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晨けの街

連載中(書きかけ)

柳月祁日

44,518 字

異種族共存ファンタジー、復讐と再生の物語

"理想郷の片隅で、復讐に燃える魚人は、温かい出会いの中で再生の光を見つける。"

過去にサークル『柳月祁日』として制作していた小説の一部です。

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第一章【海忌む魚、地を駆ける。】

──【“曰いわく、敢あえて死を問う。曰のたまわく、未いまだ生を知らず、焉いずくんぞ死を知らん。”】

  一
 
 空を泳ぐ魚の群れが見えるのは空気が澄んでいる証拠だと言う。
 新鮮な空気を吸い込んで吐き出す、魚は雲と同じようにゆったりと流れに任せて泳いでいる。
 この街は、海の色を反射して青く見える空のように、建物が青白くて空を映したようだった。
 道は貝殻や塩で出来ているように真っ白に舗装されており、その上を行き交う人々は皆幸せそうだった。
 ――一部を除いては。
 理想郷ユートピアとされる街の端では黒い感情に支配された魚がいた。
 扉ゲートを抜けず、隙間から入り込んだそれは目的の為に、盲目的に突き進んでいた。
 「おい」
 巨躯の男は前を歩く男の肩に手を置いて声をかけた。
 「なんだ?」
 振り向く男は青ざめた。
 背後にいたのは此方を殺気のこもった灰色の瞳で睨みつける自分よりもずっと大きな男。
 思わず後退りし、その場から逃走しようとしたが巨躯の男の方が素早かった。
 男を組み伏せると、「ついてこい」と低い声で脅した。
 車道のある広い通りから外れた隙間のような細い路地裏。
 人目を気にして奥へと進んでいく。
 蛇に睨みつけられたカエルのように怯み縮こまって、巨躯の男の次の発言を怯えながら待った。
 男は立ち止まる。
 そして背後を振り向くや否やついてきていた怯えた男の首を掴んで壁に叩きつけ、目線を合わせるように持ち上げた。
 「人間、この顔に見覚えはあるか?」
 そう言うと、巨躯の男は全身を変貌させた。
 背鰭や尾鰭が順に生え、腕や顔には鮫肌がくっきりと浮き出る。
 この男は鮫の魚人だった。
 反転した黄金色の瞳で手元の男を睨みつける。
 小さく悲鳴をあげると魚人の手は力を強めた。
 「じらな、いッ! じら、いッ!」
 必死に声を振り絞る男は泡を吹いていた。血の気も引いていき、もう時期事切れるだろうというところだった。
 「なら、その額の傷は何だ?」
 手を緩め、男をそのまま放すと力なく男は倒れ込み、苦しそうに咳き込み始めた。
 どうにか落ち着かせていると魚人の男は待っていられないと言う様に胸倉を掴み、顔を見合わせるようにした。
 「うぐっ、き、傷は、仕事でッ、ついたもんで、」
 「仕事だぁ?」
 「ほ、本当だ! ゲホッ、ゴホッ、う、嘘だと思うなら、ち、晨、海建、会社にッ問い合わせてくれ!」
 苦しがって言葉をつかえながら訴えた。
 魚人の男は我慢の限界に達していた。
 憎い人間を追いかけて、挙げ句の果てに汚い唾を撒き散らして目の前の男は命乞いをする。
 聞かれたことは全て話した、だから解放してくれと叫ぶ。
 地面に投げ捨て、喉を押さえて未だ苦しがっている男に、魚人は拳を振り上げると手の中に大きなモリのような切っ先をした槍を召喚し、そのまま座り込む男に突き刺した。
 それでもまだ足りないとでも言うように体に切り付け、槍を器用に振り回して体に刺して壁に貼り付けた。
 壁に槍で突き刺された男はぐったりとしていて、だらしなく口から赤い涎を垂らしている。
 小さく腹が鳴った。
 この状況でも腹は減るようだ。魚人の男はそのまま男の腕をちぎり取って齧り付いた。
 人の姿に戻ると力無く腕を垂らした。手にしていたそれを地面に落とす。
 それを一瞥すると踵を返し、「復讐の為」に歩き始めた。

  *

 行政区内の大通り付近の路地裏で男の惨殺死体が発見された。
 午後二時から四時にかけての間に行われた犯行と見られ、犯人の追跡を行なっているが、これによって似たような手口の事件が五つ目となった。
 「共通しているのは額にある傷、背が高めの人間の男であること。それ以外に共通点はございません」
 やれやれと言った風に羅銀杏らいちょうは首を振った。
 「ご苦労、人着は?」
 二廻道にかいどうの問いかけに腰を落としながら羅銀杏らいちょうは隣に座る柒世しちせを小突いた。
 「何で俺が」と小さく羅銀杏らいちょうに悪態をつくが、隣に座る相棒はただにやにやと柒世しちせの発言を待っているだけだった。
 この場を指揮している部長である二廻道にかいどうをちらりと確認して深呼吸をし、タブレットにあるメモを開いて立ち上がる。
 「えー、目撃情報によると、犯人は魚人である可能性が高いそうで、二メートル越えの長身、鮫の尾鰭のようなものが生えていて、大きな槍を瞬時に召喚して相手を攻撃する、と。共通はしていませんがマル害の中にちぎり取られた跡や食い千切られた後のようなものがあり、歯形から犯人の特定を試みているところです。路上の監視カメラの解析も行っている最中ですが、ほとんど該当人物は映っていないようで」
 「それで、その魚人の似顔絵の作成は?」
 「情報が少なく、それも特徴が一致しないそうで、難航しています」
 「そうか」
 一通りやり取りを終えるとふぅ、と息を吐いて座った。
 「上出来ですねぇ」
 「何様だお前」
 少しの間を開け、二廻道にかいどうは立ち上がる。
 「捜査を続けろ、時期に爪は割れるだろう」

   *

 自堕落に日々を過ごしている。
 家族を殺した犯人を見つけ、この手で同じ目に遭わせるまでは死ぬわけにはいかない。
 けれど、どうしようもない空虚感が体を支配していた。
 何を食べても、憎い人間を殺しても、心が癒えるわけでもなく満たされるわけでもない。
 壁に背中を預け、座り込んで項垂れている。
 廃人にでもなったかのように頭が働かない。最後に眠ったのはいつだったか。
 眠れるわけもない。寝て見るものは悪夢ばかり。
 鮫の魚人にしては仲の良い家族だったと思う。
 両親と妹と自分、家族団欒の時間、同じ時間を共有し、同じものを食べ、一日にあった出来事を語り合い、笑い合っていた。
 幸せだったはずだ。
 自分は不器用ながらもそんな家族を愛していた。
 それが、一夜にして全てが崩壊した。
 人間の手によって、終わらされた。
 犯人と対峙したが、額に傷を負わせたのみで妹を連れて行かれ、犯人共々そのまま行方がわからなくなってしまった。
 目の前に広がる惨劇、赤く染まる海、海神に背いてでもやり遂げなければならないとその日に誓った。
 寝るに寝れない、目を瞑れば一瞬だけでも眠ることはできるだろうが、そうしたくなかった。
 葛藤していると、目の前に誰かが現れた。
 「お兄さん、こんなところで何しているの?」
 少女の声だった。
 「あ?」
 眠れずに苛ついていた男は少女を睨みつけた。
 しかし、少女の顔を見た瞬間、目を見開いた。
 「……悠花ヨウファ?」
 朦朧としているのか、その少女が妹の姿と重なって見えた。
 「悠花ヨウファ? 誰のこと?」
 少女はきょとんとして首を傾げた。
 違うとわかっていた、いや、と言って顔を背けた。
 『貴方はここで何をされているのですか?』
 不意に少女の隣に浮かぶ海月クラゲが男に近づいた。
 「……は? 今、それがしゃべったのか?」
 『ええ、喋りますとも。私は海月の空鱼コンユーですよ。もしかして、ご存知ないのですか?』
 とても丁寧な口調で礼儀正しく空鱼コンユーは話す。
 男は不思議そうに空鱼コンユーを見つめた。
 「この子は花花ファーファ! 私はこの子から力をもらっててね!」
 『こら、安易に話すものではないですよ』
 「ダメなの?」
 『自慢するようなものではないということです。そうだ、自己紹介をさせていただきましょう、ほら』
 思い出したかのように花花ファーファは少女の背中にそっと触手を添えた。
 「あっ、うん! 私は桵月ルイユエ! 晨海チェンハイ高校の一年生なんだ! それと私は市長と同じで鱼授人 ユーショウレンなの! この子と同じ水流を操れるんだよ!」
 溌溂に男に笑顔を向けて話す。
 この少女、桵月ルイユエのことを男は変な娘だと思った。
 「あなたのことも教えてくれる?」顔を覗き込むように尋ねた。
 「……毅婁イーロウだ。それ以外の何者でもない」
 「毅婁イーロウさんって言うんだ! よろしくね! そうだ、おうちは? こんなところにいたらダメだと思うの!」
 腰に両手を当てて怒るような仕草をした。ころころと表情や態度が変わる。
 毅婁イーロウは花花ファーファと桵月ルイユエを見比べた。そして俯く。
 この二人に事情を話すべきだろうかと悩んだ。
 『何か、やんごとなき事情がある、と言うことでしょうか?』
 花花ファーファはふわりと近づくとそう尋ねた。
 「……そうだ」
 肯定した。空鱼コンユーには嘘をついても無駄だと悟った。
 そうじゃないにしても、この花花ファーファという海月には見透かされているような気がしていた。
 「俺は、家族を殺された。妹だけが、犯人と共に消えた。俺はその行方を追っているんだ。 ……見つけ出して、この手で」
 そう言って拳を見つめ、握り込んだ。
 『復讐、ですか?』
 「そうだ」
 「良くない!」
 毅婁イーロウの話を黙って聞いていた桵月ルイユエは腰に両手を当てて怒ったように言った。
 「良くないよ! 悪い人だ!」
 「は?」
 少なくとも、自分は悪いことをしていると言う認識は一切なかった。自分の行動は全て正義のため、妹のためだと思っていた。当然のことだと。
 それを、桵月ルイユエは否定した。
 「だって、そんなことしたって妹さんが帰ってくるとは限らないでしょ? 警察の人とかに任せたほうがいいよ! そうでしょ?」
 正当な答えだった。
 しかし、それは毅婁イーロウには全く響かない。
 「俺は人間社会に溶け込むつもりはない、俺は魚人だ」
 毅婁イーロウがそう言うと、花花ファーファは『やはりでしたか』と小さくつぶやいた。
 「何?」
 『二つの匂いがしたので、ただの人間ではないことは分かっておりました。 ……貴方は、この街のニュースはご存知ですか?』
 不意にそんなことを聞いてきた。
 「ニュース? なんだそれは」
 『五件の殺人事件があったそうです、それも、この近くで。貴方の話を聞く限り、もしかして、と』
 「……ふん。だったらなんだ? 俺をその警察とやらに突き出すつもりか? 根拠もないのに、合点がいったからと言って、あまりにも非情だな。同じ“魚・”としてがっかりだ。人間如きに合わせて生活するとおかしくなるもんなんだな」
 呆れたとばかりに嘲笑した。
 味方がほしいわけでもない、話を聞いて欲しいわけでも、同情も必要ない。
 ただこの恨みをぶつけたい、ただそれだけだった。
 人間は残忍で嘘が得意でまともな種族ではない、そう確信している毅婁イーロウだからこそ、この二人に対して苛ついていた。
 「……毅婁イーロウさんは、人間のことが嫌いなの?」
 桵月ルイユエは悲しそうな顔をして言った。
 「ああ。大嫌いだ」
 「でもね、人間でもいい人はいるよ? 会ったことがないから、悪い人ばかりだと思っているだけだと思うの」
 「うるさい、女のガキが偉そうに俺に説教垂れる気か?」
 「知って欲しいの、この街のいいところも、優しい良い人がいっぱいいるのも、もちろん悪い人だっているのは知ってるよ? でも、悲しいから、」
 ぽたぽたと涙を流していた。
 目の前で泣き始める少女に唖然とした。
 花花ファーファはそっと背中を撫でてやった。
 『この子は豊かな感情を持っています。そして、誰かを思って泣く事も、怒る事も、喜ぶ事も出来ます。貴方にはきっと、この子のような人間が必要なのかもしれません。どうか、私たちと共に来ていただけませんか? 衣食住保証します、事情を話せば、桵月ルイユエの両親も解ってくれるはずです。何故なら、この子の親もとても良い人たちで、とても優しい人たちだから』
 項垂れる男に花花ファーファは優しく提案した。
 「一緒に来てくれたら、私も嬉しい」
 涙を堪えて、真っ直ぐと男を見た。
 毅婁イーロウは悩んだ。信じて良いものかどうか。
 人間社会では悪とされていることをしていた、それは理解したつもりだった。
 だがそれを知って尚優しくする理由が解らない。
 しかしここにいても、状況は変わらない。
 目の前にいる人間と空鱼コンユーを利用して妹を見つける事もできるかもしれない。
 まずは利用することにしよう。人間を信用するという不確かなことはするものではない。
 そう結論づけた。
 「わかった、ついていく」
 そう言った。

