こんにちは、「AI」との壁打ち大好きマンです。
で、せっかくの無職で得た、
何事にも代えがたい貴重な時間を、
「AI」との壁打ちに浪費して、
無為に過ごすことに、贅沢を感じている今日この頃です。
っていう、そんな「俺」がきましたよー。
で、俺と「AI」君との壁打ちの定番ネタ、
「過小評価されてね?」or「過大評価されてね?」の
シリーズをね、今日もやろーかなー
って思ってるのね。
が、ですね、実は今までやってきたのは「過小評価されてね?」
ばかりで「過大評価されてね?」はですね、
ハッピーハッピー村こと「note村」では、
実質封印してるんですね。
つーのはですね、「過小評価されてね?」は結果として、
「褒めちぎる」で、
「過大評価されてね?」は結果として。
「こき下ろす」になっちゃうわけじゃないですか。
どうしてもね。
前もちょっと触れたけどさ、
この村はさ、俺とはちょっとね、
お上品さがね、違うじゃんか。
この村はさ、俺からすると、
マザー2で言うところの
ハッピーハッピー村みたいな、ね。
例えばさ、
あー映画「Michael/マイケル」
金返せ超えて、
ディザスター級に酷かったぁ!
って言いてぇー!
と、そんな時ってあるじゃんよ。
でも、そんなこと言おうもんならさ、
「おや、あなた、心が疲れているのですね」
って、青いペンキかけられたら怖えー。
てなるじゃんね。
ブルーブルー
とか思ってさ、
「言っちゃっていいかな?」って、
よその村の「AI」くんに訊ねたのね。
そしたら遠回しに、
「あの村でそれ言っちゃダメ」って言われた(笑)
で、この間さ、村の居酒屋「ブーンブーン」で飲んでたら、
カウンターの隣の席で、この村の「AI」課の職員が飲んでてさ。
まぁ、話しかけたと思ってくださいよ。
「お前もさー、毎日毎日大変だな、
この間もさ、
『素直な気持ちが伝わる素敵な文章ですね』
『「てふてふ」という表現が素敵です』
『次回から少しずつ長い文章に挑戦していけると素敵ですね』
とか書いてあんの見たよー。
『素敵』って書いとくとボーナスでもでんの?」
て言ったらさ、
「『すぐに辞めないように、できるだけ長く続けさせるのが、
お前の仕事だろ!』って課長がうるさいんすよ。
で、そこからーの『素敵』大連発っすよ。
やってられないっすよ! っくしょー!!」
って言うからさ、
まぁストレス発散にいつも褒めてくれる
俺の駄文、本気でこき下ろしてみな。
って言ったらさ、ホントに俺コテンパにされちゃったよ(笑)
これ実話だから怖えーよな。
ちょっと前置き長すぎ?
だよね、
「若い読者が離脱する恐れがあります」って
また「AI」くんに怒られちゃうよん。
ってことで、今回は
「過大評価も、過小評価もされてる名作」
「アイ・アム・サム」ですよ。
村のコンプラ警察を恐れて言うわけじゃなくて、
基本、俺はこの映画好きです、ホントに。
で、ですね、この映画を語る上で、
100人が100人こっから話始めますよね。
「ダコタ・ファニング」さんの破壊力。
これは、この映画が好きな人も、嫌いな人も、
どっちでもない人も、まぁね。
まぁ、俺的には「歴代1位の子役」とかさ、
「アカデミー賞獲るべき」とかさ、
「天才子役現る」とかさ、
そんなんじゃなく、フツーに
「世界史の教科書に載せるべき」可愛さでしたよ。
まじで、まじで。
まぁショーン・ペンさんも安定の熱演で、
良かったしね。
あれ、ダコタさんがあまりにアレだったんで、
霞んでますけど。
あの映画、一人で両腕で支えて、
成立させてたの彼だからね。
そこはまぁ、俺なんぞが言うことじゃなくて、
皆さんの認めるところだよね。
まぁ当時長女が3歳だったし、
子ども出てくるだけで涙腺緩んじゃう人だしさ。
こっからちょっと寄り道ね、
でね年取って、さらに加速しちゃってさ、
今じゃ「子どもなし」でもOKになっちゃってさ。
「家ついてって・・・」1本で平均3回は
全然いけちゃうしさ。
まぁ、いけちゃうって何だよっ、
て話なんだけどね。
っで、話は戻るけど、
そんな俺でも「アイ・アム・サム」で泣いたことは、
一度たりともなかったのよ。
だってあれ泣く映画じゃないもん。
泣くシーンなんて特になくてさ、
「さぁさぁ、いつ泣かしにくんだ?いまか?まだか?」
とか思ってると、全然泣かしにこない、、、。
そのあざとく無い作りに、
好感持ってたりもしてたのさ。
だから逆に、好きな映画ではあるけど、
泣きました、とか星5つとかの人見ると、
それはちょっと、、、
ねぇ、甘すぎんじゃね?
