――東方の歴史深き島国礼和国
その帝都の皇城の横に近代建築と伝統の格式が見事に調和した巨大な瓦屋根の建物がそびえ立っている。
朝9時の開館時間を前に既に来場者の長い列が入場を待ちわびる。
入口の上には輝く《礼和国立忠国皇女記念館》の金色の巨大文字の看板。
この 壮麗な建物には国を救う為に首を切断して命を捧げた和子(カズコ)第二皇女が祀られている。
彼女は3階の大観覧室で、ガラスケースの中で巨大な金屏風を背に自らが展示物として玉座に静かに鎮座していた。
彼女は格式のある儀礼用軍服姿で、右脇に自らの生首を抱えている。
艶のある長い黒髪に涼やかで凛とした瞳。
皇女は展示物として完璧な美しさを纏って座っていた。
(さあ!本日もわたくし…御国の為に気を引き締めて参りましょう!)
来場者の入場が迫る中、和子は気合を込めた。
(私は…展示物!心の無い人形で御座います!決して笑ったりはしませんわ…)
和子は気品と威厳を持って表情を引き締めた。
しかし…その日、笑いの魔手が彼女に迫っていた。
昼過ぎに訪れた着物に髷姿の2人の巨漢。
礼和大相撲力士薔薇錦(バラニシキ)と地縛霊(ジバクダマ) である。
礼和国は大相撲が大変人気がある。
彼らは汗潮部屋の兄弟子と弟弟子であった。
薔薇錦は前頭1枚目、地縛霊は序の口の力士である。
薔薇錦は汗潮部屋の筆頭力士で、その端正な顔立ちで女性人気も高い。
もう一人の地縛霊は、土地に縛られ動けない地縛霊にちなんで(お前も土俵から決して出ないような力士になれ)という親方の熱い思いのもと四股名を名付けられた。
ただ地縛霊は頭頂部の髪が薄く髷が結えなかったため 、落ち武者のような髪型であった。
ガラスの前で2人は和子を見ながら嘆息した。
「おう霊よ !皇女どんは誠に綺麗でごわはん!」
「はい!首が離れていても堂々とされておりもす!」
(力士の方って直に見ると本当に大きい)
和子は巨漢が2人並んで仕切りに感心している様子を見てクスッとした。
「ところでこんな場で誠にすまんですが、兄さに大切な話がございもす!」と地縛霊が真剣な面持ちで言った。
(一体何の話かしら…)
和子は聞き耳を立てた。
「大切な話?一体なんじゃあ…霊!」
薔薇錦は眉間にシワを寄せて地縛霊を睨みつけた。
「いつもオイドンは 、兄さにしっかり稽古を付けて頂だき誠にありがたいです!」
「おうよ!」
「稽古中の兄さの汗で光る背中がとっても綺麗だと思いました!」
「ふむ?…」
薔薇錦は怪訝な顔つきになった。
「そして汗に濡れた兄さの…尻…お尻もとっても綺麗だと思いました!」
(え!!お尻!?)
和子は驚いた。
「尻だあ?霊よ!お前何言うとんじゃあ!」
薔薇錦は地縛霊を睨んだ。
「すんもはん!でも、おいは兄さの魔性を宿した尻に抗えもはん!」
「はあぁ!!」
「兄さの尻はおいどんの心を惑わす魔導兵器でごわはん!」
(うふっ。)
和子の腹筋がピクピクと動いた。
地縛霊は頬と耳を真っ赤にして叫んだ。
「おいは! おいは!プライベートで兄さの…ちゃんこを作りたいです!」
(うぐ!こんな…ところで…告白しないで!くう-ふっふふ!)
和子は耳を真っ赤にして唇をかんだ。
それを聞いた薔薇錦は一瞬険しい表情になった。
「霊……お前…」
しかし…一転して少女漫画のキャラの様なキラキラ光る美しい眼となった。
「式は…おいがウェディングドレス着てええか?」
薔薇錦はピンクの頬で優しく答えた。
「兄さ!ごっつぁんで―す!!」
地縛霊は絶叫した。
(駄目!駄目!駄目!笑っちゃ…)
和子の腹筋が激しくピクついた。
「霊!」
「兄さ!」
二人は愛しげに見つめ合った。
そして薔薇錦が唇を尖らせ、地縛霊はそっと目を閉じた。
二人の顔は接近した。
(く、ふふふ!もう駄目!私の腹筋…もう持たない…)
今回で何度目の危機であろうか。
何故こんな目に会うのか!?
(わたくしの笑いの沸点が低いのが恨めしい…)
これから語るのは、皇女が礼和国の未来の為、数々の悪意のない笑いの刺客を前に腹筋崩壊を耐え忍ぶ苦難の物語である。
※この章にはシリアスな描写(死・政治的緊張など)が含まれます。
苦手な方は、第2話から読んでも物語の理解に支障はありません。
(一)
正和20年 東方の島国 礼和国は敗戦した。
西方の軍事大国アメリアナとの「大洋戦争」。
礼和国は繰り返し軍事的恫喝に会い、止むなく開戦に踏み切った。
当初 アメリアナの将軍 ゴードンは「3日で片がつく」と豪語していたが、2000年を誇る海皇家を奉じ、国民の団結力が強い礼和国の頑強な抵抗により戦争は3年を費やした。
しかし強大な軍事力の前についに力尽き、無条件降伏のやむなしに至った。
敗戦後、アメリアナの進駐軍による支配が開始。
ライゼンバーグ総司令官が礼和の地に降り立った。
1、礼和の言語と文字の破棄
2 、礼和の歴史文章の焼却
3、礼和の神道、宗教施設 全ての解体
4、礼和の稲作の中止と小麦への転作
5、海皇制の廃止
アメリアナは苦戦させられた礼和国を憎み、その国体抹殺の為の五箇条の方策を用意していた。
(二)
帝都には巨大な進駐軍総司令部のビルが皇城を威圧するかの様にそびえ立った。
そんなある日 ライゼンバーグのもとに 海皇家第二皇女、和子(カズコ)による面談の申し入れがあった。
(皇族から面談だと?)
ライゼンバーグは不審に思った。
(どうせ命乞いだろう…)
ふんと笑って彼は側近に伝えた。
「来いと伝えろ!」
翌日総司令部でライゼンバーグは貴賓室で和子を迎えた。
海皇家 第二皇女和子 年齢は18歳
黒のシルクの生地に桜の花を模した刺繍が施された長い裾 、金の刺繍の入った詰襟の軍服を着用していた。
足には金色の桜の紋章が入った黒のロングブーツを着用。
非常に格式のある最上級の礼装である。
漆黒に艶めいた、腰まである長い髪が優雅に揺れる。
杖をつきながら付き従っていたのは、老臣である加藤義国(ヨシクニ)1人。
燕尾服姿で、白いヤギ髭を蓄えている老人であった。
皺深い表情の奥に宿る瞳からは一切の感情が読み取れなかった。
ライゼンバーグは2人を立たせたまま ソファーで足を組み パイプをくぐらせながら「本日は何の用事で参られたのかね」と質問した。
和子は静かに涼やかな目で「総司令閣下にお願いしたき儀がございます」と言って加藤に目配せした。
加藤は一通の和紙を丁寧に折りたたんだ 書面を両手でライゼンバーグに差し出した。
「これは何かね?」
「閣下には、五箇条の方策の中止をお願い申し上げます。これはその嘆願書です」
ライゼンバーグは、煙を吐きながら「それは読めませんな」と言って白い歯を見せた。
「もちろん 只でとは申しません。それを御拝読いただく為に、私の命をささげ奉ります」と和子は静かに答えた。
「命を捧げるだと!」
ライゼンバーグは右手を額に当てて 「あっはっはっはっ!」と笑った。
その時であった!!
和子は 加藤義国に静かに目配せをした。
沈痛な面持ちで 義国は杖の端を持ち素早く引くと刀身が現れた。
仕込み杖であった。
「御免!」
義国は神速の太刀さばきで和子に刀を振り下ろした。
カッという音とともに和子の首は床に落ちた。
ライゼンバーグとその場に同席していた 側近 3人は唖然となり声も出ず立ちすくんだ。
義国は丁寧に和子の首を持ち上げ、呆然としたライゼンバーグの目の前のテーブル上に置いた。
ハッとした側近が義国を取り押さえようと飛びかかったが その前に義国は刀で喉を貫いていた。
《皇女の命がけの嘆願!!》
この事件は礼和国やアメリアナのみならず世界中に大きな衝撃を与えた。
しかし最もショックを受けたのは、彼女の命掛けの行動を目の辺りにしたライゼンバーグ本人であった。
(支配者である皇族が国の為に本当に命を捨てるだと!!)
そして彼は 彼女が用意した嘆願書に目を通した。
そこには彼女の礼和国と国民に対する思いと、自分の命と引換えに国に対して便宜を計らってもらう様、切なる願いがしたためられていた。
ライゼンバーグは感動で身震いが止まらなかった。
その日より彼の礼和国に対する施策方針が180度転換した。
五箇条の方針を全て捨て去り、礼和の戦後の食料や物資の援助を積極的に推進し 礼和の国体維持に努めた。
和子の行動が結果的に礼和国を滅亡から救う形となった。
後にライゼンバーグはその事により本国の方針に従わなかったとして失脚することとなった。
(三)
ライゼンバーグは 事件後、和子と義国の遺体を丁重に皇家に送り届けた。
皇家はもとより 日本中が悲嘆に明け暮れた。
彼女は一通の遺書を用意していた。
―まず今回の行動を事前に相談無しで決行する事の謝罪
―義国は強く反対したが自分の願いで無理を言って介錯をお願いした事
―首はライゼンバーグ 閣下に捧げるものなので死後も決して胴体につなげないようにという願い
―兄である次期海皇に対する思い
―最後に父母への謝罪
以上がしたためられていた。
彼女は国葬されることに決定した。
しかし彼女が荼毘に付されることを容認できない男がいた。
斑目 慎之助。
帝国陸軍魔導士。
礼和国には特殊な力を持った特異体質の人間が存在した。
精神の力を変換して、大きな物理力の行使 、物の再生、人間の治療など神秘的な術を行使できた。
彼らは魔導士と呼ばれ帝国軍に所属し、その力でアメリアナ軍を大きく苦しめた。
アメリアナが礼和国を恐れたのは、1つにはこの科学では理解できない神秘的な魔導の力もあったからである。
慎之助の力は治癒や回復に優れ、後方支援に当り多くの将兵の命を救った。
しかしほとんどの魔導士は攻撃要員として前線に投入されて命を散らし、慎之助は魔導を駆使出来る最後の一人となっていた。
(何故俺だけが生き残った!)
激しい葛藤に苛まされる。
そんな中、皇女の事件が発生した。
(嘘だ!嘘だ!嘘だ―!)
彼は半ば発狂した様に叫んだ。
戦線に立つ兵士に対し、皇女は鼓舞の為、度々謁見を行った。
ある謁見の場で最前列にいた慎之助に彼女は自ら歩み寄り「誠に頼もしい。宜しく頼む」と直に声掛けした。
その時、慎之助は魂が消し飛ぶ程の感動を覚えた。
いつ迄も忘れる事が出来なかった。
――皇国の美しい姫!
――嗚呼、和子様!
慎之助は絶叫すると意識を失い昏倒した。
数刻後、彼が目を覚ました時、その眼(まなこ)は激しく血走り、どす黒い光を放っていた。
(皇女は永遠だ!決して朽ち果てさせない!)
自分の命と引き換えに不死を付与する禁断の魔導法の使用を決意した。
(四)
大喪の礼の前日。
雲一つない星空には巨大な満月が皇城を赤く照らしていた。
慎之助は夜陰に忍んで城内に忍びこんだ。
魔導の力で全ての扉の錠が次々と無力化されていく。
そして皇女が安置されている部屋に忍びこんだ。
皇女は遺言に従い、首と胴体が離された状態で美しい桜の花柄のシルクの布の上に安置されていた。
彼女は安らかな寝顔であった。
(皇女様…)
慎之助は唇をかみしめ、目に涙が溢れた。
そして両手を合わし気息を整えた。
その時であった!
部屋の外から騒がしい声が聞こえた。
「侵入者がいるぞ!」
「殿下の部屋だ!」
慎之助は焦った。
(急がねば!)
「龍命替術!!」
部屋が金色の眩い光に覆われた。
「何だ!あの光は!急げ!」
数人の臣下が部屋に突入した。
そして彼らが目にした物は…
一人の倒れた男性の横に立つ
自分の頭を脇に抱えた皇女の姿であった。
「殿下!!」「和子様!」臣下がかけ寄り声を掛けた。
肉体は蘇っていた。
しかし和子は臣下の呼び掛けに全く反応しなかった。
――彼女は心が失われていた――
(一)
和子は斑目慎之助による禁断の魔導法により肉体は蘇ったが心は戻らなかった。
しかし礼和国民の彼女に対する敬愛と追慕は高まるばかりであった。
彼女の処遇を巡っては様々な議論が交わされたが、国民の熱い希望に従い、国家予算を投じて和子の業績を讃える巨大な記念館が皇城の横に建設され「国立忠国皇女記念館」としてオ-プンした。
1階は彼女の立像が来館者を迎えるエントランス、皇女ランチや忠国セットなどが味わえる忠国レストラン。
2階は彼女の歴史と業績を辿る展示コ―ナ―と、月ごとに内容が入れ替わる特別展示室。
そして3階がこの記念館の一番メインとなる皇女観覧室となる。
この巨大な部屋には、数千人が収容できる観覧空間と、皇城の玉座の間が厳かに再現されている。
巨大な桜と黄金の屏風を背後に設えた玉座に軍服礼装姿の和子が自分の首を脇に抱えて静かに座っている。
観覧部分とはガラスの仕切りで区切られている。
ここで来館者は彼女の姿を見て感嘆し、涙し、手を合わし、土下座して礼拝する者もいた。
年間の来館者は数百万を超え、連日開場前にゲートには多数の行列ができた。
海外からも多数の観光客が訪れた。
しかし多数の観覧者の前でも彼女の表情は静かに凍結していた。
(二)
閉館し館内に静寂が訪れた。
記念館職員が退館した後、入れ替わる様に一人の人影が現れた。
山田 崇(タカシ)20歳
夜間清掃員として採用され、今夜から作業に初めて入る事となった。
誰もいない館内は静まり返っている。
「こんなでかい建物に俺一人かよ…」
タカシはブツブツ言いながら清掃を進めた。
そして3階の皇女の部屋に入った時だった。
玉座の間の方角から人声が聞こえた。
タカシはギョッとした。
(まさかこんな時間に人が?)
タカシは恐る恐る玉座の間に近寄った。
そこを見てタカシは自分の目を疑った。
なんと皇女の生首が欠伸をして一人事を喋っているのである。
「ふわっ。今日もたくさんの方が見えられましたわね。表情を崩さないのも大変だわ」
(確かに殿下は喋っている!)
タカシは驚愕した。
しかし同時に感動で体が震えた。
彼も和子に対しては礼和国民として多大な敬愛を抱いている一人である。
思わずタカシは玉座に近寄り興奮気味にガラス越しに和子に声をかけた。
「殿下!ご意識が…戻られたのですね!」
それを見て和子は愕然として、しまったと言った表情になった。
「み、見ましたの?」
「はい!嬉しゅう御座います!」
タカシは頬を紅潮させて尋ねた。
「いつお戻りになれたのですか?」
和子は観念した様に答えた。
「いつって……最初からです」
「!!最初から?」
「ええ……斑目の術は完璧でしたの。蘇った時は既に生前の意識は全て御座いました」
タカシは驚いた。「では、何故御意識が無い素振りなど……」
和子はゆっくり答えた。
「わたくしは蘇った時、斑目の仕業であることがすぐに分かりました。首と胴体が離れたまま肉体を蘇生するなど彼以外には出来ません。同時にこれは良くないと思いました。」
「良くない?」
「はい。司令官殿に衝撃と感銘を与える為に自分の命を捨てたのに、生きていたとなればその感情に水を差すことになりませんか。『我々の感動は何だったのだ』と。それは今後のアメリアナとの関係を考えても絶対避けなければなりません」
「は、はい、でも…」
和子は優しい目で続けた。
「わたくしは命を捨て役目を果たしました。もう死んだ人間なのです。わたくしが静かに人形の振りをしていれば全てはそれで済む事…」
タカシの目に涙が溢れて来る。
「それにわたくしは展示されるのが嫌じゃありません。来館者の楽しげな様子を見るのが好きです。こんな私にもファンがたくさんいるようですしね」
和子少し寂しげに微笑んだ。
「又インバウンドなどの経済効果にも貢献出来ている事も誠に嬉しく思います。今後もこのままで参りたいと存じます。わたくしの事は秘密にして頂きたいのです。お願い出来ますでしょうか?」
タカシは表情を引き締めてはっきり言った。
「殿下のご心情は確かに承りました!この秘密は必ず守ります!」
「ありがとう」和子はにっこり笑った。
しかし2人は知らなかった。
これから幾多の厳しい試練に晒される事になるとは想像も出来なかったのである。
次回 絶世の《美女?》現れる
夜更けの観覧室。
タカシは館内の清掃をあらかた終え、最後に玉座周辺の床の拭掃除に掛かった。
「いつも一人で大変ですね」
和子は 労いの言葉をかける。
「経費削減とやらで人を増やしてくれないんですよ!全く!」
そう言いながらもタカシは楽しそうだった。
そして玉座の後ろの金屏風の裏も掃除に入った時だった。
観覧室の入口で人の足音がした。
体格のいい燕尾服姿の2人の男性がさっと入ってきて入口の両側に別れて立ち、斜め45度にお辞儀をした。
そしてその中央にふわりとした麗人が姿を現した。
金屏風の陰からその姿を見てタカシは息を飲んだ。
彼女は純白のドレスを纏っていた。
それは白というより、光そのものを織り上げたかのような色だった。ドレスは床まで流れるように広がっていた。
生地は総ジャカード織。花とも蔓ともつかぬ文様が、光を受けるたびに煌めいた。
首元には、隙間なくダイヤモンドが連なる。ティアラと完全に調和した宝石は、肌の露出を宝飾で置き換えていた。耳元のイヤリングもまたそのきらめきが高貴さを演出していた。
白いロンググローブに包まれた手も、指先に至るまで隙がない。
そして胸から肩へと斜めに走る一条の帯。勲章を支える大綬は、彼女が単なる貴婦人ではないことを明確に示していた。国家を代表し、国家の名で立つ者。その証がそこにあった。
「ご苦労でした。ここで結構です」
彼女がそう言うと燕尾服の2人は会釈し、さっと 退出した。
そして貴婦人は流れるようにしなやかにカツン、カツンとヒ―ルの音を鳴らしながらガラスケースの前に歩み寄った。
近くで見るその女性の美しさにタカシは呼吸を忘れた。
背中を覆う漆黒の髪は足元迄まっすぐに落ちており、先端は綺麗に切り揃えられていた。
静謐な光を宿したその顔立ちは、白磁のごとき肌に一点の曇りもなく、切れ長の双眸は湖面に月を映したかのようだった。
小ぶりに整えられた鼻梁は気高さを際立たせ、わずかに紅を差した唇は端正に結ばれていた。
しかしその長いまつ毛の奥の瞳は憂いに満ちていた。
和子はその美貌に圧倒されつつも首をかしげた。
(一体誰なのかしら…皇族であることは間違いなさそうだけど…こんな方いたかしら?)
貴婦人がバラの花びらのような口を開けた。
「叔母上様…」
(叔母上!?ええ!もしかして!春仁!)
和子は驚愕した。
自分を叔母と呼べるのは、現在の海皇である兄の子の春仁(ハルヒト)皇太子しかいない。
しかし目の前にいる美女を前に、和子は激しく混乱していた。
彼女は幼少期の春仁の姿しか知らない。
猛烈に可愛かった記憶はあるが それでも皇太子だから絶対に男子の筈である。
「叔母上様…このような夜更けに突然参りました事をお詫び申し上げます。人知れず悩みを抱えておりこの様な事を誰にも打ち明ける事も出来ず、今宵忍んで敬服致しております叔母上様の前で、情けなき一人言を申したく参りました」
(なるほど私のことがバレてるわけではなかったのね)
和子は少しホッとした。
皇太子は透き通るような美しい声で語り始めた。
「私は今年で齢18 となりました。しかしいまだにこのような婦女子のような姿をさせられています。私はれっきとした男子でございますのに。」
春仁は、はぁ~と可憐にため息をついた。
「7歳までは女子の格好するのは良いのです。それは 皇室の習いですから」
(そうね。海皇家の皇祖神は女性だから、男子の場合でもそうする。ピンクのフリフリとか着て可愛いのよね)
「しかし7歳を過ぎても侍女達は懸命に私の唇に紅をさし、眉を整え、髪を梳かし、婦女子のドレスを着せるのです。」
(ふむふむ…)
「何故このような格好をするのですかと聞いても、『あなた様は天に選ばれた方なのです!』とか『尊い方にはふさわしい姿がございます!』などと理性を失ったかのように興奮して言われるので逆らえません」
(なる程!ふふ!)
「この前など、髪が長すぎるのでその御手入れで皆に迷惑をかけるので切りたいと申したら『国家の損失でございます!』とか『私どもは皆死にます!』とか言われて泣かれ閉口しました…」
(うふふ。大体事情が分かってきた!)
「父上に申しましても『皆が喜ぶから従いなさい』との一点張りです」
(あらあら…兄上も侍女達の圧にやられてそう)
「でも…でも…わたくしは…礼和男児でございます!」
とうるうるしながら極上のプリンセス顔で叫んだ後、美しいシルクの手袋に包まれた細いしなやかな指で顔を覆いわっと泣き崩れた。
(ぷ!くっ!わ、笑っちゃダメ!でも…なんとかしてあげなくちゃ!)
そうすると和子はひそひそ声で屏風の後ろにいるタカシに話しかけた。
(タカシさん。春仁にちょっと アドバイスしてあげて)
(ええ!僕ですか!無理ですよ!)
(だってタカシさん男子でしょ!お願いだから)
(わ、分かりました…)
仕方なくタカシは玉座の間を出て、泣いている皇太子に声をかけた。
「え!いらっしゃったの!」
「はい…すみません。清掃作業中でした」
「まぁ…御仕事中に邪魔をして申し訳ございません。」
「いいえ…それより大分お悩みの御様子ですね」
「…聞いてらっしゃったのですね。そうね…殿方に御話をお伺いするのも悪く無いかも。」
そうつぶやくと春仁は真剣な面持ちで、絶世の美女全開でタカシに訊ねた。
「あの…わたくし男らしく在りたいのです。どうすれば良いでしょうか?」
タカシは春仁の殺人的な美しさにクラクラしながらもなんとか助言を絞り出した。
「まず言葉使いから入られては如何でしょうか?」
「言葉使い?」
「はい。男らしい言葉で喋るのです。例えば『お前を守れなきゃ、俺は俺じゃねえ』と言って見て下さい」
春仁はそれを聞くと、手の甲を口に当てて『オ―ホホホホホッ』と高笑いした。
「まぁ!そんなの簡単でございますわ!うふふ。では参ります。『貴方様を御守り出来なければ、わたくしはわたくしではございませんわ』…あれ!」
(うふっ!極上のお嬢様!)
和子は笑いを噛み殺した。
「俺の後に付いて来やがれ!」
「『わたくしの後に付いて来て下さいませ!』あれ…」
「俺の酒を飲みやがれ!」
「わたくしのお酒をお飲みになって下さいませ!え…」
(うふふふ!私の腹筋…もう駄目かも…)
タカシは和子の限界に近い様子を見て慌てて、もう一度真似をしようとする春仁を静止した。
「皇太子様!申し上げたき事がございます!」
「何でしょう…グスン…」
涙目の春仁がタカシを見た。
「皇太子様の男らしくあろうとするその御姿に自分は感服致しました!」
「さ、左様でございますか?」
「はい。その御心持ちが有る限り殿下は決して婦女子などでは有りません!」
「ま、まあ!」
春仁の表情がパッと明るくなった。
「自信をもって礼和男児として胸をお張り下さい!」
「分かりましたわ!わたくしは礼和男児!」
春仁はそう言うとドレスの裾を摘んで恭しく礼をし、優雅で気品のある足取りでドレスを揺らしながら退出していった。
皇太子が去った後の観覧室。
「…あれで良かったのでしょうか?結局極上の貴婦人のまま去って行かれましたね」
タカシは浮かぬ顔だった。
「仕方有りませんわ。あの美貌ですもの。暫くは周りが放って置かないでしょう。でも…」
「でも?」
「立場が人を作ります。あの方もいずれは皇帝になられる。その時は」
「その時は!」
「あのままかもしれないわね!」
「がくっ!何ですかそれは!」
「あはははは!」
(一)
皇女忠国記念館の会計管理職員が難治性の病気「大腸潰瘍炎」治療の為、長期離脱が決まった。
そこで、急遽人員募集面接を実施する事となった。
記念館の休館日。
面接席が皇女観覧室のガラスケ-スの前に設営された。
これは皇女も採用に御参加頂くという形式上の建前ではあるが、皇室庁の意向であった。
面接官は以下の3人.。
記念館館長 田端耕作 51歳
黒縁丸眼鏡の七三分けにちょび髭
実直そのものの男。
皇室庁特別顧問 東郷平九郎 101歳
生前の皇女を間近で知る数少ない人物。
庁の重鎮にして御意見番。
数多の勲章に飾られた軍服を着用し、軍刀を杖代わりにしている。胸まで伸びた白髭を蓄え、皺くちゃの顔に鋭い眼光が光る。
清掃担当員 タカシ 20歳
館の隅々まで知る男として特別に抜擢。
(何故僕が…面倒臭いなあ…)
タカシはあまり乗り気では無かった。
(ここで面接!?…どの様な方が来られるのかしら…)
和子は一抹の不安を感じていた。
面接官は皇女を背にする形で3人並んで着席した。
「では最初の志望者の方どうぞ」
館長が呼び出し、燕尾服に縞のネクタイ姿の中年男性が入室した。
「佐藤満(サトウ ミツル)さんで宜しいですか?」
「はい!」
満はガチガチに緊張していた。
「皇女様の御前での面接と伺い、身嗜みを正して参りました!」
(職員面接で燕尾服!?ふふ、)
和子の腹筋が反応した。
「志望動機をお教え下さい」
「私は国家に身を捧げられた皇女様を心より尊崇しております!殿下の元で粉骨砕身して働きたく存じます!」
満は顔を紅潮させた。
「何か技能はお持ちですか?」
「はい!私は首がとても柔らかいので180°曲げる事が出来ます!」
「ええ!?180°!」館長が叫んだ。
「やってみせよ」平九郎が満をギロリと睨んた。
「はい!」
満は首を両手で持ち、捻ってみせた。
体は面接席を向いているのに顔は完全に反対側を向いている。
(ま、まあ!信じられない!)
和子は満の後頭部を見ながら絶句した。
「どうですか?」
「…どうですか、と言われても… 募集職種とはあまり関連が無い様な…」
館長は汗を拭きながら答えた。
「駄目ですか!不合格でしょうか!」
満は半泣きで叫んだ。
「合否は追ってお伝えしますので、本日のところはお引取り下さい」
慌てて館長が伝えた。
満は深くお辞儀をして退出した。
(二)
「次の方どうぞ」
「バイ!」巨大な声が響いた。
ズシン、ズシンと足音を響かせながら、タンクトップに半パン姿の見上げる様な巨漢が現れた。
「鵜戸野 大介(ウドノダイスケ)さんで宜しいですか?」
「う!うほ!おでウドノ!ウドノダイスケ!」
「鵜戸野さんは…えっ!尋常小学校を中退!?」
「…おで、小5の時に先生の顔をやさしくなでた。そしたら先生の頭360°回って動かなくなた。それでおで、学校追ん出された」
「ひええっ! 先生は死んだのですか!?」
「お、おで、先生殺す気…無かた!おで、先生と仲良く…仲良く成りたかただけ!仲良く…!」
うおおおと号泣しながら鵜戸野は机を掴んだ。
机はミシミシと亀裂が入り始めた。
「お、落ち着いて下さい!分かりました!鵜戸野さんに害意が無かったのはよーく理解しました!」
館長は慌ててなだめた。
鵜戸野は「すびばせん」と言って机から手を放した。
館長は気を取り直して「貴方はどんな技能が有りますか?」と質問した。
鵜戸野は満面の笑顔で答えた。
「ここに悪い奴来る!おで、そいつぶっ飛ばす!」
「……今回の募集ではそうゆうのは求めて無いのですが…」
館長は頭を掻きながら言った。
そしてコホンと咳払いしてから一つ質問した。
「1+1はいくらですか?」
「1+1!? うぐう!!」
鵜戸野は苦悶の表情を浮かべて体を捩りながら悶絶し始めた。
「うごおおお!ぐうううう!」
和子はその様子を見たくないのだが 目を瞑るわけにはいかない。
(笑っちゃ駄目!和子耐えるのよ!)
「ふぐおおおおお……ハァハァ」
鵜戸野は呼吸を整えてから巨大な声で叫んだ。
「2でず!!!」
仕切りのガラスがピリピリと震えた。
館長は暫くの沈黙の後「…正解です」と消え入る様な声で答えた。
「うおー!!!!オデお利口さん!!」
鵜戸野が両手を高く差し上げて絶叫した。
館長は疲れた表情で合否は追って連絡する旨伝えた。
鵜戸野は満面の笑顔でズシン、ズシンと足音を立てて退出した。
東郷は両手で刀にもたれ掛かけ、眠っているかのごとく静かに座っていた。
(三)
「次の方、どうぞ」
案内を受けて入室したのは茶色の着物姿で、頭をお団子結びにした、腰の曲がった老婆であった。
「脱糞馬場(だっぷんばばあ)さん、97歳で宜しかったですか?」
「誰がだっぷんババアでんねや!」
「え?」
「誰がだっぷんババアや言うてますのや!!」
老婆は憤懣遣る方無い様子で館長を睨みつけた。
「それはなあ、あんた、(ダツクソ ウマバ)と読みまんねん!それをあんた、だっぷんババア言われてしもたら、わたいのプライドはどうなりまんねん!だっぷんババアて!」
(ダツクソウマバも、中々ない名前だな…)
タカシは内心思った。
「申し訳ございません!」
館長は慌てて謝罪した。
「あの…志望動機をお伺いしても宜しいですか」
馬場は憤然としていたが気を取り直して答えた。
「わたい、この前記念館に行きましたんや。そしたら急にお腹がキュ―と痛うなりましてな、大を粗相してしまいましたんや。そしたらそこの若い職員さんが掃除してくれて、拭物やら下着やら用意してくれてな、ほんまに親切やったんや」
館長はギョッとしてタカシの顔を見た。タカシは舌を出した。
「ほんでな、こんな親切な人がいてはる職場はええなと思って志望しましたんや。」
馬場は皺だらけの顔でにっこり笑った。
館長は、はぁ-と溜息をついた後、ポケットからお弾きの入ったサクマドロップの缶を取り出し質問した。
「この中に入っているお弾きの数は数えれますか」
馬場は「わたいはこう見えても帝国女学院を出てまんねん!それを子供のおもちゃが数えられるか?て、馬鹿にしてまんのか!」と激怒したが「何が悲しゅうてお弾き数えないかんのや…」とブツブツいいながらも数え始めた。
「ひいは ひとつの観音様よ 観音様は陽楽寺」
お弾きを一つつまんで缶の横に置いた。
「ふうは ふたつの弁天様よ 弁天様は寒山寺」
二つ目を並べた。
「みいは みっつの大黒様よ 大黒様は法然寺」
3個目を並べようとした時、馬場はひっと唸った。
「大黒様は法然寺?やのうて来恩寺?どっちでしたやろか?」
「…分かりません」
館長は無表情で答えた。
「いやあ!えらいこっちゃ!分からん様になってしもた!しゃあない。最初からや。ひいは ひとつの 観音様よ…」
「待っ!待って下さい!分かりました!もう結構です!」
館長は慌てて止めた。
そして合否の件は後日になる事を伝え、馬場は退出したのであった。
(四)
観覧室では重い空気が流れていた。
「なあ、山田君、今回の志望者はどうだろうか?」
館長はタカシに尋ねた。
「いやあ、会計担当としては中々に厳しいのではないでしょうか。」
「君もそう思うか!そうだよな!今回は残念ながら採用無しという事で…」
館長が言いかけた時であった。
今まで眠るが如く沈黙していた東郷平九郎が、かっと眼を見開いて大喝した。
「この痴れ者共ぐぅわ―!!」
「ひい!」館長とタカシは直立した。
「うぬらは彼奴らの何を見ておったんじゃあ!」
「とおっしゃいますと?」
館長が震えながら尋ねた。
「彼奴らは確かに足りぬ所が多い。しかし共通しているものがある 。それは彼らのやる気じゃ!熱意 じゃ!」
「はい…」
「ここをどこだと思っておる! 殿下の記念館ぞ!」
平九郎は遠い目をして言った。
「和子様は 常に人を活かす道を考えておられた。
きっと殿下ならこう言われるであろう。『平九郎 彼らに機会を』と」
(言わない!言わない!絶対に言いません!)
和子は半泣きだった。
「という事は」
館長は恐る恐る尋ねた。
「うむ!全員採用じゃ!」
平九郎は高らかに笑った。
(まじか!)
タカシはげんなりした。
真夜中の観覧室
「わたくし、あの方々が目の前に来られたら腹筋を保つ自信がございません…」
和子は悲痛であった。
「僕も泣きそうです。彼らの教育係を頼むと言われました」
タカシもうなだれていた。
2人の嘆きは尽きないのであった。
深夜も日付の変わる頃。
皇女記念館敷地の斜め前の路上に1台の黒いワゴン車が駐車していた。
中には黒ずくめのジャージを着た2人の男の影があった。
二人とも サングラスをかけている。
補助席に座っている出っ歯で痩せぎすの男が、運転席に座っている チリチリ頭の小太りの男に喋りかけた。
「兄貴!そろそろですかね」
「おうよ!俺の調べに抜かりはねえ。もうすぐ奴が出てくるはずだ」
チリチリ頭が答えた。
やせギスの男の名は骨村 小助(ホネムラショウスケ)
チリチリ頭は油 万治(アブラマンジ)
2人は窃盗団の一味であった。
「この時間になると一人しかいねえ清掃係が腹を空かせて晩飯を買いに外に出る。記念館の中にはこの時間に飯を食えるところはねえ。必ず外のコンビニに弁当をあさりに行きやがるんだ。その時がチャンスだぜ」
「ええ、分かってやす」
へっへっへと 小助が笑った。
「しかし 兄貴、皇女の首なんて本当に高く売れるんですかねえ…」
万治はハンドルにもたれかけて記念館の方を注視しながら答えた。
「ああ。間違いねえ」
そう言うと ドリンクホルダーにあった缶コーヒーを一口ごくりと飲んだ。
「ブローカーのやつが言ってたぜ。さる欧州のとてつもねえ金持ちがいて、そいつの趣味がやばいらしい」
「へえ…どうやばいんで?」
「欧州は土葬だから王族や名族の墓が調査の為とかで発掘されて死体がよく出てくるらしい。だいたいミイラ化してるか、骨になってるらしいがな。それを手段を厭わず手に入れてコレクションにしてるんだとよ」
「ひぇ~!本当ですか?」
「ああ。だがそいつの一番の夢は皇女の首を手に入れることなんだ」
「手に入れて一体どうするんで?」
「応接間にでも飾るつもりらしいぜ。飾り付けてな」
「ハァ~、怖ぇーこぇー。金持ちの考えてるこ
とはわからねえ…」
「しっ!出てきたぜ」
2人が目線を写した先は 記念館の裏口であった。
そこからタカシが寒い寒いと言いながら出て来た。
「よし!今だ!」
彼がコンビニに向かって歩き去るのを確認して2人は飛び出した。
裏口の前に駆け寄ると 、あらかじめ用意していた記念館の鍵でドアを開け、中に忍び込んだ。
「皇女の居場所は 3階だ!」
「へい!」
二人は素早く駆け上がると観覧室に入り込んだ。
そこには豪華な玉座に座り 、自分の頭を右脇に抱えて静かに佇んだ和子の姿があった。
「ひゅ~!」
骨村はその静謐な美しさに一瞬目を奪われた。
「バカ!何を見惚れてやがる!急ぐぞ!」
2人はガラスケースの右端にある扉から中に侵入した。
(え!泥棒さん!)
和子は2人の姿を見て驚愕したが表情を変えることができない。
「へへ、悪く思うなよ 。皇女様」
そう言うと 小助は唐草模様の風呂敷を和子の頭にかぶせてそのまま和子の手から取り上げた。
(や、やだ!戻して!私の頭を戻して!)
彼女は焦ったが、声に出すことも出来ず、なされるがままになってしまった。
二人は記念館から脱出すると、車に素早く乗り込みそのまま走り去って行った。
タカシが記念館に戻ってきたのはその10分後であった。
たかしは鼻歌まじりで観覧室に入ったが、そこで買っていた弁当を床に落とした。
そこには首のない和子の胴体が、行儀よく両手を膝の上に置いて座っているのみであった。
(殿下の首がない!!)
タカシは激しく狼狽した。
しかしすぐに記念館の事務所に非常時マニュアルがあったのを思い出して、皇国警察に連絡を取った。
皇国警察はすぐに駆けつけ、 現場検証を行った後、速やかに捜索活動を開始した。
タカシは記念館で待機するように言われていたが、いてもたってもいられず「皇女様!」と叫んで飛び出してしまった。
一方和子は風呂敷にくるまれたまま運ばれた。
その為、どこをどう動いたのかさっぱりわからなかった。
アジトである古ビルの一室に到着してから窃盗団の2人は和子の頭を唐草模様の風呂敷からから取り出してテーブルの上に置いた。
「兄貴、うまくいきましたね」
「全くだ。あの清掃係びっくりしやがるぜ」
ガハハと笑いながら二人は雑談で盛り上がり、ブローカーとも連絡を取り始めた。
この内容に耳を立てていた和子は事態の深刻さを理解した。
(この2人、私を売るつもりなのだわ!い、嫌よ!富豪の家の飾り物になるなんて!絶対いや!)
和子は火のように焦った。
そして思い悩んだ末思い切った手段に出ることを決意した。
和子はすーっと息を吸うと、きっと決意して二人に向かって喋りかけた。
「うふふふ。ごきげんよう。お二方」
その瞬間 2人は硬直した。
「あ、兄貴!生首が!」
「ひ、ひい!喋りやがった!」
和子は妖しい笑顔で二人に語りかけた。
「まぁ!悪い方達ですね。わたくしの頭を盗むなんて」
「こ、皇女に意識があるなんて聞いてやせんぜ!」
小助が半泣きで叫んだ。
「う、う、う、うろたえるな、小助!こいつは首だけだ !何もできやしねえ!」
「うふふ 。そうはいかないの 。あなたたちは大変なことをしてしまったのよ。」
「い、いってえ何が大変なんだ!」
後退りしながら万治が絶叫した。
「私の体を不死身にした魔導師は、魔法をかけると同時にきつーい呪いも掛けたの」
「の.呪い!」
「そうよ。私の胴体から頭が奪われた時、私の怨霊が首に宿るようにね。うふふ」
「兄貴、怨霊だって!」
「そう怨霊。首を切られて死んだ人間の怨念ってマンモスきついのよ!平将門公の話も知ってるでしょう!私すごくこじらせちゃってるの」
「ヒィィ!こじらせちゃってるらしいですぜ!」
「うるせえ 小助!情けねえ声を出すんじゃねえ!」
そういう万治も恐怖で顔が引きつっていた。
(ここが勝負どころね!)
