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天秤裁定者

ナン・ルーナック

6,860 字

カイストシリーズの二次創作作品です。 元ネタの場面: https://kakuyomu.jp/works/822139844774640613/episodes/822139844957495441 https://kakuyomu.jp/works/822139844774640613/episodes/822139844957586921

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※カイストシリーズの二次創作です
※元ネタの場面:
https://kakuyomu.jp/works/822139844774640613/episodes/822139844957495441
https://kakuyomu.jp/works/822139844774640613/episodes/822139844957586921

天秤裁定者

一

テレビの中で古めかしい天秤が淡い光を帯びていた。

「以上、合計八ウェイト・ポイントが、終幕楽団側の不正・不公正である。これを是正するための案を提示する」

十歳のミロは、膝を抱えてテレビ画面の前に座っていた。父に呼ばれて居間に来た時、天秤の赤い皿にはもう分銅がいくつも載っていた。家族も、隣人も、画面の中で拍手を送る観客も、皆が頷いていた。何かが変わればいい。誰かが何かをしてくれるなら、それに頷こう。

画面の男は言った。我力防壁を五倍にし、敵のすべてを十パーセント弱める、と。そして「これを見ているセルドナの住民は私のことを知らず、『何やら勝手なことを喋っているが本当にその通りの効果が現れるのだろうか』と疑問を抱いている者が殆どだろう。しかし……なるべく信用して欲しい」。

ミロは頷いた。小さい声でも、「いいよ」「賛成だ」と。取り敢えず。

その瞬間、テレビの中の天秤が水平になり光を増した。家の中に歓声が起き、ミロも笑って見せた。けれど胃の底に、名前のつかないモヤモヤが残った。

誰が、何が、この男を裁定者にしたのか。なぜ一人の男の言葉に、世界が頷くのか。検証も何もない「信用してほしい」という言葉で、正義が動いたのか。

その違和感は十年の人生の中で最大のものだったが、その正体を言葉にする術を当時の彼は持っていなかった。

終幕楽団は敗れ戦争は終わった。あの裁定もまた、役目を終えた。

モヤモヤだけがミロの中に残った。

二

終戦から一年も経たない頃、ミロは皇城下公園を訪れた。公園の南口に建つ、幅十五メートルくらいの建物。「ガルーサ商会ローレイル支店セルドナ出張所」という大きな看板が入り口の上に掛かっていた。

受付の男は目を擦った。

「……何をどうすりゃいいんだ、これは」

「セファルスに挑むために、あなた方のことを教えてほしい。それと、彼に挑戦状を送りたい」

「そりゃまた……。親御さんは、この話を知ってるのか」

「知ってます」

「なんて言ってた」

「絶対に止めろ、カイストに関わってはいけない、と」

「それで」

「そんなもん知るか、って言ってここに来ました」

受付の男は、しばらくミロを見た。

「……おい、面白いのが来たぞ。ガキがセファルスに喧嘩を売りたいんだとよ」

三

ガルーサ商会の面々は、実際、面白がってくれた。

カイストとは何か。ミロは質問を重ね、記録を読み、言葉を覚えた。

そして、セファルスへの挑戦状を出した。

返事は、予想外に早かった。

『構わない。ただし、私が次にローレイルへ行けるのは、およそ四十年後になる。それでもいいか』

ミロは、すぐに了承の返信をした。
十一歳の彼には四十年という時間がどれほどのものか、まだ実感がなかった。

「カイストとは何か、ってのは簡単だ。魂が頑丈な連中だ。死んでも記憶と力を持ったまま転生する。だから俺らは死なない。……いや、死ぬんだが、続きが始まるだけだ。千年・億年単位で生きると、考え方も変わる。『私はこれが正しいと思う』を、何十億年もかけてやり遂げようとする。それがカイストだよ」

教えてくれたのは、出張所の年長者でバルタと呼ばれるカイストだった。外見は四十前後に見えたが、本人の話では100億歳をとうに超えているという。

ミロは質問を重ねた。我力とは何か。裁定とは何か。そして『天秤』とは何か。

バルタは様々な記録を引っ張り出してきた。セファルスは終幕戦争以前から何度も裁定を下しており、どれも異常な精度で「釣り合い」を取っていたという。転生を重ねたカイスト達が、あの男の名の下に黙って頷く理由を、ミロは記録の山を読むほどに理解した。……理解するほどに、あの日のモヤモヤは大きくなった。相手は正真正銘の、四千世界を生き抜いた信頼の塊だったのだ。