 
   二
 
 桵月ルイユエの案内によって彼女の自宅まで向かうことになった。
 「この辺りのことは知ってる?」
 通りを歩いていると桵月ルイユエが後ろを歩く毅婁イーロウに不意に話しかけた。
 「いや、あまり」
 「じゃあ案内してあげる! えっとね」
 『ひとまずは休んでからですよ。もうすぐ着きますから、今日のところは家で休みましょう』
 「はーい」と桵月ルイユエは返事をする。
 様々な店が並ぶ大通りを歩き続けていると桵月ルイユエは一度立ち止まった。
 「ここからバスに乗って行くこともできるんだけど、花花ファーファが入れないもんね」
 『そうですね、しかしバスの方が楽かもしれませんよ』
 「俺はなんでもいい。好きにしろ」
 「花花ファーファはどうするの? 私たちが乗ったら」
 『心配はいりませんよ。泳いで向かいますから』
 「そっか! じゃあ毅婁イーロウさん一緒に行こ!」
 バス停には時刻表が書かれてあり、数分後には来るようだった。
 「ここって時間通りに来るからすごいんだよ!」
 「へえ」
 「バスって見たことある?」
 「ない」
 「じゃあ、車も初めて見るの?」
 そういって大通りを走る車を指さした。
 「ああ、そうだな。こっちに来た時に初めて見た」
 「そうだったんだ! じゃあずっと海にいたってこと?」
 「そうだな」
 「そっか、バスってすごい楽ちんでね! これをぴってやると乗れて、目的地までつくとそのまま降りて」
 そう説明しながらポケットからカードを取り出した。
 中国で使われているものと同じようなICカードで、柄はこの街独自のもののようだった。
 毅婁イーロウは初めて見るカードに目を凝らした。
 「なんだこれ」
 「ICカードって言ってね、これで機械にタッチするだけでお金が支払われるんだよ! ここは現金払いがないから、これ持ってるだけでいいの!」
 「よくわかんねぇな」
 「あ、もうすぐ来るみたい! 見たら分かるよ!」
 桵月ルイユエはバスが向かってくるのを見てそう言った。
 時刻通りにバスは停車する。桵月ルイユエは乗車時に運転手へ声をかけた。
 「すみません! 二人分大丈夫ですか?」
 運転手はこちらにハンドサインで丸を作って見せた。
 「ありがとう!」
 機械にカードをタッチすると二人分の金額が表示される。
 一連のやりとりをじっと毅婁イーロウは眺めていた。
 「こうしたら乗ってオッケーね! 席座ろ!」
 「おう」
 桵月ルイユエは右手の窓側の席に座ったが、毅婁イーロウにとっては狭いようで座ることをやめた。
 「座らないの?」
 「足が入らない」
 「あ、そっか。ごめんね」
 「別にいい」
 そのままバスは発車する。
 周囲を見回してみると、毅婁イーロウを物珍しそうに見たり、ひそひそと話す乗客がちらついた。
 「ね、あの人さ、最近ニュースでやってる人に特徴似てない?」
 「でもあれは魚人なんでしょ?」
 「わかんないよ? 化けたりするのかも」
 「えーこわい」
 そんな会話がふと耳に入ってきた。
 既に様々な人の耳に入っているようだと気づくも、知らないふりをしてじっと進行方向を見ていた。
 桵月ルイユエはそんな毅婁イーロウを悲しそうな目で見た。

  *

 住宅区のバス停に着いた。バスを降りるとすぐにバスは次のバス停へ向かった。
 ふわふわと頭上から花花ファーファが降りてきて合流し、桵月ルイユエの家に向かって再び歩き出す。
 「私の家は平家でちょっと大きいから花花ファーファとも家の中で過ごせてるの! だから毅婁イーロウさんもそこまで窮屈しないんじゃないかな」
 「そうか」
 『まずはご両親にどう説明するかですね』
 「そうだよね、でも、お母さんたちは多分全部話しても優しくしてくれると思うな」
 「……そうか? 人間の世界の中で、俺はダメだと言われるようなことをしたんだろ」
 桵月ルイユエの言葉を鼻で笑う。自分は畏怖される対象なのだと先ほど知ってしまったから。
 「それに同情する人もいるよ。私とか!」
 その言葉に訝しむような眼差しを一瞬向けた。
 『不安かもしれませんが、とても冷静な方々ですから、大丈夫ですよ』
 「だといいが」
 そんな会話をしていると、「もうすぐだよ!」と桵月ルイユエは前を早足で歩き始めた。
 言った通り、すぐにそれは見えてきた。
 「ここ!」
 木造の平家でとても大きな家だった。
 門を抜けると家庭菜園が出迎え、柿の木が風で揺られてまるでお辞儀しているように見える。
 桵月ルイユエは真っ先に扉を開けて中へ声をかけた。
 「ただいまー!」
 すると優しげな女性の声と男性の声が聞こえてくる。
 「あら、おかえり、ルイルイ」
 「おや、お客様かな? いらっしゃい」
 毅婁イーロウを一瞥するとにこりと男性は微笑んだ。
 呆気に取られていると花花ファーファが触手でそっと毅婁イーロウの背中を撫でた。
 『ほら、入りましょう』
 「あ、ああ」
 二メートル以上ある毅婁イーロウでさえ扉をくぐっても余裕のある空間に驚きつつ、居間に通され、どうぞと言われてソファに腰掛ける。
 桵月ルイユエは慌ただしく「私がお茶淹れてくる!」と言い、傍の台所へ小走りで向かい、母親と共に仲良さげに用意をしている。
 「ルイルイが男の友達を連れてくるなんてなあ……」
 父親は感慨深そうにうんうんと唸っている。
 「いや、俺は別にそういうんじゃ」
 『少し訳があるのですよお父様。二人が戻ってきましたら説明しますので』
 花花ファーファが代わりにそう話すと、そうかと言って微笑んだ。
 この家族は不思議な空気を纏っているように感じていた。自分の家族とは違う。
 他の人間とも何か違う気がした。
 だからこそ、少しは信じても良いのではないかと思えた。
 母親と桵月ルイユエがコップを乗せたお盆を持って戻ってくる。
 目の前に出されたものを凝視する。
 「お茶飲んだことない?」
 「ない」
 「あら、そうなの? 普通の烏龍茶よ。冷たくて美味しいから飲んでみて」
 「この街の水は美味しいからな、飲み物はなんでも美味いんだ!」
 両親は楽しそうに笑った。
 「そうだよ! 飲んでみて!」
 桵月ルイユエに促され、コップを手に持ち、ぐいっと一息に飲んだ。
 「おお、良い飲みっぷりだ」
 「どう?」
 「……美味い」
 「良かった〜!」
 初めての味だったが植物由来の苦味を感じるような、少し癖のある匂い、そして透き通った澱みのない水が混ざった烏龍茶は何の抵抗もなく体に染み渡った。
 街に上がってから、いや、今まで経験した味の中で一番美味しいと感じていた。
 毅婁イーロウは人間は普段からこんな美味しいものを飲んでいるのかと感心した。
 『……それで、お話があるのです』
 真剣な声色でそう切り出した。
 この声で楽しげだった空気が少し変わった気がした。
 毅婁イーロウはこれまでのことを簡潔に話した。ここまできて、何もかもを否定され、拒否されればそれまでだろう。
 だが、ほんの少しでも信じてみたいという気持ちがあった。
 この人間たちならきっと大丈夫だろうと思えたから。
 「……双子の妹を探しているんだ。海にいた時に、武装した人間たちに襲われて、両親はその場で死んでいたが、妹は連れ去られて、俺はその一人と対峙した。その時は一瞬だったし、顔ははっきり覚えていない。ただ俺が槍で額に傷を負わせた、それだけが頼りだった。背の高い男の人間、額に傷がある。今はそれしか情報がない。この街の噂を聞いて、ここにもしかしたらいるんじゃねえかって思って、少し前にここにきた」
 皆は毅婁イーロウの言葉を聞いて絶句していた。
 父親は、「ニュースで報道されている魚人って、もしかして、君なのか?」と恐る恐る聞いた。
 毅婁イーロウははっきりと「そうだ」と答えた。
 「あら……そんな、」母親は悲しげな声を発した。
 「きっと、辛かったのでしょう? 家族をバラバラにされて……なんて可哀想……」
 母親はそう続けた。その言葉に驚いた。
 「可哀想?」
 「あら、ごめんなさい、失礼だったかしら……でも、ここに頼れる人もいないのでしょう? 良ければ私たちを頼って欲しいわ」
 「そうだね、美味しいご飯をご馳走するよ。寝床も用意するし、妹さんを助ける手立ても考えよう一緒にな」
 人間は思ってた以上に温かかった。
 言葉に嘘はなく、どれも熱を持っている様に温かい。
 目頭が熱くなり、思わず腕で目を擦った。
 溢れてくる感情を抑えようと必死になった。
 「俺、……こんな、無法者なのに、なんで、……」
 俯き、顔を隠す様に腕で覆う。その背中を花花ファーファは優しく触手で撫でていた。
 「だから言ったでしょ? お母さんたちは本当に優しいの!」
 「……っ、ここにいても、良いのか?」
 「勿論よ、美味しいものを食べて、温かい布団で寝て、元気になってから方法を考えましょうね」
 「そうだな、まずはその顔色をどうにかするところからだな」
 「あんまり寝てないんでしょ? お布団あるから一緒に寝よ!」
 「まずは美味しいものを食べないとね、何を作ろうかしら」
 母親は立ち上がると台所へ向かった。
 思い切り顔を擦り、血・濡・れ・た・自・分・の・掌・を見た。
 「この街のことも知って欲しいね、明日は娘は学校だから花花ファーファに頼もうかな。私も仕事があって付き添えないんだが」
 毅婁イーロウの様子を見つつ、父親はそう言った。
 「気持ちだけで充分だ」
 「そうは言ってもな、ルイルイの方がそわそわしているみたいでな」
 そう言って桵月ルイユエの方を見遣ると既にそわそわと落ち着かない様子で、「私も明日一緒に行きたい!」と言う。
 『ダメですよ。学校へ行かないと』
 「んー! でもー!」
 「学生の本文は学ぶことだよ、ルイルイ。ちゃんと学校へ通って、終わったら一緒に出かければ良いじゃないか。お小遣いも渡してあげるからね」
 「やったー! そうする!」
 無邪気にはしゃぐ姿に妹の姿を重ねて見ていた毅婁イーロウは吹き出した。
 「ははっ、やっぱガキだな」
 そう笑うと頬を膨らませた桵月ルイユエはすぐにふふっと笑った。
 「笑ってくれて嬉しい!」
 父親と花花ファーファも二人の様子を見て微笑ましそうに笑っていた。

 
 
   三
 
 商店街地区。大通りに沿って歩くとその店はあった。
 「ようやく一緒になれたんだ。この店も、二人で回したいね」
 巨躯の男は楽しげに店内のキッチンに立っていた。包丁を器用に使いこなしてまな板上の子供の海豹アザラシを捌き、内臓を取り出す。
 すると、内臓を摘んで綻んだ口元に持っていくと啜る様に食べた。
 「ああ、美味しい……この子は調理すればもっと美味しくなるだろうね」
 行儀が悪いと思いつつも海豹を持ち上げて血を啜ろうとした。その手前で手を止める。
 「さすがに直接口付けするのははしたないね。容器に入れ替えて飲むか」そう呟きながら作業を再開する。
 朝もきっと忙しい。今の内に下処理を終わらせたかった。
 そうして夜も更けてきた頃、店の上階へ上がった。
 そこが“二人”にとっての自宅だった。
 「遅くなっちゃった。フアは寝てるかな」
 鍵を閉め、シャツのボタンを外しながら寝室へ向かう。
 扉を開けると、整頓され埃一つ落ちていない空間に大きなベッドが一つ置かれている。
 ベッドの上には小さな影が一つ。
 「フア?」
 小さく寝息を立てて気持ち良さそうに寝ている姿にぞくりとした。
 昂る気持ちを抑えながら、そっと頬に手を添えた。
 街に来るまでずっと追いかけていた初恋の少女。
 それが今、目の前で自分が用意したベッドで、自分が用意した寝間着を着て眠っている。
 好きでたまらない、愛おしいと思う感情が溢れ出てきそうだった。
 思わずフアの頭や首、唇をなぞるとびくりと跳ねた。
 「ん、……? じゃおふ……、」
 眠たそうに目を擦りながら上体を起こし、フアは男に向き直った。
 「おはよう、フア。力尽きて眠ってしまったんだね、可愛い。俺が作り置きしといたご飯は食べてくれたかな?」
 「うん……」
 「良かった。ちょっと待っててね、俺も一緒に寝たいんだ」
 眠そうに「うん」と繰り返しているフアの頭を撫で、額にキスをするとその場を離れた。

