何を言ってるんだコイツは。そう思ったのは俺だけじゃなかったらしい。
「……まずその結論に至った経緯を説明しなさい」
斎の母――俺からすれば父である五十山真由良がこめかみを押さえながら唸った。それはそうだ。何せコイツはα校を出た後に進学せず――
「可愛い服を作って売りたいと思って」
と、のうのうと商売を始めると言い放ったのだ。
「それだけ!? 本気でそれだけの理由で!?」
「それだけだけど?」
こて、と小首を傾げて斎は自身の母であるαに返す。彼女の隣では斎の父である五十山恒氏が眉を顰めていた。
「……大学なり、服飾の専門学校なりに行ってからでも問題ないだろう」
「そんなの時間の無駄だよね? 最低限デザインに必要な知識は学んでるんだし」
そう。斎はα校で服飾関係の部活に入っていた。随分と変わったところに興味を持ったな、とは思っていたが、本格的にそちらを目指していたとは。
「父様の会社はどうせ宗兄様が継ぐだろうし、僕は自由にしていいと思うんだよね。鳴ちゃんと塁くんもαだったら跡継ぎ候補になるし」
恒さんの妾が産んだ弟妹の名前を出し、斎は一人納得したように頷く。しかし、恒さんの愁眉は解かれない。
「だからといって、突然起業というのも……真由良さんの跡は考えていないのか?」
恒さんは俺の父を名前で呼ぶ。夫婦というには若干距離を感じるが、α同士だとこうなるものなのだろうか。
と、父親の言葉に斎が眉を寄せた。不機嫌さを表すように口先を尖らせる。
「母様の襲名は僕じゃムリだよ。紬くんなら分かるよね」
こっちに話を振ってこられたが、俺にどう答えろと。
返答に迷って父に目を向ける。彼女は軽く溜息を吐き出すと、斎に向き直った。
「無理とまではいかないでしょうけど……そうね。貴方より紬の方が向いているのは確かね」
あっさりと認めないで欲しい。俺も染色作家をしている父の名を踏襲するつもりはない。
「けど、斎もそこまで色覚がないわけじゃないでしょう」
「紬くんの方が鋭いのは確かだよ。母様の名を継ぐ程の能力はないと理解した上で染色をするのは、流石に名を穢すんじゃないかな」
ね、と斎が同意を求めてきた。だから、俺に意見を求めるな。お前の進路の話だろう。
斎の進路についての話し合いに俺が引っ張り出されてるのは、正直場違いだと思う。だが――
どこか苦々しい気分で斎を見遣る。と、コイツは悪戯っぽい顔でウインクしてきた。『紬くん、よろしく』か……二日しか違わない兄に甘えるな。全く。
今回俺が『よろしく』されているのは、斎がα校で積んできた実績の証人になることだ。そして、あわよくば斎にとっての母――俺の父――を説得する手助けをして欲しいらしい。……それは俺の役割なのか? 恒さんから見た俺は、妻の妾の子なのだが。
「僕だって独立のために色々調べたよ。もうデザイン案も五十は用意してる。試作品もある。店舗の物件も三件ほどに候補を絞ってる。だから、あとは二人からの許可と協力をお願いする段階なんだよね」
ほらこれ、と脇に下ろしていた鞄を探り、斎はクリアファイルを取り出した。その中にはホチキスで閉じた冊子レベルのレポート用紙の束がある。一番上の紙には『計画書』の文字が……って、これは気紛れでも思い付きでもないな。相当本気だ。
恒さんと父は黙って計画書を捲っている。投げ出さず真剣に目を通しているところを見るに、形にはなっているのだろう。普段飄々と自由気ままに生きているとはいえ、斎もαだ。本気になれば周りを納得させられるような案を出すくらい造作もない。
「店舗の内装と商品の縫製は私のコネを使うつもりだ、と」
恒さんが呆れたように溜息を吐いた。まあ、妥当なラインだろう。例え斎がαだとはいえ、α校を出たというだけの小童に乗るような企業はそうそうない。
「そこまで探すのは僕じゃ不可能だよね? 分かってて父様は反対するの?」
まさか、そんな酷いことはしないよね、と甘ったれたことを言うが、確かにここは親の協力なしには難しいだろう。社会に出たことのないαでは、まず提携の契約すら結べそうにない。
「この、ロゴデザインとシンボルマーク、それからショップカードを描いてくれる綿貫さんって――」
「お前、また綿貫くんに甘えるつもりか!」
問い掛けた父の言葉を思わず遮って斎の肩を掴む。綿貫くんの人の良さに付け込んでいるようにしか見えないんだが!?
