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殻に籠もるオーストリッチはラムの侵食警鐘(アラート)から目を逸らす

洞施うろこ

5,083 字

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「克基かつきくん、見て見てこれ」
 研究室から中原教授の部屋に逃げ込んだところで、教授室の主に捕まった。興奮気味に手招きしてくる旧知の仲の恩師――一応は――に「何ですか」と返すと、彼はタブレットを手に応接用ソファに歩み寄ってくる。
「これねぇ、小泉くんの課題なんだけど」
「ああ……今年は挑戦者がいるんでしたね」
 中原教授のゼミに所属する准教授の小泉は、毎年自作の課題を電子工学部の生徒に出している。セキュリティソフトをクラックしろ、という課題なのだが、別に評価に繋がるわけでもないからか挑む生徒も少ない。更にはそこそこに難易度も高い。一度俺にも仕掛けてこられたが、たかだか二年程度Pythonを弄っただけの人間にPHPの課題を持ってこられてブチ切れそうになった。あんなん、前からPCを学んでたヤツに出す問題だろ。こっちは大学に入って初めてITに関わったんだ。しかも畑違いの言語でどうにかできるわけがない。いい加減にしてくれ。
 と、それはさておき。
 これまでも小泉の課題をクリアしてきた生徒はいる。全問は無理でも二、三問程度なら少なくないはずだ。中原教授もそれを見てきたはずなのに、こんなに興奮するとは。
「今年は一人だけなんだけどね、その子が凄いの持ってきたんだよねぇ」
 楽しそうにフラッシュメモリを刺して、教授は画面を示してくる。一人だけ? 確か、先月あのヘンなヤツ――卜部うらべがメモリを持ってきてたが……
「これ、何やってるか分かる?」
 問われて画面を見る。コマンドプロンプトの画面が出されているが、流れが早い。同じようなコマンドとプロンプトが――違う。同じ文字列が異常な速さで流れていく。
「物量がエグいですね」
「そうそう。引っ掛かるコマンドをひたすらゴリ押ししてるでしょ。で、これ全部弾かせてる間に、こっそり内部のファイルを解析させてるの」
「は?」
 合間に解析のコマンドが打たれてるってことか? このメモリにそんなソースコードを?
「それで容量不足しないんですかね」
「どんな組み方してるんだろうねぇ……興味が湧いてくるなぁ」
 くふふ、と含み笑いを漏らす教授に辟易する。人の良さそうな風貌をしているが、この人はなかなかに底意地が悪い。卜部は横沢ゼミに所属しているそうだが、引き抜こうと画策してもおかしくないな。小泉も気に入りそうな気配があるし、一応注意しといてやるか。
 知り合って間もない『友人』に老婆心を発揮しかけたところで、画面に変化が出た。ウィンドウが一つ開いたかと思えば、羊がとことこ歩いて柵を飛び越えるアニメーションが差し込まれる。
「ああ、解析が終わったみたいだねぇ。ほらほら、可愛い羊さんだよ」
「子供扱いはやめてください」
 何が『可愛い羊さん』だ。その『可愛い羊さん』とやらは数を殖やして今や柵から零れそうになってるんだが。
 と、柵内の許容量を超えたか、弾けるような動きで羊がウィンドウからいなくなる。全てが画面から消えたところで、ウィンドウの右手からまた一匹現れて『Happy?』のフリップを掲げる。そして、ウィンドウは勝手に閉じた。
「……これで終わりですか?」
 アニメーションを出しただけで終わり、というのはクラックの証明になってないとは思うが。
「見てみる? そりゃあもう大変なことになってるよ」
 教授はそう言うと画面をタップする。エクスプローラーで開いたドキュメントフォルダには、
「……これ、他のフォルダも?」
 中身は全て羊のアイコンになっている。開いてみると、さっきのフリップを掲げた羊の画像データが出てきた。全ファイルこうなっているのか。
「そうそう。ファイルは主要システム以外全部こうだねぇ。多分、システムの方もやろうと思えばできるんじゃないかなぁ」