「勝てると思うかね」
酔ったバルタが、ある夜ぽつりと聞いた。窓の外では、街の祝祭の灯りが揺れていた。終戦記念の日だ。
「分からない。でも、あの違和感は誰にも聞けない。世界中の誰もが『あれは正しかった』と言う。なら、聞けるのは私だけだ。あの日、取り敢えず頷いてしまった私だけだ」

「……ふうん。お前が勝つと思うなら、何に勝つのか、考えておけよ」

ミロはその言葉の意味を、その時は分からなかった。

四

それから月日は流れた。

ミロは十代を過ぎ、二十になり、三十になり、四十になった。ガルーサ商会の面々は皆、初めて会った日のままだった。ミロはそこで検証士の技術を学んだ。カイスト基準で見れば基礎の基礎、といったレベルであったが。記録の読み方、論の組み立て方。白い髪が増えるごとに、ミロの身体は老いていった。

だが問いの核は、十歳のままだった。

あの日、テレビの前で「取り敢えず」頷いてしまった自分の、胃の底に残ったモヤモヤ。それを言葉にするための準備を、彼は止めなかった。録画は何万回と見返した。冒頭の名乗りから最後の一言まで、一行ごとに暗記した。反証の準備は、幾重にも積み上げられた。

父が死んだのは、ミロが三十五の年だった。最後まで、カイストに関わるなと言っていた。その夜も、ミロは録画を見返していた。

画面の外も調べた。あの放送を配信した端末はガルーサ商会の製品で、商会には販売と改造の記録が残っていた。そこから端末の持ち主に辿り着き、あの日ドームにいた者たちの名を洗い出した。四千世界に散った彼らの居所を、一人ずつ辿った。話を聞けたのは、四十年でわずか三人だった。三人とも、ミロの問いを面白がった。そのうちの一人が、放送が終わった後にセファルスが漏らした一言を覚えていた。

齢五十に近づいた頃、バルタはミロのグラスに酒を注ぎながら言った。

「もう知っているだろうが、絶対正義執行教団って連中がいてな。『真に正しいこと』なんてもんを何百億年もクソ真面目に追求してるやつらさ。そのくせとりあえず出た結論は『真の悪は定義できたが、正しさは定義できなかった』だとよ。……正義なんてのは、そういうもんだ。分かったか」

「分かっていません。ですが、分からないまま挑みます」

「お前、精神が止まってるぞ。身体だけ歳を取って、中身はあの日のガキのままだ」

「分かっています」

「四十年前にした約束を、まだ覚えてるのか」

「忘れられるわけがない」

バルタは、短く息を吐いた。

「そうかい。がんばりな」

五

正暦六〇七億年、終幕戦争が終結してから四十余年。

五十一歳になったミロの元に連絡が来た。セファルスがローレイルに到着した、と。

公開討論の会場は、オアシス島の中央ドームだった。終幕戦争の最中、セファルスが演説をしたあの場所。現在は観光スポットとして残っている。

客席は埋まっていた。元防衛戦の関係者、好事家のカイスト、それに多数の一般人……特にセルドナ防衛戦の火蓋を切ったあの演説を覚えている世代だ。進行役を務めるのは、四十年前に出張所の受付でミロの対応をした男だった。顔は寸分違わぬままだった。

壇上では、一人の男が静かに待っていた。

プレミアムC代表・『天秤』『バランサー』・セファルス。二十代に見える整った顔立ち。物腰は上品且つ重々しく、威厳を感じさせる。きちんと折り目のついたスーツを着て、白いネクタイには銀色の天秤が刺繍されていた。彼もまた、四十年前テレビ画面越しに見たそれと、寸分違わぬ姿であった。

