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求めるのは『正しい』形

洞施うろこ

14,123 字

オメガバース・家族ドラマ・恋愛

"血縁と二次性の狭間で、彼らが求めた「正しい」家族の形とは。"

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 その兄弟を見た瞬間、まず『危うさ』を覚えた。
 確か、二次性が違ったはずだ。兄がΩで、今回標的になっている弟の方がα。そして、彼らは父親が違う。
 とはいえ、幼い頃から一緒に暮らしていた兄弟だ。兄の白夜はくやくんの方が先にΩ校に入学し、四年後に弟の光希みつきくんがα校に入学。お互いに寮生活なので、かれこれ五年近く会ってなかっただろうが、それにしても随分と仲が良い。いや、正直な感想としてはあまりに親密過ぎる。
 ソファに二人で腰掛けているが、白夜くんが不安げな表情で光希くんの背を撫でている。そして、光希くんは物憂げな様子で白夜くんに寄りかかっていた。
 しかし……兄弟なんだよな?
 思わず問い質したくなるくらいに二人は密着している。顔を見るとよく似ているので、間違いなく兄弟だというのは理解できるが……二次性が違う血縁者で許される距離じゃないだろう。
「あの小菅こすがさん、本当にみっくんは違うんです……!」
 不安げな顔のまま、白夜くんが訴えてきた。そうだ。話の途中だった。
「大丈夫。分かってますよ」
 光希くんを守るために来たんです、と何度も繰り返した答えをまた返す。
 理不尽極まりない訴えをされたせいで、今、この兄弟は引き離されそうになっていた。
 先方からの訴え自体は簡単に退けられそうな内容だ。DNA鑑定で容易に片が付くようなもの。だが、どうも彼らの状況が難しい。
 まず、彼らの母親――神崎かんざき紗月さつきさんが兄の白夜くんを産んだ時点では、彼女は誰の番でもなかった。白夜くんの血縁上の父親である田淵尚正なおまさ氏が噛むことを拒否して紗月さんの前から姿を消したからだ。
 白夜くんが生まれて以来、紗月さんは何度も田淵氏に認知を迫った。が、相手にされず結局逃げられてしまったのだそうだ。
 その二年後に紗月さんは東都新聞社に勤めている中澤芳光よしみつ氏に出会い、無事番として迎えられた。妾という立場ではあるものの、その後中澤氏との間に光希くんを授かり、白夜くんとともに母子三人で暮らしていた。
 中澤氏は実の息子である光希くんはもちろん、血の繋がりがない白夜くんのことも養育している。きちんと『家族』として接しているようだ。それもあってか、兄弟の仲も良好――いや、この近過ぎる距離を『良好』と取るかどうか悩むところではあるが。
 今回問題になっているのは、田淵氏が突然子供の認知を提案してきたことに起因する。それも、白夜くんではなく光希くんの方を、である。
 簡単に言えば言い掛かりの類だ。紗月さんと関係を持ち子供が出来たのを記憶していた田淵氏は、αなら認知したいと今更になって言い出した。恐らく、光希くんがαだとどこかで聞き及んだのだろう。
 そう。認知したいというのは光希くんアルファであって、実の息子である白夜くんオメガではない。
 光希くんは当然中澤氏が認知しているので、向こうの言い分などは通るはずもない。が、訴えられた以上は対応しなければならない。紗月さんが幸運だったといえるのは、妾の立場とはいえ番がいて、その番が責任をきちんと果たすαだったことだ。
 恐らく田淵氏も勝算なくこんな訴えを起こしたわけではない。紗月さんの立場では弁護士を雇えるかどうか怪しいと判断したのだろう。もしも反論できなければ、事実はどうあれ田淵氏有利に裁判が進んだであろうから。
 ただ、調査不足ではあったようだ。紗月さんに番がいること、光希くんがその番との子であることを知らないようで、訴状での言及はなかった。
「光希くんはお父さんに認知されていますし、すぐに事件も片付きます。だから、安心してくださいね」
 そう兄弟を宥める。白夜くんは明らかに安堵した様子で息を吐いていた。
「ここまでで、何かありますか?」
 ご両親の方には既に方針を伝えてある。こちらに一任すると仰っていたので、現在当事者である光希くんと、田淵氏の本来の息子である白夜くんに話を聞いているところだ。
「僕は大丈夫です。……みっくんは何かある?」
 白夜くんが弟に尋ねると、光希くんは少し考える素振りを見せて俺の方を見据えた。
