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「刑事ジョン・ブック」における「いい奴って、好きな女のためなら、こういうこと平気でやっちゃうんだよな」の話

コーン・フィールド     【iybi,hwc】

3,728 字

映画批評エッセイ

"『刑事ジョン・ブック』はなぜ過小評価されるのか? 熱き映画愛が解き明かす、完璧なる「切ない愛の物語」の真髄。"

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えっとねー、俺と「AI」君との壁打ちの定番ネタに、
「過小評価されてね?」と「過大評価されてね?」の
2シリーズがあるんですな。

って話だったっけね。

で、今回は「過小評価されてね?」シリーズを、
皆さんに投げたいと思ってます!

ときて、やはり俺として言っておきたいのが
「刑事ジョン・ブック/目撃者」が、
かなり、かなり低く評価されてるのでは?
って話でしたよね。

で、早速行きます、

果たして本当に「刑事ジョン・ブック/目撃者」って
「過小評価」されてるのかしら!?
勘違いじゃないかしら。

まず最初に、
誤解なきように「前提」を付け加えます。

「刑事ジョン・ブック/目撃者」ってアカデミー賞取ってるし、
興行的にも成功した部類の映画だと思いまーす!
って人!

あなたは正しいです。
と、思います俺も。

でもね、100人を前に、
「ヘイ!インディー!」って言ったら、
多分、絶対に、100人が、
軽く「おー!」ってなる。
多分ね。

で、「ヘイ!デッカード!」って言ったら、
多分、おそらく、40人が、
割と強めに「おー!」ってなる。
気がする。
分からんこれは(笑)

でもって、「ヘイ!ソロ!」って言ったら、
絶対に、絶対に100人が、
「おぉー!!!」ってなる。
まずまず、スタンディングオベーション状態になる。
と、思う。

然るに、最後に「ヘイ!ジョン!」って言ったらさ、
絶対に!100人が「どのジョン?」ってなるでしょ?
これもう断言しちゃうけど、
絶対に!、だ。

でね、「あのーですね、刑事ジョン・ブック/目撃者の・・・」
まで言ってみると、
うす〜く15人くらいが「あーあのジョンね……」
ってなる、と、思う。

と言うか絶対こんな感じだって、
間違いない!とここでは断言させておくれ。

つまりだ、
お爺ちゃんが言いたいのは、

「刑事ジョン・ブック/目撃者」は作品評価そのものは高い。
しかし、
「1980年代アメリカ映画史における位置づけ」は
過小評価されている。

ということで、
「刑事ジョン・ブック/目撃者」
がお好きな人お待たせしました。

今回はこの作品を褒めて褒めて褒めちぎりますので、
お好きな方は必見です!

だいぶツベコベ言ったんで、先に進むんdeath!(古っ)

この映画が好きだ!という俺に対して
「AI」君が言ったのは、

「木村さんが好きそうなのはここだと思う。『刑事ジョン・ブック/目撃者』は刑事映画じゃない。恋愛映画でもない。アーミッシュ映画でもない。本質的には異文化との遭遇による自己再生の物語です。」

と言ってきたわけ、
ここはかなり当たっていて。

ただし言わんとすることは一部似てはいるが、
俺的には、、、。

『刑事ジョン・ブック/目撃者』は刑事映画であって、

組織の退廃を描いた映画であって、

職業意識を喪失する者の映画であって、

その中で高い職業意識を持ち続ける刑事の映画であって、

アーミッシュ映画であって、

知らなかった文化を知る教養映画であって、

それを通して見えてくる文明批判映画であって、

異文化との遭遇による自己再生の映画であって、

だからと言って我々の薄汚れた世界を否定するだけではない映画であって、

そして、なにより、なにより、な・に・よ・り!
その全てが「切ない愛の物語」のための舞台設定である。

というですね、
ある種、要素マシマシ全部盛りでありながら、
その正体は最高の大人の恋愛映画である、、、。

というね、(2度言った)ことをね、
観たことがある人は分かるハズだ!

