「いけません勇者様、人間と魔族は関係を持ってはならないのです。」
また私のPCが変なことを言っていることに気づいた。達郎は急に我に返った、この年になると射精をしなくとも賢者になることができる。給料四か月分の価値があるらしいこの機器も私と同じようにしょうもないエロゲーで体を熱くしている。
「そろそろ寿命かな。」
このPCとももうそろそろ7年の付き合いになる。数十、数百ものエロゲーを一緒にしてきたのだから、こいつは私の男友達といってもいい。排熱ファンはほとんど機能していなく、埃は溜まりに溜まっていて、電源ボタンは弱々しく緑に光っている。そんなこいつに申し訳ないと思いつつも、急に埃に火がついてこいつが爆発してしまえば、何か変わる…そんなような気がしている朝であった。
私は分かりやすいのが好きだった。廃部寸前の野球部に可笑しな転校生がやってきて甲子園に出れるまでに成長していくとか、欲しい本に手を伸ばした時横にいた女性と手が触れ合って始まる恋とか、宇宙人の視点で書くことでどれだけ人間が愚かかが分かるとか、そういうのが好きだった、いや性に合っていたのかもしれない。別にストーリーじゃなくても、トマト嫌いだけどケチャップは大丈夫とか、意味も分からず巨乳と書いてあるtシャツを着ている外国人とか、流行りの曲がずっと流れている新しめのショッピングモールとか分かりやすいものは分かりやすいからいい、そう思っていた。しかし近頃になって私は、習字の授業で子供たちが同じ方向を向いて「正義」とか「自然」とか大それた言葉を書いている様子とか、意味も分からないままエアクオートを使ってる外国人かぶれとか、古都の街並みの中に急に表れる焦げたネオンライトとか、そういうものに惹かれるようになっていた。
私はこれまでの人生正直なところを言うとほとんど挫折しなかった。中学ではサッカー部に入っていて、部の女子マネージャーと付き合っていた。勉強もそこそこできたので、担任の先生は私のことを通知表で「文武両道をできている素晴らしい生徒」と評した、高校は推薦で母親が近所に自慢しまわるくらいには素晴らしいの高校に行った、高校でも同じように過ごした大学もそうだ、早くに友達ができて毎日予定があってそれをこなしていくだけであっと言う間に終わった、とてもとても充実していた。そして私は大学を卒業し、大手の食品メーカーに就職した、面接は小中高とやっていたサッカーの話をした、面接官にとっても”分かりやすい”話だったと思う。そこから私は会社のために必死に働いた、馬車馬のように….いや猫バスくらいには働いたとは思う。まあそこそこに頑張っていた、ちゃんと結果も出せていたし、上司からも信頼を置かれていた。なにも不自由なこともなかったし、私は高校の友達からは憧れの対象になっていた。エロゲーのことは少し恥ずかしいが忙しさから逃れる良いストレス発散方法だと考えている。だが35歳になった今、何かが変わってしまった、35歳になった途端急に変わってしまったのではない、ずっとそこにあったのだ、ずっと体に巻き付いていたのだ、爆弾のようなそんなようなものが、しかしそれは決して爆発したりしない、今にもしそうな雰囲気があるただそれだけだった。私は夢中だった、人の期待に応えることに必死だった、サッカーだってサッカー好きの父親に半ば押し付けられたものであって、私が自ら望んだものではない、結果的に良い経験になったがそういうことではない。勉強だってそうだ、周りがしていたから、良い成績を取ると母親が喜んだから、行っていたにすぎない。食品メーカーだって祖母に私に向いていると諭された結果に過ぎない、あの好きで読んでいたスポーツ漫画だって、好きで聞いていたバンドだって、応援していたアイドルだって…。
私は35歳になって気づいた、私とは他人からの押し付けられた物で生成された哀れなロボットだと、自分に自我があると勘違いしてしまうほど精密にできたロボットだと。私は急に寂しくなった、何もかも嘘なんだと張りぼてなんだと気づいてしまった。そして分かった。私に巻き付いていたのは紛れもなく自分だったのだ、私は急に変わってしまったのではない私が35年間押さえつけていたものがあふれてきたのだ。本当の自分は私にアピールしていたのだ”爆発してしまうよ”と、もちろん爆発なんてしないしこちらが気付かなければ、ほっといても問題ないものに過ぎない。
しかし私はそれに気づいてしまった、そして可哀そうに思えた、火薬も積まれていないその塊が。もちろん私には常識がある、ここまで堅実に生きていたからだ。この年で自分にかまっていては周りに迷惑をかける、私自身の身を滅ぼしかねない。そう思う。いつもの私ならそう考えていたと思う。でもその時の私は違った、こう思ったのだ、火薬がなくて爆発できないなら、火薬を積んでしまえばいい。簡単だった。そこからはとても自然に進んだ、私は右手を自分のところに返してあげた、自分の右手はもう私の意志で動かない、キッチンにあったライターでほこりまみれのPCに火をつけた。
それから私はすべてを自分に返した、そうであるべきだからだ。次の日私は焦げて動かなくなったPCを見ながら朝ご飯を食べ、いつも通り会社に出勤し、そして上司に辞表を出した。上司はすんなりと話を受け入れてくれた。上司は私を応援してくれた、そして託してくれた上司が自分自身に対してできていなかったことを。上司は少しばかしお金をくれた、その金でいつもの私だったら買わないパステルブルーの車を買った。それから私はいろいろな場所を巡った、しかしそこには何もなかった、でもそれが心地よかった。これでこそ人生だと心からそう思った。そして金沢の兼六園で50歳の誕生日を迎えた、そこは私が子供のころ自分から行きたいと無理を言って連れて行ってもらった唯一の場所だ、聖地巡礼みたいだなと笑いそうになったのをこらえた。そして入園料をもって私の10年間ためてきた貯金が底をつきた。残っているのはパステルカラーの古い車だけだった。三日間飲まず食わずだったためもうほとんど動けそうにもない、そして残った力を振り絞ってその車に乗り込んだ。最後にとにかく遠くへ行こうと思った、自分のことなど誰も知らない自分と関係のないどこか遠くへ、ガソリンももう尽きてしまう、まだだ、まだ遠くへ、遠くへ、遠くへ….。自分はさらにスピードを上げた、取り締まりをしている警察が前に出てきたが避けて進んだ、どんどんスピードを上げた、私にはもう動く力が無かった、ただアクセルを踏んだ、踏んだというより足をのせていたに近いが。そして空腹で意識が遠のきそうになる寸前気が付いた、向かっているのは行き止まりだったのだ、もう戻る気力もない、私はコーヒーの空き缶を口に咥え思い切り噛んだ、そして缶の中に叫んだ、
「これが自分の人生です!」
そのまま車は大きな白い壁に突っ込んだ。
次の日この事故は、無職の五十代によるヘンテコな自死事故として大々的に報じられた、ネットでも馬鹿けだ事件だと批判されていた。あまりにスピードを出したものだから車はぺしゃんこ、大きな橋の土台だったらしい白い壁にはパステルブルーの衝突痕がくっきりと残って、いつまでも消えなかった。白い壁には少しだけ、色がついた。
ガソリン
現代社会批評、自己探求、虚無主義
"無色透明な人生に、パステルブルーの衝突痕を残して。"
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