルの腕を挟み込み、身体をひねって柱から振り落とそうとする。
 だが、マハルが片足を巧みに引っ掛け、その両手を払いのけた。

「うっわ!」

 体勢を崩し、倒れ込んだカイン。その隙を狙って、マハルが蹴り落とそうとする。

「わっ、わ、たん! たんまたんまー!!」

 カインは慌てて飛び退き、体勢を立て直した。

「カッコつけちゃったけど、じつは俺、体術ムリなんだよ~!」

 手をぶんぶん振りながら、カインは訴える。

「なぁ、悪いこと言わないから、お兄さんの話ちょっと聞いてくんない?」
「お兄さん、だと?」

 律儀に返事をしながら、マハルは攻撃の手を止めない。それをカインはギリギリのところで回避していく。

「まぁまぁ、落ち着けって。話をしようぜ」
「何を話すというのだ?」
「だって俺こう見えて二十五だもん。君より二つ年上」
「……どう見ても、そうは見えんけどな」
「確かに俺もそう思う」

 マハルの言うとおりだった。
 年齢のわりに幼さの残る顔にこの背丈の違い。
 マハルはカインよりも頭一つ分以上背が高く、整った大人びた顔立ちに、しっかりした体格。
 カインが年下に見えても仕方がない。

「あのさ、俺もあんまり言えたことじゃないんだけど、押しかけ女房の先輩としてアドバイス」

 正直、マハルの行動はそんな生易しいものではない。
 だが、あまり深く考えないカインは、飄々とした調子で続けた。

「相手の話には、きちんと耳を傾けた方がいいぞ?」
「なに?」

 一方その頃、マハルの注意がカインに向いている隙をついて、カボチャは十字の柱の反対側に身を隠した。
 そのまま中央へ移動し、磔にされているシュケルへ声をかける。

「シュケル、お前いつまでそんな所にいるつもりですか。さっさと脱出してくださいよ。そしたらカインも退かせて、この荒れ地をあの野郎ごと重力で押し潰してやります」                    

 だが声をかけてもシュケルはすぐには反応しなかった。
 カボチャは焦りを感じ、もう一度声をかける。

「シュケル」
「……来ると、思っていましたよ」

 思ったよりも掠れた声だったがその口調も表情も、いつもの調子だった。
 カボチャの気分を逆撫でするような、不敵な笑みを浮かべる口元と声色。
 穏やかに瞑ったその瞳は、見えていないようで確かにこちらを見ている。

「……私を、誰だと、思っていますか?」
「はぁ? 貴様はシュケルだろ。この程度さっさと……」
「えぇ、その私が、どうして大人しくしているか……分かりませんか?」

 思わず息を呑みこんだ。

「……ちょっと待て、そんなにか!?」

 瞬時に冷や汗がにじむ。
 シュケルが本気で動けない?
 いくらなんでも、そんなバカな。

(これでも魔族の王の〝腹心〟だぞ!?)

 これはまずいと、カボチャは己の粗末な作戦を頭の中で破り捨てた。
 そもそもカボチャの考えは単純だった。
 マハルさえぶっ潰してしまえばすべて解決する。
 そのためには磔はりつけにされているシュケルが邪魔だったのだ。
 だが、これではそうもいかない。
 カボチャは桁外れの魔力を誇るが、シュケルを無傷でこの柱だけ破壊する――そんな繊細な芸当はできない。
 ましてや、シュケルの体内には宝玉の実みとやらがある。
 それをどうにかする術を、マハルから聞き出す前に倒すわけにはいかなかった。

(正直シュケルならそんな訳の分からんもんくらい、自身でどうにかするから問題ないと思っていたが)

 いくらなんでも買い被りすぎていたか――そして、あのマハル。
 油断していたとはいえ、このカボチャですら反応できない速度で動くような男だ。
 なのに今、なぜカインは奴と互角にやり合えている?
 ……まさか。

 フフフ、とシュケルが微笑した。

「カボチャ、カインを連れて帰ってください」
「はぁ!?」
「はっきり言いますが――膨大な力はあっても、その扱いが下手な貴方では、勝てませんよ。剣しか持たぬ、ただの人間を連れてなら尚更です」

 カボチャは絶句した。
 カインのことを「赤子」と愛着を持って言うことはあっても「ただの人間」などと、そんな突き放すような言い方を、これまで一度たりともシュケルの口から聞いたことがなかったのだ。

「マハルが、手を抜いているうちに」

 その時だった。
 反対側から鈍い音と共にカインの叫び声が響く。

「カイン!!」

 柱から弾き出されるように、カインの身体が弧を描いて――真っ逆さまに落ちていく。

 その瞬間、カボチャは反射的に飛び出した。

 間に合わないかもしれない――そんな迷いなど、微塵も浮かばなかった。
 

【陸】カボチャという男

 空へ弾き出されたカインの身体、その姿を追ってカボチャは飛び出した。
 いくらカインの身体能力が人並外れているとは言え、直前に殴られたのが頭だったのか、遠目にも気絶しているのが分かる。
 この高さからそのまま地面へ叩き付けられればいくらなんでも無事ではすまない。

「カインー!」

 景色の全てが目に映らぬほどの速さで、カボチャはカインに追い付いた。
 だがそこへ追い討ちをかけてカインの大剣が二人に迫る。柱へ突き刺さっていた大剣をマハルが二人目がけ放ったのだ。
 すぐさま身を翻し、カボチャは大剣を魔力で弾こうとした。だが大剣はマハルの風に守られ微動だにしない。

「っなに!?」

 既に地面は目の前、なす術なし、爆音とともに巨大な爆風が上がる。
 もうもうと上がる砂埃の中、先に目を覚ましたのはカインの方だった。

「いってぇ……」

 何が起きたのかと辺りを見回し、柔らかな感触に何かが自分の下敷きになっている事に気付く。
 人間でいけばまだ十代くらいの子供の手足が……はっとしてカインは起き上がった。

「か、カボチャ! カボチャーーー!!」


 ◇◇◇


 ――意識が遠のく、その間際、あの屋敷の匂いがした気がした。

『そこの〝お前〟これを旦那様の元へ持って行け。落としたら、分かっているな?』

 手紙から香水の匂いが鼻を突く。たぶん〝女〟からの手紙だ。
 書斎の扉を開けた瞬間、旦那様はそれをもぎ取るように受け取り、言った。

『いつまで居るつもりだ。さっさと出ていけ』

 片手で野良犬を追い払うように。それがこの男のいつもの態度だ。僕はずっと、あいつが嫌いだった。

 けれど、もっと厄介なのは奥様だ。

『さ、着替えましょう。今日のあなたにはこの色が似合うわ。ほら、髪ももっと整えて、ふふ綺麗な長い髪ね』

 鏡の前で、フリルとレースのドレスを何着も着せ替えられる。どれも奥様の趣味そのもの。
 まるで人形。喋ることも許されず、ただ衣装を纏わされるだけの自分が鏡に映る。
 部屋の隅では、女中たちがひそひそと囁く。

『……奥様ったら、あの気味の悪い子供のどこがいいのかしら』
『子供? それもどうか怪しいわ。全く歳を取らないそうじゃない』
『男のくせに女物の服を着て喜ぶなんて、あぁ私もあんな素敵なドレス、一度でいいから着てみたいわ』
『やだ、睨まれた。相変わらず目付きの悪い子』
『ふん、何よ。いい気になって』

 女中たちの勝手な恨み言なんて、いつものことだ。

 ドレスを脱ごうとして気付く。
 少しだけ開いた扉の隙間から、ねめつくような視線。旦那様だ。

 ――その日から、旦那様の態度が変わった。
 食事の配膳で通るたび、必ず一度は目が合う。
 普段は声もかけてこなかったくせに、妙に優しい口調で呼ぶ。
 あの頃は意味が分からず、そのたびにぞわりと背筋が冷えた。

 それからしばらくして。旦那様の浮気が奥様にバレ、どうしてか、こちらに白羽の矢が立った。

『あの手紙、あなた知っていたのでしょう! なのに、どうして私に黙っていたの!?』

 弁明をする余地もない。言ったところで誰が信じる。
 奥様の白い手が頬を強く打った。

『私が知らないとでも思う? あの人のあなたを見る目つき、急に優しくなったのよ。二人で秘密を共有して仲良くなったのかしら? まさか、家の中にまで〝そういう相手〟がいたなんてね。ああ恥ずかしい……屋敷中で笑い者じゃない』

 奥様が歪んだ笑みを浮かべる。
 その奥にあるのは、愛情ではなく、徹底した支配欲とプライドだ。

『さっさと出て行きなさい。見てるだけで腹が立つ!』

 使用人たちが現れ、怒号と共に引きずり出された。違うと叫んだところで状況は変わらない。
 納屋に投げ込まれ、大人数の人間に殴られ、蹴られ、粗雑に扱われ、傷だらけで藁の上に転がった。
 長い髪を乱暴に引っぱられ、痛みに顔を歪めていると、目に飛び込んで来たのは扉の前にいるあの男。
 ――あの使用人だ。いつも手紙を渡すよう命じて来た、あの。
 此方を見下ろし、口の端を歪めて面白そうに笑う。まるで、この結末を待っていたかのように。
 アイツだ。アイツがバラしたのだ。悔しさに喉が詰まり、奥歯を強く噛みしめる。
 じわりと、血の味がした。
 
 その夜には旦那様も現れた。

『よくもバラしたな。ごろつきだったお前を引き取って、あんなに目をかけてやったのに!』

 嫌悪と憎悪、欲に支配された醜悪な顔。

『なんだその目つきは、このっ化け物が!』

 旦那様が片手を振り上げた、その瞬間。
 体の奥底から、自分でも知らない〝何か〟が溢れ出し、視界が朱色に染まる。

 目覚めると静寂――倒れた旦那、開いた扉、眠るように死んだ屋敷の者たち。
 反射的に逃げ出す。息も絶え絶えに、夜を越え、何日もかけて魔族領へ。

 ――自分は人間ではない。
 魔族であると、本能が告げている。

 身一つ、無一文。
 魔族領内に入り、生きるためならなんでもやった。
 村や町を転々とし、盗んで、暴れて。

『――これはこれは、お楽しみは終わりましたか?』

 その日は私兵に捕まり、粗末な小屋に軟禁され、身の危険を感じて暴れた。町の通りには、半殺しにした私兵が血を流してあちこちに転がる。
 最後の一人が呻き声を上げたので、とどめとばかりに足で顔を踏みつけた。

 ――その時だ。そいつが現れたのは。

 真っ白な髪に、真っ白な布地。司祭のような出で立ち。穏やかに瞑った瞳と、腹の見えぬ笑みを湛えるその男が。

『……コイツらが、僕を妙な目で見たのが悪いんだ』

 そいつは軽く周囲へ視線を落とし、その閉じた瞳でじっとこちらを見つめた。

『なるほど、確かに可愛らしい見目ですね。やっていることはともかく』
『……』
『それにしてもその魔力量、あなたには身に余るようですが……数ヶ月前、人間の領土で一つの街の人々が亡くなったとか』
『だったらなんだ』
『名はなんと?』
『そんなもの、ない……』
『そうですか』
『なんだよ。貴様も僕をバカにするのか? ……だったら』

 身構えたその時には、頭から何かを被せられ、視界が真っ暗になった。

『そこの店にあった物ですが……フフフ、悪くないですね』

 被り物に穴が開いている箇所を見つけ、そこからやつを睨む。
 そいつの右耳にだけつけられた金のイヤーカフ、その耳飾りが陽を受けて一瞬きらりと光った気がした。

『カボチャ……そう、今日から貴方を〝カボチャ〟と呼ぶことにしましょう』

 文句を言う前に、男は背を向けて歩き出した。

『――さぁ、行きますよ〝カボチャ〟』


 ◇◇◇


「……カボチャ、カボチャ!」

 カインの下敷きになっていた小さな子供の身体。
 肩をむき出しにした橙色の上衣に、黒い下衣の功夫服。
 その頭には、あのお馴染みのジャック・オー・ランタンの被り物。けれど、そこにはカインの大剣が突き刺さっていた。
 すぐに気付いた。カボチャが自分を庇ったのだと。

「うああ!」

 カインがその大剣を引き抜くと、既に割れていたジャック・オー・ランタンの被り物が左右へと散らばる。
 剣先にはべっとりとした血が付着していた。

「あぁっ」

 自分の剣でカボチャがと、露わになった幼い顔立ちを両手で包んで、怪我はどこかと手探りで確かめる。
 カボチャの黒く長い髪がバラバラと散らばった。

「起きて、起きろよ」

 カインが取り乱しているからかもしれないが、外見にさほど異常は見つけられない。
 パタパタと手の平で血色の良い頬をはたくと、その愛嬌のある太眉をひそめ、うっすらと瞼が上がった。

「……っうるさいですね。くそっ頭がぐらぐらするぞ」

 カボチャは直ぐに起き上がって、少しつり上がった大きな瞳でカインを確認すると、何処にも異常がないことに心底ほっとした。
 ギリギリ重力で落下の威力を緩和したのが功を奏したらしい。

 だがカインはそうはいかない。カボチャの耳から血が滴っているのだ。
 視線を下ろすと、普段は毛先を一つに束ね長く伸ばした厚い黒髪は、左耳の辺りだけ斬れて髪型が不自然な形に乱れている。

「こんな、せっかく綺麗な髪なのに、血だらけだよ」
「まったく……こんなのわけないですよ。髪と耳がちょっと斬れただけです」

 本当はちょっとでは済まなかった。
 カボチャは剣だけは避けきれなかったのだ。
 いや違う、確かに顔と身体をズラし避けたはずだった。
 だがマハルが剣に纏わせた風圧で顔の左側、ちょうど左の目尻の辺りから足先に向かって真っ二つに斬られた。
 まずい――このままではカインまで巻き込まれる。
 しかしそれも束の間、カインの身体には既に防御結界が施され、カボチャの身体は一瞬にして元に戻った。
 魔王セオドアのように時を戻したのでは決してない。
 防御術、治癒術、回復術の三つを同時に展開し、治癒術、回復術に関しては応用もきかせ、なおかつ即効性が高い、こんな芸当をあの一瞬でやってのけるなど、カボチャはこの北の国で一人しか知らない。

(シュケルのやつ……動けないんじゃなかったのか?)