「二人で話したいことがあるんですけど、いいですか」
 声変わりの最中なのか、僅かに掠れた声で問われた。そうか、この子はαだったな。兄にべったりだから、主張の少ない子だと勘違いしていた。
「ええ。構いませんよ。では……」
「僕、席を外します。……じゃあみっくん、頑張って」
 白夜くんが席を立ち、光希くんの頭を撫でる。弟とはいえ、α校に入学した少年に対する扱いとは思えない。過保護なその手を受け入れている光希くんの様子も含め、やはり距離がおかしい。
「うん。後でね、白夜」
 兄を名前で呼んでいるのか。父親が違うせい――にしては、距離を取っているようにも見えない。逆に距離を詰めるためか? 兄の方はともかく、弟の方はマズいのではないだろうか。流石に噛みかねないとまでは言わないが、性成熟したら過ちを犯しそうな……考え過ぎであることを祈るか。
 白夜くんが部屋を出るのを見送って、光希くんは姿勢を正した。……ああ。αだな。そして、ここからが本番なんだろう。
「今回の訴えは、俺の認知についてですよね」
 まだ十三歳だというのに、事態をきちんと把握しているようだ。αであるということを念頭に置いても、かなり聡明な子だと思われる。子供扱いは失礼に当たりそうだ。
「そうです。ただ、光希くんは既にお父さまに認知されているので、それを裁判所に伝えるだけでこの訴えは終わりになります」
 たったそれだけだが、代理人が立たなければ話が拗れる可能性があった。そのため弁護士として俺が関わることになったのだ。
「向こうが白夜……兄の認知に踏み切る可能性はありますか」
 白夜くんか……彼は田淵氏の子供だが、
「恐らく可能性は低いでしょう。先方はαの子供が欲しいようですので」
 残酷だが、濁さずに伝える。光希くんが恐れているのは、兄が実父から『要らない子供』扱いされることではなく、どちらかだけ認知されれば兄と離れ離れになるかもしれないということだろう。
 仮に白夜くんが認知されて別世帯になったとしても、母親が同じだから兄弟ではあるのだが……顔を合わせる機会が減るのは確実だ。あれだけべったり甘えている関係なら、嫌がっても不思議ではない。
「αの子供、か……」
「αである以上、世間からは特別視されます。田淵氏もそれを理解しているからαの子を求めているのでしょう。彼の子供は、知る限りでは皆Ωのようですから」
 こちらで調べた範囲ではそうだった。本妻との間に二人。余所で生ませた子供で認知している三人。そして白夜くん。全員がΩ性だ。
「その田淵氏は、実子を全員把握しているんですか? 俺が自分の子供かどうか、白夜が誰の子供なのか、その辺りも理解してないようですけど」
 なかなか手厳しい。兄に対する扱いを見ているからなのだろうが、面識もないというのに散々だ。
「単純に人数が多いので、把握できていないかもしれませんね。……もし仮に、田淵氏が白夜くんと同時に光希くんを認知したいと言ってきたらどうします?」
 兄弟が離れ難いなら、と懐柔してくる可能性を提示してみる。考え難い話だが、相手が養子縁組までしてくるかもしれない。その時の彼自身の意思を確かめておくのは重要だ。
 仮説とはいえ気分の悪くなるような話をしたからか、光希くんの眉がぐっと寄せられた。彼は癖のない整った顔立ちをしているのだが、表情を変えると感情がストレートに伝わってくる。相当ご不満な様子だ。
「白夜がどう言おうと断ります。白夜も渡しません。父は兄のことも自分の子供として接していますし」
 『渡しません』は、ご両親のセリフだと思うが……まあ、本人の意思を確認できてよかった。
「そうですか。いや、それが確認できてよかったです。ご両親も子供たちは渡さないと仰っていたので」
「子供たち、ですか」
「はい」
 答えると、光希くんの表情が和らいだ。こういう表情になると年相応だなと感じられる。α校に入れば否が応でも周囲から『大人の対応』を求められるようになるからな。子供らしい面は徐々に消えてしまう。
「ご両親は、二人とも大切な子供たちだと仰ってましたよ」
 αの目から見ても、中澤氏の決断は目を見張るものがある。妾の子――それも、自分とは血の繋がりがないΩを実子と同じように扱っているのだ。紗月さんが本妻であれば養子縁組もできたのだが、と呟いたのを見た時には、度量の大きさに感服した。
「俺も白夜も、この家で育ちました。他の家の子供になるなんて考えていません。俺たちを守ってください。よろしくお願いします」
 そう言って頭を下げた少年は、既にαの顔をしていた。