   *

 翌日、皆で朝食を取り、桵月ルイユエは支度をすると名残惜しそうに「いってきます!」と言って家を出て学校へ向かった。
 「昨日はよく眠れたかしら?」
 玄米を口いっぱいにかき込んで食べていると母親が不意に尋ねてきた。ごくりと飲み込むと、「桵月ルイユエの寝相は気になったが、まあ眠れた」
 「あらあら。あの子ったら」
 上品に楽しそうに笑う母親を見て、毅婁イーロウは昔を思い出した。豪快に笑う母親と妹は家族の光だったと。
 「じゃあ、俺も行ってくるよ」
 「行ってらっしゃい」
 父親も支度を終えたのか、母親の額にキスをして部屋を出ていった。
 「あら、どうしたの?」
 毅婁イーロウの様子に気がつくと心配そうに顔を覗き込んだ。
 「何でもない」そう言うと魚を齧り、玄米をかき込む。
 『今日はどこを散策しましょうか』
 花花ファーファはふわふわとテーブルに寄ってくるとそう言った。
 「中央区とか、商店街はどうかしら?」
 『そういえば、毅婁イーロウさんは保護されずにここへきたのですよね。ちゃんと手続きをしないといけませんね』
 「そうね、じゃあ今日は警察へ」
 母親と花花ファーファがそう話しているのを聞き、箸を置いた。
 「早く妹を探しに行きたい。一刻も早く。でないと、どうなるか分からない」
 静かに、響くような声ではっきりと言う。
 よくしてもらったが心はずっと急いていた。
 こんなところで油を売っている暇はない、早く手がかりを探さないとならない。
 「……そうよね、それなら近い中央区から行くのが良いんじゃないかしら?」
 『ええ、そうしましょう。今から行きますか?』
 「ああ」
 『ではそうしましょうか』
 「私はここで祈っているわ。早く見つかると良いわね」
 そう言って微笑んだ母親を一瞥して扉へ向かう。不意に振り返って、母親に一礼して部屋を出た。母親は優しく微笑んで手を振った。
 中央区、もとい行政区へは大通りを進めばたどり着く。
 近道である狭い路地を真っ直ぐ抜けることも可能だが、今は警察が道を封鎖しているようで通れなくなっている。
 手段としてバスや車があるが、毅婁イーロウと花花ファーファにはその手段は使えない。
 徒歩で向かうしかなかった。
 『私の背中に乗りますか?』
 「あんた背中ないだろ」
 『頭部ですね』
 「……面白いと思って言ってるのか?」
 『少し緊張をほぐせればと思ったのですが』
 「……」
 そんな会話をしながら真っ直ぐと大通りを進んでいく。

  *

『この辺りは教会や小さな神社、託児所なんかがありますね』
 毅婁イーロウにとって聞き慣れない言葉の数々、見慣れない建物は全て無視していた。
 『興味はありませんか?』
 「そんなことに時間を割いている暇があるか?」
 『そう言ってもですね、桵月ルイユエが学校から帰るのは昼過ぎになります。それまでは時間をどう潰すか、もしくはどう情報収集をするかを考えなければなりません。急いても変わりませんから、』
 花花ファーファがそこまで言うと毅婁イーロウは被せるように「他人事だからそう言うんじゃねえのか?」と吐き捨てた。
 『いいえ。時間を有効活用しましょうと言う話ですよ、この街の地理も知っていた方が良いでしょうし、何より貴方の心が心配です』
 「俺は問題ない。あの人間たちからたくさん言葉をもらった。それで充分だ」
 『それなら良いのですが……』
 花花ファーファはこの男の過去を詳しく知っているわけではない。
 どんな家族で、どんな風に過ごしていたのかも知らない。
 それでもこの男にとって家族はかけがえのない存在で、唯一の心の支えなのだとしたら。
 五人も殺害しつつ犯人を探しているのは、同情してしまうし納得もしてしまう。
 本人はずっと苦しんでいる。
 拉致された双子の妹は、生きているかどうかすらわからない、そもそもこの街にいるのかどうかもわからない、そんな状況で「急ぐな」と言われても無理があるのかもしれない。
 彼を助けてあげたい、心からそう思った。
 「どこなら情報が集まる?」
 いつの間にか急ぎ足になっている毅婁イーロウは聞いた。
 そのスピードに合わせるように宙を泳ぎ続ける花花ファーファは答える。
 『そうですね、一番は人が集まる場所が良いとされます。広場やお店、食堂……』
 「広場?」
 『警察署の近くにあります。私が先導しましょう』
 「ああ」
 花花ファーファは毅婁イーロウより前へ出て泳ぐ。
 次第に人通りが多くなり、活気が満ちていく。
 それに比例して聴き慣れない騒音やにおいが増していき、立ち眩みがした。
 『大丈夫ですか?』
 花花ファーファは触手で毅婁イーロウの体を支える。
 頭がぐらぐらする。
 人通りが多い場所を避けていたが、実際に向かうとこれほどダメージを受けてしまうとは思ってもみなかった。
 「っ……」
 広場のピアノから次々に繰り出される音に次第に慣れ始めてきた。
 においだけはどうしても慣れず、腕で鼻を覆い、どうにか感じ取りづらくしようとした。
 広場にはグランドピアノの他に屋台があったり、人集りの中心ではピアノを演奏する角を生やした羊の少女とその周りでサックス奏者とフィドル奏者が楽しげに体を揺らしている。
 リズミカルでその場限りの音楽は広場にいた人々を熱狂させていた。
 呆気に取られていると、見知った大きな影が向こうの道で通ったのが見えた。
 「あいつ、……」
 広場を突っ切り、大通りに沿って走って行った。花花ファーファは急いで毅婁を追いかける。
 『どうしたのですか?』
 「嫌味なシャチ野郎がこの街にいるみてぇだ」
 それだけ言うと黙り込んで前方を注視した。
 大きな影に近づくことはなかった。
 それはだんだん離れていき、やがて見えなくなった。
 「くそッ……どこ行ったんだ!」
 『どなたか、知り合いがいたんですか?』
 「血の匂いで解る。絶対シャチ野郎だ」
 『その方はどういった方なんですか?』
 「あ? あいつは俺の妹を」
 何かに気が付いたか、咄嗟に後ろを振り返った。
 楽しそうに手を振る、毅婁イーロウよりも大きな体を持つ男が立っていた。
 端正な顔立ちから独特な雰囲気が放たれる男は一歩踏み出した。
 「久しぶりだね、俺の友達の白鰐ちゃん♪」
 両手を広げ、歓迎しているように微笑みかける。
 それと対照的に歯をぎりぎりと擦り合わせ、男を睨みつける毅婁イーロウは槍を構えようとしたところを花花ファーファに止められた。
 『いけませんよ、毅婁イーロウさん』
 「……ああ」
 「海月ちゃんに飼われてるの? 変な鰐ちゃんだね」
 「俺は鮫の魚人だクソ野郎」
 「そんな怖い顔しないでよ。俺ね、今店を開いてて」
 「んなことはどうでもいい。聞きてぇことがある、それに答えろ」
 「……あーあ、君って人の話聞けないの? 最後まで聞けよ」
 語気を強めるもその表情はほとんど変わらない。
 それは毅婁イーロウにとっては効果があるようで一瞬体が強張った。
 「俺ね、店を開いててさ。ガールフレンドと一緒にやってるんだけど、君って肉食だったよね。どう? 俺の店でステーキでも食べながら昔話をしようよ」
 目の前の男から放たれる言葉に違和を感じた。
 訝しげにじっと男を観察した後、「何が目的なんだ」と低く返した。
 「やだな。なにもないよ、友人がいないんだ。恋人はいるけどさ、お客様第一号になってよ。寂しいじゃない」
 「意味がわかんねえ。何で俺が」
 「その海月ちゃんでもいいけど、ご飯食べないんでしょ? じゃあ君しかいないね」
 「だからなんで」と毅婁イーロウは後退りしようとすると、男は大きく一歩を踏み出し、身を屈めた。
 毅婁イーロウの耳元で囁く。
 「君が知りたい情報、教えてあげるから」
 何かを企んでいるような悪戯な笑みを浮かべているこの男に唆されるわけにはいかない。
 時間を無駄にしかねない。「蛇悪魔の誘惑」に負けるわけにはいかない。
 けれど、少しでも情報が欲しい。
 妹が助かるのなら、たとえ嫌いな相手であれ、情報が引き出せるのなら引き出したい。
 賭けに出ることにした。
 「分かった」
 「じゃあ、俺の店においで」
 不敵に笑って踵を返す男の後ろを少し躊躇いつつ、ついて行った。

 
   四
 
 大通りを沿って歩いていくと大きな螺旋状の駐車場が見える。
 そのまま真っ直ぐ進むと白い大きな建物が見えてくる。
 看板には、「虎豹 フーバオ料理店」の文字と海豹アザラシの絵が描かれている。
 他の建物に比べて扉が大きかったり、全体的に人間ではなく、別の種族に合わせて作られているように感じ取れる風貌だった。
 しかし、モダン的で中華風なお洒落な外装は若者の心を掴むようで、店の前を通る若者たちは一度立ち止まって見たり、写真を撮ったりしていた。
 その光景を不思議そうに眺めながら毅婁イーロウは男について行く。
 「あの子達、人の家を勝手に写真撮ってSNSに載せたりするんだ。本当に馬鹿だよね。君もそう思わない?」
 男は不意にそんなことを言った。
 「紅棗ホンザオ、何言っ」
 「誰、それ」
 遮るように、そして威圧するように聞いた。
 触れてはいけないものに触れてしまったような、一瞬の緊張が走った。
 「ほら、先にどうぞ」
 紅棗ホンザオと呼ばれた男はにこりと微笑みながら、扉を開けて中へ入るように促した。
 「海月ちゃんは適当な場所で待っててね」
 そう言い残し、扉を閉め、鍵をかけた。
 心配そうに触手を伸ばす花花ファーファはその場に取り残された。
 「カウンター席へどうぞ」
 にこにことしながら男は上着を脱ぐとエプロンを巻いて厨房へ立った。
 毅婁イーロウは戸惑いつつ、示された場所へ座った。
 店内は明るかった。
 テーブルや椅子の高さも背の高い人でも疲れにくい設計になっていて、逆に背の低い人にはソファなどがあり、様々な種族に合った家具が使われているように思えた。
 「まずはステーキを堪能してもらおう、海豹アザラシのステーキだよ。とってもおいしいんだ」
 手際良く調理を始める。
 慣れた手つきで食材や包丁などを扱う様子を見て、毅婁イーロウは不思議に感じていた。
 彼はいつ、これを覚えたのだろうかと。
 幼い頃は北の海で暮らしていた。
 それはこの男もそうだった。
 毅婁イーロウによく絡みに行っていたこの男はずっと海の中で生活していると思われた。
 実際はそうでは無かった。
 「何か不思議かい?」
 「お前、いつ陸に行っていたんだ?」
 「質問を質問で返すのが好きだね。まあいいよ、答えてあげる。俺は過去は捨てたんだ。だから今の俺の名前は僥虎ジャオフー、今後はそう呼んでね。それと、いつ陸に行っていたかだけど、結論を言うと、“君たち”に会う前とつい最近だね」
 器用に調理をしながら話し続ける。
 「つい最近?」
 「最近こっちに来たばかりだからね、そう言っただけだよ。君たちに会う前は味の開拓と友人探しで旅してたから」
 「……」
 僥虎ジャオフーは笑みを絶やすことなく話し続けていた。
 それは意識的なものなのか、瞳だけは過去を思い返しているように切なげだった。
 毅婁イーロウはそんな彼に同情的な、それでも理解しづらいと言う感情で一瞥した。
 「はい、どうぞ」
 いつの間にか出来上がっていたステーキは芳醇な香りを漂わせ、カウンターに置かれている。
 訝しげにプレートを手に取り、自身の前に持っていく。
 備え付けのカトラリーがあるが桵月ルイユエやその家族に教わった箸すら真面にまだ使えなかった。
 変な使い方をすれば目の前にいる店主から一生弄られることになるかもしれない、そんな事を思いながらフォークを取り出し、ステーキに刺して一口齧った。
 海豹アザラシの肉は食べた事は無かったが、かなり美味いと感じた。
 臭みは無く、癖のある味や食感だが素材本来の味を引き出す味付けがされているのか、見た目こそシンプルだったが味は奥深い。
 食事に一切こだわりのない毅婁イーロウだが初めて食べる味に感動していた。
「美味しいでしょ?」
 得意気な顔をして聞いてきた。
 普段から嫌味ばかりな相手だが、こればかりは素直に認めざるを得なかった。
 「……美味い」
 「でしょ。それ、綺麗に完食してくれたら、君が欲しい情報渡してあげる」
 口いっぱいに頬張る毅婁イーロウを見て嬉しそうにそう言った。
 「……なあ、俺が欲しい情報が何か、お前は本当に知っているのか?」
 不意にそう聞いた。
 「君よりも街に馴染んでるからね、この街で何が起きているのかは把握しているつもりだよ。魚人の仕業であろう殺人の話、あれ、君だよね?」
 直接質問に答えるつもりは無い様子の僥虎ジャオフーは聞き返した。
 何故そう思われるのか、そんな疑問は浮かぶが、この男は良くも悪くも人をよく見ている。
 毅婁イーロウがそういった行動に移すような性質だと言うことを見抜いているという事になる。
 悪寒がした。
 「君が分かりやすいだけだよ。嘘が下手くそって感じ」
 「……」
 「欲しい情報は、君の家族を殺した犯人、でしょ?」
 「何で、」
 「北の海の、どこかの島だったかな。魚人が狩られたって話さ、二体の魚人は恋人同士だったんじゃないかと言われている。狩った人間以外に魚人のものと見られる足跡、争った形跡、人間のものと見られる血痕があったって。死んだ彼ら以外に家族がいて、」
 僥虎ジャオフーがそこまで話すと食い気味に、「何でそこまで知ってんだって聞いてんだよ‼︎」
 そう叫んだ。
 しかし、怒る毅婁イーロウとは対照的に僥虎ジャオフーはどこまでも冷静だった。
 「見たからさ。現場をね」
 「……は?」
 「まあ、複数の血痕と足跡を見ただけさ。匂いは明らかに俺の知っている匂いだったからよく分かったよ。でも、彼女はその場にいなかったね」
 「違う、悠花ヨウファは、その場にいて、奴らが……」
 「そう、拉致されたんだ。なら犯人は密漁者かな? 君は、犯人のひとりの特徴しか知らないんだよね? だから手当たり次第に殺しているんだ」
 「……」
 悉く言い当てられていた。
 これ以上長居するわけにはいかない。
 このまま目の前の男と話していると気が狂いそうだった。
 音を立てて椅子から立ち上がり店を出ようとする。
 その背中へ、僥虎ジャオフーはわざとらしく思い出したような声を出した。
 「あ。そう言えば、さっき、“額・を・隠・し・た・長・身・の・男・”が歩いていたの見かけたなぁ。まだその辺にいるんじゃないかな?」
 それを聞いた途端、勢いに任せて店を出た。

