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通想呈恩

奥井晴弥

5,136 字

ヒューマンドラマ・音楽小説

"音と建築が響き合う、表現者たちの静かなる恩返し。"

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私が槇村真治の名前を知ったのは、つい最近のことだった。

二年ほど前に作ったマイベスト二十曲のプレイリスト。
高校生の頃によく聞いた女性歌手の曲、大学時代に人気があったバンドの曲、ドラマの挿入歌、偶然耳にしたアイドルグループの曲。昔テレビ番組で見た、自分が生まれる前の流行歌。好きな小説の中で名前が出てきた曲。
それぞれの曲との出会いも、ジャンルも、年代もバラバラだ。
二週間前、そのことがなんとなく気になってプレイリストの曲タイトルをChatGPTに入れて、好みに傾向があるように見えるか、聞いてみた。

《志穂さん、特定のジャンルやアーティストに偏らず、幅広いプレイリストですね!二十曲全体を俯瞰すると、志穂さんの音楽の好みには一定の傾向があります。まず特筆すべきは、音楽プロデューサー、槇村真治さんの存在です。志穂さんが共有してくれたプレイリスト二十曲のうち、五つの曲に編曲者として彼が関わっています》

冒頭に現れた文を見て、へえ、と思った。
正直なところ私は、音楽には疎い方だと思う。
だから「幅広いプレイリストですね!」なんて言われるのは、ただ単に傾倒できるようなジャンルやアーティストを知らないだけなのに、ちょっとむず痒い。
勝手に耳に入ってくる流行りの曲や、有名な歌手の名前を知らないわけじゃない。
でも音楽プロデューサーなんて、表に名前が出てくるような一部の人を除けば、その存在を意識したことがない。

ChatGPTが、槇村真治さんが関わった曲として挙げた五曲。
それぞれの曲を好きになった理由は違うし、音楽的にそれほど似ているとも思わない。
でも、どの曲も三十六年生きてきた中で、折に触れて聞き返してきたものだ。
私は槇村真治さんについて少し、調べてみることにした。

わかったのは、単に私が名前を知らなかっただけで、槇村さんという人は音楽業界ではかなり名の通った人物だということだ。
槇村さんの名前はWikipediaに立項されていて、プロデュースや編曲の実績としてリストアップされている楽曲には、音楽に疎い私ですら、その曲名からどんな曲かを思い起こせるものがいくつもあった。
もちろん、ChatGPTが挙げた五曲もリストに含まれていた。

槇村さんの生い立ちの記事を読むと、十五歳ごろまではクラシックバイオリンを習っていたが、高校生の時に建築家を志望して大学では建築学科に進んだ、とあった。
その出典元として『槇村真治の建築放談チャンネル』というYouTubeチャンネルの名前があった。

私はそのチャンネルを開き、一番上に表示された動画を一本、見てみた。
動画の内容は、初老のイケオジといった風体の槇村さんが、特定の建築と建築家をピックアップして、その見どころを解説しながら偏愛的に語る、というものだった。
聞き手役の男性は画面には出てこないけれど、どうも音楽関係のつながりのようで、解説に音楽のたとえが時々出てきた。そのタイミングで聞き手に「槇村さん、そのたとえ(音楽関係者以外には)たぶんわかりにくいですよ」とツッコまれ「そう?」と無邪気っぽい表情で笑いながら言うのが微笑ましかった。
私には建築の知識は全くないが、槇村さんの解説は建築へのオタク的愛が溢れながらも話はわかりやすく、面白いと思った。

サムネイルを眺めると、時々有名ミュージシャンがゲストとして登場する回もあるようだ。
チャンネルの登録者数は9.7万人、となっていた。
私はとりあえずチャンネル登録ボタンを押して、画面を閉じた。

*

「槇村さん、もう少し、左寄りに座ってください」
動画の聞き手役兼編集担当の古賀に声をかけられ、椅子を動かす。
今日はチャンネル登録者十万人突破を記念して、初のライブ配信を行う。
だから機材の配置がいつもの収録と違う。