例えば「タイタニック」に代表される、
パニックと恋愛の要素が巨大に入った、
アンバランスなハリウッド映画ではない。

つまり全てがあまりにも完璧に破綻なく、
矛盾なく、納得するしかない。
全ての要素が奇跡のようなバランスを保ち
成立している映画である。

と俺は思っていて、
それゆえに、ともすると無意識に、
「優等生らしさ」を感じてしまう映画であり。

そのせいで優等生=天才ではない=良品・小品のイメージを、
無意識のままに持ってしまう映画である、
と思っているのね俺はね。

カッコよく言うと仮説だ仮説。

また全編に渡り、アーミッシュに代表される映画の主題たちを、
完璧に伝える映像美も見どころでして。

注意深く、美しく計算された、
テーマをフォローする、考え抜かれた美しい映像が、
ここぞで随所に提示される映像設計も素晴らしいのよ。

そして、何より特筆されるべきと俺が思っているのが、
俺的には映画史に残ると言いたい、

ダニエルという人物の「発明」なのだよ。

ハリソン・フォードに感情移入している我々観客にとって、
本来憎き恋敵であるはずの彼が、

異常なほどの安心感と好感のもてるナイスガイに、
描写されているのが素晴らしい。

本来の憎まれ役が、
観客がどーしても嫌いになれない
いい奴でして、ね。

ラストシーンの後味。
つまりこの映画の一番の妙味を
演出しているっつーね。

ホントにこれは大発明。

物語冒頭で、

レイチェルに恋心を持っている男である事が、
明確に示される。

そして、レイチェルの連れ子であるサミュエルを、
自分の子供のように可愛がってくれる男であること、

つまりは

レイチェルが大切に思っているものを、
無条件に大切にできる男である

事が示され、俺を冒頭から安心させてくれる。

同時にレイチェルへの真摯な思いを、
追加のマシマシで見せてくれる大サービス。

馬車で汽車を追いかける、一見無邪気なこのシーンでは、
「いい奴って、好きな女のためなら、
こういうこと平気でやっちゃうんだよな」。

という
「あー俺わかるわかる!あるある!」
を見せておくことで、
俺の琴線をがっちり掴んで。

映画の中盤では、

コミュニティの中でもしっかりと役割を果たせる、
頭の良い、気の良い、好感を持てる、
しっかりとした男であることを見せてくれる。

そしてラストシーン。

ハリソン・フォードとすれ違うシーンで、
すでにフォードと一体化した切ない俺の恋心を、

「大丈夫だ、こいつなら絶対、
レイチェルとサミュエルを幸せにしてくれる」。

「だから俺的には切ないけど、
フォードは、切なさは抱えながらも、
安心して都会に帰っていける」。

という気持ちを、確信にまで持っていってくれて、
なんとも言えない究極に切なくて、
なのに安心して観終えることのできる、

盤石の観終わった感を、演出してくれているんですよー。

そしてダニエルという人物造形は、
ごく一部の映画しか知らない俺にとって、

この映画以前には現れたことがなく、
以後も現れたことのない、
非常に風変わりな発明品である。

と思うのね。

もう優等生すぎて、こんな映画「大作のわけがない」
という奇妙な気持ちになっちゃう。

かつ、エンドロールを見ながら感じる、

切なくて、悲しい、
なのに安心しちゃう。
ちゅーアンビバレントで複雑な感情がさ、

他のハリウッド映画では、
なかなか味わえない見事な鑑賞後感として、

観客の感情を迷子にしてる可能性は、
否定できないと思うよね。

その見事さも含め、過小評価につながっているのではないか?
と言うのが俺の仮説なの、仮説。

完璧ゆえの「小品イメージ」どうだろうか?

そして俺は、この映画を見て感動した40年前から、
思っていた事があって。

絶対にないけど見たいなぁが「目撃者2」なのよ。

今度こそフォードとレイチェルが結ばれてもいい(笑)。

ダニエルとレイチェルとサミュエルの一家が窮地に立たされ、
フォードが現れ彼らを救うでもいい(笑)。

あるいはその過程でダニエルが失われ、
フォードが代わって親子二人を守る役を
引き継ぐ話でもいい(笑)。

とにかくもう一度あの4人を見たい、
とか思っちゃうんだよなぁ。

もちろんダニエル(アレクサンダー・ゴドノフ)が
不幸にも早世した現実があり、実現なんかしませんけどな。

とか言いながら無意識に、

「守られるべきは女と子供」と当たり前のように発想してしまう俺は、
だいぶ時代遅れなんだろーなー(笑)

まぁお爺さんなんでね。

とにかく未見の人には是非観てほしいし、
観たことある人にはまた観てほしい映画だな
俺にとってはねぇ。

まあこの映画を見た二十歳前後に、
大恋愛してた影響も、ないではないがな。

へへへ、ジジイだって昔からジジイだったわけじゃない。
って知ってっか?(笑)

おっ、いま鼻で笑ったそちらのお嬢さん。

あのね、ジジイとババアが大恋愛した結果が、
君たちなんだよん(笑)それが愛じゃんね。

おっともうこんな時間か、
診療所でアリシアが待っている。

ではでは。

アリシアと「ムーンライト」グラハムって
実在の人物って知ってた?
俺、全然知らんかったからビックリ(笑)

今度こそ、ではでは。

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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