  *

 中央区内、某探偵事務所。
 白く大きな二階建ての建物の下にはガレージがあった。
 横の階段を上がると事務所へ通ずる扉がある。
 東胡ドンフーは買い物袋を抱えて車から降り、事務所の中へ入った。
 「ただいまっすー」
 気怠げな声が響いた。
 鍵を元の場所に置き、事務所の主人の元へ向かう。
 「おー戻ったか」
 「相変わらず人使いが荒いっすよ本当に。タバコなり昼飯なり……」
 「文句言いつつやるじゃねえか」
 「はぁ……なんで俺こんな人の世話焼いてんだろ」
 部屋の一角に備え付けてある机の後ろで革製の椅子に座り、悠々と新聞を読んでいた主人、リズワンドは東胡ドンフーから荷物を受け取り、煙草のみ取り出した。
 「……結局、俺が飯作る羽目になるんだよな」
 また深い溜息を吐いた。
 残りの荷物を仕切りの先にあるキッチンまで持っていく。
 「俺ぁ弁当買ってくりゃ良いって何度も言ってるだろうが」
 そこまで聞こえる声でリズワンドは言う。
 「ダメっすよ! あんたの奥さんから言われてるんすから、弁当じゃなくてちゃんと栄養のある物を食べさせてくださいってね」
 その答えにリズワンドは面倒くさそうに溜息を吐いて煙草に火を付けた。
 東胡ドンフーが作った料理を平らげると、不意にリズワンドは切り出した。
 「今追っている事件、お前はどう思う?」
 「魚人のやつっすよね。なんか凄い事件っすけど、他の大陸とか国とかでも似たようなのありそうだなって」
 「そうだな、“密漁者”がいる限り有り得る話だ」
 話しながらリズワンドは煙草をふかし始める。
 「密漁者なんて関係あります?」
 東胡ドンフーは片付けながら聞く。
 「じゃあなんだ? お前はなんの理由もなく魚人がわざわざ敵だらけの陸に上がって殺戮してるって言いてぇのか?」
 「それもそうか……」
 「人間だって、何らかの理由があって事件を起こす。理由がどうあれ犯罪なことに変わりはねぇが、こればかりはまた違う話にもなってくるだろうな」
 「人間側が先に手出したってことっすもんね」
 「今・の犯人がどんなやつか分かったもんじゃねえが、本当に犯人探して殺すだけなのかも怪しい」
 「と言うと?」
 「犯人を殺すだけで気が済むのか、それとも、犯人を見つけ出したい他の理由があるのか」
 「……密漁者、ってことなら、その魚人の大切な人とかが拉致されたとか……?」
 「どっちかだろうな。家族皆殺しとか恋人を殺されたとかで犯人を殺したいだけか、それとも家族か恋人が拉致されてそれを追っているのか……どちらにせよ、もしかしたら、ここに来るかもな」
 「え、なんでっすか?」
 そこまで話すと一息ついて言った。
 「探偵の勘だ」

  *

 暗い底から這い上がった。
 『もう戻ってくるんじゃないよ』
 海の魔女は最後にそう言って送り出した。
 その顔はどこか切なげだったのがとても印象的だった。
 ぷはっ、と海面に顔を出す。
 陸へ泳ぎ、貰った薬を飲んだ。
 全身が焼けるような感覚、鱗が剥がれ落ち、人間の足が露出する。
 これは薬を飲み続ける限り、人間の姿を維持できる変身薬だ。
 空になった小さな瓶をじっと見つめていると、知らない匂いが近付いてきた。
 「人魚の来訪者でしょうか、初めまして」
 男はにこりと微笑んだ。
 なんとか自力で立とうとすると、男は手を差し伸べてきた。
 その手を取り、支えにして立ち上がる。
 「お会い出来て光栄です。私はオズワルド、この街の警官ですが、海からの来訪者の為に日々巡回しているんです。突然で申し訳ありませんが、私と来ていただけますか? 面倒かもしれませんが手続きがあるので」
 そう苦笑し、ついてくるように促す。
 長い三つ編みが印象的な好青年は前を歩いていく。
 男は空の小瓶をしまい込み、息を整えて後ろを歩き始めた。
 オズワルドについて行くと、男にとって知らない鉄の塊が鎮座していた。
 自分の髪と似たような青い色をしたそれの扉を開けられ、中へ入るよう促される。
 流れるままに後部座席に座り込んだ。
 警察の車である青い軽自動車はオズワルドの運転で発進した。
 「この辺りは観光区と言って、街の外部から来る者たちの為の地区ですね。主に人間が対象となっているのですが、……いえ、この話は必要ないですね。今向かっているのは行政区、または中央区と呼ばれる地区で、そこにある警察署へ向かっています」
 道中、後部座席に静かに座る男にオズワルドは説明をした。
 「警察署では住民登録をしてもらい、寮の鍵をお渡ししたり、あとは陸上での生活の講習会の案内などの説明がありますね」
 「寮?」
 「ええ、基本的に初めは寮生活になります。とは言っても半永久的に住み続けられるホテルみたいなものですが」
 オズワルドの説明に感心していると、楽しそうな声がしていた景色は移り変わり、怒鳴り声や先程聞こえていたような声とはまた違った声色の楽しそうな声が聞こえてきた。
 「この辺りは歓楽街ですね。治安が悪いんですよ」
 観光区は整備されているように綺麗な外装や並びをしていたが、この辺りはまるでルールなどないように雑然としていた。
 車越しではあるが慣れないにおいが漂ってきて思わず顔を顰めた。
 「昼間から飲んでいるようですね、彼ら。警察の別の部署に治安管理部と言うのがあって、こういう場所の秩序を守る運動をしているのですが、あまり効果は無いみたいですね」
 窓の外には様々なにおいが混じり合った人間たちが悠悠自適に過ごしている。
 オズワルドは呆れたように溜息を吐いた。
 「ここはもう少しで抜けますので、お見苦しい所を見せてしまいましたね」
 「……いや」
 やがて歓楽街を抜けると景色は一段と様変わりした。
 「こんなに変わるものなんですね」
 雑然とした景色とは変わり、整然としていて人通りも多く、先程よりも自然的な明るさが目に付くような気がした。
 「あの地区は、市長が一時的な処置として了解しているものでもあって、……どちらにせよ整備は変わらずしているのですが、自由奔放な方が集まった結果ですかね」
 オズワルドは苦笑した。
 大通りに沿って車を走らせていると、喧騒が聞こえてきた。
 先程の歓楽街で感じたにおいとはまた違うにおいを感じ始める。
 「ここは広場です。普段からこういった催しがされているんですよ。ストリートミュージシャンが演奏をしていたり、屋台が出ていたり」
 信号を待つ間、オズワルドは少し横を向いて広場を見た。
 それに倣って見てみると、多くの人が楽器を演奏する者たちの周りに集まっていたり、屋台で買ったものを美味しそうに食べていたりしているのが見えた。
 深海にいた者にとって、人間の営みは興味深いものだった。
 これからは、海の魔女が言うように過去を顧みず、この場所で新しく生きていくことになる。
 『坊やは心根が優しいから、きっとどこでもやっていけるよ。それでも、自分が傷つくことを良しとするんじゃないよ』
 ポケットの上から小瓶を握り締めた。
 「さ、着きましたよ」
 オズワルドが先に降り、紳士的に男の脇の扉を開けて出るように促した。
 表の駐車場にはいくつもの車が止まっていて、同じようなものもあれば全く違うものもあった。
 辺りを見回すと、敷地がかなり広いことが見てとれた。
 大きな建物がいくつもあり、そのひとつの正面に聳え立つ建物の中にオズワルドが先導して入っていった。
 清潔感のある広い空間には何人もの人が訪れているようで、案内窓口をしている事務員たちや警察内の受付をしている警官たちは忙しなく、気品を感じさせる言動で対応していた。
 オズワルドは窓口の一つへ案内した。
 「私はここで離れますが、後はこちらの方に従っていただければ大丈夫ですので」
 「ありがとうございました」
 「では」と綺麗に敬礼し、オズワルドはその場を離れた。
 事務員は書類を準備し、「お名前と生年月日、種族や元いた場所をお聞きしたいのですが宜しいでしょうか?」とパソコンの横から顔を覗かせた。
 「名前は白郡ビャクグン、千九百八十五年の八月二十四日生まれで、南の海にいた爪白鮫の人魚です」
 白郡ビャクグンが答えている間、事務員は素早くキーボードを叩き、素早くデータを入力する。
 「ありがとうございます、少々お待ち下さい」
 入力し終えると、印刷機から書類を取り出し、大きめの巾着袋と一緒に白郡ビャクグンへ手渡した。
 「こちらの書類は住民票の写しとなりますので保管しておいて下さい。それとこの中には必要最低限の金魚価ジンユースーとバスを利用する際のICカードが入っています。金魚価ジンユースーは街で使用できる通貨で、袋の中に説明書が入っていますが、何か分からないことがあればいつでも来ていただいて大丈夫ですので」
 事務員から説明を聞き、それらを受け取る。
 すると机の引き出しを開け、鍵を取り出した。
 「それと、こちらは寮のキーになります。ラベルに記載されている数字が部屋番号となります。数字の前のアルファベット、Bは寮のことですね。B棟の四○一が貴方の部屋番号になります」
 「どうも」
 丁寧に説明を受けて鍵を受け取る。
 袋に入るものは袋に入れていると、「良ければ地図もどうぞ」と事務員から一枚手渡された。
 ありがとうございました、と礼を言って警察署を出た。

 

   五
 
 寮の部屋へ向かってみると、そこはまるでホテルのような部屋だった。
 家具はある程度揃っており、部屋も広く、一人で過ごすには充分すぎるほどだった。
 荷物を置き、金魚価ジンユースーが入っているらしい袋と鍵を手に取って部屋を出た。
 先程フロントで簡単に説明を受けていたのでそのまま寮を出ることにした。
 まずは身なりをどうにかするべきだと考えた。
 靴がほしい、それと同時に額にある傷を隠したかった。
 フロントでコンシェルジュに聞いてみると、近くに売っている店があると言った。
 早速そこへ向かってみると、品揃えが豊富なアパレルショップのようで、様々な商品が鎮座していた。
 適当に見繕った靴とヘアバンドを購入し、早速身につけて再び外へ出た。
 一般的な価格を知らない白郡ビャクグンにとっても、この街の商品の値段は安いと感じた。
 金魚価ジンユースーは日本で言う五百円玉のような硬貨で、街ではこれを使用し、一枚一価と定義され、現金はこの硬貨のみを使用することとなる。日本で換算すると一価で約百円となる。
 靴だけでも三価、ヘアバンドは一価で買うことが出来た。
 買い物も案外簡単なものだと思いつつ、道を歩いていると、何か異様な空気を感じ取った。

