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幸福禁止令

こうよう

5,031 字

現代ディストピア小説、青春純愛悲劇

"幸福を禁じられた世界で、少年少女は愛を選び、そして散る。"

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「今朝のニュースです。……」

 僕はいつもの通りトーストをオーブンから出して白い皿の上に置いた。茶色く焦げ目のついたトーストは、部屋中にその香ばしい匂いを伝えている。

「"幸福禁止令"が政府より発表されました」

 僕の耳に幸福という言葉が入ってきたことに驚いて、テレビを見た。黒い枠の中には「しあわせは禁止」と大きくテロップが貼られていた。耳を傾けてみると、幸福になるということは他人を不快にさせるからという理由から法律によって禁止されるという話だった。禁止と言っても罰金刑だが……。人を不快にさせることは駄目、いつしかそんなことが言われはじめた。性的な表現の禁止、人をイジることの禁止、あだ名の禁止、──いつの間にかカラッと焼けていたトーストは水分を含んで柔らかくなっていた。
 僕は真っ黒な学ランに身を包んで家を出、目の前のT字路を右へ曲がった。すると後ろからバタバタと軽い足音とともに少女の声が聞こえた。

「優くん」

 振り返ると、紺色に白い襟のついたセーラー服を着た、ミディアムボブの白い顔のSが駆けてきていた。隣に住んでいるSとはむかしからの幼馴染だった。

「今日のニュース見た?幸福禁止令ってやつ」
「うん、見た」
「笑っちゃうよね、ひとを不快にさせるからだって。そんなの勝手に不快になればいいのに」
「ほんとにね」

 僕は苦笑を浮かべながら、隣で熱くなって喋るSの顔を横目に眺めていた。Sの黒い目は朝の日の光をよく反射させていた。

「なんかさ、恋愛も禁止になるんだってさ」

 Sはいたずらっ子のような微笑を浮かべながら、頭を傾けてこちらを見た。その時僕は不意にパッと真正面に顔を合わせた。その話とSの笑顔に、思わず息が詰まった。

「え、そうなの?」
「そうらしいよ、よくわかんないけどさ。……」

 そうこうしているうちに学校が見えてきた。黒色の鉄格子のような門の向こう側に白い壁が見える。その真ん中には時計がはめ込まれていて、そろそろ八時半を指す頃だった。

「あ、ヤバい。もうチャイム鳴るじゃん。急ご」

 胸の鼓動が鳴り止まないうちに僕らは門の前まで走っていった。肩にかけていたスクールバッグが左の太ももの裏表に音をたててぶつかっていた。
 門の前には青いジャージを着た若い男の体育教師が仁王像のように立っていた。僕らはバタンバタンと大きな足音をたてながら門へ入った。ちょうど門をくぐろうとした時にチャイムが鳴った。

「遅いぞー」
「ごめんなさーい」

 僕らはほっとして赤い顔を見合わせた。お互い息が荒くなっていた。なぜか無性にSのにやけ顔が面白くなってケラケラと声を上げて笑った。
 朝のHRで丸メガネの細った担任は黒板の前の教壇に立って、ボソボソと「幸福禁止令」の話をしはじめた。

「うちの学校では校則で恋愛を禁止しているためあまり関係がないが、……」

 「恋愛」という言葉で脳裏にSが浮かんだ。そんなに否定されるべき話なのか、疑問に思いながら僕は左にあった窓から外を眺めた。二階にある教室の窓からは高速道路が見えた。その向こうにうっすらと山が見えていた。……
 幸福禁止令が発表されてから数ヶ月がたった夕方、学校から帰った僕は一人、自分の部屋の学習机に座っていた。静かな部屋の中には四角いアルミの窓から夕日のオレンジの光が入ってきていた。あれからまたたく間に、「幸福とは何か?」という議論が盛んとなった。曰く、幸福と快楽とは違うらしい。快楽とはいわゆる、アルコール、ギャンブル、セックス、──どれにしても僕にはどうでもよかった。ただ、恋愛がそこに含まれないことがどうしても許せなかった。学習机の上に置いてあるSと一緒に写った幼い頃の写真を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。急にインターホンの音がして、僕の考えは霞んでなくなった。

