深夜零時を回ったマンションの一室。
スマートフォンの画面が、暗闇の中で青白く浮かび上がっている。
大学生の佐藤真由美は、ベッドに横たわりながら動画アプリをスクロールしていた。
通知が一つ届く。確認する。
また一つ。確認する。
おすすめ動画。タップする。
関連動画。タップする。
気がつけば、壁の時計は午前二時を表示していた。
「……もう寝なきゃ」
真由美は這うようにしてアプリを閉じた。
目を閉じる。
三秒後。
──ブルッ。
スマホが震えた。画面を見る。
【重要】セキュリティ更新のお知らせ
「今じゃなくていいのに……」
スマホを裏返して伏せる。
──ブルッ。
【あなたへのおすすめ】
──ブルッ。
【速報】
──ブルッ。
【既読がついてから3時間が経過しています】
──ブルッ。
【確認してください】
──ブルッ。
【確認してください】
──ブルッ。
【確認してください】
真由美の指は、すでに自分の意思を離れて動いていた。
気付けば彼女はベッドの上であぐらをかき、両手でスマホを凝視している。
画面の向こう。無数の通知アイコンの奥。
巨大な車輪が回転していた。
機械仕掛けの車輪。無数の画面。無数の未読。
中央にある苦悶する人面が、ぎょろりと真由美を見据えた。
歪んだ口が開く。
«「まだあります」»
三日前。
「なるほど。一晩で通知が千件ですか」
現代妖怪調査員・紫兎(しう)は、依頼人のスマホを覗き込んだ。
後頭部でまとめた小さなお団子ヘアが揺れる。頭上には、青紫色のバニー耳型ホログラムが淡く発光していた。
真由美は青い顔で頷く。
「最初は普通の通知だったんです。でも、どんどん増えていって……怖くなって通知を全部オフにしたんです。そしたら今度は……聞こえるんです。頭の中で、あの通知音が」
紫兎の表情から、いつもの軽薄さが消えた。
「幻聴、ですか」
「それだけじゃないんです」
真由美は震える声で続けた。
「最後に時計を見たのは夜の十一時なんです。でも、翌朝スマホの使用履歴を見たら……私、朝の四時までずっと画面を操作し続けていたことになっていて。その五時間の記憶が、まるでないんです」
紫兎の傍らで浮遊していた、提灯お化け型の自律メカ――通称『ガジェット』が、デジタルお面のような顔を歪めた。
(ガジェット:;▽;)
「それはまずいですね」
紫兎は真面目な声で言った。
「単に注意力を引くだけじゃない。行動そのものを乗っ取り、人間の『時間』を喰い始めています」
しかし次の瞬間、彼女はいつもの人懐っこい笑顔に戻る。
「でも大丈夫ですよ! しっかり原因を突き止めましょう!」
調査は翌日から始まった。
紫兎は真由美のスマホに専用の解析アプリをインストールし、通信ログを走らせる。
数分後、キーボードを叩く彼女の指がぴたりと止まった。
「……あ」
「ど、どうしたんですか?」
「佐藤さん。一週間であなたが通知に反応した回数……二万三千四十二回です」
真由美は言葉を失った。人間の限界を遥かに超えている。
(ガジェット:!?)
「完全に怪異の仕業ですね。しかも、現代の電脳網を苗床にして、結構な大きさに育っている個体です」
翌夜。
紫兎は事務所で資料を整理していた。
壁一面に広がるホログラムモニターが明滅し、ガジェットがサーチライトのように周囲を照らしている。
「『輪入道(わにゅうどう)』ですかね、ベースは」
(ガジェット:・▽・)
「昔は魂を抜く、燃える車輪の妖怪でした。でも、今の時代に合わせてアップデートされちゃったみたいです。いわば――」
紫兎は禍々しい波形を描く通信ログを指差した。
「現代人の『可処分時間』と『承認欲求』を喰う妖怪です」
ガジェットが怯えたようにしぼむ。
(ガジェット:;▽;)
「怖がらなくて大丈夫ですよ。実体がない分、物理的な攻撃力は低いはずですから」
その時、紫兎のポケットでスマホが激しく震えた。
【おすすめ】
【重要】
【未読メッセージ】
紫兎はじっと画面を見つめる。
ガジェットが慌てて割って入った。
(ガジェット:!?)