 耳の辺りを触ると確かに赤い血が手にべっとりとへばりついた。

(治りきってない……くそっアイツ無茶しやがったな)

 カインを改めて見ると上でやり合った痕だろう。
 白と青の上衣と紺色の下衣がそこかしこ破れ、カボチャよりやや褐色がかった肌には、打撲の痕が浮かび、口元が少し切れて本人は無意識に手の甲で血を拭っていた。
 カインの真っ直ぐな青い瞳がカボチャを心配げに見つめ、目が合うと少し首をかしげて愛嬌よくニッと笑う。

 カボチャの腸はらわたが煮えくり返った。
 完全に侮っていた。
 そう、所詮子供と思い侮っていた。
 だがマハルの風は容赦なくカボチャを真っ二つにできるのだ。
 相手が使うのは決して魔力などではない。けれど己が持つ力の扱い方はカボチャよりも巧みだ。
 おまけに何もかもが速い。

「小僧の分際で……」

 カボチャは真っ赤な瞳をぎらりと燃やし、立ち上がった。
 まだ砂塵の残る視界の中、その小さな身体から空気が一変する。重く、圧し潰すような力が辺りに満ちていく。
 カインを殺そうとし、シュケルをここまで追い詰めた怒りが、身体の奥から溢れだす。
 まだ視界の先にいるマハルを睨み据えたまま、カボチャは唇の端をほんのわずかに歪めて言い放つ。

「生意気ですね」

その声音は低く、感情を押し殺しているのに、なぜか耳に焼き付く。

 地面が呻くように沈んだ。
 森が揺れる。
 見えぬ力――重力が、この場のすべてを圧し潰そうと蠢く。

「何百年ぶりに……少し、本気で相手にしてやりますよ」

 拳を鳴らす代わりに、辺りの地面が陥没する衝撃音がいくつも上がった。
 

【漆】本気の怒り

 ◇◇◇

 十字の柱の上で剣を放ったあと、マハルは地上の様子を窺っていた。
 もうもうと上がる砂と土埃のせいで様子がにわかに分かりづらい。ただあれだけやればさすがに死んだだろうと、そう思っていた。
 だが突然上がったいくつもの衝撃音。それと同時に空高く上がるいくつもの巨大な砂柱。
 一瞬にして辺りが茶色く染まり、視界が悪くなる。

「目眩ましか、小癪な」

 その場から離れようとしたその瞬間、真横に子供ほどの影が現れ、全身に戦慄が走った。
 反射的に身を逸らしたが、空気とも思えぬ〝何か〟が耳をかすめ、背後の森で重い衝撃音が上がる。
 振り返れば巨大な何かで押し潰された風穴が空いていた。

「なんだ!?」

 間髪容れず人影が背後に迫るのを直感し、躱かわした。
 警戒し先程より大きく距離をとったつもりだが、またしても見えない何かにぶつかる寸前だった。
 辺りを揺らすほど爆ぜるような音。
 振り返ると、樹々が薙ぎ払われたように倒れ、風穴のような大穴が空いている。
 砂塵が再び舞い上がり、マハルの水浅葱の長髪を乱暴に打ち付けた。

 少なくともマハルには覚えのない力だ。
 目に見えない攻撃、まさか風を操るのか、そうとも思ったが、マハルたち風の大陸の民のように自然の力を操るのとはまったく異なる何かだと、それだけは分かった。
 ならば考えたところで無駄だ。たとえ力の源が何か分かったところで、どうとも出来るとは思えない。
 やることは一つ。

「まずは視界に捉える!」

 マハルはシュケルの元へ素早く戻ると、柱を中心に巨大な竜巻をおこし、周囲の森林へと押し広げた。
 茶色く染まる視界が徐々に開け、台風の目のように穏やかな景色が広がる。寂れた大地は竜巻に押し退けられ一層綺麗に掃除された。
 何もなくなったその地上の大地に、何者かが一人佇んでいる。激情に燃える瞳を迷いなく此方へ向けながら。

「……子供か?」

 そうそれは、まだ十代前半の小柄な少年だった。
 肩を露わにした夕陽に染まったような上衣に、七分丈の黒い下衣。
 足元では、地を踏みしめる布靴のまわりに、わずかに風が立ち、その濡れ羽色の長髪がぶわりと広がる。
 静かに立ち尽くすその姿からは、内に燃え盛る怒りがひたひたと滲み出ていた。
 予想だにしなかった相手にマハルは眉を顰める。てっきりさっきまでいたふざけたパンプキン頭の方だと思っていたのだ。
 だがその子供から得体の知れない何かを感じた。得体の知れない力を……。
 それはその小さな身体からとめどなく溢れ出すように、強大に膨れ上がる何かだ。

「薄気味の悪い」

 マハルが舌打ちをした時、その子供がマハルと同じ高さへゆっくり上がってきた。
 マハルとは違う風ではない何かの力で、それがこの少年が纏う朱色の何かだということだけは分かる。

「おい貴様、よくも二人に手を出してくれたな」

 その声に聞き覚えがある。

「それに分かったぞ、風だけじゃないな。貴様、自然から力を借りてるんだろう。その中で風と仲がいいだけだな」

 信じられないがあのふざけたパンプキン頭の声だ。
 こちらは相手の手の内が分かっていないと言うのに、この子供はこちらを的確に当てて来た。だが……。

「――だったらなんだ」

 それを知ったところでなんになるのだと。

「確かにそうですね。けど……」

 途端に距離を詰められた。

「ちょっとは動揺したろ!」 

 コンマ一秒避けるのが遅れた。目の前に迫った愛嬌のある少年の顔が、高圧的かつ巨大な力の威力で霞む。
 それが先程から森に風穴を開けている攻撃だと、紙一重で逃れてから気付く。
 またも青々とした森林に大穴が空いた。先程とは比べ物にならないほどの巨大な。
 その度に地鳴りが響き、生き物が逃げ惑う。だが穴が空いた箇所には生き物の死骸すら残っていない。
 マハルは自身の肩にかけた藍白あいじろの羽織を見た、その左袖が跡形もなくなっている。

「洒落にならん」

 けれどいったい何をしているのかは分かった。単純にあり余る自身の力を全力に込め、殴りにきているだけ。だが結局それが分かったところでなんになる。
 まともに食らったら確実に死ぬ、それだけだ。

「――よくよく考えてみれば、別に貴様から解毒法を聞き出す必要もない。魔王さまに元に戻して貰えばいいんですよ。シュケルの身体の時間だけを」

 少年は静かに呟きながら、マハルを真っ直ぐ指差した。

「だからお前、生きて帰れると思うなよ」
 

 ◇◇◇


「うーわぁ、あそこにいたら危なかったなぁ」

 ゴツゴツとした砦の螺旋階段から、カボチャとマハルの攻防をカインは観戦していた。

(あそこにいたら、本当に危なかった。カボチャの奴、本気で怒ってる……)

 カボチャがぶちギレて直ぐ、これはマズイと悟ったカインは邪魔だと言われる前にスタコラさっとこちらに逃げていたのだ。
 そして不思議と攻撃が砦まで及ぼうとも砦にはまるで見えない壁でもあるかのように傷一つつかないので、カインも安心して様子を見ていられた。

「さすがにあれには加われないもんな~……ちょっと悔しいけど」

 あそこにいるとカボチャの邪魔になってしまう。

「野獣と魔獣と下級魔族くらいなら俺でもなんとかなるんだけど」

 当たり前のようにカインは言うがこの世界の一般論ではそれもなんとかなるほうがおかしい。

「さて、と……!」

 ゴツゴツとした岩肌に手を置いて、カインは城の頂いただきを見上げる。
 磔はりつけにされたシュケルがいる十字の柱、そこにもっとも近いのは……。バルコニーらしき所で人影が動いた。

「……行ってみるか」

 カインは螺旋階段の腰壁に飛び乗り駆け出した。
 ひとまとめにした真っ青な長髪が軽やかに跳ねる。
 並外れた身体能力で、ぴょんぴょんと上へ上へと近道をし、あっという間に迫ったバルコニーへ飛び上がる。
 すると揺蕩う波のような紫の髪、褐色の肌には桃色の上衣、丈の短い白の下衣の背中が見えた。あの十字の柱に向かって何やらどでかい岩の小槌を振り上げている。
 カインはその姿のとなりに着地した。

「なにしてんの?」

 耳元で声をかけるとその者は「キャー!」と甲高い声で驚く。持っていた巨大な小槌を落とし、どすんとした音が辺りに響いた。そしてワタワタと腰壁まで距離を取り顔面蒼白に叫ぶ。

「お、お許しください!」

 耳元で声がした事によっぽど驚いたのか、両耳を押さえ半泣きでそんな事を言うのでカインはわたわたと狼狽えた。

「えぇえ、ごごごめん!」

 そこではたと気付く、遠目には分からなかったがどうみても十代後半の女の子だと。それもかなりの美少女。

「うわぁごめん! 驚かせるつもりじゃ!」

 だが聞こえているのかいないのか、彼女は端整な面立ちを哀しげに歪めた。

「違うのです。わたくしはただあの者を解放しようと……このような事態、黙って見ておれませぬ」
「え?」
「あなたはあの者の仲間なのでしょう? わたくしはあの者に危害を加えるつもりはございませぬ。ただ、あのお二人の仲睦まじい姿をこの目に焼き付ければ諦めがつくと……なのに、このような仕打ちとは、あまりに酷うございます」

 黒水晶のように大きな瞳に涙を浮かべ、はらはらと泣き出す美少女。

「せぬ? 酷うございます?」

 あまり馴染みのない口調に話の内容がすんなりと呑み込めない。すると今度は馴染みのあるフフフと微笑する声が聞こえた。

「彼女は私を助けたいのだそうですよ」

 顔を上げれば柱に磔はりつけにされているシュケルと目があう。いや実際はシュケルは目を閉じているので、合ってはいないが、まぁとにかくそういうことだ。

「シュケル!」
「カイン、よくここまできましたね」
「シュケル大丈夫? いや大丈夫じゃないよな!」

 腰壁まで駆け寄って身を乗り出す。
 隣の彼女はびくりと肩を震わせ、思わず後ずさった。

「フフフ、大丈夫と言えば嘘になりますが、問題はありませんよ」
「えぇ、でも」
「それよりそちらのお方ですが、マハルの世界からきたそうです」
「え、異界から?」

 カインが振り返ると、彼女は身なりを整えその場に膝をつき、三指をつく。

「地の大陸、長おさの娘、タージと申しまする」

 そして、申し訳なさそうに言った。

「……マハル様の――――」

 

【捌】揺れる想いと嫉妬


「マハル様の、許嫁にございます」

「い、許嫁~!?」

 カインが驚くと、彼女は更に付け加えた。

「はい、お家同士深い繋がりがございまして、マハル様とは幼い頃から仲良くさせていただき、わたくしとの婚姻は兼ねてから決められていたことにございます」

「え、てことはマハルが逃げてきた相手って……」

 タージは居心地悪そうに答えた。

「……わたくしにございます」

 タージが言うにはまさに結婚前夜、マハルは突如姿を消したのだと言う。そして何処に消えたか心当たりがあったタージは異界の門を使いマハルを追ってこちらへ来たのだと。

 カインは真ん丸の瞳を見開いて驚いた。

(えぇ、マハルのやつこの子のどこが不満だったんだよ……)

 見るからにしとやかで奥ゆかしく美しい。非の打ち所がなさそうだというのに。

「とにもかくにもマハル様のなさっている事はわたくし共の世界では重罪にございます」
「じゅ、重罪?」

 話についていけなくなっているカインにシュケルが助け船を出す。

「望んでいない相手に無理やり宝玉の実みを使うのは犯罪行為だそうですよ」

 なるほど、そりゃそうだとカインは納得した。
 タージの肩がふるふると震え、絞り出すように言う。

「わたくしはてっきり……お二人が相思相愛だとばかり。それ故にお二人の仲睦まじい姿を拝見さえすればマハル様へのこの想いにも諦めがつくと……そして父様方を説得するつもりで……ですが、これでは話が違いまする!」

 タージは立ち上がると、ほどけかかっていた袖の長い上衣を、たすき掛けし直す。

「わたくしの婚約者がしでかしたこと、わたくしが責任を持ってあなた様をお助けします!」

 せいのっと、タージは先程の巨大な岩の小槌を持ち上げた。

「フフフ、ありがたい申し出ですね。ところでこれが済んだらお二人にお願いが」
「なになに!?」
「なんなりと!」

 シュケルが自分にお願いごとなど滅多にない、カインはぱっと嬉しそうに顔を向けた。
 一方タージは何かしらの責任をとれと言われるのではと緊張する。

「お二人とも帰っていただけますか?」
「「え?」」

 それは二人にとって思いもよらぬ言葉だった。

「まずカイン、あなただけでも城へ戻ってください。次にタージさん、あなたはあなたのあるべき場所へお帰りください」

 そして付け加える。

「マハルについてはご安心を、必ずあなたのもとへ自ら帰りましょう」

 どういう事かと動揺する二人に、いつものようにシュケルはフフフと笑う。

「そろそろお二人を護れるのも時間の問題でして」

 その言葉の意味にカインは気付けなかったがタージだけは違った。
 砦からそう遠くない所で彼らは今も尚、激しい交戦を繰り広げているのだ。おそらくマハルはシュケルを巻き込まないよう。カボチャもできる限りこちらを巻き込まないようにしているだろうが……それにしたって一切の衝撃もこちらへ及んでこないというのは不自然だ。

「……分かりました。あなた様を信じまする!」
「えぇ!? 俺は納得できてないんだけど!?」

 タージはその巨大な小槌を柱へ向かって振り落とした。
 柱の角にコツンと触れただけに見えたが、その瞬間に小槌ごと十字の柱は地上までひびが及び、全てが一瞬で砕け散る。
 自ずとシュケルの身体が空へ投げ出された。

「シュケル!?」

 いつもの腹の底の見えぬ微笑みを浮かべたまま、シュケルが背中から落ちていく。

「うそだろ、どうして!」

 どうして動かないんだとカインは飛び出そうとした。

「わたくしにお任せを!」

 カインを遮ってタージが先に飛び降りる。

「わ、バカぁ!」

 続いてカインも二人を追って飛び降りた。

 白の衣と桃色の衣が風にバタバタと翻りながら、タージはシュケルへ手を伸ばした。

「あと、もうちょっと……!」

 シュケルの指先へ触れるまさにその瞬間。

「っシュケル!」

 何者かの手によって引き離された。
 タージはその姿へ向かって手を伸ばし叫ぶ。

「マハルさまああ!」

 目が合ったマハルはギクリと頬をひくつかせた。

「っタージ!?」

 シュケルを横抱きにしたマハルから、タージはどんどん離れていく。それに追い付いたのはカインだった。

「大丈夫か!?」

 タージの背中と膝裏へと腕を回しガシッと抱き寄せる。

「どうしてここに!?」 
「どうしてもこうしても」

 カインは落ちながらくるりと身を捻り、同様に崩れ落ちる柱の残骸へ足をかけ、残骸から残骸へとひょいひょいと飛び移り上がっていく。

「落ちてる女の子をほっとけないって!」

 すたっと一番上の残骸へ飛び移ると、カインは機嫌よく言う。

「これが本当の〝お姫さま抱っこ〟だな」
「え?」
「だって、大陸の長の娘ってことはお姫様なんだろう?」
「え、えぇ?」
「じゃあやっぱりお姫様抱っこだ」

 確かにタージはお姫様抱っこをされていた。
 はたと意識すると途端に恥ずかしくなりタージの顔がぽっと赤らぐ。

「落下しながら何してんですか!」

 遠目に叫ぶカボチャの声にハッとする。

「そうだった!」
「わたくしに任せてくださいまし!」

 タージは体勢をうつぶせに変えると地面へ向かって両手をかざした。

「来い、地上の大地よ! 我に力を貸したまえ!」

 「はぁああああ」とタージの気迫と共に大地の一部が盛り上がり、くだけ散った柱の瓦礫を巻き込みカイン達の元へせり上がってくる。そして二人を乗せて走り出した。


 ◇◇◇



「――シュケル!」

 カボチャと交戦しながら、すぐに柱の異変に気付いたマハルが叫んだ。

「っな、シュケル!?」

 一瞬遅れてカボチャも気付く。シュケルだけでなくカインともう一人誰かが落下していると。
 身を翻し、瞬時に追い付いたマハルは、シュケルをその両腕に受け止める。だが予想だにせず目の前で落ちていった馴染み深い顔に驚愕した。

「なぜ、彼女がここに?」
「貴方の婚約者でしょう。助けなくていいのですか?」

 シュケルの言葉にマハルは「違う!」とムキになる。

「タージはただの幼馴染みだ。それに彼女は……」

 言ってるそばからタージとカインは走る大地の道に運ばれ離れていく。

「そんな簡単にくたばるような可愛げなどない」 

 一方カボチャはというと、両方なんとかせねばと考えたせいで出遅れた。シュケルはマハルに先を越され、更に声をかけ助けようとしたカインともう一人は自力で難を逃れたので、手持ち無沙汰となっていた。

