燈喰夜澄が死のうと思ったのは、午前二時の歩道橋の上だった。
終電はとうに過ぎていた。
眼下の国道を、貨物トラックが水のように流れていく。湿った夜風が吹くたびに、コンビニで買った安い缶チューハイの匂いが、夜澄の喉の奥から戻ってきた。
借金があった。
大きな額ではない。
少なくとも、世の中にはもっとひどい人間がいる。ニュースを見れば、会社を潰した社長も、投資詐欺に遭った老人も、家族ごと路頭に迷った者もいる。夜澄の借金など、そういう人間たちに比べれば、ただのかすり傷みたいなものだった。
だが、かすり傷でも腐ることはある。
動画編集の仕事は減った。
配信者になろうとして失敗した。
恋人には振られた。
母親には電話を切られた。
友人たちは、いつの間にか家庭や仕事を持ち、夜澄の愚痴を聞くには少し忙しすぎる人間になっていた。
スマホの画面には、未払い通知が並んでいる。
赤い数字。
赤い警告。
赤い人生。
「……終わりか」
夜澄は笑った。
笑うしかなかった。
何も持っていない人間は、最後に笑い方まで雑になる。
手すりを越えようとした、その時だった。
「やめときなよ」
背後から声がした。
振り返ると、そこに男が立っていた。
黒いスーツを着ていた。けれど、葬儀屋のようなきちんとした黒ではなかった。くたびれた会社員の黒だった。ネクタイは緩み、革靴は汚れ、片手にはコンビニの紙コップコーヒーを持っている。
年齢はわからない。
二十代にも、五十代にも見えた。
「誰だよ」
「死神」
男は、当たり前のように言った。
夜澄はしばらく黙って、それから噴き出した。
「はは……死神? もっとマシな嘘つけよ」
「嘘じゃないよ。君、今から死ぬつもりだっただろ」
「見りゃわかるだろ」
「見てもわからない人間の方が多い。みんな、自分が死にたい顔をしていることに気づかない」
死神と名乗った男は、手すりにもたれた。
その仕草は妙に人間臭かった。
あの世から来た存在というより、終電を逃したサラリーマンのようだった。
「燈喰夜澄。二十八歳。動画編集者。今はほぼ無職。借金は百四十七万。母親とは不仲。最後に検索した言葉は、“楽に死ぬ方法”」
夜澄の笑いが止まった。
「……スマホ見たのか」
「見なくてもわかる。そういう仕事だから」
死神は紙コップのコーヒーを啜った。
「でもさ、君はまだ死ななくていい」
「は?」
「君みたいな人間は、死ぬには中途半端なんだよ。絶望しきれてない。どこかでまだ、誰かに見つけてほしいと思ってる」
胸の奥を、冷たい指でなぞられた気がした。
夜澄は言い返そうとした。
けれど言葉が出なかった。
死神は続けた。
「だから、ひとつ仕事をあげる」
「仕事?」
「人を助ける仕事だ」
死神が笑った。
その笑顔は優しそうで、ひどく不吉だった。
「人が死ぬ前には、俺たちがそばにいる。枕元にね。ただし、座る場所が違う」
死神は手すりの上に紙コップを置いた。
「病人の足元に死神がいるなら、その人間はまだ助かる。名前を呼んで、足首に触れて、“帰れ”と言えばいい。死神は席を立つ。病人は回復する」
「……馬鹿馬鹿しい」
「でも、頭の方に死神がいるなら駄目だ」
死神の声が、少しだけ低くなった。
「その命はもう終わってる。触るな。救おうとするな。席順を変えるな。死はね、雑に扱うと怒るんだ」
夜澄は喉を鳴らした。
「なんで俺にそんなこと教えるんだよ」
「君がちょうどよかったから」
「何が」
「金に困ってて、承認に飢えてて、でも最初から悪人というほど器用じゃない」
死神は夜澄を見た。
「壊れるには、いい形をしてる」
その言葉の意味を、夜澄はその時わからなかった。
ただ、手すりを越える気だけは失せていた。
死神は背を向けた。
「試してみなよ。君のスマホに、明日、依頼が来る」
「依頼?」
「昔の知り合いから。父親が危ないって」
「そんな都合よく――」
言いかけた瞬間、スマホが震えた。
