これは今より遠い、太古の昔にいた少女と少年のお話です。
欧州辺りの集落に、それは大層美しい少女がおりました。
メレーという名のその少女は家族にもひどく愛され、集落の人々からもよく頼られるような、愛される存在でした。
「メレー! また服作るの手伝ってくれない?」
「任せてください! お洋服作るの得意ですから!」
「頼もしいねぇ!」
持ち前の性格と明るさに、人々は彼女に惹かれていました。
とある日のことです。
三人の子供を持つ母であるガルと共に、彼女の自宅で衣服を制作していると、「あんた、もうすぐ成人だろう? 早いもんだねぇ」とガルはメレーの背中を叩いて大笑いしました。
「そうですね! 楽しみだなぁ」
「儀式なんて大層なもんじゃないけど、冠とドレスが渡されるんだったかな。あたしたちが腕によりをかけて作るから、楽しみにしてな!」
「はい!」
成人の儀式。それは、十五歳を迎えた子供たちを祝福する大切な儀式であり、当人たちがとても楽しみにしている日でした。メレーももうすぐ成人を迎え、大人の仲間入りを果たします。
待ち焦がれるその日を胸に、メレーは本日も農作の手伝いや集落の人々を手伝います。
「なあ、メレー! もうすぐ俺たち成人だろ? もう相手は決まったのか?」
メレーが畑の雑草を抜いていると、つるはしを携えて歩み寄ってくる少年はそんなことを言いました。
メレーは立ち上がり、きょとんとしながら、「相手って、なんのこと?」と聞き返しました。
「とぼけるなよな! お前ほどの美人なんて男が取り合うに決まってんだからさ、結婚相手くらいいるだろ?」
そんな話をされたメレーの頬はさらに血色が良くなりました。
「あ、あら……そんな人、いないわ!」
恥ずかしくなったメレーは少年から目を逸らし、その場を早く立ち去ろうと踵を返します。
少年は逃さないとばかりにメレーの目の前に立ちはだかります。
「じゃあ、俺は? 俺はだめ?」
必死な少年の様子に困惑しつつも、首を横に振って少年の横を通り過ぎます。
「……誰なら」
悲しげに、少女の背中を見つめつつ、つるはしを握り締めました。
場所を変えて雑草を抜いていましたが、先程の少年が言っていた言葉が頭の中で反芻していました。
(結婚相手、……。)
成人の儀式とはまた別に、心に決めた相手と結婚を交わす決まりがありました。ほとんどの場合、長が決めた相手と結ばれますが、メレーの場合は違うようでした。
メレーは集落の人々から愛される存在。一際目立つ可憐な少女、誰もが彼女と結ばれることを願っていたも同然でした。少女自身が結ばれる相手を決めることを唯一許されているのも、集落の人々の合意の上。とはいえ、彼女自身が決めなければならないので気が乗らない様子でした。
十五歳という若さで将来を共にする相手を決めるのはあまりにも難しい、メレーはそう感じていました。
時には少年たちに囲まれ、求婚されることもありました。体を強要されることだってありました。そんな誰にも言えないような悩みを抱えていたメレーにとって、成人の儀式は待ち遠しくも、来て欲しくない、そう思ってしまうこともありました。
そうして、その日がやってきました。
儀式を行う広場には多くの人々が集まっておりました。
美しい花々で彩られた広場、中央には王冠やドレスが並び、その前に成人する子供達が並んで受け取る流れでしたが、メレーは列の最後に並んでおりました。
歓声が上がる中、王冠を受け取り、たちまち笑顔になっていく彼らを見て微笑ましく思っていると、「メレー、君の番だよ」と声を掛けられました。
「おめでとう。君に祝福を」
「ありがとうございます」
王冠を受け取り、ドレスを上から被りました。その途端に一斉に歓声が大きくなりました。
「メレー! おめでとう!」と口々に発せられる言葉たちを聞き、いっそう笑顔になりました。