「ああ、このへんでいい?」
「はい、OKです」

一年半ほど前、還暦を迎えた私は、趣味である建築について話すYouTubeチャンネルの配信を始めた。
言い出したのは音楽配信用の動画制作を依頼していた、古賀だった。
「槇村さん、前から思ってたんですけど、異様に建築詳しいですよね?話も面白いし、YouTubeで建築の話、してみません?絶対伸びると思うんですけど」
「え?そんなの需要あるかな?そもそもあまり自分が目立つの、好きじゃないんだよな。建築家になりたいと思って建築学科行ったのも、結局、自分が目立たなくて済みそうだと思ったからなんだよ」
「槇村さん、建築学科だったんですか?初耳です。だからそんなに詳しいんですね。それなら尚更、趣味だと思ってやってみません?聞き手役と編集は、僕がサービスでやりますから。飽きたらやめればいいし、もし収益化できたら、後で気持ちだけ返してくれればOKです」
そうして私は古賀に押し切られる形で、自分の名前を冠したYouTubeチャンネルを開設することにした。

音楽業界で働き始めて四十年弱。
ベーシストとして時折ステージの後方に立つことはあったが、基本的には誰かを表舞台に送り出す仕事をしてきた。
十五歳まで学んだクラシック音楽の基礎と、
大学時代に行っていたバンド活動の縁のおかげで、
幸い仕事には恵まれ、この業界ではそれなりに名前を知られるようになったと思う。

だけど、本当は今でも建築の方が好きだ。
音楽の仕事をしている時も、建築家を目指して学んだことはいつも頭のどこかにある。
構成も、コード進行も、転調も、全部建築に置き換えられる。
ある曲のサビへの入り方を考えていたとき、私は安藤忠雄の設計した茨木春日丘教会、いわゆる「光の教会」を思い浮かべた。
暗い礼拝堂の正面に、光の十字架が浮かぶ。
一般的な編曲のセオリーと音圧の上下をあえて裏返すことで、声を際立たせる。
普通なら「ある」場所に「ない」ことが、その形をより強くする。
そんなイメージで考えた。

二十代の頃、私は建物を造って残す仕事がしたかった。
だが私を必要としてくれたのは、浮かんでは消える音楽の方だった。
私は建築に関しては、その流れを押し返すだけの才能を持ち合わせていなかった。
それでも、建築への興味と学びが私を、音楽の世界で食えるようにしてくれた。そう思っている。

本来、目立つのは好きではない。
今日のライブ配信は、音楽と、建築への、恩返しだ。

*

「こんばんは。槇村真治です。えー、音声大丈夫ですかね?」
画面の右側を、次々と文字が流れていく。
同時接続、千三百人。

《聞こえてます!》
《10万人おめでとうございます!》
《初ライブ!今日も期待してます!》

「いやあ、こんなにたくさんの人が見てくれてるんですね」
「槇村さん、緊張してます?」
「古賀さん、そりゃ、緊張しますよ。自分が一番見られてるライブなんて、音楽のステージでも経験ないですから」
「ですよね、では槇村さん、今日はどんなお話をされるんでしょうか?」
「えー、今日はですね、ル・コルビュジエと、日本の三人の弟子についてお話ししようと思っています」

隣の大型ディスプレイに、ル・コルビュジエの写真が映し出された後、三人の建築家の写真が並んで映し出された。

前川國男、坂倉準三、吉阪隆正。

「槇村さん、吉阪さんだけ黒縁度低めですね」

《古賀さん、まさかのメガネツッコミ》
《メガネwww》
《吉阪さん、コルビュジエへのリスペクトが足らんな笑》

「吉阪先生は少し世代が下ですからね、まあそれもあるんでしょう。三人とも、コルビュジエのアトリエで学んでいます。それぞれ時期は違うんですが。で、この三人が、日本の近代建築で非常に重要な仕事をしていて」
「面白いのは、三人ともコルビュジエに学んだといっても、やっぱり少しずつ作風は違うんですよね。同じ曲でもアレンジ次第で全く違ったものになるみたいに」

《出た、音楽たとえ》

「あはは、また音楽にたとえちゃいましたね。でも、こうやってすぐに皆さんの反応が見られるのって楽しいですね。ステージで結構テクニカルな演奏をしても、ベースはあんまり反応してもらえないんで」