「さあて、そろそろ祟っちゃおうかな!」
ひい!と2人は抱き合った。
「元に戻してくれないのなら、きつ~い 呪いで祟っちゃおうかな!」
2人は号泣しながら 土下座して叫んだ
「許してください!戻します !すぐに戻します!」
そうして2人は慌てて和子の頭を風呂敷で包むと記念館に向かって車を走らせた。
到着すると都合のいいことに誰も不在だった。
2人は急いで観覧室に入ると 、玉座に座っている和子の胴体に首を渡した。
「ハァハァ!こ、これでいいんだろう!」
「あら、残念!私あの世に戻らなくっちゃ!さよなら~」
二人を抱き合ってふぅ~と安堵のため息をついた。
その時であった。
ちょうど 捜索に出ていた皇国警察とタカシが戻ってきたのだ。
「やや!? 貴様ら!何者だ!さては 犯人はお前らか!」
皇国警察官が叫んだ。
「え、えへへ。違いまさあ。わしら盗んだけど盗んでないんでございますよ」
「何を訳のわからないことを言っている!話は署でじっくり聞こう!」
「そんな!殺生な!」
泣き叫ぶ二人は連行されて行った。
「殿下!ご無事で良かった!」
タカシはその場で泣き崩れた。
(全く大騒ぎになっちゃったわね…)
和子はやれやれ と思った。
騒動がひと段落した観覧室の夜。
「すいませんでしたー!」
タカシが思いっきり 90度に腰を曲げて頭を下げた。
「今後は絶対 外に買い物に行きません!」
「でもあそこのコンビニは、深夜でも作りたての弁当が買えるのでしょう。気にしないでもよろしくてよ」
「で、殿下!」
タカシは、わっと号泣した。
(また さらわれたら『こじらせちゃったら』なんとかなるかもね)
和子はペロッと舌を出した。
次回 和子に更なる災難が降りかかる。
忠国記念館の朝は早い。
午前9時の開館の2時間前には職員が出勤する。
その時間に合わせて 毎朝必ず現れる男がいた。
『皇室庁特別名誉顧問』東郷 平九郎である。
皇室庁の建物は皇城の敷地内にあり、記念館とは数分の距離である。
平九郎は出庁前に必ず記念館を訪れ皇女に挨拶を行うのが日課であった。
胸に多数の勲章がついたカーキ色の軍服姿で、記念館の職員が整列する中「おはよう!おはよう!」と片手を上げて挨拶しながら入場する。
「あの御歳でよく御継続なさる」
館長の田端は毎朝感心する。
平九郎は観覧室に入ると玉座に座る和子の前で背筋を正し、直立する。
そして長い白髭顔を硬直させ口を閻魔のように結び、眼をかっと見開いて万歳三唱する。
「和子殿下 バンザ―イ!和子殿下 バンザ―イ!和子殿下 バンザ―イ!」
(はぁ…平九郎ったら…もういいって…)
30年近くもこれをやられて和子は閉口していた。
平九郎はこの儀式が終わると必ず1階の皇女カフェに寄ってコーヒーを飲んでから出庁するのが習わしとなっていた。
この日、朝には珍しくタカシがカウンター席に座って寝不足の目で熱いコーヒーをすすっていた。
「昨晩夜勤だったのに朝も来いって信じられない…どれだけ人使いが荒いんだ…」
タカシのぼやきが止まらない。
「おう !山田男!今日は朝から早いのう!」
「あっ!名誉顧問!おはようございます!」
たかしは慌てて 挨拶をした。
「よいよい。まあ 座れ。」
そう言ってから平九郎はタカシの顔をじっと見た。
「な、何でしょう…」
「いや、なに。わしの気のせいかもしれんが、お前が来てから殿下の顔が何やらご機嫌が麗しゅうなっておいでな気がしてな」
「そ、そうですか…」
タカシは内心ドキドキした。
そして 話題の向きを変えるために質問した。
「あの…顧問は確か…生前の和子様のお側に仕えておられたとか」
平九郎はコーヒーを ずずっとすすった。
「左様。殿下の間近で御仕え申し上げた」
「あの…皇女様は、一体どのような御方だったのですか?」
「ふむ…聞きたいと申すか…よかろう」
平九郎はカフェの天井を遠い目つきで眺めながらゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
館内の朝の陽光が窓から差し込みカフェのカウンターを優しく照らしていた。
タカシは息を潜め耳を傾けた。
「あの時の事は今でも昨日の事のように思い出される。正和10年の夏であった。突然 先代の海皇様からお呼び出しがあってな、殿下の教育係を仰せつかったのだ」
タカシは思わず姿勢を正した。
「教育係ですか?」
「うむ。しかし わしはその時戸惑った。海軍提督を歴任して戦や兵の事はともかく、婦女子の教育は全くさっぱりでな」
平九郎は苦笑する。
「しかし 困惑するわしに陛下は笑ってこう言われた。『和子と将棋の相手をしてやってくれ』と」
「将棋……?」
「ああ。殿下は将棋を覚えて間もなくあっという間に強くなりもはや皇城では誰も相手にならないとのことじゃった。わしはその時将棋は六段の腕前で、白羽の矢が立ったのじゃろう」
「六段ですか!」
「左様。それから度々登城しては皇城の奥深くの桜の木に囲まれた離宮の中で当時8歳であらせられた殿下と盤を挟むようになった」
「まだ殿下は幼いですね。さすがに顧問相手では勝負にならなかったんじゃないですか」
「それがのう、1局も勝てなかったのじゃ」
「ええ!1局も!」
「そうじゃ。1局も。只その内容が不思議でな…」
「不思議?」
「ああ。わしは攻め好きで殿下は受け将棋。序盤は一方的に攻め込める。中盤はますます有利になりもう勝った気になる。ところが終盤何故か雲行きが怪しくなり、 最後は必ず逆転されてしまうのじゃ」
「逆転ですか…」
「一見か弱い様に見えてさにあらず。読みが深遠で実は強靭であらせられるのが殿下の将棋の本質」
「実は強靱……」
「左様。将棋以外にわしは軍学兵法、漢籍、古典などの講義もよく行った。殿下はにこにこ笑いながら聞いておられたが、どこまでの御理解があるのかはその御表情からは伺い知れなかった」
「そうなのですか」
「しかし後で分かったのじゃが殿下はわしの申したことを一言一句全て覚えておられた。ただそれを決して表に出されることは無かった。」
「…能ある鷹は爪を隠しておいでだったのですね」
「その通り じゃ!しかしある漢詩が非常にお気に召されておいででな。諳んじてよく詠唱されておられた。」
「漢詩ですか?」
「左様。屈原の『国殤』じゃ」
「『屈原』?『国殤』?」
ピンと来ていないタカシに平九郎は一喝した。
「この痴れ者が!古典をもっと勉強せい!記念館にもこの詩はパネル展示されておるぞ!屈原は古代中国の忠義と理想に殉じた高潔の政治家にして後の漢詩の形を作った詩人。『国殤』はその代表作じゃ!」
「ひえ、すいません!あの…後学の為にどのような詩か教えて頂だけませんか…」
「ふむ !仕方ないの!ではよく聞いておけ!」
そう言うと平九郎は朗々と詩を吟じた。
呉の戈を操り、犀の皮鎧を身にまとう。
戦車の車輪はぶつかり合い、短い武器が間近で交錯する。
軍旗は日を覆い、敵は雲のように押し寄せる。
矢は空中で入り乱れて落ち、兵たちは我先にと突き進む。
敵は我が陣を踏み破り、隊列を蹂躙する。
左の馬は倒れ、右では刃に傷つく。
二輪の戦車は泥に沈み、四頭の馬は絡め取られる。
玉飾りの太鼓桴を取り、鳴り響く太鼓を打ち鳴らす。
天の時運は尽き、神威は怒り狂い、
厳しい殺戮の果て、屍は野に捨てられる。
出陣して戻ることなく、行けば帰還はない。
平原は果てしなく、道ははるか遠い。
長剣を帯び、強弓を抱え、
首と胴が引き裂かれても、心は屈しない。
まことに勇敢で、しかも武に優れ、
最後まで剛毅で、決して侮られない。
身はすでに死しても、魂は霊となり、
その魂魄は雄々しく、鬼神の中の英雄となる。
「……!」
タカシは言葉を失った。
「国のために戦った兵の勇敢と忠義を称える詩じゃ。殿下はこの詩をこよなく愛しておられた…」
「はい…」
「そして7年後、殿下が15歳になられた時、あの国難(大洋戦争)に直面した。強国アメリアナと戦うか降伏するかで国論は真っ二つに分かれた。先の海皇陛下も大変お悩みになられた」
「ええ。ただ当時は家臣の方や政府の意見は降伏に傾いていたと習いました」
「左様。わしら軍部とは意見が対立していた。その折、普段はあまり口を出されない殿下が珍しく陛下に具申なされた。『父上 戦うべきです』と」
「そうなのですか!?」
「わしは意外に思った。殿下は常に民の平安を考えておられた方。戦火に礼和国を巻き込むお考えは無いものと思っておった。しかしわしは同時に嬉しかった。このまま大人しく降伏してもアメリアナの奴隷に成り下がるだけじゃと思っておったからじゃ」
「そうなんですね」
「結局陛下は開戦に舵を切られた。それからというもの、殿下はドレスを捨て軍服を身に纏われた。夜のご就寝時も軍服をお脱ぎにならなかった」
「夜寝る時もですか!」
「左様。また食事も、おからとさつまいもと皇城の庭で取れる野草のみを食された。贅沢を遠ざけ米すらも決して口になされなかった」
「そんな…」
タカシの目に涙が浮かんだ。
「そして終戦となり、ライゼンバーグの前でその御命を断たれた。あの事はわしも含めて誰も全く予期していなかった。知っていたのは加藤だけじゃったようだ」
「加藤義国さんですね」
「ああ。加藤は忠義一徹の男じゃやったからな。まあ口は割るまいが、殿下から計画を打ち明けられた時はさぞかし悩んだろうよ。でも結局は殿下に逆らえず御命令に従った。ただ…」
「ただ?」
「わしはちょっと加藤が羨ましかった。殿下が最後の道連れにわしでなく加藤を選んだことは少し妬ましかった。まあでも剣の達人である加藤でなくばあの役目は務まらなかったであろうよ」
「はい…」
そして平九郎は少し声を低く落とした。
「これはわしの勝手な想像じゃが、殿下は開戦を主張なされた時、あの御自身の壮絶な最後も覚悟しておられたのではないかと」
「……ええ!!」
和子は、玉座の上で黙したまま、どこか遠くを見つめていた。
「勝てるはずもない戦であることは殿下も十分に承知しておられた筈。ならば負けて勝ちを取ることしかないとお考えになったのではなかろうか。最後は自分が犠牲になればそれで済むと……うん?」
「う…うええん!」
タカシの顔は滂沱でびしょ濡れになっていた。
「おいおい。山田男!泣くな。年寄りの戯れ言じゃ。」
その時開館のアナウンスが流れた。
「皆様おはようございます。国立忠国皇女記念館はまもなく開館です。ご入場の方はゲートにお並びください」
「おっといかん。もうこんな時間か。では わしは庁に行くとしよう」
平九郎は慌てて立ち上がると残ったコーヒーをずっと飲み干し、「殿下の事は頼むぞ」と言って出口の方に去って行った。
タカシは腰を45度に折り曲げ平九郎を見送りながらその形を崩さなかった。
今日も入口には多数の来館者が列をなして会館を心待ちにして待っていた。
その上の雲ひとつない青空には大きな鷹がゆったりと舞っていた。
秋の夕暮れ時。
空は夕焼けのいわし雲で真っ赤に染まっていた。
閉館時間前に出勤したタカシは事務室に入った時に壁に貼られた大きなポスターに目が行った。
「皇女の生涯 奇跡の映画化!」
「感動巨編!『國燃ゆる 桜散る』春公開!」
宣伝文句が踊り、登場人物と思しき多数の男女が配置されシネマ的な雰囲気を醸し出していた。
「館長!これってもしかして皇女様が映画化されるんですか!」
「そうなんだ。皇室庁からポスターが届いた。掲示板にも張り出しておけとの事だ」
田端は帰り支度をしながら答えた。
「すごいですね!初めてじゃないですか!」
タカシは興奮して鼻を鳴らした。
「確かにね。小説 や戯曲などでは殿下のストーリーは色々と描かれていたがね。ただ、これからが大変なんだ」
「と言いますと?」
「映画が完成したら最初の上映会が観覧室で開催される事になったんだ。全国に先駆けてね。」
「ええ!」
「皇室庁からの 強い指示が出てるんだ。だから観覧室にスクリーンや映写機を設置しなきゃいけないし、座席の確保も必要だ。ポスターを貼ったり告知活動も必要だしね。タカシ君にも手伝ってもらうよ」
(まじか!)
タカシはげっそりした。
1ヶ月後、各メディアにて映画の予告発表が大々的に行われた。
映画『皇女救国実録:國燃ゆ 桜散る』
──"たとえ この身が散ろうとも"──
【作品概要】
監督:黒沢 朗(『7人の武士』『影夜叉』『黒髭』)
脚本:大国 英夫
音楽:久石 条
制作:東洋シネマスタジオ
公開予定:来年春 全国ロードショー
【ストーリー】
正和20年。
東方の島国・礼和国は、西方の軍事大国アメリアナとの大洋戦争に敗れ、無条件降伏を余儀なくされる。
進駐軍総司令官ライゼンバーグが掲げたのは、言語・歴史・宗教・農業・王制――礼和国の国体そのものを消し去る「五箇条の方策」。
静かに、だが確実に、国は滅びへ向かっていた。
そんな中、帝都に建設された進駐軍総司令部を一人の少女が訪れる。
海皇家第二皇女・和子。十八歳。
彼女が差し出したのは、五箇条中止を求める一通の嘆願書――
そして、その対価は「自らの命」だった。
【主要キャスト】
和子皇女 (浜田美波)
和子幼少期(芦田真菜)
ライゼンバ―グ(ジム・ハンクス)
加藤義国(仲大達矢)
東郷平九郎(三船敏夫)
斑目慎之助(堺正人)
久仁海皇(市川正親)
【特報ナレーション】
――「その日、世界は震撼した!」
――「命を捧げた皇女。救われたのは、国か――魂か!」
――「この春観客は皇女の真実を目撃する!」
この映画の発表は礼和国中を興奮の渦に巻き込んだ。
記念館は特別上映会の抽選申込みを開始したが、500席の枠に対し100万件以上の申し込みが殺到した。
タカシは和子の国民的人気を改めて実感させられた。
一方 倒壊工務店の手によって観覧室の天井に昇降式の巨大なスクリーンが取り付けられた。玉座と反対方向の壁面に降りるようになっていて、和子から画面を正面に見据えられる様になっていた。映写機は4K/HDR、音響システムはDolby Atmosが採用された。
そして明日に上映会を控えた夜、座席の準備とチェックを行っていたタカシは皇女のガラスケースの前で一息ついた。
和子はグロッキー気味なタカシにねぎらいの声を掛けた。
「タカシさん、連日の御準備お疲れ様です。だけど何故この部屋で上映会なのかしら?2階の展示室にも映像コーナーがあった筈だけど…」
「それはですね 、名誉顧問の御意向なんですよ。皇女様と一緒に見るのだ!とテンションが爆上がりの様です」
「また平九郎ですか…でも実は私もドキドキしています!どの様に演じて頂けるのか本当に楽しみで。それにスクリーンが反対側だから観客の皆様は私に背を向けているのでちょっと表情が崩れても大丈夫かな」
「だ、駄目ですよ皇女様…油断大敵です!」
「分かったわ 。気を付けます 。うふふ」
しかしワクワクが止まらない和子であった。
翌日、上映は朝10時開演 であった。
抽選で選ばれた500名の特別応募観覧者に加え 皇室関係者、並びに記念館職員の座席も設けられ 、満員の熱気の中で上映が始められた。
―画面はライゼンバーグの静かな回想から始まった。
『私はあの日のことを忘れない。民のために命を投げ捨てた1人の皇族の女性。そう、プリンセス和子のことを』
そして画面は壮大な音楽と共に切り替わり、花びらが散る桜に囲まれた皇城の離宮を背景に『國燃ゆ 桜散る』のタイトルが大写しされた。
「ぐおォォーッ!」
平九郎の大きな鳴き声が響いた。
(もう!平九郎ったら!こんな初っ端から堪忍して…)
和子は腹筋を抑えつつ心の中でぼやいた。
そして久仁海皇に和子の教育係を命じられた平九郎が皇城の離宮を訪れ、芦田真菜演じる幼少期の和子が登場したシーンでは劇場中が歓声に包まれた。
(真菜ちゃん かわいい!皇室仕様のピンクのフリフリのドレスもそのまんま!)
和子もテンションが爆上がりした。
そしてストーリーが進行。
アメリアナとの開戦から激烈な戦闘シーンの連続へと移り緊迫した展開が続いた。
次々と運ばれてくる負傷兵を己の体力の限界を超えて魔導力で治療し続ける堺正人演じる斑目慎之助の迫真の演技が映し出された。
(本当にこんな感じだったのかも…慎之助…)
和子の涙腺がゆるゆるになっていた。
どうしても表情が緩みがちになるが、その度に前の座席のタカシが振り向いてチラ見してくる。
(タカシさん、私の表情が動くポイントがよく分かってる)
諦めて和子は表情を締め直す。
そして終戦後、ライゼンバーグが帝都空港に悠然と降り立つ場面から過酷な進駐軍支配を描いた後、和子が加藤義国に対し嘆願書の計画を打ち明けるシーンとなった。
このシーンでは和子を演じる浜田美波と義国を演じる 仲大達矢の素晴らしい演技が炸裂した。
『義国。わたくしはライゼンバ―グの元に参ります』
『彼奴の処に?何故に?』
『この嘆願書を渡すためです。五箇条の方策は絶対に止めねばなりません。あれの実行はすなわち礼和国の死です』
『ふむ…しかし 殿下。彼奴が果たしてそれを読みますでしょうか』
『読ませるのです…私の首をみやげに!』
―ここで メインテーマの悲しくも美しい旋律が流れ出した。
「ぐおォォーッ!」
また平九郎の大きな鳴き声が響いた。
(もう!平九郎 …いいところなのに…)
せっかくの感動シーンなのに和子は笑いを抑えるのに必死だった。
『なるほど。そして彼奴の目の前で殿下の御首をはねるのは私の役目と…』
『そうです。承知してもらえますか?』
『全く涼しい御顔で無茶を御命じなさる…ただ…殿下はいつもそうでしたな。奥の手はいつも隠しておいでだ。ただ一つ条件がございます』
『何でしょう?』
『この老骨も後を追わせて下さい。如何ですかな?』
『義国!…………分かりました。』
『ありがたき幸せ。ライゼンバーグの奴、さぞかし肝を冷やすでしょうな!ははははは!』
(違う違う!全然こんなんじゃない!義国に打ち明けたら号泣して土下座して『姫様、お止め下さい』と何度も叫びながら気絶しちゃったのよ。説得するのにすごい苦労したんだから)
呆れながらも和子はクスッとした。
(でもこの義国、格好いい!)
そして映画はついにクライマックスへ。
進駐軍の本部を訪れる和子の最後のシ―ンが始まった。
『Hey!プリンセス!最大限の敬意を込めて申し上げますが――ノーです』
ジム.ハンクス演じるライゼンバ―グか嘲笑しながら嘆願書を拒否した場面。
そこで浜田美波演じる和子がピンク色の小菊の花がついた茎を銜えた。
それを合図に仲大達矢が仕込み杖の刀を抜き『御免!』と叫んだ。
その瞬間、画面は桜が散る皇城の離宮のシ―ンに切り替わった。
そのまま桜が散り続けるその画面を背景にエンドロールと、映画の主題歌『たとえこの身が散ろうとも』が流れ出した。
そしてエンドロールと主題歌が終わった後、大勢の観覧者で賑わう記念館の様子が映され、最後に玉座に座る和子の姿が画面をいっぱいに映され、巨大な『完』の文字が表示された。
(え!何か撮影してたけどここで使うの!?恥ずかし―!)
和子赤面。
観覧室内はすすり泣きが広がり、上映終了のナレーションが流れても皆はなかなか退出しなかった。
平九郎は号泣して自分で歩けず皇室庁の職員に両脇を抱えられて退室した。
その夜、片付けが落ち着いた後、タカシは泣き腫らした顔で和子に映画の感想を聞いた。
「そうね。所々ちょっとおかしなところもあったけど、俳優さんは一生懸命演じてくれていたし、大体事実に沿って描かれていた感じでとっても良かったと思います。ただ…」
「ただ?」
「私小菊なんてくわえてない。あれは一体何なんでしょう」
「あっ!もしかして!」
タカシが叫んだ。
「ど、どうしたの?」
「エンドロールを見ていると『轟善治郎』の名前がありましたよ!エキストラの中に!」
2人は同時にハァ~と溜息をついた。
今回の映画化は概ね成功した。
しかしこの事が大変な事態を招くのであった。
次回 皇女の物語ハリウッド映画化される
ロードショーが開始されると『國燃ゆる 桜散る』は列島を飲み込む巨大な熱波へと変貌した。
劇場のチケットカウンターには連日「満員御礼」の札が掲げられ、上映が終わるたびに、赤く目を腫らした観客たちが波のように街へと溢れ出していく。映画館のロビーに誰かのすする鼻声が絶えることはなかった。
その勢いは、年末の『礼和アカデミー賞』をも席巻した。
司会者が封筒を開けるたび、会場を埋め尽くしたフラッシュが一点に集中する。
「最優秀作品賞――『國燃ゆる 桜散る』」
「最優秀主演女優賞――浜田美波」
脚本、美術、照明、そして胸を締め付ける旋律を紡いだ音楽賞……。賞を総なめにするその様は、まさに映画史に刻まれる台風の目そのものであった。
熱狂は国境を越え、全世界三十カ国へと飛び火した。
なかでも最大の衝撃を持って迎えられたのは、かつて銃火を交えた因縁の敵国――アメリアナである。
当初、東海岸の限られたミニシアターでひっそりと始まった上映は、初日の夜に早くもキャパシティを使い果たした。
劇場は連日長蛇の列を成し、事態を重く見た配給元は、すぐさま全米五千館規模への拡大放映を決定した。
劇場動員が進むにつれ、アメリアナ国民の反応は概ね次の5つに分かれていった。
① 一般観客(最大多数)
「重いが美しい映画」
「プリンセスが犠牲になる話は胸に来る」
「あの少女はヒーローだ」
「戦争は誰も幸せにしない」
反応:概ね好意的、だが複雑
② 進歩派・リベラル層
「これは帝国主義の悲劇を描いた作品」
「アメリアナの行為は、当時の“構造的問題”」
「個人(ライゼンバーグ)と国家を分けて考えるべき」
反応:若干辛口
③ 保守派・軍事層
「反アメリアナ・プロパガンダだ」
「あれは占領ではなく解放だった」
「史実を歪めている」
反応:かなり批判的
④ 学術・評論・メディア
「被支配者が自分の物語を語る構造」
「沈黙する皇女というメタファー」
「処刑を描かないことで暴力を強調する手法」
反応:めちゃくちゃ食いつく
⑤ 炎上(ごく一部)
「プリンセスを美化しすぎ」
「礼和国が弱かっただけだろ!」
「魔法で人を治すだって!馬鹿げてる!」
「レディの首を切るだって!無茶苦茶だろ!」
反応:罵詈雑言の嵐
だが、ざっくりといえばアメリアナ人の思いは下記に集約された。
「これは、敵国の映画なのに……なぜか、胸が痛い…」
タカシが驚天動地の情報を知ったのはそんな皇女の映画が盛り上がりを見せている最中であった。
休憩時間に事務室で鮭弁当食べていたタカシは、備え付けのテレビのCMを見て咀嚼していた米飯をブーと吹き出した。
『皇女の物語 遂にハリウッドにて映画化!総製作費7億ドル!《koujo 皇女》今秋上映決定!』
タカシは口を拭きながら隣で新聞を読んでいた田端に咳き込みながら訪ねた。
「これマジですか!館長はご存知でしたか!」
「ああ。でも私も昨日知ったばかりだ。制作も極秘で進められていた様だね。映画会社はワーナー ・スタジオらしいけど」
「ワーナーですか!すごいですね!」
「うん。でもこれから大変だよ。今回も世界に先駆けてまた観覧室で上映会を行うらしい。今度は1000人呼ぶ計画だよ」
「げっ!」
「さあ 、これから忙しくなるよ。 覚悟しておいてくれたまえ」
「うぐう…」
タカシの脳裏に前回の準備に忙殺された悪夢が蘇がえっていた。
1週間後、各メディアにて正式発表が華々しく行われた。
題名『koujo 皇女』
──"我々は勝ったはずだった…──
【作品概要】
監督:ジョージ・サーカス(『スターファイト』『トレンディジョーンズ』『アメリアナ ・グラフィティ』)
脚本:ローレンス ・ブラケット
音楽:ジョン・ウィリアム
制作:ワーナー ・スタジオ
公開予定:今年秋 全世界同時ロードショー
【ストーリー】
聖暦19☓☓年
アメリアナは東洋の神秘の国、礼和国との《大洋戦争》に突入した。
アメリアナは《koujo》和子が率いる魔道士軍団に苦戦を強いられていた。
しかし戦況を覆す一人の男が現れた。
その男の名はライゼンバ―グ。
彼の指揮により戦況は逆転し、礼和国を打ち破る事に成功する。
占領後、戦犯を裁く《帝都裁判》が行われる。
そこでライゼンバ―グが目撃したものとは……!
【主要キャスト】
デビッド・ライゼンバ―グ(ジム・クル―ズ)
《koujo》和子(リ―・チャンチ―)
ジェフ・ゴードン将軍(R・リー・ジャーメイ)
ト―ルマン大統領(クリントン・ウエストウッド)
加藤義国(渡瀬謙)
東郷平九郎(三船敏夫)
斑目慎之助(浅井忠信)
エンペラー久仁(真田広行)
【特報ナレーション】
《世界最強に立ち向かうのは1人のプリンセス!》
《伝統 vs 近代。勝つのはどちらだ!》
《どちらにも負けられない戦いがある!》
それからひと月が過ぎた。
ハリウッド映画の公開を翌日に控えた夜、閉館後の観覧室は照明を落とし、静まり返っていた。
展示ケースの前に立つタカシは、しばらく言葉を探すように逡巡してから、意を決して皇女に声をかけた。
「……あの、皇女様。今回の映画化の件ですが……正直なところ、どうお感じになっていますか」
和子は黙しながら自分の膝に生首を乗せ、漆黒の髪がさらりと流れ落ちるのを、右手でゆっくりと撫でる。
「元敵国だったアメリアナが、皇女様を題材に映画を作るなんて……」
タカシは苦笑しながら続ける。
「どんな内容になるのか、正直少し不安で。名誉顧問なんて『アメリアナの連中め! ようやく殿下の偉大さと己の愚かさに気づいたか!』って、もう大騒ぎで……」
和子はようやく顔を上げ、穏やかな声で答えた。
「そうね……。来館するアメリアナの人々の反応を見ていても、礼和はまだ“未知で珍しい国”なのだと感じるわ。でも、だからこそ――映画の内容には、とても興味があるの」
「そう、ですか……」
「ええ」
和子はわずかに微笑む。
「戦後三十年。かつて刃を向け合った国が、今、我が国をどう見ているのか。それを垣間見る手がかりになるかもしれないでしょう?」
指先が黒髪をなぞりながら、言葉は続いた。
「国家としては平和協定を結び、結びつきも強くなったわ。でも……民間の感情は、必ずしも同じとは限らないもの。映画は、そこを映す鏡になるかもしれないわね」
「はい…」
タカシはゆっくりと頷いた。
次回 ハリウッド映画いよいよ上映!
その日、ハリウッド制作による映画『koujo』が、全世界同時公開を迎えた。
元敵国アメリアナが制作し、第二皇女・和子の生涯を描いたこの作品は、公開前から大きな注目を集めていた。
忠国皇女記念館の正門前には、早朝から報道関係者や招待客が集まり、館内には普段とは異なる緊張感が漂っていた。
正門に掲げられた大型の宣伝幕には、英語で映画の原題が記され、その下に「本日公開」の文字が添えられている。
三階大観覧室は前回の倍の人数が招待され
通路は身動きが取りづらいほどの混雑となっていた。
高揚感と期待が群衆全体を包み込み、場内は常にざわめきが途切れることはなかった。
「ぐはははははは!アメリアナの者共が 殿下を崇拝する様をとくと拝んでやるとするか!」
平九郎の大きな声がする。
(さあ。いよいよ始まるのね)
ワクワクが止まらない和子。
開館時間が近づくにつれ、館内の照明が順に消灯していく。
そしてほぼ同時刻、世界各地の映画館でスクリーンが暗転し、最初の字幕が映し出された。
《これは、実話に基づく物語である》
重々しい英語 のナレーションと共にプロローグが流れ出した。
《Imperial Capital Outskirts — Reiwa Empire(礼和皇国帝都郊外)》
ビクッとするほど大きな音量で多数の戦車がキャタピラーで粉塵を巻き上げながら爆進する姿と、それに付き従う大量の歩兵の様子が映し出された。
平原を突き進む軍団のシーンが大迫力で観客を圧倒する。
戦車の車長ハッチから上半身を乗り出したR・リー・ジャーメイが演じるゴードン将軍が大声で兵士を鼓舞している。
『いいか!あいつらを人と思うな!奴らは魔法を使う化け物だ !1匹残らず叩き潰せ!分かったな!』
歩兵は一斉に『イエッサー!』と答える。
そしてその戦車が向かう数百メートル先には、瓦屋根に土塀のバリケードが長城の様に築かれている。
その土塀の前にカーキ色の詰襟軍服姿の数百人の将兵が正座で並んでいる。
彼らは微動だにせず、迫り来る戦車軍団を凄まじい目つきで睨んでいる。
その正座で並ぶ将兵の列のど真中に、赤い詰襟に胸元に金の飾緒があしらわれた軍服姿で敵をまっすぐ見据えて立っているリー・チャンチ― 演じる和子の様子が映し出された。
表はカーキ色で裏地が真っ赤なバラの刺繍が入った軍用ロングコートを羽織っている。
下半身は乗馬ズボンに10cm ピンヒールのエナメルの黒光りするロングブーツを着用している。
表情は冷静で凛然としており、姿勢は直立不動。
地面まで届く長い黒髪に、耳には肩まで届く桜とピンクダイヤがあしらわれた華麗な耳飾りが揺れ、軍人でありながら皇族的な気品を漂わせていた。
長く豪華な軍刀を正面に突き立て、柄頭に両手を載せていた。
左右には2人の男性が立っている。
右脇には、筋肉ムキムキで傷だらけの上半身裸の、肩に大剣を担いだ三船敏夫が演じる東郷 平九郎が豪快に笑う。
『グアッハハハハハハ!こいつはまた、大層に押しかけてきましたなあ、殿下!』
和子は敵を見据えたまま口がにやりと笑う。
左脇には透き通るような腰まである銀髪で、左右が赤と金色のオッドアイ、黒の燕尾服姿の斑目 慎之助(浅井忠信)。
『放ちますか?』と ボソッとつぶやく。
『暫し待て!』和子が凛とした声で制す。
アメリアナの戦車軍団は礼和軍から数百メートルのところで一斉停止すると、戦車の砲身を和子らに向けた。
『発車!』
ゴードン将軍が叫んだ。
地響きがするような轟音と共に全車一斉射撃が開始された。
しかし 砲弾は礼和軍の手前に見えないバリアがあり、全て弾かれてしまう。
『Oh My God!』ゴードン将軍が愕然とする。
その時に和子が静かに右手を差し上げた。
それと同時に慎之助をはじめとする将兵全員が飛び上がり空中で停止した。
そして全員が両手の手のひらを戦車部隊の方に向けた。
『放て!』
和子が号令をかけると、魔導士軍団の手のひらに真っ赤な炎が灯り、灼熱の火の玉が連続で発射された。
火の玉は轟音と共に戦車に命中し、その全てが破壊された。アメリアナ軍は混乱の極致に陥った。
『今ですぞ!』
平九郎が叫んだ。
和子はばっとコートを脱ぎ捨てると 、刀を鞘から抜き出し両手で柄を握ると 『イヤ―!』と叫んで敵に向かって突入した。
その後ろを大刀を持った平九郎が続いく。
アメリアナ歩兵は一斉に機銃掃射で応戦したが、なぜか2人には当たらない。
敵陣に突入した2人は逃げ惑うアメリアナ兵をバッサバッサと切りまくった。
(わたくし…めっちゃ 戦ってる…)
和子は目眩がした。
『オーノー!私は夢でも見ているのか…』
ゴードン将軍は両手で頭を抱えた。
破壊され 煙を上げる戦車群とその周りに無惨に横たわるアメリアナ兵の姿が写され、静かな鎮魂の旋律が流れる――
ここまでで観客の1/3は口から泡を吹いていた。
言葉を失い アングリする和子。
しかし容赦なく映画は続いていく。
シーンが変わってアメリアナの大統領官邸が映し出される。
執務室に呼び出されたゴードン将軍が青ざめて立っている。
クリントン・ウエストウッド演じるトールマン大統領が両手を背中で結んで無言で窓の外の景色を見ながら言葉を投げかけた。
『将軍、君は当初この戦争を3日で終わらせると言ってなかったかね』
『は、はい!その……』
大統領は眉間にしわを寄せて振り向いた。
『まあそれはいい…しかし帝都を目前にして世界最強であるはずの我がアメリアナ軍を持ってして一向に攻略が進まないように見えるがそれは何故なのかね?』
『………』
無言のゴードン将軍。
『君で無理なら《彼》にやらすしかないのじゃないかね』
『《彼》! や、奴は駄目です!あいつはこれから軍法会議にかける人間です!』
トールマン 大統領はパチンと指を鳴らした。
両脇を屈強の黒人兵に抱えられ、両手に手錠ははめられたジム・クルーズ演じるライゼンバーグが執務室に連れてこられた。
『俺に一体何の用です!』
ライゼンバーグは叫んだ。
トールマンは感情の抑揚のない声で質問した。
『君は沖島戦線で指揮を取り、少人数且つ短期間で素晴らしい働きをした。しかし勝利を目前にして急に全軍を撤退させた。それは何故かね?』
『あの島は敵兵と軍事施設しか無い筈じゃなかったのか!女、子供がいるとは聞いてなかった!』
『なるほど。君の言いたいことはわかった。だが戦場では想定外の事態はよくある事だ。そこは重要ではない。問題なのは君が軍令違反をしたことだ。君の後任で作戦の指揮を取ったバークレー准将は反撃にあって戦死している。また陥落させるまでに多数の兵士を失った。誠に残念なことだ』
『俺に一体どうしろと言うんです!』
『君にもう一度チャンスを与えよう。皇女を生け取りにし、帝都を陥落させるのだ。そうすれば君の罪は白紙に戻そう。進駐軍の指揮を君に委ねても良い』
『嫌だと言ったら?』
『君は軍法会議にかけられる。おそらく処刑になるだろう。君の妻子を罪人の家族にしたくないんだ。賢明な判断をしてくれたまえ』
『くっ!』
ライゼンバーグは渋々承諾し手錠から解き放たれた。
そしてついに彼は帝都に向かう。
皇女と直接対決する為に。
次回 ハリウッド映画編 クライマックス!
帝都攻略戦線に到着したライゼンバーグは、ウィリアム・ワグナー演じるサンダー軍曹と共に、長城の様に続く帝都防衛ラインを眺めている。
居並ぶ魔導士軍団の中央に和子の立ち姿が見て取れる。
(皇女が自ら前線に立っているのか…)
ライゼンバーグは感慨深げに敵を見つめながらサンダ―に問いかけた。
『なあ軍曹。あいつらは何で戦ってると思う?』
サンダー 軍曹は 噛みタバコをぐちゃぐちゃと噛みながら 答えた。
『それは祖国防衛の為でしょう』
『じゃあ俺たちは何の為に戦ってるんだ』
『自分は軍人ですから命令のままに動くだけです』
『そうだな。だが俺は沖島戦線で、前線を突破して見たのは女学生や子供で編成された部隊だった。君も見ただろう。あいつらは敵なのか?あいつらを殺すことが俺達の使命なのか?』
『…それは…こちらに銃口を向ける以上は敵でしょう』
ライゼンバ―グは苦笑する。
『そうだな。つまらないことを聞いてすまなかった』
サンダー軍曹は口に笑みを浮かべながら続ける。
『私は軍人ですから 司令官殿の命令には従います。だから沖島でも撤退命令には従いました』
それを聞いたライゼンバーグはサンダー 軍曹の肩に手をやり大きく笑った。
その時に通信兵が慌ただしく駆け寄って来た。
『ゴ―ドン将軍から連絡です!』
差し出された野戦電話の受話器を一瞬ためらいながら受け取ると、苛立ちに満ちた声が耳に突き刺さった。
『ライゼンバ―グ!なぜ奴らと睨み合ってる?あの目に見えないバリアに手も足も出ないと言うんじゃないだろうな!攻略の手立てはあるのか?』
『…ちゃんと考えてますよ』
『一体どうやるつもりだ?』
『沖島戦線でもあのバリアに苦労させられました。あれは高速で飛んでくる金属に反応して全て弾き返す。ただし生身の人間は弾けない』
『何だと!?』
『だからバリアの内側まで突撃して魔導師どもを叩きます』
『そんなバカな!たどり着くまでにやられるぞ!おい!聞いているのか…』
がちゃん という音とともに受話器が切られた。
『だから《やられない》メンバーを連れてきたんだ。 なあサンダー軍曹』
ライゼンバ―グはにやりと笑って軍曹の肩を叩いた。
『我々が行かされるのはこんな現場ばっかりですな』
『仕方ないさ。誰かがやらなきゃならない事だ。そろそろ行くとするか。』
『イエッサー!』
軍曹は素早くハンド・サルートを切った。
場面は戦闘シーンに切り替わった。
戦車や牽引砲による激しい射撃が行われ、前回のように礼和軍のバリアーにことごとく弾かれる。
『全く学習せん奴らですな。がははは!』
平九郎の高笑いが響き渡る。
合図と共に魔導士軍団が飛び上がり、手の平から繰り出される火炎弾によって次々と戦車や 砲台が破壊されていく。
ところが斑目慎之助が異変に気付いた。
いつの間にかライゼンバーグとサンダー軍曹が率いる歩兵団が間近にまで迫っていた。
(ちょっと待って!ライゼンバ―グ閣下はアメリアナ軍総司令元帥の筈…自ら先頭を走ってる!)