 田淵氏は想定以上にゴネてきた。可能性は低いと踏んでいた『二人まとめての養子縁組』まで提示してきたのだ。紗月さんが妾の立場だからとやりたい放題だな、と呆れるしかなかった。
 最終的には、光希くんが認知されている事実と中澤氏との親子関係の証明、それに白夜くんのDNA鑑定への同意を添えたところでようやく訴えは取り下げられた。
 終わってみれば本当に言い掛かり以外の何物でもない裁判で、そんなに田淵家はαに執着してるのかと哀れみすら覚えるほどだった。
「ありがとうございました」
 全て片付いた後、白夜くんが一人で挨拶に来た。そもそも生まれからして田淵氏に翻弄されたような子だ。今回の事件でも相当に消耗しただろう。
「いやいや、無事に解決して何よりですよ。白夜くんも光希くんも、これで安心ですね」
 仲の良い――良過ぎる気もするが――兄弟が離れ離れにならなくてよかった。そう思って言葉を掛けると、白夜くんは俯いてしまう。……何だ? まさか、田淵氏に『要らない子供』扱いされたことが気に食わないとか……
 そう不思議に思っていると、白夜くんが顔を上げて俺を真っ直ぐに見つめてくる。
「あの、小菅さん。小菅さんはα、ですよね」
 一瞬どう答えるべきか迷った。なにしろ、彼はまだ学生のΩだ。どういうつもりでそれを尋ねてきたのか。もし今浮かんだ想定通りの理由なら、安易に答えるのは躊躇われる。
「番はいらっしゃいますか」
 答える前に畳み掛けられる。想定通りなんだが、これは……
 今のところ、俺には番も婚約者も恋人もいない。時折α社会での遊び場である『交友会』に出るくらいで、そこでも交際に発展しそうなΩには出会えていない。完全にフリーではあるのだが、まさか終わった事件とはいえ依頼者のご子息に手を出すわけにもいかないだろう。
 正直困惑して白夜くんを見下ろす。――参ったな……弟の光希くんもだが、白夜くんもかなり整った顔立ちをしている。Ωということもあってか、柔らかい印象で愛らしい。口元、右側にあるホクロもチャームポイントにしかならない。番にするならこういう癒されるようなΩが……って、落ち着け。相手は十歳も下だし、第一まだ学生だ。
「番はいないよ」
 一応、嘘は言わない。が、だからといってこの子に手を出すつもりもない。
「でも、今は仕事が楽しいから考えられないかな」
 取りあえず躱さなくてはと内心焦る。焦るせいで砕けた口調になっていたのに気付いたのは後になってからだ。
「じゃあ、予約してもいいですか」
 ああもう、本当に真っ直ぐに……こんなに可愛い子なら、これからいくらでもいい出逢いがあるだろう。わざわざこんなオジサンに声を掛けてしまったら後悔するに違いない。
「先のことは約束できないな。白夜くんなら、もっといい人が――」
「いい人なんていません。いたとしても知りません。その、僕じゃダメですか……?」
 だから、その可愛らしい顔で上目遣いは止めて欲しい。強く拒否できなくなる。
「白夜くんは可愛いよ。だから、もっと若くていいαがね」
「少しでも可愛いと思ってくれてるなら、お願いします。妾でも構わないですから」
「ちょ、ちょっと待とう!? 妾なんて早まったらダメだ! まだ学生だよ!?」
 いや、妾腹だからそういう考えが出たのかもしれないが、いきなり妾でもと言い出すのは違うだろうに。
「でも……」
「でもじゃなくて! ……少し落ち着こう。君はまだ十七歳なんだ。慌てるような歳じゃない」
 まだまだ適齢期も先だ。学生ならば確実に守られているから、αとの経験すらないだろう。家族以外のαに会ったのも俺が初めてだろうと思われるくらいの子だ。そんなに焦る必要なんてない。
「卒業したら、いろんなαと会う機会もあるんだ。それから考えればいい」
 そうだ。こんなオジサンなんかじゃなくて……と卑屈な考えにもなる。流石に十も歳下の学生相手にどうこうしてやろうなんて思えるか。罪悪感しか湧かない。
「……学生だからダメなんですか」
「いや、それだけじゃなくて」
「まだ子供だからですか? Ωとして見られないって意味なんですか」
「だから、Ωとしてどうこう以前に俺は君と十歳も違うんだよ。こんなオジサンよりいいαがいっぱいいるんだから、あんまり急いで将来を決めなくても」
 どうして俺はこんな必死に自分を卑下してるんだか。呆れたが、前途ある若者の目を覚まさせるのも大人の役目だろう。……流石に十歳差はマズい。
「僕は小菅さんがいいです」
 そう言い切って、白夜くんは真っ直ぐに見つめてくる。パッチリとした大きな二重瞼の目が愛くるしい。いや本当にこの子は顔が整ってるな……αである弟の光希くんも然ることながら、白夜くんもかなりの美人だ。こんなに可愛らしいと間違いを起こしそうにもなる。
 頼むから保ってくれ、となけなしの自制心を奮い立たせて白夜くんと目を合わせる。長い睫毛に縁取られた目が潤んでいるのは反則だろう……口元のホクロすら魅力的に映るのは卑怯だ。
「そう言ってもらえるのはありがたいけど、一時の思い込みでこんなこと言われるのはちょっと困るかな」
 我ながら狡い逃げ口上だと思う。相手の気持ちを『思い込み』と言い切ってしまうのだから。
「まあ、卒業後にまだそういう気持ちが残ってたら、改めておいで。その時にはお茶くらい付き合うよ」
 完全に子供扱いであしらう。こっちに僅かでも気があると思われたら、この子は縋ってきてしまうだろうから。
 俺の意図を悟ってかどうかは知らない。ただ、白夜くんは悲しげに目を逸らして、
「……分かりました」
 とだけ答えた。