 怖いねぇ、などと教授は呟いてるが、マジでエゲツねぇなコレ……フラッシュメモリに入るサイズでやってるってことは、下手するとZIPファイルでメール添付なんかもできるんじゃねぇか? エグいぞこれ。
「アイツ、見た目に反してヤベぇな……」
 ちょこちょこと話し掛けてくる卜部の顔を思い出しつつ呟く。パッと見は人畜無害そうな顔してんだけどな……そういや、アイツ女も取っ替え引っ替えだとか聞いたが、あの見た目でそれかよ……話してる分には距離感近いのが気になる程度で割と普通のヤツだが。
「あれ? 克基くん、その子のこと知ってるの?」
 失言したか、と一瞬焦ったが、教授が期待するほどの仲でもない。問題はないと判断して頷いた。
「三年の卜部ですよね。前に研究室にメモリ持って来たのを見ました」
 その後も気が向けば喋る程度の仲ではあるが、そこまで親しくもない。押しが強いところは気になるものの、こちらが引けば察して踏み込んでこない。まあ、付き合いやすいタイプではある。
「克基くんが名前を覚えてるのは珍しいねぇ。友達がいるのはいいことだよ」
「気持ち悪い目で見ないでください」
 なかよしこよしのおともだちって歳でもねぇだろ。んな親戚のオッサンみたいな目を向けてくんな。
「別に友達って仲でもないです」
 せいぜい顔見知りってトコだ。向こうは俺がゲイだってことも知らない。三年なら例の噂も聞いてないだろう。
「友達じゃないなら彼氏とか?」
「……ケンカ売ってんのかよ……」
 マジいい加減にしろよ、このオッサン。いくらガキの頃からの知り合いで留年の事情やら俺の実家のことやらを理解してるっつっても、言っていいことと悪いことがあんだろが。
 舌打ち混じりに溢すと「そんなに睨まなくても」と悲しげに眉を寄せられた。本当に表情を作んのだけは達者だな。
「克基くんの目って雪花さん譲りでキツめだから怖いんだよねぇ」
「っせぇな! 似てねぇよクソが!」
 溜息を吐いてとんでもねぇコトを口走ってんじゃねぇよ。他に誰もいねぇからってすぐ母親の名前出してきやがって。
「本当に怒ると口が悪くなるねぇ……小さい頃は可愛かったのに……」
 知るか。親の言いなりだった頃の話なんか出してくんな。
「溜め込むなっつったのはそっちだろうが。小泉がいねぇからって好き勝手言ってんじゃねぇよ」
 この場に他の人間がいたら俺が諌められる場面だろう。だが、教授は俺と二人だけの時にしか母親の名を出さない。理由は単純。俺に感情を発露させるという目的でやっているからだ。
 ずっと母親の駒でいようとしていた俺は、彼女の言うところの『教育』で知らずに歪んでいたらしい。自らのセクシャリティに気付いた時に、それを隠して誤魔化すという手段しか取れなかったのも歪みのせいだろう。反抗も逃亡も、『自分』を生かすための手段は思い付きもしなかった。
 母親に対しての嫌悪を認識して吐き出させることで、俺の歪みを少しずつ正していこうとしている。この人はそういう人だ。病んで外に出られなくなっていた俺を復学させた時もそうだった。俺の両親よりも親らしいことをしてくれている。だから恩義も感じてはいるんだが……どうも底意地がな……
「誰がいつ来るか分からないんですから、あまり余計なことを言わないでください」
 目上に対する態度を取り繕い、文句を言う。もし小泉がいたら……いや、アイツは教授相手なら見て見ぬフリくらいするかもしんねぇ。
「そうだねぇ。克基くんの口がこんなに悪いなんて、皆知らないだろうし」
 他人と交流してないことに対する当て付けかよ。仕方ねぇだろ。俺も向こうも関わりなんか持ちたくねぇんだよ。こっちが避けてなくても向こうから寄ってくることもない……何故か今は約一名、ヘンなヤツが纏わり付いてきてはいるが。
「卜部くんはどうなの? 克基くんがちゃんと覚えてるくらいなんだから、お喋りとかしてるんじゃない?」
 的確に余計な推察をすんじゃねぇよ。見事に当たってやがる。
「たまに話す程度です。妙な期待を寄せないでください」
 『友人』まで踏み込まれたとしても、自分のことを曝け出せるはずもない。全てを明かせるような仲にはなれないだろう。
「ええー……克基くんももっと仲のいい子作らないと。恋人は無理でも、親友くらいにはねぇ」