和子は目を白黒させた。
『そんなバカな!早すぎる!』
慌てた慎之助がアメリアナ軍に手をかざした途端、サンダー 軍曹によって手の平を銃弾で打ち抜かれて落下し、地面にうずくまってうめき声をあげた。
他の魔導士も一度発弾した為すぐに二の矢が打てず、アメリアナ軍の銃弾によって次々と倒されていく。
『殿下!これはいけません!私が防ぎますので早くお逃げを!』
平九郎が即すも和子は『私は逃げぬ!背は向けぬ!』と言って抜刀し、先頭にいるライゼンバーグに向かって挑みかかった。
ライゼンバ―グは『彼女は打つな!』と全軍に命令すると、鋭い金属音とともに将校用のサーベルを引き抜いて構えた。
和子は上段から鋭い一撃を振り下ろすも、ライゼンバ―グは両手で サーベルを持って受け止め、激しい金属の衝突音が起きた。
和子の軍刀を支えながら『皇女!降伏するんだ!』
とライゼンバ―グ。
『貴様たちこそ立ち去れ!』と叫ぶ和子。
その時サンダー軍曹が麻酔銃を放ち和子は脱力して崩れ落ちる。
『殿下―!』と叫んで 平九郎が駆け寄るも、眠っている和子の頭にサンダー軍曹が銃口を突きつけている。
ライゼンバーグは静かに『降伏しろ』と言った。
平九郎は和子を見て歯を食いしばった。そして、沈黙の後両手をゆっくり上げた。
この後、黒画面に重々しくナレーションが響いた。
『この戦いの後ほどなくして帝都は陥落した。礼和国は降伏し、ライゼンバーグは進駐軍として留まり敗戦国の処理を行った。彼は皇族を尊重し丁重に扱った。国民にも物資や食料を支援し混乱の収集に努めた。しかし 1ヶ月後、本国の意向を受けてウイリー・ウェーブが礼和国に派遣された。戦争犯罪人を裁く《帝都裁判》を行う為である』
進駐軍のビルの一室で怒声が響き渡る。
『だから 一体何の為の裁判なんだ!』
ライゼンバーグが執務室の机をドンと叩く。
前のソファーに座ったマイク・スタンバーグ演じるウィリー・ウェーブ裁判長がソファにゆったり座って表情一つ変えずに答える。
『だから落ち着きたまえ。礼和国の戦争責任者は裁かれなくてはならない。むろん、その支配者である皇族も例外ではない。彼らは処刑台に送られなければならない。これは本国の意向でもある』
『じゃあ一体何の罪でだ!』
『彼らは我が国の兵を多数殺害した。殺人を犯したものは裁かれる。当たり前の事だろう』
『ふん!なら俺達アメリアナ軍も裁かれないといけないな!』
『司令官殿、言っておくが我々は戦勝国だ。彼らを裁く権利は当然我々が持っている。そこを履き違えてはならない。』
『そうか…ではその裁判とやらに当然この俺も参加させて貰う。それでいいな!』
『君は戦後処理の責任者だ。認めないわけにはいかないだろう。但し…』
ウェーブは 上目遣いで ライゼンバーグをジロリと睨みつけた。
『私は今回の裁判の全権を委任されている。あまり余計な 口出しをしない事だ。それは君の為に言っておく』
ライゼンバーグは眉をひそめて肩をすくめた。
重苦しい不吉を予感させるような旋律と共に
帝都裁判の舞台である 千ヶ谷軍事法廷の様子が映し出された。
法廷最奥に一段高く設けられた裁判官席があり
3名の裁判官が横一列に並んでいる。
中央に裁判長、左右に副判事が着座している。
裁判官席の正面左側の検察席にはずらりと20人の検察官が並び、ギラついた目で大量の証拠書類を確認している。
向かって右側の弁護人席にはちょび髭で丸眼鏡の気弱そうな礼和人弁護士が一人だけちょこんと座っている。
そして中央前方の被告人席がゆっくりズームアップされる。
真田広行演じる久仁海皇と皇女和子を中心にA級戦犯28名が着席して重苦しい雰囲気に包まれている。
全員胸に整理番号のワッペンがついたねずみ色の囚人服を着させられていたが、皇族のみ儀礼用の正装軍服の着用を許されていた。
後方に傍聴席があり、報道陣や 一般傍聴者に混じって腕組みをして厳しい表情のライゼンバーグの姿があった。
裁判が開始されジミー・リー・ジョン演じる検察官 ヨーゼフ・B・キリンが人間らしい表情を一切見せず冒頭陳述と証拠提示を長々と行い最終論告した。
『海皇久仁、皇女和子並びに A 級戦犯28名には全員絞首刑を要求します』
議場にざわめきが広がる。
ライゼンバーグは立ち上がって大きな声で怒鳴った。
『ちょっと待て。被告人弁論はどうした!』
『静粛に!』
裁判長のウェーブはガベルを激しく打ち付けた。
そして忌々しげにライゼンバーグを睨みながら
声を絞り出した。
『………では被告人の発言を許可します』
この時に、静かながら厳粛で美しい旋律が流れ出し、被告人席を厳かに立ち上がる和子が正面から大写しにされた。和子は透き通るような声で語り始めた。
『裁判長。この度の戦争について海皇である我が父は最後まで反対の立場でした。ここにいる家臣や 軍人は皆、私の命令に逆らえず動いたに過ぎません。全ての戦争責任は私にあります。そこで私に提案があります』
『…申してみてください。』
『わたくしはこの場で《ハラキリ》を行います。そしてこの首を落とし、アメリアナ国家に献上いたします。それでここにいる我が父や軍人家臣全員を無罪として頂きたいのです』
(ハ…ハ…ハラキリ?わ…わ、わたくしが?)
和子は気を失いそうになった。
議場全体に悲鳴混じりの激しいざわめきが起きる。
『静粛に!静粛に!』裁判長は再び激しくガベル打ち着け議場を制した。
『そのようなふざけた発言は許可できません!』
普段冷静沈着なウェーブが珍しく取り乱していた。
しかしその時であった。
皇女和子はゆっくりと前に出て歩み寄り、その後ろに渡瀬謙演じる加藤義国が杖を鳴らしながら付き従った。彼女は裁判官席の正面の床に正座し、義国はその斜め後ろに立った。
裁判長は(何をする! 席に戻りなさい!)と言いかけたが声を発することができず、全身が硬直して動けない。
彼だけでなく法廷にいる全員が金縛りにあったように動けなくなっていた。
被告席の斑目慎之助の両目が怪しく点滅している。
和子はゆっくり軍服のボタンを開け、金の刺繍の入った詰襟のホックを外した。
上着の下には桜の刺繍が細かく入ったシルクのワイシャツと白のベストを着用し、皇室の桜の御紋が入った金色のネクタイを締めていた。
ベストとワイシャツの下半分のボタンを丁寧に外し下腹部を露出した。
そしてネクタイの剣先を真紅の唇で銜えると皇族専用の桜の御紋が入った自決用の小刀を両手で目の前に持ち上げ、ゆっくり鞘から刀身を引き抜いた。
銀色の刃が美しく光った。
(やめるんだ!皇女!)
ライゼンバ―グは叫ぼうとしたが口が動かない。
次回 ハリウッド映画編 完結!
和子は傍聴席に振り向き、ライゼンバ―グの顔を見た。
身動きできない彼の必死の形相に対し、優しい目でわずかに顎を引き、静かに頭を下げて礼を示す。
そして裁判長の方に顔を戻すと大きく眼を見開き、両手で握った小刀を一気に右下腹部に深々と突き刺した。
裁判官は全員顔から血の気が引き、眼は凍りついて閉じられなかった。
『くっ!』
彼女は苦悶の表情で左脇腹まで刃を引いたところで引き抜き、鞘に納めて丁寧に膝の前に置いた。
そしてワイシャツ、ベスト、軍服のボタンを丁寧に留め、詰襟のホックもきちんと閉じた。
衣服を整えた後、ポケットから小菊の花を取り出し口にくわえた。
その瞬間、背後にいた加藤義国が仕込み杖から刀を抜き出し『御免!』と叫んで和子の首に振り落とした。
カッ!という音と共に和子の首が落ちた。
首は切断面を下にして膝上に乗り、顔は裁判官席に向いている。
目は閉じ、安らかな表情であった。
その瞬間全員の金縛りが解けた。
慎之助は座ったまま口から血を流して事切れていた。
法廷内に暫く沈黙が走った。
緊縛は解けているのに誰も言葉を発することができない。
静寂の中、傍聴席の方から大きな叫び声が響いた。
『畜生!なんてこった!俺は彼女を救えなかった!ううう!』
ライゼンバーグは何度も傍聴席の手摺を握りこぶしで打ち据える。
ウェーブは暫くわななきながら皇女の姿を見つめていた。
しかし、きっと顔を引き締め直すと決意を秘めた表情でガベルを叩いた。
『それでは本件に関する判決を申し渡します』
法廷の全員が息を飲んで裁判長に注目した。
『今回の戦争責任において皇女和子を有罪とし、死刑を宣告いたします。しかしながら彼女は自決を実行済みのため、処刑手続きについては不問と致します』
ライゼンバーグはハッとしてウェーブの顔を見た。
『そして海皇久仁以下 A級戦犯28名につきましては皇女和子の陳述を尊重し、全員無罪と致します』
『ウェーブ!』
満面の笑顔でライゼンバ―グは右手の拳を突き上げた。
その直後法廷内は大歓声と拍手に包まれた。
黒画面となり、ライゼンバーグの声によるナレーションが流れ始めた。
『アメリアナは確かに戦争に勝った。だが俺達はたった一人の女性に敬礼することになった。本当の勝利とは一体何なんだろう?俺にはその答えは難しすぎる。ただひとつ言えるのは礼和国はその後復興してアメリアナと肩を並べ、 同盟関係にもなったってこと。ところで《koujo》は死んだのかって?いいや、 生きているさ。』
ナレーションが終わると、大勢の観覧者で賑わう 現在の記念館の様子に切り替わり、玉座に鎮座する和子の様子が大映しになった。
(ええ!又このパターン!恥ずかしいから許して―!)
皇女赤面。
この後黒画面に切り替わり、ロックバンド AC / BC によるこの映画のテーマ曲『Dancing Cherry Blossom Night』と共に英語のエンドロールが流れ出した。
エンディングの文字が出る前にバラバラと退出し始めた観客。
映画の内容にショックで気絶した平九郎はタカシに背負われて観覧室から運び出されていった。
(終わった……)
和子は張りつめていた糸が、ぷつりと切れたように、全身から力が抜け落ちた。
ハリウッド版はその後各国で様々な波紋を揺り起こした。
礼和国内の反応も散々だったが、アメリアナ本国で
もその評価が大炎上した。
① 一般観客(最大多数)
「《黒沢版和子》で感動した涙を返してくれ!」
「プリンセスがチャンバラ!あり得ない!」
「《ライゼンバ―グ》に題名を変えろ!」
「シンノスケがまるで妖怪だ!」
「上半身裸のヘイクロウは見たくなかった!」
「プリンセス和子は礼和人に演じて欲しかった」
反応:ほぼ失意と落胆
② 進歩派・リベラル層
「女性に対する深刻な人権侵害を美化」
「人体損傷を賛美する醜悪な映画」
「女性も男性と同等に戦う事に一定の評価」
反応:辛口と理解が混同
③ 保守派・軍事層
「沖島の女性、子供部隊の話は捏造だ!」
「ゴードン将軍がバカに描かれすぎてる!」
「ライゼンバーグなんて実戦に出てないだろ!」
「ピンヒールで戦えるか!」
反応:怒り心頭
④ 学術・評論・メディア
「史実を完全に無視したファンタジー」
「ライゼンバーグの五箇条の方策には一切触れられていない」
「法廷で実際に《ハラキリ》したら礼和国は間違い無く滅亡していた」
反応:矛盾点の指摘の渦
⑤ その他の反応
「ハリウッドはもう映画を作るのは止めた方がいい」
「こいつを見た後では礼和人のフレンドと顔を合わせられない」
「俺はアメリアナ人はもうちょっと賢いと思っていた」
「《ハラキリ》のシーンについては礼和人出演者から 『絶対におかしい』と止められていたにもかかわらず、 サーカスが『分かっているが、どうしてもやりたい』と言って強行したらしい。結果があの様だ!」
反応:罵詈雑言の嵐
そして 大多数の アメリアナ人の反応は下記の言葉に集約される。
「ジョージ・サーカスは《ハラキリ》 しろ!」
映画の余波が落ち着いてきた頃、夜の観覧室で和子とタカシは《koujo》について振り返っていた。
「今から考えてもすごい映画でしたね。いろんな意味で」
「ええ。裸の平九郎やロン毛の慎之助が出てきた時は、私の腹筋はもうダメかと思いました…絶対に顔は歪んでいたと思います」
「はい……でも幸い観客は全員画面に吸い寄せられていましたからね。名誉顧問は半分気を失っておられましたし」
「ところで、映画の私がまた小菊を銜えたでしょう。一体何なんでしょう…あれは…」
「…はい。それについてはエンドロールを見ていたのですが、《Special Thanks Zenjiro Todoroki》の文字がありました。」
「又あの方!全くどこにでも出没なさるのね…」
「今後皇女様が映像化される時、定番の演出になるかもしれませんね」
「もうタカシさんったら!」
「でも映画の評判は散々だったようです。アメリアナも懲りてもう作らないでしょう」
「そうかもね」
2人は明るく笑い合った。
しかしアメリアナは懲りてなかったのである。
夢と魔法を作り上げるあの会社が不気味な動きを見せていた。
《黒人の皇女とジェンダー女性の加藤義国がおりなす夢と希望のファンタジー!》
この話はまたしばらく先で。
真夜中の記念館。
タカシが入念に施設の入口を見て回っていた。
「よし、全て戸締りは大丈夫。」
全て確認が終わるとタカシは観覧室に走り、和子に声掛けした。
「和子様、宜しいですよ!」
「分かりました。参ります」
和子は右脇に自分の生首を抱えると、玉座の間から外に出て来た。
今晩は、彼女の記念館内の散歩の日である。
無人である事を入念に確認してから館内をぶらつくのである。
毎月2階の特別展示室の内容が入れ替わるので、そのタイミングで行う事が多い。
和子はこの日をとても楽しみにしている。
「それでは1階から参りましょう」
格調高い軍服に身を正し背筋をピンと張って歩みを進めるその様は、胴体に首が無いにも関わらず威厳と女性皇族らしい気品を同時に発現していた。
タカシはいつも和子のその姿に、畏敬と憧憬を感じずにはおれなかった。
2人はまず1階の忠国レストランに向かった。
カツンカツンと優雅に足音を響かせる皇女の後ろにタカシは付き従う。
忠国レストランは、和洋折衷の格式のある空間で、和子のお気に入りの場所である。
高い天井は、皇城の迎賓室を模した御殿仕様で金地に描かれた花鳥の天井画が、格子状の梁にはめ込まれている。
壁面の大きな窓には横格子の障子がはめられ、昼間は柔らかい光が差し込む。
白いクロスを掛けたテーブルが均等な間隔で配置され、椅子は重厚なマホガニー仕上げ。
意匠は洋風でありながら、和の感覚を残しており、礼和が開国後洋式を取り入れ始めた頃の建築様式を感じさせる。
入口の横にショ―ケ―スが有り、メニューサンプルが華やかに並んでいる。価格設定はかなりリ―ズナブルである。
和子は、定番の《皇女ランチ》や《忠国セット》などの他に《魔道士ライス》という初見のメニューを見つけた。丸く盛ったライスの上に目玉焼きがふたつ乗っかていて、左右それぞれに赤と黄のマヨネーズが盛られている。
「タカシさん。これって新しい御品?」
「はい。この前追加になりました」
「魔道士?」
「ええ。慎之助さんをイメージしています。《koujo》上映後、人気が出てしまったみたいで…
左右の目玉焼きはオッドアイを表しているそうです」
「あははは!慎之助が見たら目を白黒させるわね」
「何だかんだいってもあの映画は未だに話題に出ますよ。ハチャメチャだけど面白いと再評価されてるみたいで…」
「そうなの……え-と…あの…」
和子はもじもじしている。
「?殿下…どう致しました」
「あ、あのね…実はタカシさんに相談したい事があるの。聞いて下さる?」
「はい…何でしょう?」
「この前の映画の中で女優さんがピンヒ―ルのブーツで戦っていたでしょう。あんなブーツを履いてみたいの…」
「え!ええ!!」
「あれってすごい格好良くて素敵だなと思って。何とかならないかしら」
「う-ん」
タカシは唸った。
「皇女様のお召しになっている衣装は皇室庁が認可している物ですしねえ…勝手にお召し替えになられたら大騒ぎになりますよ。特に名誉顧問が見たら発狂されるかも…」
「そうなのよ…そこが問題。でもわたくしは30年も同じ靴だし…新しい素敵な靴で皆に見られたいの」
和子の切実な表情に断る事が出来ず、「分かりました」と依頼を請けてしまった。
しかし 一晩考えてみてもなかなか良い考えは浮かばない。
翌日、寝不足の赤い目を擦りながら事務室で佐藤満と雑談していた時に、手首に数珠を巻いていたので、最近亡くなった彼の祖母の話題になった。
「私の婆ちゃんは霊媒師をやっていてね。…と言っても完全にインチキなんだけど」
「インチキ?」
「そう。自作の《降霊の札》を使うんだ。『霊を降ろします』と言って自分の額にはってから、訳の判らない呪文を唱える。後は霊の振りをして当たり障りの無い事を言って終わり。ひどいもんだよ」
「佐藤さん!」
タカシはその話に食らいついた。
「え、え、何!」
「その御札ってまだ有ります?」
「御札?ほとんど捨てたけど、形見代わりに一応1枚だけ残してる」
「それをお借りしても良いですか!」
「別にいいけど。そんなものどうするの?」
「とにかく貸してください! 必ず返します!」
「わ、分かった…」
佐藤はタカシの気迫に押されてタジタジ。
御札をゲットしたタカシは、その夜和子と作戦会議を開いた。
古びた和紙に意味不明な呪文が朱書された偽札を見せながら計画を説明。
「まず名誉顧問を呼び出します。その時にこの偽の降霊の御札を和子様の額に張りますので、ブーツのご要望を喋って下さい」
「ええ!分かりました!『降ろされた霊の振り』をする訳ね!」
和子は気合充分。
「殿下…何だか妙に御自信がお有りの御様子…」
「ま、まあ!そうかしら…オホホホ!」
和子はかって怨霊を演じた事があるのをまだタカシに知らしていなかった。
決行は満月の夜となる7日後と決まった。
タカシは翌日の朝、いつもの様に観覧室に来る平九郎に声掛けした。
「名誉顧問に大切な御話が!」
「うむ。何じゃ」
「この御札を見て下さい。霊媒師だった佐藤さんのおばあさんが所有していたものです」
「それがどうした?」
「これは強力な降霊の札だそうです。これを張った人に霊を降ろせるとか」
「な、何だと!では…もしかして…」
「はい!皇女様をお呼び出来るかも知れません!」
「や、山田男!それはすぐ試せるのか!」
平九郎の意外な喰付に気圧されながらもタカシは続けた。
「今すぐは無理です。中秋の満月の夜にだけ使える札だそうです。5分位しか持たない様ですが」
「5分でも良い!殿下にご拝謁出来るならこんな嬉しい事は無い。6日後に必ず参るぞ!」
平九郎はかなり興奮気味である。
「かしこまりました!」
タカシは内心舌を出していた。
満月の美しい夜の観覧室。
「本当に平九郎は来るかしら?」
「はい。僕も最初は不安でしたが、あれから毎朝名誉顧問に今晩の予定をしつこく確認されるので間違い無いと思います」
「でも…今時なんて話に飛び付くなんて…平九郎…どうしちゃったのかしら…」
「それは名誉顧問の皇女様に対する思いの強さが御判断を鈍らせておいでなのでは…『わしはもう先が短い。もう一度殿下の御声が聞きたかった』とよく御話されますから」
「平九郎……」
その時、観覧室に息を切らせながら慌ただしく平九郎が現れた。
「待たせたな山田男!さあ早く殿下をお呼びしろ!」
到着して早々にタカシを急かす平九郎。
「ま、待って下さい。」
タカシは慌てて玉座室に入ると御札を取り出した。
平九郎はガラスの前で正座し、口髭を整えた。
「皇女様、失礼します」
タカシは和子の頭の額に御札を張った。
平九郎は固唾を飲んで見守る。
程なくして和子の生首の口がゆっくりと開いた。
「平九郎…久し振りですね…」
「お、おお!殿下!殿下であらせられますか?」
平九郎は目に涙を溜め、唇を震わせた。
(本当は毎日顔を見てるけどね…)
御札の陰で和子の口は笑っていた。
次の瞬間平九郎の号泣が炸裂した!
「ぐおおおぉ―ん!」
「ところで平九郎に話があります」
「うおおおぉ―ん!」
「へ、平九郎…」
「ぶおおおぉ―ん!」
泣き叫んで話が耳に通らない平九郎に和子は弱った。
慌ててタカシは号泣する平九郎に駆け寄り声掛けした。
「名誉顧問!皇女様は何か御要望がある様です!」
「おお!いかん…つい感極まってしまった!殿下!お許し下さい。不肖この平九郎に何をお望みでしょうか?」
「わたくしは靴を履き替えたいのです。」
「靴を!?でございますか!」
「はい。もう30年も同じ物でしょう」
「確かに!」
「そこで平九郎には、先のハリウッド映画の中でわたくしを演じた女優が履いていたのと同じ様なブーツを用意して頂きたいのです」
「なんと!あの様なふざけた映画の衣装を御所望でございますか!平九郎は承服致しかねます」
「平九郎。《koujo》は再評価されて来ています。アメリアナの風が民衆の指示を得つつある証左。それに寄り添うのもアメリアナとの関係深化も含めて大事だと思います。」
「ぐ、むむ!さすがは殿下。常に我が身では無く周りの事に配慮なされておられる。かしこまりました!全身全霊を持って御靴を御用意致します!」
「それとね、ついでだけど耳飾りも同じ物をお願いします」
(和子様!それ台本に有りません!)
タカシは頭を掻いた。
「むむ!それも同様の意味ですな!併せて用意し奉ります」
平九郎はふふんと鼻を鳴らした。
(やった!上手くいったわ!)
和子は心で喝采を叫んだ。
平九郎は夢の中で皇女の御告げが有ったとして
力技で皇室庁を動かした。
一ヶ月後、ピカピカのブーツと耳飾りが完成した。
ブーツは映画と同じく黒エナメル仕上げで、つま先が尖り、10センチのピンヒールであった。
耳飾りは桜の花弁をあしらった装飾とピンクのダイヤが組み合わされた長く豪華な物だった。
平九郎は《御召替えの儀》を提唱し、大安吉日を選んで関係者の参列の上、厳かにブーツと耳飾りの付替えが行われた。
その夜の観覧室。
和子の弾んだ声がこだまする。
「ねえねえタカシさん!どう!似合ってる
!」
「はい…とても良くお似合いです……」
100回目の和子のポージングを見せられてタカシはぐったりしていた。
「じゃあ次に自分の目でブーツを眺めるわ!はい、これを持って離れて」
と言って和子は自分の生首をひょいとタカシに渡した。
「!!!だ、駄目ですよ!その様な大事な物を…堪忍して下さい!それに名誉顧問にこんなところを見られたら間違いなく僕…刀の錆になります」
「平気平気!あっ、タカシさん、もう少し離れて」
両足を交差させてポーズをとる和子。
(これ暫く毎晩続きそう……)
タカシは半泣きであった。
次回 《夢と魔法》の会社が動き出す
《Princess Kazuko》の上映が終了し観客がざわめきと共に退出していく。
「うぅ~!」
背伸びしたタカシに平九郎が腑に落ちない顔つきで 語りかけた。
「のう…山田男。この映画は我が国と殿下がモデルと聞いておったが……」
「はい」
「どこに出番が有ったんじゃ?」
「え!」
「黒人の女や、目つきの悪い猫 、女男みたいな奴は出てきたがのう…よくわからん…」
しきりに首をひねる平九郎に対しタカシは愕然とした。
映画に対する皮肉でなく本当にわかっていない様子なのである。
(真剣に気付いてらっしゃらない…礼和がモデルだって知ったら荒れるぞ…)
タカシは得体の知れぬ不安が胸をよぎった。
この映画の上映後、制作サイドからスタッフや声優のコメントが発表され、各種メディアで流された。
監督:ジョン・オスカ―
『今回の映画は非常にチャレンジャブルな試みだった。舞台が今までの様な西洋の童話の世界でなく、ほんの数十年前に戦争した東洋の国がモデルだったからね。しかし私はレイワの歴史と文化をとてもリスペクトしているんだ。今回はそれをできるだけ 忠実に映像化しようと思った。そしてディスティニーの新しい世界を広げる事に成功したんだ。それを是非劇場で体験してほしい』
音楽:アレン・メンクン
『今までの私の音楽人生の中で最高にエキサイティングな経験だったよ。オリエンタルな雰囲気を再現する為に、ジョンとは何度もディスカッションを繰り返した。その結果従来のオーケストラだけでは不十分な事に気付いたんだ。そこでレイワのコトやビワといった伝統楽器を組み合わせて東洋の神秘的な旋律を表現してみた。礼和人スタッフにも太鼓判を押されたよ。迷いが確信に変わった瞬間だった』
カズコ声優:ボヨンセ
『歌手の私に声優って最初は何のジョークかと思ったわ。でも私はこの役にすぐに夢中になったの。カズコはとっても強くてキュートな女の子よ。黒人差別を乗り越えて2つの国の架け橋となるの。きっとみんな好きになると思うわ』
パイ・フ―声優:エディ・ マーシャル
『パイ・フ―はまったくクレイジーな奴さ。守り神のくせに見栄っ張りで大食らいなんだ。そんなところは俺とそっくりなんだが、顔はあのヘイクロウと瓜二つだぜ!スタッフは今から夜逃げの準備をしておけ(笑)』
ライゼンバ―グ声優:ティム・ キャリ―
『バ―グは最初は謹厳実直な軍人の役だった。でもそれじゃあ面白くないから《もっとノリのいい奴》を俺が顔真似して提案したんだ。それがスタッフに受けてあんなキャラになった。でも最後はバッチリ いいところを見せるよ』
義国声優:ミゲル・ジョイ・ロドリゲス
『私のキャリアにとって、とてもスペシャルな時間だったわ。ヨシクニは男女の性別を超えたアメージングな存在。この作品はカズコやパイ・フ―が目立っているけれど、本当の主役はヨシクニだと確信しているわ。そしてこの作品を通じて私は歴史の真実を知ることができたの。』
しかし 上映後ほどなく《Princess Kazuko》はアメリアで大論争を巻き起こした。
①一般観客(最大多数)
「カズコとライゼンバーグが結婚って無茶苦茶だろ!」
「《パイ・フ―》に題名を変えろ!」
「シンノスケがついに本物の妖怪になってしまった…」
「ヨシクニの『プンプン』を聞いて泣けてきた…」
「プリンセス和子を黒人にする意味があるのか?」
反応:もはや呆れしかない
② 進歩派・リベラル層
「LGBTQの勝利」
「人種差別だけでなく性別も克服した映画の金字塔」
「ディスティニーは今後のエンターテイメントの正しい方向性を決定付けた」
反応:絶賛
③ 保守派・軍事層
「アメリアナ軍はあんなに弱くない。我々が本気を出せばパイ・フ―などひとたまりもない」
「大統領を先に下船させて後から護衛が続くのは セオリーとして有り得ない」
「ライゼンバーグをレイワに婿入させたのは暗にアメリアナの屈服を示唆」
反応:不満の続出
④ 学術・評論・メディア
「行き過ぎたポリコレがエンターテイメントを破壊した好例」
「原点である《皇女の自己犠牲による救国》というテーマが一切消失した只の恋愛ドラマ」
「四聖獣のコミカル化はレイワのみならず東洋全体の感情悪化を懸念する」
反応:問題点指摘の渦
⑤ その他
「パイ・フ―をもふもふしたい!」
「シンノスケの笑顔にぞくぞくした!」
「ヨシクニの青髭を撫でたい」
反応:一部キャラ人気
しかし大多数のアメリアナ人の反応は下記の言葉に集約される。
「俺達は《ジト目》でしかこの映画を見られない…」
五月晴れが広がる気持ちの良い朝。
タカシは皇女記念館のエントランス前で思いっきり 深呼吸をした。
彼の顔は心なしか晴ればれとしている。
それもそのはず。
昨日、和子のガングロメイクがようやく直され、元の粛然とした皇女の姿に戻ったのである。
『わたくし…結構気に入っておりましたのに…』
和子は少し名残惜しそうだったが、タカシは心がスキップを踊っていた。
タカシが事務室に入った時、田端がネスカフェのインスタントコーヒーを啜っていた。
「おはようございます!」
「おはよう。おや…タカシ君、なんだか嬉しそうだね。なんか良いことでもあったの?」
「アハハ…いえ…特に何も…」
「そうかね。ところで経理の中村さんがまた体調悪くしてしまってね」
「え!中村さんが?」
「元々難治性の病気を抱えていたのに、代わりの人がいないから無理して出てきてもらっていたけど…いよいよダメみたいで…」
「そうですか…確かに 上映特別期間の売上はすごかったですからね…ずっと残業されていました」
「そうなんだ。だから急遽採用面接を行うことになってね。」
「ええ!」
「明後日の休館日だ。君にも出席してもらうよ」
「あうう…(せっかくの休みが…)」
脳みそが涙に濡れるタカシであった。
当日、タカシの予想通り、やはり観覧室に面接席が設けられていた。
出席メンバーは前回と同じである。
館長の田端
タカシ
パイ・フ―の着ぐるみ姿の平九郎
「め、名誉顧問!なぜそのお姿なのですか?」
目を点にするタカシを平九郎はジロリと睨んだ。
「わしの着ぐるみ姿はどうも人気があるようでな。殿下はお直しされたが儂はもう少し働かせてもらうよ」
(う!うふふ…平九郎…そんなに私をいじめて嬉しいのですか…)
すでに笑いの試練にさらされている和子。
「コホン…」と咳払いして田端は最初の志望者を呼んだ。
「では最初の方。どうぞご入室下さい」
「失礼します…」
涼やかで、しかし儚げな声が響き、華奢でスラリとした少年が入室した。
深々とお辞儀をして志望者席に着座する。
「白鳳堂 瑠璃(はくほうどう るり)さん、でよろしかったでしょうか?御年齢は?」
「はい…17才です」
少年のピンクが映える形の良い唇から恥じらいを含んだ優しい声が放たれた。
サラサラの金髪に少し憂いを帯びた大きな瞳。
彼はシルクが艶めく詰襟の学生服を折目正しく着用していた。
黒の上質な生地に桜の花柄の刺繍が施されている。
礼和国最上位で限られたエリ―トしか通えない高等学校の制服であった。
(な、なんて可憐な少年……何故こんな方が応募したの?)
戸惑いながらも瑠璃に目が釘付けの和子。
(白鳳堂…まさか!あの由緒ある公爵家にして礼和国最大の財閥の御曹司!?)
息が荒くなるタカシ。
「学園での成績は常にトップをキ―プされて居られる…ご優秀ですね!」
履歴書を見ながら田端は感嘆を漏らした。
「い、いいえ…その様な事は…」
瑠璃は恥ずかしげにうつむく。
(か…可愛い!賢い!)
瑠璃から目が離せない和子。
「何故今回志願されたのですか?」
瑠璃は姿勢を正すと表情を引き締めた。
「僕は…国の為に身を捧げられた皇女様に常に思いを馳せています。一日も頭から離れる事は有りません。そんな中今回の募集を知りました。」
そして今までにない力強い口調で続けた。
「僕は皇女様の元で働きたいのです!お役に立ちたいです!お申し付けくだされば何だって致します!どうか僕を採用してください。よろしくお願い申し上げます!」
(なんて一途なの!綺麗なのに!可愛いのに!)
和子の脳内から天使の羽を生やしたミニ和子が飛び出し瑠璃の周りをくるくる回った。
田端はにっこり笑うと一つの質問を投げかけた。
「この記念館は、ディスティ二―映画上映から特別期間を設けています。売上は前年同期と比較してどれぐらい上乗せになっていると思いますか?大体の想像で結構です。」
「う-ん…そうだなあ…」
瑠璃は人差し指を唇に当てながら少考して答えた。
「三億円ぐらいでしょうか。もうちょっとだけ上かな…えへ!判りません」
田端は驚愕した。
前年同期比の売り上げ増分は《3億1200万円》だったのである。
田端は一瞬の沈黙の後、咳払いをしてから質問をした。
「ど…どのようにして計算されましたか?」
「あ、はい…過去の来場者数と売上げは公開されていますから、記念館の最大の収容能力とかも計算して、それと比較して想像しました。」
(ちゃんと予習もしている!)
タカシは舌を巻いた。
それと同時に前回の面接を思い出して目頭が熱くなった。
――『何か特技を見せください』
『首が180度回ります』
――『1+1はいくらですか?』
『1+1!? うぐう!!うごおおお!ぐうううう!』
――『おはじきの数を数えて下さい』
『ひいは ひとつの観音様よ 観音様は陽楽寺』
パイ・フ―平九郎は眠るが如く腕を組んで静かに座している。
次回 パーフェクト 執事が現れる
「さ、西園寺!何故ここにいるの!」
「瑠璃ぼっちゃま…お遊びはここまででございます」
「今回の面接は以上で結構です」
田端が面接の終了を告げると瑠璃は明るく返事を返した。
「あ、はい!」
「採用の可否については、後日改めて御連絡させて頂きますので宜しくご承知下さい」
「分かりました。本日はありがとうございました!」
瑠璃は元気よく頭を下げると面接会場を後にした。
「タカシ君…私は泣きそうだよ…」
「館長…僕もです」
感慨深げに頷き合う田端とタカシ。
二人の眼には光るものがうっすらと浮かんでいた。
2人が喜びの余韻に浸っていた頃、出口に向かっていた瑠璃は記念館の廊下で自分にうやうやしく頭を下げる燕尾服姿の男を見て表情が凍った。
「ど、どうして…西園寺が…ここにいるの?」
その男は背がすらりと高い。
瑠璃も身長は178cmあるが、男はそれ以上の背丈がある。
そして見事に仕立てられた黒い燕尾服と白い蝶ネクタイを、まるで彼の生まれ持っての皮膚であるかのように自然に纏っていた。
彼は柔らかく上質な笑顔を浮かべた。
「瑠璃ぼっちゃまこそ。何故このような場所においでなのです?」
瑠璃は長いまつ毛をたゆらせながら睨んだ。
「僕が…応募した事を調べたんだね…」
「はい。左様でございます」
瑠璃は眉間にシワを寄せて叫んだ。
「いつもそうだ!僕の事は…ほっといて!」
「そうは参りません。瑠璃ぼっちゃま…お遊びはこれまでで御座います。白鳳堂を背負われるあなた様には、もっとこれからご精進頂かねばならぬ事が沢山御座いますので」
「ふん!僕はここで働かせてもらうんだ!ダメだって言っても聞かないからね!」
「瑠璃様…それは叶いません」
「な、なぜなの…」
「それは、私も応募しているからです」
「え?何だって!」
瑠璃の大きな瞳が驚愕に支配された。
燕尾服の男はにこやかに話を続ける。
「私がここの仕事に入れば業務は全て片がつく 。あなた様の出る幕はございません。瑠璃ぼっちゃまはしっかりお勉強に御勤しみ下さい」
「う、うぐう…そんな…」
瑠璃は美しい眉を潜めて蒼白になりながら後ずさりをしたが、玉のような声で絶叫した。
「ぼ、僕は…和子様…和子皇女様の元で働くんだ―!」
そしてわっと泣き出し制服の袖で涙を抑えながら走り去った。
(おやおや…瑠璃様…泣いてしまわれたか)
西園寺はやれやれと言った風情でふっと笑うと「さて…それでは参りますか」と言って面接室に向かった。
次回 西園寺の面接と3人目の男の登場
「おや…珍しい方がおいでですね。大蔵省の御仕事は大丈夫なのですか?」
「ふん!てめえこそ、白鳳堂家の筆頭執事がなんでこの場にいやがる?」
「それでは次の方…どうぞお入りください」
田端の招きで入り口に立ったその男は右手を白いシルクのベストに添え、頭を軽く下げる欧米式挨拶を行った。
スラリとした上背に黒い燕尾服と白い蝶ネクタイを着用した彼の立ち姿は一部の隙もなかった。
そして燕尾服のテールを優雅に翻がえしながらツカツカと歩み寄り応募者席に音もなく腰を下ろした。
「西園寺 光彦(さいおんじ みつひこ)さん。27才でよろしかったでしょうか?」
「はい。左様で御座います」
落ち着きと自信に満ちたビロードボイス。
真っ白の透き通る様な肌に切れ長の眼。
端正な鼻筋に形のよい唇が穏やかな笑みをたたえていた。
艶のある漆黒のロングヘア―は背中で銀色の光沢のあるリボンで束ねられている。
彼が存在するだけで面接室はラグジュアリーな空間へと変貌していた。
(ああ…わたくし…一生眺めていられますわ…)
和子は夢の世界に引き込まれていた。
西園寺は玉座の方をチラリと一瞥した。
一瞬その目が潤んだように見えた。
(何だ?今の顔…)
タカシは彼が見せた表情の変化を見逃さなかった。
田端は履歴書を見ながら嘆息した。
――国立帝京大学 経済学部首席卒業
――白鳳堂公爵家 筆頭執事
華麗なる 経歴に圧倒されながら、彼は西園寺に訊ねた。
「まだお若いのに執事の長を任されておられるとは……公爵家ではどの様な業務をこなして居られたのですか?」
「全てです」
「はい?全て?」
「公爵家といいましても一つの都市の様な物ですから…公爵家の御家族の御世話は勿論、整備清掃、警備、経理、果てはグループ会社の経営参画までお命じになられまして…」
(有能に果てが見えない…)
微かに震えを感じながら田端は瑠璃にも行った質問を西園寺にもぶつけてみた。
「ふむ。売上増分ですか…興味深い問いですね」
西園寺は蝶ネクタイを整えながら少考して「3億1千万前後でしょうか。多少の誤差はお許し下さい」と回答した。
田端とタカシは目を丸くして顔を見合わせた。
(瑠璃の時よりさらに精度が高い!)
もはや偶然や憶測ではあり得ない。
確かな知識と計算能力に裏打ちされている結果である事は明白であった。
しかし、ここでタカシに一つの疑念が生まれた。
(こんなに優秀なのに…なぜこの面接に?)
タカシはどのように問うべきか逡巡していたが、西園寺はにっこり笑って語り始めた。
「私がなぜ今回応募したか、についてですよね」
(え!何も喋っていないのに…)
目を見開くタカシ。
「白鳳堂家の執事も優秀な人材が揃い、安心出来る体制に仕上がってきました。ここらである程度は 彼らに業務を任せ、人材にお困りのご様子の記念館に1つ助太刀に参りたいと、そう思った次第でございます」
(本当にそれだけかな…)
疑念を払拭できないタカシは一つの質問をぶつけてみた。
「あの …西園寺さんはもしかして…皇女様がお好きなのでは。あ!いえ…変な意味じゃなくて」
その質問を聞いた瞬間西園寺の表情から柔らかい笑顔がピタリと消えた。
一瞬だけ端正な表情が戦慄(わなな)いているように見えた。
着ぐるみの奥の平九郎の右眉がピクリと動いた。
「な…何をバカな事を…ふふ…そ…そのようなことはございません」
慌てて笑顔に表情を戻す西園寺だが両耳が真っ赤になっている。
(やはり…)
タカシはその様子を見て何かに得心した様子である。
田端はコホンと咳払いをすると面接の終了を伝えた。
「本日はこの辺りで結構です。気を付けてお帰り下さい」
(ええ…もう終了なのですか…もう少しビロードの御声を聞いていたかったのに…しくしく)
名残惜しそうな和子。
面接会場を後にした西園寺はニ階の第2特別展示室の前で、面接会場に向かう背の高い精悍な顔つきの男とすれ違い際に、にっこり笑って挨拶をした。
「おや…珍しい方がおいでですね。大蔵省の御仕事は大丈夫なのですか?」
「ふん!てめえこそ、白鳳堂家の筆頭執事がなんでこの場にいやがる?」
「ふふ…ただの気紛れで御座います。しかし今回の事…あなたのお父様はご存知なのですか」
「親父は関係ねえ!」
「関係無い…ですか…でも伊集院総理がお知りになったら黙っておられるかどうか…」
「うるせぇ!帝京大学時代からお前の詮索癖は変わらねえな!」
「あなた様も相変わらず思春期真っ只中におられるようで」
「けっ!こんな所でお前の相手をしてる時間はねえんだよ。もう行くぜ!」
「はい。ご武運をお祈りします」
優雅に頭を下げる西園寺を後にして、その男は記念館の照明に反射して光るしなやかな銀髪をなびかせながら面接室に向かった。
次回
《伊集院 龍磨(いじゅういん りょうま)》の面接
「では最後の方、お入り下さい」
「邪魔するぜ」
田端の呼びかけに応じて3人目の男が入室した。
今までの2人よりもさらに背丈が高い。
おそらく190cm近くはあるであろう。
しかしなにより田端が目を奪われたのはその端正なスーツ姿であった。
クラシックな英国系テーラリングを強く感じさせる剣先襟のダブルブレストスーツに襟付きのベストを合わせている。
生地はチャコールグレーのピンストライプ柄。
ウエストがしっかり絞られ肩幅が広い。
深みのあるワインレッドのネクタイはワイシャツの襟ピンでホールドされ結び目が浮き上がっている。
おそらく礼和人でこれほどスーツ姿が様になる男はそういないであろうと思われた。
彼はハンドポケットでズカズカと歩き、応募者席にドカッと腰を下ろすと足を組んだ。
彼は無造作に流している白銀に近い長髪をかき揚げながら、意思の強そうな太い眉と鷹を思わせる大きな目で玉座をじろりと睨んだ後、面接官の2人に向かって「さあ… とっとと始めてくれ」と催促した。
(まあ…なんて横柄な方なのかしら。なのに気品と知性を感じさせる…それに強烈な美貌…)
和子は目の前にふんぞり返る不遜なはずの男に抗えぬ魅力を感じ始めていた。
「伊集院 龍磨(いじゅういん りょうま)さん 27才の方でよろしかったでしょうか」
「ああ…それで合ってるよ」
田端は履歴書を持つ手がかすかに震えていた。
――帝京大学理工学部首席卒業
――大蔵省主計局 副局長勤務
(主計局…国家予算を握る最重要部だ…)
彼は唾をごくりと飲み込んだ。
「あ!この人テレビの国会中継で見たことある。伊集院総理の息子さんだ!」
タカシも彼の素性に気づき驚きが隠せない。
「あの…志望動機をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
田端は伊集院に圧倒されつつも、恐る恐る質問した。
「今いるところがつまんねえからだよ」
「え、大蔵省がですか!」
「ああ…バカばっかりだったから俺がシステムを全部改善して道筋を作ってやった。後はあいつらが適当にやんだろ」
(主計局は最上エリートの集まりのはずだが…それと礼和国の財政状態が急に良くなったのは…まさか…)
田端の額に大粒の汗が光った。
「他に質問は?」
「あ、はい。これは他の方にも聞いたのですが、先月の記念館の前年同期費比売上増分の額は、いくらぐらいと思われるか聞いてもよろしいですか」
「3億1200万」
(え!即答…先の2人でさえ少し考えたのに…しかも ぴったり)
田端は荒くなる呼吸を抑えるのに精一杯であった。
「ご…御明察です…しかし…何故…まだ決算の公開もしていないのに」
「そんなもの誰でもわかんだろ。記念館向けのディスティニーのグッズは特殊で出荷数はすぐ絞れる。周辺の交通機関の利用状況とか、来場者の数は毎日公開されてるし、その他諸々ちょっと計算すりゃあばればれなんだよ」
(な、なんて恐ろしい人…まるで神の頭脳…素敵…)
和子の両目がハートマークになりだした。
言葉を失った田端の横でタカシも驚愕していたが(でも何故応募先がうちなんだろう)と少し不思議に思い、半ば冗談で声を発した。
「伊集院さんのような方が今回応募されるなんて凄いです。やはり皇女様がお綺麗だからですかね」
ところがそれを聞いた瞬間伊集院の表情が一変した。
常に口角を少し上げ余裕の笑みを浮かべていたのに
それが全く消え去り、かっと目を見開いてタカシを睨みつけた。
(え!え!何?)