 神崎兄弟の事件が片付いてから二年半。父の下で弁護士として色んな事件を受け持ったが、彼らの事件は今思い返しても特殊だった。あれから似たような訴えが起こっていないか調べたものの、一件も見当たらない。流石に田淵氏も懲りたのだと思いたい。……これから先もない、と言い切れないのは恐ろしいところだが。
 俺が主に扱う事件は相続関係や親子関係の認知などに関するもので、割と安定して依頼がくる。父が離婚関係に特化しているからか、そちらから回される依頼もある。しかし、托卵の事案も増えたな……αΩ間なら番の子以外を孕むのは難しいから、こんなに騙されることもない。β男性は大変だな。
 正しく他人事として判決文をファイルに綴じた。親子関係不在の証明が成されたことで、原告側の男性は養育費の支払い義務から解放された。と、同時に彼は娘という存在をも失ったわけだ。
 同情はする。が、胸を痛めてはいられない。こういった事件は一つや二つではないのだから。
 段々と人間性が荒んでいくな、と内心自嘲していると、父に「尊文たかふみ」と呼ばれた。名前の方で呼ばれたということは、プライベートな用件だ。
「何です?」
「お前に客人が来てる」
 客人? 誰かが訪ねて来る予定はなかったと思うが。
 分かりました、とだけ答えて客人が案内されたという応接室に行く。相手が見知った友人であれば父も名前を言うだろうから、しょっちゅう顔を合わせている人物ではない。そもそも、彼らならまず電話なりメッセージなりで連絡があるだろうし……
 相手を推測しながら応接室のドアを開く。ソファに腰掛けている小柄な男性。振り返ってこちらを見た彼は、確かに俺の記憶に残る人物だった。
「小菅さん。お久しぶりです」
 立ち上がり、頬を染めながらはにかむ青年――Ωの彼は、二年半の歳月を経て愛くるしさを増していた。
「僕の『そういう気持ち』は変わっていません。お茶くらいからでいいので、お付き合いを始めさせてください」
 そう言って、神崎白夜くんは黒く輝く双眸に俺を映した。