「っっっなんっなんですかもう! まっったく、いいとこ無しじゃないですか!」

 悔しげに拳を握ってマハルをキッと睨み付ける。

「これもそれも全部貴様のせいです!」

 ぎゃんぎゃぎゃんぎゃ喚くカボチャにマハルは「なんなんだ」と眉をしかめ、横抱きにされたシュケルはカボチャへ声をかけた。

「カボチャ、なんでもすぐ人のせいにするのは貴方の悪い癖ですよ」
「シュウウケエエル! さっきからお前はいったいどっちの味方なんですかああ! そんな奴にかんったんっに身を任せてんじゃないですよ……! 簡単に!」
「私はどちらの味方でもありませんよ」

 その言葉にカチンときたカボチャは、眉間に青筋を立て怒りを露に叫ぶ。

「こっちは心配して……っていうか随分元気そうじゃないか! そんなに元気なら自力でなんとかしやがれ、なんでさっきからずっと……バカヤロウ!」

 ――叫んだあと、カボチャはわずかに拳を震わせた。
 ぎゅっと握った拳から爪が掌に食い込みそうになり、赤い瞳が悔しげに揺れる。
 唇を噛み、僅かに震える。怒りの感情とそれだけではない何かで。

「フフフ、無理をいいますね」
「そうだ無理を言うな」

 マハルにまで真顔で言われ「はぁ!?」とカボチャは眉をつり上げた。

「シュケルは宝玉の実みを体内へ取り込んだのだ。母体が出来上がるまでおよそ一時いっときほどかかる。その間は一切の身動きがとれん」
「一時って言ったら……およそ二時間じゃないですか……長い、長過ぎる!」
「しかもその間、身体が作り替えられる苦しみに耐えなければならない。少しは労われ」

 フンっと偉そうに鼻を鳴らしたマハルにとうとうカボチャの堪忍袋の緒が切れた。

「二時間……二時間もそんな、どうりで、どうりで……この、くされげどおおおそんなもん人にやらせんでてめえええがやらんかああああああ!」

 カボチャは魔力を込めた例の攻撃をマハルへ向け乱射する。だがいくら撃ってもあっさりとマハルに躱された。

(本気でやれたら、こんな奴ごとここら一帯を消し炭にできるのに――カインとシュケルさえいなければ)

 正直カボチャが本気になれば魔力の扱いが下手なのもあいまって、制御出来ずにそれこそ尋常じゃない規模の被害を出してしまう。
 それを本人も分かっているので多少、手加減せざるを得ない。とは言えその手加減も下手なのでそこらに不必要に見るも無残な穴が増えているわけだが。

「カボチャ、私なら心配いりません。カインと共に帰ってください」

 おまけにシュケルのこの反応。いったい何を考えてそんな事を言ってるのかカボチャにはさっぱり分からん。
 しかも余裕そうなのがこれまた腹が立つ。先程の話を聞く限り、シュケルの様子を見る限り、余裕綽々といった状況ではないだろうに。

「それともう一つ頼まれてもらえませんか」
「うっさいですね! はいそうですかって帰れるわけないでしょうが!」

「シュケル、頼み事ならワタシが」

 それは難しいですねと空中で談話し始めた二人にカボチャの苛立ちはもはやピークに達する。 

「ゆるっさん!」

 単純な魔力の殴り合いでは周辺一帯を破壊し穴だらけにしてしまう(もうしているが、ついで言うと単純に魔力で殴ってるのはカボチャだけ)そう判断した次の瞬間。

「子供の姿はやめだ! 確実に仕留めてやる!」

 背がカインより一回りも高くなり、細身の体に程よく筋肉のついた引き締まった体格。それに合わせて服までも変わる。
 精悍な顔立ちだが、どこか童顔さが残る、そんな二十代ほどの青年――これが彼の真の姿だ。
 その両手には空を覆う夕焼けのように燃え上がる弓と矢が握られている。
 それはカボチャの魔力を凝縮し、時折透明に揺らめいた。魔力で出来た決して折れる事のない不滅の矢。

「僕は大人姿になると魔力量が極端に減りますが……」

 その弓と弦を引き締まった腕でぎりぎりと極限まで天高く引き絞る。

「コントロールは抜群に良くなるんですよ!」

 子供の甲高い声からがらりと落ち、荒々しく低い声で解き放たれた二本の矢、駆け上がるように大きな弧を描きマハルに向かって降下する。
 間髪を入れず、カボチャは三本の矢を引き絞った。
 矢の速度もさることながらマハルの動きも速い。二本の矢が近付く前にシュケルを両腕に抱えたまま疾風のごとく茜色の空を駆ける。

「浅はかな。万一シュケルに当たったらどうするつもりでいるんだ」
「バカか貴様! コントロールが良くなると言ったのが聞こえなかったようですね! この矢は追尾型、例えどんな妨害があろうとも何処までも獲物を追い掛け必ず目標のみを仕留める!」

 カボチャが言う通り、何度避けようとも逃げようとも二本の矢は迷うことなくマハルを追い続ける。

「たとえ貴様がシュケルを盾にしようとも」

 鞭のようにしなやかな動きで躱し、高速で移動し続ける対象物へ、カボチャは真っ直ぐ狙いを定める。

「狙うは貴様、ただ一人!」

 三本の矢が勢いよく放たれた。

 

【玖】策謀の微笑


 その頃、皆さんお忘れであろう水晶は城の中をコロコロと転げ回り、ようやく城の回廊で探していた相手を見つけた。
 その足元まで行くと、水晶はぴょんぴょん跳ねてみせる。
 ガラス玉とは思えぬ柔軟さ、まるでゴムボールのようにしなやかに。
 それに気付いた男が一人、静かに立っていた。
 黒を基調に紺と紅の意匠が施された衣服は露出こそあるものの、戦う者の気配を纏っている。
 鍛え上げられた肉体は隠されることなく、浅黒い肌の上には右の額から肩、腕、指先にかけて焼け焦げたような痣が走っていた。
 真っ黒な短髪から、湾曲した角が二本覗き、真紅の瞳が跳ねる水晶を静かに見下ろす。

 この城の主あるじ――魔王セオドアである。

「どうした水晶、お前だけか?」

 すると水晶はようやく止まり、魔王の顔を見上げた。

「ところでこの壁なのだが、お前は何か知らないか?」

 魔王が確認していたのは、マハルの襲撃、そしてカボチャがマハルを殴り飛ばしたことで破壊され、その後カボチャが雑に修理した壁だ。

「凄まじい音がしたと思えば……気付いた部下が血相をかえて報告に来たのだが」

 水晶はもちろん知っていたのでアワワと慌てる。言うべきか言わざるべきか、しかしいずれ自ずと知れること、悩んでいると魔王はため息をこぼす。

「良い、どうせカボチャあたりの仕業だろう」

 ギクリと水晶はそれこそ水晶のように固まった。
 魔王は魔王で、こんなこと日常茶飯事なので慣れっこだ。

「しかし壊したのなら壊したで、なぜ余に直ぐ報告しないのか。そうすればここまで雑に修復せずとも済んだだろうに」

 それはその、と水晶が何か言いたげに左右へ転がる。

「しかし妙な力の痕跡もあるな。これは魔力ではない……風か? む、なんだ、やはりシュケルも戻っていたのか」

 水晶が説明せずとも、さすが魔王、どんどん一人で状況を把握している。
 もう一度、魔王セオドアは水晶へ向き直った。

「それでだ。先程から起きているこの大地の揺れはカボチャ達の仕業か?」

 実はカボチャとマハルが攻撃を繰り出すたびに、いや主にカボチャのバカ力ならぬバカ魔力のせいで、あたり一帯へ衝撃音と地鳴りが響いていた。
 殆どの住民は〝地震だ、地震だ!〟とあわてふためき、魔王のいる城へ避難してきている。
 実は先程までその対応に追われ、こちらの様子を見に来るのが遅れたのだ。

「どれ見せてみろ」

 魔王がそう言うと、水晶は待ってましたとばかりにその映像を映し出した。
 そこには大人姿になり空中で弓を引き絞るカボチャと、空を駆ける見知らぬ若者、そしてその腕に抱かれているシュケル。
 案の定、地上近くにはカインが、しかも誰かと一緒に遠巻きに見守っている。

「なるほどな。急に地鳴りが落ち着いたと思ったが、姿を変えたか」

 何がなるほどなのかは水晶には分からないが、とりあえず魔王は何が起きているのかほぼ把握したらしい。

「まったく、どうしてこうも落ち着きのない者ばかりなのか」

 短髪の黒髪を参ったとばかりにわしゃりとかきあげる。

「水晶よ、余は迎えに行ってくる。少しこの場を任せていいか?」

 その場でくるくる回って合点承知の水晶。
 それを見、ふっと微笑すると「ではな」と言って魔王は姿を消した。

 そこへドタドタとこちらへ迫る足音。
 それに反応するように水晶はぐにゃぐにゃと急いで形を変えていく。

「魔王さま!」
「魔王さま! ご報告です!」

 複数人の部下達が、魔王に事の状況を知らせに来た。
 だが本物の魔王はここにはいない。
 いるのは――

「……順に申せ」

 魔王の姿に変わった水晶のみ。

 ◇◇◇


(――さて、どうしましょうか)

 シュケルはマハルにお姫様抱っこをされながら思案していた。
 何度言ってもカボチャは城へ帰ってはくれそうにない。それは正直分かっていたことではあるが、この際カインとタージだけでも素直に動いてくれないものかと。
 だが遠目に見ただけでも、地上近くで大地に運ばれているカインは帰るような素振りを見せない。
 かたやタージに関しては、どうするか迷っているようでもある。

(せめて砦へ戻ってくれると助かるのですけど……)

 シュケルは初めから、砦に身を潜めるタージに気付いていた。
 それこそマハルが砦の鏡の前に立った時には、あの場に彼女は隠れていたのだ。
 隠れているからには何か理由があるのだろうと、マハルを彼女から遠ざける意味でもシュケルは砦から飛び降り、マハルが追ってきたと見るや砦全体に防御結界をはった。
 この後訪れる混戦に備え、カボチャと共に来るであろうカインの逃げ場所にと。
 そして自身が身動きをとれなくなった時、彼らを護る保険として機能するように。
 その目的は多少果たせた。
 とは言え、そろそろ自身の力に限界がきている。もはや新しい結界を作れない。維持するだけでやっとだ。
 それだけ当初想定していたよりも、全てが長引いているのだ。

「ふ、フフフ」

 体内を這うように渦巻く熱と苦しさに、思わず笑いが漏れる。
 これ以上この熱に抗いながら密かに力を使うには……。

(少し厳しいですね)

 そもそも本来の予定では、カボチャが力任せに周囲へ及ぼす影響も含め抑えるつもりでいた。
 だがこれではいざカボチャが暴走した時に抑えようにも被害を防ぎようがない。
 幸いなのはカボチャが大人の姿へ切り替えたことだ。
 だが魔力量が計り知れない子供の姿だろうと、魔力操作が向上する大人の姿だろうと、マハルに技量で圧倒的に劣るカボチャに勝ち目はない。
 そうなるとカボチャはムキになって暴走するだろう。
 一番問題なのは、カボチャがこの場にいることなのだ。

(もっとも期待している〝保険〟はまだ動きませんし……先に私が気を失うのとどちらが先か)

「――見物みものですね」

 シュケルが苦し紛れに微笑んだ時、タージとカインは上空にいる三人を地上近くから見上げていた。
 タージの作った移動する盛り土のような大地は、二人を高速で砦へと運ぶ。向かい風に煽られながらカインは叫ぶ。

「ちょっと待ってくれよタージ! 君は本当に帰るのか!? 悪いけど俺はまだ帰らないから!」

 タージは揺れる気持ちを抑え、カインを乗せたまま砦へ向かって走らせる。

「わたくしとてこのまま帰りとうございませぬ! けれどあの方の為にも、わたくし共はここから離れるべきなのです」
「え?」
「わかりませぬか? あの方はわたくし共を〝護れなくなるから帰って欲しい〟と申したのですよ。きっとあの方はマハル様方の攻撃から、わたくし共を護っておいでだったのです」

 タージの言葉にカインはハッとする。
 言われてみればあの砦にいた時、まるで何かの壁でもあるかのように、こちらにはなんの影響もなかったと。

「そっか、確かにシュケルならそれが出来る」
「あの方は宝玉の実みを体内に取り込んだ筈です。身体が作り替えられる間、一切の身動きが取れなくなり、言い様のない苦しさを堪えねばなりませぬ。中には気絶される方もいるのですよ。むしろその方が良いほどに」
「じゃ、じゃあそんななか、シュケルは……」
「常人であればその最中さなか、力など使う余裕などございませぬ。わたくしとてそうです」

 カインの顔が青ざめ、そして目尻をつり上げる。

「なん、だよそれ……そんなもん、勝手に人にやらせんなよ。人にやらせるぐらいなら自分が取り込めばいいだろ。俺なら絶対そうする」

 カインは両拳を握った。

「やっぱりダメだ帰れねぇよ。アイツの顔一発ぶん殴ってやんないことには、帰れない!」
「でもそれではあの方に負担が!」
「じゃあどうしろってんだよ! どうすれば……城に帰ったところで、帰ったところで……?」

 そこでカインは気付いた。
 シュケルは自分には〝戻れ〟と言っていたと。

「あ! あぁああああ!!」
「ど、どうされたのです!?」
「そっかそういうことか、一度〝戻れば〟良かったんだ……!」

 その時だ。背後から暴風が迫り、土の滑走路を次々巻き上げ吹き飛ばし、カインとタージも鋭く吹き飛ばされた。
 上がった二人分の悲鳴と共に、身体が砦の螺旋階段の腰壁に叩きつけられ、階段の上に崩れ落ちる。

「っっいったぁ……タージ、大丈夫か!?」
「え、えぇなんとか」

 壁にぶつかる直前、カインがタージと壁との間に身をねじ込ませたお陰で、タージにはそこまで被害はない。
 だがカインの額ひたいからは血が滲んでいた。

「っ背骨もいったかも……」

 痛みのせいだけではない、身体に力が入らず起き上がれない。
 慌ててタージはカインの手を握った。

「母なる大地よ、風と共に生命の息吹をこの者に与えたまえ」

 するとゆるやかな風と共に、手の平から春の陽だまりを思わせるような暖かさが、全身へ広がって行くのを感じた。      

「タージ……なんかわかんないけど、凄いね」
「……たいしたことではございませぬ。ともかく、飛ばされた場所が砦で幸いでした。ここなら暫くは心配ないかと……例え結界が破れても、わたくしが全力でお守りいたしますゆえ」

 タージは治療を続けながら、今も尚暴風で荒れる砦の外を見た。
 階段に倒れているカインの目には映らないが、マハルがカボチャの首を絞め、地面に縫い付けている。

(マハル様……!)

 ――それはタージとカインが吹き飛ばされる少し前。
 カボチャが放った矢が百本近く及ぶ頃、防戦一方だったマハルがついに反撃に出た。
 自分のそばにいてはシュケルに万が一があってはいけないと、更に上空に風の籠を作り出しシュケルを保護する。
 そして暴風の刃を巻き起こし、カボチャを空中の一点に縫い留める。
 間髪を容れず、逃げ場を失ったその姿めがけて突っ込んだ。刹那、カボチャの首を両手で鷲掴み――そのまま数百メートル下の地上へ、容赦なく叩きつける。
 乾いた地面に、重い衝撃音が五度轟いた。
 森の名残も消えた荒野が、大きく抉れる。
 内側から外へと亀裂が広がり、舞い上がる砂埃の中、カボチャの身体が背中から頭へと激しく跳ね上がり、漆黒の長髪が、荒れた大地に爆ぜる。
 あまりの衝撃にカボチャはひしゃげた叫び声を漏らした。

「っ……!」

 首を締め付けるマハルの手首に爪を立て、引き剥がそうと足掻くカボチャ、だがマハルは両手だけでなく風をも使って首を締め上げた。

「っっ!?」

 一度は首との間に隙間が出来たが、またギリギリと締め上げられる。

(もう一度子供の姿に……いや駄目だ!)