画面には、大学時代の友人の名前が表示されていた。三年は連絡を取っていない相手だった。
メッセージは短かった。
『急にごめん。父さんが危ない。お前、動画で怪しい占い師とか取材してたよな? 誰か知らないか。もう何でもいいんだ』
夜澄が顔を上げた時、死神はいなかった。
紙コップだけが手すりの上に残っていた。
中身は空だった。
*
最初の奇跡は、古びた一軒家の六畳間で起きた。
友人の父親は、布団の上で浅い呼吸を繰り返していた。
医者には、もう長くないと言われたらしい。親族は泣き疲れた顔で座り込み、仏壇には線香が上がっていた。
夜澄は部屋に入った瞬間、それを見た。
布団の足元に、黒いスーツの女が座っていた。
顔は見えない。
長い髪が垂れ、膝の上で両手を揃えている。
そこだけ、部屋の明かりが届いていないように暗かった。
死神だ。
夜澄は膝が震えるのを感じた。
だが、足元にいる。
助かる。
夜澄は言われた通りにした。
老人の名前を呼び、痩せた足首に触れ、小さく言った。
「帰れ」
黒い女が、ゆっくり顔を上げた。
目はなかった。
口もなかった。
けれど、笑った気がした。
次の瞬間、女は消えていた。
老人の呼吸が変わった。
浅く切れていた息が、深く、静かなものになる。
親族の一人が叫んだ。
友人が泣きながら夜澄の肩を掴んだ。
奇跡だ、と誰かが言った。
夜澄は何も答えられなかった。
ただ、胸の奥で何かが灯った。
それは善意ではなかった。
人を救えた喜びとも、少し違った。
もっと熱く、もっと汚く、もっと甘いもの。
見られた。
求められた。
自分が、必要とされた。
その感覚は、安い酒よりもずっと強く、夜澄の体を内側から酔わせた。
*
二週間後、夜澄の名前はネットに上がった。
『父を救ってくれた人がいます』
『医者に見放されたのに回復』
『本物の奇跡を見た』
最初は小さな投稿だった。
だが、人間は奇跡が好きだ。
特に、自分の不幸に説明が欲しい人間ほど、奇跡に飢えている。
夜澄は、動画を出した。
顔は半分だけ映した。
黒い服を着て、暗い部屋で、静かな声で話した。
「私は、命の影を見ることができます」
嘘ではなかった。
死神が見える。
それを“命の影”と呼んだだけだ。
動画は伸びた。
最初は数千回。
次は数万回。
三本目で百万回を超えた。
コメント欄には、病人を抱えた家族の声が溢れた。
『母を助けてください』
『医者はもう無理と言います。でも信じられません』
『先生だけが希望です』
『病院は金儲けしか考えてない』
『本物の力がある人を潰そうとする世の中がおかしい』
先生。
その呼び名を見た時、夜澄は笑った。
馬鹿馬鹿しいと思った。
けれど、悪くなかった。
予約フォームを作った。
相談料を設定した。
交通費を請求した。
緊急対応には追加料金をつけた。
やがてオンラインサロンまで作った。
死神は病室のあちこちにいた。
足元にいる死神なら、夜澄は救った。
頭側にいる死神なら、夜澄は首を振った。
「魂の扉が閉じています」
そう言えば、家族は泣いた。
泣いて、納得した。
夜澄は、神ではなかった。
ただ、助かる者を助け、死ぬ者を死なせているだけだった。
だが世間は違う見方をした。
彼は“選ぶ人”になった。
救われた家族は彼を崇めた。
救われなかった家族も、彼の前では怒れなかった。
なぜなら彼は、最後の希望として現れた人間だったからだ。
やがて、夜澄は自分でもそう思うようになった。
自分は特別なのだと。
死神に選ばれたのだと。
誰にも見向きされなかった燈喰夜澄は、死の淵に立つ人々から、神様のように名前を呼ばれるようになった。
その頃から、動画の中の夜澄は変わった。
声がゆっくりになった。
目線が柔らかくなった。
言葉が曖昧になった。
「現代医療を否定するつもりはありません。ですが、医療だけでは届かない領域があります」
そう言いながら、彼は医者への不信を煽った。