 結論から言えば、彼の熱意に押し切られた。本音を言うなら、俺自身が彼の魅力に抗えなかった。
 本気で向き合わなければ、と覚悟したのは再会した日のことだ。俺が逃げを打ったその言葉を信じて、白夜くんは俺の元にやって来たのだ。もう大人のあしらいで済ませていい問題じゃない。
 改めて歳の差を口にすると、「もっと大人になれば気にならなくなります」と断言された。ご両親――紗月さんと中澤氏――は七歳差だそうで、身近な夫婦がそうであるなら気にならないというのも分かる。罪悪感は……まあ、あるけれど。
 交際を始めてみれば、白夜くんはとても健気で愛らしい。半ば強引に交際を迫ってきたとは思えないほどに、普段は奥ゆかしい子だ。
 付き合って二ヶ月。お互いの呼び方が「ハク」「尊文さん」と定まってきた頃に、結婚を意識するようになった。お互いの両親に挨拶も済ませ、式の計画も進める。
 ここまで事を性急に進めているのには、ハクの方の事情があった。
 一つはハク自身がお義父さまの血を継いでいないことだ。中澤さんは気にしないだろうが、ハクはいつまでも彼の庇護下にいるわけにはいかない、と悩んでいた。やはり、自分の出自を気に病んでいたようだ。
 なるべく穏便に、中澤さんに迷惑がかからないようにと配慮した結果、俺の元に嫁ぐのが無難だと考えるようになったのは自然な流れだ。
 俺は三十路も過ぎていたので、寧ろ晩婚になる。相手がハクであることに異論はないし、彼も俺がいいと言ってくれた。交際期間は短いが、そこに不安はない。
 それよりも大きかったのは、もう一つの問題、光希くんのことだ。
 初めて会った時に覚えた危機感は間違っていなかった。ハクと弟の距離は近過ぎたのだ。そして、ハク自身それを理解していた。
「……利用するような形になってごめんなさい」
 聞き出した時のハクの表情は忘れられない。泣き出しそうに体を縮めて、俺に謝ってきた。
「尊文さんのことは誰よりも愛してる。でも、みっくんは特別で……だから、離れなくちゃいけないって、ずっと」
 『特別』には、兄弟としての親愛以外の何かが含まれている。それは、恐らく光希くんも同様に。
「謝らなくていいよ。ハクの気持ちを疑ってるわけじゃないし、焦ってた理由がそれなら仕方ない」
 宥めてその小柄な体を引き寄せる。男性といえどΩだ。こんなに細い肩でどれだけの重圧に耐えていたのだろう。
「……僕がαなら……みっくんと二次性が同じなら、こんな風に悩んだりしなかったのに……なんで……っ」
 ハクは俺にしがみついて肩を震わせる。二次性が同じなら、きっと『仲の良い兄弟』でいられたのだろう。ずっと支え合うこともできたかもしれない。二次性が別だったから。離れなければならないという縛りができてしまったから。だから余計にお互いへの執着が生まれたのか。
「ずっと悩んでたのか」
 言葉をかけると、躊躇うような間を置いて頷く。今、ハクは後悔に苛まれているのだろうか。それとも、全てを曝け出したことで安堵しているだろうか。どちらにせよ、俺はそれに不満を覚えられるほど子供でもない。
「心配しなくていい。それも全部まとめて、俺はハクと番になるよ」
 そう。ハクが求めてくれるのなら、俺は躊躇なく彼の人生全てを手に入れる。光希くんには悪いが、兄弟としての関係以上には進ませない。
 これはもうハクだけの願いじゃない。俺の願いでもある。彼ら『兄弟』の形を正して、俺はハクと番になる。きっと、それが彼らにとっても良い結果になるはずと信じて。
「二人で幸せになろう。愛してるよ、ハク」
 誰よりも先にハクに誓う。潤んだ瞳を細めて頷く彼を、俺はもう一度きつく抱き締めた。