 カボチャは瞬きの間に思考する。
 どのみちこの姿は魔力を消費し過ぎると、魔力量の多い子供の姿に戻ってしまう。だが今戻るわけにはいかない。
 いくら魔族といえど所詮子供の身体。その細首など、いとも簡単に潰されてしまうだろう。
 しかしこの身体では魔力量が足りない。魔力というのは魔族の邪気量に比例し、魔力量が膨大であればあるほど魔力の威力が上がる。
 つまりは強いということだ。
 繊細な攻撃は出来ても、一発逆転の爆発的な威力が必要となると、この身体では駄目なのだ。ならば……!

「っなぜ、そうまでして……! いったいソナタはシュケルのなんだ!」
「……うるっさいですね! ただ、アイツがいないと、この僕が、いろいろ困るんだよ……!」

 自身の首を締め上げるマハルの両手。その手首を掴んだ手に渾身の力を込め、自身に残っていた魔力をマハルの体内へと、物凄い早さで大量に流し込む。
 相手を死に追いやる、速効性のある呪術をかけて、叫ぶ。

「こぞおがあああ!」

 気付いたマハルが更に両手に力を込め、締め上げる。

「させるかあああ!」

 頭上には百近い矢の大群が目前もくぜんだった。
 風の力がカボチャの体全体を地面へ縫い付ける。
 空が、血のように赤い。

「「おちろおおおお!!」」

 ――その時。
 マハルの耳に、はち切れんばかりの悲痛な声が届いた。
 子供の頃から馴染みのある。
 視界に映る全てが、ゆっくりと動き出す。
 顔を上げると、暴風の刃の中、こちらへ向かって身を投げ出す姿が瞳に映る。

「マハルさま、逃げてえええ!」

 どうしてか、まるで走馬灯のようにただ一人の声がマハルの頭の中で反響した。
 半分夢のような、温かい声が真綿のように耳を包む。
 そして『マハル様』と少し頬を染めて笑うあの声が――。
 手から力が抜け、タージと、まさに言葉にしようとしたその時。

「――さて、遊びの時間はここまでですよ」

 フフフと微笑すると共に、どこか含みのある声が辺り一面へ響いた――。

 

【拾】花嫁と魔王の腹心01


 声が響いた瞬間、辺りを覆っていた全ての色と動きが、一瞬で収束した。
 切り裂く暴風、百本の追尾の矢、カボチャを縫い留めた風、マハルを苦しめた呪術。それら全てが、糸を切られたように力を失い、一閃と共に消滅する。
 そして代わりに襲いかかったのは、上空から押し潰すようにのしかかる抗えない重力。
 マハルとカボチャは呻き声を漏らし、大地に叩きつけられ、その身を深くめり込ませた。

 そのすぐそばに姿を現したのは、宝玉の実みによって動けないはずのシュケルだ。
 地面へと静かに降り立つと、二人の頭上まで歩き、足を止める。
 見上げたマハルとカボチャは、驚きと戸惑いの眼差しを向けた。

「フフフ、何故? と問う顔ですね」

 カボチャは(なんで僕まで……!)と無言で睨みつける。

「おやおや、喧嘩両成敗という言葉をご存知ありませんか? お二人とも、さすがにやり過ぎですよ」

 かつて森だった場所は今や見る影もない。
 荒れた大地は当初の二回り……いや十回り、それ以上に広がっていた。
 ここが人里からおいそれと近寄れないほど離れていて本当に幸いだったと言うべきか。
 とはいえ、森の生き物たちは内心涙していることだろう。

「それでは暫しお仕置きの時間といたしましょう。どちらが先がいいですか?」

 いつものように瞳を穏やかに閉じ、そりゃもう幼子を宥めるような声色と物腰。……なのに、伝わってくるこの謎の威圧感。
 なんだか分からないがとにかくマズイ、と直感するマハルと、怒りで頭をかきむしりたい衝動に駆られるカボチャ。
 シュケルは魔力量でいけばカボチャに劣るくせに魔力の扱いが段違いに上手い。技量が違うのだ。
 悔しいが、だからこそ実力はカボチャ以上。

(だから嫌なんだよコイツは!)

「ご希望があれば添いますが?」

 だが重力で無理矢理地面に押し付けられている二人には、まともに返答する余裕などない。

「……仕方がありませんね。では、まずはマハルから」
「!」
「フフフ、安心してください。私の承諾を得ずに宝玉の実みを使った件に関しては、この際、百歩譲って目を瞑りましょう」

 譲るな、とカボチャは怒鳴りたかった。

「ただ、ずいぶんと――」

 シュケルはカボチャを一瞥した。
 一度は真っ二つにされかけた体に、暴風の刃で裂かれた衣服。跳ね上がるたび地に叩きつけられ、片側の長髪は切り落とされ、頬には血が滲む。
 首元にはマハルの手の痕――それらすべてが、無残な痛々しさを物語っている。
 それに、カインも死に追いやられかけた。

 ――周囲の空気が、一段階冷える。

「……彼らを、いたぶってくれましたので」
「ぐあっ!」

 ドスン、とマハルの身体がさらに地面へめり込んだ。

「それ相応のお礼を、させていただきたいですね」

 しゃがみ込み、穏やかに覗き込むシュケル。今度はカボチャの方へ向き直る。

「カボチャ、重力操作はこのように使用するのが理に叶っていますよ。この機会に覚えておくといいでしょう――もっとも、感情的な貴方には、難しいかもしれませんが」

(やってやろうかこの野郎!!)

 怒鳴りたくとも喉が潰れたような唸る声しか出せない。

「さてはて、次はいかがいたしましょう。ご要望は、なんなりと」

 もちろんマハルも、苦しげに呻くのがやっとだ。
 涙目の二人がどうなったかは――まぁ、想像にお任せするとして。
 いい加減、見かねた声がそれを制止した。

「そこまでにしてやれ」

 現れたのは、この場で誰よりもガタイがよく、若干胸元が露出気味の黒衣の男。ついでにこの場で一番、髪が短い。
 何を隠そう、魔王セオドアだ。
 左腕にタージを抱き上げ、そのままシュケルのもとへ歩み寄る。

「シュケル、お前もやり過ぎだ」
「ほんとほんと、俺も一発殴る気失せちまったじゃんか」

 魔王の背後から、ひょこっとカインが姿を現した。

「見ろ、この娘の顔を。事情が事情だけに、止めに入ることもできずといった様子だぞ」

 確かにタージは瞳を潤ませ、あわわあわわと言うのが相応しい顔でおろおろしている。

「フフフ、私ではなく、魔王さまを恐れているのでは?」
「なるほど確かにな。余は大柄なうえ顔も怖く、醜い痣もある。女子供からしてみれば、そう思われても仕方あるまい」

 などと本人は言っているが、実のところ、かなりの男前である。カタカナで言えばハンサムだ。
 ただ顔の右側から腕先にかけて広がる浅黒い痣にばかり視線が奪われるせいで、気づかれにくいのが惜しいところ。
 しかも、本人にもまったく自覚がない。
 その事実を初めて指摘したのは、何百年と付き合いのあるシュケルでも、カボチャでもなく、まだ出会って数十年のカインだった。
 魔王の発言にタージは慌てて否定したが、魔王は気にするなと言って彼女を地面に降ろした。
 タージは一礼するとマハルへ駆け寄る。

「マハル様!」

 重力から解放されて穴から出てきたマハルにタージは突撃すると「マハルさまああ」と涙を流し、ヒシッと飛び付いて、ミシミシと音が鳴るほどのバカ力で抱き締めた。

「あだだだだああ」

 かと思うとタージはキッと鋭く睨み、パンッとよく通る音を立て、平手打ちを一発お見舞いする。

「い、痛いだろうがこの怪力バカ女!」

 マハルは赤くなった頬をおさえて怒鳴る。
 だが目の前のタージがその小さな口をへの字に曲げ、黒水晶のような大きな瞳から涙をぼろぼろと溢し、それでも堪えているのを見て思わず口をつぐんだ。

「お、お怪我は……さ、さっきはし、死んでしまうかと」
「た、タージ……?」

 弱りながらマハルが手をさまよわせていると、

「いくらわたくしと婚姻を挙げたくないからとて、こんな、こんな関係のない方々を無理やり巻き込み犯罪まがいのことをするなど、あんまりではございませぬか……!」
「いや、待てタージ」
「言い訳は無用です!」

 するとマハルはムッと頬を膨らませた。

「そもそもソナタのせいではないか……!」

 何やら喧嘩を始めた二人をよそに、カインは人型に埋まっているカボチャへと近寄った。

「カボチャ~、大丈夫か?」
「こ、れが大丈夫に見えんのか……?」

 カボチャが弱々しく呻く。
 カインは「全然」と即答しながら、ふと横から差し出された白い手に気付いた。
 その手は、カボチャの腕をつかみ、ズルズルと無理やり引っ張り上げる。

「フフフ、大袈裟ですねぇ。きちんと手加減して差しあげたというのに」

 カボチャは半ば引きずり出されながらも、恨みがましくじろりと睨みつける。
 その視線の先――シュケルの服の胸元は不自然に裂けていた。
  カボチャはその服を繋ぎ合わせるように鷲掴む。

「シュケル、いったいどういうことですか?」

 シュケルはカボチャの手をやんわりとほどきながら、あくまで穏やかな口調で語り出す。

「身動きこそ取れませんでしたが、魔力を封じられているわけではありませんでしたので、体調を回復させながら、体内にある宝玉の実みを時間をかけて消滅させていました」

 そんなことをさらりと口にする。

「幸い二時間も猶予がありましたので、異界に連れて行かれさえしなければ何も心配はいりません。最悪魔王様に私の時間のみを戻していただければ問題ありませんし……だというのに」

 シュケルはあからさまにやれやれと首を振った。

「いくら帰るよう頼んでも全く聞く耳を持たないのですから、二人には困ったものです。おかげで他に手が回りませんでした」
「は、はああああ!?」

 散々人に苦労をかけさせておいて、この言い草だ。
 なんだってこんな奴の為に命がけで焦ったり、怒ったり、心配したりしたのか。カボチャの顔は怒りと不満で赤くなったり青くなったり、めまぐるしく引き攣つる。

「ホントごめんなシュケル。城に戻れって、魔王呼んで来てって事だったんだろ? 俺全然気付かなくてさ~。確かに城に戻ったら直ぐにセオドアを頼ってたわ」
「フフフ、お気になさらず。そうなるだろうと思ってはじめから水晶へ頼んでおりましたので」
「確かに、水晶が余の所へ来たな」

 そして此方へ来てみれば、矢の大群が地上の二人を狙い、カボチャは首を絞められ、片方は呪術をかけられ、シュケルは身動きとれず、カインは倒れており、少女は飛び出す。
 何処から手をつければいいか分からない状況に迷わず時を止めたのだと魔王は言う。

「それでシュケルへ声をかけてみれば〝首を長くしてお待ちしておりましたよ〟と嫌み混じりに言われてな」
「私は〝ですが、助かりました〟とも申し上げましたが」

 あのタイミングで、ちょうどシュケルの体内にある宝玉の実みが消滅する寸前だった。
 だがこれでは間に合わない――そう思ったまさにその時。魔王が時を止めたタイミングは本当に絶妙だったのだ。 
 しかも魔王はシュケルの時間だけは止めず、むしろ動かした。
 そのお陰で宝玉の実みは完全消滅。容態も改善、シュケル完全復活というわけだ。
 魔王はカインの容態を確認し、問題ないと分かるとマハルの作った風の籠、その中にいるシュケルへ近付き「どうするつもりだ。余が引き受けるか?」と尋ねた。
 するとシュケルはそれを断り、フフフと笑って「あとは私にお任せください」と一言。風の籠を断ち切った。
 魔王は「そうか」と答えるとタージとカインを回収し、時を動かした。
 ――そのあとは知っての通りだ。

(つまり、最初っから僕たちは〝僕は〟必要なかったと言うことですね。場をかき回し、ややこしくしただけだと、面倒事増やしやがってと言いたいんですね……!)

 カボチャは心の中で盛大に地面を殴り付けた。
 

【拾】花嫁と魔王の腹心02


「だったら、だったら最初っから追いかけてくんなと言わんかいボケ!」
「そうは言っても伝える暇がありましたか?」
「うぐっ」
「それに何を言っても聞かないのは分かっておりましたので」
「うぐぐっ」

 ぐうの音も出なくなるカボチャ。

「ごめんなシュケル~」

 カインは眉をハの字にして、苦笑する。

「フフフ、謝る必要はありませんよ。少なくとも異界への足止めになりました。カインが来てくれなければ私は今頃こちらにいなかったかもしれませんので」

(おいちょっと待て、僕は!? 僕の存在は!?)

「そっか良かった~!」と笑うカインにシュケルは穏やかに礼を言う。
 その様子に、これだからコイツはとムカムカムカムカしながらカボチャはその矛先をマハル達へ向けた。

「そっちはそっちでいつまで喧嘩してるんですか!」

 すると二人はその場に正座と胡座をし、だってと言って互いを指差す。

「マハル様が……!」
「タージが……!」

 二人同時に言い分を話そうとするのをシュケルが止めた。

「フフフ、落ち着きなさい。それにマハル、年下の婚約者を泣かせるなど恥ずかしいとは思いませんか?」

 実はタージはマハルより五つ下なのだ。
 この事実に関して何故シュケルが知っているのかと言うと、カインが砦のバルコニーに現れる前にタージと二人で会話をし、その時にシュケルが尋ねたからである。
 マハルはギクッとして押し黙った。

「タージさん、貴女からどうぞ」

 シュケルに促され、タージは居住まいを正して話し出す。

「わたくしは、わたくしはずっと幼少の頃からマハル様だけを想って今日こんにちまで参りました。わたくしどもの世界では十四で成人しますゆえ、将来のために早い方が良いと両親らの勧めもあり、わたくしも納得して十四の頃に紅い実みを取り込んだのです。そして一度はこの身体を手にしました。十六の頃に理由も教えて貰えぬまま、マハル様に元に戻せと言われた時も、文句の一つも言わず黒い実みを体内に取り込みました――あ、ちなみに黒い実みは紅い実みの逆の効果があり、この実みも便利です」

 急に出てきた新アイテムの存在に一同は「便利なのか……?」と面食らう。
 だがそれよりも、十四の頃にやら十六の頃にやらという話の方が衝撃だった。

「え、ちょっと待って、シュケルが動けなくなったあれを?」

 カインは顔面蒼白に恐る恐る尋ねる。

「はい」

 頷いたタージにカインは気分が悪くなるのを覚えながら、マハルに何か言おうとして待て、と言うようにカボチャにその口を手で塞がれた。

「そのあと数ヵ月も経たず、やはり以前の方がまだ良かったと言われて、わたくしは直ぐにこの身体へと……こんなに、こんなにマハル様の望むようにと努めて参りましたのに、わたくしを煩わしく思うだけでは飽き足らず、他の方を巻き込むなど」

 目を真っ赤にさせて、はらはらと涙を流すその姿に一同、同情し得ない。
 詳細を知らぬ魔王も、なんとなく事情を察してカボチャ達と一緒にマハルをじとーと見つめた。

「マハルと言ったか……お前、恥ずかしくないのか」
「魔王さまの言う通りです。なんかもう本当に怒りを通り越して軽蔑と呆れとこんな男やめとけって感情しか湧かないです」
「俺もカボチャと同じ」