「どちら様ですか?」
「優くん、わたし」

 インターホンの前にいたのはSだった。僕は急いで玄関へ行って黒い引き戸を開いた。Sはまだセーラー服のままだった。が、カバンは持っていなかった。

「どうしたんだ?」
「遊びにきた」

 Sはいつもの微笑を浮かべながら、スカートの前で小さく指でくるくると円を書いていた。その頬はほんのり赤く見えた。夕焼けのせいだろうか。長い間、Sと家で遊んでいなかった僕は突然のことに戸惑いを隠せなかった。

「いいけど。……」
「いないんでしょ?家族」
「うん」

 両親はたまたま両方とも出張で数日帰ってこない話だった。僕は妙な胸の高鳴りを感じながらSを自分の家へと上げた。

「まあ、上がって」
「おじゃまします」

 時計のコチコチという音が響くリビングのテーブルの横でちょこんとSはアヒル座りをしていた。僕はダイニングキッチンで、二つのコップにオレンジジュースを注いだ。

「テレビでも見る?」
「いや、いい」

 Sの横顔はどこか曇った表情をして、ぼんやりと部屋の大窓を眺めていた。白い頬が赤くなっているのが今度ははっきりとわかった。

「あのさ」

 僕が二つのオレンジ色のコップをテーブルの上に置いて座った時、ぽつりとSがつぶやくように言った。
 
「何?」
「えっとさ……」
「なんだよ」
「やっぱなんでもない」

 その焦れったい態度にいよいよ僕は苛立ってきた。Sは相変わらずぼんやりと外を見つめていた。

「はっきりしろよ」
「好きなの」

 Sは言い終わらないうちにパッとこちらを向いた。その手は胸の上でギュッと結ばれていた。まともに目が合った僕は時間が止まったように感じた。それまで響いていた時計のコチコチという音も聞こえなかった。

「今なんて?」
「好きなの、優くんが」

 僕の身体は震え上がって、Sの顔から目が離せなくなった。Sは動けなくなっていた僕に抱きついた。そのまま押されるように倒れ込んだ。全身に重さと温かさを感じる。そして花のような甘い香りがふわっと漂ってきた。

「これならいいでしょ……」

 Sは馬乗りになって僕を見下げた。その顔は陰になっていたが真っ赤に染まっているのがわかった。すぐにSは僕に口づけした。これなら?何が?──何も考えられなくなっていた僕の脳裏にぼおっと「恋愛」という言葉が浮かび上がってきた。僕はそのままSに身を任せていた。液体の卑猥な音を聞きながら僕らはお互いの、性欲という快楽に導かれるまま道を進んでいた。
 その晩、僕らは自分たちの匂いに囲まれながらテレビドラマを見ていた。それは二人の若者が心中する話だった。ふと上の方に速報と出てきた。ある恋愛小説を書いた作者が逮捕されたらしい。幸福禁止令はいつしかハッピーエンドを描くことも禁止になっていた。勿論ハッピーエンドは一部の人間を不快にする表現だからだった。

「こんなの絶対おかしいよね」

 Sはテレビを見つめながらぼんやりとつぶやいた。僕はそんなSの横顔をただ眺めていた。……
 学校で僕らの噂がまことしやかに囁かれるようになったのは、あれからまた数ヶ月が経った冬のことだった。その日は雪もチラつくほど寒い日だった。Sはよく僕のジャンパーのポケットに自分の手を入れてきていた。それは暖をとる以外に、ポケットに入れた僕の手を握るためでもあった。門の前へ来る頃にはパッとポケットから手を出していたが、誰かに見られていたらしかった。教室のHRが始まった頃、前側の白いドアの小窓に青いジャージの着た体育教師が立っていた。がらりと扉を少しだけ開けると、教壇に立っていた担任を呼び出した。すぐに僕の名前が呼ばれて、僕は不安げに廊下へ出た。