 準備を整える内に時間は過ぎて行き、ようやく式を挙げられたのは十月の初旬だった。
 秋晴れの中で結婚式と細やかな披露宴を行う。周りから派手な祝福を受けて、幸せな家庭を築かねば、と改めて決意を固めた。
 その祝福ムードの中、一人だけ俺に鋭い視線を向ける少年がいる。無表情にも拘わらず、無駄なく整ったその顔があからさまに俺に敵意を向けてきていた。義弟となった光希くんだ。
 式の前夜、光希くんに呼び出されて二人きりで話した。正確に言うなら、彼に詰められた。いつからの関係なんだ、事件の関係者に手を出すとはどういうつもりか、年齢差は考えてないのか、等々……
 声を荒らげるようなことはなかったが、彼は畳み掛けるように詰ってきた。一見論理的で真っ当な物言いではあったが、その根底には兄を取られた怒りが見えていた。
 彼の怒りを受け止め、事実を返した。事件が終わった直後にハクから告白されたことも、卒業後彼が訪ねて来たのを受け、俺も真剣に向き合ったことも。年齢差についても、お互いに話し合って納得の上婚約したんだ、と。
 どれだけ説き伏せても、「けど」「それでも」と光希くんは食い下がってきた。そうだろう。彼は仲の良い兄を取られた弟としてではなく、一人のαとしてオメガを奪われた憤りと焦りに突き動かされているのだから。
「この結婚は誰でもなく、ハク自身が望んでいるんだよ。光希くんはそれを壊すつもりなのか?」
「――っ」
 見たくないだろう現実を突き付ける。そうしなければ、光希くん自身が苦しみ続けるだけだ。今こうして痛みと向き合って乗り越えなければ、いつまでも諦めがつかないだろう。ここで彼とハクの関係を『兄弟』と定めなければ。
「俺はハクを幸せにする。彼だってそれを望んでいるんだ。光希くんは、ハクをとして祝福してやれないのか」
 敢えて『弟』という言葉を強調する。ハクの覚悟と決断を無駄にできない。彼は『兄』として正しく光希くんと向き合うことを願っているのだ。
 光希くんは俯いて、ぐっと奥歯を噛み締めていた。その綺麗な顔を歪ませているのが、怒りなのか哀しみなのか。俺には読み取ることができない。ただ、遣る瀬のない苦しさだけは、痛いほどに伝わってきた。
「アンタなんか、大嫌いだ……!」
 絞り出したのは、罵倒ともいえないような、子供染みた言葉だった。
「けど、白夜は……絶対幸せに、してください……」
 途切れ途切れの掠れた声。俯いたまま、白くなるほどに握り締めた彼の拳が小さく震えていた。
「約束する」
 そう答えた。そうとしか答えられなかった。どれだけ言葉を尽くしたところで、俺が彼の大切な人を奪い取ったことは変わらない。まだ少年であるαがたった一人と願っていたΩを、俺が奪ったのだ。全て理解した上でそれを誇れるほど俺は傲慢じゃない。況して、傷付いた少年をこれ以上追い込むような真似など。
 光希くんは一礼して、俺に背を向けた。地を濡らした雫の跡から、俺はそっと目を逸らすしかできなかった。
「…………」
 彼の敵意は、受け止めないとならないんだろうな。
 昨夜の記憶を辿って、諦めるしかないと悟る。できれば義兄弟として良い関係を築いていきたいのだが。
 今後が思い遣られるな、と考えていると、左腕にそっとハクの手が触れた。
「どうしたの、ハク」
 声を潜めて尋ねると、彼ははにかみながら「ちょっと甘えたくなっちゃった」と囁いた。
 ……年甲斐もなくこの場で幼妻を抱き締めたくなったが、披露宴が終わるまで我慢だ。
 どうにか歳上の余裕を取り繕って、テーブルの下で手を繋ぐ。晴れの舞台である披露宴だが、早く終わらせて二人だけの新婚生活を過ごしたいと願ってしまった。