一人の男から担ぎ上げられるとまた歓声が上がり、今日一番の主役だ、と男は叫びました。
なんだか申し訳なくなってきたメレーですが、彼らの楽しそうにしているところを見ると、このままでも良いのだろうかと考え始めました。
すると、人集りの影に見知らぬ人がいることに気が付きました。
肩から下ろしてもらうと、すぐにいなくなってしまったその影を追いました。
しかしどこにも先程の影はありません。
見間違いかとも思いましたが、目が合った気がしたのです。
とても美しい少年だと思いました。布を被っておりましたが、メレーには分かりました。
彼と一度会ってみたい。そう思い始めたのです。
物陰に隠れてしまったかしらと辺りを探していると、突然背後から抱きしめられました。
「えっ」
「しっ、大きな声出さないで。お願い、一生のお願いだから」
その声はあの時ツルハシを担いで結婚相手について聞いてきた少年でした。
「何をでしょう?」
「君と一度でも交わりたいって思うのはここの人間の男なら誰でもそうだろう?」
少年の言葉にどきりとしました。
今度こそ自分の身が危ういと感じたメレーは少年を突き飛ばし、集落の外へ走りました。
「待ってくれ、メレー!」
少年の言葉に耳を貸すことはなく、儀式の途中でありながら逃げ出しました。
彼が諦めてくれるまで戻れないかもしれないと途方に暮れていると、急に胸が苦しくなり、咳き込み始めました。
こんなに苦しいのは初めてでした。
悪魔に憑かれてしまったのか、と膝をつき、どうにか落ち着かせると周囲を見回しました。
集落の外はあまり行ったことがありません。
雑木林や手入れのされていない道が彼女を迎えます。
不気味に思っていると、先程見かけた少年がいました。
大きな籠を背に、山菜を採ってきたのだということがわかりました。
メレーはこっそり少年に近づきました。
「あの」
そして声を掛けました。
「えっ、あ」
少年はメレーに気付くと、一目散に走り去ってしまいました。
「待ってください! 一度あなたとお話してみたくて!」
少年の背に向けて叫びましたが、強く言葉を発したせいか、また咳き込み始めてしまいました。苦しくて蹲っていると、少年が戻ってきました。
あの時と同じ布を被っておりました。
「大丈夫、ですか?」
顔を隠しながら、少年はメレーに手を差し伸べました。
メレーはその瞬間、少年の顔がちらりと見えてしまいました。
やはり顔の整った美しい少年でした。一つだけ気になるとすれば、顔の火傷痕。しかしメレーは全く気にする様子もなく、少年の手を取りました。
立ち上がると少年に微笑みかけ、「ありがとうございます!」とお礼を言った。
「あの、どうしてお顔を隠しているのでしょうか?」
メレーは気になっていたことを聞きました。
少年はメレーから顔を背けると、「醜いから」とだけ答えました。
その様子に、メレーは少し間を置いて言いました。
「私、あの時あなたと目が合った気がします」
少年は目を見開き驚きました。
「とても美しい方だと思っていて、私と同じくらいかと思っていたのですが儀式には参加しないのですか?」
メレーはただ純粋に少年と仲良くなりたいと思っていました。
しかし少年はメレーの言葉に動揺していました。
「う、美しい?」
「はい」
「……どこがでしょう? 僕は」
「あなたはとても美しいと思います。お顔、ちゃんと見せていただけませんか?」
「……」
「ダメでしょうか?」
驚かせてしまうかもしれない、ましてこの美しく可憐な少女に嫌われてしまうかもしれない。そんなことを思うも、少し残念そうにしている目の前の少女の気持ちを無下には出来ませんでした。
布を取り、メレーの方を向くと、メレーは顔を輝かせました。
「わぁ! やはり素敵なお顔じゃないですか!」
「……そうですか?」
「そうですよ!」
「この火傷を見ても、なんとも思わないと?」
「私は特に」
「……」