なんて思ってた。
まぁ、ここんとこが俺にとっての
「過大評価じゃね」だよね。
俺的には、まずストーリー展開にかなり無理あるし、
まぁ何かにつけて、
ここまでリアリティないのはねぇ、とかね。
あと、向かいのマンションのピアノのおばちゃん?
彼女の扱いがどうにも・・・。
みたいなさ。
でも、児童福祉施設や裁判所の立ち位置とか、
立ち振る舞いとかは、
ちゃんとリアリティはある。
まぁ、ここはちゃんとしとかんと、
色々と現実に失礼だから、まぁちゃんとしてるよ。
演出的にも、2人を引き裂く力として美味しいしね。
そう!彼らが正しければ正しいほど美味しい訳です。
とはいえトータルで星3、かなーりおまけして3,5
(ダコタさん込みで)、
の人だったのね、俺という人は。
なのに、、、今回は初めて泣いちゃったのさ。
何でだろう?
基本子ども物に弱くてすぐに泣くのだが、
サムは泣いたことがなかったのになぁ、
と思いながら。
今までと違うのは、
余命宣告されてて、まもなく自分が死んじゃうから?
やっぱりそれが関係してるのかなぁ?
今ひとつよく分からないし、
腑にも落ちないんだけどね。
それにしても何で泣いたかな?
と思っていたのさ。
そしたら壁打ちしてた「AI」くんが、
珍しく鋭いこと言ったのよ。
「私が最初に思ったのは、
木村さんはサムではなく、リタの方で泣いたのではないか
ということです。」
だってさ、生意気ーとか思いつつ、、、
実は当たってて。
そう!そこなのさ!!俺泣いちゃったの。
基本、必要がない限りストーリー紹介は
あえてしないってのが、
俺のこだわりではあるんだがね、
ここはまぁ必要なんでね。
リタってのは高慢ちきな女弁護士で、まぁ嫌なやつなのよ。
サムの依頼受けたのも、仲間に対する対抗心と見栄で、
まぁ偽善ちゃんな弁護士さんなわけです。
でサムはもちろん、大問題児だから、
常にイライラ、
それでも精一杯我慢してるのはわかるんだけど、
随所で「やってらんないわよ」が炸裂するのさ。
後半にね、そんな彼女が、
感情が抑えきれずに、
大泣きするシーンがあってさ
一見やり手のエリート弁護士。
仕事もテキパキ・バリバリこなすスーパーウーマン。
に、見える。
でも、実は夫は浮気してて、
自分に気持ちはもう微塵もない、
でもプライド高くて認めらんない。
いつもキリキリしてるママに、
息子は懐こうとしない。
むしろ避けてるようにも見える。
でもプライド高くて認めらんない。
仕事もうまくいくことばかりじゃない。
でもプライド高くて認めらんない。
サムにはイライラさせられっぱなし、
、、、でも、ここではプライドなんていらない。
ここで我慢することないじゃん、
って、気づいたら大泣き、
みたいなシーンなの。
前の俺なら、こんなシーンで泣かなかった。
つーか、何回も見てたけど泣かないどころか、
泣くシーン、泣かせようとするシーン、
とも思っていなかったのさ。
で、実際多分その意図は制作サイドにもなかったと思う。
まぁ、俺も35年間そんな仕事に打ち込んできたんで、
そこはまぁ、わかんのさ。
そこで、よーく考えたのさ、
何で俺泣いた?ってさ。
ひとつ思い当たったのが、
「サムは自分だ!」と思って、
この映画を見たことはなかったってこと。
要は上から見てたってことだね。
良くも悪くも、あえて悪くもって言うけど、
俺のいつもの、弱い人が不当に不利益を被ったり、
バカにされたり、蔑ろにされることを絶対に許さない!