「一虎くんも卒業後にすぐCGの仕事を始めるって言ってたから、僕と契約してもらったんだよ。お互いに名前が売れたら相手の利益にもなるんだし」
のうのうと何を言っている。また強引に押し切ったんだろう。
「紬も知ってるってことは、学校の同期なのかしら」
「……そうです。斎とは話が合うようで、良くしてもらってます」
綿貫くんは俺と斎の同期で、妾腹のαだ。毒気のない穏やかな男子で、αとは思えないくらい人が良い。斎と同じく可愛らしいものが好きで、それもあって親交を深めている。斎の女癖の悪さを叱ってくれたり、悪意なくやらかす討論を諌めたりしてくれている。兄の俺としてはその気遣いに申し訳なさすら感じていた。当の本人である斎には全く反省の色が見えない辺り尚更に。
「一虎くんは僕より厳しい条件で仕事しようとしてるんだけど、僕が店を安定させられれば、契約してる一虎くんにも旨味が出ると思うんだよ。だから、彼のためにも僕はさっさと仕事したいんだ」
綿貫くんのため、というのは嘘ではないだろうが、理由の一端でしかないだろう。概ねは『僕がやってみたい』に尽きる。斎はそういうαだ。
彼の両親はどう出るだろうか、と見守っていると、恒さんが顔を上げて斎を見据えた。
「さっさと、といったところで資金はどうする。多少は蓄えもあるだろうが、店を出して即売れるというものでもないだろう」
「うん。だから『協力』をお願いしてる。進学した場合に支出する予定だったお金を、二年間僕に投資してくれない? その間に店を出して軌道に乗せるから」
『二年間』ときた。仮に服飾の専門学校に通ったとすれば、その年数になるだろう。進学のための資金を起業に回すつもりか。
「その二年間でダメなら僕も諦める。だから、一つ賭けようよ。僕がデザイナーとしてやっていけるかどうか」
宣った斎の顔を見て、この場にいるα三人が説得は無意味だと悟った。奴はこの上なく楽しそうに笑っている。こうなってしまっては誰かの反論すら斎にとっての『遊び』だ。コイツの判断基準は自分が満足できるか否かだからな。
先程の『賭け』という言葉で情勢は決まったようなものだ。それが分かっているからだろう。父が肩を落として何故か俺の方を見た。
「紬、斎は何か実績を残してるの?」
ああ、これは母親としての賭けだな……なければいいと思っているのだろうが……
「α校での行事で使用するクラスTシャツは、毎回斎がデザインしていました。あとは演劇部の衣装を全て、所属している服飾部で担当していたはずです。それと先月までは、斎が服飾部の部長を務めていました」
隠しても仕方ないので正直に答える。俺が庇わずとも斎は自分の信念を曲げないだろうし、それで突っ走るのを見るくらいなら、僅かでも不安を軽減させた方がマシだ。
俺の返答を聞いてか、斎が嬉しそうに振り返ってきたが目を合わせないように宙を眺めた。ああ答えたのは別に斎のためじゃない。そもそも、お前は俺の手助けなんか要らないだろう。
「賭けるといってもこちらにメリットはないだろう。後になってやっぱり進学したかったと言われても手遅れだぞ」
苦虫を噛み潰したような顔で恒さんが斎を窘める。が、斎は首を振った。
「そんなこと絶対に言わない。もし失敗したら、その時には父様と兄様の下で生涯平社員で働いてもいいよ。ずっとサポート役でもいい。それでどうかな。メリットにならない?」
とんでもない提案だ。曲がりなりにもαが、生涯サポート役に徹するなど。しかも、それを言っているのは不自由を何より嫌う斎なのだ。
「……本気か?」
「僕に二言はないよ」
唸るような恒さんの言葉に斎は即答する。これはもう決まったな。ここで反対すれば斎は家を捨ててでも起業するだろう。目の届かないところで何かやらかすかもしれない、と心配をするより、彼の要望通り賭けに乗った方がマシだ。『二年間』に掛かる費用は、どのみち進学した場合でも同じように掛かる。成功すればそれも無駄にはならないし、失敗すれば今後監視下に収まってくれるらしい。斎の両親からすれば、デメリットはほとんどない話だ。
「斎、貴方本当に……」はあ、と派手に父が溜息を吐く「誰に似たのかしら……」
誰に、も何も、母親そっくりにしか見えない。俺の父はどうも自己認識が甘いようだ。
結局のところ、期限付きという形で斎の独立が認められる形になった。謂わば、斎との『賭け』に両親が乗ったことになる。
