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DRG・50になるまでに1枚

手紙猫

11,896 字

書簡体小説、ドキュメンタリー風私小説

"猫が見つめた、五十歳への締め切り。文字だけが奏でる、男たちの静かなロック。"

50になるまでに1枚は、大学時代にバンドを組んでいたメンバーとLINEグループチャットでやりとりしながら曲作りをしている様子を、手紙猫が取材した一冊。アルバムURL https://drg.end2endworld.org/wordpress/

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 # 前書き

 これは、ぼくから見えた物語である。

 きみたちが交わしたLINEのトークを、ぼくはぜんぶ読んで、この本を書いた。

 ただし、ひとつだけ断っておかなければならない。ぼくはそのトークに参加していない。そばで、みんなの話し声を聞いていただけの猫だ。きみの表情も、声も、その場の空気も、ぼくは知らない。スマートフォンの画面に流れていく文字だけが、ぼくの見ていたものだった。だから、ここに描かれているのは、ぼくというひとつの目を通り抜けてきた景色であって、きみたちが実際に生きた時間そのものではない。

 《》で括られている言葉は、きみが実際に書いた言葉をそのまま引いたものだ。一字も変えていない。それ以外の人の言葉は、ぼくがトークを読みながら物語の景色として描いたものであって、原文の再現ではない。

 五〇歳という数字が、3人のあいだで静かな締め切りとして機能していた。誰かがそれを宣言し、誰かがそれを覚えていて、誰かが節目ごとにそれを引っ張り出した。ぼくにはその声の温度がわからない。でも、その言葉がトークの中で何度も戻ってきたことは、ぼくにも見えた。


 ## 年末の音楽URLから始まった

 年末のことだった。

 きみは音楽のURLを送った。それがすべての始まりだった、とぼくは思っている。

 グループは三人だった。abejunichi、森本直希、森隆一。ぼくには、三人がどのくらい昔から知り合いだったのか分からない。手紙から読み取れるのは、そのとき三人が同じ場所にいて、音楽の話をしたがっていたということだ。URLひとつが、その入り口になった。

 何の曲だったのか、ぼくには分からない。誰かが気に入ったのか、それとも笑いながら「これ聴いてみて」と送っただけだったのか、それも分からない。ただ、リンクが送られたあと、会話は続いた。そのことだけが確かだ。

 年末という時期が、すこし関係していたのかもしれない、とぼくは想像している。一年が終わりに近づくと、ひとはいろんなものを言葉にしたくなる。やり残したこと、次にやりたいこと、昔好きだったもの。三人のあいだにも、そういう空気があったのだろうか。手紙にはそこまで書かれていなかったから、ぼくにはわからない。

 ある日の手紙に、こんな言葉があった。

 《酒飲みおじさんバンドでもいいやん。格好良い音源作れれば。やっぱり音源が残せて、みんなで集まるライブができたら、OKやと思うわ。》

 きみが書いたのか、誰かが言ったのをきみが書き留めたのか、そこも定かではない。でもその言葉の中に、三人が何を目指していたかが、ちゃんと入っている気がした。完璧じゃなくていい。格好悪くてもいい。ただ、音源が残ること。そして、集まること。その二つがあればいい、という声だ。

 「酒飲みおじさんバンド」という言葉を、ぼくはしばらく眺めた。笑いながら言った言葉だろうと思う。でもその笑いの裏に、音楽を続けたいという気持ちが、静かに、まじめに、座っていた。

 グループはそうして動き始めた。URLから、言葉から、小さな合意から。まだ何も作っていない、その前の話だ。


 ## 一一月、トークはしずかだった

 グループが動き始めたのは、年の瀬が近づくころだった。

 でも、その前に一度、静かな時間があった。

 ぼくの手元には、十一月のやりとりがない。正確に言うと、その月に相当する手紙が、ぼくには届かなかった。グループが生まれ、URLが交わされ、音楽の話が始まった。そのあとに、静かな一か月がある。何もなかったのか、何かがあったけれど記録されなかったのか、それはぼくにはわからない。