 ハクとの生活は穏やかで幸せに満ちていた。
 独身貴族で自由を謳歌していた分、二人の生活は窮屈に感じないだろうかと不安だったが、すぐにハクのいる毎日が当たり前の日常として馴染んだ。
 仕事を終えて帰ると可愛らしい番に癒やされる。結婚したことでこんなに日々が充実するとは思ってもみなかった。お陰でハクを一層大切にしようと気持ちを新たにできたし、護るべきオメガがいれば仕事にも身が入る。家庭を持つと人は変わるんだな、と妙な感慨も浮かんできた。
 結婚から一年半が経過した頃、光希くんがα校を卒業した。年始の顔合わせの際には進学ではなく就職するとだけ聞かされていた。ただ、何の職に就くのかは教えてもらえない。彼はハクにすら進路を秘密にしていたが、お義父さまは知っているようだった。
 そこから更に一年。ハクが俺の子を宿した。臨月の大きなお腹を抱える彼が愛おしい。
 診察のため産院に彼を連れて行く。Ωも診てくれる所だからか、待合室には男性の妊夫の姿もある。ハクはそこに安心したようで、リラックスした様子だ。
 αが普段来るような場所でもないからか、いまいち落ち着けないな、と考えていたその時。
「みっくん……!?」
 ハクが一点を見つめて口元を押さえていた。
 彼の視線を辿ると、大きなテレビ画面がある。そこには男性アイドルグループが――
「み――っ!?」
 大声を上げそうになり、ハクに次いで俺も口元を押さえた。画面には見覚えのある少年――いや、青年。
『今年二月にデビューしたαアイドルグループSPlendid.スプレンディド。メンバーの三人が当番組のインタビューに応えてくれました』
 明るい声で女性アナウンサーが示す先。その三名の中に髪をアッシュグレーに染めた光希くんがいた。
 他人の空似ではない。顔だけじゃなく背格好も声もそのまま光希くんだ。
『――そうなんですよ。なんか僕だけ弟扱いで』
『レイくんって実際にお兄さんいるし、弟ポジションが板に付いてるよね』
『ネオくんもお兄さんいるじゃん!』
 レイくん、と呼ばれているが、芸名なのだろうか。無邪気な顔で隣にいるネオくんに文句を言う姿は、ハクと話している時の光希くんそのままだ。――俺はこんな笑顔を向けられたことはないけれど。
「……みっくん、だよね……?」
「……たぶん……?」
 思わずハクと顔を見合わせて確認する。光希くんで間違いない。兄と顔を合わせている時以外の彼とはまるで別人のようではあるが。
 どうなっているのかと二人で困惑していると、
「小菅さん、診察室にどうぞ」
 と、看護師さんから声がかかった。


 産院のテレビで光希くんを見つけてから、ハクと一緒にSPlendid.について調べた。
 α男性三人のグループで、メジャーデビューしたのが今年の二月十四日。メンバーはリーダーをしているネオとディア、レイの三人で、彼らはα校からの友人でもあるらしい。
 公式サイトではそれぞれのアイドル名の下に本名も記載されていた。レイの本名は『神崎光希』――間違いなく彼本人だ。
「アイドルかぁ……」
 二月の初めに会った際には既に髪を染めていたが、その時にも何の仕事に就いているかは教えてもらえなかった。その理由がメジャーデビュー前だったからだというなら納得できる。新聞社に勤めているお義父さまが先んじて知っていた様子だったのも。
「僕、応援しなきゃ」
 ハクの言う『応援』が兄としてなのか一ファンとしてなのかは気になるところだが……
「そうだね。光希くんも喜ぶと思うよ」
 義弟が自立したのだから、俺は祝福するべきだろう。


 それから歳月が過ぎ、俺とハクの間には三人の子が生まれた。三児の父として忙しく立ち回る内に個人事務所を構えられるようにもなった。
 ハクは子供たちに振り回されながらも日々楽しそうだ。時折SPlendid.のライブや『レイくん』の握手会にも行っている。忙しい兄弟が顔を合わせられる少ない機会なのだから、俺は目を瞑るしかない。
 SPlendid.の勢いは目を見張るものがあった。メンバー全員がα男性という話題性もあるし、お義父さまのバックアップも大きい。デビュー直後から現在も大手新聞社のCMに起用されているのは、異例の待遇だといえる。
 メンバー三人の中では控えめな主張をしていた光希くんだが、二年前にドラマ出演してから一気に存在感を増した。彼が出演している回を観たが、まさか主演のベテラン俳優と並ぶほどの演技力を見せつけられるとは思っていなかった。
 そんな目覚ましい活躍をみせる『レイくん』だが、まさか、俺の受け持つ事件に関わることになるとは微塵も想像していなかった。