「薬ではなく、祈りが必要な時もあります」
そう言いながら、彼は祈りに値段をつけた。
「私は救える命しか救えません」
そう言いながら、彼は救えなかった命の責任から逃げた。
フォロワーは増え続けた。
金も増えた。
部屋は広くなり、服は高くなり、食べるものも変わった。
けれど夜になると、夜澄は時々、あの歩道橋を思い出した。
死神の声。
壊れるには、いい形をしてる。
その言葉だけが、耳の奥に貼りついていた。
*
ある日、夜澄のもとに一件の依頼が来た。
有名な実業家の母親だった。
美容医療、健康食品、オンライン診療、自己啓発。
何にでも顔を出し、何でも金に変える男だった。
夜澄の動画にも何度か言及し、「本物の才能」と持ち上げていた。
提示された金額は、三千万円。
成功すれば、さらにテレビ出演の話もつけるという。
夜澄は迷わなかった。
都内の高層マンション。
最上階の寝室は、病室のように改造されていた。最新の医療機器が並び、白い壁には高価な絵画が掛けられている。
ベッドの上に、老女が横たわっていた。
そして。
死神は、頭側に座っていた。
黒いスーツの女ではない。
あの歩道橋で会った、くたびれた男だった。
死神はベッドの枕元に腰かけ、紙コップのコーヒーを持っていた。
「駄目だよ」
死神は言った。
夜澄にだけ聞こえる声だった。
「これは終わってる」
実業家が詰め寄る。
「先生、母は助かりますよね?」
夜澄は答えなかった。
死神は穏やかに続けた。
「帰りな。金は諦めろ。これは君の仕事じゃない」
夜澄の手が汗ばむ。
三千万円。
テレビ出演。
さらに伸びるフォロワー。
完全な成功。
ここで「無理です」と言えばどうなる。
期待外れ。
偽物。
結局、救えないのか。
コメント欄に並ぶ失望。
アンチの嘲笑。
切り抜き動画。
暴露配信。
夜澄は、もう元の生活には戻れなかった。
無名の、貧乏な、誰にも必要とされない男には戻れなかった。
「……ベッドを」
夜澄は言った。
「ベッドを反対にしてください」
死神の目が細くなった。
「おい」
夜澄は死神を見なかった。
「儀式に必要です。頭の向きを変えます」
実業家はすぐにスタッフを呼んだ。
電動ベッドのロックが外される。
機器のコードが動かされる。
寝室の家具がずらされる。
ベッドが、ゆっくりと百八十度回転した。
死神は動かなかった。
部屋の中での位置は同じ。
けれど、老女の体から見れば、死神は足元にいる形になった。
死神が低く笑った。
「やったね、夜澄」
その声は、怒っていなかった。
それが、かえって恐ろしかった。
「君、ついにこっち側の理屈を、自分の都合で使った」
夜澄は老女の足首を掴んだ。
「帰れ」
声が震えた。
死神は立ち上がった。
そして、消えた。
老女の呼吸が戻った。
部屋中が歓声に包まれた。
実業家が泣きながら夜澄の手を握った。
スタッフが叫び、家族が膝から崩れた。
その夜、夜澄の名前は爆発した。
『奇跡の治療師、本物だった』
『医者が諦めた命を救う』
『燈喰先生、テレビ出演決定か』
『現代医療の限界を超えた男』
フォロワーは一晩で百万人増えた。
夜澄は高級ホテルの部屋で、シャンパンを開けた。
窓の外には東京の夜景が広がっていた。
まるで、無数の命の灯のようだった。
その時、部屋のインターホンが鳴った。
こんな時間に誰だ。
夜澄は酔った足取りで扉を開けた。
そこに、死神が立っていた。
くたびれた黒いスーツ。
緩んだネクタイ。
片手には、コンビニの紙コップコーヒー。
「迎えに来たよ」
死神は言った。
「何の話だよ」
「席順を変えただろ」
夜澄の酔いが、一瞬で冷めた。
「でも助かった。俺は救ったんだ」
「うん。救った」
死神はうなずいた。
「だから、その分だけずれた」
「ずれた?」
「命は、空席を嫌う」
死神は夜澄の肩に手を置いた。
冷たくはなかった。
むしろ、人肌のように温かかった。
それが嫌だった。
