世界が消毒液の臭ひに変つてから、それ程時間はかからなかつた。黒い喪服の親族にかこまれた白い花柄の柩が、今まさにグリルのやうなところにはひつて行かんとしてゐる。僕は涙する親族にまざつて、ぼんやり白い箱を眺めてゐる。ついこの前まで傍で笑つてゐた彼女が、淡々と火葬炉に焼かれて行くのを、何を思ふともなく、唯ぢつと眺めてゐた。
金属の炉が立ち並ぶ火葬場の、焦げるやうな臭ひに混つて線香の香の漂ふ、独特の匂ひが鼻につく。悲しいのかどうかも分らない。まはりで響く嗚咽の声が、広い部屋に反響して、唯僕の耳にはひつて来る。白や黒の手巾のちらつくのが見るともなく見える。
白い箱はとう/\その中へはひつてしまつた。もう二度と見る事のできない、雪のやうに白い肌の少女の姿が、脳裏に焼きついて離れない。あの冬の朝の雫のやうな、冷たく明るい声がどこからともなく聞えて来る。教室の端に座つて本を読んでゐた彼女は、いつの間にか消毒液の臭ひに包まれた、白いベッドに横になつてゐた。いつも浮べてゐたあの微笑みももう、──閉じられたグリルの小窓から、青い炎がちら/\してゐるのが見えた。炉は、まるで魚か肉でも焼くやうに、慈悲もなく白い柩を燃やして行く。
僕はふと、地獄とはかう云ふところを言ふのだと思つた。人は死ぬと、地獄か極楽へ生れ変はると云ふが、あの中で焼かれてゐるであらう体躯を思ふと、当にここが灼熱地獄だと感ぜられてしようがない。罪人はその上に又、地獄へ行くのかと妄想すると、多少の同情も湧いて来る。尤も目の前の白い柩──もう姿の見えない彼女は、地獄のじの文字すら知らずに、温かい光に包まれた、賑やかな音楽の鳴り響く、蓮華の甘い香の漂ふ、如来菩薩のもとへ、生れてゐるのに相違ない。と同時に、何となく思ひ浮べたその光景に、僕の心の中から、荒野に吹きすさんで行く風のやうな冷たさが湧いて来た。さうしてそれは、僕の眼をじわじわと熱くしてゐた。その時初めて、触れられるところにゐなくなつてしまつた彼女を感じたのである。
すると忽ち身体が寒くなつて行くのを感じた。そして震へ出した。今からでも僕は、その手を伸ばして、熱されてゐる炉の中から彼女の肉体を掻き出し、その雪のやうな白い肌をそつと強く抱き締めたくなつた。が、僕の身体は、小刻みに震へたまま、ぢつと動かなかつた。まだ温かいのではないか、柔かいのではないか、そして又微笑んでくれるのではないか、さう思ひながらも僕は、柩が焼けて行くのを、唯見つめるしかなかつた。
──その時、涙がぽたりと音もなくこぼれ落ちた。
炎のなかの少女
現代文学、喪失、心理描写
"炎の向こうに、失われた愛が静かに燃え上がる。"
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