メレーのけろっとした態度に驚かされつつ、彼女となら仲良くできるのではないかと思い始めました。
すると、遠くの方から声が聞こえてきました。
「アイゼア! アイゼアはどこだい!」
少年を呼ぶ女性の声でした。少年・アイゼアは声がした方向を向いて驚き、メレーに向き直りました。
「すみませんが、もう行かないと」
「あ、私も! すっかり忘れていましたが儀式の途中でした」
「早く戻りましょう。僕はこれで」
「はい! また会えますか?」
「……きっと」
その言葉に目を輝かせ、笑顔になりました。
アイゼアは急いで自宅へと戻ります。
その姿を見届けてから戻ろうとしましたが、女性の元へと着いたアイゼアが、女性に叩かれて倒れてしまいました。
微かに怒鳴り声が聞こえてきました。
「仕事もしないでどこをほっつき歩いていたんだい! うちで飯食わせてやっているというのに働きもしないで! さっさと戻りな! じゃないと今日は飯抜くからね!」
初めて見ました。大人が子供に手をあげているのを。メレーの目には恐ろしく映ることはありませんでしたが、アイゼアの身を心配して様子を見届けていました。
女性は怒鳴りつけた後、ぶつぶつと何か言いながら家屋の中へと入って行きました。ゆっくりと立ち上がるアイゼアは先程背負っていた籠を家の中へと持って行きました。
メレーは一部始終を眺めた後、ハッとして急いで集落へ戻ることにしました。
集落の近くまで戻ると、女性がメレーを見つけ、小走りに向かってきました。
「どこへ行っていたの? 探したのよ!」
「ごめんなさい! 気になる方がいて」
「気になる方? 向こうには外れ者しかいないはずよ」
「外れ者……?」
「とりあえず戻りましょう!」
女性に手を引かれ、儀式の場へ戻ると、成人した子供たちが男女で並んで村長に向き合っていました。
「結婚相手の……」
「そう、最後はあなたの番」
「……」
メレーは考えました。このままではいけない、村長に決められた相手と夜を共にすることになってしまう。それが、今のメレーにとっては嫌なことでした。
「さあ、誰を選ぶ?」
村長は優しく声をかけてきました。しかし、メレーは横に首を振りました。
「ここに、私が結婚したい相手はおりません」
はっきりとそう告げました。
周囲はざわざわと響(どよ)めきはじめます。
「決まった相手がいるわけでもないのか?」「誰となら結婚するのかしら」「あの美人が選り好みするっていうのか?」「美人なら許されると思うなよ」
口々に放たれる言葉は酷いものでした。
しかしメレーには響きません。
「私はあの外れにいる少年と結婚を約束したいです」
そうすれば、彼は救われるだろうかと考えたのです。今のままでは彼はきっと、ずっと苦しい思いをし続けたまま生きることになってしまう。それを考えたメレーはひどく心を痛めました。
「なんだって?」
「誰のことだ?」
外れにいる少年のことを知っている者はメレー以外誰もいないようでした。
「誰の話をしているんだい?」
村長はメレーに問い質します。
「名前は、確か……アイゼアと呼ばれていました」
「アイゼア?」
「何者なんだ?」
口々に放たれる集落の人々の言葉にメレーは耳を傾けることはありません。
「彼は顔に大きな痕がありました。けれどそれは何の問題にもなりません。彼を集落の一員として迎え入れて欲しいのです。彼は本当に優しくて逞しい方だったから」
メレーの訴えに集落の人々は動揺を隠せませんでした。
しかし、内の一人が「メレーが言うのなら」とまだ見知らぬ少年を、メレーを信じてみようとしました。それにつられて他の人も便乗し始めます。
村長は逡巡し、メレーの方に向き直りました。
「分かった。だが、受け入れるのはその少年のみだ」
「はい……ありがとうございます!」
満面の笑みで答えました。メレーは村長と他の人々にある約束を交わしました。
