私は雷が嫌いだ。不穏な真っ黒な雲、稲妻の青い光、どおんと轟く音、──そのすべてが、私の心を狂わせる。烈しく降る雨の音を聞く度、ああ、雷が鳴らなければいいが、と不安になる。そしてぴかと空が光ると、まるで世の中が一瞬で終わるような心もちになる。気づけば、神様おたすけ下さいなどと、普段神仏を信じない癖に、自然口から洩れている。この時ばかりは賽銭箱に五円ではなく、五千円位入れたくなる。そうして地面が震えるような音が鳴ると、びくと身体が動き、愈世界が終わったように思う。けれどもその後の烈しい雨に、不幸にも私の意識は現実に返される。そうして又稲妻の光に驚かされるのである。
雷が鳴り始めるといつも私は窓のカーテンをしめて、昼間でも部屋中の電燈を明々とつける。少しでも稲妻の光を紛らす為の苦肉の策であった。そうしてイヤホンを耳につけて、大音量で音楽を流した。が、稲妻の光はカーテン越しにはいって来るし、イヤホンをつけていても振動を通じて聞えて来る。私はひたすら、気象庁の出している「ナウキャスト」という五分おきに更新される天気レーダーを見ながら、心の中で必死に雷雲の過ぎるのを祈っていた。
しかし雷はまったく気まぐれなもので、十分で過ぎ去る時もあれば、三十分、一時間、二時間となかなか過ぎない時もある。私はこの違いをレーダーを見ながら思案してみたりした。そうしてどうやら雨の強さと連動しているらしいことを突き止めた。レーダーは雨の弱い順に、薄水色、水色、青、紺、黄色、橙色、赤色とカラフルに表示される。そして雷が鳴る時は大体黄色以上の時であった。特に赤色の時は酷い。そこからこれは恐らく積乱雲の発達ぐあいに関連しているのであろうと推察した。積乱雲は発達すると、雲中の塵や氷の粒が擦れに擦れて静電気が発生する。これが大体の雷の原理だ。つまりこの積乱雲が発達しなければ発達しない程、雷は鳴らなくなる訳である。
そして積乱雲自体は風に乗っている。これはレーダーを見ているとよくわかる。風に沿って南から北へ動いて行く。まったくあんな大きい夏の雲が、(遠いところから見た積乱雲はかなり縦に大きくていつでも私に壮大な印象を与える。)風に乗って軽々と移動するのはどうにも不思議である。
又積乱雲は一時間程で自壊すると言われる。けれども自壊した後でも気流や水分は残るから又新しい積乱雲を作り出す。作らなくても好いのに子分を残す。これが長々続く仕組みなのだ。
しかし仕組みがわかったとて、怖いものは怖い。昔からよく、人は得体の知れないものを恐れるというが、その得体を知っていても、怖いものはやはり怖いと私は思う。少なくとも私は雷でそれを痛感している。そういえば雷は神鳴とも書く。──人類は自然を神と崇める前から、遺伝子的に自然を恐れるように出来ているのではなかろうか。かつて動物は、いや、もっと小さいプランクトンの時から、──などと思っている間にも又窓の外が光った。ああ、桑原桑原。
雷
内省的掌編
"雷鳴に怯え、科学に縋る、現代人の根源的な恐怖と知性の葛藤。"
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