 弱ったマハルは違う違うちょっと待てと慌てて話し出す。

「そうではない! ワタシはただ、最初はただワタシのせいで身体を変えたのが忍びなく嫌なら身体を戻してよいと、けれど戻ったら戻ったでタージがやたらと妙な|輩(やから)に好かれ始め妙な虫がつかぬようにとするにも限界が、だが今の身体になったらなったで余計、そもそもタージにはワタシ以外にも数えきれぬ程の許嫁が……!」

 おっと、雲行きが怪しくなってきた。

「それは、わたくしが赤ん坊の頃に父様とうさまが勝手にいろんな方と……御家の仲に傷をつけるわけにもいかず致し方なく、ですがわたくしはマハル様一筋!」
「嘘をつけ、百はいただろう相手が!」
「いえ、父様いわくもっといると、手当たり次第に約束したそうなので正確な数はちょっと……」
「なっ!?」

 マハルは思わず絶句した。

「えぐいですね」
「そこまでくると本命は本当に自分なのか、疑心暗鬼にもなるだろうな」
「俺も心折れるかも」

 カボチャ、魔王、カインは今度は可哀想な目でマハルを見つめる。

「と、とは言え、全て婚姻前に清算いたしました! そう申したではありませぬか!」
「と言いながら、最後の思い出にと迫られて断りきれずに流されそうになったのはいったい誰か、ワタシが割って入らねばどうしていた!」
「誤解です!」
「そもそも清算したと言うなら何故、式の前夜にワタシは数人の男女に命を狙われねばならなかったのか」
「そ、そんな」

 初耳だったのかタージは口元をおさえて目を丸くした。

「だいいちこれまでにも……えぇいお前の周りにはろくな者がいない!」

 完全にブーメランだが一同は今だけは黙っておいた。

「だからワタシは、どうせ夫婦めおとになるなら運命の相手が良いと、かねてからの想い人の元へ……それの何が悪い」

 罰が悪そうに顔を背けるマハル。

「運命?」とカインは呟く。

 するとそれに反応したのはタージの方だった。

「はい、マハル様はかねてよりシュケル様に助けられた事に恩義を感じ、彼との出会いは運命だったのだと話しておりました。大人になったら初恋の人を迎えに行くのだと」

 いったいその話をどんな心境でわざわざ許嫁に話していたのか謎である。
 だいぶ話がややこしくなって来たが、ずっと穏やかな物腰で、話に耳を傾けていたシュケルがようやく口を開いた。

「マハル、貴方の気持ちはありがたいのですが、貴方も本気ではなかったのでしょう」

 するとマハルはバッとシュケルへ振り向いて違うと弁解する「ワタシは本気で!」だがシュケルは首を振った。

「そうだとしても私が困るのですよ。何故なら」

 シュケルは魔王の腕を引く。

「私はこの方と心を許しあった仲なので」

 ――場が、凍った。

「フフフ、そうですよね。魔王さま?」
「あぁ確かに、余もお前がいなくなると困る」

 カインは涙目であわあわと(どういうことだよ!?)とカボチャに助けを求めるが、カボチャも(こっちが訊きたいですよ!)と瞳を戸惑わせる。
 流石のカインも〝心を許した仲〟というのがどういう意味か分からないほど、鈍くも疎くもバカでもない。

(え、え、俺自分がセオドアの恋人だと思ってたけど違った!? 俺の勘違い!?)
(シュケルと魔王さまが!? いやない、絶対ない! この数百年僕が気付かなかったなんて、あってたまりますか! そもそも……!)

 だが、混乱し過ぎて二人は何も言葉に出来ない。

 マハルは「そんな……」とその場へ手を付き、その端正な顔立ちに絶望の色を浮かべた。
 そんなマハルに、シュケルは視線を合わせて屈む。

「マハル、貴方の初恋の相手になれて私も嬉しい限りです。ただ初恋と言うのは実みのらないからこそ良い思い出になるもの……それに」

 シュケルはタージを見た。

「貴方にはもう既に、心から大切にしたい者が、本当はいるのではないですか?」

「え?」とタージは息を呑んだ。

 マハルはゆっくりと起き上がる。
 目をそらしながらも、タージへぎこちなく手を差し伸べた。

「帰るか……」

 一瞬だけその言葉の意味に戸惑って、けれど直ぐ、タージは喜んで手をとった。 

 そんなこんなで、砦の中にある鏡の前へ集まる一同。
 マハルは面々と順に目を合わせると「すまなかった」と頭を下げた。シュケルには申し訳もたたないと。
 シュケルは「お気にせず。よくあることです」と答える。
 まるで何事もなかったかのように。それにマハルは片眉を下げ、じゃあと踵を返す。

 カインは「今度から相手の話はちゃーんと聞くんだぞ~!」と、手を振り。
 カボチャは「……正直これでいいのか、全く腑に落ちませんけどね。なんなら戻ってから上手くいくのか心配なくらいですけど、とりあえずもう二度と相手の意にそぐわない事はしないように」と、少しげっそりした顔で言う。
 魔王は魔王で「伴侶を大切にな」と、腕を組み軽く手を振った。

 マハルはタージと手を取り鏡へ向かう。
 ――結局、シュケルに指摘された事は全て図星だったのだ。
 けれど正直こうなる事はどこかで分かっていたのかもしれない。それにしても初恋の相手は自分との約束さえも覚えていなかったと、少し寂しく思う。
 こちらへ来た時と同じように鏡が夜空のような紺色に揺らめいた。

「マハル」

 背後からシュケルの穏やかな声がかかる。

「――本当は、覚えておりましたよ。あの約束を」

 マハルが振り向いた時には――もう既にその姿はなかった。
 あるのは見覚えのある煌びやかな大きな楕円の鏡。
 戻って来たのだ。風の大陸へ……。
 誰かが二人の姿に気付いて、周りへ声をかけ、ざわざわと血相を変えて集まってくる。

 マハルはタージの手を少しだけ強く握って言った。

「一つだけ、間違っていたぞ」
「え……?」

 タージは不安げに見上げる。

「……初恋の人を〝迎えに行く〟などと、言った覚えはない。ただ、〝会いに行く〟と言っただけだ。初恋などと、一度も言っていない――昔も、今も」

 マハルの声は何かを絶ち切るように、そしてタージへ何かを伝えていた。
 物凄く回りくどいその言葉。
 一瞬、何を言われたのか分からなかったタージだが、じわりとその意味に気づいて、嬉しさから瞳に涙がにじむ。
 彼女は、くしゃりと笑って目元を拭う。

「……はい、はい!」

 小さく、でもまっすぐに頷いて、両手でマハルの手を包み込む。
 そして――マハルも、そっとその手を握り返した。
 

【拾壱】シュケルという男


 二人が鏡の中へ消えて直ぐ、砦の崩壊が始まった。
 一同は瞬時にその場から離れて、上空からその崩壊を見守る。
 不思議な事に崩壊した砦は、その瓦礫を地面へ残す事なく、まるで吸収されたかのようにその姿を消した。

「……まぁそりゃあ忘れんだろうな」

 カインを片腕に抱き上げている魔王が呟く。

「えぇ、こんな事が度々起こるようであれば、嫌でも忘れられませんよ」

 隣にいるシュケルはその言葉に頷く。
 何を言っているのか分からないのはカボチャとカインだけだ。

「なぁ、なぁなぁ! 俺ってセオドアと両想いじゃなかったのか!? 俺の初恋って実みのってなかったの!?」

 魔王の胸ぐらをぶんぶん引っ張るカイン。無理もない。

「安心しろ実みのってる。実みのってるから落ち着け」

 カインを宥めて、魔王はつまりだと語り出す。

「あのマハルの家系にシュケルは好かれる傾向にあるということだ」

 カボチャとカインは「はい?」と頭にはてなを浮かべた。すると今度はシュケルが話し出す。

「かれこれ何百年か前の話です。ある一人の少女が此方に迷い込みました。私はその少女を助けたのですがその二十年後、大きなった彼女は私の元へ現れました。求婚された私は仕方がなく〝恋人〟がいると言いました。実物を見ないと納得いかないと言われたので私は魔王さまを呼ん」
「ちょっと待て、長いししかも覚えのある話ですね!?」

 耐えきれず口を挟んだカボチャにシュケルはフフフと笑う。

「まぁそう言う訳でかれこれ何百年もこのやり取りを繰り返しているのですよ。子孫代々。もちろんマハルの父親の話もありますが聞きたいですか?」
「聞きたくないし、とんでもない血筋ですねそれ……てかなんで僕は知らなかったんだ」
「それは教えていなかったので、教えると今回のようにややこしくなりますし」

 カボチャは内心でコンッノヤロォと拳を握った。

「てか助けなきゃいいでしょうが! それに今回は僕もいたんですから、別に僕でもいいでしょう!」

 シュケルは少し黙ってから「カボチャだと説得力に欠けますので」とあっさり言った。
 頭にくるが正直ぐうの音も出ない。

「じゃ、じゃあさ、本当に……なんもないんだな!? なっ!?」

 眉を八の字に不安そうに返答を待つカイン。シュケルはフフフと笑ってハッキリと言った。

「えぇ、まったく、これまでもこれからも」

 良かった~とカインはほっと胸をなで下ろし、魔王へ抱き付く。

「ですが、嘘をついた訳ではありませんよ。上司と部下として、という意味ではあながち間違いではありませんので」
「実際シュケルがいなくなるとかなりの痛手だからな」
「それなら別にぜんっぜんいいよ! 俺もシュケルとカボチャに心許してるもんな!」

 ニッとカインは上機嫌に笑う。

「はぁ~もういいですよ。全てまーるくおさまったんですから、さっさと帰りましょう。もう僕は疲れました」
「そうですね。水晶もそろそろ根を上げる頃でしょう」
「帰ったら晩ご飯にしようぜ!」

 カインが言う通り、いつの間にか辺りが暗くなっていた。


 ◇◇◇

 
 晩御飯を食べ終えると、一同は各々に散った。

 シュケルは部屋へ戻ると備え付けの風呂へ入り、暫くして上がると寝台へと向かう。
 そこには何故か水晶と共に寝転ぶ子供姿のカボチャがいた。
 彼も風呂から上がったばかりなのか寝間着姿で、しかもその黒い長髪が湿っている。
 仕方ないと、シュケルは寝台へ座りその髪を丁寧にタオルでポンポンと拭く。
 すると気付いた水晶が眠そうにしながらこちらへ転がってきた。

「水晶、今日は貴方のお陰で助かりましたよ。流石ですね……」

 ――城に戻った頃には水晶がしっかりとお役目を果たし、集まっていた民は皆、家へと帰っていた。
 本日一番の功労者はこの水晶だろう。

 水晶は、眠いながらも嬉しそうに左右に揺れて、そしてまた動きを止めた。どうやら眠ったらしい。

「おやすみ水晶」

 そしてまたシュケルはカボチャへと視線を落とす。
 本人は否定するだろうが、ほんのごくたまにこうやって、部屋を間違えた振りをするのだ。
 シュケルとカボチャの部屋はそこまで近くはない、そう簡単に間違える筈もなければ、隣の魔王の部屋へ誤って入ったとは聞いた事もない、そもそも、自室の風呂に入った後、自身の寝台へ向かうつもりで、なぜかシュケルの寝台に辿り着くなど、おかしな話だ。

(……起きませんね)

 もともと綺麗に切り揃えられていたカボチャの濡羽色の長髪は、マハルとの戦闘で今は片側が散らばってしまっている。
 その髪をポンポンと暫く拭いて、

(これは……起きてますね)

 普段のカボチャならこうやって少しでも触れれば今頃飛び起き、ギャーギャー文句を言っているところなのに、一向に起きる気配がない。ということは敢えて起きないのだと言える。つまり狸寝入りだ。

「フフフ、貴方も疲れる事があるのですね」

 ようやく髪が乾いてきた。

「やけに素直ですが、変な物でも食べたのでは?」

 あえて挑発してみるが、ピクリともしない。

「はい、終わりましたよ」

 湿ったタオルをそばにある椅子の背もたれにかけ、シュケルは背中を向いているカボチャの頭へ片手をぽんとのせ、耳にかかっている髪を寄せた。

「……すみません。今夜は……いえ、しばらく貴方の相手をする余裕がないもので」

 カボチャは僅かに身動みじろぎするとゆっくり愛嬌のある顔を上げた。
 チャームポイントのちょっと太めの眉を寄せ、少し赤らな頬をぷくっと膨らませて、仕方無いから起きましたと言わんばかりの赤い瞳をシュケルへ向ける。

「……やっぱり体調悪いのか?」

 マハルに追い回されていた時点でヘトヘトで、おまけに変な木の実と密かに戦いながらカボチャ達にまで気を配ったうえに最後にあのバカみたいな攻撃の数々を一瞬で消滅させ、おまけにマハルとカボチャをこてんぱんにのした。
 虚弱体質の者がやることではない。
 シュケルは「どうでしょうか」と微笑する。傍から見ればいつもと変わらない。

「……納得いかないと顔にでてますね」

 いつもの怒った顔でも、子供のように不貞腐れた顔でもない。カボチャは子供の見目をして大人のような眼差しをシュケルへ向けている。

「お前〝あえて〟追い払わなかったんだろ。なんでだ?」

 そう、マハルなぞシュケルにしてみれば赤子を捻るようなもの。逃げ回らずとも見つけたその場で元の世界に強制的に還そうと思えば出来たのだ。
 だが、シュケルはそうはしなかった。

「赤子だからですよ」

 穏やかにそう答えたシュケルの言葉にカボチャは鋭い声色で「は?」と返した。

「昔助けた赤子が、少しばかり成長してわざわざ会いに来たんです。それなら多少なりとも遊んでやらないと、そう思いませんか?」
「思いませんかって、お前……」
「それに、子供は有無をいわぬ態度でいれば癇癪をおこして余計暴れますから、ある程度付き合って、満足したら返す。少なくとも今までの経験ではこれがもっとも効率的です」

 たとえ強制的に返したところで、またあの異界の門からやって来る。そんな鼬ごっこになるよりは、納得させて返したほうが後々面倒が少ない。

 つまり、シュケルはどこまでも〝子供の戯れ〟としてマハルと接していたのだ。
 それに気付いたカボチャは「なんだ、そうか」と気の抜けた声で呟いた。
 張り詰めていた表情が一瞬にして愛嬌のある顔つきに変わる。

「ところで」とシュケルが言うと「どうした」とカボチャが起き上がって身を乗り出す。
 真剣な顔で間近に迫るものだから、シュケルは心の中で小さく笑った。

「私はこの姿の貴方に無体は働きませんよ」

 一瞬ピンと来なかったカボチャだが、ギクリと肩を揺らし、弾かれたように身体を反らす。

「なっ、ちが」

 そして口を一文字に引き結び、固まった。

「ちがわい!」

 かと思うと頭を抱えて布団に突っ伏する。
 顔を隠したいのか身を隠したいのか、どちらにしろ耳が真っ赤だ。

「……今日は、ありがとうございました」


 ――カボチャが顔を上げると、そこにシュケルはいなかった。
 窓から射し込む月明かりを頼りに真っ暗な室内を見渡して、魔力で自室に戻されたのだと気付く。
 おもむろに後ろ頭を触った。
 戻される前に確かに軽くキスを落とされた感触があったと。まるで子を宥めるような、そんな。
 わしゃっと乱暴に髪を鷲掴む。

