1
薄墨家長男として産まれ落ちた此の身には、父譲りの魔が宿っていました。
幼い私には父の背中はいっそう大きく見えていました。其の躰でよろづ屋なるものを営む傍ら、近所の人らと積極的に交流をし、「貴方が院に入ってくれれば」と幾度となく言われていたのをよく覚えています。父はよく言っていました。革命を起こすと。私ばかりよろづ屋の仕事で連れ回すのは、此の身に宿る魔が影響していたのでしょうか。しかしその頃の私にはそれすら自覚がありませんでした。父は家では冷たく、外ではよく笑う人でした。私の前ではそのふたつの顔を使い分けていました。今となっては、彼のお陰で今の私があるのだと痛感しています。
二月以上の渡航によって仏蘭西の港町へ来た私は先ず手紙の主を捜しました。手紙は渡航する切っ掛けとなった私のよろづ屋としての仕事依頼について記されていました。父は私に行きなさいと言いました。父に言われてきたと言われればそうかもしれませんが、仏蘭西からわざわざ指名を受けるとは由々しき事態だと、そして何よりも私は出来た人間ではありませんから面白がっていた面もあったでしょう。そうしてやってきた港町は日本と違った匂い、東京では見た事のないその土地に深く根づいた暮らしの気配を目の当たりにし、全身の筋肉が脱力する思いでした。一人一人に声を掛け、二人三人程で同封されていた簡易地図の意味がはっきり理解出来ました。独逸との境にある山の奥に其の人は居ると聞き、山を登る様な格好ではありませんでしたが、意を決して向かいました。
山は整備されている訳ではなく、とは言え全く道が無いわけでもありませんでしたがひたすら獣道を進み、折角仕立てて貰った背広や磨かれた靴は直ぐに汚れてしまいましたが、聞いた通り大きな館を見つける事が出来ました。
植物に侵食された館は本当に人が住んでいるのかと疑いたくなるほど全く手入れがされておらず、気配すら感じませんでしたから、恐る恐る扉を叩いてみました。反応が返ってくる事も無く、ドアノブを回し開ける事にしました。扉はすんなり開き、私は生唾を飲み込み一歩踏み出しました。
視界に広がったのは浮遊する本の数々、私を認識したのか此方に向かって美しくお辞儀をするサモトラケのニケに似た頭部の無い片翼の天使の彫像、壁に飾られた絵画も意志を持って動いているかのようでした。何より驚愕したのは一階から三階の隅々まで広がる本棚の海でした。天井は吹き抜けとなっており、外観の館とは明らかに奥行きや高さが違う内装に、開いた口が塞がらないとは正に此の事だと思いました。
しかし私はこの幻想の様な不思議な空間を見て、ふと父を思い出したのです。彼は失せ物探しが得意でした。その場から動かずに依頼人の捜す物を捜し出し、皆をあっと驚かせていました。勿論私も例外ではありませんでした。其れは若しかして此の様な事象を裏付ける物、何かしら関連があるのでは無いかと思いました。
すると本棚の影からすっと、女が現れました。女は端正な顔立ちで肌は透き通って陶器の様に白く、血の通った人間であるのか訝しく思いました。女は私に「いらっしゃい」と感情の無い美しい声で言いました。
「待っていたわ、界」
此方へ、と呆気に取られた私を女は誘導しました。名前を言うまでもなく知っているということに少々驚きましたが依頼人であれば知っていてもおかしくない、とは言えどうやって調べたのかは甚だ疑問でしたが、今はただ彼女の言う通りにすべきと考え、素直について行きました。
彫像の方へ真っ直ぐ歩いて行くとその周囲は広い空間が出来ており、帳場と見られる卓上には洋書がこれでもかと言うほど山積みにされており、近くには羽箒が乱雑に置かれていました。この文庫は彼女一人で管理しているのだろうかと一瞬頭を悩ませますと、帳場を通り過ぎるまま彼女は「あと二人いるのよ」と言いました。私は何も質問をしたわけではありませんでしたが、後でたっぷり聞いてやろうと「そうですか」などと他愛の無い返事をしました。
暫く本棚の合間を縫う様に歩きますと、壁際のある本棚の前で立ち止まりました。女の様子を後ろから眺めていますと彼女は何か手元を動かし、がしゃんと大きな音がしたかと思えば、本棚はまるで引き戸のように其の細い腕の思う儘に動かされました。先程見た物とは違い、絡繰屋敷の様な幾分か構造が私でも解りそうな隠し扉が出てきたものですから、少し拍子抜けしつつも再び彼女の後を追いました。
隠し扉の先は私の親戚や他の邸宅で見た事のある様な至って普通のとは言え凡庸という訳でもない西欧建築の広々とした廊下が伸びていました。女は均等に並ぶ扉の一つに立ち止まり、辺りを見回しながら着いていた私を待っていました。愛想笑いを浮かべて頭を軽く下げましたが謝罪の意は伝わらなかったか、はたまた何とも感じていないのか、「ここよ」と一言言うと中へ私を招き入れました。