  *

 あの男が言っていた通りなら近くにいるはずだと思い、無我夢中で走った。
 花花ファーファに背後から声をかけられたがそれどころではなかった。
 額を隠した、長身の男。まさにそれに該当する男を見つけた。
 両親を殺された怒りが再びふつふつと沸き上がるのを感じていた。
 これ以上手を出す訳にはいかないと分かっているつもりだが、正直自分でもどうなるか分からなかった。
 ある男に声を掛ける。
 憤怒に支配された鮫の魚人である毅婁イーロウには、この男が何者かをその場で判断することが出来なかった。
 今まで殺した人間たちとは違い、冷静沈着でこちらを怪訝そうに見ていた。
 「ツラ貸せ」
 人目の無い場所まで男を連れ出した。
 嫌に大人しく、抵抗する素振りを見せない、萎縮することもないこの男に苛々していた。
 確固たる余裕があると感じた。
 もしかすると本当に犯人なのでは無いかと錯・覚・す・る・ほ・ど・。
 「あんた、この顔に見覚えはあるか?」
 目の前で魚人の姿へ変態させた。
 男の表情が変わることは無かった。
 その余裕綽々とした態度に益々むかっ腹が立った。
 「おい、何とか言ったらどうだ?」
 依然として、壁に背を預けて腕を組むその様に悪態をつく。
 胸ぐらを掴み上げ思い切り睨みつける。
 掴んだまま体を回転させ、男を地面へ叩きつける、そして片手でヘアバンドを力任せにとった。
 綺麗な肌には古い傷があった。
 それを見た毅婁イーロウは一層怒りを増幅させた。
 「俺の母さんと父さんを殺し、挙げ句に悠花ヨウファを拉致する卑劣な野郎……ッ何とか言えよ!!」
 胸ぐらを再度掴み直して地面に叩きつけて叫ぶ。
 全く動じていない様子に痺れを切らし、右手を離すと手の中に槍を召喚し、切っ先を男の首に向けた。
 頬や首には赤い線が走った。
 瞬間、男は毅婁イーロウの胸ぐらを掴み返し、思い切り押しのけながら上体を起こす。
 そして今度は毅婁イーロウが下になる体制に様変わりした。その瞬間、魚人姿から人間の姿に戻った。
 何が起きたのか一瞬理解が追いつかなかったが、男は毅婁イーロウを見下ろすと、
 「お前のその事件があった時、俺は海底で引きこもってたんだよクソが!! 早とちりにも程があんだろバーーーカ!!」
 思い切り叫んだ。
 毅婁イーロウは中途半端に起き上がったまま硬直した。
 「……は?」
 「やっと陸に来てまともな暮らしするかって思ったのに、なんで殺されかけなきゃならないんだよ! もうちょっと考えろ!!」
 だんだんと頭が冷えていくのを感じていた。
 怒りで感覚が鈍っていたのが正常に戻っていく時、この男からは人間よりも海と同じ匂いがすることに気がついた。
 何故初めに気が付けなかったのか、と深い溜息を吐いた。
 そして体制をなおし、男に向かって土下座をする姿勢になると、
 「本当に申し訳なかった。まさか、同種だとは……」
 「はぁ……まあ、何か事情があるんでしょ? 話してよ」
 男――白郡ビャクグンは姿勢を正し、毅婁イーロウの言葉を待った。
 毅婁イーロウは座り直してあぐらをかくと、語り出した。
 「数週間前、北の大陸の海岸沿いで、両親と妹の悠花ヨウファが俺の帰りを待ってた。俺はその時獲物を取りに少し離れた場所にいた。俺が戻った時には、悠花ヨウファと人間が言い争っていて、人間が何かを悠花ヨウファにすると、悠花ヨウファはぐったりとして、人間がそのまま連れ去ろうとしたんだ。足元には両親が血だらけで転がっていて、その時は、一人にしか目がいかなかった。複数人いた、気がする。それで、そいつを槍で串刺しにしてやろうと思ったのにうまいこと避けられて、その男は額に傷を負ったんだ。そのまま悠花ヨウファを抱えてどっか行きやがった。船に乗り込んですぐに逃げやがったんだ。 ……あいつらが向かった先に、この島を見つけた。だから、」
 そこまで話すと拳を握り込み、地面に叩きつけた。
 「協力してくれる人はいるの?」
 「桵月ルイユエっていうガキと花花ファーファっていう海月がいるけど、心許ないな」
 「そう、俺で良ければ協力しようか?」
 「……良いのか?」
 「危ない目に遭っていて、まだ生きているのなら早く助けてあげないと」
 白郡ビャクグンの言葉に驚きと喜びが入り混じり、思わず項垂れる。
 「大丈夫?」と声をかけられるもすぐに反応できなかった。
 「……ありがとう、本当に」
 酷い間違いをされた上に殺されかけたはずも、人探しを手伝ってくれるという白郡ビャクグンに思い切り頭を下げた。
 先程いた、虎豹フーバオ料理店まで戻ろうとすると、向かい側から花花ファーファが飛んできた。
 『毅婁イーロウさん!』
 突然目の前に現れた大きな海月に白郡ビャクグンは拍子抜けしていた様子だが、構わず花花ファーファは毅婁イーロウに話し掛ける。
 『何があったんですか? 先程彼から“六人目を探しに行ったんじゃないか”と言われて飛んできたのですが……』
 そう言うと毅婁イーロウの横を見た。
 『……彼が、そうですか?』
 「ああ、まあ、とんだ勘違いだったわけだが」
 その言葉を聞いて安堵したように花花ファーファは項垂れた。
 「心配掛けたな」
 『ええ、本当に……まだ時間はありますから、一先ず休憩されませんか? それに、彼の治療をしないと』
 すると、花花ファーファの背後から聞き知った声が聞こえてくる。
 「それならうちに来なよ、手当てしてあげる」
 「てめぇ……!」
 その姿を見ると敵意剥き出しになる毅婁イーロウを諌めるように花花ファーファは触手を伸ばして毅婁イーロウの肩にのせる。
 「知り合い?」
 毅婁イーロウの様子に心配する気持ちと警戒をする白郡ビャクグンは花花ファーファの後ろをじっと見た。
 「俺のことそんなに嫌い? そんなわけないよね。昔はあんなに遊んであげてたんだし」
 にこやかに手を振って歩いてくる僥虎ジャオフーは、毅婁イーロウの隣をちらりと見てほくそ笑む。
 「彼が六人目だったの?」
 「白々しいなてめぇ、てめぇのせいだろうが!」
 「俺はただ会話していただけだよ? 君が早とちりしたんじゃないの。それに、俺のことが信じられないなら信じるべきじゃなかったね。まあ、俺はそ・れ・が・犯・人・な・ん・て・一・言・も・言・っ・て・な・い・けどね!」
 そう言って笑った。
 その様子に白郡ビャクグンは気分を害したようで「何がおかしいの?」と低く言った。
 「彼が嘘に翻弄される様が面白くてね、ああごめんね、君を巻き込んでしまって。君は上がって来たばかりの海鱼人ハイユーレンなのにね」
 「……海鱼人ハイユーレン?」
 「海から来たんでしょ? 種族は分からないけど」
 「……」
 「ここで話すより俺の店に来なよ。ガ・ー・ル・フ・レ・ン・ド・を待ってるんでしょ」
 「お前そんなに俺を怒らせたいか?」
 花花ファーファに触手で体を押さえられながら睨みつける。
 「なんでもいいけど、綺麗な肌が台無しだよ、そこの君」
 『分かりました、移動しましょう』
 花花ファーファの言葉に従い、僥虎ジャオフー先導で店へ戻った。

  *

 晨海チェンハイの居住区にはいくつもの学校がある。
 小中高一貫で附属の大学までエスカレーター式で進むことができ、他にも専門学校や他の大学があったり、高等部の進学先として大陸や日本の学校へ進む者もいる。
 高等部の一年生である桵月ルイユエは項垂れていた。
 学校側の都合で今日は午前で授業が終わる。
 それまでの辛抱であるがずっと頭の隅には毅婁イーロウのことがあり、普段よりも授業に集中出来ずにいた。
 不思議に思った親友の真莉ジェンリーは髪をうねうねと動かし、桵月ルイユエに特技であるモノマネを披露した。
 「見てーゆでダコ〜」
 項垂れる桵月ルイユエの顔を覗き込み、髪を伸ばしてそれを見せようとする。
 「あ、真莉ジェンリー……」
 「ゆでダコ」
 「相変わらず変なモノマネするね、面白いけど」
 顔を上げてうねうねと動く髪を見たがいつものような快活さが無い桵月ルイユエに真莉ジェンリーは首を傾げた。
 「今日変だよ、いつものルイルイじゃないよ」
 「うん……あと数学が終われば帰れる……早く帰りたくて……」
 「何かあるの?」
 「ちょっとね、言えないのが悔しいけど、……全部終わったらちゃんと話すからね!」
 「うん、別にどっちでもいいよ。じゃあ今日は練習付き合ってくれないの?」
 髪を元に戻すと両手を軽く握って振る動作をした。
 真莉ジェンリーは家にある簡易的なスタジオでドラムをよく叩いている。
 教室内で叩く練習をする真莉ジェンリーに桵月ルイユエは付き合うのが放課後の恒例となっていたが、今日は親友よりも優先したいことがあった。
 「ごめんね、ほんとにごめん! 終わったらちゃんと付き合うし、美味しいの一緒に食べに行こ?」
 「分かった。ルイルイって大体こうなる時は、他人のことで悩んでる時だからね、うんうん、ちゃんと分かってるよ」
 「ありがとう、大好き!」
 立ち上がって真莉ジェンリーに思い切り抱きつく。
 真莉ジェンリーはよしよしと桵月ルイユエの背中を優しくとんとんと叩いた。
 「じゃ、もうすぐ始まるね」
 「うん、あ! 準備しなきゃ」
 そう言って桵月ルイユエは廊下へ走っていった。

  *

 虎豹フーバオ料理店へ戻った一行は花花ファーファを外に残し、僥虎ジャオフーは厨房へ、白郡ビャクグンと毅婁イーロウはカウンターへ座った。
 厨房の中に扉があり、その先へ進んでいくと階段と休憩室がある。
 休憩室の中へ入っていくと恋人であるフアが休めるようにソファやテーブルが置いてあり、お菓子や飲み物が常備されている。
 その横には棚があり、応急処置の出来るセットが置いてある。
 それを手に取ると二人のいるカウンターまで向かった。
 「持ってきたよ。やってあげるからじっとしてて」
 白郡ビャクグンは僥虎ジャオフーに向き直り、言われたままに処置が終わるのを待った。
 一方で毅婁イーロウは僥虎ジャオフーに苛ついていた。
 「そんなにかりかりしないでよ。悪かったとは思ってるよ、ちょっとした悪ふざけってやつかな」
 「お陰でてめぇのことまで殺しそうだった」
 「ふーん? 君にそんなことできないくせに」
 毅婁イーロウを一瞥することなくそう言った。
 その様子に益々苛々し出すが、白郡ビャクグンは「彼には謝ってもらったけど」と僥虎ジャオフーをじっと見た。
 「ごめんね?」
 「……はぁ」
 「で、巻き込まれた君はこれからどうするの?」
 手当てが終わり、片付けをしながら白郡ビャクグンに聞いた。
 「彼の手伝いをするつもりだよ」
 「毅婁イーロウちゃんの手伝い? へぇ、お人好しだね」
 箱を持ってその場を立ち去る。
 海の魔女から言われた言葉の数々がよぎり、こめかみを押さえた。
 「本当に悪かった」
 その様子を見て毅婁イーロウは再び謝罪する。
 「良いよ、別に。それより、彼とはどういう関係なの?」
 「……あいつは、幼い頃によく絡んでたな。ほとんど俺に嫌がらせしてくるだけだった気がするが。悠花ヨウファにも手を出そうとして返り討ちにあっていたし、俺を怒らせるのが好きみてぇだな」
 「へぇ」
 「君が本当に愛おしくてね、あまりにも馬鹿で」
 戻ってきて早々、開口一番でそう言った。
 そんな僥虎ジャオフーを睨みつける毅婁イーロウを見て僥虎ジャオフーはほくそ笑む。
 「聞きたいことがあったけど」
 と白郡ビャクグンは僥虎ジャオフーに言う。
 僥虎ジャオフーは毅婁イーロウの隣に座ると頬杖をついて白郡ビャクグンの方を見た。
 「どうぞ?」
 「海鱼人ハイユーレンって何?」
 「ああ。ニュースなんかで取り上げられる時に使われる言葉なんだけど、まあ、俺たちのことを指す言葉だよ。俺は鯱の魚人、彼は白鰐の魚人、君も海の仲間でしょ? 匂いで分かるよ。それに、普通とは筋肉の付き方も違う」
 「そんなことで分かるの? ……まあ、確かに俺も海から来た、魚人じゃないけど」
 「人魚か。なら反対の海から来たのかな、なんの子かなぁ。鮫? それとも」
 「爪白鮫」
 「じゃあ当たりだ」
 そう言って楽しそうに笑う僥虎ジャオフーを見る毅婁イーロウはあまり良く思っていなかった。
 「気持ち悪い」
 「俺が?」
 「お前以外誰がいるんだよ」
 「本当に俺の事嫌いだね、君って。あ、そうだ、名前教えてよ」
 「白郡ビャクグン」
 「白郡ビャクグンくんね、良ければ俺が作るステーキ食べて欲しいな」
 「ステーキ?」
 「海豹アザラシ肉のステーキ」
 得意気にウインクをして立ち上がる。
 手馴れた様子で用意をしていく様を、白郡ビャクグンは珍しそうに見ていた。
 「魚は無いの?」
 「次来る時は用意しておくね」
 毅婁イーロウはつまらなそうに頬杖をついて僥虎ジャオフーがてきぱきと動く様子を眺めていた。
 とはいえ視線はほとんど肉塊に行っていた。
 「君も食べる?」
 視線に気づいた僥虎ジャオフーは毅婁イーロウに提案した。
 「食べる」
 肉が好きな毅婁イーロウには即答だった。

