# 第一章 先生と僕
僕が「先生」と知り合いになったのはフォルテ区でした。その時僕はまだ高校を卒業をして間も無くの頃でした。やけに煩い街頭広告を背に、都会の喧騒とはこう言うことなのかと思いました。車の行き交う音、人々の話し声、街頭ビジョンから流れる音楽とCM、まだ春も始まったばかりだと言うのに暑苦しい熱気は立ち並ぶビルのせいでしょうか。
まだ下宿先を決めておらず、どうしたものかと思っていたその時。多くの人が行き交う中ではっきりと見えた横顔に僕は一目惚れしてしまいました。僕よりずっと背が高く、美しい歩き姿で、大股でどんどんと歩いて行ってしまうので慌てて僕は追いかけました。見失いたくなかったからです。しかしそれが、運命の分かれ目だったと思います。
追いかけた先には所謂、事件現場がありました。鉄の匂いと、ブルーシートに包まった大きな塊、保安局の方々が何か作業や会話をしている中、涼しい顔をして男は虎テープを潜って中へ入って行ってしまいました。スーツ姿で止められずに現場へ直行できるということは関係者なのだろうと推測しました。
「被害者は昨夜未明、ビルの屋上から転落、そのまま地面へ真っ逆さま。頭蓋底の骨折、頚椎骨折に伴う頸髄損傷と落下のショックによる胸部大動脈の剪断破裂でほぼ即死。一見すると単なる自殺だが……」
男はビルと地面を交互に見た後、ブルーシートを一瞬開けて中を見て言いました。一瞬一瞬情報を逃さず、周囲の野次馬に聞こえる程度の声でまた言い始めました。
「君はどう思うかね? 自殺と決めつけるか? 屋上には靴と遺書があったそうだ。状況証拠は揃っているね。目撃者もいない深夜の行動と、監視カメラの映像も違和感がなかったそうだ。あまりにも美しすぎやしないか?」
周囲はざわめき始めました。
「そうだ。これは他殺だ。やはり刑事捜査部隊は無能の烏合の衆なのだな。私がいなければさっさと書類を片していただろうさ。それも単なる他殺ではない、用意周到さが目に見えるようだ! もしやこれは、あの──“犯罪卿”の仕業じゃあないだろうか?」
魅せるように大きく手を広げながら言いました。僕は見惚れていました。正直事件がどうなっても関係ない、彼を目に焼き付けていたい、そう思ってしまいました。そこにまたスーツ姿の男が二人現れました。一人は涼しい顔をして先に現場へ入り、もう一人は周囲の女性たちへ笑顔で手を振った後に現場へ入りました。
「どうでしょうか、竟爾さん。貴方の目から見て」
「ああ、実に面白い」
「いえ、そう言うことでは無く」
「何が悪い? この遺体、犯罪者だろう? 死後面白がられていなければ悔やまれるな。価値の無い人生を送っていた人間は、あっさりと見捨てられるものだ」
「……ウユイ警部補、どこまで彼に話しましたか?」
「んー、全部?」
「そうですか。分かっていた情報はもっと簡潔だったはずです。被害者はロンド区をよく出入りしていました。監視カメラの映像では一週間に三度同じ服装で映っており、ざっと調べたところによるとよく出入りしていたカジノでは荒稼ぎしていたそうで。しかし、本日朝出勤時間帯には無惨な姿で発見、ご遺体の傍のビルの屋上には並べられた靴と遺書が置かれていました。靴は綺麗に揃えられ、遺書は後から置いたよう……」
「気付いたね? そう。おかしいだろう? 荒稼ぎしていたプレイヤーが、突然自殺? しかも靴を綺麗に揃えてこれから死にます、と? 遺書は誰かが後から置いたのだろうそうで無くてはおかしい。屋上は地上より遥かに風が強い、だから何故そのままの状態で置かれていて綺麗な状態で飛ばずに置いてある? 監視カメラの映像は一週間に三度同じ服装だったそうだな。昨日の時点で何度目だ? 三度目か? まあいるだろうな、そう言った者は。しかしおかしな話だな。誰かと争った形跡もないが、綺麗すぎるのが気味が悪い。だろう?」
竟爾と呼ばれた男は淡々と違和感のある部分を指摘しながら、涼しい顔をしていながら内心は少し動揺しているように見える男に詰め寄りました。
「洗い出しましょう、何もかも。ウユイ警部補、一度戻ります」
「はいはい」