中は応接室の様でした。先程言っていた二人と思われる少女たちが先回りして茶の準備をしている様子でしたが、入口で見た様に物を浮かせて作業をしていました。正直に私は手で淹れた方が早いのでは無いだろうかと思いましたがこれは飲み込みました。
席に案内され、促されるままに座り、珈琲が目の前に出されました。私は過去に飲んだことがありましたが、あの時は親戚の家でしたし周囲に気を配っていた事もあり、あまり味を覚えていませんでした。珈琲の独特の香りが湯気と共に鼻腔をくすぐり、渡航で疲れた躰は此れを欲する様に手を伸ばしていました。そっと口にひとくち流し込みますと、酸味と苦味が口の中に広がり、然して躰に染み渡っていき、思わず私は息をついて落ち着いてしまっていました。
一連の様子を向かいの席で美しく座る無表情の女は眺めていましたが、私は何故だか羞恥心を感じ、ひとつ咳払いをしました。
「それで、先ずは貴女自身の事、次に依頼内容についてもう一度伺っても宜しいでしょうか。」
得意の笑みで仕切り直しましたが、優雅に顔色ひとつ変えずに咖啡を飲む目の前の女に少々腹を立てておりましたが、隣で不思議そうに見つめてくる快活そうな少女の事も気になって仕方がありませんでした。女はカップを置き、姿勢を直すと間を置いて語りました。
「私はララ。此の屋敷の主で、Bibliothèque enchantéeの管理人と言ったところかしら。」
Bibliothèque enchantéeと聞き取れましたが、「Bibliothèque」は書籍館でしょうか。しかしその次のenchantéeは私には聞き取る事は出来ても意味までは判りませんでした。
しかしララという此の女は瞳にすら感情が宿っていない様に見えました。人形と対面している様な不気味さと、精巧な人形特有の美しさだけではなく何らかの魅力が感じられましたが、其れ自体は館の現象との結び付きが解りませんでした。只彼女は続けて、「あなたの国の言葉で表すならば」と前置きをし、「妖術に掛かった文庫の管理人、で通じるかしら」と付け加えました。妖術、古くから知られておりますが如何せん私は外つ国の学問をよく学んでおりましたから全く関わりの無い絵空事の様な話に聞こえておりました。とはいえ此の時一人でに動く物体を目にしていましたから、昔から聞く伝承物語等々の話も一部は本物だったのでは無いかとさえ思えてしまいました。館の入り口の本や絵画や彫像はあの吹き抜けや本棚を使った仕掛けでは到底説明出来ない程意思を持って動いていたと断言出来ますから、「ああ、なるほど」と彼女の話を聞き腑に落ちました。
「それで、私の隣にいるのがアルベリ」とララが言いますと、アルベリと呼ばれた少女は此方に向き直り軽く頭を下げました。「界の隣にいるのがフレジーアよ」と続けて言いますと、フレジーアは此方をじっと見て笑顔になりまして、「あなたの事も知りたい」「どこから来たの?」などと詰め寄って来るものですから、見兼ねたララが「はしたないわよ」と言ってその不思議な力でフレジーアを椅子に座り直させました。不服そうなフレジーアを尻目に、ララは「どこから話しましょうか」と目を伏せました。
2
国際便が届きましたのは九月の十六日頃でしたでしょうか。仏蘭西の美しい言葉で記された其れは父の元に届きました。しかし父は其れを私に託したのです。何故かと問うと、父は私にだけ見せる満面の笑みで「俺は此処から出たくねえんだ」と言いました。父は真っ直ぐな性格でしたが器用な人でもありました。然し私の前では他の一般家庭で見られる父親の様に頑固な面もありましたが、時代に合わない頑固さでした。周囲の社会主義をものともせず、個人主義を貫いておりました。親戚の前で祖父や大祖父から説教を喰らう父の背中を私は幾度と無く見てきました。
父に託された其れには便箋が二枚同封されておりました。一枚は依頼文の書かれたもの、もう一枚がとても簡易的な地図でした。地図だと判るのに少々手間取ったほどでしたが、問題は依頼内容でした。「J'ai besoin de votre aide à Sainte-Coqui, ville portuaire française. L'endroit est indiqué sur la carte. Je vous en prie, aidez-moi.」要するに、「この場所へ来て私を助けてください」と書かれていたのです。
「判ると思うけれど、依頼は私が出したわ。書いた物以上の事は、もう少し私の話をする必要がありそうね。」