  *

 意欲的に授業に参加し、クラスメイトがやりたがらないような、例えば授業中に手を挙げたり、他国では珍しい清掃の時間では積極的に動いた。
 気が付けば放課後になっていた。
 「あ! 行かなきゃ!」
 「ばいばいー」
 真莉ジェンリーに手を振り、走って昇降口へ向かう。
 折角の午前授業だ、放課後を有効活用しようとする生徒で溢れていた。
 生徒を掻き分けながら走って校門を目指す。
 昨晩、花花ファーファと少しだけ話していた。
 学校が終わってから合流する為に家まで戻るより、広場に行った方が空間も開けていて合流しやすいんではないかと。
 桵月ルイユエは広場へ走って向かった。
 広場では花花ファーファがそわそわとしながら待っていた。
 「花花ファーファ!」
 『ああ、桵月ルイユエ!』
 長い間離れていたかのように抱き締め合った。
 『桵月ルイユエ、一緒に来てください』
 「毅婁イーロウさんは?」
 『大丈夫です、とりあえず来てくださいな』
 「分かった!」
 背負っていた鞄を前に抱き直し、花花ファーファの半透明な頭部へ乗って虎豹フーバオ料理店へ向かった。
 着くと、花花ファーファから降り、軽くノックをして恐る恐る扉を開けて中へ入った。
 「失礼しまーす……」
 「あ、来た」
 白郡ビャクグンと毅婁イーロウが大きなステーキを頬張りつつ、僥虎ジャオフーは厨房から顔を出して桵月ルイユエの方を見た。
 知らない男が二人も増えている事実に硬直したが、ようやく口が開いたと思うと出てきた言葉が、
 「い、イケメンだ……!」
 「你好ニーハオ♪ いらっしゃい」
 「えっと、……な、何があってこうなってるの……?」
 とりあえず座ったら? と僥虎ジャオフーに促された桵月ルイユエは毅婁イーロウの隣に座った。
 「初めまして」
 白郡ビャクグンは不思議に思いつつ、桵月ルイユエに愛想良く挨拶をした。
 「初めまして! 私は桵月ルイユエって言うの、えっと、あなたは?」
 「俺は白郡ビャクグン、よろしくね」
 ふわりと微笑む白郡ビャクグンにわぁ、と言葉を詰まらせると、「俺は僥虎ジャオフーね、毅婁イーロウちゃんの友達だよ」と厨房から腕を伸ばして握手を求めた。
 「お友達なんだ! よろしくね!」
 「違うって」
 「違うの?」
 「あと、彼が毅婁イーロウちゃんのこと助けるの手伝ってくれるってさ」
 「本当⁉︎ やったね! でもどうしよう、どうすれば妹さん見つかるのかな?」
 鞄を抱きかかえながら俯いた。
 手際良く料理を作っている僥虎ジャオフーは「まずは腹拵えからどう?」と言った。
 桵月ルイユエの前に出てきたのは綺麗に盛り付けをされたハンバーグステーキプレートだった。
 「美味しそう!」
 「どうぞ」
 「やったー! いただきまーす!」
 備え付けてある箸を取ると慣れた手つきで食べ始めた。
 「おいしー!」
 「ふふ、嬉しいね」
 「なあ、僥虎ジャオフーなら何か知ってるか?」
 桵月ルイユエの様子を見たあと毅婁イーロウは僥虎ジャオフーに聞いた。
 「何かって?」
 「どうすれば見つかるか」
 「この街についてほとんど知らないだろうけど、人探しに適した人がいるんじゃない? とは思うよ」
 「例えば?」
 「探偵とか? シャーロック・ホームズみたいな!」
 話を聞いていた桵月ルイユエは元気に言った。
 「それは知らないけど、調べてみればいいんじゃない?」
 「調べるってどうやって」
 桵月ルイユエは箸を置くと、鞄を漁り出した。
 不思議そうに三人は様子を見ていると、桵月ルイユエは鞄の中からスマホを取りだした。
 「これで調べよ!」

   六
 
 スマホを見慣れない三人はまじまじと桵月ルイユエの行動を見守っていた。
 「晨海チェンハイ、探偵……」
 検索ワードを口に出しながら検索をかける。
 すると検索結果の一番上に、「Hutt's Detective Agency」と書かれている。
 それをタップすると探偵事務所のサイトが出てきた。
 「なんて書いてあるんだ?」
 毅婁イーロウはスマホ画面を覗き込みながら聞く。
 「えっとね、ハットさんって人の探偵事務所みたい、失せ物探し、人探し、浮気調査、何でも」
 「人探しか、当たりじゃない?」片付けながら僥虎ジャオフーは言う。
 「その事務所に行けば会えるの?」と頬杖をつきながら白郡ビャクグンは言う。
 「うん、そうみたい! えっと、行政区、……あれ、近いかも」
 画面に地図を開き、三人に見せながら説明する。
 「今私たちがいるのはここね、ここから広場の方まで歩くと、広場の東側にある、白い大きな建物が事務所なんだって」
 「じゃあ行こう」
 そう言って毅婁イーロウは立ち上がる。
 「俺はここで事が終わるのを待っていようかな」
 「桵月ルイユエちゃんも行くの?」
 「私も最後まで付き合うよ!」
 「危なくないかな」
 「俺らで守れば良いだろ」
 少し心配していた様子の白郡ビャクグンに毅婁イーロウはそう言ってそのまま店を出て行った。
 「……それもそうか。じゃあ、行こうか」
 「うん! 僥虎ジャオフーさんまたね!」
 「うん、気を付けてね」
 互いに手を振って店を出ると、先に出ていた毅婁イーロウが花花ファーファに事情を説明していた。
 『ああ……花花ファーファはとても心配です』
 「大丈夫だよ花花ファーファ! とりあえず探偵事務所行ってみよ!」
 『……ええ、そうですね』
 桵月ルイユエが先導し、広場まで向かう。
 「どこにあんの」
 毅婁イーロウは腕で鼻を覆いながら辺りを見回した。
 「この先かな、大丈夫? 毅婁イーロウさん」
 桵月ルイユエは毅婁イーロウの様子を不思議そうに見て顔を覗き込む。
 「問題ない、早く行こう」
 そう言う毅婁イーロウに「どうしたのかな」と首を傾げる。
 そんな桵月ルイユエに優しく白郡ビャクグンが答えた。
 「色んな匂いが混じってるから辛いのかな、彼は鮫の魚人らしいし」
 「鮫さんって嗅覚が鋭いってこと?」
 「そうだね」
 「そっか!」微笑む白郡ビャクグンに安心した様に再びスマホと道を交互に見ながら前を歩き始めた。
 「あれかな?」
 桃の木の影に白い大きな建物が見えた桵月ルイユエは指さした。
 目の前まで来ると先陣を切ろうとする毅婁イーロウを白郡ビャクグンは腕を掴んで止めた。
 「君が行くよりあの子が行った方がいい」
 「……分かった」
 桵月ルイユエが先に階段を上がり、扉をノックした。
 するとすぐに「はーい」と間延びした声が返ってきた。
 出てきたのは三十代くらいの男だった。
 「えっと、依頼……すか?」
 予想外だったのだろう、桵月ルイユエを見下ろして首を傾げた。
 すると白郡ビャクグンが毅婁イーロウを自分の後ろに移動させて前へ出た。
 「すみません、人探しの相談があるんですが」
 「そうでしたか! 中へどうぞ」
 男は白郡ビャクグンの後ろを確認した。
 自身よりも背の高い白郡ビャクグンよりも更に背の高い男、他の二人とは違う雰囲気を感じ取っていた。
 しかしそれよりも気になったのがそわそわとしているミズクラゲのような大きな生物。
 「……えっと、あの、それは?」
 「あ、花花ファーファっていうの! あの子はここで待っててもらうから!」
 「あー、オッケーっす、じゃあどうぞ」
 少し戸惑いつつも三人を中へ招き入れた。
 雑然とした玄関、物は多い様だが掃除は行き届いている廊下を抜けると仕切りのある広い部屋に出た。
 応接間の様にソファとテーブルが置いてあり、男は三人をソファに座るよう促し、仕切りの中へ消えた。
 桵月ルイユエはそわそわしながらソファへ座った。その次に毅婁イーロウを挟んで白郡ビャクグンが座った。
 仕切りの奥に台所があるのだろう、三人分の茶を淹れて男は戻ってきた。
 三人の前に出すと向かいのソファに座った。
 「すんません、リズさん今席外してて、すぐ戻ってくるとは思うんで、待っててください」
 そう頭を下げた。
 「あなたは?」
 桵月ルイユエの質問にはっとした男は慌てて自己紹介をした。
 「あ、俺は東胡ドンフーです。一応探偵助手です」
 「そうなんだ! じゃあリズさんって人が探偵さん?」
 「リズワンド・ハットです、探偵ですが、失礼な態度を取ってしまうかもしれませんその時はすみません」
 再び頭を下げる。
 東胡ドンフーの言葉にますますどんな人なのだろうと想像を膨らませ、わくわくして落ち着かない様子の桵月ルイユエを一瞥し、東胡ドンフーが話をし出そうとしたその時。
 「魚人が事件を起こした。五度目の事件から一日経過、また道端で血痕が発見された。鑑識から聞いた話によると、人魚のものでは無いかとの話だ」
 毅婁イーロウの背後に男が立った。
 話し出すまで気が付かなかった毅婁イーロウは素早く立ち上がって構えた。
 「そう身構えるな。俺はお前の味方だよ、今の所はな」
 サングラスを掛け、へらへらと笑って小さく手を振る異様な男だった。
 「あなたがリズさん?」
 桵月ルイユエはそわそわした様子で聞いた。
 「そ。まさかこんなチビ助が来るとは思わなかったな」
 そう言って桵月ルイユエの頭をくしゃっと撫で、壁際にある大きな黒い椅子に座った。
 「リズさん、例の……」
 「そこの男だろ、話してみろ」
 毅婁イーロウを指さしてそう言った。
 一連の男の言動を確認した毅婁イーロウは大人しく座り直して話をした。
 街へ来た経緯全て、そして今日までしてきた罪を告白した。
 黙って毅婁イーロウの話を最後まで聞いたリズワンドは「そうか」と呟いた。
 「密漁者を知ってるか?」
 三人に不意にそう聞いた。
 「そういえば、僥虎ジャオフーがそんなこと言ってたな……」
 「そうなの?」
 「ああ」
 「この街で言う"密漁者"ってのは人魚や魚人を狩る人間のことを主に指す言葉だ。お前の話を聞く限り、予・想・通・り・密漁者の仕業だな」
 「予想通りってなんだよ」
 怒気のこもった声色で毅婁イーロウは聞く。
 「事件を追ってたんだ俺たちは。この街で起こっている事件を調べ考えている内に仮説を立てた。"大切な人を殺された、もしくは拉致された魚人が密漁者を追って犯人探しをしている"ってな。まだ半透明というか、細かな部分は何も分かっちゃいなかったが、ビンゴだな」
 リズワンドの言葉に毅婁イーロウは項垂れた。
 「安心しろ坊主、今はお前たちの味方っつったろ。密漁者がよく出入りする場所、知ってんだわ俺」
 そういうと立ち上がって本棚からファイルを取りだした。
 犯人の居場所が分かる、その言葉に勢いよく反応するも白郡ビャクグンから腕を強く捕まれ、自分自身でも冷静になるよう努めた。
 ローテーブルにファイルを開いて置いたリズワンドは指でさしながら説明を始めた。
 「人魚も魚人も裏ではよく取引されるんだ、売れるからな。で、魚人は北の方が目撃情報が多いから魚人を狩る密漁者はこの辺に作業する為の倉庫を建てる。
 大体漁港にある倉庫とは違う小さなもので、隠れるように存在している。相当デカイ魚じゃなけりゃすっぽり入るサイズの小ささの倉庫だ。ここで作業してコンテナに詰め込んで船に乗せて海外へ行く。
 てめえの妹は生きてる可能性が高い、何故なら上等な娘なら魚人だろうと生きてる方が高く売れる。変態共に売る為に魚人はよく使われるんだ」
 込み上げてくる怒りを抑えながら話を聞いた。
 白郡ビャクグンはそんな毅婁イーロウの様子を見つつ、「どうやってここまで行くんですか?」と聞いた。
 「港へは車で行くか、その方が早いだろ。だがコンテナが見えてきたら降りて足で向かう。その坊主はちゃんと見張っとけよ」
 強い力で腕を掴んで暴走しないようにしているのをリズワンドは気付いていたようで白郡ビャクグンに言い聞かせた。
 「俺はやることあるから、ドンフーママが連れてってくれるってよ」
 そう言ってファイルをしまってポケットから煙草を取りだした。
 「ちょ、子供のいる前で煙草吸わんでくださいよ! あーもう! ほら行きましょ!」
 東胡ドンフーは三人を立たせて車庫まで連れて行った。
 部屋に残ったリズワンドは窓を開けて煙草に火をつけ、口に咥えた。
 煙を吐き出すと、
 「……あれが人魚と、魚人か。不思議なもんだな、あんな綺麗に化けれるんだな」
 そう呟いた。

  *

 警察署内、第五課。
 刑事事件を主に取り扱う、刑事捜査部の呼称で、他の部署とも連携して捜査をすることがあり、今回の事件は第七課である密漁取締部と共に操作を進めることとなった。
 慌ただしい署内の中、悠々とリズワンドは廊下を渡り、今回の事件を取り仕切る二廻道にかいどうの元へ向かった。
 「よう、青志せいじちゃん」
 「……その呼び方は、……今回の事件についてですか?」
 「ここに犯人らしき人物の録音証拠がある」
 隠し持っていたレコーダーを他の刑事にもわざと見えるように取り出してかざして見せた。
 「それで?」
 「今回の事件の犯人も、動機も全部分かってる、その上で俺はあ・い・つ・ら・を密漁者たちの所へ行かせた」
 リズワンドがそう告げると「何を言ってるんだあんた!」と野次が飛んでくる。
 「犯人である魚人は、拉致された妹を取り戻す為に拉致犯を探し回ってた」
 「だから行かせたと」
 「勿論、暴走しないようにお守り付きでな。俺の相棒が連れていった」
 「何が言いたいんでしょう?」
 「あいつらからアクションがない限り動かないでくれ。感動の再会を邪魔してやりたくないんでね」
 「貴方って人は……」
 こめかみを抑え、少しの間沈黙すると、「分かった」と言った。
 「その後はこちらで処理しますので」
 「ああ、そしたらお役御免だからな俺ぁ」
 そう言ってレコーダーを置いて立ち去った。
 警察署から出ると東胡ドンフーに電話を掛けた。
 「ついたら警察に連絡しろよ」
 それだけ言うとすぐに電話を切った。