タカシは伊集院の全く想定外の反応に慌てた。
平九郎のパイ・フ―の耳がピク、ピクと動いた。
「ふっ」
しかし伊集院は笑うとすぐに元の表情に戻った。
「ここは皇女記念館だ。『和子様の元で働きてえ』じゃあダメかい?」
「いいえ!いいえ!とんでもないです!」
焦ったタカシは激しくかぶりを振る。
そこで咳払いの後、田端は面接の終わりを告げた。
「ほ、本日はこのあたりで…」
次回 3人の応募理由の真実が明かされる
伊集院は面接室を退出した後、エントランスホールまで降りてきた時、皇女像の前で後ろ手に組んで立っている西園寺を見つけた。
「なんだ…てめえ…まだいたのかよ」
「かっての切磋琢磨した学友に冷たい言葉ですね」
「ふん、ほざきやがる。何か俺に用でもあるのか?」
「いや。ちょっと久しぶりのものですから…桜並木が綺麗ですよ。 歩きながら少し語り合いませんか」
「花なんてとっくに散ってるだろ。まったく…」
伊集院は渋い顔をしながらも、笑みを絶やさない西園寺と二人で夜の桜並木が並ぶエントランスロードを歩き出した。
花の無い桜はピンク色の光でライトアップされ、少し侘しげな風情がある。
「で、何だ?俺に話とは…」
「貴方が今回応募した理由を聞かせて下さい」
「そんなことを聞いてどうする?」
「ふふ…いえ…別に…ちょっと興味があるものですから」
「ふん!相変わらずの 詮索癖か…」
そう言って伊集院 は暫し黙したが、前に顔を向けたまま静かに語り出した。
「俺が大蔵省に入った時、戦前の礼和の財務状況を調べていて、皇女の資産状況についての未公開の資料を見つけたんだ」
「未公開?」
「ああ。皇女が亡くなった直後の記録だ。皇族の資産なんていうのは基本秘密だからな。」
「なるほど。それでどんな内容だったのですか?」
「――0――だった…」
「!…」
「皇女名義の預金残高はゼロだったんだよ…」
「そ、そんな…バカな…」
西園寺は息を飲んだ。
「俺は自分の目を疑ったよ。戦後はアメリアナの政策で皇族に対する資産の制限が厳しくなったが、それ迄は莫大な手当が皇家の家族一人一人に支給されていた筈なんだ。」
「その…皇女様の資産はどこに行ったのですか?」
「ああ…資産の使用状況も調べてみた。窮乏する国民の食費の調達、枯渇する軍の武器補充、先細りする臣下の給与に対する補填。それらに全て消費されていた」
「な…なんという…」
「俺はそれを知った時ちょっとグッと来ちまってな…その後記念館の募集情報を知った時…なぜか…体が勝手に動いちまったんだ…自分でも理由はわからねえ」
しばしの沈黙が二人を支配した。
そしておもむろに西園寺は切り出した。
「貴方もですか…」
「何だと!?」
「ええ…」
「一体…何があったんだ?」
「私は白鳳堂家の書類整理を行っていた時に一通の古い手紙を見つけましてね」
「手紙?」
「はい。高級な和紙に桜の御紋が押されてありました。私にはこれがただの手紙でないことはすぐに分かりました」
「…誰からの手紙だ?」
「それは皇女様から先代の白鳳堂家当主に宛てた物でした。日付からして皇女が進駐軍ビルに行く直前に発送されたものと思います」
「何が書かれてあった?」
「それは驚くべき内容でした。」
「もったいぶらずに早く!教えろ!」
「はい。まずアメリアナの戦後政策により礼和の財閥が解体される事が予見されていました」
「何!」
「しかしそれに対抗する具体策が書かれてあったのです。概ねそれはこんな内容でした」
伊集院は唾をごくりと飲み込んだ。
「《一つ目》は進駐軍に逆らわず持株会社を“素直に”解体する事でした。
白鳳堂本社(持株会社)を解散し傘下企業を独立会社として分離し、表向きはアメリアナの方針に完全協力せよと。
下手に対抗する事で、全面国有化や廃業の可能性がありうると記されています。
《二つ目》は「人」と「文化」を絶対に切らない事ようにと。
会社は分けても、人脈と価値観を守り、頭と心は同じにするべきと書かれていました。
《三つ目》は株式の分散を逆手に取る事。
創業家の株を、一旦従業員・取引先・系列企業に渡し、株をアメリアナ企業などによる敵対的買収が起きない構造にし、戦後支配が終結した時に再び統合すれば良いと」
言葉を失う伊集院。
「そして最後は、白鳳堂家の力は大きく、その企業体を何としても守り抜き 、戦後日本の復興に尽くして欲しいとの皇女様の願いで締めくくられていました」
人前でめったに泣くことがない伊集院の瞳に涙が光った。
「戦後の白鳳堂家の歩みは手紙に記された方策そのままです。おそらく先代は助言を忠実に実践されたのでしょう。そして…ふふ…私はこれを読んだ後はあなたと同じですよ。ただ一つ 困ったことが起きまして」
「なんだそれは?」
「瑠璃様がこの手紙を読んでしまわれた様なのです。この私としたことが…手紙を見て我を忘れ…保管をうっかりしていました。瑠璃様は感受性の強いお方ですから…これからが思いやられます」
「なる程…それで金髪王子が『和子様~!』な訳だな。しかし残念ながら今回の採用は俺が頂だくぜ」
「それはどうかと。算用はあなたが上かもしれませんが、わたくし諸事全般こなせますので…」
「け!」
「ふふ、」
笑い合う2人。
しかし桜の陰でその様子を伺っていた1人の王子様がつぶやいた。
「僕が…必ず…」
次回 採用結果が決まる。パイ・フ―大暴れ。
面接が終わった観覧室。
タカシと田端は心地よい疲労感に包まれていた。
「イヤ―。素晴らしい!まさかあのような方々が応募されているとは。全く嬉しい誤算だよ」
田端は気持ちが高揚して頭から湯気が立ち上っている。
「はい!その通りです。経理だけでなく、きっと何でもお任せできますよ!ねえ、館長!」
日々オーバーワークに疲労困憊のタカシも期待感が半端でない。
二人の真ん中でミニ和子が満面の笑みで天使の羽をパタつかせながらしきりに頷いている。
「さて…募集要員は一人だが…誰を採用しよう?」
「そうですね…瑠璃君はきっと飲み込みが早くて何でも素直に言うことを聞いてくれそうだし…」
(それに可愛い!)
ミニ和子が速攻で付け足し。
「西園寺さんは何も言わなくても全て片付けてくれそうだし…」
(それにビロードボイス!)
「伊集院さんは記念館の運営もお任せ出来るレベルだし…」
(それにワイルドなイケメン!)
「本当に贅沢な悩みだね。そうだ…タカシ君…」
「はい!」
「いっそ3人共採用しちゃおうか!」
「館長!ナイスです!」
2人はにっこり笑って見つめ合った。
田端は腕組みして黙している平九郎に向ってお伺いを立てた。
「名誉顧問!全員採用という事で…如何でしょうか?」
(当然採用よね!ね!平九郎!)
ミニ和子も鼻息荒くパイ・フ―を見つめる。
平九郎は初めて低い声を絞り出した。
「ぬう…彼奴ら…たしかに見目麗しき者共…」
(そうよね!そうよね!イケメンよね!)
「計算もそれなりに出来る様子…」
(そう!優秀なの!はい、採用!はい、採用!)
ミニ和子は自分の頭を右手に持って上下させ、チアガールのように腰を振りながら連呼した。
「だが!しか―し!」
平九郎はクワッと目を見開き絶叫した。
三人は表情が凍りついた。
「動機が誠に不純である!殿下目当ての卑しき奴ら!」
平九郎の眼は憤怒する閻魔大王の様に燃え盛っていた。
(そんな事ない!そんな事ない!平九郎!みんな真面目な方々よ!)
ミニ和子は天使の羽をパタつかせながらパイ・フ―の周りを必死に飛び回ってなだめる。
平九郎は観覧室の格子天井を遠い目で見つめながらしみじみと語った。
「殿下は常に外面(そとずら)に囚われる事無く、内面を重んじておられた…」
(そ、その通り!内面は大事…でも外面も大事なのよ!)
ミニ和子は半泣きになりながら平九郎の耳元で叫ぶ。
「もし、殿下が生きておいでなら必ずこう仰せになるじゃろう『見た目を飾るのも結構ですが、もっと心を磨いて出直しあそばせ』と」
(言わな―い!!!)
ミニ和子は絶叫してパイ・フ―の頭をポカポカ連打。
田端はゴクリと唾を飲み込んでプルプル震えながら平九郎に訊ねた。
「で、では…今回の採用は…」
「うむ!全員不合格じゃ!」
そう言うと平九郎はパイ・フ―の耳を前後に振りながら『ガッハハハ!』と豪快に笑った。
ミニ和子は地面に落下激突して『ムギュウ…』といって気絶。
生ける屍となった2人を尻目にパイ・フ―は玉座の和子にむかって直立不動の体制となった。
「殿下…自分は殿下をつけ狙う忌まわしき馬の骨どもを見事に退けましたぞ…この平九郎を褒めて下され…」
そう言って大粒の涙を流し、パイ・フ―の着ぐるみを濡らした。
「うぐ!」
タカシは確かに見た。
一見無表情に見える玉座の和子の周りに黒い瘴気が渦巻いているのを。
がっくりうなだれて帰る田端を見送った後、タカシは皇女と2人きりになった。
「うふふ…タカシさん…『次郎狸も出戻り嫁は三度まで』ですわよ…」
(あ!和子様が闇落ちされている…まずい…)
タカシの額に冷たい 汗が流れた。
「ねえ…タカシさん…降霊の御札はまだあるかしら?」
「え…何故ですか?」
「決まっているでしょう…平九郎にきつ~い説教を御見舞いしたいの…うふふ…」
「だ、駄目ですよ!連発したらまずいです…」
ダ―ク和子を必死になだめながらも、又明日からの変わらぬ多忙な日々を思い、げんなりするタカシであった。
薄汚れたカーテンの隙間から光が差し込む。
布団の中からニュッと手が伸びて傍らに置いてあった真鍮のベルのついた目覚まし時計をつかんで再び中に引っ込む。
「ぎゃあ!」
叫び声が響き布団を跳ね飛ばすと、仰向けのタカシは針が10時を示す時計を持った両手を震わせた。
「何で目覚ましが鳴らないんだ!」
寝癖でくしゃくしゃになった頭をかきむしりながらタカシはぼやいた。
(うん?待てよ…)
タカシは壁にかけてある皇女記念館特製カレンダーに目を向けた。
今日の日付に赤丸がついている。
「そうだ…今日は非番だった!ふう…」
安堵のため息と共に再び布団に横たわるタカシ。
二度寝しようとして布団をかぶったが、すぐにガバッと跳ね起きた。
「ダメじゃん!今日母さんが来るって言ってたな!あーもう…久しぶりの休みなのに…」
独り言でぼやくとグーッと腹が鳴った。
(そういえば昨日の晩忙しくて何も食べてなかった…)
空腹を思い出したタカシはヨレヨレのパジャマ姿で洗面台に向かうと《虎印の粒塩激増し歯磨き粉》をチューブからひねり出して最後の 1 絞りを歯磨き粉に塗った。
「グェ~!」
歯磨き中激しくえづくタカシ。
続いて顔を洗い真鍮の蛇口を閉め、黄ばんだ皇女記念館タオルで顔を拭く。
続いて朝食の《タカシスペシャル》の準備に取り掛かった。
畳の上に転がっている《オオヤマザキのニコニコ食パン》の袋を取って賞味期限を見るタカシ。
(昨日で切れてるな…まあいい…)
中から二枚取り出す。
続いてミニ台所のカビ臭い下箱の中から鯖の水煮缶を取り出す。
「何だ…最後の1つかよ…」
ぼやきながら缶を開けてそのまま箸で中をぐちゃぐちゃにかき混ぜた。
それを1枚目のパンの上にぶちまけ均等に成らすとその上に冷蔵庫から取り出したマヨネーズをぶちゅうと絞りかける。
さらにその上にもう一枚のパンをかぶせてぎゅっと抑えた。
タカシスペシャルの完成である。
「頂きます」
タカシは合掌するとタカシスペシャルを両手で鷲掴みにし、パンの間からマヨネーズと鯖をはみ出させながらむしゃむしゃと咀嚼した。
「美味い!なんて美味いんだ!」
タカシは自讃しながら膝をパンパンと叩く。
ちょうど最後の一切れを口に入れた時、色がくすんだ化粧ベニヤ貼りの木製ドアをノックする音が響いた。
「タカシ!いる?タカシ!」
(え、早いな…)
たかしは口の中のパンをごくりと飲み込んでため息をついた。
「パンパン叩くなって!ドアが壊れる!」
「早く開けて!荷物が重たい!」
「今いく!待って!」
少し苛立ってドアを開けると、そこにはくるくるパーマ頭に茶色のヨレヨレのスカ―トス―ツ姿の中年女性が立っていた。
その両手にはパンパンに膨らんだ緑色の唐草文様の風呂敷包みがぶら下げられている。
山田 美枝(やまだ みえ) 43才
タカシの母親である。
「何故すぐ開けてくれないの!腕がもげちゃあう!」
「着くの昼過ぎって言ってただろ!」
「そんなこと言ったかしら?」
「それになんだよその荷物…」
「ああ…これね…あんたの為に持ってきてあげたの」
美枝は 風呂敷包みを床に置くと慌ただしく開いた。
中には大量の角餅と鮭とばが入っていた。
「又…こんなのばっかり…いっぱい」
鮭とばの袋を手に取りながら呆れるタカシ。
(これ硬いんだよな…日持ちはするけど…)
「あんた…どうせろくなもの食べてないんでしょ」
「そんな事…ないよ」
「嘘おっしゃい。台所は汚いし部屋は散らかってるし」
「うっさいなあ…」
「まあ、まずは一服するわよ。やかんどこ?」
「何すんの?」
「お湯を沸かすのよ。いいお茶持って来たから」
「要らないよ!」
「あんたねえ…お茶ぐらい飲みなさい!体にいいんだから…」
美枝はそう言いながら、油がこびりついた一口コンロにやかんを乗せマッチで火を点火する。
「ところで今日は準備できてるんでしょうね」
「はあ?何の事」
「母さんを記念館に連れて行ってもらうこと」
タカシはのけぞった。
「なに!それ!聞いてない!」
「いいや!母さん言いました!行く前にちゃんとあんたに言いました!」
「絶対言ってない!」
「母さん初めてだから楽しみで仕方がないわ。函館フェリーの中でもワクワクして寝れなかったのよ」
(聞いてない…まるで遠足前の小学生みたいだな)
無力感を禁じ得ないタカシ。
やかんから蒸気が吹き出し慌てて火を止めて急須に湯を入れる美枝。
「あらやだ!こんなお椀しかないの!もっとちゃんとしたもの買っときなさいよ!」
美枝はブツブツ文句を言いながら、記念館特製マグカップとひび割れたひょうたんマークのついた湯のみにお茶を注いだ。
「うるさいなあ…普段お茶なんて飲まないんだよ…アチチ…」
「ああ…やっぱり静岡のお茶は美味しいわ!ずず…」
半分ぐらいお茶を飲み終わったところでタカシは切り出した。
「あのさ…今日俺非番なんだけど…」
「ふうん。あんた職員だから入場無料でしょ」
「そういう問題ではなくて…」
タカシはいくら攻撃しても HP が減らないラスボスを相手にしている気分になってきた。
美枝はお茶の残りを飲み干すと勢いよく立ち上がった。
「さあ!そんな汚いパジャマを脱いで!早く着替えなさい!母さん待ちきれないわ」
(マジかよ…せっかくの休みが…)
残ったお茶も飲み干す気力のないタカシであった。
次回 美枝 初めての皇女記念館
地下鉄帝京線駅を下車した2人は9番出口から外に出た。
「わぁ!」
美枝は感嘆の声を上げた。
左に皇城が遠くにかすみ、右に皇女記念館がそそり立ち、エントランスの行列が見える。
彼女は首にぶら下げたカメラを構え、夢中でシャッターを切った。
「凄い建物だねぇ!あそこに皇女様がいらっしゃるんだね!」
「もう…恥ずかしいからあんまりはしゃぐなよ…」
「あんた…あんな立派なところで働かしてもらってるなんて… 本当にすごいじゃない!」
「まあね…人使いは荒いけど…」
「あんた何言ってるの!文句を言ったらバチが当たるよ」
「はいはい…判りました。さあ 早く行って入り口に並ぶよ」
「あ…待って…桜並木も綺麗」
「そんなものまで写真撮るなよ…急がないともっと混むんだから!」
美枝はいちいち立ち止まるため、その度に苛立ちの声を上げるタカシ。
2人がゲート前ににたどり着いた時には行列はさらに長く伸びていた。
『入場までの待ち時間60分』と看板に表記されている。
「1時間待ちか…昼前は一番混むんだよ」
「あんた職員なんだから特別入場とかとさせてもらえないの」
「今日は仕事で来てないから無理」
「あんた本当に役立たずね…でも 近くで見ると本当に大きい…」
記念館の威容に呑まれる美枝。
間口は100m(東大寺大仏殿の間口は57m)、奥行きは200m。
外装材には御影石が使用され、ヨーロピアンクラシックの彫刻や装飾が施された西洋レトロ風建築の仕様だが、三層の屋根には巨大ないぶし銀の瓦が連なっている。
彫刻枠の巨大な半円アーチの入口が近づいてくるにつれ言葉数が少なくなる美枝。
「うう…なんだか緊張してきたよ…タカシ…」
「こんなんでいちいち緊張するなよ…ほら、入場券を買うよ」
入口横の入場券発売窓口で親族割引でチケットを購入するタカシ。
ゲートではたかしは社員証を提示、美枝はチケットの半券をウェルカムガールにちぎってもらう。
「歴史と伝統の皇女記念館にようこそ!」
はち切れんばかりの笑顔で手を振られ、慌ててお辞儀をする美枝。
エントランスホールに入った2人を出迎えたのは高さ3m の青銅の皇女像。
軍服姿の和子が右手で天を指さしている。
『うふふ…ねえタカシさん…わたくし、一体何を指さしているのかしら?』
この像については、和子が夜の散歩をする時にふざけて毎回質問をされる。
その度にたかしは半泣き顔で「分かりません…」と答えるのが パターン化している。
「ちょっと!あんた!写真撮って!」
像の前にダッシュすると、にっこり笑って V サインをする美枝。
1枚で終わろうとしたらポーズを変えてもう1枚要求されるタカシ。
大理石の内装にシャンデリアがきらめく高い天井。
美枝の興奮は止まらない。
「母さん…はしゃいでないて…2階に上がるよ」
「ちょっと待って!」
忠国レストランの食品サンプルケースの前で立ち止まる美枝。
「ねえ お腹が空いたわ…何か食べましょう」
「ええ…まだ昼前だよ…」
「いいの!さあ入るわよ!」
(タカシスペシャル食べたばっかなのに…)
タカシは美枝に手を引っ張られて渋々レストランの入り口をくぐる。
「いらっしゃいま…あれ…山田さん!」
ウェイトレスの高橋 真由(たかはし まゆ)が目を丸くする。
「うちのせがれがいつもご迷惑をおかけしております」
美枝が深々と挨拶をする。
「へえ…今日はお母様とご一緒なのね…」
「はい…母にせがまれて…」
「ふふ…いいことじゃない。ゆっくりしていってね」
そう言うと真由は注文を聞いて奥に下がった。
「ねえ…可愛い制服ね。黒いワンピースに白エプロン。あれってメイド服 っていうの?」
「違うよ!皇城の給仕官の職業制服を再現したものだよ」
「ふうん…でも可愛い子じゃない。あの子と付き合ってるの?」
「ばっ!んなわけないじゃん!」
タカシは飲みかけた水を吹き出した。
「隠さなくてもいいわよ!母さん応援するから」
「だから違うって!あの人には彼氏がいるの!」
「あらそうなの…あ、来た来た。美味しそう!」
2プレートの皇女ランチが運ばれて来た。
皇女が戦前に愛されていたというスズキのソテーをメインにほうれん草とかぼちゃの煮物、ピンクに着色したライスがついている。
タカシが箸をつけようとすると「今写真を撮るの!」と言って叱られる。
箸をつけてから夢中で咀嚼する美枝。
「美味しいよ!タカシ…美味しいよ!」
「ちょっと!そんなにがっつくなよ…恥ずかしい」
「あんたねえ!母親に恥ずかしいとは何なの!」
「もうちょっと静かに 食べて欲しいんだよ…」
「ところでタカシ…次はどんな順番なの」
「二階の常設展示コーナーを回ってから三階の特別観覧室、そして 2階に戻って特別展示コーナーを見てから1階のショップに行く。まあ 基本的にはこの順路かな」
「そうなの!さあ行くわよ!」
「え…もう出るの(コーヒー飲みたかったな)…」
目を白黒させながら勘定を済ませるタカシを尻目にすでに二階に心が飛んでいる美枝であった。
次回 母 皇女を拝観する
二階には長いエスカレーターを登る。
美枝は前後をキョロキョロするが外国人の姿も目につく。
「海外からもたくさん来られるんだね」
「和子様は映画化もされたしね。最近はアメリアナからの来場も多いよ」
「ふうん…あんた、アメ語なんて喋れるの?」
「いまいち…でも喋れなくても何とかなるもんだよ」
「本当かねえ…」
エスカレーターを昇りきると正面に常設展示室の入口が開いていた。
「すごい大勢の人が並んでいるね。ここでは何が展示されてるの?」
「皇女和子様にまつわる展示が3室に分かれてストーリー仕立てで閲覧できるよ。ここでしか見れない物もたくさん置かれてる」
「そうなんだね!楽しみだよ。でもなかなか列が動かないね…ちょっとあんたの特権で先に入らせてもらえないかしら」
「だからダメだって!」
第1室では礼和国の歴史と皇女の生い立ちについて紹介されている。
―礼和国と皇室の歴史年表
―古代歴史書の最古の写本
―先代海皇久仁と皇室一族の肖像写真
―和子の幼少時の白黒画像と皇族幼児服
―戦災で失われた桜の離宮の復元模型
―和子と平九郎が対局した将棋盤と駒
―和子の帝国桜華学園時代の制服
―和子が好んだ食事メニューのサンプル
など。
どの展示も黒山の人だかりである。
「ああ!もう!」
背の低い美枝は、背筋を伸ばしたり人の隙間から覗き見しようとしたり必死である。
「焦らずに横から順番に並びなよ!全く…もう…」
呆れて美枝の手を引っ張るタカシ。
「ひぇ~!はぁ~!」
美枝は一つ一つ目にする展示にいちいち感嘆の声を上げる。
特に食事メニューの説明文にいたく感心。
《皇女和子様はお蕎麦をこよなく愛しておられました。土地が痩せていても栽培でき、栄養も大変豊富です。そんな蕎麦を皇女様は高く評価し、いつも『ごちそう 』と呼んで召し上がっておられました》
「蕎麦!皇族が?」
「皇室では豪華な食事も用意されたようなんだけど、その時は決まって和子様は不機嫌でらっしゃったようだよ」
「ああ…皇女様…なんて御質素な…」
美枝は懐から小さな手帳を取り出して鉛筆でメモし出した。
次の第2室の入口案内には《大洋戦争の時代》の表記。
大洋戦争前の礼和と近隣諸国との関係図からスタートする。
「元々礼和は近隣諸国と結びつきが強かった。資源や物産、人的交流のやり取りは盛んだったんだよ。そこにアメリアナが介入してきたんだ。主に原油や鉱物資源が目的で」
「ふうん…それで何で戦争がおっぱじまっちゃったのかねえ」
「それは次のパネルを見たらよくわかるよ」
タカシが指をさす方向にはガラスケースの前に多くの人だかりができていた。
その中にはアメリアナ語で書かれた書簡が安置されていた。
パネルには次の説明が書かれている。
《ゲールマンの書簡;アメリアナの外交官ミハエル・ゲールマンは当時の久仁海皇に対し1通の書簡を送りました。そこには周辺諸国との同盟友好関係の完全破棄、神戸港と横浜港の永久租借、雅仁(マサヒト)皇太子殿下の人質要求が記されていました。この書簡が礼和国の戦争開戦のきっかけとなりました》
「雅仁様!皇女様の兄君じゃないの!」
「そうだよ。今の海皇陛下」
「母さん…知らなかったわ…」
「そうかもね。だって戦後教育じゃこんなの教えないもの」
しばし絶句する美枝。
このパネルにはアメ訳文も併記されており、これを見たアメリアナ人は声が出ない様子だった。
この後
―和子が戦時中に着用したカーキ色の《正五式軍服》の実物
―さつまいも、オカラ、野草のみの戦中食のレプリカ
―礼和大空襲後の廃墟となった帝都の白黒動画
―戦艦永遠(とわ)の沈没直前の航空写真
―トールマン大統領の前で頭を下げる若村大使の無条件降伏時の写真
などの展示が続き、最後の第3室に続く。
鎮魂の静かではあるが厳粛な旋律が聞こえてくる。
桜離宮の玄関を模した《忠國の部屋》の入口の前で 美枝は大きく息を吸った。
最初に、サングラス姿で太い葉巻をくわえる尊大なライゼンバーグと、その横で燕尾服姿で直立不動の久仁海皇が並ぶ写真が目に入る。
その横に《五箇条の政策》の説明パネルが大きく貼られている。
『敗戦後の礼和国に進駐軍総司令官として乗り込んだデビッド・ライゼンバーグ元帥は次の五箇条の政策を掲げていました。
1、礼和の言語と文字の破棄
2 、礼和の歴史文章の焼却
3、礼和の神道、宗教施設 全ての解体
4、礼和の稲作の中止と小麦への転作
5、海皇制の廃止
これは礼和の国体を完全に消滅させる意図を持っていました。皇室は強い危機感を持ちます。このことが 《皇女自決事件》に繋がっていきます』
ここにもアメ語が併記され「Oh My God…」と嘆息する声が聞こえてくる。
「あっ!加藤さんだ!」
次の展示を見て美枝が歓声を上げた。
加藤義国の肖像画と説明パネルである。
「なぜこの人だけ油絵なの?」
「加藤さんは写真嫌いだったらしい。『人は死ねば無になるのみ!』が口癖だったらしい。肖像写真が1枚も残ってないんだよ」
「変わった方だねえ…」
「でも皇女様が信頼を寄せるのはこんな無骨な人達だったんだよ」
「ふうん…あんた…なんでそんなこと知ってるの?」
タカシはドキッとした。
「あ…いや…そんな気がするだけだよ…」
「そんな気…まるで皇女様を知ってるかのような口ぶりだったけど…」
「は…はは…次だ!次は大事な展示だよ!」
ジト目で見つめる美枝を無理やり追いやるタカシ。
次のガラスショーケースの前には今回の展示の中で最大の人だかりができていた。
和子が自決時に着用していた儀礼用の血糊の跡のついた軍服と、加藤義国が用いた仕込み杖の刀、その前に広げられた遺族に当てた手紙である。
その横のパネルには《進駐軍司令部皇女自決事件》と題して詳細な説明書きが綴られていた。
生々しい展示物を見て息を呑む美枝。
(和子様…この展示…嫌いなんだよな…)
タカシは和子との夜の散歩時のことを思い出した。
『この軍服…恐いですわ…タカシさん…』
『え…何故!』
『何か怨念にまみれてそう…動き出したら…わたくし…気を失ってしまいますわ…』
『は…はあ…』
(ご自身の服なのにな…本当に怖がりだ)
「あんた!神聖なご衣装の前で何をニヤニヤしてるの!不謹慎な!」
突然美枝に叱られ慌てて真顔に戻るタカシ。
「だ、誰?この軍人さん…」
美枝は次のパネルを見て体が凍った。
ぼろぼろの白黒写真。
一人の軍人が敬礼しているらしい様子が辛うじて判る。
説明パネルには《帝国陸軍 第一級魔導士 斑目慎之助》と書かれている。
「皇女様の御身体に魔法をかけた魔導士だよ」
「魔法?」
「うん、彼のおかげで今も皇女様は美しい姿を保っておられるんだよ」
「…いったいどんな方だったのかしら…」
「さあ…僕も詳しくは知らない。先の大戦では随分活躍された様だけど。半生が謎の人だから…」
「そうなの…」
美枝はじっと肖像写真を見つめている。
タカシは母のそんな表情をあまり見た事が無かった。
2人は最後に、和子が愛した屈原の漢詩の大書を見た後常設展示室を後にした。
「ああ…母さん…まだドキドキしてる…」
「大丈夫かい…これからメインなのに…」
「あたし…心臓が破裂しちゃうかも…」
「止めてくれよ…全く。さあ、3階に上がるよ!」
「あっ!待ってよ…タカシ!」
先に進むタカシを美枝は慌てて追いかける。
エスカレータ―を上がった先は皇女観覧室前ホ―ルとなっている。
ここで来館者は観覧室でのマナ―や注意点の説明を受ける。
「母さん。はしゃいだり大声出したら駄目だよ!それに写真撮影も禁止だから」
「ええ!写真駄目なの…1枚だけなら…いいでしょ…皇女様の前でVサイン…ふふ」
「だ・か・ら!絶対駄目!」
口を尖らせる美枝からカメラを強制収容するタカシ。
「お待たせ致しました。では次にお並びの方。観覧室に御入場下さい」
案内の呼び声がかかり、桜の御紋が入った両開きの豪華な扉が開かれる。
2人は期待に胸をふくらませる大勢の観覧者と共に入場した。
次回 美枝 皇女と対面
「まあ!凄いねえ!」
まず美枝は観覧室の壮大さに胸を打たれた。
大理石の床と美しい彫刻が施された柱。
極彩色の蓮と桜の花びらが入り乱れる模様が施された高い天井。
正面はるか向こうに玉座の間のガラス張りが見える。
「あれ…まっすぐ皇女様の前に行けないのかい」
「誘導柵に従って進むんだよ。あ !乗り越えちゃだめだって!」
柵にまたがる美枝を慌てて引っ張り戻すタカシ。
「全くまどろっこしいね…ぐるぐるぐるぐる遠回りしなきゃ玉座に行けないなんて!」
「来館者が多いから一気に皇女様のところに殺到しないようになってるの!いいから順番に歩いて!」
「ああ…もう…向こうに皇女様が見えているのに…」
すきあらば柵を乗り越えようとする美枝に対し警戒態勢マックスのタカシ。
そんな揉めている2人の姿に和子は気がついた。
(え…タカシさん…まさか…女性の方と2人!)
距離があるため相手女性の姿ははっきりわからないが、親密そうな様子に和子はぎゅっとこぶしを握る。
(…っ…何だか仲が良さそう…一体…誰?)
和子の胸の中に自分でも理解できない感情がせり上がってくる。
そんなざわつきを抑えきれない皇女に向かって2人は徐々に接近していく。
(あれ!)
最初はジト目だった和子だが、近くになるにつれ 連れの女性の顔がタカシによく似ている事に気がついた。
(お年も大分タカシさんより離れていそう…もしかして!)
「タカシ!カメラをよこしなさい!」
「駄目だって母さん!いい加減にしなよ!」
2人の言い争いの声が聞こえてくる。
(やっぱり…お母様だったのね…ふふ)
和子は胸のざわつきがすっと収まっていく。
そしてついに最前列に並んだ美枝は、初めて間近で和子を拝覧して興奮を隠しきれない。
最上級儀礼の元帥服姿の皇女は威厳と気品に満ち溢れていた。
旭日章や菊花章などの胸一面の勲章・肩から斜めにかかる赤いサッシュ(大綬)・金の組紐・肩の大きな金の飾り(エポレット)・白手袋などはどれも彼女の身分と格式の高さを存分に表している。
「なんて…お美しいんだろう…尊くていらっしゃるんだろう…あれ?」
「どうしたの、母さん」
「皇女様の御首がちゃんと繋がってらっしゃるよ…御身体と離れてらっしゃるって聞いてたのに…」
金色の縁取り・桜章などの装飾が入った高い詰襟が首元まできちんと留められ、長い漆黒の髪が軍服の背中に優雅に流れていた。
「ああ…今月は和子様の御生誕月だからね」
「え!皇女様は5月の御生まれなの!」
「そう。この月限定で和子様をご生前の姿にお戻しする習わしなんだ」
「本当!あたし、ラッキーだね!」
(でも…和子様は…ご機嫌麗しくないんだよな…)
昨晩の夜を思い返しため息をつくタカシ。
『首が窮屈でかないませんわ…顎の下までぴったり閉じられてる…』
『我慢して下さい。習わしですから…』
『何で大礼服の詰襟はこんなに高いのかしら…7センチも有りますのよ…信じられない』
『でもご生前は着用なさっておられたのでしょう』
『特別な儀式の日だけですわ…こんな服』
『でも元に戻られた御姿は素敵です』
和子の生前の姿に目頭が熱くなるタカシ。
『タカシさん…他人事だと思って…あーもう!我慢できませんわ』
そう言って首を詰襟から抜いて膝に置き、ふーっと息をつく和子。
『うふふ…楽ちんですわ』
『あ!いけません!和子様!』
『いいじゃない。夜だし…誰も見ていないでしょ…』
『なりません!すぐに首をお戻しください』
『い…いやよ…』
『習わしです!』
『うう…タカシさんのいじわる…』
渋々胴体に首を戻す和子。
(そんなこんなで帰りが遅くなっちゃったんだ…)
「あんた…またニヤニヤしてる…」
「え…そんなことないよ」
「そんなことある!気色の悪い…あれ…なんか女の人が出てきたよ」
「女の人?あっ!今日は醍醐さんの日だった!」
「醍醐さん?」
「うん…日替わりの説明役の人。ただちょっと…」
「ちょっと…何だい?」
「うん…癖強めというか…あっ!ほら!正面注目!」
二人が玉座正面に目を向けるとその女性が能面のような笑顔で観覧者の方に向き、両手を前に合わせて背筋をピンと伸ばして立っていた。
黒スーツの襟には桜の紋章の社員バッジ。
インナーは淡いピンク色のリボンブラウス。
タイトスカートに黒タイツ。
頭髪は後頭部にお団子状にきちんとまとめられている。
彼女は細目の笑顔のまま左に顔を向け軽く会釈した。
それに合わせて恐る恐る頭を下げる左側の観覧者達。
次に右側に顔を向け同様に軽く会釈。
右側の観客も慌ててそれに合わせて頭を下げる。
そして彼女は正面を向いた。
その細目の感情の読めない笑顔を、みんな息をのんで見守る。
(来るぞ!)
タカシは身構えた。
能面は突然かっと目を見開き怪鳥のような巨大な甲高い声で叫んだ。
「はいれ~~~~~~~い(拝礼)!!」
観覧者は一斉にのけぞったが、慌てて頭を下げ直す。
また笑顔に戻った彼女は全員を改めて見渡した。
「誠に良うございます。皇女様は国の宝…常に最上の礼を忘れてはなりません。申し遅れました。わたくし玉座前説明案内役を務めさせて頂きます醍醐 美美美(だいご びびみ)と申します。誠に至らぬ者ではございますが、かしこみましこみ宜しくお願い申し上げます」
そう言ってびびみは改めて深く頭を下げる。
「ウフフ…美美美だって…すごい名前だね、タカシ」
「シッ!母さん!」
美枝が正面を向くと、びびみが凄まじい上三白眼で睨んでいた。
(あちゃー!母さん目をつけられてる…)
先が思いやられるタカシであった。
次回 美枝と美美美の対決
「た…たかし!あの人…なんかすごい目で睨んでるよ…」
(全く…母さんの喋り声でかいから…まる聞こえだよ)
ため息をつくタカシ。
「そこのあなた様!」
「は、はい!」
「無用な私語はお慎み下さいませ!」
「ふえ!すみません…」
「お分かりになれば結構」
美美美はそう言うと満面の笑顔に戻り、観覧者に向かって意気揚々に語り始めた。
「さて、皇女様は誠に尊い方。国に御捧げになられたるその御身は各種の国の指定を受けておられます。主たるものに《特別至高天上国宝》《超特級礼和国遺産》《国の歴史最重要文化財》《忠国模範最高人物認定》《桜華爛漫超絶極上勲章叙勲》…全ては読み上げませんがその他にも50もの栄誉をお持ちなのです」
(わたくし…一体何者なのかしら…まぁいいけど…)
和子は悟りの境地に入りかけている。
「そのような皇女様には様々な素晴らしいエピソードがございます。本日はその中より選りすぐりのものをご紹介して参ります」
そういうと美美美は懐から一冊の革表紙の書物を得意気に取り出した。
「これは皇室の歴史を編纂しました《海皇礼記》でございます。皆様!貴重なお話ですので背筋を正してお聞きくださいませ」
(また海皇礼記!あれって皇室を神格化しようとして嘘や誇張が多いのよね…やめてほしいわ…)
毎度の事に和子は辟易(へきえき)していた。
「《皇女伝 第三章》より。皇室で飼われていた秋田犬の五郎は皇女様の前では礼を正し人語を喋ったと伝わります。皇女様が帝国桜華学園学生時代、担任教師の吉田佐吉が個人面談のため皇城を訪れました。その時五郎は吉田に向かって『教員、教員』としゃべり、見事に職業を言い当てたとのことです」
「あの…ちょっといいですか?」
「か、母さん!」
突然手をあげる美枝に慌てるタカシ。
話の腰を折られて不機嫌そうな美美美。
「はあ…何でございましょう」
「それって犬が『キャイン、キャイン』って泣いただけじゃないの?」
「くっ…奥様…この話は海皇礼記にもはっきり明記されております。水を差すのはお慎み下さい!」
「だって変じゃない…犬がしゃべるなんて」
(お母様。ナイスツッコミですわ!)