二人が去っていくのを、ほくそ笑みながら見届ける竟爾に、僕はやはり目を奪われていました。
そうして一度その場は解散となり、野次馬が去っていく中、竟爾はまだその場で立ち、考え事をしているようでした。ブルーシートは片付けられ、屋上にあった物など証拠品全て持ち去られ、虎テープと立て看板が残りました。
僕はただずっと立ち尽くしていました。
「君、私に見惚れているね。心拍数が上がっているよ」
こちらを見ずにそう言いました。瞬間、どきりと大きく一度脈打ちました。さっと横目を向け、僕を認識した竟爾は何かを企むような笑みを浮かべ、虎テープを潜って近づいてきました。
「怯えなくていい。君も私を利用しようと言うのだろう」
僕がまだ来たばかりで下宿先すら決まっていない、あわよくばだなんて思ってしまっていました。それを言い当てられた気がしたのです。鼓動は早くなるばかりで落ち着きませんでした。
「先ほど、君はフォルテ駅を出てきたばかりで行き交う人々に気圧されていた。街頭広告やトラックや車などの大きな音に敏感に反応し落ち着きがない様子で見回していたところ、私が通りかかったところで動きが止まった。更に発汗と手足の震え、眼振もしくは眼振ミオキミアの症状。都会には不慣れかい? 少年」
近づきながら全て言い当て、顔をこれでもかと近づけてきました。圧迫感に気圧され一歩後ろに下がりましたが、その場から動くことすら許されないようにじっと見つめられ、まるで拘束されたように動くことが出来なくなりました。
「おっと、失礼。私は諮問探偵の竟爾だ。ま、表向きはただの私立探偵だがね。君も事件に興味があるか? それとも私にしか興味がないか?」
やはり博識なこの男は探偵だったのかと納得しました。保安局の方々と対等に話をしていたところを見ると実績もかなりあるように見えました。自信家に見えるこの男は隙が無い、しかしそれでも僕は少しでも近づきたかったのです。
「しょ、正直、あなたにしか、興味ないです」
「あははは! 正直者はいい! 素直な少年だ。良い者だな、良し。私と来なさい。今この時を以て、君と私は先生と生徒だ。無論、私が先生だ。ついてきなさい。家へ案内しよう」
強引で傲慢で自信家で聡明なこの男は、僕の生涯の先生となりました。
先生の家はフォルテ区の都心部から少し離れた位置にある広い一軒家でした。大家が敷地内に住んでいるらしく、たまに払い忘れた家賃を回収しに来るのだそうです。ざっと家の中を案内してもらった後、先生の自室へ案内され、足の踏み場のない散らかった床を縫うように歩き、先生が座るようにと持ってきた椅子に腰掛け、彼自身も向かい合うように椅子を動かして座りました。
「さて。まだ事件は終わっていない。君はどう見る?」
「え?」
「何、これからシェアハウスするのだから私の仕事にも付き合ってもらうよ」
一般人の、しかも学生の分際でそんなことをしても良いのだろうかと思いました。しかし彼はやはりニヒルな笑みを浮かべながらまるで王のような態度で脚を組んで座り、僕を見据えていました。僕は観念して一つため息を吐くと、先ほど聞いた事件の概要を整理し始めました。
被害者は昨夜未明、ビルの屋上から転落、そのまま地面へ直撃。頭蓋底の骨折や頚椎骨折に伴う頸髄損傷と落下のショックによる胸部大動脈の剪断破裂でほぼ即死という状態。一見すれば単なる自殺に見えるが、ここであの保安局の方が言っていたことを思い返してみますと、被害者はロンド区をよく出入りしていた。監視カメラの映像では一週間に三度同じ服装で映っており、よく出入りしていたカジノでは荒稼ぎしていたらしい。しかし、今朝、出勤時間帯には無惨な姿で発見され、遺体の傍のビルの屋上には並べられた靴と遺書が置かれていた。靴は綺麗に揃えられ、遺書は後から置いたようだった……死因については検死解剖ではっきりするでしょうが、争った形跡も無かったそうですし、他の部分は直接見たわけではありませんが、察するに外傷は先生が言っていたものが全てなのかもしれません。それとも元々あったものを隠すようにわざと……他殺と見ていいでしょう。しかし怨恨でしょうか、誰が何の目的で……?