  *

 四人は白いミニバンに乗り込み、花花ファーファは車の上を泳いで目的地まで向かうことにした。
 道中、リズワンドから電話がかかってきたが一言要件を伝えると直ぐに切られた。
 「港までもう少しなので、……えっと、睨んでます?」
 東胡ドンフーはミラーをちらりと見ると、後部座席に座る毅婁イーロウと目が合った気がした。
 「睨んでない、こういう顔だ」
 「貧乏揺すりは凄いけどね」
 落ち着いた様子で隣に座る白郡ビャクグンはそう言った。
 「映画みたいに信号無視できないもんね」
 「こっちが逮捕されちゃいますからね、スピード違反とか信号無視とかしたい気持ちは俺だってありますけど、辛抱してください」
 「……分かってる」
 無理矢理自分を納得させるように頷いた。
 桵月ルイユエは変わりなく落ち着かない様子だが、それと同時に悠花ヨウファに対する心配も強まっていった。
 「きっと、大丈夫だよね」
 そう言い聞かせるしか無かった。
 コンテナが見えてきたところで適当な駐車場に車を止める、毅婁イーロウが突っ走らないように白郡ビャクグンは腕を掴み、同じ方から車を出た。
 「なんだよ」
 「暴走しないように」
 「しねえよ」
 「自分でも分からないでしょ、念の為」
 「……」
 東胡ドンフーが先導し、ファイルにあった倉庫を見つける為に向かう。
 「君は危ないからちゃんと俺の後ろにいてくださいね」
 「うん!」
 まるで緊張感の無い声色で返事をした桵月ルイユエに少し心配しつつ、前方を警戒しながら歩いていく。
 すると、東胡ドンフーは足を止めた。
 止まりきれずに東胡ドンフーの背中にぶつかった桵月ルイユエは、東胡ドンフーの背中をぽんぽんと優しく叩いた。
 「いたの?」
 「いました」
 小声で聞くと、前方をしっかり見据えながら頷いた。
 桵月ルイユエの後ろにいる二人は、その双眸と嗅覚でそれを捉えていた。
 思わず殺気立つ毅婁イーロウに比例して白郡ビャクグンも手に力を込める。
 「今人影がありました、二つほど、多分人が来ないか見張ってるんです」
 桵月ルイユエが密漁者であろう人影を見ないように体を回転させて反対側を向かせ、両肩を抑えつつ、後ろを着いてきていた毅婁イーロウと白郡ビャクグンに話した。
 「毅婁イーロウくんが暴走寸前なんだけど、どうすればいい?」
 「俺は正直この子と安全地帯にいたいんすよ」
 「そうしてくれた方がいいかな、俺なら毅婁イーロウくんのこと止められると思うし」
 あの事件の犯人を片手で制御している時点でおかしいと感じていた東胡ドンフーは納得した。
 「わ、かりました、くれぐれも気を付けてくださいね。殺すのだけは」
 「大丈夫」と毅婁イーロウは東胡ドンフーの言葉を遮った。
 「俺はもう人間は殺さない、ただ殴んねえと気が済まねぇ」
 「それもアウトではあるんですけどね! まあ、リズさんが多分話つけてくれたんだと思うんで、暴れてもらっていいです。やり過ぎなければ!」
 「……おう」
 毅婁イーロウを見上げながらそう言い聞かせると、桵月ルイユエを連れて離れていく。
 すれ違いざまに桵月ルイユエは「気をつけてね」と毅婁イーロウと白郡ビャクグンに言った。
 頷くと、白郡ビャクグンが先にコンテナの影から見張りらしき人影を目視した。
 白く小さな倉庫、いくつもコンテナが積まれている。
 その扉の左右に人影が二つあった。
 毅婁イーロウの言っていた特徴の男はいない。
 だが見張りだからか、他の人間とは違って筋肉質で背もある。
 とはいえ二人の敵では無い、簡単に突破できると踏んだ。
 「俺は奥側の男を気絶させるから、君は手前の男を気絶させて」
 「分かった」
 言うと、白郡ビャクグンは素早く前方へ駆け出した。
 「あ? なんだてめ」
 白郡ビャクグンを確認した見張りの一人は、追い払おうと一歩踏み出した瞬間、うぐっ、と鳩尾を膝で思い切り強打され、蹲ってそのまま倒れ込んだ。
 その間に白郡ビャクグンの方へ向かおうとするもう一人の見張りの背後にまわった毅婁イーロウが、手刀を思い切り首に打ち付け、気絶させた。
 ばたりと倒れた見張りを跨ぎ、白郡ビャクグンに目配せすると、「開けていい」と言うように頷いた。
 毅婁イーロウが倉庫の扉を開けると、数人の男が大きな水槽を囲っていた。
 水槽には鉄格子が外側に付けられていて出られないように鎖や南京錠で固定されており、その中には魚人の姿があった。
 叫ぶように口を開け、出たいと言うように水槽を叩いたり身体を打ち付けていた。
 その様子を見ている男たちはにたにたと楽しそうに笑い、中にはベルトを緩めている者もいた。
 「なあ、ちょっとくらい味見させてくれよ」
 「商品をてめえの汚ねえ精子で汚すわけにゃいかねえだろうが! ふざけんな!」
 「俺もしたい、人の姿に化けれるんだろ?」
 「ああ、ニュースでは魚人が男を殺し回ってるらしい、てめえのこと探してるかもな」
 その中には毅婁イーロウが探していた男がいた。
 話を振られた男はハハッと笑い、「そうだな」と額の傷を触った。
 毅婁イーロウは見つけたその男に駆け出した。
 「毅婁イーロウ‼︎」
 白郡ビャクグンの制止を聞かず、その男に向かって助走をつけると、踏み込んで勢いをつけて思い切り殴った。
 途中で殺す訳では無いと気付いた白郡ビャクグンは毅婁イーロウの元へ歩いて向かっていた。
 「死なない? これ」
 「……分からん」
 男が倒れたことにより、二人を警戒するように他の男たちが取り囲んだ。
 水槽を見遣ると魚人姿の妹の姿があった。
 声は聞こえないがガラスに手をついて泣き叫んでいるようだった。
 「悠花ヨウファ……」
 拳を握りしめた。
 「おいおい、嘘だろ」
 「本当に来やがった」
 口々にそう話す中、怖気付いて逃げようとする影があった。
 白郡ビャクグンは咄嗟にその男に向かって走り、飛び乗った。
 前に思い切り倒れた男はそのまま気絶したようで動かなくなった。
 「逃げるな」
 立ち上がると低く唸った。
 「すげぇ……」と一連の動作に思わず見入ってしまった毅婁イーロウは首を振って切り替える。
 近くにいる男たちを次々に殴り倒していく。
 「俺はこっち片付ける」
 「分かった」
 背中を預け、お互い反対側にいる男たちに殴りかかった。
 応援を呼ぼうとした男の手を踏み付けると、倉庫の出入口から声が響いた。
 「そこまでですよー犯罪者諸君‼︎」
 高らかに愉悦さえ感じる声色が響く。
 「柒世しちせ殿、あとは任せましたよ」
 「なんでだよ」
 刑事の二人の後ろからオズワルドが顔を出す。
 班員に倒れている密漁犯グループを回収するように言うと、毅婁イーロウたちの元へ向かった。
 「まさかここで会うことになるとは思いませんでした」
 白郡ビャクグンの方を見るとそう言った。
 「それで、彼女が妹さんですね」
 「なんで知ってんだ」
 「話を聞かせてもらったので、……それにしても頑丈ですね、鍵は」
 「壊せばいいんだろ」
 「器物破損に該当します」
 オズワルドと毅婁イーロウが話してる中、白郡ビャクグンは倒れている男の腰から鍵束を見つけて取り出した。
 「これ?」
 指にリングを乗せてクルクルと回してオズワルドに投げ渡した。
 「ありがとうございます」
 南京錠に鍵を差し込むとかちゃりと音がして取れた。
 鎖を解くと毅婁イーロウは水槽の上部から悠花ヨウファを引き上げた。
 抱き上げて地面に降りるが、悠花ヨウファは白郡ビャクグンの方を見て顔を紅潮させて動かない。
 「悠花ヨウファ、大丈夫か? なあ」
 体を揺すると、「ねえ! このイケメン誰⁉︎ 兄ちゃんより強いじゃん! えっ? えっちょっと、やだっ! はずかしい!」
 体を自身で抱きしめてくねくねと身を捩ったかと思うと、毅婁イーロウを軽く突き飛ばし、白郡ビャクグンの方へ駆け寄った。
 「とても強いのね、初めて見たかも……お名前は? あたしのこと助けに来てくれたの? これってもしかしておとぎ話によくある王子様が助けに来てくれたってやつ⁉︎」
 きゃーきゃーとひとりで盛り上がる悠花ヨウファの様子に呆気に取られつつ、「元気そうで良かった、俺は白郡ビャクグン、君のお兄さんに手助けしようと」
 「白郡ビャクグンさん! もう素敵! 超かっこいい! あたしと」
 跳ねたり体を密着させようと近付くと、オズワルドが悠花ヨウファの腰に手を回して自身に引き寄せて止めた。
 「元気なのはいいことですが、おふたりには署で話を聞かせてもらいます。それと、貴方は病院へ」
 手を離し、女性警官を呼んで連れて行ってもらうとオズワルドは苦笑した。
 「元気なようですが、落ち着いた頃に何があるか分かりませんから、まずは病院で検査などをさせてもらいます。その後で諸々話しましょう、一先ずは、貴方は刑事捜査部に引き渡します」
 貴方はこちらへ、と白郡ビャクグンを連れて行く。
 「君はこちらへどーうぞ♪」
 羅銀杏らいちょうは毅婁イーロウに手を差し伸べた。

   七
 
 空海鱼コンハイユー警察署、取調室。
 監視カメラや録音機材が置いてある無機質な部屋の中で、大人しくパイプ椅子に腰掛ける被疑者毅婁を前にぽんぽんと言葉を投げかける。
 「分からんなあ、なぁんでわざわざ殺し回ってたん? 顔すら覚えてなかったんですかぁ? あんた鮫の魚人やっけ? あーそれなら嗅覚の方に神経行ってて目見えて無かったんとちゃいます? それとも、感情が突っ走ってまともに神経使えんかったんですかぁ? 悲しいですなぁ、大嫌いな人間様の姿でこーんな残忍な殺人を五件も起こして。
 あ、六件目の被害者である白郡ビャクグンとか言う人魚さんは問題視してないようで、あんたの刑罰の対象は五件のみ。あの人は被害届さえ出さない、あんたを許してるって言うてはります。殺されかけてよう言えるわほんま」
 羅銀杏らいちょうは自分の爪を見ながらひたすら毅婁イーロウに一方的に話しかける。
 仕事だから仕方なくこうしているとでも言わんばかりに一向に毅婁イーロウの顔を見ようとしなかった。
 「けどまあ、ニュースを知った街の人達は何故かあんたを擁護してるらしいですわ。人間が先に手を出したのが悪い、密漁犯の方が死刑、でもやっぱり殺人は重罪だという人もいる。僕も殺人の方が悪いと思ってるんですよ、まあと言ってもあんたは両親ぶっ殺されてますし、五人の命と賭けるほど尊い犠牲だったんでしょきっと。あんたのことはとりあえず拘置所にぶち込んで裁判って感じやから、どうなるかは期待せずじっと待っとってくださいね」
 それじゃ、そう言って出ていった。
 羅銀杏らいちょうと入れ替わるように柒世しちせが入室する。
 気怠そうに毅婁イーロウの前に座ると、溜め息をついた。
 「相棒が散々言ってたから、俺からは何も言わねえ。見る限り、あんたは反省しているようだし、世の意見やら市長の意見やらで減刑も夢じゃないだろうな」
 ジャケットの裏をまさぐり、煙草を取り出そうとしたその手を自制した。
 「……市長?」
 「やっと喋ったか。ああ、この街はちっと特殊なんだわ。あいつが言ってたが、裁判は確かにやるだろうな、だが最終的な判断を下すのは裁判長じゃない。梅鱼メイユー市長だ」
 「……」
 「世論はどうだろうな、あんたは暫く娑婆に出れないから知る事もねえか」
 黙って話を聞いていた毅婁イーロウは口を開いた。
 「なあ、悠花ヨウファは、元気か?」

  *

 警察署の敷地内に総合病院があり、海鱼人やほかの種族でも治療が出来るような設備が整っており、海鱼人ハイユーレン専用の棟に運ばれた悠花ヨウファは様々な検査を終えると、人間の姿で点滴に繋がれ、自身の病室まで歩いた。
 幼少期、兄である毅婁イーロウと一緒に体を鍛えていたこともあり、身体は丈夫で、検査の為に歩き回って疲れた以外に問題点は無かった。
 ベッドに飛び込みたい気持ちを抑え、静かにベッドに腰掛ける。
 「はあ……」
 疲れた、と悠花ヨウファにとって窮屈な患者衣の襟を掴み、豊満な胸元を少し緩めた。
 「着なきゃダメ……? きつ……」
 元々服を着ることに抵抗があった悠花ヨウファにとって入院生活は窮屈そのものだった。
 様子を見に来た女性看護師は、「あ、悠花ヨウファさんだめですよ、ちゃんと着てください」と胸元を直した。
 「だってきついんだもん」
 「だめです、病院だって完璧に安全なわけじゃないですからね」
 「えーん」
 わがままを言う悠花ヨウファの言葉を適当に流しながらベッドに寝かせた。
 「ちゃんと安静にしててくださいね」
 そう言い聞かせて看護師は用事を済ませて出て行った。
 すると、清潔感のある服装の長い三つ編みを揺らした男が入ってきた。
 