ララはそう話すと、手を前に翳しました。宙に向けて掌を出し、何かを持つ動作をしますと、「此れが見えるかしら」と私に問いました。然し此れと言うにも何かを持つ様な手しか見えておりませんから、「いえ」と返しますと、「此の手の上をじっと凝視してみて」とララは続けました。何事か、何か試されているのかとも思いましたが只言われた通りにしてみる事にしました。暫く凝視してみますと彼女の手には小さな箱が握られているのが解りました。私は驚きました。何も無い空間から突如として現れたのです。此れこそが妖術と言う物なのでしょうかと、恐る恐る「此れは?」と聞く私に、ララは語り出しました。
「私は魔女。此処で町の人々の願いを聞き、其れを叶えるのが役目だったわ。彼らの願いを聞き入れる代わりに、代償として一つずつ感情を貰うの。そして其の感情は此のホワイトボックスに溜まっていく。けれど此れが溜まったらどうなるかは、私も判らないわ。」
西洋における魔女は聞いた事はありますが、全く良い印象を与える存在では無かったと聞きます。只此の町では魔女と言う存在とはかなり近い距離感に居た事が伺えました。とは言え館への行き方を聞いた際に全員に「気をつけろよ」と注意を受けまして山の事を言っているのだとばかり思っていましたが、彼女の存在を危惧して私に伝えたのでしょうか。ホワイトボックスに関しては本当に言葉以上の理解が出来ませんでした。感情を摘み取って溜めていく事に何の効果があるというのでしょう。そもそもそんな事が可能なのでしょうか。然し彼女の手にある透明な硝子で出来た様な箱には五糎程の青黒い嵩が有りました。物的証拠を示されて仕舞えば納得せざるを得ないでしょう。其れも本当に出来て仕舞うと確信する力が此の館には有りましたから、彼女の言葉は一旦飲み込む事にしました。彼女は私の反応を見て手を下ろすと言葉を続けました。
「其れで手伝って欲しい、と言うのは──実は、私には此処から出る術は無いの。アルベリとフレジーアが基本的な身の回りの世話や買い物、掃除、文庫管理の手伝いをしてくれるけれど、此の子達は力が弱いから町の事まで関与させる訳にはいかないの。」
私はアルベリとフレジーアを交互に見ました。私より一回り下の年代に見える彼女たちがそこまでの手伝いをして生活をしているのは少々驚く部分もありましたが、内容は兎も角そう言った少女は日本にも居る事でしょうが問題は「町の事」だと思いました。何か問題を抱えている町と言う事でしょうがざっと見た時は特に何も感じられませんでした。
「町の事と言うのはどう言った事でしょうか。」
私が問いますとララは「なら次はこの町について話すわね」と前置きをしました。
「此のサント・コキーは物理的に他の町と切り離された辺境の地、山と海に囲まれた港町で、大昔から海と山と共に生活していた。此の町には教会があるわ。その教会ではクルルッタ教と言う宗教団体が生活しているの。其れ自体は悪い事では無いし、彼等は寧ろ町の為に良く動いてくれているわ。けれどね。」
そこまで言いますと一度呼吸を整え、再度続けました。
「其の団体から独立した人が居て、其の人が悪さをしているみたいなの。」と言いました。
ある程度の学問は学んでおりましたし宗教に関しても外つ国と関わる上で知識は重要だと思いまして其れ也には知識は在ると自負しておりますが、其の様な宗教団体は聞いた事がありませんでした。辺境の地ならではの物なのでしょう。然し神を建前に悪さをするとは赦されるべきでは無いでしょう。
「其の宗教について詳しく伺っても宜しいでしょうか。」
「そうね。けれど貴方には先ず“魔法”を知って貰わないとね。」
そう返されてしまいました。
「魔法ですか?」と聞き返しますと、ララはひとつ息を吐きますと立ち上がりました。
「兎も角、今日は休まれたらどうかしら。疲れているでしょうし、話しているだけでは何も進まないしね。」
言うとララはアルベリを傍に呼び何言か伝えますと、私の元へ歩み寄って来て「部屋に案内します。」と言ってきました。一先ず此の日は情報を整理してから休む事にしました。
部屋を出て右手側に進んで行きますと、アルベリは立ち止まりました。突き当たりの部屋がどうやら私に用意された部屋の様でした。「此処です。」と言いますと、扉を開け、中へ入るよう促してきましたので私はそのまま中へ入りました。
「夕食の時間に呼びに来ますね。その後風呂場なども案内します。」
「忝ない。」
「失礼します。」と淡白に会話を交わしますと、アルベリは扉を閉め、部屋には私一人が取り残されました。ふぅ、と息を吐き脱力する感覚がしましたが、先ずは情報整理をしなければなりませんでした。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。