「君があの老婆を列から抜いた。だから、代わりがいる」
「ふざけるな」
「ふざけてないよ。最初に言っただろ。頭の方にいる死神を動かすなって」
「俺は……俺は選ばれたんだろ!」
夜澄は叫んだ。
「お前が俺に教えたんだ! 俺にやらせたんだ!」
「そうだね」
死神はあっさり認めた。
「だから見届けに来た」
視界が歪んだ。
ホテルの廊下が遠ざかる。
足元が抜ける。
スマホが床に落ち、画面が割れる音がした。
次の瞬間、夜澄は暗い場所に立っていた。
*
そこは、地下駐車場のようだった。
天井は低く、コンクリートの壁がどこまでも続いている。
けれど車は一台もなかった。
代わりに、無数のスマホが並んでいた。
床一面に、棚一面に、壁一面に。
古い機種も、新しい機種もあった。
画面はすべて点いている。
そこに映っているのは、蝋燭だった。
長い蝋燭。
短い蝋燭。
太い蝋燭。
今にも消えそうな蝋燭。
画面の中で、火が揺れていた。
「これ……何だよ」
「寿命」
死神は歩き出した。
「昔は本物の蝋燭だったんだけどね。最近は管理が面倒で。人間もスマホの方が見慣れてるだろ」
夜澄は棚の間を歩いた。
画面の中の火は、それぞれ違う揺れ方をしていた。
強く燃えるもの。
静かに細るもの。
一瞬だけ大きくなり、すぐに小さくなるもの。
その一つ一つが、人間の命。
棚の端に、電源の落ちたスマホがいくつも並んでいた。
画面は真っ黒だった。
蝋燭も映っていない。
ただ、充電切れの端末のように、何も返してこない。
「……これは?」
夜澄が尋ねると、死神は足を止めずに答えた。
「過労死」
声に感情はなかった。
「燃えてる最中に、先に器の方が駄目になる。火は残ってた。でも、灯す場所が壊れた。よくある」
夜澄は息を呑んだ。
その隣には、画面の割れたスマホがあった。
蜘蛛の巣のようにひびが走り、その下で蝋燭の火が押し潰されたように消えている。
「事故死」
死神は淡々と言った。
「落下、衝突、巻き込み、急な破損。火の長さとは関係なく、画面が先に割れる」
さらに奥に、小さな端末があった。
子供用のキッズケータイだった。
黄色いカバー。
防犯ブザーの紐。
丸くて、安っぽくて、どこか頼りない機械。
その画面が、割れていた。
ひびの奥に、短い蝋燭の燃え残りが見えた。
まだ火が灯るはずだった形だけが、黒く潰れている。
夜澄は、喉の奥が詰まるのを感じた。
「……それは」
「虐待死」
死神は、やはり同じ調子で言った。
「本来なら、まだしばらく燃えた。短くても、明るい火だった。でも、割られた。外から」
夜澄は何も言えなかった。
棚の上で、キッズケータイは黙っていた。
通知も鳴らない。
着信もない。
誰かを呼ぶための防犯ブザーだけが、ちぎれた紐を垂らしている。
「君たちは勘違いする」
死神は、コーヒーを啜った。
「寿命っていうのは、必ず最後まで燃えるものじゃない。途中で消される火もある。踏まれる火もある。見て見ぬふりをされて、空気だけ先に奪われる火もある」
夜澄は、割れた小さな画面から目を逸らした。
けれど、逸らした先にも、同じような端末がいくつも並んでいた。
充電の切れたスマホ。
割れたスマホ。
水没したスマホ。
焼け焦げたスマホ。
誰にも回収されなかったスマホ。
それらはすべて、かつて誰かの命だった。
「怖い?」
死神が聞いた。
夜澄は答えられなかった。
「怖がるだけなら簡単だよ」
死神は、ほんの少しだけ笑った。
「でも君は、それを金にした」
夜澄は吐き気を覚えた。
死神は、ある棚の前で止まった。
「これが君」
そこには、古いスマホが置かれていた。
画面はひび割れている。
その中で、小さな蝋燭が燃えていた。
芯はほとんど残っていなかった。
火は青白く、頼りなく震えている。
「嘘だ」
「本当」
「だって、俺はまだ二十八だぞ」
「年齢は関係ないよ。君のぶんは、さっき使った」
夜澄は膝から崩れそうになった。