 一方、東胡ドンフーと一緒に行動していた桵月ルイユエは共に警察署へ向かい、事情聴取を受けた。
 「初めてでちょっとわくわくしちゃった」
 依然とした態度でほくほくと状況に感動していると、同じく聴取を終えた白郡ビャクグンが合流した。
 「あれ、聴取受けたの?」
 「うん!」
 「そういえば大丈夫だった? 東胡ドンフーくんと一緒にいたんだよね」
 「そうだよ! むしろ全然そっちの様子見せて貰えなかったから大人しく車にいたよ」
 「そっか」と安心したように微笑んだ。
 「毅婁イーロウさんともう会えないのかな……」
 白郡ビャクグンに笑い返すと途端に落ち込むように俯いた。
 何か答えようと口を開きかけた時、「会えなくも無いですよ」と聞こえてきた。
 「刑事さんだ」
 「私は羅銀杏らいちょうと申します。先程あの魚人殿と楽しく“お話”させてもらいましたが、随分大人しかったですね」
 その口ぶりとは反対に興味が無さそうに目を逸らした羅銀杏らいちょうに、あまりよく思わないのは当然かもしれない。
 白郡ビャクグンは嫌な言い方するんだな、と思いつつ、「会えなくも無い、とはどういう事ですか?」と聞いた。
 「彼は敷地内にある拘置所という所に護送されます。その後刑務所行きになるかどうかの裁判がありますが、この街では一応、互いの了解があれば拘置所内にいる犯罪者……違いましたね、被疑者と面会することが出来るんです」
 わざと間違えたのか、それとも無実であれそうじゃないであれ拘置所に入る人全てが犯罪者と決めつけているような言い方だった。
 桵月ルイユエはむすっとして「じゃあいつ会えるの?」と聞いた。
 「そんなに会いたいですか? そんならこちらから連絡いたしましょうか?」
 「是非そうしてください」そう答えたのは白郡ビャクグンだった。
 「そんな睨まなくても」と半笑いで言うと、「分かりました、ではこちらからその人間の少女の方にご連絡しますね」
 それだけ言うと返答を待たず桵月ルイユエの腕を引いてその場を離れた。
 遅れて東胡ドンフーが合流する。小走りで白郡ビャクグンに駆け寄ると、「大丈夫でしたか?」と尋ねた。
 「俺は問題ないけど、桵月ルイユエちゃんが刑事に連れてかれて」
 「え⁉︎ もしかして羅銀杏らいちょうさんかな、あの人ほんとに態度悪いから……代わりに謝っておきますすみません」
 「なんで東胡ドンフーくんが」
 「そうだ、これからどうするんですか?」
 「一応、この件を知ってる人がいるからその人に話しておこうかと思ったけど」
 白郡ビャクグンがそう言うとその背後から「その必要は無いよ」と明るい声が降り注いだ。
 「でか」
 僥虎ジャオフーの鯱由来の身長に東胡ドンフーは見上げて驚く。
 「ふーん、君が探偵?」
 「あ、ち、違います。俺は助手です」
 「へー。あ、ツマジロちゃん。他の子は?」
 東胡ドンフーに興味が無いのか早々に話を変える。
 「桵月ルイユエちゃんが羅銀杏らいちょうって言う刑事に連れてかれて、毅婁イーロウくんは簡単には会えなさそうかな」
 「ふーん。まさか俺までここに来なきゃいけないなんて思わなかったな」
 「何か聞かれたの?」
 「知ってることを話しただけだよ。彼を焚き付けたことは無い、聞かれたことを答えていたら勝手に店を飛び出したって」
 「……嘘じゃないのそれ」
 「嘘じゃないよ。俺からすればこういう話ってだけさ」
 飄々と答える僥虎ジャオフーに頭が痛くなりそうだった白郡ビャクグンは桵月ルイユエの行方を追うことにした。

  *

 「具合はどうですか?」
 にこりと微笑むオズワルドは私服姿で、悠花ヨウファは首を傾げた。
 「全然平気、……あなたって刑事さん、よね?」
 「ああ、これから警備巡回に行くんです。それと、私は刑事では無いですよ。警察の人間ではありますが」
 「そうだったの、ごめんなさい」
 「いえ、気にしないでください」
 柔い口調に優しく微笑むその姿は、おとぎ話に出てくるような王子そのもののようで、その端正な顔立ちと身綺麗な姿は女性を虜にするのに充分だった。
 扉越しに女性看護師はオズワルドの姿を一目見ようと集まっているが、悠花ヨウファには全く動じる様子はなかった。
 「ねえ、白郡ビャクグンさんとか、兄ちゃんに会えないの?」
 「本人の希望次第で白郡ビャクグンさんには会えるでしょうが、被疑者である毅婁イーロウさんには会えないと考えていただいた方がいいでしょう。仮に彼が拘留中に貴方が退院すればまた別ですが」
 「そう……」
 「少し気になって診に来ましたが、問題なさそうで何よりです。では私はこれで」
 行儀良く軽く頭を下げて病室を出ていった。

  *

 白く塗られた木製の椅子や机、簡易ベッドとトイレなど必要最低限の設備しかないが、檻の中であるにもかかわらず内装はカラフルでとてもシュールな光景だった。
 毅婁イーロウは服を着替えさせられ、危険物を所持していないかなどのチェックをされた後に独居房に入れられた。
 裁判までの間、また眠れない日々が続くのだろうかと考えていると、看守が近付いてきた。
 「毅婁イーロウ殿、面会希望者がいるとの連絡がありましたが、どうされますか?」
 「面会……?」
 「面会室にて時間は決まっていますが、希望者との対話が可能です」
 そう説明を聞くと、思い浮かんだのは三人の顔だった。
 胡座を解いて立ち上がり、看守に近付くと「誰と会えるんだ?」
 「白郡ビャクグン殿です」
 驚いて少しの間動けずにいたが、すぐに「面会したい」と答えた。
 看守は扉の鍵を開けると手錠をかけ、面会室へ毅婁イーロウを連れて行った。
 面会室は開けた場所で、自動販売機や座って話ができるようなスペースがあり、出入口にはそれぞれ看守が立っていた。
 白郡ビャクグンはその一角で毅婁イーロウを待っていた。
 白郡ビャクグンの元へ行くと頭を下げた。
 「本当にすまない、すまなかった。それと、ありがとう、助けてくれて……悠花ヨウファ、あんたが見舞いに行ってやってくれないか? 俺はいけないだろうし……多分、その方があいつも嬉しいだろうから」
 毅婁イーロウの言葉に苦笑した。
 「まあ、俺が君だったら同じことしてたし。それに、俺は未遂で終わったんだからもう気にしなくていいって」
 あの時感情に支配されていなければ、そう悔やんでも戻らない。
 だからこそ誠心誠意謝罪しようと思った。
 何度謝ったところで、死人は生き返らないし傷が癒えるわけでもない。
 毅婁イーロウのその意思を汲んだ白郡ビャクグンは一拍置いて言う。
 「分かった。なにか伝えたいことがあるなら預かるけど」
 「いや、特にない。あの様子を見たら気が抜けたっていうか、前よりは心配してないが、まあ今度は別の意味で心配だがな」
 白郡ビャクグンに対して惚れ込んだ様子できゃっきゃとはしゃいでいたのを思い出し口元が綻ぶ。
 「そうだね、分かった。代わりに行ってくるよ」
 「そういえば、桵月ルイユエたちって」
 「桵月ルイユエちゃんたちも来たがっていたけど、学校があって大変だしね」
 「そうか。あいつよりお前で良かった」
 「僥虎ジャオフーは店があるからってそもそも来る気無かったよ」
 「あいつらしいな」
 そんな会話をしながらこれからの事に思い耽る。
 俯いて黙り込む毅婁イーロウに「どうかしたの?」
 「二度と会えなくなるんじゃねえかって思って」
 弱気な発言に白郡ビャクグンは目を伏せる。
 ようやく会えた唯一の肉親と再び離れることになってしまった。
 自分がどれだけ重い罪を背負ってしまったのかを実感しているのかもしれない、それともあの刑事から散々責められて実感せざるを得なかったか。
 何にせよ、まだ何も分からない状況で弱気になってしまうのも仕方がないのかもしれない。
 「でも悠花ヨウファは、俺がいなくても大丈夫そうだな」
 寂しげにそう言った。
 「そんなことないと思うけどな」そう言おうとしたが、再会時の白郡ビャクグンに対するはしゃぎ様を思い出し、口を噤んでしまった。
 そろそろ帰るね、と立ち上がると、座ったままテーブルの上で手を組み、握り締めた毅婁イーロウは白郡ビャクグンを呼び止めた。
 「白郡ビャクグンさん、悠花ヨウファのこと頼んでいいか」
 その言葉に何の意図があるのか、分からないふりをして何も言わずに面会室を出た。
 
 裁判が開かれた。
 ニュースで大々的に取り上げられたこの事件は市民どころか世界中の注目の的だった。
 魚人が人間を殺した、それだけならば世界各地に点々と存在する話だが、「晨海チェンハイ」という世界的に名が知れ始めた特殊な街で起こった事件で、更に各地で法が確立しきれていない「密漁者」が関わるとならば、どの国の放送局も取り上げようと躍起になることは想像にかたくない。
 公開された裁判ではスムーズなやり取りが行われており、事件を起こした毅婁イーロウの弱りきった姿に裁判を見た人々は驚愕したかもしれない。
 魚人とはどんな存在なのか、それすら知らない者もいたことだろう。
 この裁判では魚人や人魚などの種族が明らかとなっているが、実際にその姿で現れている訳では無い。
 その姿、そして過去の惨劇を知った人々はSNSで口々に勝手な討論を始めていた。
 その多くの声に、
 「減刑すべきだ、と」
 ハートのエースを二枚中央に捨てる。
 「……本来は、どれほど重い刑なんだ」
 梅鱼メイユーは手札をカラタに隠しながら寄せる。
 その中から適当に手札に合うカードを探し、左の手札を抜き取った。
 「殺人は動機も考慮されるが、基本的には死刑か無期懲役、軽くても五年以上二十年以下の懲役だな」
 梅鱼メイユーの手に残るのはジョーカー一枚のみ。
 「……考え事をするとき、いつも右にジョーカーを残すな」
 あがったカラタはそう言った。
 がっくりと肩を落とし、机上にジョーカーを落とす。
 「はぁ……私はどうすればいいんだ」
 ため息をつくと机に突っ伏した。
 「彼は確かに罪を犯した、だがそれだけのことを密漁者たちがしたわけだ。それでも無関係の人間を殺してしまったと言う事実は変わらない」
 堂々巡りの思考をまとめようと声に出してみるが何も変わらない。
 「……密漁者は、どうなったんだ?」
 「彼らは現行犯逮捕、そのまま刑務所行きだ。ここのではなく、彼らの出身地である大・陸・のな」
 この街で言う大陸とは主に中国を指す言葉で、その辺りから来る人は「大陸出身」と呼んだりする。
 そうか、と相槌を打つ。
 大きくため息をつく、正解のない問題の答えを出すのは非常に困難だと改めて思う。
 「あの子は相当気を病んでいる。ここに来るまでに人と触れ、会話を交わしてようやく人を理解できたのかもしれない。きっと良い子なんだろうな」
 「……どうするつもりなんだ? 減刑するのか?」
 「減刑しても良いと私は思う。多少の罰は必要かもしれないが、でも既に充分に反省しているとも思う」
 トランプを片付けながら梅鱼メイユーの言葉を聞く。
 「……答えは、出ているようだな」
 ほとんど表情は変わっていないが、その雰囲気は柔らかかった。
 そして最終的な決定が出された。
 梅鱼メイユーが出した結論、被疑者・毅婁イーロウには“懲役三年以上、執行猶予五年”の判決が下った。
 要するに、五年間犯罪を起こさない限り刑務所に入ることはない。
 毅婁イーロウの担当をした弁護士は要約して「つまり、あなたが犯罪を起こさない限り、この街の中で妹さんと暮らすことができます」と伝えた。
 もう会うことは叶わないと思っていた毅婁イーロウは泣き崩れた。
 思っていたよりも寛大な判決だと思った毅婁イーロウは、何度も何度も謝り、礼を言った。
 裁判が終わり、正式に街の住人として登録することとなった毅婁イーロウは、退院した悠花ヨウファと同じ部屋を共有することとなった。
 「B棟の四○四があたしたちの部屋だって!」
 警察署に迎えに来た悠花ヨウファと住民登録を済ませ、帰路に着く。
 「白郡ビャクグンさんも確か部屋近かったのよね……」
 「白郡ビャクグンさんと何話したんだ?」
 ようやく二人で会話することができると安心した毅婁イーロウは隣を歩く悠花ヨウファに聞いた。
 「兄ちゃんのことはちょっとだけ、あとはずっと白郡ビャクグンさんのこと聞いてた!」
 だろうな、と思った。
 思わず笑みが溢れた毅婁イーロウを見て「何笑ってるのー?」と小突く。
 「いや、別に」
 「そうだ、連絡? できるのよね、連絡先欲しい〜!」
 「れんらく」
 「なんかね、離れていても文章送ったり声が聞けたりするんだって!」
 「良いなそれ」
 「でしょ? あ、そうだ。今度一緒に講習会行きませんか〜って誘っちゃおうかな!」
 相当入れ込んでいる様子で、一人ではしゃぐのを眺めているだけで懐かしい気分になった。

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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