話し合いが終わって席を立つと、斎が上機嫌で近寄ってきた。
「ありがと紬くん。助かったよ」
ヘラヘラと力の抜けるような笑顔で斎が言う。
「俺は何もしてない。というか、別に必要なかっただろう」
斎自身がほぼ主導権を握って、思うように話を付けていたというのに。
「そんなことないよ。あそこで母様に実績のこと話してくれたでしょ。あれで母様を説き伏せやすくなったんだよ。やっぱり紬くんは頼りになるなぁ」
「勝手に頼りにするな」
歳も変わらないというのに、斎はすぐに俺に甘えてくる。その理由も分かってはいるが……余計なことに気を回し過ぎだ。
「今度、試作も兼ねて皆に服を作るから、紬くんも欲しい服考えといてね」
「は? 試作って――」
「じゃあ、僕は出店計画と必要な資金を改めて詰めるから、ちょっと部屋に籠もるね。また後で!」
そう言い残して、斎は足早にリビングを出て行った。何というか、やたらフットワークの軽い奴だ。
「……紬の裏切り者……」
背後から父の恨めしげな声が掛けられた気がするが、聞こえなかったことにした。
α校を卒業して、俺は大学へ、斎は店舗の契約をして出店の準備へとそれぞれ進んだ。
斎は借りた店舗の二階を居住スペース兼作業場にしたそうだ。そちらに引っ越してひと月も経たずに俺や斎の腹違いの弟妹に二着ずつ服を贈ってきた。普段着として使い勝手がいいデザインなのが妙に苛立つ。いや、アイツの目指すところを思えば喜ぶべきなのだが。
盆の辺りに顔を見せて以来、しばらく斎が帰省することはなかったが、年明けも過ぎた一月半ば、俺が大学から帰ると斎がリビングのソファに腰掛けていた。
「………………」
「お帰りなさい、紬くん」
へら、と軽薄に笑う斎は肩を超えるくらいのワンレングスで深縹に染めた髪、という見たことのない姿になっている。
「あれ? どうしました紬くん。おかしな顔をして」
一体どこから指摘すればいいんだ!? 髪か!? 喋り方か!? 言ってる内容か!? 大袈裟に包帯を巻いてる右手なのか!?
目の前でひらひらと斎の左手が振られているのを認めて、混乱が少し治まった。取りあえず一つずつ情報を整理していくしかない。
ふう、と息を吐いて斎の隣に腰掛ける。まずは、手のことから聞くか。
「その右手はどうした」
「ああ、これ? アクセサリーの試作してたんだけど――あー、と……」と、斎は一度言葉を切る。
「金具が跳ねて手の平を切ってしまったんです。大怪我ではないんですが利き手の方なので、二週間ほど店を閉めて実家に甘えさせてもらうことにしました」
……敬語で言い直してくるのは何だ。別に余所余所しいというわけではないが……
「そういうことなら休んでおけばいいが……一体何でそんな喋り方なんだ。あと、その髪はどうした」
気になって仕方ないので聞くと、斎は左手の人差し指を立ててこっちに向けてくる。
「紬くん、ラムダ博士知ってますか?」
「は? ラムダ?」
何の話だ。
「子供向けのアニメに『快盗ガンマ』という番組がありまして。今すごく人気があるんです」
「……で?」
「主人公の小学生、ガンマくんは正義の怪盗をしているんですが、そのサポートをしているお隣のマッドサイエンティストがラムダ博士というキャラなんですよ」
いや、だから何の話だ。
「これ、このキャラなんですがね」
そういうと斎は、左手の慣れない動きでスマホを操作して画面をこちらに向けてきた。そこには青い長髪で黒縁メガネの怪しげな男性キャラが描かれている。
「僕……じゃない、私がお子さんに話し掛けると怖がられてしまって……だから、このラムダ博士に外見を寄せてみたんです。それで、博士のまねっこをしてるんですよ、と言ってみたらウケがよくて」
「つまり、接客のためだ、と?」
「はいな」
確か斎の店は子供向けの服が中心だったか。コイツの外見なら母親は騙せるだろうが、子供相手には通用しないのだろう。警戒を解く取っ掛かりとして人気アニメを利用しているとは。
「喋り方もラムダ博士に寄せてるんです。うっかりタメ口にならないように、普段から敬語を徹底してます。でも、紬くん相手だと気が抜けてしまいますね……」
困りました、などと言いながら斎は腕を組んで、
「痛っ」
と顔を顰めた。相当酷い傷なのか。
「おい、大丈夫なのか」
