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アンへドニア

阪奈康太

2,100 字

純文学

"生きる意味を知る者が、生きる意味を失った時、その問いはあなたをどう揺さぶるか。"

駅から帰路についている途中に妙な人を見つけた。

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 駅から帰路についている途中に妙な人を見つけた。
 
 「問う。何をもってして生と成すのか。心臓?意識?代謝?」

 道端でそう話している狂人。狂人、とそう評するのはそれを無差別に、通りかかったすべての人に問うていたからだ。
 道行く人々は彼を避け、関わろうとしない。当然の反応である。
 しかし、帰り道はそこを通らないと遠回りになってしまうから、仕方ないので私も無視をするぞと、心の中で決意を固めてその道を進んでいく。
 彼との距離が徐々に縮まっていき、心臓が高鳴っていく。ああ、どうにか耳をふさげないものかと悔やみながら。そして彼と目が合う。——が、気づけば彼は後ろにいた。
 ほっとした。ああ、遂に飽きてどこかへ行くのだろう。そう思って帰路を進んでいこうとすると、彼は私の後ろにいる人にまた問うていた。

 「問う。何をもってして生と成すのか。心臓?意識?代謝?」

 なぜ?まずはそれだ。なぜ私だけ聞かれなかったのかまるで分からない。このまま無視をして帰路に着けばいいものを、私は気になって振り返って彼に声をかけてしまった。

「どうしたのですか?」

 どうもこうもない。狂人からまともな返答が返ってくるわけがない。

「大丈夫ですよ。お気になさらず。」

 返ってきたそのハッキリとした言葉遣いに驚愕する。いけないとわかっていても、どうにも気になってしまって聞いてしまう。

「何故、あなたは道行く人々にそれを聞いているのですか?」

「否。君が聞きたいのはなぜ自分は飛ばされたのかだ。」

 心の内を公然と見破られるのは非常に不快で、けれどもそれ以上に恐ろしい。

「私じゃ、その問いに答えられないと?」

「そうだとも。その問いには答えられない。」

 狂人に君にはわからないといわれる。内心見下していた相手が、私以上に見下すどころか眼中にないというのがどうにも腹立たしい。

「失礼ですが、私はこれでも哲学科の出身ですよ。その道行く人々に比べれば幾分かマシな回答ができるかと。」

「知っている。君が哲学科に通っていることを知っている。だから君に興味がない。」

 まるで理解できない回答に頭を抱える。所詮は狂人、論理的な思考も、合理的な考慮もできない狂人。
 それにまともに向き合おうとしている私の方がどうかしている。……けれども、どうにも知りたくなってしまった。彼がどこで狂っているのか。

「では、浅学ながら。宜しければ私にご教授いただけませんか?」

 無意識に皮肉をたっぷりと込めて聞く。

「君はなぜ生きるのか、生きるとは何かを考えたことがあるだろう?論理的に。」

「ええ、ありますね。」

「だから君には興味がない。」

 不思議な事を言う。確かに私はなぜ生きるか、生きるとは何かをいつも問うが、その言い草では私以外は考えていないようではないか。
 その深度の差こそあれ、誰しもが考えることだ。それで私を例外とするのは納得がいかない。

「では、ほかの人は考えていないと?」

「考えているか否かではない。答えを出したか否かだ。私は答えを出せていない人に問うているのだ。」

 どう見極めるのか甚だ疑問である。それを差し引いても疑問である。

「私は知っているとも、答えを持っているとも。しかし今それがまるで役に立っていない。」

「役に立っていない?」

 役に立つ。とは、哲学科にはどうにも耳の痛い話でよく何の役に立つのか?と、問われる。それに対する適切な回答を行ったところで、多くは冷笑されるのが経験上よくある話だ。
 けれども、この哲学的な分野において、哲学科が役に立たないというのは憤りを通り越して不思議で仕方のない事である。続けて質問を投げかける前に狂人が先に口を開く。

「私は今生きる理由を知っても、生きるとは何かを知っても、生きようと思えずにいる。感じられずにいる。仕事終わりの一杯に何も感じず、家族の抱擁に何も感じず、肌に触れる風も、枯れ逝く金木犀の香りも。それらすべてに何も感じない。理由を知っていても、私は生きられないのだ。ソクラテスも、エピクロスも、ブッダも、キリストも、誰の言葉も私の役に立っていない。だから理由は間に合っている。」

 全く合わない焦点。彼の目はずっとどこを見ているのだろう?けれどもそれ以上に身の毛がよだつのは彼の現状だ。

「そう、ですか。確かに、私には何もできませんね。」

 単純な共感ではない。次はお前だと、何故かそう突き付けられるような感覚に私は耐えられなかった。
 狂人は私の目を一度たりとも見ることはなく、また次通った人間に声をかける。

 「問う。何をもってして生と成すのか。心臓?意識?代謝?」

 彼の声が虚しく響くのを背中に、私は帰路を歩み続けた。

 翌朝、いつものようにテレビをつけ、朝食を用意する。
 ふとニュースに目をやると家の近くで自殺事件があったという内容が流れた。場所をよく見て見ると昨日のそこだ。
 私はどうにも恐ろしくて仕方なかったが、同時に、恐ろしいという事に安堵した。

 

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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