心の中で喝采を叫ぶ和子。
美美美の眉間の皺が深くなっていく。
「良うございます…ならば近年の例も教えて差し上げましょう。霊長類研究所の類人猿ボノボが皇女様の前で見事な詩吟を披露しております…いかがでございますか!」
「ああ。カンタ君でしょ。あの研究所は旭川にあるんだ。あの子もともと喋れるのよ」
「ぐぬぬ…」
真っ赤な唇の右端が上がり噛みしめた歯が覗く。
「では…次の話に参ります!心してお聞きくださいませ!」
「あいよ」
「《皇女伝 第十七章》より。正和4年11月、アメリアナのジェフ・ゴードン将軍が戦車大隊を引き連れて皇城に攻め寄せました。その時皇女様は名刀を携えて敵の前に立ち、刀を一振り。ゴードン将軍は戦車ごと真っ二つにされたと伝わります」
「え…ゴードンさんて生きておいでじゃなかったのかい?確か本国で大統領にえらい怒られたとか…」
「そ、それは…アメリアナの救護班の手当が適切だったのでは…」
「ふうん…真っ二つにされてねえ…ゴードンさんもなかなか気合いの入ったお方だねえ…」
(お母様!そのツッコミはわたくしにもダメージが…ぷ!うっふっふ…)
和子は震える腹筋をなだめるのに必死である。
美美美の能面の笑顔がどす黒く染まっていく。
「奥様…海皇礼記を愚弄するおつもりか!」
「いや…そんな気はないけど…ただ将軍凄いなって…もしかして《ゾンビ》みたいな…」
(母さん…それ以上あおっちゃダメ…)
タカシは額の汗が止まらない。
「ぐぎぎ…ば…馬鹿になさっておいでですね!しかし次の話は今回の真打でございます!しかとお聞きになりひれ伏しなさい!」
「はいはい」
「《皇女伝 第九章》より。皇女様はいついかなる時も礼節にかなったお振舞をお忘れになりませんでした。それは御不浄に行かれる時も同じでした」
「御不浄って何なの?」
「かっ!便所のことでございます。それぐらい勉強なさいませ!」
「今時そんな雅な言い方使わないわよ」
「奥様!話の腰を折らないでくださいませ!ハアハア…続けます…」
美美美の体は小刻みに震えていた。
「…皇女様はどのように焦っておられても御不浄の扉の前で立ち止まり、ふくよかな微笑みをたたえられ『国からのめぐみを大地にお返し致します』と仰せられ《二礼二拍手一礼》をなさいました。そのあと必ず和歌を一首詠まれたと伝えられております」
美枝はそれを聞いてニヤニヤしながら聞いた。
「へえ…便所の前で皇女様がねえ…本当に和歌なんてお詠みになったの?」
「この醍醐の話をお疑いか!」
「だって…ねえ…」
「宜しいでしょう!では一首をご紹介致します!耳をかっぽじってよくお聞きなさいませ!」
そう言うと美美美は深呼吸してから朗々と詠み始めた。
いとやばし
はらのいたみを
しのびつつ
ああまにあわぬ
かたすとろふか
「いかがで御座いますか!」
美美美は会心の笑顔を披露する。
「これってさあ…単に『出そうで漏らしそう』って中身だろ…皇女様がこんな歌作らないでしょ」
(いいですわよ!お母様!もっと言ってあげて!)
心の中でチアダンスを踊る和子。
「ふ…ふおお…」
美美美の本を持つ手がブルブル震え出した。
「どうせあんたが作ったんじゃないの?そんなくだらない歌」
「母さん!もうやばいって!」
「何よタカシ。当たり前の事言ってるだけじゃない」
「違うって!あれを見て!」
2人は美美美を見た。
「フ―!フ―!フ―!」
美美美は顔を完全に下に向けて、肩を上下させながら激しく鼻息を鳴らしていた。
そして彼女はぶつぶつ何か呟いている。
このおんな
わたしのはなしの
じゃまばかり
ほとけのかおも
修羅になるわよ
(あ!醍醐・阿修羅モ―ドだ!)
タカシは血の気が引いた。
はなし言葉がすべて和歌になる時。
これは美美美が完全に切れたサインなのである。
そして面をゆっくり上げた美美美の顔を見て2人は震え上がった。
能面の様な笑顔の瞳は白目を向き、口は耳元まで裂けて(いるみたいに見える)赤灰色の舌が垂れ下がっていた。
びびびのび
びびみのがまん
げんかいよ
おもいしらせて
やるわびびびび
「母さん!逃げて!」
絶叫するタカシ。
美美美は突き出した両手の指をまむしに曲げ、美枝に襲いかかった。
美枝は間一髪で飛び退くとダッシュで逃げる。
その後を阿修羅の様に追いかける美美美。
しかし美枝は学生時代は100メ―トルハ―ドル15秒を切る古強者(ふるつわもの)。
巧みに誘導柵をジャンプしながら逃げる。
その後を美美美は機関車の様に柵を毛散らかしながら追走。
美枝は観覧室の隅の非常口にたどり着き、慌ただしくドアノブをひねる。
「開かない!誰よ!ロックしたの!」
苛立ってドアを無意味に叩いてから振り向くとそこには美美美が口から瘴気を吐きながら立ってた。
おいつめた
にげばはどこにも
ありません
かんねんなさい
むくいうけるの
そう詠んで掴み掛かろうとしたその時、美美美が美枝の表情の異変に気付いた。
彼女は自分でなくその後ろを指差して戦慄しているのである。
振り向くとそこには見上げる様な巨漢がそそり立っていた。
「鵜戸野さん!醍醐さんを抑えて!」
横に居たタカシが叫んだ。
「わがっだ…」
大介は美美美をガバッと羽交い締めにすると、ぎゅっと締め上げた。
「びびび…び…」
彼女は最初手足をバタつかせたが、ガクッと首がしなだれて静かになった。
「鵜戸野さん。事務室で静かに寝かせておいて下さい」
「ばい」
大介は美美美を肩に担いでズシン、ズシンと退出していった。
「はあ…どうなる事かと思ったよ…」
胸を撫でおろす美枝。
「母さんも駄目だよ。素直に聞いておけば何事も無かったのに」
「でも…あたし我慢出来無かったよ…何だか皇女様も聞いておられる気がして」
「え…」
「おかしなことはおかしいって言わなきゃね。きっとその方が皇女様も頷いて下さると思うよ」
(その通りかも…)
ちょっとタカシは頬がゆるんだ。
(?)
皇女はそんな二人の様子を玉座から見つめていた。
次回 美枝 皇女記念館との別れ
「よいしょっと」
倒れた防護柵を順番に戻していく美枝。
「母さん。いいって。スタッフとやっとくから」
美枝はタカシの制止にも手を止めない。
「そんなわけにはいかないよ。ご迷惑おかけしたからね」
「全く…律儀なんだから…」
柵を戻し終えてパンパンと手を叩くと美枝は玉座に向かって深く頭を下げた。
(お母様…災難でしたね。でも言いたい事を言って頂きました。ありがとうございます)
和子も心の中で頭(こうべ)を垂れた。
「さあ、行くよ。たかし」
「え!もう出るの…」
「充分だよ。ご迷惑もおかけしたしね」
「なんだよ…もう少しゆっくり見て行けばいいのに…」
まだブツブツ言っているタカシと笑顔の美枝は観覧室を後にした。
下りのエスカレータ―を降りるとそこは特別展示コ―ナ―の入口である。
「ここでは何が見れるんだい?」
「毎月内容が入れ替わるんだ。今は《大洋戦争で散った英霊達》展。ちなみに前回は《戦前の女性のおしゃれ》がテーマだった」
「なにそれ!あたし…それが見たかったよ!」
「それは残念。又いつかリバイバルするかもだからその時に来なよ」
「そんなのいつになるかわからないじゃない!」
「はいはい。諦めが肝心、肝心…」
タカシは、ぼやく美枝の背中を押しながら展示室に進む。
パネルでは、主に大洋戦争中に戦闘で活躍して最後を遂げた兵士達が取り上げられていた。
各写真に合掌しながら見学していた美枝だが、ある小さなパネルを見た時体が固まった。
美枝の目は大きく見開かれ、体はかすかに震えている。
「か、母さん!どうしたの?」
「勇造さん…」
美枝は前を凝視したままつぶやいた。
パネルには、児童送迎用と思われるデフォルメされた可愛い熊の顔がついたバスと、その横で敬礼する国民服姿の男性の姿が写された白黒写真が掲載されていた。
そして以下の説明書きが記されている。
――《平岩勇造》――
平岩勇造は北海道積丹(しゃこたん)町の児童送迎用バス《積丹号》の運転手です。
当時、彼は積丹町と中平町の幼稚園児並びに学童の送迎を毎日小樽市まで行っていました。
正和二十年八月十七日 、北方の大国ローデシアは礼ロ不可侵条約を破り北海道の各所に突如軍事侵攻を行います。これは皇女様の大喪の礼の翌日を狙った大変卑怯な行為でした。
北海道の西岸の小さな漁村である積丹町にもロ軍の揚陸艦が押し寄せ、戦車1台と4人の兵士が上陸しました。彼らは町民を次々と襲撃し38人が殺害されました《積丹虐殺事件》。
この時、平岩勇造は児童と学童を積丹号で一旦安全な場所に避難させます。
しかしロ軍が、より人口の多い隣の中平町に向かうのを見てそれを阻止する決心をします。
勇造は児童と学童を避難場所に残しロ軍を追走しました。
そしてロ軍の背後から積丹号で体当りを敢行しバスと共々戦車は大破、この爆発で4人のロ軍戦闘員も死亡します。
彼のこの決死の行動により中平町への進撃は阻止され、更なる惨劇が未然に防がれる事となりました。
彼の墓は現在積丹町の海を見下ろす斜面に祀られています。
――享年四十六歳――
「母さん…どうしちゃったの。この人を知ってるの?」
「あたし…この時の積丹号に救われた学童の一人なの…」
「何だって…」
タカシは一瞬呼吸をすることを忘れた。
「勇造さんは毎日私達を笑顔で送り届けてくれた…板金や塗装もなされる方でね…手作りのクマゴロ―の顔もはっきり覚えてる…」
「母さんが積丹の出身だったのは知っていたけど…詳しく教えてくれた事ってなかったじゃん…」
美枝は目をつぶった。
「あの事件はあまりにも悲しい出来事だったからね…あんたにも話すことができなかったんだ…」
タカシは暫しの沈黙の後、絞り出すように美枝に尋ねた。
「どんな状況だったの?」
「そうだね…その日はいつものように子供達はバスの停留所に集まって積丹号を待っていたんだ。その時に港の方が大騒ぎになって…上陸したロ軍のやつらが片っ端から機銃掃射で町民を殺していった。逃げ遅れた人が何人も戦車の下敷きになったよ」
「う…ひどい…」
「奴らの銃口が私たちに向いた時、駆けつけた積丹号が通せんぼしてね。『早く乗れ!』っていう勇造さんの必死の叫びで皆んな慌ててバスに飛び乗ったんだ。奴らの銃弾が何発もバスに穴を開けたよ」
「バスに銃弾が!それで母さん達は無事だったの!」
「ああ。緊急発進してその場を何とか逃げおおせた。全員怪我はなかったよ。でもみんな泣いていた。この中で最年長だった私はみんなを抱きかかえてたけど…体の震えが止まらなかった」
「それでみんな避難出来たんだ。でも、勇造さんは何故…」
「勇造さんは小高い丘の避難場所に私達を降ろした後、海岸沿いの道路を東に向うロ軍の姿を発見したんだ。『あのままでは中平町が…あいつらを止めねば!』と勇造さんは叫んでね。一人バスに飛び乗ったんだ」
「勇造さんは…決心したんだね…」
「そうだよ。あたし達は泣き叫んで勇造さんを止めた。でも勇造さんは笑って『皇女様はお国の為に御身を捧げられた。私も行かねばならぬ。お前たちは生きて国を守れ』と言ってね…」
そう言うと美枝の瞳から大粒の涙が流れ出した。
「その後あたしは函館に嫁いでたかしが生まれた。そのあんたが皇女様の元で働いてる…勇造さんのおかげだよ…」
タカシは何だか胸に熱い物が溢れ、一言も発することができなかった。
美枝は一度だけ深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
「御免ね…湿っぽい話をしちゃって…何だ?あんた泣いてるの!」
「泣いてないって!」
タカシは慌てて涙を拭いた。
美枝はもう笑顔になっている。
「さあ!次はお待ちかねのグッズショップよ!母さんこの日の為に頑張ってお金を貯めたんだから。さあ、突撃よ!」
「もう…焦んなって…」
そう言いながらもタカシは玉座の方に顔を向けた。
和子は変わらず穏やかな表情で鎮座していた。
ショップで鬼の様にグッズを買い込む美枝。
「ちょっと母さん!そんなに買ってどうするの!」
「あんたは黙って荷物を持って。佳子ちゃんと源ちゃんのみやげはこれで良し。博信おじさんと健吉君はこのキ―ホルダー喜ぶかな。あっ!このマグカップ可愛い!皇女サブレ!美味しそう!」
「これどうやって持って帰るんだよ!」
「餅と鮭とば包んだ風呂敷があるじゃない」
「誰が運ぶんだよ…」
「もちろんあんたよ」
(まじかよ…)
大量のお土産の山を眺めてげっそりするタカシ。
記念館のエントランスを出ると外は夕闇が迫り、桜並木の街灯が点灯し始めていた。
「ありゃ!もう暗くなってるよ…そんなに長くいたんだね」
驚く美枝。
「記念館は1日では回りきれないよ」
「本当にそうだねえ…」
美枝が振り返ると皇女記念館の建物が荘厳にライトアップされている。
(至らぬ息子ですが今後共々宜しくお願い致します…)
美枝は今一度頭を深く下げた。
特別展示室パネルの勇造とクマゴロ―の顔が少し微笑んだかのようにみえた。
次の日、2人は朝靄がかかる帝都港のフェリー乗り場にいた。
「本当に大丈夫?一人でこんな荷物持てる?」
「馬鹿にするんじゃないわよ。これぐらい余裕よ。」
美枝はそう言うと土産物がいっぱい詰まった2つの風呂敷包みをタカシから受け止った。
「それじゃあ気をつけて」
「うん。あんたもちゃんとしたもの食べてしっかり皇女様の下で頑張るんだよ」
「分かってるって」
美枝はフェリーの昇降階段を登る始めたが、途中で立ち止まって岸壁のタカシの方に振り向いた。
「…ごめんね…たかし。あんたを大学に行かせることができなくて」
「え、何?なにか言った?」
タカシは耳をそばだてたが美枝は答えず黙って手を振った。
そして母の姿は船内に消えていった。
しばらくして汽笛の音が鳴り響き、フェリーは岸壁を離れていく。
タカシは朝靄の中にフェリーの姿が見えなくなるまでずっと見つめ続けていた。
次回
和子は誰もいない記念館でタカシにも内緒の愉しみに興じる
美枝とタカシが記念館を訪れた日の夜。
閉館後、時計の針は日付の変更を迎えた。
主照明は落とされ、補助的な間接照明だけが場内を薄暗く照らしていた。
どこからか換気設備の音だけが微かに響いている。
和子は誰もいない観覧室で静かに玉座に腰を下ろしていた。
(そうか…今日はタカシさん…いないんだ…)
皇女は少し物憂げに瞳を細める。
(タカシさんのお母様…面白い方でしたわね…)
昼間の出来事を思い出しておもわず笑みを漏らす。
(それにしても…首がきついわ)
彼女の生誕月で首が胴体に戻されているのが窮屈で仕方が無い。
高くぴっちり留められた大礼服の詰襟に首がしっかり固定されている。
(まぁ明日から月替わりだから…それ迄の我慢ですわ)
金の刺繍に彩られた詰襟を撫でる和子。
こんな日、和子はたかしの言い付けを守って玉座の間の中で大人しくしている。
それはタカシのいない時に変に館内をうろついて臨時で戻ってきた職員などに鉢合わせしたら大変だからである。
しかし今日の皇女はソワソワしていた。
(確かノ―ブルとエリザベスの最新号が出てる筈ですわ)
ノ―ブルは20才代の年齢層をタ―ゲットにした清楚系寄りの女性ファション誌、エリザベスは恋愛物と歴史物系が中心の少女漫画雑誌でどちらも月刊である。
事務室には職員が休憩時に読める様に雑誌類が常備されている。
この中で先の二誌は和子のお気に入りなのである。
いつもはタカシに持って来てもらうか、同伴で事務室に行くのだが、あいにく今日は彼が非番で不在だ。
「ああ…読みたいですわ…」
皇女は思わず一人言が漏れた。
観覧室はしんと静けさを保っている。
(…ちょっとぐらい…いいんじゃないかしら)
ふと…いけない考えが頭をよぎる。
『そうだ!行っちゃいなよ和子!』
黒ボンデ―ジにコウモリの羽を生やしたサキュバスのミニ和子が現れた。
『誰もいやしないわ!今がチャンスよ!』
先端が尖った尻尾をフリフリしながら和子を焚き付ける。
「そ、そうかな…今ならいいかな…」
ふらふらとうなずきかける和子。
『なりません!あなたはタカシさんの言いつけをお忘れになったのですか!』
今度は白い天使の羽を生やしたシスター姿のミニ和子が現れ和子を強くたしなめる。
『雑誌などタカシさんが出勤したらいくらでも読めます。それより万一見つかった時の事が想像出来ないのですか!』
「う…ぐ…確かに…」
ぐっとなる和子。
しかし反対側からサキュバス和子がささやく。
『自分の感情に素直におなりよ。あんたは自由よ。好きにすればいい』
『誘惑はお止めなさい!この悪魔!』
『大丈夫。誰も見ちゃいないわ。迷う事無いから』
『和子!耳を貸しちゃ駄目!』
『ふん!うるさい奴ねえ…こうしてやる』
サキュバス和子が槍で突くとシスター和子が悲鳴を上げて消えた。
「うふふふ…」
和子は低く笑った。
「ようし!行きますわよ―」
和子は颯爽と立ち上がた。
「これも!えい!」
そう言うと両手で自分の首を持ち上げて外し、右脇に抱えた。
桜の花弁装飾とピンクのダイヤが組み合わされた耳飾りが揺れ、漆黒のロングヘアーの先端が床に触れた。
「ふう!窮屈だったのよ…」
そう言って顎の下を撫でると、ヒ―ルの音を鳴らしながら玉座の間の出入口まで歩きドアノブをひねった。
そこで開けるのを一瞬ためらう和子。
しかし自分に言い聞かせる様にコクンと頷くとゆっくりドアを押して開いた。
『行ってらっしゃい』
玉座に足を組んで座っているサキュバス和子が、牙を覗かせながら笑顔で手を振っていた。
次回 皇女は夜の館内を愉しむ
「これ…高橋さんの制服…やだ!わたくし何考えてるの!」
夜の記念館にカツン、カツンと優雅な旋律でヒールの音が響く。
途中、通路の壁に豪華なデコレーションの彫刻枠がはめられた巨大な鏡が貼ってある。
皇女はその前でふと歩みを止め、自分の姿を映してみた。
人々は和子のことを《典型的な礼和美人》《皇祖以来の麗女》ともてはやす。
又、首が無いのでイメージが湧きにくいが生前は身長が170cmあった。
スラリと伸びたその背丈にストイックな軍服が非常によく似合っている。
(でも…本当のところはどうなのかな…)
和子は体をひねったり足を交差させたりしてポーズを変えてみる。
その度に漆黒の髪が揺れ、桜花刺繍の入った上着の長い裾が翻る。
しかし和子は自分の容姿に確信が持てないでいた。
『ねえ…タカシさん。わたくしって綺麗?』
時々タカシに自分の容姿について聞いてみたが、その返答は要領を得ない。
『ぼ…僕みたいな者には皇女様の容姿を評する事は許されません』
『まあ…タカシさん…平九郎みたいなことを言うのね。いいから答えて!』
『駄目です!お答えできません』
『ふ―ん。は―ん。そうなのですね。タカシさん…ちょっと耳を貸して下さらない…』
『え?は、はい……』
『タカシさん…あのね…』
『はい……』
『カプッ!』
『あ!痛!なぜ耳を噛むのです!』
『うふふ…タカシさんが言うことを聞いてくださらないからですわ。答えないならこの生首はもっと噛みますわよ…』
『和子様…本当…勘弁して下さい…』
(ちょっと いたずらが過ぎちゃったかな…うふふ…)
和子は一昨日のタカシとのやり取りの中で、彼の困惑顔を思い出しながらちょっぴり反省する。
「まあいいわ…美人ということにしておきましょう」
彼女はそう言うと頭髪とティアラを整えてから首を右脇に抱えて非常口に向かって歩き出した。
広いホールに面した停止エスカレーターを降りると、もし階下に人がいた時に身を隠す場所がない。
非常階段のある空間は防火対策のために隔離されているので人の目線にさらされにくいのである。
彼女は念のため足音を殺しながら非常階段を降りると、非常口の扉を少し開けて右手にぶら下げた生首だけを外にそっと出した。
「うふふ…大丈夫みたいね」
彼女は誰もいないことを確認してからエントランスホールに入り事務室に向かった。
事務室のドアをそっと開けて入ると中は真っ暗だったが照明のスイッチを手探りで押すと室内がパッと明るくなる。
(雑誌は…と。有った!)
和子はタカシのデスクの上に首を置くと書棚に駆け寄りノ―ブルとエリザベスを手に取った。
「やった!最新号よ!」
思わず独り言が漏れる。
そしてタカシの椅子に腰かけてから和子は思案した。
(さあ…これをどうして読むか…)
デスクに生首を直接置くと誌面が近すぎて読みづらい上、首の断面が冷たくて気持ち悪い。
和子は普段読書の時はタカシに首を持ってもらっている。
『ちょっとタカシさん。この高さは見づらいですわ。もう少し下です』
『す、すいません…』
こんな感じで我儘を言っていつもタカシを困らせている皇女。
しかし今は彼はいない。
仕方なしに室内を見回すとロッカーの上に置かれている差入れの紀州みかんの箱が目についた。
「うん…これちょうどいいかも」
和子は背伸びして箱を降ろす。
それをタカシのデスクの端に置いてみた。
「あっ!これも使っちゃおう」
ミニキッチンの横に置いてあった花柄模様の白いテーブルクロスも手に取り、それをミカン箱の上に敷いてから生首を乗せた。
さわやかな柑橘系の香りがする。
本の視点もバッチリである。
(このことはタカシさんには内緒ね…)
和子はぺロッと舌を出すとエリザベスを開いた。
彼女が迷わず最初に読み出したのは《フランク王国のチューリップ》である。
これは19世紀のフランク王国を舞台に、男装の麗人メスカ―ルとその幼なじみオンドーレが愛と戦いに翻弄される大人気歴史絵巻である。
今回は王宮の近衛兵でありながら革命軍に身を投じた2人がフランク王宮攻防の前線を駆け巡る。
正に物語全体のクライマックスを迎えていた。
(2人はきっと…きっと生きて幸せになる筈)
和子は高まる胸の鼓動を抑えつつページをめくる。
メスカ―ルとオンド―レは身を寄せあって白馬に跨り敵に銃を放ちまくる。
2人の体は離れ離れにならぬ様にチューリップ柄の大きなリボンでくくられている。
『メスカ―ル!大丈夫か!』
『オンド―レ!あなたこそ!』
お互いに声を掛けながら城壁に突撃する2人。
ダァン!
一発の銃声が鳴り響く。
『裏切り者に…神の裁きを…』
銃口から煙を出しながら、城兵の一人が吐血してくずれ落ちる。
『メ…ス…カ…ル…』
『オン…ド…レ…』
銃弾は2人の胸を貫いていた。
落馬したメスカ―ルとオンド―レは抱き合ってキスをしながら絶命した。
「え!嘘!そんな…」
頭が真っ白になる和子。
ページをめくる手が止まり体が微かに震える。
(メスカ―ル様………オンド―レ………)
大粒の涙が頬を伝いミカン箱の紀州の文字を濡らした。
(うう…駄目…他の漫画なんて見れない…気分を変えなきゃ)
和子は一旦エリザベスを閉じてからノ―ブルを開いた。
清楚系の可愛いらしい、初夏に向けてのファションが並んでいる。
紙面をめくるたびに和子の瞳の輝きが増していく。
「あ!何…これ!すごくいい…」
和子は《ビンテージメイド風愛されコ―デ》のページに釘付けになった。
いわゆるメイド服風デザイン衣装に身を包んたファションモデル達の笑顔が眩しい。
(いいなあ…わたくしも…着てみたい)
溜息をつきながら眺めていた和子は突然はっと目を上げた。
「もしかして…有るかも!」
そう叫んだ和子は慌ただしくミカン箱に乗せていた首を抱き上げると事務室横の女子更衣室のドアを開けた。
薄暗い室内には縦長のロッカーが並んでいる。
その中で《高橋》の名札が掛けられている扉を開けた。
「有りましたわ!」
忠国レストランのウェイトレス制服がハンガーに掛けて吊るされているのを見て思わず声が出る皇女。
黒のワンピースにホワイトカラーとフリル付のエプロン。ウエストは白いベルト留め仕様である。
戦前の皇城の給仕官服を再現したものだが、スカ―トが膝丈上に短く変更されている。
(これ…高橋さんの制服……あの方、確かわたくしと背格好が似ていた筈…)
和子はそっと制服に手を伸ばす。
(やだ!わたくし…何を考えているの!)
しかし、慌てて手を引っ込める。
その時であった。
ミニサキュバス和子が羽をバタつかせながら現れて牙を覗かせた。
『うふふ…ねえ和子。ためらう事ないよ。まずは服を手に取ってごらん。ちょっと見るだけだから』
(そ、そうね…見るだけなら…)
和子は自分の首をベンチに置いてからふらふらと服に近付きハンガーから外して手に取った。
『いいわよ和子。可愛いい服よね。高橋さんはあなたと背丈が近いわ。袖を通してみたら。ぴったりかもよ』
(そ…そうかも!ぴったりかも)
和子は震える手で自分の礼服の詰襟のホックを外した。
『お止めなさい!和子!』
全身を包帯で巻いたミニシスター和子がふらふらになりながら現れた。
『ハァハァ…あなたは一体何を考えているの!従業員の制服に手を出すなんて!恥を知りなさい!』
(は!そうだわ!わたくしとんでもない事を…)
はっと我に返る皇女。
『和子さあ…何をためらってんの。あんな奴の言う事なんて無視すればいいから…』
『うう…体が痛い…お黙りなさい!女狐よ去れ!』
『ふん!この死に損ないが…こうしてやる!』
サキュバス和子はグローブが黒光りする腕を折り曲げてシスター和子にウェスタンラリアットをぶちかました。
またしてもシスターは悲鳴を残して消え去った。
「高橋さん、ごめんなさい!ちょっとだけだから」
和子は謝りながらも上着を脱ぐ手が止まらない。
『いけいけ!和子!いいぞ、いいぞ!』
そんな皇女の様子を見ながらサキュバス和子は手を叩いて大はしゃぎ。
次回
皇女、真由の制服を着て外出してしまう。
「ちょっと胸がきついかも…」
深夜の更衣室。
衣服が擦れる音が静かに響く。
「これでいいのかしら?ここを結んで…こう止めて」
戸惑いつつも気品と優しさに満ちた女性の独り言が聞こえてくる。
数刻後、ロッカーの前に首のないメイド姿が両手を後ろに組んで立っていた。
ベンチからその姿を眺めている生首の頬が紅潮している。
「か、可愛い…」
思わず声を漏らしてしまう皇女。
足を交差させたり、くるっと回転したりしてポーズの変化を楽しんでみる。
(ただ…ちょっと胸がきついかも)
パツンパツンの胸を持ち上げてため息をつく和子。
「真由さんってDカップぐらいあったと思うけど…」
和子はちょっとした想定外の事態に戸惑う。
又、真由のパンプスは足の小さい和子には少しぶかかった為、やむなく白タイツの上からロングブーツを履き直した。
(ちょっと給仕係にはヒ―ルが高すぎるけど…まあいいか)
ピンヒールで床をカチンカチンと2回鳴らした後、気を取り直して和子は頭のティアラをメイドカチューシャに付け替えた。
そしてそっと自分の生首を持ち上げて胸の前で両手に抱え、更衣室の壁に掛けられている縦長の鏡の前に立った。
(これが…わたくし…)
女性服を着たのは何年ぶりであろう。
大洋戦争が始まってからは一度も袖を通したことがなかった。
年頃になってから初めて着用した可憐な衣装に、気恥ずかしさと感動で和子は身の震えが止まらなかった。
(そうだ!この格好なら…あそこに行かなきゃダメですわね!)
そう思い立つと和子は叫んだ。
「わたくしは給仕官でございますわ!」
そしてメイド気分満載で忠国レストランに向かった。
しかしその歩む姿は職業婦人ではなく、格式と高貴さに満ちた貴婦人にしか見えなかった。
レストランに到着した和子は入口から中の様子を伺った。
中央シャンデリアが消され、間接照明によって辛うじて室内が見える。
(よ-し!入りますわよ)
和子は中につかつかと進み、入口近くのテーブルの横に立った。
にこりと笑みを浮かべると誰もいない椅子に向かって腰を曲げて恭しく挨拶をする。
「本日は忠国レストランにお越し頂き誠にありがとうございます。ご注文はいかがでしょうか?」
(うん…こんな感じかな。でも昼間にやったら…お客様腰を抜かすだろうけど)
しかし「うふふ…」と笑って益々悪乗りする和子。
「はい!ご注文を承ります。え!わたくしの首がご所望ですか?お客様…大変恐縮ですがそれは受けかねます」
そう言ってから和子は大笑いした。
「あ―可笑しい!タカシさんに聞かれたらものすごく怒られそう…」
笑いすぎて涙を拭きながら、ふとレストランの窓を見た。
忠国レストランの窓は下半分は横格子障子がはめられているが、上半分は透明のガラスとなっている。
そこから夜空に三日月が輝いているのが見える。
「外は…どうなっているんだろう…」
皇女は瞬きもせず月を見つめながらつぶやいた。
記念館に展示されて以来30年以上も外の世界を見ていない。
彼女の中では礼和国の風景は戦後の荒廃した姿で凍結されている。
(もちろん…復興はされているのだろうけど…)
和子は沈思しながらふらふらとレストランを出た。
その後どう歩いたかあまり記憶にない。
気付けば職員の通用口の前に立っていた。
ドアの上に《非常口》と書かれた緑色のランプが点灯している。
(外に出たい!でも…もし見つかったら…)
ドアノブに手を伸ばすも…触るのをためらう。
(でも…少しだけなら…この建物から遠く離れなければ…)
彼女はしばらく目をつぶった。
そして再び開かれた皇女の目は決意を秘めていた。
「行きますわ!」
彼女はそう言うと非常口のサムタ―ンを回してロックを解除してドアノブを回転させた。
ドアが開き外の冷たい夜風が入ってくる。
彼女は自分の生首を右脇にしっかり抱えてゆっくりと外に踏み出した。
次回 ついにメイド皇女外出。
「え!誰!」
皇女はほとんど30年ぶりに外に降り立った。
5月も終わりであるが思ったより夜風は冷たく、思わず首を両腕で抱きしめる。
夜空を見上げると満天の星が広がっていた。
(なんて…綺麗…)
見上げる皇女の瞳に星の光が映っている。
視線を下げると、正面には雄大な皇城の黒いシルエットが広がっている。
(天守閣!そうか…再建されたのね…)
中央の巨大な建造物の影を認めて皇女は目を細める。
かっての皇城は東西南北の四方を《青龍》《白虎》《朱雀》《玄武》の四門で固め、石垣の上には無数の櫓(やぐら)が建ち、内部には華麗な寝殿や居宮が並び、中央には7層の天守閣がそびえ立っていた。
しかし、正和19年に行われた帝都大空襲でその主要な建築物はほとんどが焼失した。
皇族は地下防空壕に逃れて難を逃れたが、残った建物は数か所の櫓と西側の白虎門だけであった。
だが、近年が発足し、戦災で失われた貴重な建造物の復元が進んでいる。
皇城の天守閣はその第1弾で、次には青龍門と桜の離宮の復元が決まっている。
(少しずつ…かっての姿が戻っていくのね…)
彼女は目をつぶり、家族や家臣、その他大勢の人々と共に皇城で過ごした日々を思い返していた。
和子はプロジェクトの話をタカシから聞かされてはいたが、実際に復元された天守閣を目の前にして万感の思いが尽きなかった。
(そういえば…街並みはどうなったのかしら)
記念館の立地は皇城と共に少しだけ高台になっている。
建物の南側に回れば帝都の街並みが見渡せるはずであった。
(大丈夫かな…でもこの時間だし。人はいないと思うけど…)
和子は逡巡しながら記念館を眺めた。
建物は上部はライトアップされているが、深夜は下側は照明が落とされており、周辺はかなり暗い。
(建物に沿って歩いていけば…見えないわよね…)
彼女は左こぶしをグッと握り決断した。
「よし!行きますわ!」
暗がりに身を潜めるようにして慎重に歩みを進める。
そして記念館の南面に出た時に彼女は大きく目を見開き胸に手を当てた。
彼女の目線の先には帝都の美しい夜景が広がっていた。
碁盤目状の町並が、暖かみのあるオレンジがかった街灯色に統一されて彩られている。
戦前の帝都の夜景は東洋一の宝石箱と言われた。
しかし皇女が今見ている夜景はそれ以上に美しく煌めいている。
灰燼に帰したあの街並みが。
「すっかり…復興したのね…」
彼女はずっとこの夜景を見下ろせる建物にいた。
でも戦後一度も見ることができなかった。
涙が伝い、首を抱える制服の白い袖を濡らした。
その時であった!
「ひっ!な、何!この人!」
背後から声が聞こえた。
和子は硬直した。
(え?誰かいるの…嘘…気のせい…よね…)
「うええ!首が無いよ!」
悲鳴がはっきり聞こえる。
和子は全身の血が逆流し、背筋が伸び上がった。
(嘘嘘嘘!やだやだやだ!)
「首が無いのに立ってる!」
さらに怯える声が響く。
もはや頭がパニック状態になり白目を剥く。
(どうしようどうしよう!ばれちゃうばれちゃう!待って待って!和子!落ち着くのよ!)
和子 は一旦深呼吸をして気を落ち着かせた。
(そうだ…どうするかですわ…まず全速力で逃げる…)
しかし後日の噂は絶対に広がる。
首のない女性など和子しかいない。
(ああ!ダメですわ…人に見られて放置するなんて…絶対にバレますわ!)
苦悩の末、和子はある策にたどり着いた。
(あれしかない…)
皇女の言うあれとは、《怨霊のふり》をすることである。
生首をちらつかせて相手をビビらせ、もし自分のことを他人に喋れば『きつ~く祟りますわよ!』と言って口止めするのである。
以前泥棒に首を盗まれた時にその手でうまく脱出することに成功している。
設定としては《以前記念館で働いていたが、不審者に襲われて非業の死を遂げ、成仏できず毎晩記念館の周りをさまよう首無しブーツメイド》に決まった。
腹をくくった和子は右手で生首の頭髪を掴んで高く差し上げ、髪の毛の端を口にくわえた。
街灯を背にしているので逆光で相手に表情がよく見えないかもしれないが念のためである。
そして「オ―!ホッホッホ!」と高笑いすると、くるっと振り向いて左手を腰に当て右手の生首を突き出した。
「よくも見ましたわね !この私の情けない姿を!あれ…」
和子はポカンとした。
目線の先には誰もいないのである。
「おかしいわね…」
左右を見ても人影が見当たらない。
しかし目線を下に落とすと、記念館の御影石の壁にもたれてうずくまっている小さな影が目に入った。
よく目を凝らしてみると歳の端は10歳にも満たない少年の様である。
しかし和子を見るその目は明らかに怯えていた。
次回 首なしメイド、少年の為に頑張る
「お、お姉ちゃん…お化け?」
男の子の声は震えている。
「お化け?え?ええ。まあ…うふふ…そうよ…」
和子は乗っかてみた。
「ひいい!ぼ…僕を食べるの?」
(食べるって…そんな風に見えるのかしら…)
少々不本意な和子だったが、せっかくなので更に畳みかける。
「そうね…悪い子は食べちゃうかも…ふふ…」
「いやだ!僕…悪い子じゃないもん!助けて…」
そう言って男の子は立ち上がって逃げようとしたが、へなへなとその場にへたり込んでしまう。
「ど、どうしたの?」
和子は彼の様子が少し気になった。
「僕…お腹が空いて…動けない…」
男の子は虚ろな目で力無く答えた。
「お腹が空いたって…ご飯を食べていないの?」
「うん…」
「どのくらい食べていないの?」
「み…三日前から…」
「え!三日!ご両親はどうしたの!」
「寝てる…」
「寝てる…ですって?」
「うん…」
(一体…どういう事?)
和子は言葉を失った。
そして男の子の傍に駆け寄った。
顔色は土気色で頬がこけており、目の周りだけが浮き出ている。
長袖の丸首シャツは薄汚れていて首回りがブカブカである。
服の隙間から胸に肋(あばら)が浮いているのが見えた。
明らかに栄養が足りていない。
(欠食孤児だわ!)
和子は身を震わせながらこぶしを握った。
終戦直後の礼和国は、空襲で家族を失い一人ぼっちとなった児童達がいた。
その多くは満足に食事も取れず栄養不足に陥り、次々と餓死していった。
このような子供たちは《欠食孤児》と呼ばれた。
進駐軍による占領時代、皇女は路上で倒れて動かなくなっている子供たちを見るたびに唇を噛んだ。
彼女には当時の子供達と目の前の少年が重なって見えた。
(滋養を取らせなくては!)
和子は強く決意し少年に向かって言った。
「わたくしが美味しい食事を作って差しあげます!」
「え…首の無いお姉ちゃんが?」
「そうです」
「お化けなのに?」
「はい。お化けだけどメイドですから」
「メイド…」
男の子は無言のまま、ジト目で首のない制服の白い襟を見つめていたが、不意にお腹が大きな音を鳴らした。
「ほら。お腹が悲鳴を上げていますわよ。はい!」
そう言って和子は左手を差し出した。
男の子はおずおずしながらも汚れた手で和子の手を掴んだ。
男の子はおぼつかない足取りではあったが、和子に手を引かれる事によって何とか歩く事は出来た。
「ねえ…僕…どこに行くの?」
男の子はまだ不安が隠しきれない。
「いいところ。記念館の中よ」
「え…中に入れるの?」
「そうですわよ。はい、着きました」
通用口のドアを開けて2人は中に入った。
男の子は不安そうに周りをキョロキョロ見渡す。
そして忠国レストランに入ってから、和子は男の子を厨房の出入り口に近いテーブルに座らせた。
備付の布巾で男の子の両手を丁寧に拭いてあげる。
「ここで待っていて下さいね。今から御台所でお食事を作りますから」
「うん…」
男の子はこくりと頷く。
しかし厨房に入って中を見渡しながら和子はため息をついた。
「さて…どうしたものかしらね…」
『メイドですから』と嘘吹いては見たものの彼女はほとんど料理の経験がない。
学生時代に家庭科の実習をした程度である。
彼女にとって料理とは、作るものではなく出されて食べる物であった。
「まあ…やるしかありませんわ…これは邪魔ね」
和子は自分の首をキッチンのステンレスの水切り棚の上に置いて、食器棚や 冷蔵庫を次々と開けた。
魚や 肉、野菜などの食材は豊富に揃えてあったが どう調理して良いか見当がつかない。
う―んと唸りながら色々な扉を開けまくっていると
ビニール袋に入った5枚切りの《大山崎の食パン》を見つけた。
(あっ!これいいかも。タカシさん…確か『食パンに物を挟めば大概のものは美味しく食べられる』って言ってたっけ…後は具材ね)
和子はさらに厨房をあさり、生卵のパックとボンレスハムの塊をゲットした。
「いい感じ!これならわたくしでも何か作れそう」
彼女はそう言うと小型のフライパンを壁から外してコンロに乗せた。
次にボールに数個の生卵を割って入れたが、全部黄身を潰してしまった。
(あちゃー!目玉焼きは無理ね…)
和子は仕方なしにかき混ぜてからフライパンに投入してコンロに点火した。
次に包丁でボンレスハムを切ったが、加減がわからず2cm 厚ぐらいの極太の切り身となった。
(う…ま、まあいいわ…これも焦げ目がつくぐらい焼きましょう)
もう一つのフライパンに乗せて火にかける。
卵がスクランブルエッグ状態になってきたので、ぎこちない手つきでヘラを操り、あらかじめ皿に用意していた一枚目の食パンの上に乗せた。
卵がはみ出して皿の上にこぼれている。
そしてその上に熱々の極太のハムの切り身を乗せた。
(仕上げはこれよ!)