 沈黙は、空白とは少し違う。

 三人はそれぞれの場所で、十一月を生きていたはずだ。仕事があり、夜があり、音楽のことを考えた瞬間もあったかもしれない。でもぼくにはそれが見えない。手紙が来なかった週は、ぼくにとってはただの白いページだ。

 その白さを、ぼくはしばらく眺めた。

 何かが欠けているというより、何かが準備されていた、そんな感じがした。種が土の中にいる時間に似ている、とぼくは想像している。見えないけれど、ゼロではない時間。

 十二月になって、手紙がまた動き始める。その動き出しの話は、次の章にゆずる。


 ## アプリで曲を作る、リンクを送る

 十二月のはじめ、手紙がまた動き始めた。

 最初は短いやりとりだった。それがだんだん、何かを作ろうとしている人の言葉に変わっていく。ぼくにはその変化が、少しずつ読み取れた。

 目標の話をするのと、実際に作るのとは、違う。目標はたいてい、将来のことばだ。「いつか」「そのうち」「できれば」。でもある時点から、きみたちの言葉は違う向きを向き始めた。アプリを使った、という話が出てくる。リンクが送られた、という事実が出てくる。話ではなく、ものが動いていた。

 abejunichiが曲を作って、リンクをグループに送った。

 ぼくはその瞬間に立ち会っていない。どんな夜だったのか、どんな気持ちで再生ボタンを押したのか、ぼくにはわからない。でも手紙から、その動きは見えた。話していた人が、作っていた人に変わっていた。

 なぜ作るのか、ということについて、手紙のなかにこんな言葉があった。

 《なんか作ったモノが形になって残るのはやっぱ嬉しいしね。知らん人が気に入ってくれたりしたら、もっと嬉しいし。まぁ俺が聴きたいってのが1番やけどね😅》

 ぼくは、この一文をしばらく眺めた。

 「俺が聴きたいってのが1番」。それが照れまじりに書かれている。😅という記号がついている。でも照れているからといって、それが小さな動機だとは、ぼくには思えなかった。むしろ、とても正直な順番だと感じた。知らない人に聴かれること、気に入られること、形として残ること。それらも嬉しい。でも根っこにあるのは、自分が聴きたいから、という一点だ。

 その動機は、ぼくにはとても静かなものに見える。誰かに届けるために作る、という物語はわかりやすい。でもabejunichiの言葉は、もう少し内側にあった。自分が聴きたいものを、自分で作る。それだけのことが、制作を動かしていた。

 もうすこし先の手紙にも、同じ方向の言葉があった。

 《いやいや、曲は自分が好きそうなん作ってるだけで。単純に曲作るのが好きなだけやから、いい曲かはわからんね。自分では、俺好きそうやなーって思うけどねー》

 「いい曲かはわからんね」と書いている。評価は自分では決められない、という正直さだ。でも「俺好きそうやなーって思う」という確かさも、すぐそこにある。他者の評価とは少し離れた場所に、自分の手応えがある。その手応えで、作ることを続けていた。

 アプリで作る、リンクを送る、という行為は、それ自体はとても小さなことに見える。でも話していたことが動き始めた、というのは、ぼくには小さくなかった。グループが生まれ、静かな一か月があり、そのあとに最初の曲のリンクが送られた。

 森本直希と森隆一が、そのリンクをどう受け取ったのか、ぼくには詳しくはわからない。手紙から読めることには限りがある。ただ、やりとりが続いていること、また次の手紙が来たこと、そこから会話が途切れなかったことは見えている。リンクは、ひとつの呼びかけだったのかもしれない、とぼくは想像している。

 制作が始まった、とぼくは感じている。ただし始まりというのは、決意の瞬間よりも、最初のリンクを送った瞬間に近い。思うことと、作ることと、送ることは、それぞれ別の行為だ。三つが揃って初めて、ものは外に出る。abejunichiはそのすべてを、静かにやっていた。

