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悪意の飼い主

ボビー

2,949 字

現代ファンタジー・社会派

"ネットの悪意が具現化する時、本当に救うのは、目の前の言葉だ。"

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深夜二時。

ネット空間の薄暗い片隅で、一人の少女が息を詰まらせていた。

「やめて……もう、お願いだからやめて……!」

人気動画配信者・星川リリの配信ページは、底なしの悪意で埋め尽くされていた。

『死ね』

『不快』

『詐欺師』

『消えろ』

『人生終わったな』

たった一度の言い間違い。

それだけを燃料に、文字の暴徒たちは増殖を続けている。

リリはモニターの前で震えていた。

その時だった。

高速で流れるコメント欄の隙間。

バグのように歪んだ画面の奥から、二つの赤い瞳がこちらを見返していた。

黒い電子ノイズの塊。

まるで獣のような影。

それはゆっくりとディスプレイの内側からこちらを覗いていた。

翌日。

「というわけで、新規の現代妖怪案件です!」

事務所で紫兎が元気よく宣言した。

青紫色のバニー耳ホログラムが楽しそうに明滅する。

「リリちゃん、精神的にかなり追い詰められているみたいです」

(ガジェット:・▽・)

「早めに助けないとですね!」

リリの自宅マンション。

紫兎はARスキャンを起動した。

すると見えてきたのは異様な光景だった。

建物全体に張り付く電子掲示板。

現実には存在しない誹謗中傷の落書き。

『悪魔』

『嘘つき』

『消えろ』

『引退しろ』

怨念のような文字列が、壁面から黒い煙を垂らしている。

「うわぁ……」

紫兎が顔をしかめた。

「これは酷いですね」

部屋へ入る。

カーテンは閉め切られていた。

リリは布団に包まり震えている。

「リリちゃん?」

「現代妖怪対策調査員の紫兎ですよ」

リリは怯えた目で見上げた。

「……あなたも私を叩きに来たの?」

「まさか!」

「助けに来たんですよ!」

紫兎が笑顔を向けた瞬間だった。

部屋中の画面が明滅した。

テレビ。

スマホ。

タブレット。

パソコン。

全てのディスプレイから黒い電子煙が噴き出す。

『コロセ』

『キエロ』

『ネットカラ消エロ』

黒い煙は部屋の中央へ集まり、一つの巨大な獣へ変わった。

黒狼。

全身を電子ノイズが覆っている。

赤い瞳。

巨大な牙。

現代妖怪――犬神。

「おおっ!」

紫兎の目が輝く。

「でっかいワンちゃんですね!」

(ガジェット:!?)

犬神が咆哮した。

その瞬間。

何千人もの罵声が紫兎の脳内へ流れ込む。

『いい気になるな』

『お前も叩かれろ』

『黒歴史全部晒してやろうか』

「ひゃうっ!?」

紫兎が耳を押さえる。

「だ、大丈夫です!」

「中学時代の黒歴史ノートくらいしかありませんから!」

(ガジェット:;▽;)

だが次の瞬間。

ガジェットが警告を表示した。

【警告】

【対象:星川リリ】

【精神侵食率:89%】

【社会活動停止予測】

【48時間以内】

紫兎の表情が変わる。

「まずいですね」

「このままだとリリちゃんが社会から切り離されます」

犬神はリリへ向かって飛び掛かった。

「させません!」

紫兎が飛び出す。

リリの前へ立ちはだかった。

「ガジェット!」

「回線遮断!」

(ガジェット:>□<)

ルーターが火花を散らす。

通信が切断される。

スマホは圏外になる。

しかし。

犬神は消えなかった。

『消エナイ』

『マダ悪意ガアル』

『マダ終ワラナイ』

犬神はさらに巨大化した。

紫兎は息を呑む。

「そうか……」

「あなた自身が悪意なんじゃないんですね」

犬神が止まる。

「人間が投げ捨てた悪意を」

「全部押し付けられていたんですね」

犬神の瞳が揺れた。

初めて迷いが見える。

「だったら!」

紫兎が笑った。

「攻略法、見つけました!」

犬神の本質。

それは群れ。

命令に従う存在。

ならば。

命令を書き換えればいい。

「ガジェット!」

「コア解析お願いします!」

(ガジェット:>▽<)

ホログラム展開。

解析開始。

【古代犬神プロトコル検出】

【服従コード残存】

「やっぱり!」

「根っこは忠実な犬なんですね!」

紫兎は小型ドローンを射出した。

犬神へ強制接続。

ハッキング開始。

「リリちゃん!」

「スマホを出してください!」

「え……?」

「ネットへ投稿するんじゃありません!」

「本物の声を届けるんです!」

リリは震えながらスマホを構えた。

犬神を見る。

恐ろしい怪物。

そう思っていた。

でも違った。

よく見ると。

とても疲れている。

とても苦しそうだった。

リリは震える声で言った。

「いい子……」

「暴れちゃダメだよ」

「いい子だから……」

その瞬間。

犬神のノイズが止まった。

『ヨイ……コ……?』

紫兎が笑う。

「そうです!」

「あなたは悪意なんかじゃありません!」

紫兎は右手を差し出した。

「お手!」

犬神の瞳から赤い濁りが消える。

かつて人間に愛されていた頃のような。

優しい目。

『クゥン……』

犬神の身体が光へ変わる。

電子ノイズが崩れる。

最後に小さく鳴いた。

『アリガトウ』

そして消えた。

数日後。

青空の下。

カフェのテラス席。

リリは笑顔を取り戻していた。

「ようやく普通に外へ出られるようになりました」

「よかったです!」

紫兎も笑う。

リリが帰った後。

紫兎はオレンジジュースを飲みながら空を見上げた。

「画面の向こうの言葉って強いですね」

(ガジェット:・▽・)

「でも」

「本当に人を救うのは」

「やっぱり目の前の言葉なんだと思います」

ガジェットが静かに頷いた。

「だから私も」

「ちゃんと面と向かって伝えるようにします!」

青紫色のバニー耳ホログラムが明るく輝く。

紫兎の調査メモ

犬神は悪意そのものではありません。

人間が投げ捨てた悪意を押し付けられた存在です。

本当の問題は妖怪ではなく、その餌を与え続ける人間側にあります。

画面の向こうにも人がいます。

どうか忘れないでください。

(了)

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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