「大丈夫ですって! 見ませんから!」
二日後、深夜一時半。
人気の途絶えた公園のベンチで、紫兎はノートPCを開いていた。
「近隣の睡眠障害発生率が通常の三倍。ヒアリングの結果、全員が異常な通知被害に遭っています。……ビンゴですね」
その時、ガジェットが全周囲センサーを赤く発光させ、飛び上がった。
(ガジェット:>□<)
ジャングルジムの上が、ぐにゃりと歪む。
夜の闇を引き裂いて、巨大な車輪が現れた。
直径三メートル。
車輪のスポーク部分はすべて、明滅する無数のスマホ画面で構成されている。
【未読】【未読】【未読】【未読】――。
中央の不気味な人面が、紫兎を捉えた。
「うわっ、近くで見ると本当にでっかいですね!」
輪入道が激しく回転を始める。
同時に、紫兎のスマホが狂ったように震動した。
【緊急】ガジェットに重大なシステム障害
「えっ!?」
思わず画面を開きかける。さらに通知が重なる。
【緊急】依頼人・佐藤真由美の生命反応低下
【緊急】個人情報流出・拡散の可能性
紫兎の指が、画面の「確認」ボタンの数ミリ上で止まる。
(ガジェット:>□<)
ガジェットが体当たり気味に紫兎の手元へ突っ込み、スマホを跳ね飛ばした。
スマホは芝生の上を転がる。
「……ふう、危なかったです。ありがとう、ガジェット」
紫兎は深く息を吐き出した。
「人間が一番拒絶できない『重要そうな嘘』を突くのが、あなたの能力なんですね」
輪入道が耳障りな電子ノイズを響かせて嗤った。
«「見ろ」»
«「確認しろ」»
«「まだある」»
«「今だけ」»
«「重要」»
«「緊急」»
周囲の空間に浮かぶ無数の仮想画面が一斉に点灯し、紫兎を包み込む。
「でも、攻略法は見つけました」
紫兎は静かに立ち上がった。
「あなたの能力は重要度の偽装。でもね――全部を重要にしたら、何も重要じゃなくなるんですよ」
輪入道の回転が、一瞬ピタリと止まった。
「だからあなたの弱点は、『優先順位の整理』です」
紫兎は予備の端末を取り出すと、迷わず電源ボタンを長押しした。
液晶が暗転し、完全に沈黙する。
「まず、ノイズを全部切る」
輪入道が不穏に揺らぎ始めた。
«「なに……を……」»
紫兎が懐から数枚の呪符を取り出した。幾何学的な回路が描かれた『通知遮断札』だ。
それを手元の端末やノートPCへ素早く貼り付ける。
さらに、ひときわ大きな札をジャングルジムの支柱へと叩きつけた。
「エリア通知遮断、起動!」
札が青白い光を放ち、不可視の障壁が公園全体に広がった。
その瞬間、押し寄せていた電波の奔流が遮断される。
公園の街灯が、自動販売機が、近くの監視カメラが、すべてのネット接続機器が一斉に沈黙した。
寄生する電波を失い、輪入道が苦悶の声を上げる。
«「まだある……」»
«「まだ、ある……」»
無数の画面が『圏外』を表示し、一枚、また一枚とシャットダウンしていく。
«「みて……くれ……」»
ノイズが消え去った静寂の中で、紫兎はそっと目を見開いた。
「……そういうことでしたか」
輪入道は小さく震えていた。
«「みて……おれを……みてくれ……」»
「本当は、ただ誰かに自分を見てほしかったんですね。誰も見てくれないから、システムを乗っ取ってまで、無理やりこっちを向かせようとした」
輪入道の回転が完全に止まった。
巨大なデジタル車輪が、霧が晴れるように急速に縮んでいく。
三メートル、一メートル、五十センチ……。
光が完全に収まったあと、地面にはぽつんと、手のひらサイズの古びた木製の車輪だけが転がっていた。
「お疲れさまでした」
紫兎はそれを優しく拾い上げ、封印の結界袋に収めた。
後日。
「怪異は無事、封印できましたよ」
事務所を訪れた真由美の顔色は、すっかり健康的な赤みを取り戻していた。
「本当に、ありがとうございました。あのあと、泥のように眠れて……」
「でも気を付けてくださいね。今回は妖怪の仕業でしたけど、彼らは人間の隙に付け入るだけですから」
「どうすれば対策できますか?」
紫兎は自分のスマホを取り出し、画面を見せた。
「寝る一時間前は見ない。通知は本当に必要な連絡手段だけ。そして――」
画面の設定項目を指差す。
【アプリの通知:オフ】
真由美は目を丸くした。
「えっ、仕事の連絡とか困りませんか?」
「本当に緊急なら、メールじゃなくて電話が来ますよ」
紫兎は悪戯っぽく笑う。
「妖怪より何より怖いのは、人間の『やめられない習慣』ですからね」
(ガジェット:>▽<)
「それでは、お大事に!」
真由美が席を立ち、帰り際に思い出したように振り返った。
「あの、調査料のお支払いは……?」
「あっ」
忘れていた、という風に紫兎がポンと手を叩く。そして、にっこりと笑った。
「請求書、メールで送りますね。――その通知だけは、オンにしておいてください」
(ガジェット:!?)
真由美は思わず吹き出し、今度こそ笑顔で事務所を後にした。
見ろという車輪
現代妖怪ファンタジー・社会風刺
"スマホの通知は、現代人の承認欲求を喰らう妖怪だった。"
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