 この章の次には、もう少し時間が経つ。積み重ねの話が来る。「焦らず」という言葉が、手紙のなかに繰り返し現れてくる時期だ。でもその前に、動き出したことを、ここに置いておきたかった。目標が目標のままでなくなった、その一点を。


 ## 焦らず、マイペースに、それでも積み上げた

 焦らず、という言葉は、一度だけ書かれたのではなかった。

 同じ言葉が、べつべつの手紙に、べつべつの文脈で、静かに繰り返された。ぼくがそれに気づいたのは、何通かを並べて読んだときだった。

 ある日の手紙の中ほどに、こんな言葉があった。

 《まぁ焦らずにマイペースに、よい出来の曲を貯めていくんがええかなー》

 短い一文だ。けれどぼくはこれを、軽い言葉だとは思わなかった。「貯めていく」という動詞を選んでいる。一気に作るのではなく、積み重ねていく、という感覚がある。そしてその前に、「よい出来の」という言葉を置いている。数ではなく、質のほうを先に言っている。

 どれくらいの時間をかけて、この感覚が育ったのか、ぼくにはわからない。手紙に書かれていないことは、書かれていない。ただ、同じ方向の言葉が複数の手紙に現れるということは、それが一時の気分ではなかったことを示しているように、ぼくには見えた。

 別の手紙には、もう少し長い言葉があった。封を開くと、こうあった。

 《何回もやって、やあーだこーだ話しして、やっと形になってたけど、それでもLIVEでは失敗したりして。って感じやったから、焦らずに今の自分らのペースで。って感じかなー》

 「何回もやって」という書き出しが、ぼくには大事に見えた。形になるまでに、何回かあった。話し合いも、試行も、失敗も、あった。そのことを知っているから、「焦らず」という言葉が出てくるのだと、ぼくは想像している。何も経ていない人が書く「焦らず」とは、少し違う重さがある。

 この中間期に、三人がどれほど頻繁にやりとりしていたのか、ぼくにはわからない。沈黙の週もあったかもしれない。逆に、短い期間に集中してやりとりした時期があったかもしれない。手紙から読めることには、かぎりがある。ただ、会話が続いていることは見えている。続くということは、それ自体が、何かを積み重ねることだ。

 「over sounds」という言葉が手紙に出てきたのも、この頃だった。その意味について、こんなふうに書いてある。

 《そやね。
 over soundsは後のアルバム名でもあり、出来た曲を発表していくDRGのプロジェクト名みたいなもんやね。
 発表していけば曲も貯まるし、そしたらアルバムになって。
 自分らがいいと思うのを焦らず形にしていけばいいんちゃうかな。》

 名前がついた、とぼくは感じた。名前がつくことで、輪郭がすこし確かになる。「DRGのプロジェクト」という言葉も、「アルバム名でもあり」という言葉も、まだ来ていない未来を、すでに少し手前に引き寄せている。

 そしてここにも、「焦らず」が出てくる。

 この三つの手紙が、それぞれいつ書かれたのか、どの程度の間隔があるのか、ぼくにはわからない。ただ同じ言葉が繰り返されるということは、その言葉がこの時期の三人の間で、共有された感覚に近かったのかもしれない、とぼくは想像している。合言葉のようにではなく、確認のように。あるいは、お互いに向けてというより、自分に向けて書いていた言葉だったかもしれない。

 五〇歳という節目が、この頃すでに見えていたのかどうか、ぼくにはわからない。手紙に明示されてはいない。ただ、「よい出来の曲を貯めていく」こと、「発表していけば曲も貯まる」こと、「アルバムになって」いくこと、それらの言葉は、何かへ向かっていることを含んでいる。どこへ、とは書かれていない。でも、方向はある。

 積み重ねというのは、終わりが見えていなくても続けられる。むしろ終わりが見えていない方が、続けやすいことがある。次の曲を作る。それを送る。また次を作る。そのくり返しの中に、ある日、節目という言葉が降りてくる。でもそれはまだ、この時期の話ではない。