それから、メレーは少年に会いに行き、集落へ歓迎すると伝えました。しかしその様な急な話についていけるわけもなく、しばらく様子を見ることにしました。
そしてある日、布を被った少年が一家で調理をしているメレーの元へやってきました。共に作業をしていた女性たちは少年の姿に驚きましたが、メレーが話していた少年だと分かると、手を叩いて喜びました。
「ようやく会えたね! いらっしゃい!」
「あたしたちはあんたを歓迎するよ」
布を取った少年に対し、笑みを浮かべて女性たちは少年を歓迎しました。
メレーもにこりと微笑み、手を差し伸べます。
「“家族”として迎え入れたいと思いまして」
アイゼアはひどく驚きましたが、メレーや他の人々の優しさや温かみを感じ、同時に安心しました。
彼女らが作った料理を共に食べながら、アイゼアと会話をしました。たくさん会話をする中、他の集落の人々もやってきましたが、やはり彼の顔を見て驚きつつも、メレーの言葉を信じて快く迎え入れることにし、歓迎していました。
少年が集落に馴染み始めたのとほぼ同時に、メレーは酷く咳き込む回数が増え、やがて倒れてしまいました。
長くは保たないだろうという診断が下りました。
それでもメレーは懸命に生きようとしました。
そんなある日のこと、メレーの看病に来ていたアイゼアにメレーは話しかけます。
「あのね、アイゼアさん……私」
ゲホ、ゲホとたまらず咳き込んでしまいました。
その様子にアイゼアも慌て、メレーの手を握ります。
「ゆっくりでいいよ、どうしたの?」
「……あの日、成人式で、私は誰の手も取らなかったの。ここにいる誰よりも、あなたが魅力的だったから」
「それって……」
「私ね、あなたと結婚したいって思ったの」
アイゼアの目をじっと見つめ、はっきりと言葉にしました。
メレーの手には作りかけの自分の人形がありました。アイゼアはそれを見て、彼女が自分の命が短いことを悟り、覚悟を決めているのだと思いました。
強く頷き、強く彼女を抱きしめました。
人形が完成した頃、メレーは息を引き取りました。
多くの人が悲しみました。
最期は笑って送って欲しい、という彼女の頼みを聞き、葬式は盛大に行われることとなりました。
そんな中、一人、メレーが寝ていたベッドに腰掛け、人形を見つめるアイゼアは一人泣いておりました。
すると、
「泣かないで」
彼女の声でした。
「私はずっと見守っているわ」
抱きしめられるような感覚がし、直ぐそばにメレーがいるような気がしてなりません。
「愛しているわ、ごめんなさい、アイゼアさん」
「待ってくれ、メレー! もう少し、君と」
「ごめんなさい」
泣いているような声色でそう言いました。
「また、会えるわ。もうすぐ、雨が降る。それできっと、報われるはずよ」
そこまで言うと、先程の感覚は無くなり、二度と声が聞こえなくなりました。
予言通り、雨が降りました。
不思議な雨でした。
それまで枯れ果てた作物たちは、雨の影響を受けてどんどん元気になっていくのです。
久しぶりの豊作です。
ああ、メレーがきっと我々を思い遣ってくれたんだ。
彼女の力だ。
彼らは、メレーという少女を「豊穣の女神」として称え、立派な社を立てました。
それから長い年月が経つにつれ、彼女は衣服をよく作っていたことから「工芸の神」、そして集落の人々を酷く愛していたことから「愛の神」とも称えられ、彼女の命日には豊作を願う祭りが開催され、集落はだんだんと発展していくことになりました。
その信仰は絶えることはありませんでした。
はい、これでおしまい。
……少年がどうなったかって? ふふ、それはまた別のお話よ。
もう寝る時間だから、ちゃんと寝ましょうね。
私はどこにも行きませんから。
おやすみなさい。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。