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けれども私は問うばかり

阪奈康太

4,613 字

純文学

"感情なき探求者の、愛を巡る冷徹な実験。"

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 その言葉の意味を私はよく知らない。
 私は父を早くに亡くして顔を覚えていない。母は私が帰ってくる頃に出かけて朝、顔を合わせるだけ。
 母は良い人、だったのかもしれない。毎食手作りで、わずかな時間顔を合わせれば、学校はどうかと、悩みはないかと聞いてくる。決まっていつも「大丈夫!毎日楽しい!」とそのような言葉を返す。
 母の話を学校の先生にした時、先生は涙目になりながら、お母さんに愛されてるんだね。とそう言った。
 愛されている?なぜわかるんだろう?そもそも愛してるとはなんなんだろう?初めての無知の自覚はその時だった。
 けれどもそれは子供ながら表に出してはいけないと感じた。私のその10年にも満たない経験則がきっと面倒くさいことになるだろうからと止めた。
 だから私はいつもそう言う言葉に対しては。
 
 
「うん!私もお母さんのこと大好き!」

 
 決まってそう言って私は大人達の安堵の顔色を買う。
 母が死んだ時、私は期待に胸を膨らませた。失って初めて気づくということがあるらしいから、私は愛に気付けるのだろうと。
 しかし、何も得るものはなかったからすぐに落胆した。
 棺から見た最後の母の顔は、ただ白く、目を瞑っていて、何かを動かすに足る物ではなかった。
 
 結局、期待していた思春期とやらは、期待外れの連続で私は何も変われず、何もわからない。
 気付けば私はそのまま大人にならなければならなかった。

 18になって、大学へ通い始めて少ししたとき、一つ二つぐらい年上の男性が話しかけてきた。
 
 あー、ナンパか。最初は無視するつもりだったが、少し好奇心が沸いたので乗っかってみることにした。
 彼からすると面白いほどトントン拍子で事が進んだだろう。彼の薄っぺらい言葉一言一言に大げさにリアクションをとって、喜んだフリをする。
 大して好みでもないケーキをさも好物かの様に頬張って、飲み込む。それを幾度か繰り返すと、案の定彼から休憩のお誘いが来たので、何度か軽く拒む。
 そして、根負けしたかのように、あるいは、まんざらでもないように取り繕って乗っかる。そうやって私は貞操をそれにささげた。

 私はこれを通じれば男女の愛ぐらいなら知れるかもしれないと思った。経験というものが理解を生むと思った。

 おそらく、今まで一番近かったかもしれない。だが、不気味の谷然りだ。一番気色の悪い経験であった。
 感覚だとか、感触だとか、グロテスクなものだとか、それももっとも気色わるかったが何よりも彼が向けてきた感情がとてつもなく気色わるかったのである。
 性欲?好意?彼が理性を手放すほどにそれは強くなっていく。

 それでも、いや、だからこそ私はこの行為を何度も繰り返した。あの気色悪い経験が、今までの人生で一番近かったから。今まで経験した何よりも。
 幸いにも私は容姿が整っていたので繰り返すことができた。大学内で軽く噂になっても、よりよい学生を演じていたために誰も噂はすぐに消えていく。
 そして、見境なくやった。年齢、性別、人種、立場、何も問わず。いや、むしろより広く知りたかったからなるべく違うものを選んでいた。
 けれどもやはりわからなかった。しいて言えば、性愛すら私には理解できないという事だけわかった。

 そんな時彼のうわさを聞いた。
 その彼は曰く誠実で、彼女のいう事には何でも聞くらしい。よく聞くと彼に対する評価としてはかなり重いらしい。
 お金に困った彼女へひと月分のアルバイト代を手渡すほどには。
 ……これは俗にいうアガペーというやつではないだろうか?機能を見れば母が私に対して抱いていたそれとすごく近く感じる。
 愛の定義を利他性として考えた場合、究極的な愛とはアガペーである。
 であれば彼が欲しい。子供の時に理解できなかった母のそれをもう一度確かめたい。そして理解したい。
 そこから私はありとあらゆる手段を講じて別れさせようと画策した。悪い噂を広めて、容姿のいい男と二人きりにさせて、不貞をあおる。
 結果はというと、どうやら彼が抱いていたアガペーに対してその彼女はそれと同様同等のものを抱いていなかったようだ。
 私の介入もあって、彼がそれに気づくのに時間はかからなかった。計画は順調……とはいかない。彼はそれでも彼女のそばを離れようとしなかったのだ。もとよりあまり人の考えや気持ちなど共感しづらい私であるが、事ここに至っては理解不能極まれる。しかし、それは幸い彼女の方が気味悪がって別れるに至った。彼女はその後自己正当化にいそしみ、あれやこれや彼の悪口を広めるが、結局彼女の不貞という事実は変わらないので彼女自身の評判と信頼の失墜と、孤立を招いただけだった。しかし、これが大きな問題となった。当然彼はひどく傷心し落ち込む。
 まずい。もし、彼がこの一件でその行動原理に異変が生じれば不味い。彼が人間不信、女性不信に陥ろうものなら私へその感情を向けさせるのが難しくなる。
 いや、ものは考えようだ。これは同時にチャンスでもある。傷心している彼を前に、私はゲーム理論で言うところのパーを出し続ければ彼はきっと私へその感情を向けてくれるだろう。
 焦りを背にことを進めていく。
 断じて、早くはなかった。彼が奥手で、倫理に強い面を持っていたから、あえてゆっくりと迫っていった。その計画通りという意味ではトントン拍子であるが。
 話を聞き、感情のオウム返しをする。どうにもこれが本当によく効く。また、母親の行動を模倣して彼の生活へ介入していく。
 そうして私という存在が生活から離れなくなったころ、頃合いかと思って私の方から持ち掛けた。