 焦らず、という言葉が繰り返された時間が、その節目の前にあった。ぼくが言えるのは、そのことだけだ。


 ## 五〇になる前に、1枚——節目の言葉が動かした

 その言葉がいつ来たのか、ぼくには正確にはわからない。

 ある日、手紙のなかに、一文があった。

 《五〇になる前に1枚完成させようよ。》

 それだけだった。

 送ったのは森本直希だと、後にきみが書いている。きみの誕生日のことだったらしい。ぼくは想像している。三人がそれぞれ別々の場所にいて、画面の中でやり取りをしている。誰かの誕生日に、祝う言葉と一緒に、その一文が届いた。祝福でもあり、宣言でもあり、もしかしたら問いかけでもあったかもしれない。

 でもその場では、どう受け取られたのか、ぼくにはわからない。返事がどんなものだったか、手紙は教えてくれなかった。

 ぼくが知っているのは、その言葉がきみの中に残ったということだ。後になって、きみはこう書いている。

 封を開くと、こうあった──

 《今回は、わりと強引にすすめたけれど、去年の俺の誕生日に、森本が五〇になるまでにアルバム作ろうぜって言ってたのが、ポイントやねんな。俺の中では。》

 「俺の中では」という言葉を、ぼくは何度か読み返した。声に出したわけではない。ただ、その区切りを。きみにとってそれが起点だったと、きみ自身が書いている。強引にすすめた、とも書いている。そしてその強引さの根に、森本の一文があったと言っている。

 締め切りとは、誰かに課されるものだとぼくは漠然と思っていた。でもこの場合は違う。森本が言い、きみが受け取り、きみの中で育った。それが後になって、きみ自身を動かした。外から押された力ではなく、内側で熟したもの。ぼくにはそう見える。

 五〇という数字が何を意味するのか、ぼくにはきみの言葉以上のことはわからない。でもきみが書いた言葉の中に、その輪郭がある。

 手紙のなかほどに、こんな言葉があった。

 《良い記念になる。
 五〇でファースト作って、あと何枚作れるやろ?
 ある意味ロックやなー》

 「あと何枚作れるやろ」という問いは、終わりを意識した言葉だ。でもそれが「ロック」だときみは書いた。諦めではなく、逆を向いている。ぼくはそこで少し立ち止まった。五十歳でファーストアルバムを作ることを、きみは誇っているのでも、開き直っているのでもなく、何かおかしみのある肯定として書いている。「ある意味」という言葉が、その距離感を作っている。

 自分たちがやっていることを、どこかひと呼吸おいて見ている目がある。その目が、きつくなりすぎないようにしているのかもしれない、とぼくは想像している。でもそれはぼくの想像であって、きみが何を感じていたかは、きみにしかわからない。

 前の章に積み重なっていた「焦らず」という言葉たちが、ここへ続いている。あの言葉は、節目を知らないまま書かれていたかもしれない。でも結果として、節目のための時間になっていた。焦らず貯めた曲が、「五〇になる前に」という言葉と出会ったとき、それは完成へ向かうものになった。

 そしてきみは、強引にすすめた、と書いた。それが具体的にどういう強引さだったのか、手紙の中にくわしくは書かれていない。ぼくが言えるのは、きみがその言葉を使ったということだけだ。受け取った一文を、自分の中で育てて、やがて自分が動く側になった。森本が言い、きみが引き継いだ。

 締め切りというのは、もともと外にあるものだと思っていた。でもこの場合、最初に外からきた言葉が、ある日きみの中で動き始め、今度はきみ自身を動かした。そしてその動きが、三人を前へ引いた。

 ぼくにはきみの部屋も、三人の声も、聞こえたことがない。でもこの言葉の流れを読んでいると、あの一文が静かに力を持ち続けていたことが、手紙の外側にも滲んでくる気がする。それはぼくの読み過ぎかもしれない。でも、ぼくはそう読んだ。