ミロは壇を見上げ、一呼吸置いてから改めて挑戦状を叩きつけた。

「議題は、セルドナ防衛戦時に行われた、賛同を集めるための演説について。私は反証の立場で臨みます。……始めましょう」

六

ミロは紙を取り出さなかった。全部、頭にあった。十歳のときに飲み込んだ違和感を、五十一歳の口で出すだけだった。

「初めに、冒頭の計量について。あなたは終幕楽団の不正を八ポイントと数え上げ、その一つに、噂を挙げた。……『これは検証士による確認が済んでいない情報であるが』と、ご自身で不確実であることを認識した上で、〇.五ポイントとして秤に載せた。私は問う。未確定のものは載せるべきではなかったのではないか」

セファルスは頷いた。

「その通りだ。確認が済んでいないと言い、載せた」

「なぜです」

「戦争の趨勢に関わる情報だった。放っておく選択肢が、私にはなかった」

率直だった。弁明も、悔いも、感慨もなかった。

ミロは次に進んだ。

「次に、引き換えのレートについて。結界の強化を二ポイント、我力防壁の五倍化を三ポイント、敵性カイストの弱体化を三ポイント。……この等価表は、誰が決めたのですか」

「私だ」

「『結界の強度二十パーセント』と『防壁の五倍』が、なぜ同じ貨幣で計れるのですか。目盛りの根拠を示してください」

「示せるものではない。ただし、結果的に釣り合った」

客席がざわめいた。

「次に、あの放送の舞台について」

ミロの声の調子は変わらなかった。ここから先は、十歳の彼には知りようのなかったことだ。

「放送の前、あなたはテレビ局に、あなたの能力と実績を紹介する番組を依頼していた。そして画面の中で『その通りだ』『いいぞ』と声を上げ、拍手していた者たちは、あなたと同じドームにいたカイストだった。あの日、私の家の居間から見えた『皆が頷いている』光景は、あなたの側で用意されたものだった」

客席のざわめきが大きくなった。元防衛戦の関係者らしい一角から、低い声が漏れた。

「事実だ」

セファルスはそれだけ言った。

「あなたに、裁定そのものを行うなと言っているのではありません。あの時、戦力の増強が必要だったことも分かる。終幕楽団を前に、時間がなかったことも分かる」

「ですが、あなたは冒頭で自分の能力だと一言名乗っただけで、それが真理でも正義でもないとは、一度も言わなかった。少なくともあなたは言うべきだった。『これは私の能力による戦時の調整案であり、真理でも絶対の正義でもない』と。その上で、それでも協力を求めるべきだった。あなたは市民に選ばせたのではない。あなたの秤を、正義の『天秤』だと思わせたのです」

ミロは続けた。四十年間研ぎ続けた刃を、静かに振り下ろすように。

「では、核心を。あなたは『四千世界にあまねく存在する常識、普遍的な価値観に基づいて』裁定すると宣言し、なるべく信用して欲しいと言った。だが放送が終わった後、ドームの中で問われて、あなたはこう答えている。『内心は疑念が残っていても取り敢えず賛意を示せばカウントされる』」

壇上の男の表情は動かなかった。

「あなたは、取り敢えずの頷きでも天秤が動くことを知っていた。普遍の名を掲げた裁定を、中身の無い頷きで成立させた。あなたは『公正な裁定者』の仮面を被りながら、その実、セルドナの住民の生存欲求を人質に取って、賛同をカツアゲしたに過ぎない」

会場が静まり返った。
ミロは言い切った。四十年かけて組み立てた反証を、すべて口にした。膝の上の手が、微かに震えていた。

「なるほど。君は、私が効果を得るために『正義』という言葉を利用した、と言うのだな」

「否定はしない。私は、あの時の市民が『これはセファルス個人の見立てである』と理解したうえで賛同するなら、過半数に届かぬ可能性を知っていた。だから私は、四千世界の常識、公正、普遍的な価値観という言葉を使った。それは説明ではなく、賛同を得るための演説だった」

セファルスは、そこで一度言葉を切った。

「そして、頷きの中身は誰にも量れない。心からの確信も、恐怖からの追従も、取り敢えずの頷きも、私の秤の上では区別がつかない。区別がつかないことを、私は知っていた」

七

セファルスの発言後、沈黙はやや長く続いた。

その沈黙を破ったのもまたセファルスであった。声は、それまでより幾分穏やかだった。

「ミロ殿。君の論は、正しい」

観客の間に、小さなざわめきが走る。

「噂は載せた。レートは私が決めた。テレビ局には依頼した。ミネガ・アスモスの解説がなければ、視聴者の過半数は危なかった。ドームの者たちの相槌が、画面の向こうへの呼び水になることも承知していた。取り敢えずの頷きが数に入ることも、知っていた。……君の指摘は、ことごとく、事実だ」