「付き合わない?私たち」

 それを聞いた彼は喜んで承った。どのように喜んでいたのか、それがどうにも思い出せないでいる。
 それからしばらく時間を共にした。映画へ行って、水族館へいって、食事をして。大学では一緒にサークルに打ち込んだ。
 しかし、時間が経つにつれ、私は焦りを募らせる。まだか?まだわからないのか?
 その共にした時間が何なのか、私にはわからない。ふと彼に問う。すると彼曰く、宝物で、思い出だと。
 わからない。彼の感情が。その気持ちが。
 私にとっては、記憶と参照データでしかない。いまやそれが意味をなさずにキャッシュになろうとしている。
 わからない。わからない。まるで分らない。
 
 そのまま月日が流れて、そろそろ卒業かという時期になった。
 結局わからなかった。失敗だ。また次へいこう。そう思って、乗り換えようと大学の後輩とサークルで話していると声がした。
 振り返ってみると彼がいた。
 
「彩、帰るよ。」

 彼のその言葉に何かを感じた。
 ただ、強烈な違和感。そして、それに対する不安と好奇心。
 つまりは、なんだ?なんなんだそれは?という感情。
 そこで私はある仮定をした。
 愛情関係で発生した感情。それはつまり、愛情ではないだろうか?

 だから私は試してみることにした。彼が家へサプライズで来ることを見据えて、そのタイミングで、アプリで知り合った適当な男を家へ招いた。
 当然鉢合わせる。鉢合わせたその瞬間を私は待ち望んでいた。一秒、一瞬を無駄にせず、彼へ目をやる。
 彼酷く激昂し号哭した。謝る私に構わず、ただ感情に打ちひしがれていた。
 
 
 それを見て私は愛情という感情をその時初めて感覚的に観測した。
 

 今まで調べつくして、体系化されていた理論にあったぽっかりとした穴にようやくそれが埋まった。
 彼は言う。
 
「君との付き合いは長いからわかる。どうせ何も思ってないんだろ?」

 彼の真っ赤に充血した目は、私を憐れむように見つめていた。
 ……いつから、わかっていたのだろう。いつ気付いたのだろう。
 記憶の限りを辿ってみてもやはりわからない。私は正直に言うことにした。
 なぜか?それは簡単で、もう取り繕う必要がなくなったからだ。

「そうね。何も思っていない。何も思わないはずだった。」

 それは本意だ。

「もう、何も思えないと思っていたのよ。でも今ようやく思えたわ。」

 そう言って私は徐々に力が抜けていく彼を抑え込んで、彼の意識を奪った。

 時計を初めて見て、その仕組みを理解できる人間なんていない。だから分解する必要がある。
 愛情という機構を分解してそれで理解するのだ。
 だから、彼にはずっとそばにいてほしい。その機構がどう動いているかを知りたい。
 さあ、どうまずは蓋を取ろう?
 彼の前で、ほかの男と遊ぶのはどうだろうか?彼の大切なものを壊すのはどうだろうか?
 するとどのように壊れていくのだろう?どう分解されるのだろう?
 それで組み立て直すことは出来るのだろうか?
 私の胸はかつてないほどに高鳴っていた。

 しかし、やはり物事はいつも思い通りにはいかない。
 彼がいなくなったのは唐突だった。

 いつもの様に仕事前、食事をもって行こうとしたら監禁場所に警察がうろついていた。
 ああ、しまった。逃げられてしまった。詰んだ。きっと私のことも知られているに違いない。
 今に声をかけられる。そう思いながら私はその前の道を通る。
 日本の警察相手に逃げ切れるわけがない。けれども自分で警察に行くほどの勇気はない。だからそれは受動的な自首という表現が適切だろう。
 
 
 ……。
 
 通り過ぎた?声をかけられなかった。
 気付かれなかったわけでもない。何人かと目はあったが。そのまま通り過ぎることが出来てしまった。
 ……自首をする前に整理をする時間が貰えた。
 何が何だか分からないまま、今日は仕事を休むかどうか考えながら歩いている。

 あれから一週間弱。未だに何もない。
 そこで彼はまだ私に対して愛情を持っていると考えた。
 であれば私はこのまま無関係を貫ける。しかし、同棲している以上はそろそろ行方不明届を出さなければ怪しまれてしまう。
 重い腰を上げて身支度をして扉に手をかけようとすると扉が開いた。

「おかえり。……いや、ただいまかな」
 
「なぜ……?」

 訳がわからなかった。私は彼に対して「酷い事」をした自覚はある。
 利己的な都合を優先し彼の利益を侵害した。
 だからわからない。なぜ戻ってくるのか。そしてなぜ彼は優しく微笑んでいるのかを。
 私は論理的な回答を出せない。
 
 そして彼はふふっと笑って言った。

「わかんないや。」

 結局、愛とは利他性に他ならない。言葉では理解している。
 けれども皆が感じるように私は愛を受け止められない。何かを感じられない。
 だから頭でわかっても納得がいかない。
 私はいまだに愛とは何かについての答えを出せない。
 それは哲学的に究極的な領域においてのみならず、現実に実践的な範囲においてもだ。
 相変わらず私はこの問いに人生を支配されている。

「はい、お茶。疲れたでしょ。」

 ああ、この優しさを不気味に感じられればどれ程良かっただろうか。

 彼は私を抱擁しながらいう。

「寂しい思いをさせてごめんね。」

 私はただ何も返さずに彼から出る音を聞いている。

 

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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