「助けろ」
「無理」
「お前、死神だろ。何とかできるだろ!」
「できなくはない」
死神は、隣の棚を指差した。
そこには、長い蝋燭が映ったスマホがあった。
太く、明るく、まだ何十年も燃えそうな火。
「火を移せばいい」
夜澄は顔を上げた。
「移す?」
「君の火が消える前に、他の火を少しもらう。うまくいけば、君はまだ生きられる」
「やる。やるよ」
「ただし」
死神は笑った。
「手が震えなければね」
夜澄は自分のスマホを拾い上げた。
画面の中の火は、今にも消えそうだった。
隣の長い蝋燭の画面に近づける。
すると、不思議なことに、画面と画面の間で火が本物のように揺れた。
移せる。
夜澄は息を止めた。
だが、手が震えた。
恐怖で。
後悔で。
いや、違う。
スマホが震えていた。
通知だった。
割れた画面に、コメントが流れ込んでくる。
『先生、次の予約いつですか?』
『母を助けてください』
『本当に奇跡です』
『アンチに負けないで』
『先生は神』
『先生だけが希望』
『先生、先生、先生』
通知は止まらなかった。
震える。
震える。
震える。
夜澄の指先から、力が抜ける。
「止まれ……止まれよ……!」
彼はスマホを握りしめた。
けれど通知は増え続けた。
『ライブまだ?』
『先生が救えなかった人は、信心が足りなかったんですか?』
『医者より先生を信じます』
『先生、逃げないで』
『次は誰を救うんですか?』
違う。
俺は神じゃない。
俺はただ、死神の座る場所を見ていただけだ。
助かる人間を助けただけだ。
死ぬ人間を死なせただけだ。
そう言いたかった。
だが、言えなかった。
なぜなら、その誤解を一番欲しがっていたのは、夜澄自身だったからだ。
長い蝋燭の火が近づく。
自分の火が揺れる。
あと少し。
あと少しで移る。
その時、死神が耳元で囁いた。
「見つけてほしかったんだろ?」
夜澄の手が大きく震えた。
火が、ずれた。
「あ」
小さな声が漏れた。
画面の中で、夜澄の蝋燭が倒れた。
火は一瞬だけ大きく燃えた。
まるで、バズった動画の再生数みたいに。
そして、消えた。
*
翌朝、ニュースサイトに小さな記事が出た。
『奇跡の治療師・燈喰夜澄さん、都内ホテルで死亡』
死因は急性心不全と報じられた。
コメント欄は荒れた。
『陰謀だ』
『医療業界に消された』
『力を使いすぎたんだ』
『先生は最後まで人を救った』
『本物の聖人だった』
数日後、彼の切り抜き動画が伸びた。
死後、登録者数はさらに増えた。
誰かが言った。
先生は今も、見えないところで私たちを救ってくれている。
その言葉に、何万人もが「いいね」を押した。
画面の向こうで、死神が笑った。
くたびれた黒いスーツの男は、コンビニの紙コップコーヒーを片手に、次の歩道橋へ向かっていた。
そこにはまた一人、手すりの向こうを見つめる若者がいた。
死神は言った。
「やめときなよ」
夜の国道を、車のライトが流れていく。
それは遠くから見ると、無数の蝋燭の火に似ていた。
バズった死神
現代社会の病理を描くダーク・ファンタジー
"承認欲求という名の火が、命の画面を焼き尽くす。"
借金に追われ、歩道橋から身を投げようとしていた青年・燈喰夜澄は、くたびれたスーツ姿の死神と出会う。 死神は夜澄に、人の生死を見分ける方法を教えた。 病人の足元に死神がいれば助かる。頭側にいれば、もう助からない。 その力を使い、夜澄は“奇跡の治療師”としてSNSで名を上げていく。 救える命を救い、救えない命を見送り、彼は人々から先生と呼ばれるようになった。 だがある日、夜澄は死神との約束を破る。 救ってはならない命を、救ってしまう。 そして彼は、無数の寿命が灯る暗い場所へ連れていかれる。 古典落語『死神』を現代SNSホラーとして再構成した短編。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。