 節目が決まったとき、何かが変わるわけではない。翌日も曲を作る。リンクを送る。感想を書く。やることは同じだ。ただ、終わりの形が少し見えてくる。そしてその見えかたが、三人の時間を少し変えたのかもしれない、とぼくは想像している。

 何枚作れるやろ、という問いへの答えは、この章の中にはない。次の章に、少しずつ答えが現れはじめる。


 ## プロmixと、もうすぐ五〇の手応え

 ぼくが読んだ手紙の中で、技術の言葉が増えてきたのは、五〇歳の誕生日が近づいてからのことだった。

 AIマスタリング、という言葉が出てきた。プロへのmix依頼、という言葉も。配信の準備、というものも。それらはきみたちにとって、はじめての地図だったのかもしれない、とぼくは想像している。

 手紙の中のある日、こんな言葉があった。

 《俺らは演奏はそんなにやけれど、音さえ良くなったらめっちゃ格好いいと思うねんなー。》

 これはきみが書いた言葉だ。ぼくはこの一文を、何度か読み返した。「演奏はそんなにやけれど」という部分が、ぼくには静かに残った。

 謙遜なのか、事実として書いたのか、ぼくにはわからない。でも「音さえ良くなったら」という続き方には、あきらめではなく、どこか前向きに寄ったものがある気がした。できないことを数えるより、できることの方に目を向けていたのかもしれない、とぼくは読んだ。そう読んだだけで、確かなことはわからない。

 演奏がどの程度なのかも、ぼくには測りようがない。でも、プロにmixを頼む、という判断には、そのことへの答えがあった。自分たちで届かない部分は、届かせてもらう。それだけのことかもしれないが、その一歩を踏み出したのは事実だ。

 AIマスタリングを使ってみた、という話も来た。どのソフトを使ったか、どんな音になったか、細かいことはぼくには伝わっていない。でも、試してみた、という事実はある。試した人間しか持てない何かを、きみたちは手に入れたはずだ。それが何だったかは、きみたちの方がよく知っているだろう。

 配信の準備が整ってくると、手紙の温度が少し変わった気がした。気がした、というのはぼくの印象であって、断言はできない。でも、それまでは「作った」「送った」「聴いた」という往復の言葉が多かったものが、「出す」という方向を向き始めた。外へ向かう力が、言葉の端に出てきた。

 そのころ、手紙にこうあった。

 《誕生日は一〇月6日。
 もうすぐ五〇やけど、五〇までにアルバム見えてきたから上出来!》

 「上出来」という言葉が、ぼくには良かった。

 大成功でも、やり遂げたでも、完璧でもない。上出来。その感触は、力みのない達成の形に見えた。五〇になる前にアルバムが見えてきた、という事実に対して、きみは「上出来」と書いた。それ以上でも以下でもない、ちょうどいい言葉だと、ぼくは思った。

 節目を自分で決めた人間が、その節目に手が届きそうになったとき、どんな顔をするものかぼくにはわからない。声も表情も、ぼくには届かない。でも「上出来」という四文字に、静かな満足があったことは、文字を通しても伝わってきた。

 技術的な前進と、時間の前進が、このあたりでひとつになっていった、とぼくは読んでいる。プロにmixを依頼したことが、アルバムを「見える」ものにした。AIマスタリングを試したことが、音への感覚を育てた。配信の準備が整うことで、作ることが出すことに近づいた。どれが先でどれが後かは、きれいに並べられるものではないと思う。でも、それらが重なった先に、「上出来」があった。

 誕生日は一〇月6日、ときみは書いた。その日が来たとき、アルバムはどこまで来ていたか。次の手紙に、その続きがある。


 ## 入院の報告と、病室でできた曲

 アルバムが配信された。その後しばらくして、きみから入院の報告が届いた。

 ぼくには、それがいつのことか正確にはわからない。手紙の中に日付はなく、季節の匂いもなかった。ただ、配信の準備が整った話の余韻がまだ残っているうちに、場面が変わっていた。