「みっくんの部屋に行くのも久しぶりだなぁ」
 助手席で笑顔を浮かべる番は、レイくんのファンではなく兄の顔をしている。
「仕事で、っていうのは残念だけどね」
 これで三度目の訪問か。俺一人では部屋まで入れてもらえないだろうし、光希くんの注意を引いておくためにはどうしてもハクの存在が不可欠だ。できるだけ番を仕事に関わらせたくはないのだが、今回ばかりは仕方ない。
「子供たちもみっくんに会いたがってたけど、お仕事だしもいるから無理だよね」
 前方に目を遣りながらハクが言う。光希くんはウチの子供たちを可愛がってくれるし、子供たちもよく懐いてはいるのだが、今日は仕事込みの話なので連れては行けない。ひとまず、今は俺の母に預かってもらっている状況だ。
「……飛鳥あすかくんかぁ……どんな人なんだろ」
 今回訪問する目的は、依頼者が妾に生ませた息子――田淵たぶち飛鳥氏に会い、可能ならば話を聞くというものだ。彼はハクの実父である田淵尚正氏の姉の子で、ハクの従弟にあたる。
 依頼者であるさかき氏は妾と息子に対する責任としてこれまで生活費を出していた。が、どうやら息子の飛鳥氏が二年以上前から実家を出ているという情報が入ってきたらしい。
 俺への依頼は、もし不当に生活費を支払っていたのならばその返還を求めたい、というものだった。
 榊氏が雇った興信所の調査によって、飛鳥氏が家を出て行ったこととその時期、更に現在の職業と居住地を突き止めた。ただ、彼は住民票の移動をしていないらしい。書類上、田淵飛鳥は未だ実家暮らしだ。
「お店の子から聞いた限りでは、人当たりがよくてよく気が付くいい子らしいよ」
 お店――脱法風俗店とでもいうべきか。居場所を失くしてしまったようなΩの子を集めて、体を売らせている店だ。建前では『パートナーのいないΩが発情期を乗り切るために、αと出会う場所を提供している』ということになっているが、客層にはβ男性もいるし、店に出ているキャストは必ず発情期というわけではない。そんな店に勤めなければならないような状況なのだろう。
「……お店……」
 ハクが小さく呟く。彼は大切に育てられてきたからな……風俗店のような薄暗い社会は理解できないのかもしれない。
「色々と事情があるんだろうね。実際に会ってみないとどんな子かは分からないな」
 なるべく当たり障りのない言葉を選ぶと、ハクは慌てたように首を振る。
「あ、違うの。えっと、飛鳥くんがそういったところで働いてるのは別に気にしてないよ。Ωだから、発情期が辛いのも分かるし。ただ、その……みっくんが……」
「光希くんが?」
「赤ちゃんの頃から知ってるから、そういうお店使ってるの変な感じがしちゃうっていうか……」
 そういう店……ああ、性的な部分は確かに簡単に触れられる話題じゃないか。況して二次性が違う兄弟で、異性であることを意識した仲なら尚更に。
「光希くんもαだからね。理解はしてあげないと」
「うん……うん、そうだよね……僕だって結婚して子供たち生んだんだし」
 両手で赤くなった頬を押さえながら言われる。そこはかとなく罪悪感が湧くのはどうしたものか。
「まあ、彼は表向きハウスキーパーとして雇われてるからそう扱ってくれると助かるかな。家政夫だと思えば光希くんが雇っててもおかしくないだろうし」
 『レイくん』はかなり忙しい。撮影や収録がない時でもダンスレッスンやボイストレーニングなどを受けているとか。アイドルはそんなに忙しいものなのかと義弟を見て驚いたくらいだ。
「そっか。家政夫さん……えっと、偽名使ってるんだよね?」
「そうだね。偽名の方は挨拶の時に聞けると思うよ」
 恐らく本名は光希くんも聞かせてもらえないだろう。そこは風俗店として徹底しているだろうから。
「分かった。うっかり名前で呼んだりしないように気を付けるね。……田淵家の関係者だってみっくんが知ったら、偏見持っちゃうかもしれないし」
 どこか影のある表情でハクが言う。生まれのことについてずっと悩んでいたのだから仕方ないのだが……ハクには何の責任もない。そして、恐らく飛鳥氏も同様に。彼らは、きっと必死に生きてきただけなのだ。
「光希くんは賢い子だから、知っても大丈夫じゃないかな。ハクとだって、あの事件の後も大切な兄弟として過ごしてきてるんだし」
 出自だけで人を判断するような早計なαじゃない。そう言い聞かせて手を握ると、ハクは「うん。そうだよね」と頷いた。離れて暮らしていても、弟のことは信頼しているだろう。何なら、俺に対する信頼と同じくらいに。
 まだ彼に対して嫉妬心が残ってるのか、と内心苦笑しながら義弟の元へ向かう。今彼が囲っているだろうΩの子が、彼を支える『神崎光希だけのΩ』になってくれればいいが、と僅かな期待を抱きながら。

── 了 ──

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