「~~っ大人姿になっときゃ良かった」

 ついでに思い出す。シュケルは子供姿のカボチャを本当に子供のようにしか思っていないことを。
 ただ本人に尋ねればまさかそんな事はないと言うだろうが、これとそれとは別なのだ。本気でそんな感情を抱かないらしい。

(これだから嫌なんですよ)

 カボチャは枕をボスッと軽く殴った。


 ――翌日から暫く、シュケルは高熱を出し寝台から動けなくなった。
 大量の魔力を消耗し、その反動がきたのだ。
 周りに全くそんな素振りを見せていなかったが、やはり相当無理をしていたらしい。
 こうなってしまうと流石のシュケルも回復には時間がかかる。
 カボチャは代わりに仕事を片付けながら。

「これだからシュケルは!」

 そう言いつつ、誰よりも進んで仕事を片付け、誰よりも看病するカボチャ。
 だが様子を見に行くたびにシュケルは身を起こし、ケロッとした顔でのんびり本など読んだり水晶の相手をしたり、見舞いがてらに長々と話し込むカインの話し相手になっていたり、部下が当たり前のように報告に来て当たり前のように指示出しをしていたりするので、カボチャはその度に「寝てろ!」と怒鳴って忙しい。

「っなんで貴様はあ、こんな時ですら大人しくできんのだあああ!」
「……フフフ、そんなに怒るのは〝私がいないと困る〟からですか?」

 なんの事だと怒鳴ろうとして、自分がマハルに言った言葉だと気付きとっさに言葉に詰まる。
 真っ赤な顔に青筋を立てたカボチャは

「これだから……これだから嫌いなんですよ……!」

 と、言わずにはいられなかった。
 

【拾弐】やっぱりアイツは厄介な男【完結】


 あれこれあったあの日から数日後、どこぞではお盆と呼ばれる頃に、彼らは菓子折りを持ってやって来た。

「で、なんで僕たちは今、こんな呑気にお茶なんてしてんですか?」

 何故かカボチャの部屋で丸テーブル(決して卓袱台ではない)を挟み向かい側には、なんとあのマハルとタージが「えへへ」と笑って隣り合わせに椅子に座っている。
 カボチャはジャック・オー・ランタンの被り物の奥から二人へ剣呑けんのんな眼差しを送った。

 けれどそんなカボチャに「まぁいいじゃないか」とカインが言う。

「せっかく来てくれたんだし、詫びだって言うんだから! このお茶菓子美味しいぞ」

 貰ったおそらく砂糖菓子の一種をフォークで刺して美味しそうに頬張るカイン。
 なんともフォークが似合わない菓子である。おそらくフォークで食す物ではない。ただ残念な事にこの城にこの茶菓子に合いそうな食器がなかった。

 ついでに二人はこの菓子に合うお茶も用意してくれていた。緑の茶葉でなんとも渋い味わいと落ち着く香りがする。
 こちらにも似たような茶葉はあるが、どこか違う。

「このお茶もとても風味がいいですね。いつか行った団子屋の茶葉に似ています」

 今度はシュケルが言った。菓子よりお茶を好むたちなのでそちらの方が気に入ったらしい。
 ちなみにカボチャはお茶はともかく、甘いものが大の苦手だ。自身の両隣にいる二人に「呑気でいいな!」とプンプン怒る。
 まるで先日の一件を忘れたかのようだ。

「本当に申し訳ないことをしたと思っている。すまない」
「許していただけるとは思うてはおりませぬ」
 
 マハルとタージはしおらしく頭を下げる。

「いやいやいや、タージは別にいいんですよ。何が悪いってマハルのとんでもビックリなやけくそ言動です。なに考えてんだ君は!」

 先日の様子とは打って変わってマハルはしゅんとした様子でカボチャの言葉を受け止めている。意外とこういった素直な面もあるようだ。

「フフフ、カボチャのことはお気にせず。またお二人に会えて私は嬉しいですよ」

 だからなんでシュケルがその態度なんだと、せっかく少しだけ和らいだ気持ちが台無しになるカボチャ。

「にしても二人も〝人間〟だなんて驚いたなぁ。こっちの人間には出来ないことばっかりするんだもんな」
「それはわたくしも驚きました。まさかカイン様以外は皆さま魔族と呼ばれる方々だなんて、わたくしどもとなんら変わりなく見えましたゆえ」

 これにはカボチャも驚いたが、どうにもマハル達の世界では人間が特別な力を持っていることが当たり前らしい。
 ちなみに魔族は存在しないそうだ。

「あのさ、ずっと気になってたんだけど、二人って邪気とか大丈夫なのか?」

 そう、このアケドラルと呼ばれる世界では魔族の住む土地には邪気がある。魔族にはなんともないが人間には毒、カインは対策しているが、マハル達はどうなのか。
 マハルは少し考えてから「あぁ」とこたえる。

「もしや大気のことか。確かに大気中に妙な淀みがあるが、ワタシは風で淀みのみを払い退け自身全体には澄んだ空気のみ行き渡るようにしている」
「そう言えばわたくしもこちらに来た時から大地が汚染されているのを感じ、常に自分がいる箇所の土壌を中和しておりまする」
「おぉ……なんかよくわかんないけど、二人とも凄いね。それで、結局二人はあの後どうしたんだ?」

 カインの言葉に二人は顔をポッと赤らめて、きちんと式を上げ、晴れて夫婦めおとになったと照れながら報告した。

「それはおめでたい。あの小さな少年がこんなに大きくなって結婚の報告までしに来てくれるのですから長生きはするものですね」

 そう言うシュケルの言葉にマハルは雲が晴れたようにパァッと顔を明るくした。
 そんな二人をよそにカインはタージへ耳打ちする。

「ところでさ……ちょっと相談なんだけど、あの紅い実と黒い実ってまだあったりする?」                   
「え、ええございますが……」

 もちろん気付いたカボチャは顔色を青くして「ちょっと待て」と間に割って入った。

「カイン、いったい何考えてんですか? まさか」
「いやーだってさー、東の三人を思い出すと家族っていいなぁと思うんだよ~」

 東のと言うのは東の国の魔王とその伴侶の事である。
 既にどちらも早くに亡くなってしまったが、カインとこちらの魔王が恋人なら、あちらはしっかり婚姻を挙げたのだ。しかもその伴侶はあちらの人間の元王である。
 その二人には血の繋がらない娘が一人いるのだ。とは言っても歳はカインとさほど変わらないが。

「なんかあの三人の姿を思い出してさー」

 カインは両手を頭の後ろに組んで何か思い出すように「憧れるんだよな~」と呑気に言うが、絶対によく考えず思い付きだけで言っている。カボチャはカインの頭をバシンと叩いた。

「イッターー!」
「バッッカ、ただの思い付きでとんでもないこと言ってんじゃあないですよ! 君はそんなことしなくていいんです! 絶対やめろ! タージ、その宝玉の実みは一応君のところで大切に扱っているものなんだろ!? なんでそんな安易に持ち歩いてんですか! 絶対にこのバカに渡すなよ!!」
「は、はい!」
「うわなんだよカボチャ! そんなのカボチャが決める事じゃないだろー! 俺が俺に使うならいいじゃんかー!」
「むしろなんで君はそんな積極的になれるんだ! 僕らで我慢しろ!」
 
 ギャーギャーとなんとも騒がしいが、シュケルは香り高い茶の渋みを楽しみながら、どこ吹く風といった様子だった。
 ちょうどその時、様子を見に来た男が、シュケルの座る椅子の傍へと近づいてくる。
 そう、魔王セオドアだ。

「随分と賑やかだな。外まで響いていたぞ。ついさっきすれ違った者が子供の話に驚いて余を凝視して来た」

 魔王とカインの関係は城の者、皆が周知の事実なので仕方がない。
 ちなみに先日の件はあのあとシュケルから説明を受けているので、魔王も宝玉の実がなんたるかをしっかり把握しているし、カインは城の者みんなと仲が良いので先日の件は殆どの者に知れ渡っている。

「フフフ、それはそれは、見ての通りですよ」

 魔王は片眉を下げ苦笑する。
 そしてカインへ今のままのお前がいれば十分だと一言声をかけてやれば「セオドアがそう言うなら」とカインはたちまち意見を変えて、瞳を輝かせた。
 それを見てマハルは「私は男であれ女であれ、どちらのタージも愛している」とタージの手をとって伝え「わたくしもどんなマハル様も愛しておりまする」と部屋の空気が一気に甘くなったので、カボチャはげっそりとして「全員、帰ってくれ……」と、呟いたのだった。

「そう言えばカボチャ、そのパンプキンの被り物どうしたの? 壊れなかったっけ?」
「これは……シュケルが予備を持ってたんですよ。たく、これだからアイツは――」

 〝厄介な奴〟


【魔王の腹心と厄介な男! 終わり】
 

 ◇おまけ◇

「あのさ~前にも聞いたけど、カボチャとシュケルって、結局どういう関係なんだ?」
「フフフ、見ての通りセフレです」
「へ~セフレかあ~って、ええそうだったの!?」

「んなこの、ホンッッットに……厄介な男だな。お前は……ッ!」

 

◇Happy Birthday to you
1:誕生日ってなんだろう?


 誕生日ってなんだろう?
 
 その人が生まれた日?
 暦の上での、たった一日のこと?
 その一日を、どうしてお祝いするの?

 誕生日って最初にやったのはエジプトなんだって、でもね本当に生まれた日じゃなくて。
 即位して神様になったファラオを「王の誕生」だって言って、毎年その日にお祝いしたんだよ。
 これが多分最古のバースデー。
 次は古代ギリシャかな、まあるいケーキにロウソクを灯してアルテミスって女神へ捧げてたんだ。
 この時の光るケーキがね、現代の誕生日ケーキの元祖らしいよ。
 そっからね、今度はローマの人が家族や仲間の誕生日を祝いだして、その文化を広めたのが————

『もういいよ』
『もういいの?』

 そう言って、真っ黒な髪に真っ黒な瞳の少女が、広げていた分厚い本をぱたんと閉じた。
 彼女の背中ではキラキラ光る透明な羽がパタパタと淡く光る。

『だってなんかそれ、よくわかんねーもん』

 隣で話を聞いていた真っ青な髪の少年は『難しい』と不貞腐れた顔で言う。
 黒髪の少女はクスッと笑った。

『さあね、どうだろう。あたしはこの本に書かれていたことをそのまま読んだだけだから』
『ふーんそっか。でもそれが本当だったらなんか凄いな』
『でしょでしょ』
『でもさ。俺が知りたいの、それじゃない』
『そうなんだ』

 青髪の少年は真っ直ぐ目の前を指した。
 木製のダイニングテーブル、使い古され色が薄くなり、ちょっとボロい。「そろそろ作り替えたい」とシスターがぼやいていた。
 そのテーブルの上に置かれた〝まあるいお菓子〟。
 スポンジの間に蜂蜜やジャムを挟み、表面には普段は絶対に作れない真っ白な生クリームをたっぷり、その上に真っ赤な野いちごをのせ、あま~い匂いが室内を特別な空間に満たしていた。

『今日俺の誕生日なんだって』

 片田舎の小さな孤児院、たった十人の孤児とたった二人のシスター。

『へー凄いね。こ・の・世・界・だと砂糖って高い筈なのに』
『なんか凄い〝有力者〟がいるんだって、誰かが誕生日の時は必ず砂糖くれるんだ』
『へぇそりゃあいいや、ありがたいね』
『……うん』
『どうしたの?』

 少年は窓の外を見た。
 孤児院の庭にはシスターが趣味で育てている花や、野いちご、そばには少年も良く登って遊ぶ大きな木が生えている。
 だが少年はその向こうを見ていた。
 通りでもなく、どこでもなく、ただずっとずっと遠くを。

『でもさ、俺、誕生日が分からないんだ』
『え?』
『俺だけじゃないけど、分からないんだ』
『うん』

 少年はまだ、その真っ青な瞳で、窓の外を見つめていた。
 まるで、誰かを待っているかのように。

『……なんで、会ってくれないだろう』

 寂しそうにそう言って――。

 

2:別世界の落とし物

 凛とした空気に冬の訪れを感じさせる頃。
 その騒動は突然おこった。

「な、なんだってー!?」

 朝方に突然響いた青年の大声に、城中の者が飛び起きる。

「カイン、なにごとですか!?」
「カボチャ!」

 ジャック・オー・ランタンの被り物を被った魔族が、バンッと荒々しく扉を開け、真っ先に飛んで来た。

「大変なんだ!」

 カインは綺麗な真っ青な瞳に困惑の色を浮かべ、カボチャの実態のない身体にしがみつく。

「だからなんなんですか!」

 カボチャは慌てて部屋の中やカインを確認するが、どこにも外傷は見当たらない。
 廊下には使用人達が集まって来て、此方を窺っている。

「カイン、ふざけてるなら――」

 そこまで言ってふと気付く、カインが見つめている先――その天井に。

「な、誰だ貴様!?」

 蝶のような羽をぱたつかせ、手のひら程の小さな少女がミニスカートを翻し飛んでいた。

 ◇◇◇

 ――部屋の前に集まっていた部下や使用人たちを帰して、カボチャとカイン、そして小さな少女が精細な彫刻が彫られたティーテーブルを囲む
 と言っても、少女はその丸い天板の上で靴を脱ぎ、上品に正座をして出されたお茶を飲んでいるのだが。
 その傍かたわらには分厚い緑の本が置かれている。
 彼女は大きなティーカップを器用に傾けてちょっとずつ飲むので、カボチャは溢すのではとはらはらしていた。         

「まったくひどいなぁ。久々に会った旧友にそんな驚くなんて」
「ごめんごめん。でもしょうがないだろう。髪も瞳もぜんっぜん黒くないし、昔はそんな髪長くなかったじゃんか。どうなってんだよ」
「あぁこれ。髪を染めてるんだ」

 手のひら程の小さな少女はその長いツインテールの髪を両手に持って「綺麗でしょ」と言って微笑む。

「うん、綺麗だな。それピンク? なんか金色も混ざってる?」
「これはね。ツートンカラーていうの」
「ツートンカラー?」

 と言ってカインは首を傾げる。

「そう。別世界の人間の間で流行っていてね。あたしもやってみたの、こっちの方が妖精っぽいでしょ?」
「確かにそうだな、よく似合ってるよ。瞳も染めてんのか?」
「これはねカラコン」

 少女は自慢げに、その瞳を片手で指さす。
 金色にきらきらと光っているようなそんな瞳だ。

「へ~! なんかよく分かんねーけど、すっげーなあ。きらきらしてんじゃん!」
「ありがとう!」

 すっかりご機嫌になった少女は「これお土産よ」と言って、自分より一回りも大きな何かをカインへ渡した。

「遅くなってごめん。とうとう魔王と恋人になったってね。おめでとう」
「ありがとう!」

 へへっと笑って嬉しそうなカイン。二人がそろそろ昔話に花を咲かせそうになったところで、カボチャは口火を切った。

「それでカイン、誰なんですかこの方は」
「あ、ごめんごめん」

 カインは少女に手を差し伸べてその手のひらに乗って貰うと、カボチャへ向き直る。

「コイツね。俺の旧友で〝ユメハ〟って言うんだ」
「はじめまして、ユメハです。別世界と別世界を行き来する〝妖精〟です」

 二人並んで嬉しそうににっこりにこにこと笑顔で挨拶。なんとも微笑ましい。
 そしてカボチャは数分考えた。そのフォーマルな白手袋をはめた指で眉間を押さえてほんの数秒考えた。

「〝別世界と別世界を行き来する〟妖精ですか?」

 その問いに二人は元気よく「別世界と別世界を行き来する妖精です」とハッキリと答えた。

(聞いたことないぞ??)