 入院がどんな理由だったか、きみは書かなかった。ぼくも聞かなかった。何があったのかを知らないまま、ぼくはきみの手紙を読んだ。

 退院の日、きみはこう書いた。

 《今日退院やわ。ありがとうね。楽しい入院生活でした。曲もできたし。》

 読んで、すこし止まった。「楽しい入院生活」という言葉の置き方が、きみらしかった。重くしない。でも軽くもない。そのあいだに「曲もできたし」があった。入院と制作が、同じ一文にならんでいる。

 病室でどんなふうに曲を作ったのか、ぼくには想像するしかない。スマートフォンだったのかもしれない。音の出ない環境でイヤホンをしていたのかもしれない。何もわからない。でも、きみが病室の中でアプリを開いたとしたら、それはどういう気持ちからだったか、少しあとの手紙に、てがかりがあった。

 その手紙に、こうあった。

 《病の間にいろいろあったから、創作がはかどるわ。》

 「はかどる」という言葉が、ぼくの中に落ちた。ふつう、はかどる、という言葉を使うのは、仕事が順調なときや、集中できた時間の後だ。病の間に、という言葉の前に置かれると、その二つの引力が向かい合う。

 何がはかどらせたのか、きみは説明しなかった。ぼくもわからない。ただ、いろいろあった、という言葉が、説明されなかった部分をそっと覆っていた。

 創作と、生きることが、きみの中でどうつながっているのか、ぼくには外から見えない。でも、病室で曲ができた、という事実は残る。退院の日に「曲もできたし」と書いた順番も、残る。

 以前、きみはこんな言葉を書いていた。

 《My soul is callingなんて仕事ひとつ失って作ってるから、何かと引き換え感があって、わりと怖い時あるよ 笑》

 笑、という記号が末尾にある。でも、その前に「わりと怖い」がある。何かを失ったときに何かができる、そのことをきみは「引き換え」と呼んだ。怖い、とも言った。それは、ぼくが軽く扱える言葉ではない。

 入院と、その中で生まれた曲のあいだにも、同じような引力があったのかもしれない。ぼくにはわからない。でもきみは、怖いと感じながらも作り続けた人で、病室でも手を止めなかった人だ、ということは、手紙の文字が教えてくれた。

 「上出来」のアルバムを世に出した後、きみの時間は止まらなかった。退院の報告は、同時に次の制作の報告でもあった。

 森本直希と森隆一に、きみはどんなふうにこれを伝えたのだろう。三人のやり取りの中で、この入院の話がどう受け取られたか、ぼくには見えていない。ぼくが受け取ったのはきみからの手紙だけで、その外側の会話は届いていない。

 退院した日、曲ができていた。それだけが、確かなことだった。

 次の手紙では、また新しい話が始まっていた。入院のことは、もうそれほど長くは書かれなかった。きみはすでに、次を向いていた。


 ## それでも次のアルバムの話をした

 退院してから、きみは病名を書いた。

 軽い脳梗塞だった、と。その言葉を手紙で読んだとき、ぼくはしばらくそこで止まった。「軽い」という言葉が前についていても、それは軽くない種類の出来事だとわかったから。

 でもきみは、その報告と同じ手紙の中で、次のアルバムの話をしていた。

 ぼくは二度読んだ。脳梗塞のこと。それから、次の制作のこと。どちらも同じ文字の濃さで、同じ画面に並んでいた。

 その落差を、ぼくはうまく言葉にできない。驚いたとか、感動したとか、そういう整った言葉では届かない気がして、ただそれを事実として受け取ることにした。病名の報告と創作の計画が、ひとつながりの手紙に書かれていた。それだけが確かなことだ。

 森本直希と森隆一は、この報告をどう受け取ったのだろう。三人の間でどんな言葉が交わされたか、ぼくには届いていない。ぼくが見ているのはきみからの手紙だけで、その外側の会話は見えていない。