彼女は調理台の横に置いてあったデルモンテのトマトケチャップをむにゅうと絞り、上からパンを重ねて押さえた。
ハムとパンの間からケチャップがはみ出している。
(出来ましたわ!タカシさんは確かご自身の料理を《たかしスペシャル》と呼んでいましたわね。じゃあ《これはかずこスペシャル》ですわ!)
和子はにっこり微笑むと《かずこスペシャル》と自分の首をトレイ《大》に乗せて男の子が待つテーブルまで運んだ。
男の子は、最初はパンからはみ出るケチャップをジト目で見つめていたが、恐る恐る一口かぶりついた。
「お、おいし―!」
男の子は目を輝かせるとガツガツむしゃむしゃとすごい勢いで食べ始めた。
「おいし―!むぐむぐ!おいし―!」
口の周りをケチャップだらけにして夢中で食べ続ける男の子。
和子は、食べ盛りの男の子の勢いに圧倒されていた。
《かずこスペシャル》はあっという間に無くなり、男の子は空の皿を悲しそうに見つめている。
「ふう…判りましたわ。もう1枚作ります」
和子は再び厨房に戻りフライパンに火をつけた。
(お飲み物もいるわね…)
冷蔵庫に《北海道特選ミルク》があったので大きなマグカップになみなみ注ぐ。
「お待たせしました」
トレイを再び男の子の前に置くと今度は瞬間的にパンにかぶりつく。
2枚目も少しペースダウンしたものの綺麗に無くなった。
そしてマグカップのミルクをゴクリゴクリと一気に飲み干すと「げぷ!」と言って椅子の背に頭をもたれかけた。
土気色だった肌に赤みがさしている。
「どう?美味しかった?」
和子は微笑みながら男の子に尋ねた。
「うん!すごくおいしかった!」
「そう…」
「僕、今まで…こんな美味しいもの食べたことない…」
「ええ!?」
和子はその言葉に一瞬言葉を詰まらせた。
次回 皇女 男の子の境遇に涙する
「わたくしの…こんな料理が?」
「うん!」
和子はケチャップが少しこびりついた皿を持って 目を輝かしている男の子を見て胸がキュッとなった。
「そういえば…お名前…まだ聞いてませんでしたわね」
「僕…みつはし…ゆうま」
「ゆうま君ね」
「うん!そうだよ。お化けのお姉ちゃんはたかはしさんって言うんだね」
「え!」
(しまった!名札付けたままだった…ごめんなさい 真由さん…)
心の中で謝りながら首の無い襟でうなずく和子。
「あの…ゆうま君はどんなご家庭だったの?」
和子は優しく尋ねてみた。
ゆうまは少し言葉を詰まらせていたが徐々に口を開き始めた。
「引っ越し…いっぱいした」
「引っ越し?」
「おうち…追い出されたりして」
「追い出される!なぜ?」
「おじいちゃんがセンパンだからって…」
(センパン…戦犯!)
和子は息を飲んだ。
「おじいちゃん…お名前はおぼえてる?」
「うん…へいたろう…」
「へいたろう…え!兵太郎中将!」
和子は愕然とした。
陸軍中将三橋兵太郎。
彼は軍略に明るく、若くして中将に任じられた優秀な軍人であった。
和子は皇城で行われた皇前軍議の場で兵太郎が作戦説明するのを聞いて舌を巻いた覚えがある。
理路整然とした弁舌に意志の強さが伺える凛とした目(まなこ)が忘れられない。
彼の采配でアメリアナは沖島攻略戦で大打撃を受けている。
しかし後に行われた帝都裁判により彼は A 級戦犯の汚名を着せられ死刑判決を受けた。
享年38歳。
裁判は和子の死後に行われたため彼女はその経過を長く知ることはできなかった。
展示物として過ごしていた彼女は浦島太郎状態にあったのである。
しかし近年タカシが赴任してから戦後の様々な情報を得ることができるようになった。
その中で裁判で多くの優れた軍人や愛国者達が死刑判決を受け処刑されたことを知った。
(三橋中将…誠に優れた方でした。それをA級戦犯などと……)
唇を噛む和子。
そして同時に次のことに思い至った。
(そういえば中将はご子息がおられたはず…ゆうま君はその方のお子さんね)
「ゆうま君。その…おじいちゃんが戦犯っていわれて…いじめられたりしたの?」
「うん…恐い人も来た。」
「恐い人?」
「『お前ら出て行け』とか言われた」
「そ、そう…」
「おとうさん…働けないって言ってた。おかあさん泣いてた」
「う…」
(きっと戦犯の家族という事で迫害を受けたのね…)
和子の意識は暗く深い穴に引きこまれていた。
「……ご飯は…どうしてたの?」
「オカラとか残飯貰った…」
「残飯…」
「あとカエルとかザリガニとって食べた」
「カエル…」
あどけないゆうまの顔を見ながら唇が震える和子。
「その…ご両親は…どうなったの?」
「お母さん病気になって布団の中で動かなくなった」
「ええ!おとうさんは!」
「おとうさんもいっしょにに布団で寝て…お母さんを抱いて…動かなくなった…」
「ひ…」
「僕、一生懸命起こしたよ。でも起きなかった…」
「ひく…うう」
「あれ?たかはしさんお化けなのに泣くの?」
「あう…あううう…ゆうま君…」
和子はついにこらえきれず嗚咽を漏らした。
生首の顔は滂沱にまみれ、トレイ《大》の上を濡らした。
「そ…それで…ひく…どうして…記念館に居たの?ひく…」
「おとうさん、こうじょさまの話をよくしてた。おくにをすくったえらい人だって。おじいちゃんもこうじょさまのしゃしんに毎日手を合わせていたんだって…」
「皇女!?」
「うん。僕…どうしていいか分からなくて…えらいこうじょさまのおはなし思い出してここにきたんだ。でもお腹が空いて動けなくなっちゃった…」
「ゆうま君。お家を出たのはいつ?」
「ふつか前…」
(そんな…ゆうま君…救いを求めてきたんだわ。きっとここが分からなくて歩き回ったのね)
和子はわなわな震える拳をぎゅっと握ると決然として立ち上がった。
「え、たかはしさんどうしたの?」
和子は自分の生首の涙と鼻汁を布巾でババッと拭くと頭髪を乱暴に摘み上げた。
「ゆうま君!少しここで待っててくれる!」
ゆうまは皇女の勢いに気押されながらもコクンと頷いた。
皇女は足早に事務室に向うと、書棚を慌ただしく物色し始めた。
そして《帝都タウンガイド》の黄色い背表紙を見つけて引っ張りだし、怒涛の勢いでページをめくる。
「有った!」
《桜花愛児園》の文字を見てにんまりする和子。
桜花愛児園は国立の孤児院である。
大洋戦争が激化する中、和子が先代久仁海皇に強く開園を進言して実現した。
敗戦時戦災孤児が大量に発生したが、愛児園はその受皿となり多くの子供達の命を救った。
和子は更に掲載ページに目を踊らせる。
『園長:西郷 守之助』と紹介されている。
「よし!守之助がまだ園長しているわ!」
和子は思わず快哉を叫んだ。
そして文房具入れから便箋と筆ペンを取り出しサラサラと筆を走らせた。
又別紙にはタカシの似顔絵も描く。
仲々上出来である。
「これで良し!」
和子は便箋を折りたたんで封筒に入れて封を閉じた。
和子はそれと似顔絵を持って忠国レストランに戻ると、ゆうまに渡してこう説明した。
「いい。ゆうま君。これを持って朝まで記念館の入り口で待つの。入口前の時計の針が7時ぐらいになるとこの絵の若いお兄ちゃんが来るから。『タカシさんですか?』と声掛けしてからこの手紙を渡してあげて。分かった?」
「う…うん。でも渡してから…僕…どうしたら?」
「後はそのお兄ちゃんの言うことを聞いて」
「分かった…」
「では行きましょう」
和子は優しくゆうまの手を握ると外に連れ出した。
記念館の横を手を繋いで歩く男児と首無しメイド。
「あの…たかはしさん…ボインボインだね」
「ま、まあ!ゆうま君たら!もう!」
耳を真っ赤にする和子。
「でも…又あのサンドイッチ…食べたいなあ…」
「ゆうま君…」
しみじみ語るゆうまの手を和子はぎゅっと握った。
和子は記念館の入口までゆうまを送るとそっと手を離した。
ゆうまは悲しそうな顔で和子の顔を見つめた。
「たかはしさん…もう行っちゃうの?」
和子はその表情に胸が詰まったが、無理やり笑顔を作った。
「うん。わたくしお化けだから…朝まで居られない」
「そうなんだ…そうだよね…」
「ゆうま君。あなた皇女様の話をしたでしょう」
「うん」
「きっと皇女様はあなたの事を守ってくれるわ」
「え…そうなの…分かるの?」
「分かるわよ。わたくしお化けだもの。だから信じて」
「えへへ。分かった」
和子はゆうまを優しく抱き締めた。
「お姉ちゃん…」
ゆうまも涙をこらえて和子に身を委ねた。
東の方角の空が白みかけている。
「お化けはもう行かなくちゃ」
「うん…」
「さようなら…」
「お姉ちゃん…バイバイ」
2人は手を振りながら別れを告げた。
和子は去りつつも何度も振り返ったが、ゆうまはずっと一生懸命両手を振り続けていた。
次回 タカシの奔走
まばゆい朝日に照らされる皇女記念館。
エントランスに向かってあくびを噛み殺しながら歩いて行くタカシの姿があった。
「フェリーの出港時間は早すぎるよな…だいぶ早く着いちゃった」
彼は母親を帝都港で見送った後、記念館に直行したのである。
「あれ…なんだあの子?」
タカシは、シャッターで閉じられているエントランスの横の壁にもたれて体育座りし、顔を両腕の隙間にうずめる小さな人影に気づいた。
タカシは不審に思い駆け寄って声をかけた。
「ねえ君、起きて!」
「う…う~ん…」
眠そうに目をこするゆうま。
大あくびをしてからタカシの顔を見て叫んだ。
「はう~。あっ!似顔絵のお兄ちゃん!」
「似顔絵?」
「うん!これ…」
ゆうまは和子の描いた絵を渡した。
「こ、これって!」
そこにはタカシの顔が筆ペンで精緻に描かれていた。
(似ている。でもこの絵の僕はかなり男前だな)
少しニンマリしたタカシはゆうまに尋ねた。
「どうしてここにいるの?」
「タカシお兄ちゃん?」
「う、うん…そうだけど」
「これ…」
ゆうまは、タカシに名を尋ねた後黙って手紙を渡すよう和子に言われている。
差し出された封筒の裏側を見て、タカシの怪訝な眉は驚愕の表情に変わった。
『山田 崇殿』と恐ろしく達筆な字で書かれてある。
タカシにはそれが和子の筆であることがすぐに判った。
慌ただしく封を破る。
中には二通の手紙が入っていた。
一通はタカシ宛て、もう一通は宛名が『西郷守之助殿』となっている。
タカシはまず自分宛ての書状に目を通した。
彼の表情が厳しくなっていく。
読み終えたタカシは手紙を封筒に丁寧にしまい、膝を折り曲げてゆうまに声がけした。
「ゆうま君だね?」
「うん…」
「これから僕はゆうま君を連れて行きたいところがあるんだ 。ついてきてくれるかな?」
「うん…分かった!」
ゆうまは元気よく返事をした。
タカシはそれを聞くとゆうまの手を引いて一旦通用口から事務室に入った。
そこでメモ用紙に『本日急用で昼間の業務は休みます。夜間の清掃は来ます』と記して田端のデスクにおいた。
「館長…すみません」
タカシは頭を下げると、再びゆうまの手を引いて建物を出て地下鉄の入口に向かった。
一方、館内では和子が足早に観覧室に向かっていた。
厨房の片付けや着替えを几帳面に行っていたら、気づくと職員の出勤時間が間近に迫っている。
(早く戻らないと平九郎が来てしまう!)
髪を振り乱して玉座の間に突入する和子。
玉座に跳び乗って首を右腕に抱えて頭髪を手早く直し表情を引き締めた。
ほどなくして平九郎が入室して来た。
(ふ―!ギリギリセ―フね…)
心中肩を撫でおろす和子。
「殿下!おはようござ…ぬぬ…ぐああああ!」
和子を見て絶叫する平九郎。
(え?何……あ!)
和子は顔が青ざめた。
「殿下の!殿下の御首(みしるし)が!ぐぬあああ!」
そうなのだ。
和子はミスを犯していたのだ。
生誕月の習わしは6月初日の開館時間までと決められている。
出勤した職員により「御首降ろしの儀」が行われ、和子の首を丁重に右腕に戻してからの開場となるのである。
いつもこの儀式では平九郎が「殿下!お痛わしゅうございます!」といって号泣するのがお決まりであった。
しかし詰襟の上には首が無い。
「ぐぬぬ!どういう事じゃ?」
湯気を立ち昇らせて怒髪天を突く平九郎。
(しまった!迂闊だったわ!)
嘆いても後の祭りである。
「ふむ…夜間は奴しかおらぬ。さては…山田男の仕業か!?おのれ!殿下の御身(おんみ)をもて遊びよって!」
平九郎はそう呟くと「田端!田端はどこじゃあ!」と館長の名を激しく連呼しながらドカドカと観覧室を出ていった。
(大事になったわ…ごめんなさい…タカシさん)
和子は半泣きで肩の力が抜けてしまった。
タカシとゆうまは電車を乗り継ぎ、帝鉄線西多摩駅で降りた。
そこから更にバスに乗り継いで住宅のまばらな丘陵地帯を走る。
タカシは和子の手紙を改めて広げた。
『まず西多摩の桜花愛児園の園長に会い手紙を渡して欲しい』という趣旨の文面に目を通す。
ゆうまは車外の風景を物珍しそうにじっと見ている。
(和子様は一体この子とは何があったのだろう?いや…今はそれはいい。まずは西郷さんにお会いしなければ…そしてその後には……)
タカシは車窓から外の木々を見つめた。
バス停の終点を降りて林の中を10分ほど歩くと木造の大きな建物が見えてきた。
外壁が横方向のこげ茶の木板で覆われており、色のくすんだ木枠格子のガラス窓が多数はめられている。
中央には玄関だけ小さな切妻屋根が張り出しており、入口ドアの上には《国立桜花愛児園》と墨で書かれた木製の看板がかけられてある。
建物前の園庭では十数人の子供が縄跳びをしたり鬼ごっこしたりして遊んでいる。
タカシは子供達に声をかけた。
「あの…園長先生はいるかな?」
「いる―!」
「いるよ!」
みんな声を揃える。
「どこにおられるの?建物の中かな?」
「うん!呼んでくるよ!」
「案内してあげる!」
子供達はタカシとゆうまに群がり、手をつないで引っ張ってくれる。
「引くな引くな。そげん引かんでくいやい。腕がもげもんそ。わはははは!」
建物の奥から豪快な笑い声が聞こえてくる
玄関に入ると、奥から両手を子供達に手を繋がれて1人の雄大な着流し姿の男がびっこを引きながらこちらに向かって歩いてきた。
彼は二人の姿を見ると分厚い唇に白い歯をのぞかせて笑顔を作った。
浅黒い肌にその白さはくっきり目立つ。
「子どん達がおはんらを歓迎しちょっど。まあ奥に入ってくいやんせ」
ゆうまはぎゅっとタカシの服の袖を握った。
「大丈夫だよ。行こう!」
タカシはゆうまの手を握ると男の後ろについて行った。
次回 西郷守之助との面談
右足を引きずりながら前を歩く角刈り短髪の男。
(義足なのかな…)
付いて行きながらタカシは思った。
男は《園長室》と書かれた札がかけられた部屋の前で足を止めると引戸に手をかけた。
扉がギギギと不快なきしみ音を立てる。
「ほんのこて、この戸はもういかん。戸車ば替えんとあきもはん」
そう言うと部屋の中に招き入れられた。
入口の戸を閉めたが、隙間から園児たちが覗き見している。
「おはんら!のぞいちょると園母どんに叱られっど!」
「えへへ!」
「キャハハ!」
「一緒に遊ぼ!」
もの珍しそうに子供達が騒いで去りそうにない。
「あの…園長さん…この子を一緒に遊んでもらってもよろしいでしょうか?」
「うん?ああ…よかど。おはん…行くか?」
ゆうまは少しもじもじしていたが「遊ぶ」と小さな声を漏らした。
すると覗き見していた子供達がどっと中に入って ゆうまの手を引いて外に連れ出して行った。
「まっことすんもはん。子どんが騒がしゅうして。ここん園長、西郷守之助ち申します」
西郷は濃紺の着流しに包まれた巨躯を折り曲げて丁重に挨拶をする。
「申し遅れました。国立皇女記念館の山田崇と申します」
「ほう…皇女様の御座所から参られましたか。まあ…腰を下ろしてくいやんせ」
タカシは頭を下げるとあちこちが裂けて下地の綿が飛び出しているソファに腰を下ろした。
「さて、御用ん向きはどげんなもんでございもすか?」
西郷は太い眉の下のギョロ目でタカシを見つめた。
「はい。まずはこの書簡をご覧ください」
そう言ってタカシは和子の手紙を懐から取り出し 西郷に手渡した。
彼は手紙を受け取り『西郷守之助殿』という文字を見た瞬間、ただでさえ大きなギョロ目をさらに見開いて硬直した。
「天女(てんじょ)様!」
西郷はそう絶叫するとソファーを飛び降り、手紙を床に置いてその前に平伏した。
「さ、西郷さん…」
タカシは突然の事態に思わずソファから立ち上がった。
「おはんは…こ、この手紙を…一体どげんして?」
「は…はい。しかし…まずは中身に目を通して頂けませんか」
「お、おう…分かりもした…」
西郷は再度平伏すると正座のまま手紙の文面を開いた。
――西郷守之助殿
春寒ようやく和らぎ候ところ、いよいよ御清祥にておわします由、目出度く存じ奉り候。
また、将軍様には愛児園にて御息災におわしますと承り、驚き入り候とともに、悦びひとしおにござ候。
さて、このたびはかくも俄かなる願い事を申し上げ候段、さぞ御怪訝にも思し召され候はんと、恐れ入り奉り候。
この書付を持参仕り候者は、山田崇と申す者にて、私も深く信頼いたし人物にござ候。
また、かの者とともに参り候童は、ゆうまと申し、先の三橋中将様の御孫にあたり申候。
中将様には理不尽なる御裁きにて、さぞ御無念のうちに果てられ候由、今なお痛惜の念やみ申さず候。
また、その御子息にも並々ならぬ艱難辛苦ありし由にて、今はすでに冥土の旅路に赴かれ候ものと存じ候。
されば、童ゆうま儀、久しく満足なる食も得られず、いたくやつれ候ところを、たまたま私これを見出し、助け及び候。
されど、身を寄すべきよすがもなく、頼るべき所は、ただ愛児園あるのみと存じ候。
何卒、かの童をお救い下され候て、これまで不幸のみ重ね参り候幼き身に、生きる歓びを賜り候よう、伏して願い奉り候。
また、この折より、戦の傷いまだ癒え給わぬ将軍様に、かようなる無理なる願いを申し上げ候段、まことに恐れ入り、伏してお詫び申し上げ候。
何卒、幾重にも御高配のほど、偏にお願い奉り候。
恐惶謹言
和子――
《文面訳》
《西郷守之助様 春の冷ややかさも終わり、ますますお元気でお過ごしとのこと、何よりうれしく存じます。
また、将軍様が愛児園でご無事に過ごされていると聞き、驚くとともに大変うれしく思っております。
さて、このたび突然このようなお願いを申し上げますこと、さぞ不審に思われるだろうと恐縮しております。
この手紙を持って参りました者は山田崇と申し、私も深く信頼している人物です。
また、その者と一緒に参りました子どもは、ゆうまと申し、先の三橋中将様のお孫さんにあたります。
中将様は理不尽な裁きを受け、どれほど無念のうちに亡くなられたことかと、今なお痛ましく思っております。
また、そのご子息も大変な苦労をされたと聞いており、今はすでに亡くなられているものと思われます。
そのため、ゆうま君は長い間満足な食事も取れず、ひどくやつれていたところを、たまたま私が見つけて助けました。
しかし、身を寄せる場所もなく、頼れるところは愛児園しかないと思っております。
どうかこの子をお救いくださり、これまで不幸ばかりを重ねてきた幼い身に、生きる喜びを与えてくださいますよう、心よりお願い申し上げます。
また、このような折に、戦の傷がまだ癒えておられない将軍様へ、このような無理なお願いを申し上げますこと、誠に恐縮し、深くお詫び申し上げます。
どうか何卒、ご配慮くださいますよう、ひたすらお願い申し上げます。敬具 和子》
西郷は瞬きもせずかしこまった面持ちで手紙に目を通した。
そして読み終わると丁重にたたんで、それを大事に懐にしまい再び平伏した。
顔を上げても正座を崩さず、目を閉じたまま沈黙する西郷に対し、タカシも思わずソファーを降りて正座する。
「あ!おはんはどうぞ…座にかけてくいやんせ」
「い、いや…そういう訳には…あのう…一つお尋ねしてよろしいですか」
「何でごわんそか?」
「先ほどの手紙の中で西郷さんは『将軍殿』と書かれていましたが…これは一体?」
「それは…おいは先の大戦で沖島防衛戦線の司令官を任されておったので天女様にはそう呼ばれておりもした」
「沖島戦線ですか!その…授業では習ったのですが…大変な戦いだったと教わりました」
「あん戦では沖島ば取られては終わいでございましたからな。アメリアナに制空権を渡さぬ為に皆決死の覚悟でおりもした。三橋どんも参謀として軍の指揮にあたられもした」
「え!三橋中将がですか?」
「そいです。まっこと頭の切れる御仁でございましてな。おいは三橋どんの指示に従って軍を動かしておったにすぎもはん」
「そうなのですか…あの戦いではアメリアナ軍は大軍で押し寄せたと聞きました」
「空も海も奴らの軍影で真っ黒になりもした。蝗(いなご)の襲来かと三橋どんと共にあきれ果てたもんでございもす」
「そんな大軍を前に…一体どのように?」
「参謀は決して無駄な突撃を命じなかった。地下壕に潜り、《一人七殺》にて目標を明確にしてゲリラ戦で奴らの戦力を削いで行ったのでごわす」
「《一人七殺》!?」
「はい。じゃどん日増しに死傷者は増すばかりでしてな。そんな時に慎之助どんの力は本当に助けになりもした」
「慎之助!斑目さんもおられたのですか!」
タカシは思わず声が大きくなった。
次回 西郷の涙
「はい。天女様のご身体に魔法ばかけたあん男でごわす。帝国陸軍特級魔導士として従軍しておりました」
タカシは息を飲んだ。
「その…どのような御方だったのですか?」
「記念館にお勤めなさっちょっなら、ご存じじゃなかとでごわはんか?」
「それが…斑目さんに関しては情報が乏しくて…」
「なるほど……天女様のご身体ば不死にしたあんお人は、アメリアナん顰蹙(ひんしゅく)ば買いちょりもしたでな。情報統制されたとかもしれもはん」
「そうなのです。記念館の資料庫にも斑目さんに関する資料はほとんどありません。だから教えて頂きたくて」
「わかいもした……年の頃はおいとほとんど同じで、四十も半ばぐらいでございもしたか……ほんのこて物静かで、気性ん優しか男でございもした。とにかく人ば殺めるのが嫌いでしてな。もっぱら救護班にその身ば置いておりもした」
「そうですか。負傷兵の治療に当たっておられたのですね」
「そうでごわす。じゃっどん、あんお方の能力は凄まじかもんでございもした」
「それは…一体どのような?」
「どてっ腹に穴が開いて息絶え絶えの兵士も、慎之助どんが患部に両手をかざして不思議な光を当てると、あっという間に傷口が塞がってしまうのでごわす。それも一人や二人ではありもはん。数千人でごわす」
「え!数千!」
タカシはゴクリと唾を飲み込んだ。
「そうでごわす。普通ん魔導士なら、力の有る者でん数十人ば治療すっが精一杯でごわすからな。アメリアナにとっちゃ、まっこて悪夢んごたる成り行きでございもしたろうな。三日で終わるち言われちょった沖島戦が、実際には半年近うも持ちこたえたんは、ひとつには慎之助どんの存在があったからでごわす」
西郷の話に圧倒されて言葉が出ないタカシだったが足のしびれに耐えかねて腰を浮かしたり落としたりしだした。
「おお!すんもはん。おいも腰掛けるので山田どん もどうぞソファーに座ってくいやんせ」
「あ…痛つ…すみません…」
タカシは顔をしかめてヨレヨレしながら立ち上がっりソファに戻った。
「斑目さんのお話を聞かせていただきありがとうございました。しかし戦線は結局どうなって行ったのでしょう?」
西郷はその問いにしばし瞑目してから口を開いた。
「そいですな……我が軍もアメリアナ軍物量ん前に、しだいしだいに追い詰められもした。二万おった守備兵も、ついにゃ千余りになりもしてな。慎之助どんも力ば使い果たして意識不明となりもした。おいも右足に銃弾を受けて皮一枚でつながっている状況でしてな。そいでおいは三橋どんに玉砕ば進言しもうした」
「玉砕ですか!それでどうなったのですか?」
「それが…三橋どんにこっぴどく叱られもしてな。『命を粗末にするな!』と。そして総員退去を御命じなされた。ほとんどの兵を先の船に乗せて夜間に紛れて脱出させ…自身は殿(しんがり)の駆逐艦に乗り込まれた」
「三橋中将ご自身が!しんがりに…」
「おいも同乗ば懇願しもしたが、受け入れてもらえんかった。そいでこう仰せられた。『貴様は皆を導いて生還を果たせ! そして元帥(当時の帝国軍総司令は和子)に、《沖島防衛兵ハミナ良ク戦ヘリ。兵二対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ》とお伝えせよ』と託されもした。アメリアナ軍を陽動した駆逐艦は脱出船を逃した後撃沈されもした」
「そんな…三橋中将は…一体?」
「海ん中に投げ出された三橋どんは、沖島ば救いに向かいよった戦艦永遠(とわ)と共に出撃しちょった巡洋艦岬(みさき)に助けられもした。岬は引き返しもしたが、突撃した永遠はアメリアナ軍に取り囲まれて撃沈されちょりもす」
「そ、そうですか…でも中将は助かったのですね!」
「はい。本土に帰還された三橋どんは深手を負っておられ、暫く帝国病院で治療を受けておられた様です」
「しかし…西郷さんも足を…その後はどうなされたのですか?」
「まあ、こげんもんは仕方んなかとです。そいより本土ん戻って、おいはすぐ杖ばついて皇城ん向かいもした。そして敗戦の報告ば済ませたあと、天女様に、おいへ死を賜りもすようお願い申し上げもした」
「ええ!何故です!」
「皇家よりお預りした大切な兵を沢山死なせてしまいもしたからな…しかし天女様はお許し下さらなかった。代わりに驚く事をおいに御命じなさいもした」
「皇女様が!何と仰られたのですか?」
「『守之助に子供を与える』と。このおいに完成したばかりの桜花愛児園の園長を命じられたのでごわはん」
「ここの園長を!」
「そいです。最初は天女様ん御意図ば図りかねもした。誰んおらん施設に、どげんしておいが?とな。まっこて、何故死なせてくださらんとかと、お恨み申し上げもした。じゃっどん、その後皇都が空襲に遭い、家族ば失うた大勢ん子供たちば抱ゆるこつになりもした。おいは…おいは…その時ようやく天女様んお考えがようやく理解でけもした」
そう言うと西郷は静かに目を閉じた。
そして両目から涙が溢れ出した。
「西郷さん…」
タカシのまなこからも涙が溢れでる。
「山田どん」
西郷はソファから降りて正座した。
「謹んで天女様の御依頼をお受け申す。この西郷、命に代えても三橋どんのお孫様を御守り申し上げます」
そう言うとタカシに向かって平伏した。
(なんという事だろう…)
タカシは震えが止まらなかった。
皇女が生きる道を示した西郷が、再び皇女の導きにより三橋の孫を救おうとしているのである。
(でも…この話をしないと…)
「西郷さん。実は…この手紙は…」
「山田どん。その先はおいには不要でごわす」
「え…」
「この手紙は間違い無く天女様によるもの。そして三橋どんのお孫様を守れとお命じなされた。おいにはそれで充分でごわはん」
西郷の顔は晴れやかであった。
タカシは立ち上がると深々とお辞儀をした。
「キャハハ!」
「ゆうま待て―!」
昼下がりの園庭からは楽しげな声が響いている。
次回 タカシ ゆうまの家を訪ねる
まだ明るさの残る6月の夕暮れ時。
タカシは川崎市行きの電車の車窓からオレンジ色に染る太陽を眺めていた。
彼は桜花愛児園での西郷との別れ際の会話を思い出していた。
『山田どん。あんたはこれからどうなさる?』
『西郷さん…僕にはこれから行かねばならない所があります』
『行かねばならぬ所…ゆうまの家でごわすか?』
『ええ…』
『住所はお分かりなのですか?』
『それが…皇女様の手紙には《川崎市桜上町》と記されていました。その先の地番とかは分かりません』
『ふむ…桜上町…もしかしたらそこは地番がないエリアかもしれもはん』
『地番が無い?』
『さいです。あそこは戦後の家無衆(やなししゅう)が不法に建物を建てて住んじょったバラック街じゃった所でごわす。今でん古か長屋が集まっちょる場所でごわはん』
『そうなのですか?』
『そげな所では、住民達に尋ねるしかなかと思いもす』
『分かりました。ありがとうございます』
『そこで…山田どん1つお願いがありもす』
『何でしょう?』
『もしお家(うち)に行かれもして、そいがどげな結果であろうとも、おいまでご一報くだされもはんか』
『西郷さん!分かりました。必ずご連絡します』
タカシは車内に目を戻すと懐から皇女の手紙を出して広げた。
――ゆうま君から聞いた住所は以上の通りです。これを手がかりにお家を探してもらえませんか。そしてご両親の消息を確かめてほしいのです。大変つらいお願いをしてごめんなさい。でもそこをはっきりさせなければゆうま君も前に進めない気がするのです。何卒宜しくお願い申し上げます――
(とにかく家を見つけないと…)
タカシは手紙を懐にしまうと缶に残ったお茶の残りをぐっと飲み干した。
帝鉄桜上駅は高架駅である。
階段を降りて改札をくぐると酒とドブの匂いが混ざったような異臭がした。
高架下では一升瓶を抱えて土間上で寝ている酔っ払いがいる。
駅の入口横に付近の案内地図が掲示されていた。
(桜上町は…このドヤ街の先だな)
タカシはドヤ街の中央通りに足を進めた。
《カストリ焼酎一杯100円》
《犬の肉煮込み》
《ヤギのホルモン》
などの薄汚れた看板を掲げる汚い居酒屋が軒を並べる。
(まるで闇市のようだ…)
戦後三十年も経つのに未だにこんな場所が存在していることにタカシは驚きを隠せなかった。
路面は舗装されておらず、むき出しの土面にあちこちに水たまりができてぬかるんでいた。
ドヤ街を過ぎてしばらく歩くと幅が10m 程のドブ川に突き当たった。
川面には多くの生活ゴミが浮き水は濁り異臭を放っている。
そこに木製の老朽化した橋がかかっていた。
木製の看板に《極楽橋》と消えかけた文字が見える。
その橋の向こうに赤ちゃけたトタン屋根と壁が連なっていた。
(この先が桜上町か…)
タカシは深呼吸をしてから橋桁に足をかける。
老朽化した橋は歩くたびにギシギシと嫌な軋み音を立てた。
黄昏時のバラック街の中は異様な静けさだった。
錆びたトタンで覆われた長屋の各戸には木格子のスリガラス引戸が付いているが、ひび割れていたり傾いていたりしていて、まともな物がほとんど無い。
何より表札が無い為誰が住んでいるのか全くうかがい知れない。
(ほとんど 空家なのかな…)
街中をいくら歩けども住民らしいものと出会わない。
日も暮れて夕闇が迫って来る。
タカシは途方に暮れた。
しかし彼はふと前方を見ると長屋の一件の入口から電灯の光がこぼれているのが見えた。
(住民がいるのかな…とにかく当たってみよう)
タカシは引戸をノックして声掛けした。
すると引戸が開き、中から薄い白髪頭の老人が現れた。
白い丸首のボタン付きのシャツとステテコに腹巻きを併せ、雪駄履きである。
彼は野良犬のような目でタカシをジロリと見た。
「何なんだこんな時間に?おめえ…ここの者じゃねえな…」
「は、はい。でも怪しいものじゃありません。実は人を探しています」
「人探しだと!」
「はい。三橋さんという方のご夫婦を知りませんか?」
「そんなもの…名前を言われてもわからねえ。ここでは個人の素性に立ち入らねえのがルールだ」
「そうですか…」
がっくり肩を落とすタカシ。
その様子を見て気の毒だと思ったのか老人が少し表情を和らげてタカシに尋ねた。
「なんだおめえ…そう気を落とすな。もう少し詳しく話してみな」
「は、はい。そのご夫婦はもしかしたらもうお亡くなりになっているかもしれません。そのお子さんが皇女記念館に助けを求めてやってきたのです」
「何だと!そいつはいつのことだ?」
「二日前だと聞いています」
「おとついか!そいつは…もしかしてそこの家の者じゃねえか?」
そう言って老人は道向かいの斜め前の戸を指差した。
「ええ!詳しく教えてもらっていいですか?」
「ああ。そこにはまだ40歳にはなってねえぐらいの夫婦と小さな子供が住んでいたんだ。しかし一昨日の夜扉が開きっぱなしになってたんで不審に思って中を見たら2人とも布団の中で倒れていたんだよ。子供はいなかった」
「そ、それで…お二人は?」
「二人とももう亡くなっていたよ。ずっとご夫婦とも病気がちだったからな。咳をしていたから結核だったんだろう」
(やはり…そうか…うう…)
目をつむり唇を噛みしめるタカシ。
しかし再び目を見開いてさらに尋ねた。
「その後はどうなったのでしょう?」
「すぐに警察と大家に連絡した。しかし訳ありで身寄りのよくわからない人間ばかりだから現場をチラ見して『後の処理はよろしく』で終わりだよ。いい加減なもんさ」
「お二人のご遺体は?」
「大家が知り合いの業者に処理の依頼をした。あっという間に遺体と家の中の物を持って行ったよ。あまり大きな声で言えないが大家と言ってもごろつきだからね」
「火葬場に行かれたのでしょうか?」
「ああ。でも真っ当な業者じゃないからどこに持って行ったのかはわからないよ。どこかで焼かれて灰は無縁仏の墓にでもおさめられるんじゃないかな」
「そうですか…行方は分からないのですね…」
「この町じゃ、珍しくもねえ話だ…」
「………」
二人を沈黙が支配した。
暫くしてタカシが声を絞った。
「あの…何か残された物はなかったでしょうか?」
「ああ。何も残っていねえ。ただ…」
「?」
「業者がいらねえと思って放置した写真が一枚だけ有ったんだ。なぜか捨て置けなくてな。供養の代わりに取っておいたんだ」
「写真!それを見せてもらってもよろしいですか!」
「いいよ。ちょっと待ってな…」
そう言って老人は奥に引っ込むと手に写真を持って 再び現れた。
色あせた1枚のカラー写真。
そこには三橋夫妻と思われる二人の男女とその間で両手を繋がれている小さな男の子が写っていた。
裏面を見ると《正和46年5月 優真 三才》とボールペンで書かれてある。
(ゆうま君と三橋夫妻だ!ああ…)
タカシは写真を持つ手が震え両目から涙が溢れ出した。
老人はそんなタカシの肩に手をかけて呟いた。
「この写真はあんたにやるよ…」
「え!僕に…」
「あんた…その子は生きているんだろう…この写真を渡してやんな」
「は、はい。ありがとうございます」
タカシは老人に深く頭を下げた。
タカシは駅まで戻ると公衆電話から愛児園に電話をかけた。
『そうでごわすか…誠に残念でごわはん…』
受話器の向こうの西郷の声は重く沈んでいた。
「はい。僕にはここまでしかできなくて…申し訳ございません」
『いいや、山田どん。あんたはよくやった』
「西郷さん…」
『その写真は後日こちらに送ってくいやい。ご両親のことは優真君にはおいから機を見て話そうと思う』
「はい…ありがとうございます」
『そいと山田どん。時々ゆうまの様子を見に来てたもんせ。あん子は大丈夫じゃ。さっき夕餉を出したら、大きかオムライスをぺろっと平らげもした。食える者は最後までちゃんと生きていける!』
「分かりました。又必ず行きます!」
タカシは受話器を置くと ドヤ街の上の夜空を眺めた。
星空が美しく広がっていた。
次回 タカシ記念館に帰還。
「待っておったぞ…山田男」
タカシが《地下鉄帝京線忠国皇女記念館前》に着いた時にはすでに21時を過ぎていた。
(やばい…すっかり遅くなっちゃった。早く皇女様にご報告しないと…)
彼は焦りながら9番出口に向かって階段を駆け上がった。
閉館後にライトアップされ静まり返る皇女記念館。
タカシは通用口から中に入り三階に向かった。
しかし、ドアを開けて中に入った時玉座の方を見て異変に気がついた。
照明を落とされた室内でガラスケースの前にあぐらをかいて座っている人影があるのである。
(え!誰!)
たかしはわななきながら目を凝らした。
その人影はゆっくりと立ち上がった。
「待っておったぞ…山田男!」
「め、名誉顧問!」
そこには仁王のような表情をした平九郎が立っていた。
「貴様!よくぞおめおめと帰ってこれたものよ…」
「え…一体どういう?」
「しらばっくれるな! 山田男!調べはついておる!」
「何の事です。訳が分かりません…」
「貴様!殿下のお姿をよく見てみろ!」
「え…あ!」
和子の首が胴体に無く、右脇に抱えられている。
その唇が口パクで『二・ゲ・テ』と言っている。
「わしが朝来た時にはすでに御首は降ろされていた!貴様の仕業としか考えられぬ」
「そんな!誤解です!」
「殿下は《特別至高天上国宝》。その御身に触れることすら万死に値する。貴様はその殿下の御首(みしるし)を弄んだ!」
「違います!違います!」
「ぬう…この後に及んでまだシラを切るか!」
「いいえ!母と一緒でした!」
「見え透いた嘘をつくな!お前の机の上にはみかん箱が乗っておった。紀州みかんを食いおった証」
「ええ!みかん箱?」
和子が顔をしかめ目をつぶった。
「それだけではない。レストランの厨房の食パンと卵とハムが減っておった…パン好きの主が空腹に耐えかねてサンドイッチにして貪り食ったのであろう!」
「そんな…僕は確かに 食パンが好きです。でも…食堂のものに手を出すようなことは…断じて…そんなことは致しません!」
「ぬかせ!更にだ!高橋の制服が触られた痕跡があった。お主に女装癖があるなどと…わしは悲しいぞ!」
「な!な!違います!ありえません!」
「見苦しいぞ山田男!わしにできるのは貴様をこの刀のサビにするのみ!」
そう言って平九郎は軍刀を鞘から引き抜いた。
その柄(つか)を両手で握りしめると「覚悟せい!」と絶叫してタカシに突進した。
「こ、顧問!やめてください!」
タカシは絶叫して逃げ惑う。
(ど、どうしましょう!大変なことになっちゃった…もうこの上は…えい!)
