とある小さな食堂での話である。茶碗のぶつかる音や人の声の喧騒の中、白飯を箸で啄みながら、僕はふとテレビに目をやった。二十六分の番組と番組との間のコマーシャルの時間。たまたまと言えばたまたま、何気なくテレビを見たのもあるが、聞き馴染みのある声があり、思わず意識がテレビの方に向いた。その声は昔にパソコンでよく聴いていたものだった。四角い画面の中では、青いツインテールの髪の毛の少女が踊っている。──初音ミクといえば昔はインターネットのこぢんまりとした界隈で人気だったコンテンツである。こうやってテレビで初音ミクの声が聞こえてくると、当時の頃を思い出して、自然と嗚咽がこみ上げてくる。目頭が熱くなる。……
小学生の頃、いつも給食の時間に、音楽がかけられていた。それは児童からのリクエストを以て、放送部員が各自でかける音楽を探し、それをその時間にかけていた。基本は当時流行っていた歌謡曲だった。けれども時々は趣味の人間のせいか、聴いたことのない曲がかかることもあった。そんな時は決まってクラスのヤンキーが「何だこのへたくそな歌は」と騒ぎ立てた。その中に、初音ミクの曲も含まれていた。
今となっては信じられないだろうが、初音ミクというのはそれだけマイナーな存在だった。読みにしたって今でこそ誰もが「はつね みく」と読めるが、小学校当時、それを「はつね みく」と読めた人は少なかった。みんな「はつおん みく」だの「はつおと みく」だの、適当なことを並べては、自分の読みこそが正しいのだと主張していた。
実際ネットでは基本文字がそのまま使われる。単一の漢字だけでは音はわからない。少し調べればふりがなも振られていたのだろうが、如何せんその情報自体が今より明らかに少なく、調べることもままならなかった。今のように、スマートフォンもなければ、パソコンを持っていない家庭も多かった。だから当時、誰も知らなかった。文字をそのまま受け取るしかなかったのだから。何を言ったって、正しく訂正する人間自体が不在だった。
僕は、当時から初音ミクを知っていた。好きだった。その曲がカラオケに配信されていたと知った時、友だちと興奮して何度もなんども歌った。それはその小さな界隈で特に人気な二曲だけだった。たった二曲。されど二曲。あの時の興奮は忘れない。デンモクがあるのに、そこに初音ミクの曲が収録されていないからと、分厚い本の中から曲名を調べたりメモをとったりして、わざわざリモコンでコードを入力、送信していたあの焦れったさを忘れない。
それが今や、テレビのコマーシャルで流れているではないか。黙々と食べている誰もが、茶碗を洗っている食堂のおばちゃんでさえ、さも当たり前のように聴いている。聴き馴染んでいる。そう思うと、胸の奥底から妙に何か湧き上がってくるものがある。と同時に、自分の手から離れてしまったのだという空しさを感じる。もう、あの頃には戻れないという、不可逆な懐かしさと、どうにもならない諦めとがある。そういえばこの前、小学生になったばかりの親戚の子に、「ボカロのあの曲知ってる?」と聞かれたのを思い出した。どうやらみんなのうたでかかっていたらしい。自分がその頃、とある投稿サイトのタグに、ボカロ版みんなのうたというものがあった。みんなのうた風の曲という意味である。時間は進んでいく。茶碗に盛られた白飯はなくなっていく。僕だけがどこか、時間の中に、ぽつんととり残されている。恐らくは盛られた時に着いたのであろう、盆の上のかぴかぴの一粒の米のように。……
コマーシャルが終わると、僕はつまらなそうにテレビから目を離して、白いイヤホンを耳につけた。そうしてスマートフォンをいじり始めた。歌っているのは勿論初音ミクだ。曲名は、……
初音ミク
ノスタルジー、青春回顧、私小説
"時代が追いついた、あの声。僕だけが、取り残されたまま。"
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