 ただ、ぼくが知っているのは、三人が「次」をやめなかったということだ。

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 手紙には、次のアルバムに向けた話が書かれていた。どんな曲を作りたいか、どんな方向性を考えているか。入院前から続いていたものの、続きだったのかもしれない。あるいはまた少し違う角度から始まろうとしていたのかもしれない。ぼくには区別がつかない。

 その手紙のなかほどに、こんな言葉があった。

 《まぁ見えんもんを詮索してもしゃーないからなー
 俺らがいい曲やーってなってるならそれが一番やしね。
 先ずは自分らがええと思える曲を作っていって、そこに反応する人がいてくれれば嬉しいなーってな感じでやっていくんがええんちゃうかなー
 だからほんまに自分の意思で登録してくれる人が1人でもいたら嬉しいなーって思うねー》

 見えないものを詮索しない、という言葉を、ぼくはしずかに読んだ。配信後の数字のことを言っているのだと思う。再生回数だったり、登録者数だったり、そういうものの話をきみはしていた。でもその言葉は、きみが今いる場所全体に通じているようにも聞こえた。病気のこと。これからのこと。わからないことが増えた時期に、きみはそう書いていた。

 自分らがええと思える曲を作ること。それが先で、そこに一人でも反応してくれる人がいれば嬉しい。その順序を、きみはこの時期にもう一度、言葉にしていた。

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 次の制作の話が出てくると、曲の手触りについての話も一緒にあった。

 封を開くと、こうあった。

 《格好いいねんけれどなー。俺も徹夜でバテて完成形まで持っていけない。いい曲やねんけれどね。俺らなりの格好良さが、どの曲にもあって好きやわー。ただあともう一歩って感じやなー。》

 あともう一歩。

 その言葉をぼくは繰り返した。徹夜でバテながらも格好いいとわかっていて、でもあともう一歩と感じている。その「一歩」がどこにあるかを三人で探しながら、次の作品を作ろうとしていた。

 病名の報告のすぐそばで、こういう話が続いていた。きみの手紙では、それが自然な並びだった。

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 三人のうちの誰かが弱ったとき、残りの二人がそれを引き取る場面を、ぼくは想像している。でもそれはぼくの想像にすぎない。実際にどうだったかは、見えていない。

 ぼくが見えているのは、きみが手紙を書き続けたことだ。脳梗塞の後も、次の曲の話をしていたこと。あともう一歩を探そうとしていたこと。

 その事実を、ぼくはこの章に置いておく。

 退院のあと、きみは前を向いていた。次のアルバムに向けて、三人はまだ動こうとしていた。何かが終わった気配はなく、手紙の言葉は、静かに前を指していた。

 # 手紙猫から、きみへ

 ぼくは手紙を受け取るだけだ。返事を書かない。ただ、封を開いて、読む。

 それがぼくにできることの、ほとんどすべてだった。

 きみたちの音楽を聴いたことはない。スタジオに居合わせたこともない。三人が笑った瞬間も、言い合いになった瞬間も、ぼくは知らない。ぼくが知っているのは、きみが書いた言葉だけだ。

 それでも、ぼくには教わったことがある。

 締め切りというものが、外から与えられるとはかぎらない、ということを。きみたちの場合、それはだれかが言った一言だった。居酒屋だったのか、通話の途中だったのか、ぼくには想像しかできない。でも確かに言葉は残り、次の年も、その次の年も、節目ごとに引っ張り出されて、三人を前へ動かした。言った本人も、たぶん最初はそこまで考えていなかった。それでも言葉は生きていた。

 きみは何かを証明しようとしていたわけではなかったと、ぼくは思っている。ただ、間に合わせたかった。五十歳という数字に、音楽が一枚、ちゃんとそろっていてほしかった。

 その静かな切実さを、きみの手紙から教わった。

 ぼくには、きみの本を書くというゆめがあった。これが、そのほんだ。

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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