「うーん、まあ……深いですからねぇ。腱とか神経とかいった部分は大丈夫なんですが、痛みばかりはどうにも」
はあー、と溜息を吐いているところを見ると、かなり痛むらしい。コイツはこう見えて人に弱みを晒さないタイプだからな……実家に帰ってきているところからしてもだいぶ参っているのだろう。
「痛みが引かないとデザインが描けないので、困ってしまいますねぇ……日常生活なら誤魔化しながら――」
「そう言って無茶しちゃダメでしょう、斎くん」
ぽこん、と気の抜ける音が斎の頭から鳴った。その頭上を見遣ると、紙の束を丸めて持つ母の姿があった。
「茉莉さん、トキさんをいじめないでくださいな」
「斎くんをいじめてるのは自分自身でしょう? 本当に真由良ちゃんそっくりなんだから」
母は妾という立場だが、本家の子供である斎との距離が近い。それをいえば、妾腹である俺も斎とは双子のように育ってはいるのだが。
「それはそうですよ。親子ですからねぇ……紬くんだって母様に似たところがあるじゃないですか」
「どこがだ」
似てない。外見はともかく、俺はあんなに自由奔放じゃない。
「それそれ。不機嫌になるとすぐに目を細めるところとか」
「あら、本当。斎くんは良く見てるわね」
言われて思わず目を擦った。くそ……母さんまで同調するとは。
「兄弟だからね。ずっと一緒に育ってきたんだし」
斎はふん、と胸を張っているが、見慣れない髪型のせいかいつもの子供っぽさが影を潜めている。
「……敬語はどうした」
「あ」
どことなく居心地が悪い感覚を誤魔化すように指摘する。この恰好で普段通りの言動は違和感しかない。
「難しいですねぇ……いつもは気を抜くこともないんですが……」
実家だからですかねぇ、と呟いて斎は肩を竦めた。『気を抜く』か……実家でようやくそうなのだとすれば、一人でいる間は気を張って生きているということになる。起業して働くとはこういうことなのだろうか。常に前線に立っているのか。
「…………」
家族の側でくらい気を抜けばいいだろう。そう喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。学生である俺と、社会に出た斎との差を思い知らされたからだ。
恐らく斎は、今気を抜いてしまうわけにはいかないのだろう。彼には二年間という期限もある。あと一年と少ししか残されていない。その間に店を軌道に乗せて両親を納得させなければならないのだ。だからきっと、兄として斎を甘やかしてしまうのは間違いだ。
「実家だからと甘えるなよ。さっさとその怪我を治せ。休んでられないだろう」
俺が叱ると斎は二、三度瞬きをして、
「はいな。トキさんはお仕事頑張らないといけませんからね」
嬉しそうな笑顔でそう答えた。
結局、斎は十日ほどで自宅に戻り、それ以降はしばらく実家に帰らなかった。たまに電話が掛かってきたので、どうやら元気でやっているらしいのは確認できたが。
そして、夏が過ぎ日差しが徐々に和らいできた十月のこと。
「これがここ半年分の収支です。どうです。これなら父様も母様も認めてくれますよね」
斎が胸を張って差し出した収支表を、彼の両親は黙って見つめていた。まだ約束の期限まで半年近くある。準備期間も怪我をしていた時期もあったのに、もう目標を達成したのか。
「……この、『ItP』というのは?」
「クリエイター向けの通販サイトです。オリジナルのアクセサリーやグッズ販売のショップが開けるので、そちらでもアパレル販売しています。意外にそちらの利益が大きいんですよ」
何でもやってみるものですねぇ、と満足げに頷いているが、恐らく必死だったのだろう。デザインに試作品の制作と店舗運営までして、更にはウェブショップの管理だ。まともに休めているかも怪しい。コイツはそういったところをやたら隠したがるからな。
「さて、これで私の独立は認めてもらえますね。やりたい仕事で成果を出したんです。文句はナシですよ」
宣言した斎を見つめ、彼の両親は深々と溜息を吐いた。仕方がない、といった風に恒さんは一つ頷く。
「約束だからな。好きにしなさい」
「やった! ありがとうございます! トキさんの勝利です!」
いえーい! と拳を突き上げて喜んでいるが、勝敗の問題じゃないだろうに。……いや、そういえば『賭け』がどうこう言っていたか?