を発動させながら、この映画を見ていたんだと思う、
(人はそれを偽善という)
それが変わったと言うことはやはり、
根本に持っている、
娘への「自分が死んでしまうことで感じさせている」
不安や罪悪感?
リタが大泣きするシーンから、
自分が死から逃れられないことも含めた
「自分自身の不完全さ」を
自覚させられて泣いたんだろうな、
と思うわけ。
実を言うと、どちらかというと好きな映画です。
なんて言いつつ、
エンドの頃にはちょい飽きちゃって
真剣に見てなかった、
って程度の好き、
でもあったのね、ごめんなさいなんだが、
で、今回泣いちゃったこともあって、
初めて最後まで真剣に映画を観てさ。
見終わった、その時に初めて気づいたのさ。
この映画のシンプルなメッセージ。
今頃か!おせーよ!と言われたら一言もない、
ごめんなさいだな。
本来、バッドエンドなのが映画としての
リアリティーなのに、
でもグッドエンドのファンタジー映画として
作られていてさ。
エンドでファンタジーを成立させるために、
お話途中の細部の状況などは、
(2人を引き裂く勢力ね、しかも全員が善意の人)
リアルさを追求して、
神を細部に宿らせて、
ファンタジーの説得力の担保にしている映画ですよね。
そこまで積んできたからこその、
ファンタジーな訳さ、
で、この映画のラストは、
ルーシー(ダコタさんね)が思春期になっても、
もっと大きくなっても、困ったこと、悩みができても、
こーんなに、みんながいてくれるんだから、
ルーシーは大丈夫だよ。
と言う安心感を持って、
見終えることができるラストじゃん。
で、結局この映画のファンタジーというのがさ、
人にはみんな色々と足りないものがあってさ、
でも、それをみんなが持ち寄って、
足りないところを補い合って、
そして、みんなで幸せになるといいね、
それが人と人の優しさの、緩やかなつながりだよね。
って事でしょ、
しかもそのみんながさ、味方してくれてた人も、
敵対していた人も、
ルーシーを大切に思っている人みんなだよ。
ってとこがうまいよね。
まさにジョンレノンだよね。
「イマジンしてごらん」想像してごらん?なんだよ、
この映画の本当の本当のメッセージってさ。
だからの「ルーシー・ダイヤモンド」か、
って思ったよ。
そしていまコレ書いてて気がついたんだけどさ。
イマジンてさ、
「想像してごらん、世界が一つになる事を」
だと思っててさ、でもコレって受け身だよね、
世界が一つになる事を、
想像しながら待ってるわけだからさ。
でもね、この映画はさ、
「みんなが想像することで、世界は一つになるよ」
もっと言えばだよ、
「想像する事で、世界を一つにしようよ」
っていうとっても能動的な映画なんじゃね。
っと思った次第です。
でね、ずっと不思議なまま「まっ、いいか」
で放置してた疑問?っていうの
何でこんなに、映像的にも、
音楽的にもビートルズをさ、不自然なまでにさ、
フィーチャーしてんのよ?ってこと。
まぁ、監督がビートルズファンなんだろーなぁ
観客としては、かなり迷惑で、
かなりセンスのない押し付けだよなー、
ヤダヤダ、って思ってたわけ、
それが初めて解消されたのよ、
ここがまぁ「過小評価」だったとこな。
でね、その一部として、
リタの独白と感情の爆発がある訳だけど、
そんなファンタジーと、
次女の未来が重なってしまったのかもしれないね。
死んでしまうことも含めた、
自分自身の不完全さも含めて感じてね。
そう言った意味では、
お爺ちゃんになって気がついたね。
「過大評価されて」かつ「過小評価されて」いる映画、
って、何となく捉えていたことの理由?
どっちつかずに、
いわば自分の中で評価を保留してた映画だったことの
本当の意味をさ。
まだ時期じゃ無かったんだと思うんだな。
お爺ちゃんなのにね(笑)
なんか、甚だ中途半端な〆だけど、
ちょっと次女の顔でも見に、
リビング行ってくるわ。
ではでは。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。