その時画面に、赤い帯が現れた。

《建築マニア太郎 ¥10,000 10万人おめでとうございます!ご祝儀です!》

「槇村さん、スパチャ一万円いただきました」
「古賀さん?一万円って?」
「スパチャです、おひねり的な。建築マニア太郎さんからいただきました」
「あ、そうなんですね、ありがとうございます!建築マニア太郎さん、いつも素敵なコメントもいただいて、ありがとうございます」

この一言が口火となり、その後しばらくご祝儀スパチャが続いた。
一つ一つ丁寧に拾い、読み上げ、お礼を言った。
純粋に、ありがたいと思った。

*

その頃志穂は、スーパーチャットの購入画面を開いていた。
三千円を選んで、メッセージを入力してみる。
《スパチャを初めてします。この前、昔から好きだった曲について調べてみたら、たびたび私を支えてくれた曲に槇村さんの編曲が沢山あったことに気付きました。素晴らしい音楽をありがとうございました》
私はふだん、ライブ配信をほとんど見ない。
建築の話題が中心のこのチャンネルで、
初めて送るスーパーチャットの内容がこれで良いのか、
タイミングをどうすれば良いのかわからない、そう思った。

*

画面には、上野の国立西洋美術館の写真が映し出された。

「国立西洋美術館。こちらの場所はご存知の方も多いと思うんですが、日本国内で唯一、コルビュジエが設計した建築で、世界遺産にも登録されています」
「そうなんですね、知らなかったです」
「でも、コルビュジエが設計したといっても、別に現場に来ているわけではなく、フランスで設計しているんです」
「え、槇村さん、それってインターネットがない時代の話ですよね?」
「ええ、当時、1950年代はインターネットどころか、FAXですら一般的ではなかったはずです」
「だから、実際にコルビュジエの設計を現場に落とすにあたって、この三人の弟子たちがなんとかする、そういう役割を背負うことになったんです」

《やべぇ》
《すごいな》
《無茶振りすぎる》

「しかも、送られてきた図面は一枚を除いて、寸法が書かれていなかったそうなんです」
「え?」

《丸投げwww》
《古賀さん絶句www》

「槇村さん、それで建てられるんですか?まあ、現に建っているので、なんとかしたんでしょうけど……」
「ええ、一応、コルビュジエが考案した『モデュロール』という寸法基準があって、その基準を手がかりにバランスや寸法を割り出すことができる、という仕組みになっていたみたいなんですが、まあ、無茶振りには違いないです」

《何それ》
《無茶振りには違いない》

「無茶振りには違いないんですが、音楽の世界を考えたら同じようなものかな、と思います」
「と言いますと?」

《音楽たとえ来るぞ!》

「たとえば、バロック音楽なんかだと『通奏低音』っていうパートがあるんですけど。これって、言ってみたらコード進行とベースラインを一定のルールの中で演奏して伴奏を即興で組み立てろ、って雑に楽譜に書いてある、みたいな感じなんです。だから、ある意味ソリスト以上に技量や知識、現場対応力が求められるんです」
「そして現代の大衆音楽でも、結局作曲者や編曲者が一から十まで楽譜で指示できるわけではないし、演奏、歌唱する人にもそれぞれの個性や癖がある。全部思い通りにはいかない。だから、最後は、現場に委ねるしかない」
「なるほど」
「コルビュジエの図面がただの無茶振りなのか、弟子への信頼の証なのか、愛のムチなのかはわからないけど、いずれにしても最後は信じて委ねるしかないのは一緒だと思うんです。国立西洋美術館はそうやって出来上がった。コルビュジエ自身は結局、現地で完成を見ることはできなかったけれど、竣工写真を見て、満足だと言ったそうです」

《いい話!》
《無茶振りは愛なのか》
《国立西洋美術館に行きたくなりました》

次の瞬間、画面にオレンジ色の帯が現れた。

《shiho ¥3,000 スパチャ自体初めて送る者です。槇村さんの音楽のお仕事から、こちらにたどり着きました。建築については全然無知なのですが、今日のお話がとても面白かったです。国立西洋美術館は行ったことがありますが、今度は建築にも注目して行ってみたいと思います、ありがとうございました。今後も配信楽しみにしています》

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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