見かねた和子は決心して自分の首を床に転がした。
ドンという音がしてゴロゴロと転がる首。
(痛~い !鼻を打っちゃった!)
顔をしかめる和子。
その音に気づいた平九郎が玉座の方を見て、転がる和子の首を見て絶叫した。
「殿下~~~~!」
そして平九郎は玉座に向かって突進し、スライディング土下座をして固まった。
「我らが騒ぎ立てたが為に…申し訳ございません!殿下!」
「こ、顧問!」
「何をしておる!山田男!」
平九郎は平伏したまま声を震わせてタカシに叫んだ。
「は、はい!」
「早く!殿下の御首(みしるし)を元にお戻しせよ!」
「分かりました!」
タカシは玉座に向かって走った。
「ま、待て。山田男!」
「は、はい」
「貴様。そのまま殿下の御身に手を触れるつもりではあるまいな!《やんごとなき御身にお触れ奉る浄化手袋》を忘れるな!」
「すいません!そうでした!」
タカシは慌てて事務室に走った。
《やんごとなき御身に触れ奉る浄化手袋》は職員が和子の身に触れる時のために常備されているのである。
観覧室に引き返したタカシは《やんごとなき御身に触れ奉る浄化手袋》を装着すると床に転がった和子の生首を丁寧に持ち上げた。
和子は小声で「下、下、腕、腕」と囁いたが、タカシは聞こえぬふりをして詰襟に首を戻した。
(んもう…タカシさんったら…)
和子は膨れ面をした。
「お、おう…殿下…元にお戻りになられたか…ご生前のお姿はやはり麗しい…」
先ほどの興奮はどこへやら、すっかりご機嫌で目に涙を浮かべる平九郎。
「その…《御首降ろしの儀》は明日の朝でよろしいでしょうか?」
タカシは恐る恐る尋ねる。
「むう!それでよろしかろう…山田男…くれぐれもおかしな真似はするなよ!」
「かしこまりました!」
「うむ!」
そう言うと平九郎は皇女に向かって深く一礼をした後上機嫌で帰って行った。
「はあ…助かった…」
タカシはぐったりして床に大の時に寝そべった。
「う…うう………」
朝からの疲労で意識が遠のいていく。
小1時間ほど経ったであろうか。
何だか後頭部が柔らかくて気持ちいい。
気のせいか良い香りもする。
タカシはうっすらと目を開けた。
(あれ…和子様の…御顔?)
「あ…タカシさん。お目覚めね!」
下を向いた和子と目が会った。
(え!これ…和子様の膝枕!)
タカシは目を丸くして跳ね起き、正座している和子に向かって平伏した。
「す、すいません!僕は…僕は…何という!」
「タカシさん…良く眠れたかしら?お疲れのようだったから…」
「は、はい…」
「今回は無理なお願いをしてごめんなさい」
「いいえ、とんでもありません。あの…今日の事をお話しします」
そう言うとタカシは愛児園や桜上町での出来事を詳細に和子に説明した。
和子はタカシの話に優しく頷きながら耳を傾けていたが、三橋夫妻の下りで視線を床に落とした。
「(生存が)厳しいとは思いましたけれど…万が一 ということもないかと…でもやはり…そうでしたか」
そう言うと和子は瞑目して深く合唱した。
ここでタカシは一つの疑問を和子に投げかけた。
「その…愛児園の園長任命は…どうして西郷さんだったのですか?」
「それはね…タカシさん。守之助は沖島戦線で二人のお子さんを亡くされているの」
「え!西郷さんが?」
「ええ。20才と18才の御二人を連れて従軍していた。守之助は戦況を見た時、最初に自分の子供を戦死させるしかないと判断したわ」
「そ、そんな!なぜなのです?」
「アメリアナの大軍の前に絶望的な戦況だったもの。怖気づく自軍を奮い立たせるためには仕方ないと考えたのよ。二人は最も過酷な前線に配置され立派に戦って戦死した」
「二人とも!」
「このことを知らされた全ての兵士は号泣して『西郷の為には死を厭わず』の言葉が交わされたの」
「西郷さん…」
「わたくしは戦時報告を聞いて胸が張り裂けそうでしたわ…でも守之助にはあれぐらいの事しかしてやれなかった…」
そう言うと和子の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。
(このような方々の働きがあって今の礼和が…)
タカシは立ち上がった。
そして思わず敬礼をした。
「あら…やだ…何?タカシさん」
思わず手に口を当てて照れる和子。
「ところで和子様」
「なあに?」
「ミカン箱とか、サンドイッチとか、 高橋さんの制服とか…一体何のことでしょう?」
「え…あれ…な、何のことかしら?うふ…うふふふ」
「笑って誤魔化されませんよ。さあ…詳しくお聞かせください」
「あうう…」
記念館の夜は更けていく。
深夜の帝都皇城。
下弦の月が半ば夜雲に覆われている。
二層瓦屋根の巨大な城門が黒いシルエットでそびえ立っている。
西側を鎮護する白虎の門である。
その門前に向かって悠然と歩みよる一人の影が有った。
「待て!止まれ!」
二人の皇城警備兵が見咎めて警棒を構え静止した。
人影はすっと立ち止まる。
夜陰の中で表情は伺い知れない。
そして彼は一言「どけ!」と鋭い声を放った。
低く陰鬱で、有無も言わさぬ響きがあった。
「な、なんだと!貴様、何者だ!」
「ここは立ち入り禁止だ!」
警備兵は男を警戒しながらじりじりと身を寄せ合う。
この時半舷の月にかかっていた雲が流れ、その姿をゆっくりと照らし出した。
男はヨレヨレのトレンチコートのポケットに両手を突っ込んだままでいる。
中には薄汚れたワイシャツのボタンが胸まで開けられ首にいくつもの数珠がかけられていた。
伸び放題の髪が手入れもなく顔の半分を覆い隠し、髪の隙間から左目だけが凄まじい眼光を放っている。
その無精髭に包まれた唇が微かな苛立ちをたたえてもう一度開いた。
「死にたくなければ…そこをどけ!」
「き、貴様!ここをどこだと思っているんだ!」
「動くな!動くんじゃないぞ!」
二人の警備兵は腰の銃を抜いて構えた。
「馬鹿が…」
男は低い声で呟くとポケットから右手をゆっくりと引き抜いて手のひらを上に向けた。
その掌に赤い光が集まり桜の花びらの形となった。
それがひらひらと二方向に分かれて飛んだ。
警備兵はその光に魅入られた様に見つめていたが、吸い寄せられるように彼らの額にピタッと張り付いた。
「あ!」
「う!」
二人はその瞬間操り人形の糸が切れたように地面に崩れ落ちた。
男は倒れた警備兵の間を何もなかったかのように 歩み抜けると巨大な木製の大扉の前に立った。
高さは5mは超えるであろうその重厚な木製の板扉の表面には黒鉄の分厚い板が貼り付けられ、多数の鋲(びょう)が散りばめられている。
そして左右の扉の中央にはそれぞれ白虎の紋章が睨み利かせていた。
男は右手をゆっくり上げて手のひらを扉の中央の合わせ目に向けた。
赤い光がその手のひらに集約されていく。
すると、扉から『ズ、ズ、ズ、ズ』と低い不気味な 摩擦音が鳴り出した。
扉の裏では人間のひとかかえ程もある太い閂(かんぬき)が一人でにずれ動いているのである。
そしてズウンと云う低い響きと共に閂が滑り終えると、分厚い門扉が『ギ、ギ、ギ、ギ』という不気味なきしみ音とともにゆっくりと左右に開いた。
男は右手をコートのポケットに戻すと城内に歩みを進めた。
正面通路の左右には瓦屋根の土塀が続き、その奥には半舷の月を背にした巨大な五層屋根の天守閣がそびえ立っていた。
この天守閣は戦時中に空襲で焼け落ちたが、前年に再建されたばかりであった。
「ふん!一度滅した過去の遺物を作り直すとはな…くだらぬ!」
男は唾を吐き捨てると今度は両手をポケットから出して天守閣に向かってかざした。
掌に先程の警備兵や門扉の時とは比較に為らぬほどの眩い光が集約されてきた。
それは赤く美しくも禍々しい輝きを放っている。
「桜無(オ―ム)!」
男の唇からその言葉が放たれた時、天守閣は一瞬のうちにその全体が赤い光に包まれた。
「な、何だ!あれは?」
「御天守が光っている!」
城内の警備兵は異変に気付き口々に叫ぶ。
この騒ぎに宮殿の寝所で目が覚めた雅仁(まさひと)海皇は窓の障子を開けて天守閣を見た。
そして海皇は我が目を疑った。
天守閣が無数に発光する赤い花弁に包まれているのである。
「桜!?」
そう彼が呟いた瞬間であった。
天守閣を包む花弁が爆発的に発光した。
「あ!」
海皇は思わず腕で目を隠してとっさに床に伏せた。
数秒後に彼はゆっくり頭を上げると、先程の光は消え元の夜の暗闇が広がっていた。
「急げ!」
「御天守だ!」
場内の警備兵が駆けつけると、そこにあるはずの天守閣が見当たらない。
「ば、馬鹿な!」
「御天守はいずこに!?」
警備兵は慄きながら手元のライトを地面にかざすと巨大な黒い穴がぽっかりと口を開けているのみであった。
翌朝、皇城は慌ただしい騒ぎに包まれた。
白虎門には立ち入り禁止の幕が張られ、現場検証のため皇国警察や関係者の面々が慌ただしく 出入りしている。
「名誉顧問、こちらです!」
「うむ…」
東郷平九郎は皇国警察官に案内され白虎門に到着した。
現場検証している捜査官が平九郎の姿を見て一斉に挨拶の礼をとる。
「いやいや。取り込み中にすまぬ。ちと気になったことを聞いたのでな…」
「はい。これを御覧下さい」
捜査官が跪いて地面に倒れている警備兵にかけられている白い布をめくった。
警備兵の死体の額には桜の花弁の文様がくっきりと焼き付いていた。
「一瞬の内に心肺停止状態に陥っています。まるで生命を吸い取られたような…こんなことができるなんて、一体誰の仕業でしょう?」
「ふむ…魔導士じゃな」
平九郎はあご髭をさすりながらつぶやいた。
「魔導士!?」
「そうじゃ」
「し、しかし…魔導師は先の対戦で全滅したのでは?」
「そうなってはおる。しかしこの術は戦闘でも使われたものと似ている。それも強力な物じゃ」
「で、では生き残りがいるというのですか!」
「分からん。しかしそうとしか考えられん。御天守の話も聞かせてくれ」
「はい。目撃した者の話だと、『桜の花弁に包まれて消えた』と」
「『桜』か……しかも天守を丸ごと消し去るとは。まさかな…」
平九郎は風に髭を揺らされながら皇女記念館を見つめた。
次回 男は皇女記念館に現れる
皇城の天守閣が消滅したこの事件は、礼和国中を得体の知れぬ恐怖と悲しみに突き落とした。
この件に関して雅仁海皇による異例のコメントが出される。
『朕コノ度ノ天守喪失ノ惨事ヲ見ル二当タリ痛切ナル心ノ痛ミト悲シミヲ禁ジ得ヌモノナリ。
マタ二人ノ無辜ナルタミヲ殺傷二及ビタルハ言語道断ノ所業ニテ断ジテ許サザル思ヒヲ強クセン。朕願ワクバ早々ノ事態ノ収拾ヲハカリ二度トカクナル事ガ再発セヌ様祈ル』
礼和メディアの報道も日々過熱する。
『礼和建国以来の怪事件!』
『嗚呼!再建されたばかりの御天守は何処に?』
『まさか魔導士による仕業か!?深まる謎!』
「テロか?はたまた超常現象か?」
「礼和政府非常事態宣言検討か!」
国民の間でもずっとこの話題が途切れる事が無かった。
又、この出来事は世界中をも震撼させた。
海外の新聞は1面での報道を展開する。
『エンペラーキャッスルの象徴~世界遺産級文化財
一夜にして消失!』
『チェリーブラッサムの怪』
『ウィザードによるマジック?』
センセ―ショナルな見出しが並ぶ。
礼和国政府は国家としてのこの事件の解明を宣言。
皇国警察も特別対策本部を立ち上げ本格的な捜査に乗り出した。
しかし全力の活動にも関わらず犯人の手掛かりは依然として掴めなかった。
そして事態が進展せぬまま 一ヶ月が経過した。
八月も半ばとなり、夏休みもあって連日大勢の来館者で賑わう皇女記念館。
いつもの様に粛然と観客に見守られる観覧室の和子であったが、どこか力がなさげな様子に見えた。
その日の夜は、陽が落ちてもねっとりとした湿度が体に絡みつく。
タカシは額に汗を浮かべながら清掃作業を終えた後 玉座に向かった。
「和子様…元気をお出しください」
「そうね…」
和子は伏目がちで言葉が少ない。
彼女は皇城の事件で大きなショックを受けた。
それ以来ずっと元気がない。
タカシはそんな和子が気がかりで毎晩慰めの言葉を掛け続けているのだ。
「それにしても…犯人の狙いは何なんでしょう?」
「分かりません…」
「自分の力を誇示したかったのでしょうか」
「いいえ。多分それならばどこかで自分の存在を明かす筈です」
「そうですね。もう一ヶ月も経つのに名乗り出る様子もないし」
「しかし…あの大天守を消し去る魔導力…あんな真似ができるのはわたくしには1人しか思い浮かびません」
「え、ええ。やはりそうですか。でも《彼》はもう死んだ筈ですし…」
思考に詰まった両者の間に沈黙が走った。
その時であった。
観覧室の入口のドアがギィーと開いた。
タカシは驚いてそちらの方に目を向けると誰もいない。
彼が慌てて玉座の前に目を戻すと、そこには皇女を眺める一人の男がコートのポケットに両手を入れて立っていた。
(え!いつの間に?)
戦慄するタカシ。
「あ、あなたは誰ですか!どうして入ってこれたのですか!」
「失せろ…」
年の頃は四十半ばを超えているであろうか。ボサボサのロン毛にカ―キ色のトレンチコート姿のその男は、タカシの方に振り向きもせず低く陰鬱な声を発した。
「そ、そんなわけには行きません。この時間は不法侵入にあたります。すぐに出て行ってください!」
タカシは必死に声を絞る。
男はポケットから右手を出すと掌を上に向けた。
そこにみるみる赤い光が集約され桜の花弁の様な形となる。
それが掌を離れヒラヒラとタカシに向かって飛んでいき、彼の額に貼り付いた。
その瞬間タカシは全身が硬直して動けなくなった。
「あ!ぐ…ぐ…」
彼は歯を食いしばって立っているが、うめき声しか発することができない。
「タカシさん!」
和子は思わず絶叫した。
「?…何故死なぬ……まあ良い…そこでじっとしてろ」
男はタカシを一瞥したが、再び皇女に目を向けた。
「やはり意識はあったか。その姿…醜悪だな…」
その無精髭にまみれた唇から発せられた言葉には憎悪と軽蔑に満ちている。
「貴方は誰なのです?」
和子は声を振り絞って尋ねた。
「斑目だ。斑目惣司だ」
「ええ!貴方は…まさか!」
「ああ…貴様を蘇らせたのは我が父だ!」
彼の前髪の隙間から覗く周りが黒ずんだ左目。
血走ったそのまなこは突き刺すように和子を睨んでいた。
「そ、そんな…もしかして城を消したのもあなた!?なぜこんな事をするの?」
「ふん!天守など我が力を確認する為に消したに過ぎぬ」
「え…どういうこと?」
「本命は貴様だ。そしてこの建物も消し去ってやる」
和子は唖然となった。
「何故!何故なのです!」
「父は《神》に、《自然の摂理》に逆らった!」
「慎之助が…逆らった?」
「ああ…そうだ!父の術は主に治癒に用いられた。まあそれは良い。しかし最後に奴はとち狂って大きなミスを犯した!それが貴様だ!」
「わたくし…が?」
「しらばっくれるな!死んだ者は朽ち果てて分解され、この世界の構成物となるのが宇宙の道理だ!父はそんな大自然の法則を無視したいびつな存在を作り出した。生首を抱えたおぞましい皇女をな!」
「そんな…慎之助は…決して」
「口を挟むな!そして生首を抱えたままの貴様をこんな大層な箱物を作って見世物にした礼和人も、それに甘んじて嬉しそうに展示物になりきる貴様にも我慢がならぬ!」
「惣司さん…あなたはその程度の認識なの?」
「何だと?」
「何故記念館があるのか、何故わたくしがこのような状態で展示されているのかあなたは考えたことがないの?」
「どういうことだ!」
「この記念館は決して私を褒め称えて祀るだけの建物ではないの。ここは礼和人の怨念の墓標なのです」
「怨念?墓標?」
「かの大戦での礼和人の死者は軍民併せて何人かご存知?」
「…知らん」
「三百万人です。そしてこの犠牲はアメリアナの侵攻によって引き起こされました。かの国の戦には大義はありません。東洋に対する資源と植民地の確保が目的であり、その為には礼和が邪魔だっただけです」
「ふん!その話が何の関係がある?」
「結果的に礼和は負けました。そして植民地化はかろうじて防ぐことはできました。しかしかの国は帝国裁判によって戦争責任を我が国になすりつけようとしました」
「弱いから負けた。それだけのことだ」
「それはそうかもしれません。しかし礼和国人は歯を食いしばってこの記念館を建て、あえて私の首を離して展示したのです。アメリアナがいかに自国の正義を唱えて歴史の上書きをしようとも、この生首を見た時に何が起きたのかを思い起こさせるために。決して無視をさせないために」
「う…ぬ…」
「この記念館は、そして私の生首は、アメリアナに対する楔(くさび)なのですよ。戦後かの国とは 同盟を結びました。とはいえ野心を含んだ強大な軍事国であることに変わりはありません。礼和国はまだまだまな板の上の鯉なのです。かの国を牽制するためにこの施設は必要なのですよ」
この話を聞いて暫し沈黙が走った惣司。
しかし次の瞬間、肩を震わせて絶叫した。
「う、うるさい!黙れ!そんな国家間の矮小な理屈で正当化するな!」
そう言うと彼は右手を前に突き出し掌を皇女に向けた。そして瞬間的に赤い花びらが形成され皇女に向かって放たれた。
和子は咄嗟に体を折り曲げて首をかばった。
光の花弁は仕切りのガラスを突き破り空間を切り裂いたが、皇女の目前でパチンという音を立てて四散した。
(え、一体何が起きたの?)
和子は事態が飲み込めず呆然とした。
「ふん!やはりな…父の術は生半(なまなか)ではない」
惣司は自分の右手を眺めると皇女に視線を戻した。
「やはり貴様は消さねばならない。この建物も、そしてその元凶となった父の息子である私自身もな」
そして唸り声を発しながら苦しげに固まっているタカシに目を向けた。
「それは今ではない。お前も命が惜しければもう関わらぬことだ」
そう言うと惣司は踵を返し、瘴気のようなもやが漂う中観覧室から消えていった。
次回 和子とタカシ 涙の別れ
惣司が出口より消え去るとほぼ同時にタカシの硬直がほぐれて床にドサッと崩れ落ちる。
「たかしさん!」
和子は玉座を離れ床に転がるタカシに駆け寄った。
「う、う―ん…」
唸り声をあげる彼を見て和子は少しだけ安堵する。
彼女は自分の首を床に置くと、跪いてタカシの上半身をゆっくり起こした。
「大丈夫?たかしさん」
「う…あ!和子様!す、すいません」
タカシは慌てて立ち上がったが足がふらつきすぐ片膝をついた。
「あ!無理をしては駄目」
「い、いえ…大丈夫です…」
「たかしさん。動ける?」
「はい。何とか…」
「休憩室に行きましょう」
「分かりました」
和子はふらつくタカシの手を取り、二人は休憩室に移動した。
タカシはソファーに横になる。
数十分後に目が覚めると体調はほぼ回復していた。
額についていた花弁の紋様はほぼ消えている。
タカシは頭をかいた。
「不思議ですね。恐らく皇城の警備兵と同じ術をかけられたと思うのですが…もう何とも無いなんて…」
「たかしさん…彼が飛ばした花弁がわたくしに当たる直前に四散したでしょう。あれはきっと慎之助がわたくしに掛けた術のおかげだと思うの…」
「なる程。その影響が近くにいた僕にも及んでいたのかも…そう考えると慎之助さんの術は本当に強力なものなのですね」
タカシはうなずきながらも首をかしげてみせた。
「ええ…でも彼はどうして引揚げたのでしょうか?『今ではない』とか言って…」
「そうね…今日では慎之助の術を破るには何か条件が揃わなかったのかも」
「だとすると…次に彼が来るのはその《条件》が満たされた時…ですか…」
「たかしさん!もう一度書庫を調べてみない?何か魔導に関する資料が見つかるかも」
「そうですね。慎之助さんに関する資料はほとんど無かったけど、魔導関連はあるかも知れません」
二人は早速記念館の地下にある資料庫に入り、手分けして探索を始めた。
そして小一時間程経過した頃、和子が声を上げた。
「あったわ!たかしさん」
「本当ですか!」
タカシは和子に駆け寄り、手元の古びた書物の表紙を見た。
「《医道定綱》と書かれていますね。これは医学の本ではないのですか?」
「そう。約三百年前に書かれた医術の紹介の本。でも当時魔導は法術、仙術などと呼ばれて医術と明確な区別が無かったの。著者は伊能山海という医師だけど魔導を使った記録もあるわ」
タカシは和子の今更ながらの博学に舌を巻く。
「そうなんですか!ならば魔導法に関する記述もあるかもしれませんね!」
「ええ!休憩室に戻って調べてみましょう」
二人は部屋に戻ると早速書物を開いた。
タカシは例によって和子の首を持たされている。
(うへえ!まるでミミズがのたうったような文字だ…)
歴史的仮名遣いの素養がない彼には何が書かれているのかさっぱりわからない。
そんなタカシをよそに和子の書をめくる動作に澱みがない。
しかし書の残りが数枚になった頃、和子の手が止まった。
「ここに《龍命替術》の記述があるわ!」
「ええ!こ、これは…何と書かれているのですか?」
「ちょっと読んでみるわね。――凡そ龍命替術なるもの、未だ前代に聞かざる秘法なり。龍の宝珠を得て霊威を増すが如く、月の最も盈ちたる夜に之を行へば、死せし者に再び命を授け、朽ちざる身となす。然れども、此の術を用ゐし者は、その魂魄を失ひ、終には空しき殻と化すなり――」
「その…どんな意味でしょうか?」
タカシはばつが悪そうに頭を掻く。
「――凡そ龍命替術は空前の術法であり、龍が宝珠の力を得てその霊力を高める様に、月の最も満ちたる時に用いて死人に再生と不死を与える。しかしそれを用いた者は魂を失う――とその様に書いてあるわ」
「月!」
「《宝珠》は満月の事。月は満ち欠けによって「再生」を繰り返すから不老不死や無限の力の象徴とされてきた。龍はその月のエネルギー(珠)を取り込むことで、より強い霊力を得ると古来から言われているわ」
「和子様。実際月は干満など地球に大きな力をもたらします。もしかしてこの技は…満月のエネルギーを利用した魔導法では?」
「待って!この記述に続きがあるわ!」
読み上げる和子の唇がかすかに震えている。
――然して桜散無術は龍命替術の対を成す秘法なり。龍命の法、生を与へて亡き者を還らしむるに対し、桜散の法は滅を司り、一切有為を無へと帰す。若し此の術ひとたび発動せば、術者またその災ひを免れず、森羅万象ことごとく滅び失せ、塵芥のみ残ると伝へらる――
(訳文――そして桜散無術は龍命替術と表裏一体の術法である。龍術が再生ならば桜術は破壊を司る技である。この術も発動すれば術者共々全てを滅ぼす)
「こ、これは!龍命替術を打ち破る術!?」
タカシの背筋に冷たいものが走った。
「あ!」
「か、和子様?どうなされたのですか!?」
「たかしさん!わたくしが術を掛けられて蘇った日はいつ?」
「えっと…確か…正和二十年八月十五日だったと思います」
「八月十五日…中秋の名月!今日は何日?」
「八月…十四日です。え!まさか!」
「明日の夜…惣司が…来る…」
二人は顔を見合わせて愕然とする。
暫く二人を沈黙が支配したが、やがてタカシは意を決っして和子に言った。
「逃げましょう!和子様!」
「逃げる?どこに?」
「とにかくここを出ましょう。一刻の猶予もなりません!」
「………」
「和子様!どうなされたのです!早く!」
「駄目…駄目よ…たかしさん…」
「何故です!?」
「惣司はわたくしから発する魔力を嗅ぎ付けてどこまでも追ってくるわ」
「で…でも」
「そして、関わる人々が…みんな犠牲になっていく」
「和子様!」
「それに惣司の魔力に抗する術は無いわ。最後には必ずやられてしまう…」
「いいえ!決してそんな事はさせません!必ず、必ず最後まで御守りします!だから…」
「たかしさん…」
それを聞いてまなこをつむり沈思する和子。
ところが、突然ソファから立ち上がるとタカシの腕から自分の首をひったくった。
「あ!和子様!」
タカシが驚く間もなく足早に休憩室を飛び出す和子。
「待って下さい!」
タカシは慌てて後を追いかける。
和子は玉座の間に駆け込むと入口の扉を内側から施錠して、金屏風の裏に隠れてしまった。
「和子様!開けて下さい!」
タカシは必死に声掛けしながら手元の鍵で解錠を試みるが、内側から補助錠を掛けられていてどうにもならない。
「何故です!お願いします。開けて下さい!」
「うるさい!」
「え!」
「うるさいと申しておる!山田よ…去れ!」
「そ、そんな…」
「貴様の顔など二度と見とうない!」
「僕は…僕は…和子様を御守りしたい…」
「図に乗るな!山田!貴様の様な役立たずはいらぬ!」
「う…ぐう…」
「早く去れ…そしてこの記念館に二度と姿を現すでない…これは命令だ!」
「和子様…」
タカシは両目から涙が溢れ出した。
そのまま暫く立ちすくんでいたが、さっと二の腕で涙を拭くと沈黙が走る金屏風に向かって深々と一礼した。
そして踵を返すと足早に観覧室より姿を消した。
誰もいなくなった観覧室には、金屏風の裏からのすすり泣く声が微かに響きわたっていた。
次回 タカシは平九郎の元に駆け込む
皇城より帝都市街に下る深夜の坂道を、息せき切って走るタカシの姿があった。
この坂は半ばに平九郎の自宅があるため《提督坂》と呼ばれている。
「ハァハァ!急がないと!」
未曾有の災厄を前にして一刻の猶予もない。
タカシは石に蹴躓いて転倒し額を擦りむいたが、一顧だにせず立ち上がって再び走り続けた。
「あそこだ!」
こんもりとした小さな森が見えてくる。
門扉も塀も外灯も無く、東郷邸はその奥にある。
タカシは森の奥に進むと礼洋折衷の黒板壁の質実剛健な佇まいの建物の玄関前に辿り着いた。
タカシはゲルマニア製の呼鈴を複数回鳴らした。
そして直立不動で必死に 呼びかけた。
「夜分誠に申し訳ございません!記念館の山田でございます!」
そうすると宅内の明かりが灯り、玄関ドアが開いて 軍服姿の平九郎が姿を現した。
「なんじゃ!山田男…こんな夜更けに…」
「え、名誉顧問はもう着替えられたのですか?」
「着替えるも何も…わしは有事に備えて常にこの姿で寝ておる!」
「ええ!そうなのですか!」
「常備不懈(じょうびふかい)じゃ!それより一体用事はなんじゃ?」
「あ!そうでした。実は…とても大切な話があります」
「大切な話じゃと?まあ中に入れ!」
額から流れている血を拭うこともしないタカシを見て、平九郎は尋常でない空気を感じとっていた。
応接室に通されたタカシはソファーに座らず 平九郎の前で土下座した。
そして皇女が最初から心も蘇っている事、さらに沈黙を続けている理由も明かした。
さらに惣司が現れてからの仔細も全て語った。
話を聞き終えた平九郎は瞑目して天を仰いだ。
「そうか…殿下…隠忍自重のなんと長きに渡ることよ…我ら臣下の不明をお許し下され…」
両目から涙がこぼれ落ち頬を伝った。
そして突然彼はかっと目を見開いてタカシの鼓膜がビリビリ震えるほどの大音声を放った。
「山田男!でかした!よくぞ全てを打ち明けてくれた!」
「は、はい!」
「殿下はまたもや全ての責をお一人で取ろうとなされている。我ら臣がこれをどうして見過ごすことができようか!」
「その通りです!ただ僕には思いつく手立てがなくて…」
「うむ…惣司の事じゃな…」
「あの…名誉顧問は、僕が惣司さんの名前を出しても表情があまりお変わりになりませんでした。何かご存知だったのですか?」
「あの皇城での事件が起きた時、真っ先に彼奴の顔が思い浮かんだ。父親の魔力のことを思えばもしかして …との」
「父親の魔力…」
「お前には少し斑目とわしの事について話をしておこうかの」
「はい」
「知っての通りわしは元々海軍の出じゃが、先々代の大昭天皇が御崩御なされた時わしは海軍提督を辞した。まだ海の上で指揮を取りたかったが、先代の久仁陛下の御命令での、皇室省(現在の皇室庁)に入った。それまでの数年間、慎之助はわしの船に帯同していたのじゃよ」
「え!慎之助さんは海軍所属だったんですか」
「左様。しかし海軍というのは陸軍と違って軍艦の性能がものを言う世界での、魔導士はあまり重視されていなかった。慎之助も軍医魔導が主な役割じゃった」
「そうだったんですね」
「じゃが奴の魔力は凄まじかった。交戦による負傷者も、奴が手をかざすと桜の花弁のような光が放たれ、あっという間に怪我が回復してしまう。あの美しい桃色の輝きは今でもはっきり覚えておる」
「桜の花弁ですか!?惣司さんの術もそうでした。しかし色は禍々しい赤い光でしたが…なる程、それで…」
「そうじゃ。そしてわしは退官した後に慎之助の家に招かれての、惣司と一度会ったことがある。まだ奴は十歳ぐらいじゃったか…」
「惣司さんが小学生ぐらいの頃ですね。どのような感じの方だったんですか?」
「それがの…ひたすらおとなしくて無口な子じゃった。しかし目だけはほとんど瞬きもせずわしをじっと見つめておった」
(瞬きもせず…か。)
タカシは記念館で見た惣司の目を思い出した。
「あの…惣司さんも魔導の修行をされておられたのでしょうか」
「それは分からぬ。慎之助が生きていた間はそのような話を聞いたことがない。ただ妙な事があっての」
「妙な事?」
「大戦の直前じゃったと思うが、慎之助の自宅の近所の犬や猫が多数変死したのじゃ」
「変死ですか!」
「ああ。どの死体も首や胴体がきれいになくなっておっての。刃物が使われた形跡はなかった。そして その犯人は惣司だったのじゃ」
「な、何ですって!」
「そのことを知った慎之助は惣司を激しく叱責した。すると奴は不貞腐れて出奔しての。それ以来行方が分からず仕舞いだったのじゃ」
「惣司さんは…もしかしたら何か自分の力に気付いたのかもしれませんね。それを動物相手に試してみた…あくまで憶測ですが」
「ふむ…それも生を奪う形での。慎之助のような父を持ちながら…因果なものじゃて」
ハァ―と溜息をつく平九郎。
「あの…慎之助さんは皇女様とはご面識があったのですか?」
「おう!太洋戦争が開戦した折わしは有能な軍人を連れて皇城に参内したことがあっての。その中に慎之助がおった」
「そうなのですか!皇女様にもお目通りされたのですか?」
「もちろん。しかしあやつはガチガチに緊張しておっての。その時たまたま殿下は慣れぬ料理に手を出されて御指に怪我をされておいででの、わしの勧めで慎之助はその術を披露した。あっという間に傷がふさがり殿下は目を丸くしておられた」
「すごい!さすがですね!」
「殿下はこの時『誠に稀有の技である。ありがとう』と仰せられた。慎之助は半日は魂が抜けたようになっておった」
「ふふ…感動なされたんですね」
「そうじゃな。やつは純情な男じゃったよ。沖島戦線の出陣式の時には慎之助は列の先頭におったが、この時にも殿下より直々に御声を賜り、また魂が抜けたようになっておったよ。ガッハッハッハ!」
「皇女様には目をかけられておられたのですね」
「わしが将棋の席などでよく奴の話題を出しておったからのう…ふふ…」
(そうだ…あの事も何かご存知かもしれない)
タカシは単刀直入に尋ねた。
「慎之助さんは、ゲルマニアに行かれた事はありませんか?」
平九郎は驚きの表情を浮かべた。
「なぜそのことを知っておる?」
「ヴィクトリア将軍より少しだけ話を伺いました」
「ふむ…確かにあやつはゲルマニアに行っておった時期がある。確か、かの国と同盟締結して間もない頃じゃ。慎之助がわしのところに渡欧の挨拶をしに来おっての。『私の力が科学の役に立つそうです!』と嬉しそうに語っておった」
「その慎之助さんを誘った相手は《ニコライ・ テースラ―》という科学者ではなかったですか?」
「うむ。確かそんな名前だったと思う。大方医学とか科学の進歩の為とか言われて丸め込まれたのじゃろう。あやつはお人良しじゃからのう」
これを聞いてタカシの中でパズルのピ―スが揃いつつあった。
(やはりそうか!もしテースラーが龍命替術の原理を応用したのだとすれば……ベルリンの装置も説明がつく。そして月のエネルギーの代わりにベルリン市内に供給される莫大な電力を利用したのかも…仕組みは分からないけど…)
ここで平九郎は湯呑みのお茶をぐっと飲み干すとタカシの顔をじろりと見た。
「さて…そろそろ本題に移ろうかいの…」
「は、はい」
タカシは唾をゴクリと飲み込んだ
次回 皇女と平九郎
「あの…名誉顧問」
「なんじゃ?」
「差し出がましい様ですが、皇国警察に出動要請してはいけませんか?」
「それはいかんな…」
「何故です!」
「魔導に対する備えなくばいたずらに犠牲者を出すばかりじゃ。慎之助の息子ならば恐らく自分に向けられた殺意を感じ取ることができるじゃろう。攻撃される前に反撃が可能じゃ。お前や警備兵がやられた赤い光での!」
「ええ!」
「それに《魔導壁》が厄介じゃ!」
「《魔導壁》?」
「ああ。魔導士が身の回りに貼る見えないバリアじゃ。これをやられると一切の攻撃が通じん。こちらが大勢で構えれば、奴も警戒して常時魔導壁を貼るであろう。そうなれば手も足も出なくなり百が百人、千が千人やられてしまう」
「そ、そんな!では打つ手はないのですか?」
「焦るな山田男!兵法とは道なき道を切り開くようなもの。魔導壁は消耗が非常に激しい。さすがのあやつも出来れば常時発動は避けたい筈じゃ。それにこちらに備えがあるとも思っておらんじゃろう。そこに付け入る隙があるかもしれん」
「は、はい」
「そして、お主は惣司の技を受けても死を免れた。これは殿下にかけられた慎之助の術のおかげとみねばならん。とすれば主戦場は観覧室じゃ!」
「で、でも死なずに済んだとはいえ麻痺して動けませんでした!」
「それについては考えがある。わしのような老いぼれは仲々物を捨てることができんでのう」
「?」
「それに声掛けしておかねばならぬ者がおる。その上でじゃ!耳を貸せ!」
「は、はい」
平九郎のささやき声を聞いてタカシは肺の空気が全て外に出た。
「本当ですか!」
「でかい声を出すな山田男!惣司に聞かれるかもしれぬではないか!」
「し、しかし…」
「とにかく時間がない。これから殿下の元に行くぞ!」
「は、はい!」
そして平九郎は納戸や書斎に出入りして慌ただしく支度を済ませ、家政婦の清(きよ)を呼んだ。
「これから記念館に行ってくる」
「まあ旦那様!今の御時間にでございますか?それに刀まで持って…いくさでもなさるおつもりですか…」
「ああ…そんなところじゃ。それと明日じゃが…帰りが少し遅くなるかもしれん。その時はこの家の事…よろしく頼むぞ」
「まあ…変な旦那様。お戻りが遅くなられても私はちゃんと待っておりますよ」
「そうじゃったな…では行ってくる」
平九郎は軍帽を目深にかぶると玄関ドアを開けて外に出た。後ろに続くタカシは清の方に振り返って深々と腰を曲げて挨拶をした。
「いってらっしゃいませ…」
清も笑顔でお辞儀をした。
少し歩いて平九郎は足を止めた。
振り返った先には、長年住み慣れた黒板壁の屋敷が月明かりに浮かんでいる。
「……行くぞ、山田男」
それだけ言うと再び前を向いた。
「はい!」
タカシは顔を引き締め平九郎の後に続いた。
清は玄関ドアの前に立ち二人の姿が見えなくなるまで見送っていた。
ほどなくして記念館に到着した二人は足早に観覧室に入った。
玉座には和子の姿はない。
平九郎は床に平服すると金屏風に向かって髭を震わせて声を発した。
「不肖平九郎、山田男より全ての事情を聞きました。殿下の永きにわたる隠忍も知らず、のうのうと生き永らえて参りましたことを深くお詫び申し上げます!」
金屏風が少しだけ震えたかのように見えた。
平九郎は続けた。
「本来ならばこの命を御返ししてお詫びせねばならぬところではございますが、あいにく未曾有の危機が迫っております。魔の手より殿下をお守りする為この老骨の命、今暫し猶予を頂戴しとうございます!」
「……………」
「殿下!」
「平九郎…もう良い…」
金屏風の裏からガラス越しにかすかに声が響いた。
「…惣司の狙いはわたくしと記念館。事態を治めるにはこの二つだけで十分です」
「殿下、つれないことを申しますな」
「え?」
「三十年前のあの時、殿下は私を連れて行って下さいませんでした。また御一人で全て抱え込もうとなさっておられる」
「平九郎…」
「もう一人だけ取り残されるのはご勘弁ですぞ!臣の力をもう少し信じてくだされ!この山田男も不退転の決意をしております」
「え!タカシさん……もう来るなと命じた筈です!」
「和子様…ご命令には従えません!」
「え?」
「お許し下さい。でも僕は和子様を置いて逃げるのは嫌です!最後まで戦います!必ず皇女様を守り抜きます。だからお姿をお見せください」
「タ…タカシさん…」
「殿下。この通りでございます。ですからもう天の岩戸から御出になってくだされ。そして一言ご命令下さい。『護れ!』と」
玉座の間をしばらく沈黙が支配した。
そして金屏風の袖から涙に濡れた自分の首を両手で抱えた和子が現れた。
平伏する二人。
和子は首を抱く手を震わせながら二人を見た。
涙が頬を伝い、声にならない嗚咽が漏れる。
そしてようやく絞り出すように言った。
「わたくし…を……護れ」
二人の臣は声を揃えて応じた。
「御意に!」
次回 決戦が迫る
「ふむ…もうすぐ夜明けか」
皇女観覧室を出て、窓から白みかけている夜雲を見ながら平九郎が目を細めて言った。
タカシも同じ東の空を見上げながら平九郎に尋ねた。
「あの…名誉顧問…僕たちは…先ほど仰ったあの作戦で…本当に勝てるんでしょうか?」
「さあの…策を立てれば勝てるとは限らん」
「う…」
「惣司の力も未知数じゃからの。慎之助が参考になるとはいえ読めぬ部分はある」
「そ…それは…」
「しかしのう… 山田男。勝った戦は全て策を立てている。そしてその策通りに実践している」
「!」
「そしてわしもお主もやるべき事をやると腹を決めてここにおる。そうであろう?山田男」
「その通りです!」
「何を迷うことがある?」
「いいえ。もう迷いません!」
「うむ!」
「しかし、戦いの前はいつもこんな気持ちにさせられるものですか?」
「まあのう…わしの場合は常に圧倒的に物量差のある外国勢力との戦いじゃったからの。最初から勝ちを確信できる戦など一戦もなかったわい。じゃがのう…」
「はい…」
「戦場では最後まで諦めない奴が不思議と運を引き寄せる。そいつは覚えておけよ」
「分かりました!」
「それとな…お主に渡しておきたいものがある。付いてこい」
「?…は、はい」
二人は2階の常設展示コーナーに移動した。
そして平九郎は忠國の部屋の《進駐軍司令部皇女自決事件》展示ケースの前で足を止めた。
「山田男よ。ケースの鍵を開けてくれ」
「こ、ここに…何が」
「いいから早う開けい!」
「はい!」
平九郎はケースの中に入ると、和子の軍服の前に立てかけてある仕込み杖を取った。
その中央部分を片手で持ちタカシに差し出した。
「これをお主に預ける」
「そ、それは加藤さんの刀!」
「そうじゃ。そして…もしもの時、最後はこれで戦え。よいな!」
タカシはそれを両手で受け取った。
真剣の重みがずしりと伝わる。
そして深呼吸をしてはっきりと答えた。
「………はい。分かりました!」
夜が明けて当日、皇女記念館は臨時休館の掲示がなされエントランスドアはシャッターで閉ざされていた。
事前の告知が無かった為に、知らずに訪れた大量の来館者で一時建物の前は騒然となった。
しかし徐々に情報が伝わり夕方には落ち着きを取り戻していく。
そして日が落ちて帝都の夜空に真っ赤で巨大な満月が浮かび上がった。
日付が変わる頃、固く閉ざされているはずの記念館のシャッターがギシギシという不快なきしみ音とともに上がっていく。そして両開きのドアがひとりでに開いた。
その前にはポケットに両手を突っ込んだコート姿の惣司が立っている。
「ふん!他愛もない。皇城の門の方がよほどましだ」
彼はそう吐き捨てると建物内に足を踏み入れた。
照明を落とされた通路をゆっくり歩みを進める。
関節照明のみの薄暗い廊下の中で、前髪の隙間から覗く彼の右目は異様な光を放っていた。
そして彼は皇女観覧室の入口前に到着した。
「我が宿願がついに果たされる…」
そう言ってドアを開けて中に入ると、惣司は目を見開いた。
玉座の間のガラスの仕切りの前では平九郎があぐらをかき、玉座に座る和子の前にはタカシが立っている。
平九郎は軍服、タカシは清掃員の制服を着用し、二人とも頭に《必勝》と書かれた鉢巻きが巻かれており、腰には刀が差されている。
「ふん!誰かと思えば東郷の老いぼれと死に損ないの清掃員か」
惣司は無精髭の隙間から黄ばんだ歯を見せた。
平九郎はゆっくり立ち上がると、惣司に向かって静かな口調で言った。
「惣司よ。止めにせんか?誰も救われはせんぞ!」
「止めろ?お前らこそどけ!虫ケラのように殺されたいか?」
「それ以上わしらに近づくな!惣司!」
「何だと?」
「それ以上進むと良くないことが起きるぞ」
「ほざけ!お前らで私を止められると思っているのか!」
惣司はふんと鼻を鳴らすと平九郎の話が無かったかの様に数歩進んだ。
「ああ!わしは警告したのに…」
「?…なんだこの影は」
惣司が上を向くと目が血走った。
両手足を大きく広げた巨人が降ってきた。
「ぐああ!」
ズシンという音とともに惣司の上に覆いかぶさる。
「皇女様に悪さじたらだめでず!」
そう言って鵜戸野大介はズズっと鼻をすすった。
次回 観覧室の攻防
鵜戸野の巨体が惣司に覆いかぶさる。
「やったか!」
平九郎は汗ばんだ拳を握りしめた。
しかしその目はすぐに戸惑いの色に覆われた。
「ぐ!ぐぐ!」
惣司はガクガク震えながらも、巨体を背負いつつ中腰で持ち堪えていた。
「ば、馬鹿な!手力男(たじからのお・平九郎の普段の鵜戸野の呼び名)は四十八貫目(180kg)だぞ…」
絶句する平九郎。
しかも惣司は徐々に背中の巨体を持ち上げつつあった。
「ふ、ふふ…そうか。特級の魔導士は肉体も規格外という訳か。手力男!掴んで離すな!」
「わがっだ!」
鵜戸野は惣司の上半身を万力のような腕で抱え込んだ。
「くおのぉぉぉぉぉぉデカブツ!」
惣司は叫ぶと背中に赤い花弁の光を宿し始めた。
「あ、あの光は!鵜戸野さん、逃げて!」
タカシは絶叫した。
その瞬間ドン!という破裂音と同時に眩い光がスパ―クした。
思わず目を瞑ったタカシがゆっくりまぶたを開けると、惣司の背中でぐったりしている鵜戸野の姿があった。
「邪魔だ!」
惣司は忌々しげに背中の巨体を放り投げた。
仰向けに転がされた鵜戸野の服は裂け、目は白目を向いており、口からは長い舌がだらりと垂れ下がっていた。
「ふん!これがお前らの策か?」
惣司は平九郎の方に向き直ると、嘲る様に犬歯を覗かした。
「惣司…慌てるな。手力男はまだ死んでおらんぞ!」
「何!」
惣司が振り向いた瞬間、鵜戸野の巨大なハンマーの様な右拳が上腕にめり込んだ。
「があ!」
惣司は振っ飛ばされ、観覧室の大理石の大柱に背中を打ちつけられた。
「くっ!何故起きあがれる?」
惣司は柱にもたれて髪を振り乱しながら鵜戸野を睨みつけた。
鵜戸野は拳を振り切った体勢で白目を剥いたまま凍りついたかの様に固まっている。
破れたシャツの胸の隙間から黒曜石の数珠が覗いていた。
「魔防数珠か!老いぼれめ!」
そういって歯噛みする惣司。
しかしそれとほぼ同時に鵜戸野がぐらっと前に崩れ落ちる。
「おで…言いつけ…まもっ……だ…」
ズシンという響きと共に床にうつ伏せに倒れて微動だにしなくなる。
「鵜戸野さん!」
皇女は悲痛な声を上げた。
柱に背持たれる惣司の左腕は歪にへし曲がりだらりと垂れ下がっている。
「手力男!でかした!片腕ではあやつは魔導壁の印が切れぬ!」
平九郎は軍刀を鞘から引き抜くと、それを両手に持ち替え、鬼神の如く惣司に突進した。
「ふん!老いぼれなど片手だけで充分だ!」
惣司は右手を上げて掌を平九郎に向けた。
その掌中に赤い光が集約される。
「だ、駄目!」
皇女は目を背けた。
ダァン!