「ならば——」

「だが」

セファルスは、わずかに首を傾けた。

「君の論は正しい。……だが、私の何を崩す論なのかね」

ミロは、喉の奥で息を呑んだ。

相手は全部を認めた。認めることと崩れることは、同じではなかった。

「……最後に、一つだけ。あの日の私は十歳でした。検証もできず、あなたの言葉の重さも測れず、ただ『取り敢えず』頷いた。あの頷きが、あなたの天秤を水平にしました。……私はその日から四十年、あのモヤモヤを引きずってきました。それが何だったのか、今日ここで、あなたに言わせます」

ミロは、壇上の男を見上げた。五十一歳の身体の奥で、十歳の自分が同じ姿勢のまま座っていた。

「セファルス殿。あの演説が正しかったのか。あなたの秤が正義だったのか。ここにいる全員の前で、答えてください」

八

セファルスは、静かに指を組んだ。

「ある者は、私の能力をこう評したそうだ。『世界のあり方を歪めるという意味では、害悪かも知れんが、今は頼るしかない』と。……私は、その評を否定しない。私は裁定を下す時、いつも同じような形式で演説をした後に、賛同を募ってきた。そしてその場には、君のように反証し、私の論を『検証』する者が、これまで一人も現れなかった。……ただそれだけのことだ」

会場から音が消えた。

「その上で、一つ問い返そう」

セファルスは組んだ指をほどかなかった。

「君は先ほど、私はこう言うべきだったと言った。『これは私の能力による戦時の調整案であり、真理でも絶対の正義でもない』と」

「……言いました」

「その通りだ。あれは世界のシステムではない。Cクラスカイスト、『天秤』セファルス個人の能力だ。冒頭でそう名乗りながら、結びでは普遍の名を借りた。それも君の指摘どおりだ」

セファルスは、ミロから目を逸らさなかった。

「では、なぜ君は今、その一個人の能力に、正義だったかどうかを答えさせようとしている」

ミロの喉が、わずかに鳴った。言葉を探したが、出てこなかった。

「問いに答えよう。あの演説は、防衛戦のための手段としては正しかったと言える。私は、セルドナを守るという目的を達成した」

「だが、私の秤が真に正しいことを量っていたか。一個人の能力に、それを保証する術はない。その問いに、私から言えることは一つしかない」

「そんなもん知るか、だ」

ミロはセファルスを見た。四十年前と変わらない目だった。何かを問うでも、勝ち誇るでもない、ただ静かな目だった。

刃は届いていた。届いた先に、崩れるものが最初からなかった。

進行役が控えめに時間を告げた。討論は、そこで終わった。

会場を出ると、外はもう暗かった。

ミロは島の桟橋に立ち、しばらく海を見ていた。

あの秤が正義だったのか。その答えを、あの男に言わせることはできなかった。

何に勝つのか、考えておけよ。バルタの声が、四十年ぶりに耳の奥で鳴った。

次に誰かが信用して欲しいと言ったら、取り敢えずでは頷かない。

四十年かけて手に入れたのは、それだけだった。

九

数日後。ガルーサ商会運営の酒場。その個室でセファルスはグラスを傾けていた。向かいには、古くからの知人が座っている。

「お前、ちょっと大人げないんじゃないか。あいつ中身はただのガキだぞ」

「人間の年齢で五十代であれば、もはやガキではない。カイスト基準で考え過ぎだ。私の主義でああいった手合いには、全力を出すと決めている」

「……なんかあいつ、カイストになって戻ってきそうだな。お前が裁定する場に毎回現れて、毎回ケチつけて。『天秤裁定者』とか呼ばれたりして」

セファルスは、短く息を吐いた。

「賛同を得づらくなるから、そうなってほしくないところだがな」

窓の外では、セルドナの街が、いつものように灯りを増やしていた。

(了)

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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