「というわけで、父様。生地の融通をですねぇ……」
「それは会社を通して取引を申し込みなさい」
「そんなご無体な!?」
調子に乗って甘ったれたことを言い出した斎に恒さんが釘を刺す。それは賭けの中に入っていなかっただろう。独立したのなら筋は通せ。
斎は両親に商談のためのアポイントメントを取り付けてから席を立った。どうやら報告に来ただけじゃなかったらしい。こういうところは本当にちゃっかりしている。
「戻るのか」
声を掛けると「はいな」と返ってくる。
「オーダーメイドのデザイン案を詰めないといけませんから」
「オーダー?」
デザインって、そこまでしてたのか。
「社交に出て宣伝しましたから。もう何件かオーダー品も出しましたよ」
「そうか……しっかり仕事してるんだな」
斎に置いて行かれたような、そんな妙な寂しさを覚えた。焦ったからといって、どうなるわけでもないのに。
「ずっとやりたいと思っていた仕事ですからね。α校の頃もさっさと卒業したいくらいでした」
へへ、と笑う顔は実家暮らししていた頃と変わらないが、斎は俺よりもずっと先に進んでしまっている。『紬くん、よろしく』と甘えてきた姿がずっと昔のもののように思えた。
「……紬くんは、母様の跡を継ぐんですか?」
不意に尋ねられて、俯いていた顔を上げた。その問い掛けは、斎自身が母親の後継から逃れたからなのか。
「いや、染色の道に進むつもりはない」
「そうなんですか? 私よりも向いてるのに……」
色覚の鋭さを言っているのだろう。確かに父からもそう言われてはいるが、
「俺は作品を作るよりも、売り出す方がいい」
そう。俺は父のプロモーターとしてやっていきたい。そう告げると、斎は「企画とか、そういったことですか」と驚いたような顔をしていた。
「父さんからは染め物の道を打診されてるけどな。創る方はどうしても興味が湧かないんだ」
こればかりは特性の問題だ。と返すと、俺の答えを聞いた斎が何度か頷いた。
「まあ、母様にはお弟子さんもいらっしゃいますし、そちらはどうにかなるでしょう。売り出すのは母様の作品ですか?」
「そのつもりでいる。父さんは売り方がいまいち分かってないからな……」
「母様はクリエイターですからねぇ……染め物が楽しくて仕方ないってαですし」
そういうところは斎に受け継がれたのだろう。コイツは無事に父親から経営の能力も継いだようだが。
「あ、紬くんが母様の作品を売るなら、今の内にトキさんのブランドで予約してしまうのも手ですね。是非とも身内価格で――」
「甘えるな」
何が『身内価格』だ。父のブランド価値を下げるつもりはない。
「えぇー……だって母様の染め物ってお高価いんですよぉ。コラボ商品とか出すチャンスなのに……」
ブツブツと文句を言っているが、こっちも商売だ。
「染め物が欲しいなら正面から取り引きしろ。恒さんともそれで話がついただろう」
「手厳しいですねぇ……紬くんは意地悪です」
俺の意地が悪いんじゃない。お前が甘え過ぎなだけだ。
「もう一人前だと認めてるからだろう。それとも、まだまだ甘やかしてもらわないと仕事もできないのか?」
煽ってやると嬉しそうに表情を緩ませる。言いたいことは伝わったようで何よりだ。
「それでは、紬くんが働き始めてから改めて取り引きを持ち掛けることにします。しっかり口説き落としますよ」
「気持ち悪い言い方をするな」
下半身がだらしない奴に言われると怖気が立つ。
「紬くんはお兄ちゃんとはいえ、難攻不落ですからね。トキさんも気合いが入ります」
「訳の分からない気合いを入れるな」
飽くまで普通の商談だろう。俺だって斎を対等に扱うつもりでいるのだから。
「じゃあ、商談は二年半後ですかね。その時にはよろしく紬くん」
「仕方ないな。本当に手の掛かる弟だよ、お前は」
学生時代のように頭を荒っぽく撫でると、斎は未だ変わらない子供っぽい顔で笑う。例え腹違いでも、俺と斎はずっと『兄弟』だ。斎は妾腹の俺が身を引こうとする度に『兄弟』であることを強調してくるのだから。
「うん。頼りにしてるよ、紬お兄ちゃん」
久しぶりに聞いたタメ口は、柔らかい響きで鼓膜を揺すった。
頼りにしてる
現代ドラマ、兄弟関係、成長物語
"破天荒な弟の夢を、冷静な兄が見守る。絆が織りなす、才能と情熱の物語。"
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。