 この世界にも妖精と呼ばれる類の者は存在するが、別世界を行き来する妖精なんてのは少なくともこの千二百年生きてきてカボチャは出会ったことなど一度もない。
 しかし落ち着いて考えてみれば、最近似たようなことがあったばかりなので、そこまで驚くことでもない。

(……異世界ブームでもきてんのか?)
 
 カボチャは深呼吸を一つした。

「そうですか。それで、いったい遠路はるばるなんの用で?」
「実は――」

 カボチャはユメハの話を聞いて開口一番にこう言った。

「な、なんだって!?」

 要約するとユメハの友達の友達の親戚の知り合いの友達の知り合いが本日誕生日らしい。
 もはや誰だよとツッコミたかったがカボチャはグッと我慢して、更に話をきいてみれば、その子が欲しがっている肝心のプレゼントはユメハの世界には無いものばかりだった。
 そのため、知り合いの友達の知り合いの親戚の友達の友達づてで、その子へのプレゼントを探して来てほしいとユメハに話が入り、元々別世界を旅するのが大好きなユメハは一つ返事で頷いたとか、しかし帰り際せっかく集めたプレゼントを全てこの世界、アケドラルへうっかり落っことしてしまったのだ。
 
 カインはカボチャの反応に「な、そうなるだろ!?」とはしゃぐ。
 
「だからってカインは大声で驚きすぎだよ。まだ朝なんだから」
「それはそうです。カインそこは反省しろ。あとユメハでしたか? あなたもはた迷惑な時間に人ん家にくるんじゃないですよ」

 二人は「ごめんなさーい」と同時に言うが分かっている気がしない。

「とりあえずその別世界の物をこちらへ〝落としてしまった〟って本当ですか?」
「本当だよ。落としたのは〝猫、赤べこ、やくやく様〟の三つ」
「猫はともかくとして、赤べことやくやく様ってのはなんなんです?」
「あ、それ俺も思った」
「赤べこって言うのはね。赤い牛みたいな置き物のことで、やくやく様は本当はもうちょっと違う名前なんだけど、見た目が真っ赤なまんまるのドーナツをくっつけて輪にしたような顔かな、そのお人形を落としたんだ。服は青色だったかなぁ」
「ダメだ俺なんのことかサッパリ分かんないや」
「僕もです」
「と・に・か・く、カインにこれを探して欲しいの!」
「俺?」
「そう友達でしょ!」
「いいけどユメハは?」

 その時だ。不意に三人の足元を転がる丸いガラス玉に気付いた。
 ガラス玉といっても、まるでゴムボールのように柔軟に動くそれは、カインの足元へ止まると絵に描いたような小さな目をにこにこさせる。

「お、シュケルの水晶じゃん。どうしたんだ?」
「フフフ、お探しの猫はこの子でしょうか?」

 急にカインとカボチャの間から発せられたどこかふくみのある声に、二人は思わず背をそらした。

「「シュケル!」」

 肩まで不揃いに伸びた雪のような白髪はくはつ、常に穏やかに瞑った瞳と何かを秘めたような笑み、司祭のような真っ白な衣をまとった彼は、当たり前のようにそこに立っていた。

 カボチャは思う。

(この流れ、まんま最近やったばっかりなんですけど!?)

 

3:赤べこを探せ!


 突然現れたシュケルに驚いて、二人は思わず距離をとった。
 だが、その腕の中で抱き上げられている真っ白な子猫に気付いたユメハは、たちまち感極まる。

「こ、この子よ。この子……!」

 ユメハは小さな体でその子猫に飛び付いた。
 もふもふのその毛並みに体をうずめて、子猫の頬に頬ずりをする。

「探したんだよ~ごめんね。もう落とさないからね!」

 ユメハはガバリと顔を上げる。

「シュケルさんでしたっけ? ありがとうございます!」

 シュケルが答えるのも待たず、ユメハはカインへ振り返る。

「カインごめん。あたしこの子を先に届けてくるから!」
「え?」
 
 ユメハは持って来た分厚い本を手のひらの上に浮かべると、本が神秘的な光を放ちペラペラと捲れる。
 光が眩く辺りを照らすと一瞬にしてユメハと子猫の姿が消えた。

「あとよろしく!」と、その言葉だけを残して――

 ◇◇◇

 一気に静けさの戻った室内で、シュケルが口を開く。

「さて、どうします?」
「そりゃあやるよ。友達が困ってんだから当たり前だろ!」
「僕はこの展開についてツッコミを入れるべきか、はたまたこのままついていっていいのかいっそここで離脱するべきか悩んでますよ」
「と言いながら、最後まで付き合ってしまう姿が……目の前に見えますね」

 フフフと笑うシュケルの前でカボチャはブツクサ言いながら、手始めにカインの寝台の下から探している。
 実態のない身体、いや正しくは服だけは実態がある、まるで吸血鬼のような服に何発もの弾丸で穴があいたようなマントをその身にまとっているのだ。
 ふよふよと浮きながら、カボチャは今度は棚をどかして探し始めた。
 
「はいはいはーい! 俺いいこと思い付いた、セオドアに落とした物の時間を戻して貰おうぜ!」

 カインは妙案とばかりに瞳をキラキラさせる。
 真っ青なローテールの長髪は、まるで猫のしっぽのように揺れた。

「そんで元の場所に戻せば、ユメハがもう一回取りに行けるだろ!?」
「フフフ、素晴らしい考えですね」
「だろ」
「しかし残念ながら、魔王さまは今ご不在ですよ」
「え~~!? なんだよもう肝心な時に限っていっっっつもこれだよ」
「フフフ、初めからいると物語が終わってしまいますからね」
「おいこらシュケル、余計なことを言うなドチクショウ」

 かくしてユメハの落とし物〝赤べこ〟探しが始まった。
 
 ――そして、一同は早々につまづいている。

「ないなぁ」

 カインは城の者みんなと仲がいい。なので城にいる部下や使用人たちに声をかけ、総動員で城中を探し回った。
 だがどこにもそれらしいのは見つからない。

「そういえばシュケルは子猫をどこで見つけたんだ?」

 シュケルと一緒に庭に出ていたカインは彼に尋ねると、シュケルはすっと空を指す。

「え?」
「庭を歩いていたら空から降ってきました。それを受け止めて、ベンチで子猫と一緒に寛いでいると、水晶からあなた方の声が聞こえてきましてね。事の次第を知ったんですよ」                       
「あぁそっかそれで」
「ところでカイン、落とした場所が魔王城とは限らない。そうは思いませんか?」 
「あ、確かに」
「カボチャは赤べこを探しに何処かへ行ってしまいましたが、私たちはここで待ちましょう」 
「いいの?」
「ええ、きっと水晶が見つけてくれるでしょう」

 二人は直ぐそばにあったベンチに腰掛けた。
 多分シュケルは、先程までここで猫とのんびりしてたんだろうなとカインは思う。
 目の前には噴水があり、庭師達に丁寧に整備され緑はすっかり紅葉付いてその場を彩っていた。
 風が少し肌寒い。
 ふとシュケルを見ると、彼は膝掛けを持って来ている。だがどうにも使うつもりはないようだ。

「……誕生日かぁ」
 
 カインはふと、呟いた。

「どうしました?」
「んとね。そういえば俺、誕生日わかんないなって」
「それでは毎年祝ってる日は誕生日ではないと?」

 確かにこれまでずっと決められた日に祝って貰っている。

「そうじゃなくて本当の誕生日。ほら俺、捨て子だからわかんないじゃん」
「フフフ、なるほど」
「今の誕生日は、セオドアが俺を見つけてシスターに預けてくれた日だし」
「そうですね」
「まぁそれは別にいんだけど。俺、寂しかったんだよ。会えなくて」

 毎年その日になると、あの頃は高価だった砂糖などを持って誰かがやって来た。
 シスターが言うには「それでケーキを作ってやってくれ」と言って、その誰かは去ってしまうのだ。
 はじめは俺の誕生日だけだったらしい。
 けれど「カインの時だけ豪華でズルい」と、他の子が言い出してからは、他の子の誕生日もその誰かは必ず持ってくるようになったとシスターから聞いている。
「皆で楽しんでくれ」とそう言って。

「絶対会えなかったんだよなぁ。俺、会いたかったんだよ。それで一緒にケーキ食べて祝って欲しかった。あとなんで俺だけじゃないんだってちょっと嫉妬した。特別が、欲しかったんだ」

 シスターに頼んだこともあった。会わせてくれと、けれどそれは出来ないと言われた。
 相手が望んでいないからと。

「あれ、セオドアだろ? 分かってたんだよ俺」 

 寂しそうな顔なのにそれを誤魔化して、カインはニッと笑ってみせる。

「寂しいなぁって思ってたら、たまたま誕生日文化を調べて回ってたユメハが現れてさ、誕生日ってなんだろう? て言ったら、なんか歴史的な難しいこと言ってた。そうじゃないんだけど、なんか嬉しかったな」

 シュケルはただ「そうですか」とだけ言って、聞いていた。
 
「そういえば、シュケル達って誕生日いつなんだ?」

 気を取り直したカインがふと気付く、そう言えばここに来てから誰のことも祝ったことがないと。

「そうですね。魔族は基本的に、生まれた日はよく分かりませんね」
 
「え!?」とカインは驚く。

「私達は赤子の頃は人間と変わらず、邪気を一切宿していません。十四の頃になるまでは、ここでは暮らしていけないので――」
「え、十四まで?」
「えぇ。ですから生まれてすぐ〝聖なる泉〟と呼ばれる場所へ預けられるのです。そこで誰かが拾って育ててくれるのを待つのですよ」
「そ、そんな無茶な」
「そうですね。ですが今までこれが習わしでしたので、誰も疑問に思わず来ましたが、最近では人間へ預ける里親制度を利用する方もいますよ。変わらず古い教えに拘る方もいますが」

 知らなかったと、カインは静かに衝撃を受けた。

「もちろんカインのように拾われた日を誕生日としている方もいらっしゃいます。ただ長く生きていると、どうにも特・別・感・が・な・く・な・る・と言いますか……」

 カインはぽかーんと呆ける。

「それなのに、セオドアは俺の誕生日を覚えていてくれてたのか? 俺を見つけた日を?」                               
「そうですね」
「シュケルも?」
「えぇ」
「カボチャも?」
「えぇ」

 カインは「そっかぁ」と呟いて深呼吸する。
 少し肌寒かった筈なのに、不思議とぽかぽか暖かい。

(俺、寂しくなんかなかったんだ)

「シュケル。俺ケーキ作るよ」
「フフフ、またどうして?」
「お祝いしようよ。城の皆の誕生日と、ユメハが言ってたその子の誕生日を!」

 突拍子もないことだが、シュケルは穏やかに頷いた。

「よおし。そうと決まったらさっさとプレゼントを見つけ出して……!」

 カインが腕まくりをして立ち上がったその時。

「カ~イ~ン~」

 まるで川の底から這い上がって来た化け物のような声が聞こえた。

「誰が化け物ですか失礼ですね! はっは、へっくしゅん!」

 大人の男の低い声で可愛らしくクシャミをする。
 誰かと思えば大人姿のカボチャが、以前ユメハが言っていたどっかの世界の貞子よろしくそこに立っていた。
 物凄いずぶ濡れで。

「わっどうしたんだよカボチャ!」

 カインは駆け寄ると、何か拭いてやる物はないかとわたわたとする。
 カボチャはその長髪から精悍な、けれど、どこか童顔さが残る顔つきで、不機嫌マックスとばかりにカインにガンを飛ばす。
 すると横から、どこから取り出したのか、シュケルがカボチャへタオルを手渡した。
 カボチャはそれを奪うように引ったくると「くそっ」と言ってその長髪をわしゃわしゃと拭く。

「フフフ、パンプキンの被り物はどうしたんですか?」
「うっさいな、どうせ分かってんだろお前」

 カボチャの美しい濡羽色の髪がどんどんぐしゃぐしゃになる。

「カボチャ、俺がやるからタオル貸せよ」

 カインがそう言ってタオルを受け取ろうとしたが、その手にのせられたのは全くの別物だ。

「え?」
「〝赤べこ〟ですよ。さっさと受け取らんかいボケ」

 そう言ってカインのおでこをペシッと叩く。
 そして「寒い」と言いながら、びしょ濡れの真っ黒な上衣を脱ぎ出した。

「たくっ濡れた服を着ていても寒いし、脱いでも寒いったらないですよ!」

 カボチャは拭き終わったタオルを首にかけてグチグチとぼやく。

「なるほど、その鍛えた体は所詮飾りですか」
「シュ~ケ~ル~、そもそも貴様が僕に水晶を預けなければこんなことには、あと鍛えたかどうかは関係ないだろうが!」

(水晶?)

 そういえば、さっきから水晶の姿を見ていない。
 ふと目線を落とすと、カボチャの一風変わった黒いズボン、膝の下からゆるやかに広がり、足首の手前で急に絞られているタイプなのだが、そのズボンのポケットが何やらモゾモゾと動いている。

「動くな。……はぁホント世話の焼ける。今出してやりますよ」

 カボチャがズボンのポケットに手をつっこむと、林檎ほどの大きさの水晶が顔をだした。
 水晶はカインとシュケルを見ると嬉しそうに転がろうとする。

「わぁバカ落ちるだろって……自ら落ちるんかい!」

 水晶はカインの足元をコロコロと転がると、シュケルがクスリと笑った。

「どうやら、水晶のお手柄のようですね」

 その言葉に「はぁ!?」と苛立つカボチャ。

「どう考えても僕でしょう!」

 文句をいうカボチャを無視しながら、シュケルはカボチャを膝掛けで包みつつ、カインへ声をかける。

「カイン、ケーキを作りましょうか」

 もう一度カボチャの「はぁ!?」と言う声が響いた。
 

4:やくやく様は自らやって来る!【完結】


 調理場へと移動した面々は綺麗な服に着替えて、もちろん手足を洗って中へ入った。
 というのも、なんの準備もなしにそのまま現れた彼らに、調理長が鬼の形相になったからだ。
 しかもシュケルだけきちんと準備していたので、他の面々が追い出されるなか、一人だけいつものようにフフフと笑っていてたちが悪い。

 気を取り直し、きちんと支度をしてきちんと事情を説明すれば、鬼の形相は今や女神の微笑み。
 ケーキ作りに積極的に協力してくれ、厨房にいた皆も手が空いているからと言ってわくわくと手伝いはじめた。

「坊っちゃんと一緒に作るケーキかぁ~ひっさびさで腕が鳴りますね~」

 カインと一番親しい年嵩の調理人が嬉しそうにそう言った。
 こちらに来てから何度か厨房を借りてお菓子作りをしたことがあるのだ。
 ちなみに魔族はあまり菓子に馴染みがない。そんな彼らに人間のお菓子作りのイロハを教えたのはカインだったりする。

「へっへ~おじちゃんもしかして寂しかった~?」
「そりゃあもう、坊っちゃんのいない厨房ときたら、砂糖を入れない紅茶のようなもの、あるいは味付けをしていない肉のように味気ないったら」
「でも砂糖を入れない紅茶の方がおじちゃんは好きなんだろ?」
「違いない」

 どっと笑いに溢れた。厨房の者たちと他愛ない話をしながら、卵にバター、蜂蜜に砂糖、野いちごを準備して、手慣れた様子で調理器具を扱う。

 カインはいったん手を洗ってシュケルの元へ行く。
 シュケルは材料の分量を計っていた。実際シュケルは繊細なことが得意なので、適材適所だ。
 水晶は残念ながら調理長に立ち入り禁止令を出されたため、調理場の外でたぶん泣きながら待機している。
 調理長いわく「足元をうろちょろされちゃかなわん」とのこと。