「なんですか?」
「いや、別に悪いことではないんだけど、……」

 体育教師は僕を空き教室へ連れていった。空き教室の前の扉に入ると、真ん中にぽつんと四つの机が向かい合わせに置かれてあった。体育教師は手前の席に僕を座らせると、目を細めながら口を開いた。

「Sと付き合ってるの?」
「いや、……」

 僕はしどろもどろに返事をした。はっきりと言われて胸が刺されるような思いだった。

「校則、わかってるよね?それに、……」

 体育教師はあからさまに「恋愛禁止」を強調して話した。そんなことは僕にもわかりきっていた。徐々に不安から苛立ちへと変わっていった。

「ダメなんですか?」
「いや、ボク自身はどっちでもいいんだけどさ。校則違反って話をね?……」

 体育教師は机に日焼けで黒くなった太い手を置いて、ニヤニヤと僕を詰った。机の下に置いてあった僕の拳に力が入った。それだけでなく貧乏ゆすりをしだした。

「悪いことをしてるとは思っていません」
「例えばだけど、人を殺してそんなこと言って許されると思う?」
「それとこれとは話が違いますよね?」
「程度の差はあるが同じことだ。だって君らがやっていることは法律違反だよ」

 僕は何も言えなくなった。そして体育教師に言われるがまま反省文を書かされて教室へ戻った。おそらくSも同じことをさせられたのだろう。授業中、同じように体育教師に呼ばれて出ていった。これが続けば謹慎させられるらしいことも仄めかされた。
 それから一ヶ月が経った。僕らの関係は切っても切れないようなものに変わっていた。噂はいよいよ学校から近所へ伝わっていた。通知書が届いたのを破り捨てたりもした。ある休みの日の夜、ニュース番組を見ていると、幸福禁止令の話題がやっていた。街中の人に意見を求めるというテーマだった。

「人を不快にさせるのはやっぱり良くないと思います」

 マフラーを巻いた若い女の人がインタビューでそう答えていた。僕の心はもう不安と罪の意識で満ちていた。
 ある学校の帰りにふと目に入った葉のない木に誰もいない鳥の巣が乗っかっているのを見て、どうにもやりきれない虚しさを感じた。その木の麓には小鳥の腐った死体が落ちていたからかもしれなかった。強い息苦しさを感じて、僕はポケットに入れてあったスマートフォンを取り出した。そうしてSを呼び出すと、僕はまた学校へと引き返した。

「ほんとにするの?」
「うん、お前も覚悟してるんだろ?」
「そうだけど、……」

 僕らは冷たい廊下の階段を登っていた。踊り場の磨りガラスから白い光が入っていた。外では部活をする男女の声が響いていた。三階から四階へと上がる踊り場にはたくさんの机や椅子が積まれてあった。僕らは埃まみれのそれをどうにか動かして、二人屋上へと向かった。
 大きな二枚の扉の片方を開けると水色の床が見えた。外は雪こそ止んでいたが常に風が吹いていて身に刺さるような寒さだった。僕らは扉を閉めると白い縁へと向かった。そこは金網が備えつけられていた。金網を辿るとちょうど向かいの校舎へと渡るところに扉があった。扉にはゴムチューブのようなものが巻つけられて南京錠でとめてあった。僕はポケットからライターやらカッターやら取り出して、そのゴムチューブをどうにか壊した。

「何をしている」

 声のした方をみると、廊下の踊り場に続く扉から体育教師と担任が飛び出していた。隣にいた小さな担任の丸メガネの下は悲しそうな目をしていた。

「なんでそんなことを、……そんなことをしても何もないぞ」
「うるさい。お前ら大人に奪われるものの気持ちがわかってたまるか」

 僕らはすでに白い縁に足を乗せて立っていた。強い風が僕らの前から吹いて、Sのスカートを揺らしている。下を見ると灰色の道にも教師たちが不安そうに見上げていた。

「頼むから戻ってこい、そうでないとこの学校は、──」

 僕はその言葉を聞く前に目をつぶって、Sを抱きしめた。そして灰色の道の方へ重心をかたむけた。「大好き」耳元でSの声が聞こえて、花のような甘い香りに包まれた。
 身体はそのまま重力を失っていった。バタンという音だけが最後に響いた。

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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