一発の銃声が響いた。
「うっ!く!」
惣司の脇腹から血が溢れる。
「そんな…馬鹿な…殺意は感じなかった…!?」
惣司は観覧室の天井の大梁を見た。
その上にライフルを持った佐藤の姿が有った。
佐藤の首は後ろ向きに捻じ曲げてあった。
その目線の先には鏡が光っていた。
「ひ、ひい!当たった?本当に当たった?」
わななきながら腰がへたる佐藤。
「見事なり佐藤!ちゃんと当たっとるわい!」
平九郎はそう叫ぶと刀を下から振り上げた。
ザン!という切断音が響く。
惣司の右腕が血を噴きながら宙を舞った。
「うぐ!貴様ら!」
惣司は柱にもたれながら血に濡れた歯をむき出しにして平九郎を睨んだ。
大理石の床に血溜まりが広がってゆく。
「惣司よ。さしものお主も後ろを向いた男の弾までは読めまい…お前の負けじゃ!」
「くそ…が…」
「お主!負けを認めるんじゃ!」
「は…はは…あははは!」
「何が可笑しい!」
「俺は…必ず…滅する」
「何!」
「お前らを…必ず滅するのだ!必ずな!」
「く、惣司…」
平九郎は静かに目を閉じると再び大きく見開いた。
そして刀を上段に構え惣司の胸に振り下ろした。
惣司の胸から血が吹き出し、静かに床に崩れて行った。
「愚か者めが…」
返り血を浴びた平九郎の表情はどこか悲しみを帯びているように見える。
彼は玉座の方に振り返り、和子に向かって一礼をした。
その時タカシが絶叫した。
「名誉顧問!駄目です!」
「何じゃと!」
平九郎はぎょっとして後ろを振り向いた。
そこには倒れながら全身を桃色の光の花弁に包まれた惣司の姿があった。
「桜命復原…桜命復原…」
彼の口から魔導呪文が地を這うように響き渡る。
(両手が使えないのに口だけで…)
タカシは戦慄した。
「しまった!奴が慎之助の息子だということを忘れておったわい!」
そう叫ぶと平九郎は刀を構え直し、惣司に向かって飛びかかった。
バズン!
ビスン!
鋭い貫通音がほぼ同時に二つ響いた。
平九郎の背中から赤い花弁の閃光が一筋飛び出した。
それと同時に天井の大梁より佐藤が落下する。
ドン!という落下音が観覧室に響いた。
「ぐ…う!さ、佐藤…」
平九郎は片手で胸を押さえた。その手の隙間から血が溢れ出る。
「嘘…平九郎!」
玉座より立ち上り絶叫する和子。
「殿下…申し訳…ございません…」
平九郎は息絶えだえに言葉を吐き出すと、刀を離さぬまま前倒しに崩れた。
その向こうには十字の様に両手を広げた惣司が立っていた。
(両腕とも完全に元に戻っている!そんな…)
タカシは目の前に繰り広げられている光景に肺を押しつぶされそうになりながらも必死に耐えた。
惣司はゆっくり歩いて玉座に近づいてくる。
そしてガラスの仕切りの前で立ち止まると右手の掌を光らせガラスの表面に当てた。
すると巨大なガラス板はビシッという音とともに全体に亀裂が走り、次の瞬間 ドシャアという音と共に全てが崩れ落ちた。
「清掃員…お前で最後だ」
惣司は陰鬱な目でタカシを睨んだ。
タカシは仕込み杖の鞘から刀を抜き両手で持って構えた。
「ふん。敵わぬと知りながら歯向かうか!」
「僕は、僕は逃げない!」
そういうとタカシは玉座の舞台からジャンプし惣司に向かって飛びかかった。
惣司はけだるそうに刀を避けると右拳を軽く突き出してタカシの顔面にヒットさせた。
「ぶふう!」
タカシは鼻血を吹き出しながら弾き飛ばされ、空中で一回転して金屏風に頭から突っ込んだ。
刀がカランカランという音とともに観覧室の床に転がる。
「馬鹿めが!」
惣司は壇上に上がると右手を上げて、尻を向けて伸びているタカシに掌の照準を定めた。
「止めて!惣司!」
必死の形相の生首を抱えて、和子はタカシの前に立ちふさがった。
「邪魔だ!どけ!皇女!」
「いいえ!どきません!」
「うるさい!」
惣司は苛立って和子の肩を持つと横に跳ね除けた。
「きゃあ!」
和子は床に転倒し、 生首が転がった。
そして改めて惣司はタカシに向けて手のひらを向けた。
その時であった。
床に転がっていた仕込み杖が1人でに空中に飛び上がり、惣司に向かって切りかかった。
惣司はとっさに身をよけたがコートの背が切り裂かれる。
うっすらとシャツに血が滲んだ。
「な、何だと?刀が一人でに!」
目を飛び出さんばかりにして空中に浮かんで静止している刀を凝視する惣司。
その目がさらに戦慄く。
空中にぽっかり浮かんでいる刀を手に持つ人の姿がゆっくりと浮かび上がってくる。
それは燕尾服姿に山羊の様な顎髭を蓄えた老人であった。
かすかに透き通っていながらも、実体化したその姿は和子のよく知る人物であった。
「義国?義国なの!」
「はい。この加藤義国、遅まきながら参上仕りました。永らく御前に伺候いたさず恐縮に存じます」
「う、うう…義国…」
皇女の目から涙が溢れ出た。
「殿下。ご安心ください。これより不埒な賊を成敗いたします!」
そういうと義国は刀を下段に構えた。
「ぐぬう!」
惣司は唇を噛んだ。
次回 死闘
「う…うう…」
金屏風に頭から突っ込んで倒れているタカシがうめき声を発した。
「あ!たかしさん!」
和子は彼に駆け寄り上半身を起こした。
彼女はシルクの桜柄模様のハンカチを取り出しタカシの鼻血を拭く。
「う…和子様…え!」
タカシは、惣司の前で刀を構える義国の姿を見て仰天した。
「あ、あれは加藤さん!?」
「そうよ。義国の霊ですわ」
「霊?」
「ええ。私達を護る為に現れてくれたの」
「そ、そうなんですね!加藤さんは確か剣の達人…」
「そう!義国は北辰一刀流免許皆伝の腕前。惣司にも負けないはずよ」
「加藤さん…」
タカシは頬を紅潮させてグッと拳を握る。
義国は刀を下段に構えたまま、一歩ずつ間合いを削っていく。
「ふん!皇女の首を落とした老いぼれの亡霊か…」
そう言い終わるかどうかの刹那、義国の剣が惣司を横殴りに薙いだ。
「良し!決まった!あれ…」
タカシは目をパチクリする。
惣司を両断したかに思われたのに、義国の剣は虚空を切っている。
彼の身は瞬時に先ほどまで背にしていた観覧室の柱の前に移動していた。
「くく、面白い。そんな錆びついた刀で私とやり合うつもりか?」
そういうと惣司は右手を高く差し上げた。
「桜花殺剣!」
彼がそう叫ぶと赤い桜の花弁がみるみる掌に集約されて一本の長い刀の形となった。
「ふむ…面妖なり」
義国はそう言うと玉座の舞台から飛び、一瞬のうちに惣司との間合いを詰めた。
ガツン!
お互いの刀が激突し弾ける音が響く。
「あれ…音が一つ。早くて刀の動きがよく見えなかったけど」
首をひねるタカシ。
「いいえ…タカシさん。義国は《刺突》《逆袈裟》《真っ向切り》の三段の攻撃をくり出したの。でも全て弾き返された」
「ええ!三段!?」
タカシが声を上げたその瞬間惣司の左肩から血が吹き出した。
「ど、どういうことなの?」
戸惑う和子。
「ぐ!四段切りか!」
惣司は、か!と 息を吐くと右の掌を肩に当てて桃色の光を放った。
桜の花弁に包まれあっという間に傷がふさがってしまう。
「ふむ…益々もって面妖なる技。ならば治療する間もなく切り刻む他は無しに候」
義国は皺が刻まれた表情を全く変えず剣を上段に持ち替えた。
「その必要はない!喰らえ!」
惣司はそう叫ぶと義国目がけて赤い閃光弾を数発放った。
全弾義国に命中する。
しかし全て彼の体をすり抜けてしまう。
「そなたの術は死者には通じぬで候」
そう言いつつ義国は一瞬構えを解いてしまった。
惣司はすかさず懐から人形(ひとがた)の紙切れの束を取り出し、掌に乗せて口元に寄せてふう!と噴いた。
すると胸に赤い桜の花弁を宿した無数の人形が飛び出し、義国の全身に貼り付く。
「桜霊退散!」
惣司は左手の人差し指と中指を交差させて額に当てて印じた。
その瞬間義国は赤い光に包まれて消失した。
「くく。亡霊は地獄に戻っていろ!」
惣司はニヤリと笑いを浮かべた。
「ああ!加藤さん!」
タカシは唇を震わせた。
「待って!あれを見て!」
和子は指を差した。
刀は空中で静止したまま残っている。
そしてそれを持つ義国の姿がすっと復元した。
「な、何だと!?」
惣司は目をしばたたいた。
「拙者をただの怨霊扱いするは見当違いも甚だしい!」
義国は低い声でそう言うと下段で刀を持つ手にぐっと力を込めた。
刀はゆらゆらとした青いオ―ラを放っている。
その直後渾身の一撃が惣司を襲った。
惣司は桜剣で受け止めたが、それが弾き飛ばされ空中で花弁が散るように消失した。
「しまった!」
「魔導士!覚悟!」
義国は上段から丸腰の惣司に刀を振り下ろした。
「やった!決まった!」
タカシがそう思ったのも束の間だった。
なんと義国の剣が惣司の右手の掌で受け止められていた。
掌には赤い光が点滅している。
「む!ぐ!」
義国は刀を引こうとするがびくともしない。
「ぬ!ぬおおお!」
惣司は野獣の様に咆哮するとこぶしを握り締める。
その瞬間刀はパキンとへし折れた。
「ぐ、ぐあああ!」
身悶えする義国。
「嗚呼!義国…義国!」
絶叫する和子。
「殿下…申し訳…ございま…せん…」
義国の姿が徐々に薄くなっていく。
そして完全に消え去り、刀が床にストンと落ちて転がった。
「ふん!所詮は剣に取り憑いていただけのまやかしか…」
そう吐き出すと、惣司は床に転がっている折れた刀を蹴り飛ばした。
刀は床を滑って一段上がっている玉座の段前に突き刺さった。
「タカシさん…」
「和子様…」
絶望に打ちひしがれ、抱き合う二人。
「月の力は満ちた…終わりにしよう…」
惣司はゆっくりと両手を重ね合わせた。
その時であった。
金屏風の裏から紫色の光の球が飛び出し惣司を襲った。
「うお!」
惣司は間一髪で避けたが、背後の柱に巨大な穴が空いた。
「何者だ!」
「もうええ加減にせい!惣司」
金屏風の袖からゆっくりと姿を現した老婆の姿を見て、惣司は口をあんぐりと開け、眼球が飛び出そうになった。
脱糞馬場であった。
「安倍日巫子(あべのひみこ)!な、なぜここに?」
「阿呆う!師匠と呼ばんかい!」
馬場は忌々しそうに惣司を叱りつけた。
その名を聞いてタカシはきょとんとした。
「え?安倍?どういうこと?」
「その名は捨てた!今はただのクソ漏らしや!」
そして立ちすくむ惣司を睨みつけた。
「惣司…けりをつけさせてもらうで…」
次回 馬場と惣司の因縁
惣司と対峙する馬場の後ろ姿を見ながら、タカシは平九郎との作戦会議時の会話を思い出していた。
『ええ!馬場さんが惣司さんの魔導の師匠!』
『そうじゃ。皇城の事件後にわしのところに来ての。もし惣司が現れるなら呼んで欲しいと…』
『ま…まさか!にわかに信じられません。あの馬場さんが…』
『そうであろうの。何やら因縁があるようじゃが詳しくは語ってくれなんだ。しかしもう一つ分かったことがある』
『それは…何でしょう?』
『慎之助もまた、あやつの弟子じゃった』
『え!慎之助さんが!?』
『魔導の修行はよくわからんことが多い。公に道場など開かれておらんからの。しかし脱糞は、惣司が慎之助の息子と聞いて弟子入りを認めたのは確かなようじゃ』
『そうなんですね…』
『恐らく何かの事情で惣司を探しておったのじゃろう。そしてこの記念館におれば奴と出会える筈と考えたのではなかろうか』
『この…記念館で…』
「ババア!私の邪魔をするな!」
「誰がババアや!わしはお前のような奴を弟子にしたことが一生の不覚や!」
「馬場さん…一体何が?」
タカシは息を呑みながら尋ねた。
「こいつは慎之助の息子と聞いて弟子入りさせたが、いらん殺人魔導ばっかり覚えよってな。挙句の果てにわしの他の弟子を皆殺しにして道場から逃走しよったんや!」
「え!皆殺し?」
「ふん!無能が何人おっても仕方あるまい。クソどもが私の術にケチをつけてきたから実力を見せつけてやっただけだ!」
「うるさいわい!わしはお前のような化け物を作ってしもうたことを心底恥じた。それで名前を捨ててお前の行方を追っていたんや」
「はっ!執念深いやつめ」
「お前は道場で慎之助や皇女様の悪口をしょっちゅうほざいとった。龍命替術の破り方もやたらとわしに聞いてきよった。そやさかいこの記念館が怪しいと思って張ってたんや。案の定ノコノコと現れおって」
「ふん!私はあれから修練を重ね、以前と比較にならぬ程の魔導力を手に入れた。私は父を超えたのだ!」
「親父を超えた?アホ言うな!」
「な、何だと!」
「お前なんかにあの慎之助を超えることができるかい!冗談もほどほどにしいや!」
それを聞いた惣司の顔は激しい憤怒の表情に変わった。
「う…うるさい!うるさい!うるさい!」
惣司は両手の掌を馬場の顔面に向けると、今まで最大の赤光弾を放った。
「はん!今一やな!」
彼女はそう言って思いっきり身を反らすと、その光弾を頭突きで弾き返した。
光弾はカウンターとなって惣司に襲いかかった。
惣司はそれを手首の返しだけで弾くと、光弾は観覧室の天井の巨大なシャンデリアの根元に当たった。
そのシャンデリアは落下して惣司の背後で激しく砕け散り、キラキラしたガラス片が観覧室の床に散乱した。
「あ―あ…やってもたな!そのシャンデリアめちゃ高いねんで。あんたちゃんと弁償しいや」
「ふん。どうせ建物ごと無くなるのに何をほざく」
「惣司…やっぱりあんたにはお灸を据えなあかんな」
そう言うと馬場は、よっこらしよっと言って玉座の段を降りると、スタスタと歩いて惣司に近づいていった。
(え!え!そんなに散歩みたいに…)
タカシはもはや生きた心地がしない。
しかし馬場はのんびり歩んで惣司の目の前に立った。
惣司は傲慢に馬場を見下ろす。
「ババア…いいのか?すぐ殺せる間合いだが…」
「すぐ殺せる?誰を?」
「皇女の術の加護も無いのに!この馬鹿がぁ!」
惣司はそう叫ぶと至近距離から桜花弾を放った。
バッシンという炸裂音とともに赤い光がスパークする。
眩しさに和子とタカシは思わず目を塞いだ。
タカシは恐る恐る目を開けると、なんと惣司が鼻血をだして床に仰向けに倒れている。
「え!何故?」
タカシは我が目を疑った。
「ぐ、我が術を…反射した…だと?」
倒れながら信じられないといった口ぶりの惣司。
「反射魔導など教えへんかったからな」
馬場は惣司の顔を覗き込みながらかっかっと笑った。
その時、戦闘を固唾を飲んで見守っていたタカシ が叫んだ。
「あっ!危ない!」
惣司は馬場の足首を掴んでいた。
「ぬおおおお!」
惣司は野獣の様に咆哮して、馬場の足首をもったまま彼女の体を逆さ吊りに背中に担ぎ上げ、玉座に向かって放り投げた。
馬場は頭を玉座に向けて弾頭のように飛ばされたが、空中でクルッと回転して舞台前に着地した。
それを見た惣司は掌の照準を馬場に向けていたが、タカシに方向を変えて光弾を発射した。
「いかん!」
馬場は咄嗟に惣司に背を向け光弾からタカシを庇った。
光弾は馬場の背中に当たり飛散する。
その直後であった。
「きゃあ!い、いやあ…」
皇女は目の前の信じられない光景を目の当たりにして絶叫した。
馬場の胸から義国の折れた剣先が血塗れで飛び出していた。
背後には惣司が立っている。
彼は馬場の体を貫通している刀の柄を握っていた。
その刀は惣司が蹴り飛ばして玉座の段前に突き刺さっていたものだった。
「そ、惣司…わ、わりゃあ…」
「ふふ…術が駄目なら刺せばよい!」
「く…魔導の風上にも…置けん…奴…」
馬場はゆっくりと床に崩れ落ちた。
次回 桜散無術の発動
そして
タカシの決断
床に広がってゆく馬場の血のり。
それを無表情で見つめる惣司。
皇女とタカシはそんな彼の前で言葉を失い、只々立ちすくんでいた。
「要らぬ邪魔が入った…月の満ち足るも永くは持たぬ。我が術の発動を急がねばならぬ。だが…」
惣司は二人に目を向けた。
「清掃員。お前には先に死んで貰う」
そう言うと惣司は右の掌をゆっくりタカシに向けた。
赤く禍々しい光が集約されていく。
皇女とタカシは身を寄せ合いお互いの手を握り締めた。
その時であった。
タカシの上着の内側にボウッと青い光が点灯した。
「え?何だろう…」
タカシは内ポケットをまさぐり一枚の古びた紙切れを取り出した。
(あれ!これ佐藤さんに貰ったインチキの札だ…ポケットに入れっぱなしにしてたんだな)
タカシは、青く光っている札を不思議そうに見つめてから惣司に目を戻した。
「え!」
タカシは目を見開いた。
惣司は血走った目が飛び出さんばかりの驚愕の表情で唇を震わせていたのである。
「常世泉(トコヨミ)の札!なぜ貴様が…そんなものを!」
「え!どういう事?この札!?」
タカシは思わず札を二度見する。
「貴様!その札を渡せ!」
「ええ?」
「そんなものはお前みたいな力の無い者が持っていても只の紙切れと同じだ!さあ!早く寄越せ!」
(なぜ…そんなに焦っているんだ?)
タカシは札をぎゅっと胸に抱え込み後ずさりした。
その時、床に倒れていた馬場が苦しそうに声を発した。
「た…か…し。その札…絶対に…渡すな…」
「馬場さん!」
「くそ!まだくたばっていなかったか!」
惣司はそう吐き捨てるとタカシに駆け寄り手を伸ばして札を奪い取ろうとした。
しかしバチンと火花が飛び手が弾かれる。
「魔導壁!?この死に損いが!くそ!」
馬場はうつ伏せに倒れたまま右手をタカシに向け紫色の光を点灯させていた。
「もうよい…」
惣司はタカシを一瞥すると、両の掌を胸元で合わせた。
「これで全てを終わらせる。我が宿願は成れり!」
「止めて!惣司!」
和子が悲痛な叫びを上げる。
惣司は勝ち誇った様な笑みを浮かべると、地を這うような声で唱えた。
「桜・散・無・術!」
詠唱が終わった瞬間、空気が研ぎ澄まされピンと張り詰めた。
(一体…何が起きるんだ?)
タカシの呼吸は徐々に荒くなっていく。
床が微かに振動し始めた。
それは徐々に大きくなっていく。
「あ!何だ!あれは?」
この時、皇城の守衛兵は皇女記念館を指差してざわめきたった。
地面から無数の赤い桜の花弁が湧き上がり、記念館の下から纏わり付き始めたのである。
それは龍の様な形となり、記念館の回りをとぐろを巻くようにして上昇し建物を包み込んでいく。
花弁に覆われたものはまるで光に飲まれるように消えていく。
――皇女記念館の金看板も
――忠国レストランの豪華な椅子も机も内装も
――たくさんのグッズが並んだショップの棚も
――エントランスの皇女像も
――事務室の机やみかん箱も
――休憩室のソファーや自動販売機も
――展示コーナーの皇女の衣装や備品も
全てが飲み込まれて…消えていく。
皇女観覧室も赤い桜の花弁に覆われていく。
ガクンという地響きがして観覧室の床が傾いた。
天井から無数の埃や破片がパラパラと降ってくる。
「ふは!ふははは!いいぞ!美しいぞ!」
惣司は至福の笑顔を浮かべて両手を広げた。
その十字架のような姿があっという間に赤い花弁に包まれていく。
そして足元から光のチリのようになっていき、最後はゆがんだ笑みも包まれ消えていった。
(惣司さん…なんて…悲しい人なんだ…)
タカシはやりきれない気持ちでその最後の姿を見つめた。
その時であった。
足元から 馬場の声がした。
「た…かし…願え…思い…浮かべろ」
「ば、馬場さん!」
「お前が…今一番呼びたい者の姿を…思い浮かべるんじゃ!」
そう言って馬場はがっくり首がうなだれる。
「馬場さん!馬場さん!うう…僕は!僕は!」
たかしはそう叫ぶと青く光る札を胸に力強く抱きしめた。
その時観覧室の床に無数の亀裂が走り、大きな音を立てて崩れ始めた。
「あ!」
「いや!」
皇女とタカシは亀裂に飲み込まれていく。
「和子様!」
「タカシさん!」
二人は落下しながら手を伸ばした。
そしてその手が触れ合った。
その瞬間周りは全て赤い花弁に覆い尽くされた。
和子は観念して目を閉じた。
「!?」
彼女はゆっくりと閉じた目を開けた。
和子は空中に浮かぶ優しい桃色の光の玉に包まれていた。
その外は禍々しい死の光が渦巻いている
そして目の前には、優しく微笑みながら皇女を見つめるタカシの姿があった。
「タカシさん?いや…違う…あなたは…」
「お久しぶりでございます。殿下…」
「慎之助?慎之助なの!」
「はい」
「そう…タカシさんが呼んだのね!」
「その通りです。常世泉の札を介して…」
「慎之助…私達はもう終わりなの?全て消えてしまうの?」
「いいえ 大丈夫です」
「え!」
「今宵は月の力もあります。龍命替術を使います」
「え!そんな…惣司の術は強力よ…」
「はい。しかし…たかし殿の《思い》…殿下や、そして記念館の皆様に対する《思い》は何者よりも強い。この力に私の術を乗せれば倅の術を打ち払う事が出来るでしょう」
「でも…龍命替術を使ったら…あなたは?」
「はい。霊体としての私の存在も完全に消え去ります」
「うう…慎之助…」
「殿下。お嘆きにならないでください。これは不肖の倅がやらかしたこと。私はその責任を取らねばなりますまい」
「いや!」
「それに私はあの時錯乱し、殿下を不完全な御姿にしてしまった…」
「いいえ…私は感謝しています」
「え!」
「観覧室での日々は幸せでした。慎之助…ありがとう」
「殿下…私は…報われました」
「慎之助!」
「さあ…時間が有りません。お別れです」
「ま…待って!」
慎之助は観音菩薩のように胸元でゆっくりと掌を合わせた。
「龍・命・替・術!!!」
慎之助が詠唱した瞬間、彼の合わされた両手から金色の光が発せられた。
「慎之助!!!」
「殿下!お達者で!」
慎之助は敬礼した。
その瞬間、辺りは眩いばかりの優しい黄金の光に包まれた。
まるで浄土の世界を照らしているような再生の金色の光。
それが全ての赤を飲み込み広がっていった。
次回 最終話
………………………
永く寝ていた様な気がする……
あるいは刹那であったかも知れない……
金色の光の海……
優しい声を聞いた気がする……
思い浮かべなさいと……
平九郎……
馬場……
佐藤……
鵜戸野……
そして……
和子……
ねがった時……
心は放たれた……
意識が金色に染まる……
眠い……
………………
「おい!山田男!目を覚ますんじゃ!」
「う…うん…」
タカシは薄目を開けた。
(あれ…名誉顧問?)
まだ意識は朦朧としている。
「お!気が付きよった!」
「たかし君!分かるかい!たかし君!」
「うご!だがじさん!」
(え…馬場さん…佐藤…鵜戸野さんも!)
タカシは驚いて目を開くと、ガバッと上半身を跳ね起こした。
「う…皆さん!!」
「よう!山田男!生きておったな!」
平九郎は笑顔でタカシの肩に手を置く。
「こ、ここは?」
「うむ…周りを見てみよ」
「はい……え!」
タカシはぐるりと見渡して息を飲んだ。
空は朝焼けで白じんでいる。
そして…皇女記念館の地上部分が完全に消失し何もない空間が広がっていた。
タカシはそのド真ん中で倒れていたのである。
「全部無くなってる!」
「そうじゃ…きれいさっぱりとのう…」
「こ、顧問!皇女様は?和子様は!!」
「………山田男。横を見てみい……」
「え!」
タカシは左側の地面に目を落とした。
そこには地面に漆黒の髪を広げて仰向けに横たわる和子の姿があった。
彼女の首は元に戻り胴体に収まっている。
しかし長いまつ毛は閉じられている。
「え、和子様は…お目覚めにならないのですか?」
「さっきから御声掛けを繰り返しておるのじゃが…」
平九郎は沈鬱な表情で首を横に振る。
「そんな!和子様!お目覚め下さい!和子様!」
タカシは皇女に向かって必死に呼び掛ける。
しかし皇女の眉は動かない。
「うう…お願いします…和子…様」
タカシは静かに横たわる和子の横でがっくりとうな垂れる。
「う…う…」
彼の瞳から涙が滴り落ちた。
周りの者も沈痛な表情で言葉を発することができない。
その時であった。
タカシの胸に貼り付いていた《常世泉の札》がボウッと桃色に光った。
「あれ!こ、これは?」
タカシは目をしばたたく。
そして光る札を見た馬場が叫んだ。
「そうか!慎之助の奴…手の込んだ事を!」
「え?どういう事ですか?」
「たかし。その札を皇女様の胸に置いてみい!」
「は、はい!」
タカシは札を皇女の胸に置いた。
馬場は右手で印を切り「龍・命・復・元!」と唱えた。
常黄泉の札はその瞬間輝きを増すと、直後に四方に砕け散った。
「え!札が!」
「落ち着きや!たかし」
「は、はい…」
タカシと、周りの皆が固唾を飲んで皇女を見守った。
朝日が雲間から溢れ落ち始める。
その光が地面をゆっくり這い、皇女の顔を照らした。
彼女を囲む全員の表情が…涙と歓喜を宿した。
「う…うん…」
皇女の長いまつ毛が…ゆっくり…動いた。
礼和国を揺るがす世紀の大事件から二年が経過した。
皇城天守と皇女記念館の喪失は世界中に大きな衝撃を与えた。
しかし皇女和子の復活は、それを完全に覆って全国民を喜びと熱狂の渦に巻き込んだ。
当初、礼和政府はアメリアナの反応を懸念した。
しかし、大戦より三十年以上経過しア国の世論も変化していた。
皇女の果たした役割の意味が、かつての敵国にも浸透していたのである。
当時、アメリアナ大統領から贈られた祝辞は大きな話題となった。
『On behalf of the people of Ameriana, I extend my warmest congratulations on the miraculous return of Her Imperial Highness Princess Kazuko, who in ages past devoted herself to the service of the Realm of Reiwa.
Princess Kazuko stands as one of the enduring symbols of the Reiwa nation, and we greet this extraordinary event with deep respect and sincere rejoicing.
The nations of Ameriana and Reiwa have long been united by our shared commitment to freedom, democracy, human dignity, and the rule of law.
I look forward to working closely with Your Excellency in the years ahead to further strengthen the bonds of friendship and alliance between our peoples, and to advance peace, stability, and prosperity throughout the East and across the world.』
――礼和語訳――
『この度、かつて礼和国に御身を捧げた偉大なる和子皇女が御復活を遂げられたことを、心よりお祝い申し上げます。
皇女はまさしく礼和国の象徴たる一人であり、我が国は大いなる尊敬と喜びをもってこの奇跡的な出来事を歓迎いたします。
アメリアナ、礼和両国は長年にわたり自由、民主主義、人権、法の支配という共通の価値観を共有してまいりました。
今後共々貴殿と緊密に協力し、両国の同盟関係をさらに強化するとともに、東洋地域および世界の平和と繁栄のために共に取り組めることを楽しみにしております』
こうして皇女和子は無事皇室復帰を果たした。
《天女皇》という特別な地位が新たに制定され和子はその名の元に公務に携わった。
この時期、礼和国は高度成長期に突入しようとしていた。
皇城天守と皇女記念館の復興事業はたちまち立ち上がった。
そして全国民の後押しを受け、国力を結集した工事は驚異的なスピードで進行した。
そして二年後、前の建物の規模を遥かに凌ぐ《礼和国立忠国天女皇記念館》が開館に至った。
それまで皇室庁預かりとなっていた職員達は全員新記念館に継続採用となった。
昼間の喧騒が消え去り静まり返った館内を清掃する 1人の男の姿があった。
「全く…無茶苦茶広いな…」
その男のぼやきは止まらない。
山田 崇である。
彼も又復職していた。
皇室庁に身を寄せていた時期、平九郎にむちゃくちゃこき使われ、毎日魂を口からはみ出しそうになっていた彼。
新記念館に戻れると聞いて喜んだのも束の間、相変わらずの人員不足である。
「名誉顧問の採用基準は厳しすぎるよ!まったく…」
彼はブツブツ言いながらエントランスホール、常設展示室、特別企画室と順番に掃除していく。
そして最後に三階の皇女観覧室の清掃に入った。
美しく彩られた天井も…光輝くシャンデリアも…大理石の床も…壮麗な柱も…豪華な金屏風も…何もかも以前と変わらない。
ただ一つ違うのは…玉座には誰も座っていない事である。
しかしタカシは玉座に入ると一つ一つの作業を噛み締める様に清掃を行った。
主のいない玉座も丁寧に拭く。
「ふう。これで良し」
全ての作業が完了し、一息つくタカシ。
そして彼は作業帽を脱ぐと主のいない玉座を静かに見つめた。
(和子様…礼和国の為に歩みを始められた。これで…いいんだ)
タカシは敬礼すると、踵を返して玉座の出口に向かった。
彼がドアノブを掴もうとしたその瞬間であった。
扉が一人でに開いた。
「わ!」
タカシは喉から心臓が飛び出そうになった。
「あら!たかしさん、いらっしゃったのね!」
和子はそう言うと、ピンヒールの音を鳴らしながらタカシの横を軽い足取りですり抜け玉座に腰掛けた。
「ああ…懐かしいわ!この感触がいいの!」
和子は嬉しそうに座り心地を確かめる。
「和子様!」
タカシは泡を食いながら走り寄った。
「一体どういうことなのです!こんな時間に記念館にお越しになるなんて!」
「あら…わたくしはまだ《礼和国特別至高天上国宝》の指定は外されていませんのよ」
「だ、だから何なのです?」
「決まっているでしょう…展示物としての責務を果たさねばなりませんわ」
「はひ!」
「ですから、これから毎日玉座に座りに参ります。三十年以上もわたくし皆様に見て貰っていたでしょう。展示されていないと落ち着かなくって」
「あの…和子様!天女皇としての御立場をお忘れですか?海外の要人との謁見とか…重要な御公務が山積みでしょう!」
「ああ…あれね…わたくし…嫌なの…」
「な、何を仰るのですか!?」
「だって、お会いする方は国王とか大統領とか…外交関係を左右するような方ばかり。とっても気を遣うの。こんなのは…本来兄上や春仁がやればいいのよ」
「和子様…今や海外の元首は海皇陛下よりも女天皇様とお会いすることの方がステータスと言われているのですよ」
「あら…そうなのですか。へえ…」
「へえ…ではございません!それに海皇陛下や皇室庁にはご相談はなされたのでしょうか?」
「ええ!それは大丈夫!」
「陛下は…なんと?」
「平九郎に相談せよと」
「名誉顧問は何とおっしゃいましたか?」
「『う!むぐう…ぎょ…ぎょ…御意に』と快諾してくれましたわ!」
「和子様…それは快諾ではなく『断腸の決断』です!」
「嫌だわタカシさん…そんな怖い顔しないで。それにこれからは大丈夫なのよ」
「な、何が大丈夫なのですか?」
「もうバレるのを恐れて笑いを我慢する必要が無いもの」
「か、和子様!」
タカシは一瞬ハッとした。
そして「ハァ。やれやれ」と溜息をついた。
しかしその口元は微笑んでいた。
目を輝かせた和子の言葉は弾んでいた。
「わたくしはこれからは『笑える皇女』よ!」
《首なし皇女は笑えない》――完――
首無し皇女は笑えない
歴史ファンタジー・コメディ
"首を抱え、笑いを堪える皇女の、壮絶にして可笑しな救国の物語。"
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。