僕がうーんと首を傾げていると、竟爾は小さく笑いました。
「ふふ。君も私と同じ気付きが出来るだろう。犯人について推理してみようじゃないか」
「僕がですか?」
「物的証拠、証言、過去の例、関係者、天気、風向き、遺体の状態、時間……さまざまな証拠をかき集め、消去法で潰していく。簡単で確実な方法だ。これは君がこれからするお勉強でも同じことだ。頭の使い方を教えてあげよう」
ありがた迷惑だと言おうとも思いましたが、この男についてきてしまった分、それなりに言うことを聞くことは仕方のないことでしょう。それに学問において全く無関係だとも言い切れないのかもしれない、と半ば強引に自分に言い聞かせました。
「さて、どのような犯人が考えられると思う?」
「うーん……カジノ……大金……あ、カジノでイカサマしまくって、やられた腹いせにとか?」
「ほう。三十点」
「さ、は?」
「その程度で殺すか? その程度で殺すような感情的になる人間は逆上してその場で乱闘にでもなるだろうさ。それともイカサマし返すか、少なくともここまでの事はしないだろうな」
「くそ……」
「ヒントが欲しいか?」
「ヒントって、答え知ってるんですか?」
「どうだと思う?」
「……まあ、僕より見えてるものが多そうだし……」
「分かっているじゃないか」
「……」
確かにそうかもしれないと思いました。悔しいですがやはり知識と経験の差がはっきりと突きつけられている気がします。
ヒントと言っていましたが、ヒントといえばもう出ているのが全てなような気もしています。一週間に三度同じ服装、カジノによく出入りしている、遺書の存在、死因は首から頭と胸部の損傷。しかし僕自身は遺体を直接見た訳ではありません。他にもヒントとなるものがあったのかもしれない。
「そう言えば、ブランド物の腕時計をしていたな。しかしあれはレプリカにも見えた。直で触ったことも見たこともある私が言うのだから間違いはないな」
ふと先生はそんなことを言いました。ブランド物の腕時計のレプリカ、これはヒントではないでしょうか。
「浮浪者のような格好をしていたにも関わらず、帽子も腕時計も」
「待ってください、帽子があったんですか?」
「ああ。落ちていたそうだ」
出ている情報では、もはや泥棒では無いですか。泥棒が殺されたと考えるにしても、犯人は一体どんな人なんでしょう。相当恨みを持っていた、何度も詐欺にあったとか、物を盗まれたとか。理由が弱い気がしますが。
「さて、君の解答は?」
「……被害者が、もしかすると泥棒もしくは詐欺師で、その被害に遭った人が犯人、かと」
そう答えると、先生はほくそ笑み、それと同時にスマホが鳴り響きました。先生はポケットに入っていたそれを取り出し、スピーカーにして電話に出ました。
〈失礼します、竟爾さん。劇中保安局刑事捜査部隊大尉警部の彼梃(ビーティン)です。粗方調べましたが、被害者はどうやら何件も詐欺を働いていたようで、被害総額は七桁を超えると〉
「おお、それは凄い」
〈それと、検死解剖の結果、落下の衝撃による外傷の他に、銃痕と見られるものが見つかりました〉
「銃痕!?」
「頭に一発、胸部に二発」
〈正解です〉
「なんで分かるんですか」
「見たら分かるさ」
〈……竟爾さん、今どちらにいらっしゃるんですか? 誰と……〉
「ああ、気にしないでくれ。犯人の目星はついたのか?」
〈ええ、洗い出しています。彼の詐欺被害にあった誰かと見ていますが、竟爾さんの見解はどうでしょうか〉
「被害者のひとりとみて間違いないだろう。過去にも似たような事件はあった、だがここまで用意周到ではなかったがね」
〈裏に何者かが手を引いていると?〉
「犯罪卿……と見ているがね」
〈例の……RAGNO404(蜘蛛)でしょうか〉
「蜘蛛……?」
「ああ、それと今回は犯人探しに私の助手が助太刀してくれてね、彼にも報酬を分けてあげて欲しい」
「え!?」
〈助手なんていましたか?〉
「今朝出会ってね」
〈…………分かりました。手配しましょう。まずは実行犯を捕まえてからです。また頼むかもしれませんが、その時は〉
「ああ、分かっているよ」
〈では失礼します〉
彼梃は呆れつつ、淡々と切り返すと電話は終了しました。竟爾は再び姿勢を戻し、僕を見据えました。
「今のところ、先程の減点三十点と今の加点分を合わせ、点数は六十点と言ったところだね」
「あれ、なんか思ったより低い……というか、なんですかこれ、なんの採点ですか?」
「教師と生徒、師弟と言えば分かりやすいのが点数による成績付けだろう」
「悪趣味ですね」
「そうか? まあ、とりあえず君は今日からここの住人という事だ。ここではしっかりと仕事してもらうよ」
「助手のことですか?」
「いいや、君にはもっと必要な仕事をしてもらわねばならない。勿論、助手として働いてもらうこともあるが」
「と言うと……?」
僕が切り返すと竟爾はまた笑みを浮かべて何も言わずに立ち上がり、「こっちだ」と僕に着いてくるように指示してきたので、仕方なくついて行きました。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。