「シュケル」
「どうかしましたか」
「いやその、本当に本当に大丈夫なんだよな?」
「えぇ問題ありませんよ」

 最後のプレゼントやくやく様はまだ見つかっていない。
 だがシュケルいわく〝待っていればあちらからやって来る〟そう言うのだ。

「本当に本当だよな?」
「本当に本当ですよ。ところでカイン、城にいる使用人含め全員ともなれば、かなりの数を作らなくてはならないのでは?」
「うん、そうなんだよなぁ。それで俺思ったんだけど四角いケーキにしようと思って」
「四角いケーキですか?」

 カインは頷いて、大きな四角い型を取り出す。

「これ、本来は団体客の時にまとめて食材を焼くために使ってるらしいんだ。でも普段は使い道がないんだって、これに生地を流してさ焼こうかなって」

 魔族はもともとあまり食事をしない。わざわざ毎日食べなくとも生きていけるからだ。
 そのためカインがここに来た頃は、そこまで調理器具や食材が揃っていなかったのだが、今ではこの厨房に無いものはないと思えるほど色んな物が充実している。

「そんでさ、四角いケーキをたくさん並べて大きな大きな一つのケーキにしようぜ!」
「なるほど妙案ですね。しかし、あまり大きすぎると運ぶ際に崩れてしまうのでは?」
「この型、ちょうどワゴンと同じ大きさなんだ。あとちゃんと半分に切るつもりだぜ。それなら崩れにくいだろ?」
「えぇそうですね。それでは私が次にやるべきは――」

 シュケルがそう言った時。

「あーーーー!」

 まるでその言葉に被さるようにカボチャの叫び声が木霊した。
 慌ててカインが駆け寄る。

「カボチャ!?」

 そこにはコゲコゲに焦げたスポンジが……。

「やってられますかこんなこと、材料の無駄遣いもいいとこです!」

 子供姿のカボチャがいた。
 可愛らしいがちょっと生意気な顔付きと、その短い手足で苛立たしげに癇癪をおこしている。

「だからやめとけって言ったのに……」

 カインは呆れて、焦げたスポンジを大きなトレイに寄せていく。
 本当はカボチャには会場のセッティングをお願いしたのだが、シュケルが余計なことを言ったせいで、カボチャはケーキを作るとムキになってしまったのだ。
 カボチャは意外と人を使うことに慣れている。
 だからここにいるより断然会場のセッティング向きなのである。

「カボチャ、ここはいいからさ、これは俺のおやつにするし」
「しなくていい。そもそも僕は甘いものは苦手なんですよ。だってのにこの僕にこんなことをさせるなんて」
「もう分かったよ」

 カボチャの苛立ちはカボチャを煽ったシュケルに向いているのを知っているので、カインは適当に話を流す。

「そう言えばさっきさ、なんで濡れてたんだ?」

 聞くタイミングをすっかり逃していた。
 赤べこを持って来たカボチャはどうしてかこの寒空の下でびっしょびしょに濡れていたのだ。

「あぁ……仕方ないだろ。水晶が映し出した場所へ転移してみれば、滝の中だったんですから」
「滝の中? 滝の奥に洞窟があったとか」
「違います。んなもんなかった。ただの滝、滝がドバーと流れてるのはだいたい岩面なんですよ。つまりそのドバーの後ろ、岩肌の窪みにあれが引っ掛かってたんです」
「え、えー」
「しかも滝のど真ん中に」
「わー」
「そうとも知らず転移した僕は一瞬にして水浸しですし、予想だにしてなかった水の勢いに押されてかなり流された上にパンプキンの被り物は顔から外れて失くすし、水晶は見失うしで」
「うひゃあ」
「必死に川底を流れていく透明な水晶を探してやっと見つけ滝に戻ってあれを取ってきたんです。流石に大人姿でないと何かと不便で……感謝してくださいよ」

 カインはうんうんと何度も深く頷いた。

「カボチャごめん。ほんっっっっとありがと、大好き」
「軽い」
「すっごく感謝してる。だからもう休んでくれよ。ホントに」

 カインはカボチャの華奢な肩をひしっと抱いた。

「じゃあお言葉に甘えて――その前に」

 カボチャはバッと後ろを振り返る。
 その目に飛び込んで来たのは、

「シュケケエル、僕が作ったスポンジ食べるなー! ってドチクショウ! 食べやがりましたね!」

 カボチャはシュケルのそばに飛んで行き、その胸ぐらを掴み上げる。

「絶対やると思ったんだよコンチクショウ! このバカ! それ焦げてんですよ! 以前僕の作ったクッキー食って具合悪くなったの忘れたんですか!?」
「フフフ、バレていましたか」
「バレたも何も目の前で喰った翌日から体調崩してたろがい!」
「そうはいっても、他に誰が食べるんですか?」
「食わんでいい!」
「それだと材料費がもったいないですから」

 カボチャは子供の背丈で腕を伸ばし胸ぐらをギリギリと締め上げながら、ハッと気付いた。

「お前っこれが狙いだったのか! 僕をムキにさせて作らせて失敗させて、そんでバカにするのが目的だったんですね!」
「フフフ、まさか」
「まさかのまさかだろ!」
「いえ、私は」

 カボチャは「もういい」と怒鳴ると調理場の外までズカズカと駆ける。

「貴様なんか一生僕の作ったものだけ喰って、一生体調崩して苦しんでろバッキャロー!」

 捨て台詞を吐いて、どこかへ行ってしまった。

「久々に、食べたかっただけなんですけどね」

 シュケルは珍しくぽけっとした顔で、そしてやはりいつもの穏やかな、けれど何かを秘めたような微笑を浮かべ。

「一生作ってくれるそうですよ」

 おかしそうに、カインにそう言った。


 ◇◇◇

 さて、途中で昼休憩をはさみ、おやつの時間に差し掛かった頃。
 ようやく全ての準備が整った。
 皆が綺麗に飾りつけてくれた大広間に、中央には沢山並べられ大きくなったケーキ。

 大きな大きなバンケットホールテーブルにのせられたそれは、見たこともない光景だった。
 全て同じ味や見た目だと味気無いのでチョコケーキやフルーツケーキなど色々分けてある。
 ケーキの他にも豪華な料理が並び、まるでちょっとしたパーティーだ。

 城で働く者達が話を聞きつけ、楽しみにしていた皆々が広間に集まる。

「カイン、誕生日会だって?」
「カイン、どうしたの? こんな豪華なデザート」
「カイン、本当にいいのかい?」
「こりゃすげーや、カイン、ありがとう」
「いったい誰を祝うんだ?」
「誰でもいいさ、おかげで今日はこれ食ったら仕事上がりだとよ」

 わいわいと揃って来たところで、カインは言う。

「今日は俺の旧友の友達の友達の知り合いの親戚の知り合いの友達が誕生日なんだ!」

 どこからか「誰だそれー」と声が上がる。

「それとね。俺みんなと出会って本当に良かったと思ったから、生まれて来て良かったから、みんなが生まれて来てくれて本当に良かったと思ったから、だから今日、一緒に祝おう! 俺たちの誕生日を!」

 それぞれがそれぞれの仕事の格好で、別に仲悪い奴もそうでない奴もいるし、ただの仕事仲間だってのもあるけれど、実は夫婦もいたり、こっそり付き合ってる奴もいたりするけれど、互いに顔を見合わせて、ぷはっと吹き出すように笑う。

「またカインの思い付きね」
「坊っちゃんの思い付きはいい、いつも素敵な時間をくれる」
「いつも突拍子もないけどね」
「付き合うこっちの身にもなれって」
「たく、仕方ないな、付き合ってやるか」
「楽しい美味しいに越したことないわ」
「この機会を逃したら損よ」

 〝誕生日おめでとう〟と口々にそう言って互いにグラスを掲げた。


 ――そうこうしていると、城の扉が開いて一人の男が入って来た。

「思ったより時間がかかってしまったな」

 黒を基調に紺と紅の意匠が施された衣服は露出があるのだが本日はそれなりに冷えた為、その上に厚手の外套を羽織って出ていた。
 鍛え上げられた肉体はその外套に隠され、浅黒い肌には右の額から肩、腕、指先にかけて焼け焦げたような痣が走っている。
 真っ黒な短髪から、湾曲した角が二本覗き、真紅の瞳が城の中の楽しげな雰囲気に気付く。

「随分と大広間が騒がしいな」

 そちらへ向かっていると、大広間の立派な扉からカインがその真っ青な瞳を輝かせて顔を出す。

「セオドア!」

 駆け寄って魔王の腕を引っ張って、大広間に入る。
 驚いて、言葉を失った。

「…………今日は何か、特別な日だったか?」
「うん、俺が特別な日にした!」
「そ、そうか」

 魔王は助けを求めて、ちょうどそばで椅子に座り水晶の相手をするシュケルを見る。

(どうなっている?)

 シュケルはフフフと笑って、誰とも気付かぬ素振りで軽く指をさし、魔王の外套の内ポケット、そこにある物を問う。

「これがどうし――」
「あーーー!」

 魔王が内ポケットから取り出したのは、見た目が真っ赤なまんまるのドーナツをくっつけて輪にしたような顔の――

「やくやく様!」

 カインは魔王の手首をガシッと掴む。

「や、やくやく様?」
「どうしたんだよこれ!?」
「どうしたもこうしたも、今日は祝いの日だから、お前の所のシスターに渡す物があってな。行ってみたら子供がお礼にこれを――」
「お礼?」
「あっ」
「なんで行ったんだ?」
「いや、その」

 魔王が気まずそうに視線を反らす。

(しまった。カインには黙っていたのだった……)

 どうせバレるのなら言ってしまおうか、と思ったがどうも言い出しづらい。

(わざわざ言う程のことでも)

 だか魔王の焦りとは裏腹に、カインは嬉しそうに微笑んだ。

「そっか、お礼に貰ったんだ。その子に、会ったんだ」
「あ、あぁ……?」
「喜んでただろ?」
「ん、あーそうかもしれないな?」
「絶対そうだぜ」
「そうか」
「うん、ありがとう」
「こ、こちらこそ?」

(機嫌がいいのならまぁいいか)

 その時二人の間に白い光が輝いた。
 突然のことに驚いていると、だんだんと光がおさまってその姿を現す。

「カインごめん! 遅くなって……あれ?」

 前と後ろをキョロキョロと見て「お、お邪魔だったかな?」とユメハが頬をかく。

「ユメハ!」

 カインがその名を呼ぶと、ユメハは気まずそうに、ふと下を見て。

「あ、やくやく様!」

 魔王の手にあるやくやく様に飛び付く。

「良かった~見つかった~」

 喜ぶユメハにカインは赤べこも見せる。

「はい、ユメハ。これで全部だろ?」

 ユメハは感極まって、その小さな瞳に涙をたくさん浮かべた。

「うわ~ん、本当に良かった、良かったよ~」

 そのままカインの頬にしがみつく。

「本当はね、本当はね。もう過ぎちゃってるの、誕生日。必死に探したけど、あたし一人じゃ全然ダメで、見つからなくて、過ぎちゃって、だから、だからっ」

 カインはユメハの小さな背中をとん、と擦る。

「知ってた。だってユメハ、冷静じゃなかったもん。俺の知ってるユメハは賢くて落ち着いてて……良かったなユメハ、今度は落とすなよ」
「うん、うん。ありがとう、ありがとうカイン」
「あれ? ユメハ、片目だけ黒くなってるよ?」

 ユメハの綺麗な金色の瞳は、カインの知ってる朝焼けを持つ夜空のような黒い瞳。

「あれ? カラコン、落としちゃったのかな」
「あはは、ユメハ色々落とし過ぎ」

 そうだねと、ユメハもくすっと笑う。
 ユメハの傍らでまた分厚い本が開いた。

「カイン本当に、ありがとう」

 眩いあたたかな光が辺りを照らす。

「ユメハ、何があったのか分かんないけどさ、今のユメハも、俺の知ってるユメハも、俺は大好きだよ」

 そうカインが伝えた時には、ユメハと、そのプレゼント達は消えていた。

「今のはなんだったんだい?」
「何か光ったような」
「あったかい光だったねぇ」

 使用人達がどこか幸せそうに呟くと、やはり幸せそうにケーキを食べる。

「美味しい」
「毎日あってもいいくらいだ」
「やぁね毎日あったら特別じゃなくなるでしょ」
「違いない」

 談笑する賑やかな会話。
 魔王はなんとなくだがことの成り行きを理解した。
 そして確認するように、シュケルを見る。
 だがシュケルはどこ吹く風といった様子だ。

「カイン」

 そこへ大人姿のカボチャが声をかけてきた。
 おそらく食い意地と酒飲みたさに、大人姿になったのだろう。

「これはどうするんですか? なんか他と別にしてましたけど」

 それは普通の大きさの四角いショートケーキ。

「あぁそれはね。今・日・誕・生・日・の人へのお祝いのケーキだから、寄せといて、特別だから!」
「はい? なんかよく分かんないですね。たく」

 カボチャはそのケーキを、直ぐそばのティーテーブルへと置いた。

「そう言えば、ユメハからのお土産ってなんだったんです?」

 カボチャが骨付き肉を頬張りながら、カインへ聞くと、カインもそう言えばと思ってポケットからそれを取り出した。

 それは手のひらサイズのちょっとお高そうな箱。
 それを開けてみれば、そこにはメッセージカードと素朴な二つの石。

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 カインへ。
 婚約指輪って知ってる?
 この石ね。最新のやつで、二人にぴったりな
 サイズとぴったりなデザインに変わるのよ。
 せっかくだから使ってねv

 追伸:魔王さまとお幸せに

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 カインの瞳が今日一番に輝いた。
 そして魔王の顔は今日一番に青ざめた。

「セオドア!」
「待て、まだ早い」

 今にも飛び付かんばかりのカインに、魔王は、セオドアは、ジリジリと距離を取る。

「早いってなんだよそれ!」
「なんでもだ」

 さっと踵を返して早足でカインから離れる。

「ちょっと待てよ! そんなこと言ってたら俺、先にあの世にいっちゃうだろ!」

 カインもその背中を足早で追いかける。
 もちろん魔王に向かって先程の箱を突き付けながら。

「バカ言うな、ちょっと待てと言ったら待て」
「だからなんでだよ!」

 ぐるぐると、テーブルと皆を取り囲むように追いかけっこを始めた二人に「平和だねぇ」と呆れながらその様子を見守る面々。

 それを窓際で眺めていたシュケルが、あることに気付いて立ち上がり、カボチャのそばへいく。

「飲み過ぎですよ」

 ワインボトルを二瓶あけて、ふらふらと今にも倒れそうになったカボチャの腰を支える。

「しゅける、きさま、はなぜぇ」
「フフフ、離してさしあげてもいいですが、その場合、朝まで冷たい床ゆかで寝ることになりますね」

 ふと、テーブルの上に置かれたケーキを見て「おや?」とシュケルは呟いた。

「おやおや、カインときたら……忘れてますね」

 白い皿の上で、四角い形をしたショートケーキは、まるで小さな雪の箱。
 表面を覆う真っ白な生クリーム、その中央には可愛らしい野いちごが数個、飾られている。

 シュケルはその野いちごへ、板状のチョコレートを立てかけた。

 〝Happy Birthday to you〟

 そう書かれた、チョコレートのプレートを――。


 ◇◇◇

「そう言えば、どうして四角いケーキなのかしら?」
「あぁそれは坊っちゃんが、丸と違って隙間がないからと」
「隙間?」
「あぁそうさ、四角なら隣も前も後ろもぴったりくっつけられるだろ?」
「えぇ」
「そうすればずっと一緒にいられて、誰も寂しくないからだとさ」

【Happy Birthday to you】おわり(><)v

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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