「恋人を望めなくて申し訳ありませんね」
 余計なコト言ってんじゃねぇっての。どうせセクマイだよ。放っとけ。
「そういう意味じゃないのに……克基くんは卑屈だなぁ」
「教授が余計なお世話を焼くからでしょう。別に、今以上の環境は望んでいません」
 ウリ専のバイトは黙殺されているだろうと判断して答える。体の方だけはどうにもならない。欲を満たすために体を売ってる俺に、恋人なんかできやしないだろ。
「満足してるってわけじゃないでしょ。頑固だなぁ」
 恋愛はいいものだよ、などと続けられてうんざりした。自分が数年前に大恋愛で歳の差婚をしたからといって、その価値観を俺に押し付けないでくれ。
「……」
 恋愛か……卜部はどう見てもノンケだし、女を取っ替え引っ替えしてるしな……俺の目から見ても可愛いヤツだから、普通にモテるだろ。俺の方がそういう気持ちになったとしても、アイツからは絶対にない。
 バイト以外のマトモな付き合いが卜部くらいだから、ついアイツで考えてしまった。相手はノンケだからあり得ないってのに。
「まあ、機会があったら卜部くんをウチのゼミにスカウトしてきてよ。友達がいた方が克基くんも楽しいでしょ」
 トントン、と俺の肩を叩き、教授はデスクに戻った。勝手ばっか言いやがって。スカウトしたいんなら自分でやれよ。
 返事はせずに肩を竦める。そんな俺をデスクから眺め、教授はくっと口元を歪めた。
「……本物の現実の方が色々と単純で不可解だから、やりやすいと思うんだけどね」
「――――っ」
 待て。今、何を言われた?
 思わず教授の方を窺うと、彼は既にいつもと同じ顔をしていた。黙ってやってる実験がバレている……? いや、痕跡は消しているはずだ。他のゼミ生にも気取られた様子はないし、思い過ごしだと……そう願うトコだがな……クソ、このオッサンはマジで読めねぇ。
 下手に返答もできず、ソファに体を沈めた。言葉尻一つでどうなるか分かんねぇ。怖ぇんだよ、このオッサンは。
「さてと。僕はそろそろ研究室の方に顔を出そうかな。克基くんはどうするの?」
 操作していたノートPCを閉じながら教授が尋ねてくる。研究室に、ということは、そろそろゼミも終わりそうな時間なのだろう。教授はいつも最後の十分ほどしか顔を出さないからな。もっとやる気を見せろよ。
「ゼミが終わるまでここにいます。何かあるようなら取り次ぎますが?」
 俺は研究室から逃げ出してここにきたようなモンだからな。同期――今の先輩﹅﹅方には疎まれてるようだし、居心地が悪い。
「僕の方は特にないけど……そうだねぇ、じゃあ、留守の間に何かあったら連絡してね」
「分かりました」
 サボってもいいという許可が下りたようだ。事情を理解してくれる大人がいるってのは心強い。
 部屋を出る教授を見送って、この後どうするか、と考えを巡らせる。残念ながらバイトの指名は入っていない。NGの多いバリネコボーイなんてこんなモンだ。ゼミが終われば生徒も捌けるだろうから、こっそり研究室に籠もろうか。教授が帰るまで適当に時間を潰して――
 と、ここで卜部の顔が浮かんだ。アイツはどうしてるだろうか。暇潰しに軽く喋るくらいはしてもいいだろう。
「トモダチ、ね……」
 それくらいなら、許されるか。別に、俺がヘンな色気出さなきゃいいだけだ。ノンケだって分かってる相手に堕ちるほどバカじゃねぇだろ。
 ノンケに抱く恋心ほど虚しいものはない。それは身を以て知っている。伝えることすらできないまま終わるからな。もうあんな想いを抱えるのはゴメンだ。
 既に頭の中では警鐘が鳴り始めている。それを見なかったことにしているのは、人恋しさのせいだろう。『リョウ』じゃない俺が誰かと交流するなんて、もう起こらないだろうと諦めていたから。
 アイツとは『友人』でいればいい。何度も繰り返し自分に言い聞かせながら、俺はこの退屈な時間が過ぎ去るのを待っていた。

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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